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2012年05月24日(木)
謝罪しないで済ますことはできない

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本日(1011)朝から家内と些細なことで口喧嘩になりました。原因はい「要らん」ことを言ったからです。 (軽い口調なら毎度々のことですが、本日は腹に据えかねましたので喧嘩になりました⇔忠告はいただけません⇔誰に忠告する資格があるか?) 「要らん」事にもいろいろ在りますが、家内のものは論点(対話している内容)ををすり替えて云うから、 言われた方からすれば「云いががり⇔なんくせ」を付けられたことと同じになります。(すり替えていなければ正当な言い分でも) 従って云い返さなくてはならなくなり、次には「ああ言えば、こう言う」癖が出るために、些細なことでも喧嘩になります。 検察はウラで(間接的にしろ⇔警察の行為なら阻止しなくてはいけない)家内に関わりを持っているなら治してもらう責務があります。



理由は想いもしないことで事態の進展に影響しても、関わりを持つた以上、当方の家庭内のこととして済ますことはできない筈です。 治せないと判断したら、無断でウラで関わりを持ったことを謝罪してもらう必要があります。 (もし当方の家庭内のこととして済まされると想っているなら思い上がりと云うべきです)家内の悪癖の一つ (全てではない⇔人間が転生するとすれば、幾転生かで身につけた魂の性向ともとも云える⇔私は未だ根拠とできる話は聴いてはいない ⇔云い伝えその他を根拠とした仮定のものである)この世的には親に在ると考えています。 簡略に云えば家内の母親は頭の回転の速い人でしたので、できの悪い娘に自分と同じ能力を無意識に要求していたと云うことです。 (外見の真似を無意識に要求していた⇔意味の解らない人に解る人のヤリ方を教えていた)  

2011/12/27⇔木漏れ日の空間「謝罪しないで済ますことはできない 」より

j03情報起業始動マニュアル

 

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PLR パック 20 堅実在宅内職機密文書〜sokin-01〜

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2012年05月21日(月)
医療機関のミスも警察の殺人と区別がつかなくなる(2)

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警察は、当ページに記す記事の目的動機などの事情聴取に
当方には来られません。以上について「よし解った」は良いが、 悪魔も口実として同じように言います。問題は次に何を行うか?が問われます。解っただけで何も行わないことも、 悪魔の手口です。しかも、何も行えない理由も考えられます。野田総理大臣が謝罪に来ると云うなら、 現役の警察庁長官を行政処罰してからでないと謝罪の意味はありません。 (自分が行うことで神の手をわずらわせてはいけません)日本人(東洋人)上位者の意向を受けて言動するが、 西欧人は、下位者(民衆)の意見、意向を受けて言動する(判断する)との感性による情報入りましたが、 事実なら国際機関の判断を待って行うことではないとの戒めとも受け取れます。事件に関しては、 日本は自分から先に立って行わなくてはいけないのです。

  2011/12/25⇔木漏れ日の空間
「医療機関のミスも警察の殺人と区別がつかなくなる」より

j02睡眠障害を克服して熟睡する方法(再販売権付き)

 

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2012年05月18日(金)
医療機関のミスも警察の殺人と区別がつかなくなる(1)

ホ3 サークルネット  

現況を考えれば、例え医療機関が薬を盛っても警察の行為とすることができます。医療機関に看護婦を装って介入すれば当然です。 予防接種も迂闊に受けられなくなります。反論はできません)したがって現在の警察庁長官が私を殺せば、 歴代長官をも霊的には最大級の罪に落すことになります。霊的意味を考えれば、(霊的因果ではないから個人的見解として、一般に示してもよい) 彼等に対する神の慈悲として私を殺せないようになっているのです。「何をくだらないことを言うのか?」と反論すれば、 現実にどのようにして事件を解決するか?目算を持っているか?答えてもらうことになります。 上記記事の内容は「医療機関全体を敵に回さなくてはならなくなるとする」との社会風潮があれば、公安当局は排除しなくてはいけません。

19Healthy Style

上記に関して私が直接質すことは不可能ですので、質問は国民の皆様にお願いします。(40⇔2011年基準⇔年前の豊橋警察署前の事件、 ⇔2011年基準⇔10年前の久田工業前の事件の存在は質問の正当性を証明するものです)要する警察庁は、 先輩達の考えて来た事件解決の腹案は通用しないことを自覚してもらわなくてはいけません。又、現状では、警察は、 当方に当ページに記す記事の目的動機などの事情聴取には来られません。(検察は知りません)この項で云いたいことは、 事情などの中身のことではありません。医療機関でもらった薬が毒薬か?どうか?を問うものではありません。 警察や検察の姿勢を問うものですから、問題をすり替えて、不謹慎行為などとして私を罪に落すことはできません。 2011/12/25⇔木漏れ日の空間「医療機関のミスも警察の殺人と区別がつかなくなる」より  

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2012年05月15日(火)
むやみに説明すると目下に着かなくてはならなくなります(2)

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私の記した宗教思想はマインドコントロールには嵌らない
内容になっています。宗教は建前で行っていると目下に着かざるを得なくなる危
険性もあります。 しかし、支配とは違いますので本当の意味では危険にはなりません。又、完全な形で目下に着くことは不可能なことですが、 (神なら可能かもしれません⇔神とは何かが問われます)形式的には可能です。 液体の部分とは知能の働きによって得た知識とします。建前で目下に着く行為は、支配と同じことになりますのでお断りします。 (自分自身の心当たりの問題になります⇔良心に照らし合わせていただくことです)又、上記に示す宗教思想は、 人類の敵になると云う見解は間違いです。

理由は個人の自由と自己責任を選定としているからです。
この世とあの世(死後の世界)を合わせて四次元の世界とすれば、死後の世界はエネルギーの世界であり、 この世はエネルギーの世界に浸かっているいるスポンジのようなものだと云えます。 要するにスポンジの中にも出たり入ったりできるエネルギーは存在すると云うことです。スポンジは物質(宇宙も物質でできている) として考えれば、スポンジ自体もエネルギーからできていると言えます。参考にして下さい。 五次元の世界があると仮定してして、物理知識から類推すれば、 五次元の世界は高密度なエネルギーに満ちた世界と考えることができます。

淀みや渦は在るかも知れません。淀みや渦が個性に相当するのかも知れません。
しかし、人格神などは存在し得ないと考える方が妥当です。しかし、淀みや渦ができるにしても、 維持するにしても道理や因果は欠かせないと思います。即ち秩序を創り保持できるメカニズムやシスティムは必要と考えます。 したがって、神とは、エネルギー自体と定義することも可能です。問題は意識とは何か?になると思います。 エネルギーの淀みや渦が意識を創るのかも知れません。仮に高橋佳子が五次元以降の世界を知っていても、 ドライアイスになっていて語れない事情があるなら、何のために其処に存在するのか?と言いたくなります。

  011/12/23⇔「むやみに説明すると目下に着かなくてはならなくなります」より  

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2012年05月12日(土)
むやみに説明すると目下に着かなくてはならなくなります(1)

私の宗教理念には、実行が伴っていないから教えとはならないとの指摘が考えられます。しかし、大川隆法と高橋佳子、 その他の実名で説諭していますから、実行を伴った教説と答えさせていただきます。これ以上の議論は力勝負になります。 さらには、ドライアイスの用語としての説明は先に来ていただいた人に説明していただくことに致します。 但し、説明すると目下に着かなくてはならなくなる場合が考えられますので、目下に着きたくない人は説明はお止め下さい。 但し、独自性を保てる自信のある人はその限りではありません。

ドライアイスの中にも二通りの形があることが判りましたのでお知らせします。一つはドライアイスの形で生を享け次第に解けて行くものです。 二つは人生の過程で液体の部分をドライアイスにして行く状態です。ここで云うドライアイスとは、 CO2を凍らせたものではなく意識を凍結した状態とします。上記の場合の解けるとは液体の状態を跳びこして一気に気化すると云うことですが、 液体の状態が全く存在しないことではありません。ドライアイスになっていた部分だけが一気に気化すると考えていただくことにします。 もう一つの形は元々液体状態になっていた部分が新たにドライアイスになるケースです。

011/12/23⇔「むやみに説明すると目下に着かなくてはならなくなります」より
 

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2012年05月09日(水)
宗教理念に関する責務の遂行です

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人間は神の知恵を人知で推し量れません。神を信じなくても良心に
沿った行動を取れば間違いありません。集団の全体に関することは、一人では自己完結などできません。 私は、宗教理念に関しては、種を播きましたので芽がでいも枯れないようにする責務があるのです。 枯れないようにするためには矢車を回さなくてはならないではないか?(記事の巡回表示)むやみに回すと国か破壊するから、 中止しなくてはならないのは誰の責任か?「協力できない人は旗印を変えてもっても結構です」

ヒラメとカレーは目の位置が違うだけでDNAは同じか?違うか?
(同じ魚か?違う魚か?)ホームページ上で質問しましたが、未だ回答はもらってはいません。 (厳密には国の研究者が回答すべき事柄です⇔想念の世界ではそうなる)テレパシーでの回答は意味がありません。何故意味がないか?は、 遅れて来た人は、ご自分で回答を得て下さい。但し、警察は回答する義務があります。同類の質問を私は、 警察もしくは公共の組織、会に対してはできます。理由は最後は同じ質問を文書で行うことができるからです。

要するに本来なら、正、逆ともに可能でなくてはならないことが
阻害されていると云うことです。説明すれば想念上の質問は(質問が有ったか?どうか?は想像の範囲内のことですが) 私からは、ホームページ上で文字で回答できます。しかし、私から想念上で質問しても、ノウハウ、 凌辱事件が解決されない限り、如何なる人と言えども言葉や文章でもできなくなっているのです。 (如何なる人とは家内を含めて家族近隣人にも相当します。したがって伝言も不可能です)これは、人権侵害になります。  

2011/12/20⇔ 木漏れ日の空間「宗教理念に関する責務の遂行です」より

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2012年05月06日(日)
自己責任とは霊的な背景から生じる責任である

豊田章一郎の思想としての重大な罪は、自分の責任を他人の自己責任に転嫁していたことです。 自己責任と云うものは、本来霊的な現象を背景としているものです。自己の都合による、この世的背景を創っておきながら、 自己責任とすることは、霊的意味を利用した欺瞞であり神を冒涜する行為です。(自己の都合があれば、 そのことを議題として相手と話し合うことがこの世のルールです)「大海勉君は大丈夫か?」 (子息がトヨタ自動車の恩恵を受けている可能性がある)トヨタではないが、 豊橋警察署前の事件は、 霊的に私を殺せないようになっていると同時にノウハウ事件以外に、私にとっては危険が存在していることを示唆するものでした。  

2011/12/19⇔木漏れ日の空間「自己責任とは霊的な背景から生じる責任である」より  

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2012年05月03日(木)
人間の手で地球環境を守ることは道理に従っています

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私は初めに地球環境は「神の創り賜もうたシスティム」であり
人間が護らなくてはいけないと記しました。「神の創り賜もうたシスティム」なら神が護ればよいではないか? との反論の存在は知っていました。(仮想相手は大川隆法です)実際に反論されれば、神は「人間に自らの力で律するために良心を与えた」 と答えさせていただきます。上記の答えも道理筋道で導き出したものです。高橋佳子は霊に拘わることを道理で説明することを否定します。 彼女にまつわる仮想回答を求めます。「高橋佳子が怒って何ができると云うのか?」「霊魂を抹殺できると云うのか?」 「彼女が処刑されれば私も死ぬのか?」

「殺せるものなら殺してみろ!」以上は、私の抱えるドライアイス状の
部分が解消されない限り、たとえ彼女が死亡しようとも必然的に記す必要が生じますので、生存しているなら、 率先して事件の解決に取り組まなくてはいけません。(霊的には自分のためですから異議は唱えられません)又、不都合(あの世に還っても) が生じないなら、なおさら異議は唱えられません。云わば、時が止まった状態に在るのです。以上は霊的立場で記したものです。 私の過去生は存在しているのか?存在していないのか?答えられる人には答えてもらいたいと思います。

人間が転生するとしても、現世の霊魂も過去生の霊魂も
同じでなくてはなりません。霊魂を抹殺されれば、過去生はなくなります。(この世の生を失っても霊魂が存在すれば、過去生は存在します。 この場合は第二過去生と云うことにします)しかし、私はこの世で未だ生きています。因果の後先の入れ替えは不可能ではないかも知れません。 その根拠は未来は確定されていると云う説です。同説が正しければ、因果の入れ替えが可能でなくては成り立たないと思います。 但し、感性によるものです。興味を持たれる方は検討して下さい。
    2011/12/17⇔木漏れ日の空間「人間の手で地球環境を守ることは道理に従っています」より  

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2012年04月30日(月)
知能の働きも本能に含まれることになります

テレパシーで想念での交換を例にとった場合(密教方式も同じ)もし、
事実と違っていれば相手もしくは第三者が違っていると指摘しなくてはいけないのです。理由は想念上で想うことなど 本人でも規制は難しいのです。(理性で規制はできます)理性が介入する以上一段深い意識からすれば未だ方便に相当します。 良心に関しても同じことが云えます。(上辺は理性で規制されている)しかし、人間が他の動物と違うところは理性が在ることです。 他の動物に逆戻りする教えは進化のメカニズム(神のシスティム)を否定する行為と考えます。さらに続ければ、 高等哺乳類(犬、猫)には良心の存在が感じられますが、下等哺乳類(ねずみ)に良心が存在するか?は知りません。

爬虫類には存在しないと思います。しかし、進化のシスティムに従っています。但し、良心も人間の創った 概念で在ることに違いはありません。神の教えを伝えるためには神にならなくてはならなくなります。従って、 神になるとは?如何なることか?神とは何か?が問われることになります。哺乳類は超音波(人間の耳では聞こえない波長の音波) で対話しているのかも知れません。イルカは超音波を出しているとの報道は知っています。 超音波波のを受信ができて解析できれば直ぐに解ります。鳥類に良心があるか?ないか?も知りません。

カラスは犬や猫程度の知能があるのか?私が評価をすれば
いくら知能が高くても自分のための知能にすぎません。(本能の領域のものです⇔本能とは何か?⇔人知では測れなくなる) 少なくとも犬には劣ります。(人間だけに尽くすとしても変わりありません)オームは簡単な質問に答えられると 云うことであれば研究の余地があります。霊社会(人間に関する)の到来は、不都合があっても、人間の手によって後戻りはできなくなっています。 超音波探知機、その他の電子機器を所有し、他の生命との交信が可能になれば、他の生命の言い分も解ることになります。 今度は人間の手によって地球環境を護らなくてはならなくなります。以上は自分の行ったことには責任があるとすれば道理です。

  2011/12/16⇔木漏れ日の空間「知能の働きも本能に含まれることになります」より  

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2012年04月27日(金)
霊的掟と条件による拘束について(2)

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ゼンページに記す内容は、配偶者の変更は転生を通じて行われるのは
当然とする最初の定義に矛盾します。目的とする条件に拘束されることになります。何故矛盾が生じるか? 考えれば一生涯の目的と転生を通じた魂の向上の目的とは異なるからです。上記矛盾を解消するには、 この世に生のある間に来世の約束を行うことはできないとするしか在りませんが、それば、できる事をできないとすれば罰則が必要になり、 罰則を創れば、良からぬ者に規則を逆手に取られる等の不都合が生じます。又、来世のパートナーの約束を行ってもよいとしても、 良からぬ者から約束を逆手に取られる不都合が生じます。(密教方式に従うと悪魔のワナにハマります)

従って、この問題は原則として、この世に生のある間に来世のパートナーの
約束は行うべきではないが、止むを得ない事情があれば行ってもよいことになります。あの世に還れば、 止むを得ない事情がなくても任意に還られると考えるべきですが、真実はあの世に還ってからでないと解らないと思います。 どのような条件か?は知りませんが条件が在ることは間違いありません。従って、この世で心がけることはどのような 条件が提示されても困らないようにして人生を閉じるべきだと私は提唱します。ただ、上記は何んでも行っておけばよいと云うことではありません。 自由は簡単な様でも難しいことですので、できないと判断できた時は、一定の道徳を架して行うことをお勧めします。

2011/12/15⇔木漏れ日の空間「霊的掟と条件による拘束について」より

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2012年04月24日(火)
霊的掟と条件による拘束について(2)

ゼンページに記す内容は、配偶者の変更は転生を通じて
行われるのは当然とする最初の定義に矛盾します。目的とする条件に拘束されることになります。 何故矛盾が生じるか?考えれば一生涯の目的と転生を通じた魂の向上の目的とは異なるからです。 上記矛盾を解消するには、この世に生のある間に来世の約束を行うことはできないとするしか在りませんが、 それば、できる事をできないとすれば罰則が必要になり、罰則を創れば、良からぬ者に規則を逆手に取られる等の不都合が生じます。 又、来世のパートナーの約束を行ってもよいとしても、良からぬ者から約束を逆手に取られる不都合が生じます。 (密教方式に従うと悪魔のワナにハマります)   

従って、この問題は原則として、この世に生のある間に
来世のパートナーの約束は行うべきではないいが、止むを得ない事情があれば行ってもよいことになります。あの世に還れば、 止むを得ない事情がなくても任意に還られると考えるべきですが、真実はあの世に還ってからでないと解らないと思います。 どのような条件か?は知りませんが条件が在ることは間違いありません。従って、この世で心がけることはどのような 条件が提示されても困らないようにして人生を閉じるべきだと私は提唱します。ただ、上記は何んでも行っておけばよいと 云うことではありません。自由は簡単な様でも難しいことですので、できないと判断できた時は、 一定の道徳を架して行うことをお勧めします。  

2011/12/15⇔木漏れ日の空間「霊的掟と条件による拘束について」より

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2012年04月21日(土)
霊的掟と条件による拘束について(1)

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GLAによってドライアイス状に封じ込まれた状況が解消できなければ
、私は、家内と法律で争わなくてはならなくなることもあり得るのです。家内に対して「お前を提訴しなくては解決しないから 弁護士料を出してもらえないか?」と要請しなくてはならないのです。実際に実行する意思はなくても、条件があれば条件に拘束されます。 これが人権侵害と云わずして何と言えるのですか?皆様も考えてみていただきたいと思います。高橋佳子は、 既に、何回でも処刑(政府の手によって)されていると云うなら、その事実を新聞上に公開すれは、事件は解決されたことになります。 但し、私にとってはであり、他の関係者達との民事上の件は残ります。公開されなければ解決していないことと同じです。  

人間が転生することが証明された場合、配偶者の変更は
転生を通じて考えれば当然と云うべきです。理由は何時も同じでは偏向するからです。他方、一転生(転生ごとに)を考えれば、 霊的に捉えれば、夫婦の調和は目標として生きなければいけないものです。目標が達成できなかったら、 次の転生で達成しなくてはならないとする考え方もあるかと思います。上記考え方が掟になっていれば、 調和の達成まで同じパートナーを持って生きなくてはいけないことになります。常識的に捉えれば完全な調和ができれば、 転生の過程でパートナーを変える必要はなくなります。理由は、変えなくても快適でスムーズに人生を送れるからです。 固定観念と偏りが生じることは避けられないと思います。

2011/12/15⇔木漏れ日の空間「霊的掟と条件による拘束について」より  

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2012年04月18日(月)
記事そのものが検察に答える内容になっている

来世の契は、できる人の問題でできない人は無理に行う必要はないと考えます。
何か勘違いが在るのではないですか?私から頭を下げてお願いに上がることはあり得ませんので、ゆめゆめお忘れなきよう行って下さい。 誘いを仕掛けて最後には申し込ませると云うような考えは通用致しません。そのような姿勢がハンターやハントマンの餌食になるのです。 「真意は態度で判断して下さい」など自分で決めることを、他人に決めさせていると言わざるを得ません。 以上は心当たりのある人を対象としたもので、心当たりのある人がいなければ、私の一種の脅迫観念と言えます。 「ヤル」つもりでもそう云うヤリ方はできません。結局ヤラらなければ最後にはゴタ、ゴタが来ます。私は座して待つことはいたしません。

もう一つ、人質の両取りになっているから私は人質の立場も
考えなくてはならないのです。解り易く言えば、私の腹づもりを知らなくては、人質は云いたいことも云えなくなるのです。 ハッキリしなくてはならない事情があるのです。以前似想念上で約束した件(策術の行使がありましたので止むなく)は、 当ページにて文字によってご破算にしていただきました。以後はどなたとも、私から約束の申し込みは行っていません。 約束していない件に関してはお断りすることもできません。検察(新任の検察官は)調査しなくては解らないし、 調査すればお手付きになります。私にとっては迷惑しごくです。法務大臣に実情を報告していただきたいと思います。 当方の事情を調査する必要があれば、総理大臣の許可を得たからにして下さい。先ずは人権擁護委員会から調査することをお勧めします。

2011/12/14⇔木漏れ日の空間「当ページの記事そのものが検察に答える内容になっています」より  


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2012年04月15日(日)
悪魔にお答えします

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神は(を)敬愛しなくはいけないと云う思想は解ります。
悪魔は敬愛されたがりますか?それとも軽蔑されたがりますか?敬愛されたいなら神と悪魔はどこで区別(見分ける)するのですか? 区別の鍵は言葉や外観を重んじるものは神ではないと観て差し支えありません。特に敬愛を自分に要求する者は悪魔と観てよいか?と思います。 宗教はテクニックの問題では3ありません。ランクを決めるなら教義内容の優劣であり、どれが支持されるか?の問題になります。 神は敬愛しなくてもよいけれど、人間は敬愛しなくてはいけません。

耳元で、「そんな(お前の考えているような)生易しいものではないぞ」
と囁く悪魔が居ました。お答えします。「ご神刀が真剣になったり、装飾刀になったりする意味を考えろ」該当現象が起きているならば、 模擬弾が核弾頭の実弾になることもあり得るのです。「検査したり試し射ちをする時は模擬弾で、実際に行う場合だけ実弾になると云うことなのだ!」 ご神刀はの技を知らせる意味があれば、一定の条件の下で真剣が装飾刀になることも考えられますが、核弾頭は意味が違います。 「発射する瞬間に決まるのだ!」以上の技が実在するなら、どちらが「生易しいことではないのか?」と言いたくなります。

お前の言いたいことは、お前自身にとっては「生易しいことではない」
と言いたいだろうが、神を戴けば生易しいことでもあり得るのです。ただ、行いがなければ神の技は顕現されないことは間違いありません。 又、悪魔も術を持ってると考えられます。術を持っているから悪魔なのです。試す必要がある場合と興味本位で試す場合は違います。 この世的には同じでも霊的には違いが現れます。悪魔を悪魔と言えないような者に、核弾頭の秘密を漏らしてもらえると思いますか? 神を戴きたかったら行いで示さなくてはならなくなります。注:上記「」内は想念上の現象で事実とか?どうか?は知りません。

 2011-12-12⇔木漏れ日の空間「悪魔にお答えします」より

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2012年04月12日(火)
悪魔による実力者の定義

以下は心当たりのある人の問題とさせていただきます。
「そんなことをしていると医療機関全体を敵に回さなくてはならなくなるぞ!」とアドバイスがましい想念が入りました。 「他人の殺人に関する打ち合わせ(対策を含む)など暴力団でも、一致協力して行うことはできないのです」 私は、警察を批判しているのであって、医療機関を批判しているのではありません。(医療機関にとっては他人ごとです) ただ疑惑の対象が警察となれば他人ごとではなくなります。迷惑と受け止めるか? 「オレも国民の一人りだ」と意気込むか?は個人の自由です。

結果の出ないうちに結果で判断する人も居るかも知れません。
それは自己責任になります。私はただ、ビリヤードの玉のようにして的を射っているだけです。 何で医療機関が一致協力して敵に回ると考えるのか?余計なお節介ではないか!私の姿勢を非難する医療機関など存在しないと思っています。 結果の出ないうちに「一致協力して敵に回わる」などと結果を先取りして判断する人は、何者かに洗脳されている人間がおこなうことです。 けしからぬ洗脳を行う者は「名を名乗れ!」

結果が出てから自分の身の振云うり方を判断する人は、
警察庁長官が私に謝罪してから判断するか?私が何者か?に殺されてから(暗殺されてから)判断してもらいたいと思います。 上記はたわごとではありません。豊橋警察署前の事件は、40年前のことですが、久田工業前の事件は、約10(2001年基準)年前です。 黒柳自動車も知っている筈です。疑いと云うものは、該当する行為が無いことが証明されなければ取り消す必要はありません。 (消えない⇔無理に消さなくてはならない)「白昼堂々と人前で人殺しができなくては真の実力者とは言えない」と云う思想を感じます。

2011-12-09⇔木漏れ日の空間「お知らせと質問 より  


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2012年04月09日(月)
上位に着く下位に着くと云う概念を示す(2)

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「霊的な力を獲得する」をはじめとする霊的な概念を含む行為は
意図的に行うものとは違いますから、野心に類する良心の抵触は感じません。(良心の抵触を感じる行為はこの世的な打算に基づものに限ります) 霊的概念を含む行為とは、意味を考えた行為とは違います。意味を考えて行う行為は善悪どちらにも先取りすることができます。 大川隆法は、上記考え方には抵功を感じるのではないか?と思います。理由は、彼の霊思想は絶対者(支配者)の存在を認めているからです。 如何に彼が「自分が神」と位置付けていた言及あろうとも方便といえます。

高橋佳子と対決する(思想の間違いを暴き出す)ためには止むを
得ないことだったと主張しても、彼女に勝てば大川隆法に従う者は、必然的に彼を神格を認めざるを得なくなります。 大川隆法は人格神は認めていませんでしたが、中身は人格神と同じです(欺瞞である)高橋佳子も絶対者即ち、人格神の存在を認めていたからです。 人格神とは、私の示した宗教理念で説明すれば、神に象徴される高級心霊に相当します。大川隆法と高橋佳子の対決の結果は、 現在も着いてはいません。理由は両者とも神の定義が行われていないからです。さらには上位に着く下位に着くと云う概念も知らなかったと言えます。 知っていたと主張されれば、支配することと勘違いしていただけだとヤリ返します。(事実が物語っている)

尚、目下に位置していてもこの世的な親子関係は存在しますから、
(仮に霊的には敵対者だとしても)目下に位置していると主張しても、子供が攻撃されれば反撃します。 又、反対に親が目下に着いても子供が攻撃すれば敵対者とします。親は子供に加担するか?上位者に加担するか? 二者選択一の判断を迫られることになります。以上は力勝負で上下関係が決められた場合ですが、 力勝負を経ずしてなされた場合についてはケースバイケースになります。一つの例を示せば親の頭越しに説諭することもあり得ます。
2011/12/08⇔木漏れ日の空間「上位に着く下位に着くと云う概念を示す」より  

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2012年04月06日(月)
上位に着く下位に着くと云う概念を示す(1)

▲豊橋警察署前の事件(1970年)の事件がなければ
、私は、警察を押さえ込む(警察の上位に着く)必要はなかったのです。この事件が在ったために私は不本意ながら 警察の目上に位置せざるをえなくなったのです。人ごとのように受け止める人も、宗教を唱える者の想うことではないと 批判する者は必ず罠にはまります。理由は、宗教を唱える者は政治に介入しなくてはならない義務はないからです。 (介入してもしなくてもよい⇔自己責任)但し、政治に宗教を持ち出せば、余計な口出しになる可能性があります。 (一般人として介入はできるだけ)

仮に平松裕君や小野田江南さんが公安委員会のメンバーになれば
コングリマリットの一員とも言えるのです。コングリマリット(政官財利益複合体)に私がに融合されれば対立する必要はなかったのです。 理由は、労務に関するノウハウのアイディアを提を行っていたかららです。但し、コングリマリット(特に見える形がある訳ではない) の中でトヨタと対立する可能性はありました。實君、勉君が連れだって事件に関するそれぞれの報告にきていれば、 トヨタには勝てました。つづいて政府が謝罪すれば、(国民に謝罪するのではなく個人的な謝罪になります) 政官財複合体の上位に位置することになると思います。

政官財複合体の上位に位置につくことができるとする概念は
私に限るものではなく一般的普遍的に通用するはずですが、現実はそのようにはなりません。理由は力が不足しているからです。 何故、力が得られないか?を考察すれば、この世的な力の獲得に専念するからです。 霊的に観れば、却ってマイナスになる行為が多々含まれているからです。但し、以上は神を含む霊存在が実在することを前提とした考え方です。 前提とは信じることとは違います。霊存在は実在しなとする人ば、無神論者の意見を参考にしてもらうより他ありません。

2011/12/08⇔木漏れ日の空間「上位に着く下位に着くと云う概念を示す」より


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2012年04月03日(日)
神への敬愛は形に表さなくてもよいか?

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神は敬愛しなくはいけないと云う思想は解ります。
悪魔は敬愛されたがりますか?それとも軽蔑されたがりますか?敬愛されたいなら神と悪魔はどこで区別(見分ける)するのですか? 区別の鍵は言葉や外観を重んじるものは神ではないと観て差し支えありません。特に敬愛を自分に要求する者は悪魔と観てよいか?と思います。 定義は神への敬愛は形に表さなくてはいけないか?どうか?です。形に表さなくてもよいとすると、暗示的なものがでてきます。 何故か?どうしたらよいか?やはり形に表さなくてはいけないのか?私の答えは「他人が決めるありません」です。 設問が不適当と指摘されても、想念の中に侵入されれば正当な質疑です。ヒラメとカレーの例え話の説明は誰かにお願いします。 (私は文字による説明を済ましている) 2011/12/07⇔木漏れ日の空間「神への敬愛は形に表さなくてもよいか?」より
 

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2012年03月31日(火)
当事件と岡崎高校の同窓生について語る

永田君が一流大学に進学したことは想像しても(見落としていたが多分東大)
検察官になったことは知りません。彼等にとって私は行方不明になっていのたのですからです。当然のことながら自称養父は、 私の住所は知っていましたが、同窓会の案内は来ませんでした。同窓会出席案内が来た以上私とトヨタとの関わりを知らなかったとは言わせません。 さらには、娘の純子が岡崎高校に進学を望んでいましたが、東山中学の当時の担任の先生が阻止してくれたことは、 神のおぼしめしと理解せざるを得ません。進学していれば、八田氏の手にかかることは、容易に想像できます。 (良いも悪いも⇔生かすも殺すも彼の胸三寸の内にある)

以下は、当面は私は、公開する必要のないことですかが
公開しないと当人に不都合が起きると云うこともあり、記さなくてはなりません。1年A組みに居た西山君は当時の 愛知学芸大学の英語の教授で私と同居していた、叔父の山口辰男さんの指導教官でもありました。 詳しくは記す必要のないことですので中止します。唯、テレパシーの存在を確認したい人は居たかも知れません。 1年B組にも西山君はいましたが、こちらも、叔父の山口辰男さんを通して私のことは知っていたと思います。 卒業間近になって担任の栗木先生(生死不明⇔生存している方が奇跡)から「・・・(養育環境のこ)・・・と、だから大丈夫だ!」 言われました。私は心の中で「その通りだ!」と答えました。「入学試験のことだっなら」観そこなったと言えます。

「栴檀の実は双葉より芳し」とは何か?実は双葉になる
前の状態ではないか?腐しているのか?「自負心と自尊心の違いはどこにあるのか?」「自分で答えを出せと云うなら出してやるぞ!」 「但し、オレの答えだ」「最低二つ答えがあるぞ」もぐらのトンネルから強固な堤防も崩れることを知っているぞ!これは、 もぐらのトンネルだ!⇔本日(2011-12-01)家内からガス給湯器の不調と注意事項を受けました。何時まで小田原評定を行っているのか? 同じ配下につくにしても、毛沢東氏と中曽根氏とは違うだろう。(文化大革命の例を引用)配下について良い者と悪い者の区別がつかないのか? 何が言いたいかは解るだろう。

2011/12/02⇔木漏れ日の空間「文化革命大に学ばなくてはいけない」より


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2012年03月28日(月)
当事件と岡崎高校の同窓生について語る

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永田君が一流大学に進学したことは想像しても(見落としていたが多分東大)検察官になったことは知りません。 彼等にとって私は行方不明になっていのたのですからです。当然のことながら自称養父は、私の住所は知っていましたが、 同窓会の案内は来ませんでした。同窓会出席案内が来た以上私とトヨタとの関わりを知らなかったとは言わせません。 さらには、娘の純子が岡崎高校に進学を望んでいましたが、東山中学の当時の担任の先生が阻止してくれたことは、 神のおぼしめしと理解せざるを得ません。進学していれば、八田氏の手にかかることは、容易に想像できます。 (良いも悪いも⇔生かすも殺すも彼の胸三寸の内にある)  

以下は、当面は私は、公開する必要のないことですかが、公開しないと当人に不都合が起きると云うこともあり、 記さなくてはなりません。1年A組みに居た西山君は当時の愛知学芸大学の英語の教授で私と同居していた、 叔父の山口辰男さんの指導教官でもありました。詳しくは記す必要のないことですので中止します。 唯、テレパシーの存在を確認したい人は居たかも知れません。1年B組にも西山君はいましたが、こちらも、 叔父の山口辰男さんを通して私のことは知っていたと思います。卒業間近になって担任の栗木先生(生死不明⇔生存している方が奇跡) から「・・・(養育環境のこ)・・・と、だから大丈夫だ!」言われました。私は心の中で「その通りだ!」と答えました。 「入学試験のことだっなら」観そこなったと言えます。

「栴檀の実は双葉より芳し」とは何か?実は双葉になる前の状態ではないか?腐しているのか? 「自負心と自尊心の違いはどこにあるのか?」「自分で答えを出せと云うなら出してやるぞ!」「但し、オレの答えだ」 「最低二つ答えがあるぞ」もぐらのトンネルから強固な堤防も崩れることを知っているぞ!これは、もぐらのトンネルだ! ⇔本日(2011-12-01)家内からガス給湯器の不調と注意事項を受けました。何時まで小田原評定を行っているのか? 同じ配下につくにしても、毛沢東氏と中曽根氏とは違うだろう。(文化大革命の例を引用) 配下について良い者と悪い者の区別がつかないのか?何が言いたいかは解るだろう。

2011/12/02⇔木漏れ日の空間「文化革命大に学ばなくてはいけない」より

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2012年03月25日(月)
転生の実在を考えて記すことにします

凌辱事件は岡崎高校同窓会に深い関連が有ります。「同窓会々長は八田先氏の教え子か?」八田先生(生死不明) の実兄松岡氏は自称養父の旧岡中の同級生です。同級生には三菱重工業の重役になった人も、警視庁、警視総監になった人が居ると 自称養父から聞いています。又、高校入学早々、1年B組の杉浦先生(すでに死亡)先生は何故私を室長に指名し、 拒否反応を示した私に変えて永田君を指名し直したのか?責任を追及しなくてはならなくなります。私にとっては容疑者なのです。 永田君が一流大学に進学したことは想像しても(見落としていた⇔東大であってもおかしくはない)検察官になった可能性もあります。  

以上は、私は知ることができませが、読者の皆様は知ろうと思えば直ぐに知ることができます。彼等にとって私は、 行方不明になっていのたのですからです。当然のことながら自称養父は、私の住所は知っていましたが、同窓会の案内は来ませんでした。 しかし、ある時を境に案内状が来るようになりました。同窓会に住所を知らせたのは自称養父に違いありませんから、 同窓会出席案内が来た以上私とトヨタとの関わりを知らなかったとは言わせません。以下は、公開する必要のないことかも知れませんが、 転生が実在するとすれば、テレパシーの存在を確認したい人が出てくる可能性もあります。手掛かりの意味で記すことにします。  

1年A組みに居た西山君は当時の愛知学芸大学の英語の教授で私と同居していた、叔父の山口辰男さんの指導教官でもありました。 転生が実在するとすれば、テレパシーの存在を確認したい人が出てくる可能性もあります。手掛かりとして以下に記すことにします。 1年B組にも西山君はいましたが、こちらも、叔父の山口辰男さんを通して私のことは知っていたと思います。 卒業間近になって担任の栗木先生(生死不明⇔生存している方が奇跡)から「・・・(養育環境のこ)・・・と、だから大丈夫だ!」 言われました。私は心の中で「その通りだ!」と答えました。「入学試験のことだっなら」観そこなったと言えます。  2011/12/01⇔木漏れ日の空間「自己完結はテーマごとに存在します」より


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2012年03月22日(火)
自己完結はテーマごとに存在します/FONT>

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本日(2011-12-01)家内からガス給湯器の不調と注意事項を受けました。
何故に古いものを何時までも使用なくてはならないか?総理大臣(総理大臣は何人変わろうとも同じこと⇔氏名で特定いたしません⇔ 引き継いだ人は責任も引き継いだと認識します)は答えていただかなくてはいけません。(総理大臣が説明しなくてはならなくなる⇔ 理由を知っている人は遅れて来た人に説明する責務があります)以上を自己完結するには私にとっては力勝負になります。 説明を聞いた人が家内の責任を指摘すると、国の責任で業者に点検に来てもらわなくてはなりますのでご注意下さい。 私は被害者ですのであくまで道理に従います。さもなくば神に見捨てられます。尚、高校の同級生に事件解決の協力の依頼は、 良識な的なことではなく道理として可能なのです。しかし、私は負け戦に協力の依頼はできません。意味がないからです。

勝ち戦だから、霊社会の到来を予測して、乗り遅れないように
慈悲としてコンタクトしたのです。お間違えのないよう、同窓会々長は、国民にお知らせ下さい。 上記は、私の思想であり別の思想をお持ちの方には関与致しません。神が存在するとするも、存在しないとするも個人の自由です。 「そのうちに道理をも記すことができなくなるぞ!」と言っている者がいるかも知れません。事実は知りません。事実なら「阿呆」です。 しかし、記すことができなくなる可能性を否定はしません。参考として、日光を鏡で反射させて、舞わせることができますが、 該当行為を行ってる者は、周辺を見渡しても誰も居ないのに類似現象が時を隔てて二度ほどありましたのでお知らせします。 唯、私一人が居た時のことですので証人は提供できません。(閻魔大王が審議しても教義ではないから脅迫には相当しません)

2011/12/01⇔木漏れ日の空間「自己完結はテーマごとに存在します」より  

 

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2012年03月19日(月)
自己完結と転生の意味

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宗教思想、宗教理念の違いについて、私は答えることができますが
それは意味がありませんので知る必要のある人は、哲学者にお訊き下さい。参考として違いはないと答えることができます。 答えの正当性を例示すれば、「訊く、聴く、聞くの違いはどこか?」の反問に答えなくてはならなくなります。 切り返しが利くことになります。利くは上記「キクと発音は同じですが意味は違います。何処が違うか?お答え下さい。 説明すれば、上記をマンネリズムと言います。(違っているかも知れない)高校の同級生で、愛知学芸大学(現在の教育大学) 付属中学から進学してきた、神田君の自殺の原因はマンネリズムにはまったのか?(精神状態⇔思考がマンネリズムとドアらいアイス)

マンネリズムを助長する姿勢は為政者の採るべき姿勢ではありません。
現在密教を行っている者は、目的を示さなくてはいけなくなります。即ち、宗教の指導か?単なる思想の指導か? 趣味か?その他か?を示す必要に迫られます。指導について言及すれば、他人に関わっている以上、何らかの指導になります。 例えば、盗みの指導でも指導は指導です。超能力獲得の指導なら、その目的を示さなくてはならないと思います。 密教は霊的な検察の使命を遂行しているとも言えます。尚、「他人の振り見て我が振りなおせ」の諺はすでに 当ページ記していますので後追いではありません。

後追いの意味もすでに示しています。以上は自己完結の例です。
最初でなくても、一応の結論を出さないと自己完結は不可能になります。この場合の自己完結は思想に関する論理上のことで、 実際に生きた足跡とは異なります。以上は、(2011-11-28、気付いたことです。教えてもらったものではありません⇔ 後追いではありません)さらには、さらには「おわり」にならなくても害にならない場合もあります。 他人をの指導を好む人は,上記私の例は都合がよくなります。困っている人は助けてあげなくてはいけません。 言葉での評価を避けて「ヤラセ」まがいの行為で相手に判断を迫ってもいけません。「ヤラセ」には隠された意図を含ませられるからです。  

2011/11/30⇔木漏れ日の空間「自己完結と転生の意味」より  


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2012年03月16日(金)
人の振り見て我がふり直せの

「ヤッテ」みなくては(試してみなくては)解らないこともあります。
試せば試したこと自体は取り返しができません。いきおい神(神に象徴される高級心霊)のフォローを仰がなくてはならなくなります。 フォローは神でなくても人間でもできることがあります。慈悲の一種です。慈悲は与えた方は、自覚しやすく、 与えられた方は自覚しにくいことを自身の向上を目指す者は、先に銘記すべきです。しかし、自分で試してみなくても解る方法はあります。 密教等は種明かしすることを戒めていると思います。理由は人から教えてもらうものではなく、 修行によって自ら気付かなくてはいけないことと位置付けているからです。

私は宗教理念を示しているのであって、密教を行っているのではありません。
種明かし(説明)する義務はありません。又、しかし、ホームページで一般公開を行っている以上、以下に一応の説明は致します。 「人の振り見て我がふり直せ」と云う言葉がありますが、そのような姿勢をもっていきていると、 自分がヤッテみなくても他人がヤッテ見せてくれるのです。勿論。故意に行って見せてくれるわけではありません。 但し、霊的現象は根この世的な現象と違い、応用すれば直ちに結果が現れると云うものではありません。 いわゆる気根が整わなくては結果は現れません。ただ言えることは、種明かしされてから行うよりも、 自ら気付いて行うより方が気根の整う速度は早まります。 

上記は、密教に反抗しているのでも、いじめているのでもなく、
変更を促しているのでもなく、観る人によりそのようにみえるだけです。勿論、不都合が起きるなどの苦情を言われれば「変更」 しなさいと言います。以上を簡単に説明すれば「他人にく訊いて行っていては駄目だ」と云うことですが、 私はポンプに例えて「呼び水のある内に磁力吸水しなくてはいけない」言い換えさせていただきます。 説明すれば、「頭から他人に訊くことを否定しません」と云うことです。 説明すれば、後の説明は、 指導する立場の人の心がけとして示したものです。説明すれば、それぞれが自分は如何なる立場に在るか? 考えてから批判してもらいたいと云うことです。但し、批判のある人に限ります。

  2011/11/29⇔木漏れ日の空間「人の振り見て我がふり直せの」効用より


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2012年03月13日(火)
隠された特権を暴き出さなくてはいけない

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私は、武雄や實君や澄子をGLAに誘導(入会を勧めた)のは
協力してそれぞれの立場で自称養父に意見(指導)しなさいと云う意味で行ったのです。動機に何らやましいことはなかったが、 結果がでませんでした。「GLA、トヨタのを責任を追及しるかないではないか?」谷口健彦は私も参加しなくてはいけないと 責任逃れを行ったかも知れませんが、それでは、家庭(一応仮定と表現する)で行っていることと同じことになります。 (全て私が行わなくてはならなくなる)さらには、ノウハウ事件が起きなければ、彼等を誘導は行ってはいないのですから、 結果が出なかった原因と責任は何処にあるか?が問われます。

豊田英二、章一郎の対処の間違いを追及すれば、遅まきの
処罰を受けることになります。加算された逆効果はどのくらいになるか?法務省は計算する責務があります。法務省ができなければ、 国家公安委員会が裁断しなくてはならない事態に進展すると思います。類似事件は今後利息(損害) を加算して裁判を行う風習を創らなくてはいけません。上記は隠された特権と云えますが、地位相応の良識の働社会なら不必要なものですが、 不純物が高い地位につける社会は宗教心の欠落ともいえます。宗教の責任になると思います。 「いくらすり寄ってきてもカルト宗教と手は組めません、みそぎをお行ってからでないと呼応と認めません」

カルト宗教(一応組織を持つものとします⇔組織を解体しても
カルト思想は残りますが誰でもカルト性は大なり小なり持っているもので程度の問題です)を顧問とする為政者は要注意です。 顧問を持つことは思想を背景とする行為とは違います。自ら、違いを考えることなく利用できる事柄は、 すぐに真似をする者は論外です。豊田の御曹子には処刑される道を選ぶか?トヨタ自動車解体の道を選ぶか? 本人に一言訊かなくてはいけません。大量の懐金を抱えたままの辞職等、認められません。 本社の国籍をアメリカにすれば中国と摩擦が生じるぞじます。

2011/11/28⇔木漏れ日の空間「隠された特権を暴き出さなくてはいけない」より


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2012年03月10日(土)
検察は法律特権を許してはいけない

ノウハウ&凌辱事件が、混迷するのは法律特権又は、司法特権が
存在するからではないか?司法特権を認めれば検察の重大な罪になるのではないか?日本は自主調査はできないと思います。 国際機関に調査を行ってもらうしか仕方がないと思います。日本はオーム事件でロシアに多大な迷惑をかけていることは事実です。 後は説明いたしませんのでそれぞれで考えて下さい。国民全員の責任と認めるしか仕方ありません。国民で或る以上「どうするのだ! こんなことになってしまって」等の言葉は、誰も吐けないと心得るべきです。言える資格は、外国にしかないはずです。 当面の課題は報道をとうするか?になると思います。以上については、事実を確認できないことですので責任は持てません。  

2011/11/27⇔木漏れ日の空間「検察は法律特権を許してはいけない」より


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2012年03月07日(水)
「我、抜刀する時すでに勝負あり」について語る

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「我、抜刀する時すでに勝負あり」は上杉謙信の
信条だったかも知れませんが多くの人が信条としていますので、盗んだことには相当致しません。 但し、「言葉」として残っていれば善非の判断のしようがありません。事実が判明すれは言い伝えに従うだけです。(知らせてもらえば) 唯、刀を抜かずに相手に宣告すべき言葉ではありません。しかし、使いたければ、いかなる人も使ってはいけない言葉ではありません。 この場で言いたいことは故人の銘文などを自己の良からぬ目的に引用すると、いわゆる霊的な「障り」が起きることも考えられることです。

障りは、自己責任になると云うことです。「何でこのような言葉が
自己責任になるか?のヒントは、良心に抵抗するか?しないか?の問題に進展する人も居るからです。(自分を故人になぞらえる行為) 勿論、良心に抵触しない人も居るはずです。「オレが拳を上げた時はすでに、勝っている時だぞ、今さら抵抗しても遅いぞ」も同じことです。 抵抗をガッチンコに置き換えれば意味は違いますが、考え方は同じです。ガッチンコには立場が逆転していることに気付かずに行うものと、 気付いてはいるが感情が許さないので仕方なく行われるものがあります。

「感情が許さない」状況があってはいけません。
感情を直さなくてはいけません。一つだけの思想を知ると先入観になる恐れが生じます。「感情が許さない」ものの中には、 宗教と名うった思想の中には、マインドコントロールを誘因するものもあります。思想は絶対に間違いなく示せるものではありません。 間違っていてもよいのです。間違いは指摘するものです。指摘するには自分の思想がなくてはいけません。 他人の思想でも借りものではなく身となり骨となっていればよいはずです。身となり骨とするには行いがなくては不可能です。  

2011/11/24⇔木漏れ日の空間「我、抜刀する時すでに勝負ありについて」より  


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2012年03月04日(日)
政府は国民が法律活動が自由にできる環境を創るべきです

「警察にモノ申す」医療機関に警察業務以外のことで口出しするな!」
言いたいことがあるなら医師会を通して行わなくてはいけない筈です。但し、当ページに記す事件の内容は「警察にお訊き下さい」 と記していますので説明は警察業務になります。「星野君(高校の同級生)は實君(自称養父の長男⇔弟分⇔ 本人は従弟としていた⇔仇は討ってヤルぞ!となる)検死の結果は医師会と警察の両方に報告してもらいたいと思います。 勉君(自称養父の三男とは手は組まない⇔勝手にヤッテもらいたい)いずれの方も、真実を国民に報告しなければ、 来世はみじめな生涯を送らなくてはならなくてはなくなると思います。

現在只今、来世があることを証明されようとしているのです
霊的立場からすれば重大な時なのです。何処の医師会にも云えるえることですが、医療関係者に超能力を所有している人がいれば、 どのような超能力を保有しているか?掌握していなくてはいけません。医療に携わる人は、 物品引き寄せや薬の効能を替える術(薬の効能事態は、いくら検査しても解らない)等の術は使ってはいけないのです。 霊能力使用は良心の問題です。唯、実際に存在するものを存在しないなどとしている者には力ずくで思い知らせくなてはならなくなります。 (神は人間を通して思い知らせる)警察の犯罪は穏便に済まさなくてはならない不文律があるのですか?

「警察は鼻っ柱が強いこと理由に私を罪に落せるか?」
「罪に落せないことを理由にお灸をすえる資格があるのか?」上記資格があると最後は、超能力を頼まなくてはなくてはならなります。 私に対して「お前も、最後は警察に頼らなくてはならなくなる」と云うなら警察を屈服させなくてはならなくなります。 察幹部は「小渕元総理の二の舞にならないように対処してもらいたいと思います。特定個人に対して、 「お前も、最後は警察に頼らなくてはならなくなる」と言った警察官は、その言葉そのものは取り消せません。各医療機関は、 そのような言葉を聞かされたら医師会に報告するべきです。それが霊の掟に従った行為です。 (同じ霊的な意味を考えることでも過去に関する因果とは違う⇔未来に関することだから選択肢がある⇔混同しないでもらいたいと思います。  

 2011/11/22⇔木漏れ日の空間
「政府は国民が法律活動が自由にできる環境を創るべきです」より


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2012年03月01日(木)
政、官、財複合体の悪弊を記す

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コングリマリットとは(官、政、財の利益共同体⇔形ある
組織ではない⇔経団連は一角を担っている⇔経済団体を一つにしたのは豊田章一郎である⇔動機は違っても 結果的にはコングリマリットのリーダーになった。一度リーダーなれば、役職の引退は関係ない⇔いくら否定して 彼の思想の中にある実力者の定義は、重要な根拠になる)コングリマリトは、私を殺すために高橋佳子を断罪できなかったのか? (霊的にはそのように解釈できる⇔霊的因果の解釈とは内容が違う⇔閻魔大王の審議が観ものになる)  

「オレは未だ、負けてはいないぞ!」「豊橋警察署前の
事件は重大な意味があるぞ!」即ち一度ヤッタ以上失敗したでは済まなくなるのです。後は説明しなくても誰でも解るはずです。 「トコトンヤルつもりなのか!」「オレもトコトンヤルぞ!」コングリマリットは、小渕優子さんとおぼしき人を使って、 彼女に、「神に謝罪」させている者は!(間接的に彼女の責任にすることができる)「心当たりがあるなら自分で謝罪しろ!」 「未だ、閻魔大王の前ではないから、欺瞞もよいと云うものではないぞ!」

名前は度忘れしましたが、毛沢東主席の下で活躍した
中国の有名な宰相の文化大革命で採った手法を気根も状況も全く違う者が、猿真似して結果の言い訳に使っているだけではないか! 「心当たりのある者は今直ぐヤリ直せ!」国民は同じヤリ方を徹底的に監視すべきです。霊的には、「同宰相の謗ドクになるぞ!」 次の代では「自己のためか!」「他人のためか!」判別もできないような者はみじめな生涯をおくらなくなることを覚悟してもらいたい」 「よし解ったではなく、その通りだと云ってもらいたい」

2011/11/14⇔木漏れ日の空間「政、官、財複合体の悪を記す 」より  


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2012年02月27日(月)
2011/11/13⇔ 手口や思想が二枚舌になっていれば悪魔である

この世では指摘されてから行う行為は、指摘した人の責任に
転嫁される場合があります。他人の責任にするために知っていて、わざわざお行わないでいて、指摘されてから行えば、 他人の責任に転嫁できることもできます。以上の理由から霊的な意味を考える人は、指摘してから「行う」行為を正当行為と 認めないケースもあり得ます。(例えば密教)指摘されてから行う行為を否定することがあります。(言われてから行っても駄目だぞ!) と云う言葉は、あまのじゃくではとは言えません。特定霊魂は絶対者ではありません。霊魂にも上には上があると考えなくてはいけません。 要するに霊存在を利用する考え方では、何事もできないようになっていると考えるべきです。 結局は、自滅しますのでお気をつけ下さい。

以上は、霊的意味(因果)を先取りした考え方ではありません。
心当たりのある人は、反省していただきたいと思います。但し、自己責任にできるものはその限りではありません。(例えば力勝負の手段とする場合) 豊田章一郎の罪の一つは、他人の言い分を駆け引きに使う必要のない者にも使っていたことです。(相手による) 関西電力の会長は奥川恭平翁(学生時代に隠居下宿していた)の子息か?(見られたことはあるかも知れないが、自覚した面識はない) 私は殺せないようになっているだろう。しかし、豊田章一郎の思想は、そのようなことは承知で「殺せなければ真の実力者ではない」 と云うものだったと考えます。「違うか?」そのくらいの志がなければ、現状にあるような巨大な財と人的資産を抱えた 状態で破滅の道に入ることは考えられません。

2011/11/⇔木漏れ日の空間
「手口や思想が二枚舌になっていれば悪魔である」より


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2012年02月24日(木)
確認できないことを認めさせることは犯罪である(2)

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道徳が法律を基準にして創られていれば、法律を運用する人の判断に
委ねられると云うことになります。法律が霊的意味を基準にして創られているものは、犯せば、害己に返ります。 死んであの世に還ってからと云う意味ではありません。(この世は、徳⇔愛の結果⇔を含めて相互的になっているから 全ての差し引きに関係するから解りにくいだけ)相互間に於ける道徳の遵守や違反に関しては、この世的には同じ行いがあれば、 賞罰の帰趨は、咎める資格の有無に関係します。しかし、資格はあくまでこの世限りのものです。 私は子供達にはGLAに勧誘してはいないのだから、 これが生きている以上人づてに謝礼をもらえば誰かを罪に落さなくてはならなくなります。

上記事情は道徳として捉える事ではなく犯罪として捉えなくては
いけないことを物語るものです。勿論、何も不都合が起きなければ問題ありませんが、不都合が起きないことを前提とすることはできません。 いわんや他人が不都合が起きないことを前提とした言葉に従える分けはありません。直接渡すつもりなら、 上記「これ」は意味がなくなります。警察は、私が受け取るべき謝礼に関する金品を子供たちが受け取った可能性のあることを、 事実を認めてはいけないなどと言えば、(私は確認ができない以上認めることはできない)重大な犯罪になります。 理由はお行ってはいけないこと(確認できないことを認めさせる行為)を要求したことになるからです。

011/11/12⇔木漏れ日の空間
「自己責任とは霊的な背景から生じる責任である」より  


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2012年02月20日(月)
自己責任とは霊的な背景から生じる責任である

豊田章一郎の思想としての重大な罪は、自分の責任(相手と話し合って解決すべき
事柄⇔話し合いで解決できないものはそれぞれが独自に歩むことになり、対決になれば、両方の責任です⇔片方の 一方的責任とすることは欺瞞である⇔業務提携の場合、打ち切れば片方に保障の責任が生じる) を他人の自己責任に転嫁していたことです。自己責任と云うものは、本来霊的な現象を背景としているものです。 自己の都合によるこの世的背景を創っておきながら、自己責任とすることは、霊的意味を利用した欺瞞であり神を冒涜する行為です。 (自己の都合があれば、そのことを議題として相手と話し合うことがこの世のルールです) 「大海勉君は大丈夫か?」(子息がトヨタ自動車の恩恵を受けている可能性がある)

トヨタではないが、 豊橋警察署前の事件は、霊的に私を殺せないようになっている
証として真摯受け止めもらわなくてはいけません。(事件の推移から観て事実はその通りだろう)「よし、解ったがどうした!」 「検察か?」「何かできると云うのか!」何かできる人(例えば、自信のある(キズのない)政治家や外国の要人はよいが、 できない人は、「その通りと言わなくてはいけないのだぞ!」「奥密教は協調に変更したのか? IT社会を認めたのか?」いくら正義感を磨いてもギズの無いものには勝てないだろう」「オレもキズがないなら協調するしか仕方ないだろう」 但し、人間の創った道徳を基準にしたキズは道徳を運用する人の判断に任せられます。   

2011/11/12⇔木漏れ日の空間
「自己責任とは霊的な背景から生じる責任である」より  


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2012年02月17日(金)
一段深い意識にも内容に善悪の選択がある(2)

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大海勉君(自称養父母の三男)は、自民党の谷垣総裁に思想内容(考え方)
がよく似ているよう霊感(霊感か?どうか?は知らないがそのように表現せざるを得ない⇔ 違っていれば霊感でも何でもなく単なる想いすごしにすぎない⇔私は、どちらにしろ証拠を得たいのです⇔政治家は、 個人的な問題でも証拠も得られないような状況を放置していてはいけない⇔名誉棄損にはなりません⇔ 何時まででも解っていられないなら力勝負になります)を受けるが違いますか?私は、大海勉君はよく知っていますが、 谷垣氏については、性格などは知らないのだから表現が逆かも知れません。

以上については、一昔前、即ち、10年ほど以前に上記内容を
公開していたと仮定すれば、最早それまで」と云う第三者の見解もあったでしょうが、そのような見解は霊的に咎められます。 (霊的にはな同じでなくてはならないので、同じだったかも知れません。しかし、そのようなこと(仮定のこと) は深く考えるべきではありません。唯、外部から過ぎたことを仮定で指摘して(ズル賢いような言い方⇔第三者の言葉であっても認めれば、 脅威の相手から慈悲を逆手に取ったような言い方が成立する)されれば同じであると答えます)見解と言えども、 社会風潮は国民の責任ですので言葉には気を付けていただく必要があります。  

2011/11/10⇔木漏れ日の空間
「一段深い意識にも内容に善悪の選択がある」より  


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2012年02月14日(火)
「一段深い意識にも内容に善悪の選択がある」

高橋佳子は、(霊的には、人殺しの疑惑を持っていてながらなら⇔
悔しかったら法律の場で疑惑を晴らすべきである)云い聞かせ(己に対する)の行いは、「けしからん」と非難するでありましょうが、 云い聞かせも、心がけ次第では意味があると考えます。例えば、人間は転生すると解れば、 今生は云い聞かせの行いでも来世は本生となると考えることができます。一つの心がけと云う考え方です。(目的としては認められるものです) 私は間違えなければ云い聞かせでもよいと主張します。自称養母はおかしな人ではなかったが、(道理筋道を話せば理解できる人) 感情と理解が食い違うところがありました。

私にとっては、腹を打ち明けて話せる人ではありませんでした。
話せば無理に説得するような状態なることは解っていました。要するに云い聞かせで、行える人であっと云えます。 加えて自称養父の洗脳があったと云えます。私もいつまでも解っては居られませんでした。「ヤル気ならヤルぞ!」となったのです。 上記は、云い聞かせも一段深い意識によって動かされているとする考え方の例を示したものです。 閻魔大王から観れば、一段深い意識の内容も判るのです。意識の善悪と選択は、何処まで掘り下げても存在するのかも知れません。  

2011/11/10⇔木漏れ日の空間
「一段深い意識にも内容に善悪の選択がある」より  


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2012年02月11日(土)
己の心が見えるか、見えないかは理解力ではありません(2)

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前ページに記した内容から観ても、霊的な事柄が
深遠であることが解ります。安易な霊知識で、他人に関係することを、霊的に意味を推し測ってはいけないのです。 自分のみに関することは、親鸞の生まれ替りであろうが、霊力が有りバチが当たると想おうが、どのように推し測り、 口外しようとも自由です。但し、バチが当たるに関しては、特定個人を対象として言えば脅迫になります。 しかし、脅迫とは未来に関することなのですから、結果に付いては、バチが当たったと云っても、脅迫にはなりません。  

バチに関しては裁断できる存在は、神であると言ってもよいのです
外部が認めるか?認めないか?の問題なのです。公の機関が認めるには事実に則しているか?どうか?十分な検証がなくてはなりません。 さらに付け加えるなら、国家権威と云えども、親鸞聖人の生まれ替りか?どうか?に付いては裁断できないことですが、 神であるか?どうか?は、裁断できなくてはいけないことであると思います。ですので立場を変えて、 外部の人は自分が認められないとの理由のみでは、それを咎めたり非難することはできないのです。

しかし、害が及べば咎めなくてはなりませんが、咎めなくては
いけないと云うものではありません。我慢してもよいのです。自分に反撃される要因があれば、安易には咎められないだけです。 要するに最終的には法律でしか裁断できないのです。以上はこの世に則した推論思考の例ですが、 反省、検証を含めて、この世のルールで推し測らはなくてはいけないのです。ここのところ即ち、霊存在を認めても、 この世のルールに従わなくてはいけないことを示すのが、私の使命と勝手に想っていますので、何遍でも記します。  

2011/11/09⇔木漏れ日の空間
「己の心が見えるか、見えないかは理解力ではありません」より  


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2012年02月08日(水)
己の心が見えるか、見えないかは理解力ではありません(2)

前ページに記した内容から観ても、霊的な事柄が
深遠であることが解ります。安易な霊知識で、他人に関係することを、霊的に意味を推し測ってはいけないのです。 自分のみに関することは、親鸞の生まれ替りであろうが、霊力が有りバチが当たると想おうが、どのように推し測り、 口外しようとも自由です。但し、バチが当たるに関しては、特定個人を対象として言えば脅迫になります。 しかし、脅迫とは未来に関することなのですから、結果に付いては、バチが当たったと云っても、脅迫にはなりません。  

バチに関しては裁断できる存在は、神であると
言ってもよいのです。外部が認めるか?認めないか?の問題なのです。公の機関が認めるには事実に則しているか?どうか? 十分な検証がなくてはなりません。さらに付け加えるなら、国家権威と云えども、親鸞聖人の生まれ替りか?どうか? に付いては裁断できないことですが、神であるか?どうか?は、裁断できなくてはいけないことであると思います。 ですので立場を変えて、外部の人は自分が認められないとの理由のみでは、それを咎めたり非難することはできないのです。

しかし、害が及べば咎めなくてはなりませんが
咎めなくてはいけないと云うものではありません。我慢してもよいのです。自分に反撃される要因があれば、 安易には咎められないだけです。要するに最終的には法律でしか裁断できないのです。以上はこの世に則した推論思考の例ですが、 反省、検証を含めて、この世のルールで推し測らはなくてはいけないのです。ここのところ即ち、霊存在を認めても、 この世のルールに従わなくてはいけないことを示すのが、私の使命と勝手に想っていますので、何遍でも記します。

    2011/11/09⇔木漏れ日の空間
「己の心が見えるか、見えないかは理解力ではありません」より  


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2012年02月05日(日)
己の心が見えるか、見えないかは理解力ではありません(1)

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宗教指導が、相手の気根や人柄や性格、その時その場の状況と云った
付随要因を考慮することなく、安易に感謝しなくてはいけないな等と教説すれば、(直接教説しなくても、知識として身につけば) 「あなたは私に感謝しなくてはいけない」などと云う概念が生じます。ここのところが宗教と道徳の違うところなのです。 宗教と道徳の違いすら解らない者に宗教が指導できるか?と言いたくなります。宗教とは如何なるものか?と云う原点が押さえられてないのです。  

又、宗教は、理解できない人には無理に指導してはいけないのです。
強制力を共なた指導は、道徳指導でなくてはいけないのです。ここで云う理解できない人とは、自分の心が見えない人のことであって、 理解力そのものの事ではありません。学問に関することではありませんので、人それぞれの理解の仕方があります。 と言うことは理解力の強弱は意味を持たないこととも云えますが、全く理解力に欠ける人もいけません。かと言って、 理解力の乏しい人の中にも己の心が見える人もいるのです。

2011/11/09⇔木洩れ日の空間
「己の心が見えるか、見えないかは理解力ではありません」より  


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2012年02月02日(木)
霊的意味での解釈は解釈した人のものです

豊橋警察署前の事件の事件は警告としても、何の警告か?
(警告にしてはおかしい)となれば意味は同じです。警察官僚が10万人居るとして、豊橋警察署前に 凌辱事件に事件関わっていた人は10人そこそこだろう。自己処理できないで外国を呼び込むとは、国民の許せることだと思うのか? 「寝言を言っているな!」高橋佳子は超能力により、私が危険な状態にあると、知った上での指導(対処) と云う言い訳もできることになります。(大川隆法も同じこと⇔何処に足を置いて宗教を説いているのか?と云いたくなります) しかし、私の自己責任による危険と捉えているようでは、超能力も未熟なものと言わざるを得ません。  

霊的に感じることがあっても、どのように解釈するか?は
その人のものです。対処の仕方もその人の自由です。この世的な解釈による対応は、道理筋道に合っていれば、 結果が出なくても正当性を主張できますが、霊的な解釈による対応は結果が出なくては主張することはできません。 混同してはいけません。高橋佳子、大川隆法に対策があったとしても、事実は却って人を惑わしているからです。 ない方がよかったのです。あやしげな超能力など無い方がよいのです。弁護士などが゜傍観的な言動をすれば今生は 可能としても来世はキズににります。霊的には罪(この世的には責任)のある者は逃れられないようになっていると、 私は認識していますので覚悟を決めて対処してもらいたいと思います。

但し、現象に関する霊的な意味の解釈はその人の自由です。
同じ現象でも100人居れば100この解釈ができるのだから当然です。後悔するもしないも自由です。同じように霊的意味を考えても、 後悔しなくて済む人もいるはずです。説明すれば、今生は立場を同くしていても来世は別々の立場に生きることもあり得るからです。 問題は外観ではなく中身(内容ではなくどのような想い方か?本音か?建前か?です)なのです。「お前の言うことは解るがオレにはできん」 人も自由に想うところ行っもらうしかありません。「解らなくてもよいぞ!」私はお行わせるために説明しているのではありません。

2011/11/08⇔木漏れ日の空間「霊的意味で解釈は解釈した人のものです」より再編集  


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2012年01月30日(月)
カルト宗教の間違っ思想が生んだ事件なのです

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労務に関するノウハウの件を付け加えれば、トヨタ
(100人近い役員全員の責任である⇔責任がなければ単なる従業員) の利用に言い分などの制約がなくなれば、(自分が独自に創ったものとしても、ベースは私が言行によって提供したものに違いないと思う) 私に、返礼ができないことを承知の上で、他企業に紹介していたと推測します。キチントした形で、 経済界に紹介してもらうことは行われていなかったと想像します。(アイディアに関して私の名前を出しても、 実際のノウハウは豊田章一郎が独自に創ったものとして、知的所有件として特許をとり返礼は、自らの懐に入れていたと推測する)  

キチントしたことが行われていれば、トヨタがウラで
無断で関わったとしても、GLAの意向には関係なく、私は、有形無形の形で何らかの益するものが生じ、 何の苦情を述べる必要もなくなるのです。トヨタとしても自腹を痛めることなく代償はできたはずです。神のお計らいは、 自然の内に誰も損なわないようになっているのです。(豊田章一郎が独自に創ったと主張するなら、 ノウハウの内容は自分の責任であると同時に、権益も自らの所有になります)それができないと云うことは、 カルト宗教に問題が有ったのか?トヨタに問題があったのか?は私には解らないことでした。自然の内に誰も損なわないようになっているのです。

上記ができないと云うことは、カルト宗教に問題が有ると
受け止めていました。当時は、世界的に名が知られた大企業が、(多数の役員によって共同管理される) 僅かな返礼を惜しんで詐欺まがいの行為を行うとは当時は、考えも及ばないことでしたので、(株主制度を形骸化したことは、 豊田英二の責任になる)カルト宗教の思想が生んだ事件と受け止めていました。何故カルト宗教の思想が影響したか?については、 現在(2011-11-06)に至れば、私の自称養父との関係にあったと考えざるをえません。 即ち、豊田英二が谷口健彦の指示に従って自称養父と接し、私の姿勢に問題があるとされたに違いありません。( 自称養父詫びるべきであるとしていた)
2011/11/06⇔木漏れ日の空間
「カルト宗教の間違っ思想が生んだ事件なのです」より
 


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2012年01月27日(金)
人権擁護委員会に調査依頼を行はざるを得なくなった事情

ノウハウ事件は 一度人権侵害に相当するとして
公の機関に調査依頼を行っていますから、民事に逆戻りし、GLAとの話し合いに持ち込むことはできません。(さまざまな矛盾や欺瞞が出る) トヨタがウラで関わっている以上私とGLAの問題とすることもできません。私にとっては、事件当初は、 トヨタをかばうか?カルト宗教をかばうかの二者選択一の立場に立っていたと言えるのです。説明すれば、 組織運営のノウハウは何と云っても企業組織に一番必要なものです。(暴力団や悪行に関する外部からの影響を防ぐためには必要になる) トヨタにとっては必要なものだった筈です。ですから、トヨタが裏切らなければ、GLAと手を切ることもできたのです。 トヨタが裏切ることによって、却ってトヨタが邪魔になったとも云えます。

GLAのみならず、自称養父との真剣勝負かできなくなったのです。
(ここで云う真剣勝負とは服従させるです⇔言い分を認めさせる⇔従わせることで罪に落すと云う意味ではない) 何故か?彼の性格は、自分の面子、即ち親の権威(実際には親らしいことは何一つ行っていないのです。 祖父母の残した資産を消費して自分の面子を保っていただけです。私は祖父母によって育てられたのです。 彼にとっては私の面倒を観ることによって祖父母に対する面子が保たれていた)を保つためには、外部の者とも手を組むと云う性格だからです。 私としても祖父母の墓や位牌を守ってもらっている自称養父母、法律の場で咎めることはできなかったからです。 私も彼に屈服して、真剣勝負に負けることはできなことでした。

上記に関しては、国の担当部署(検察)からすれば
頑なな考え方のように観えるかも知れませんが、実際に調査すれば、頑なな姿勢であるとの見解は間違っていることが解ります。 当時からして、人権擁護委員会に調査の依頼を行わなくてはならない事情を内包していたと云えます。 後になって調査を依頼しましたが、調査は行われませんでした。当時は、凌辱事件は知っていましたが、 獄門になっていたとは知りませんでした。又、国の担当部署(検察)を非難する必要も理由もあるとは想いもしませんでした。 しかし、結果的には国の担当部署(検察)を非難せざるを得なくなりました。私は、霊的な意味を考慮をしますから、 自らの見解をごまかせませんでしたが、ごまかしていれば、検察を非難できなくなって自滅していたと思われます。

2011/11/05⇔木漏れ日の空間
「人権擁護委員会に調査依頼を行はざるを得なくなった事情」より  


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2012年01月24日(火)
ウハウに関しては相手はトヨタとしなくてはならなかった

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当方とトヨタの関係は、谷口健彦の行為があって初めて
存在するものだったのです。仮にトヨタが当方に文書で当方に関わりを持った事実を報告していても、私とトヨタのどちらが、 GLAを咎めるか?の問題が生じるものだったのです。ですので、打診はできても実際に行動するには、後のことを打ち合わせができなくては、 できないことだったのです。回答が行われなかったから、私とすれば、眼前の相手であるトヨタを功績奪取の相手とするより仕方がなくなく、 筋道としても、当然なことと思っています。  

従って、当ページに記した通りの経緯を辿ったのです。
GLAだけなら無視(関わりを)して、トヨタと法律的な妥協も可能なことでしたが、幸福の科学が関連しては、 国が介入してもらわなくては解決できなかったのです。勿論、幸福の科学に入ったのは私ですが、トヨタが幸福の科学を通して、 解決しようとの積極的な意思があったとは考えられません。私はGLAの姿勢を考慮すれば見限るべきだと思っていました。 トヨタと直接交渉するのが筋道と考えていました。しかしトヨタは本気で取り組む気持ちはありませんだした。

ウラ事情に関しては、トヨタの方がよく知っていることであり
トヨタの意向に従うことにしました。しかし一応、幸福の科学に正式入会する前に、弁護士に相談でかけましたが空振りにおわりました。 トヨタが本気で取り組む気持ちのないことも判りました。私が幸福の科学に入った、 入らなかったは別として、当初から言っていることなのですが、谷口健彦は、人の縁つながりをたどらなくても、 彼自身の行った行為は文書で何時でも当方に報告できたのです。自分のできることを、できないこととされては、 トヨタを一方的に責めることもできないのです。

2011/11/04⇔木漏れ日の空間
「ノウハウに関しては相手はトヨタとしなくてはならなかった」より  


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2012年01月21日(土)
私は不平不満を捨てるごみ箱ではありません(2)

自分が、「私を育てたのではないこと」を知っている人(自称養母)も、
感謝されないことに不満を抱き、二度と他人の子は育てない(矛盾である)などと苦情を抱かれていたことも推測できます。 事実なら精神的虐待と言わざるを得ません。自分の言っていることがどうゆうことか?解かっていないのです。 母代わりに面倒をみてくれたのは祖母であって自称養母ではないからです。何で感謝を要求されなくてはいけないのか? 感謝されないことを「神に苦情を言っているのか?」と言いたくなります。  

自分の運命に対して苦情を云うなら的外れと言わざるを得ません。
逆恨みと云うものは、実際に行っていないと生じるものなのです。自称養母は確かに骨身を惜しんで働きましたが、 私と比較することは筋違いなのです。比較するなら生母や叔母のテル子さんと比較してもらわなくてはいけません。 私から観れば生母やテル子さんより恵まれていたと思います。何と云っても資産のある過程に嫁いだことは有利です。 以上に関しては、個人的な問題ですので、本来なら公開する内容ではありません。 しかし、国が関与しなくてはならなくなった事態では止むを得ません。  

国もしくは人権擁護委員会は、自称養父の遺族の報告のみでは
当事件に関しては依然として「私に責任が転化されたままなのか?故人の過ちを認めたのか?」は私には解からないのです。 遺族にも事件に関しては、それぞれの立場と言い分が生じると思われます。キズが残ると云うものです。キズがないなら、 国のカルト宗教に対する管理責任になります。従って未解決のまま放棄されたとしか受け取れられません。 人権擁護委員会は責任の所在をハッキリしてもらう必要があります。私には、外部の相互間のことは隠されていますので判らないのです。 判って初めて考慮の対象になる事態なのです。

 2011/11/03⇔木漏れ日の空間
「私は不平不満を捨てるごみ箱ではありません」より


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2012年01月18日(水)
私は不平不満を捨てるごみ箱ではありません(1)

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私自身の養育環境について別記とは違う側面から語るとすれば
良識で考えて、「おかしい」と思う者(自称養父⇔母方の伯父⇔に関すること)とは一定のところで、決別しなくてはいけなことがよく解かりました。 したがって、そのように実行しました。その結果現在の私が抱える状況ができたと言えます。説明すれば、事件になった直接の原因は、 全てをお見通しであり、同時に事情のよく知らない宗教者達(これほどの矛盾はない⇔GLAや幸福の科学の教祖や指導者)の誤認識にあると言えます。 さらに、上記彼らの矛盾を彼等自身が認められないために、私の姿勢のみを咎めていたことも原因になったと言えます。その結果、彼らを含めて、 全ての面に於いて決別する果実になったのです。

深層意識を持ち出して説明すれば、自称養父がが
完璧と言わないまでも、もう少しマトモな考え方ができていれば、この事件は存在しなかったと思います。物分りの悪い人のために、 さらにハッキリ言えば、彼は私に恩を造らなくれば、道楽に等しいことを行っていたがために、 (第二次大戦末期の医療技術では大手術を行った結果無理の利かない身体であったことは認めても)親不孝をしてきた祖父に対して、 心のバランスが取れなくなっていたと考えます。しかし、歳を経た私から云わせれもらえば、財力に余裕゛なければ命を落としていると思われます。 (親に感謝すべきことです)だから何が何でも、私に恩を造らなくてはならなかったのです。 逆に貸しを作られるなどと云うことはできなかったのです。以上は深層意識のことです。

 2011/11/03⇔木漏れ日の空間
「私は不平不満を捨てるごみ箱ではありません」より
 

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2012年01月15日(日)
独善は愛ではない

GLAの教えに有った<何もしないことも愛の内である、(谷口健彦の
講演から間接的に聞いたもの)と云う根拠は、親鳥が幼鳥に餌を与えることを止めて、自分で獲らせる行為になぞらえて教説として 提供されたものと思う。しかし、そのまま人間がマネをすれば、養育放棄も愛と云うことになりかねません。宗教という思想に関して、 動物の本能そのものを、思想として置き換えてよい良いものか? 鳥は本能だから途中放棄など行いはしないのです。 間違も起こしはしないのです。

間違いを犯さないものを人間の思想として取り入れてよいか?どうか?
考えてもらいたいと思うのです。自分の都合の良い所だけ取り入れるということは、人間にしかできないことなのです。 勿論本能は人間にもあり、愛という感情も本能に根ざすものと思われますが、そのままでは宗教にはならないのは明白なのです。 上記に対して異議があるなら例を示すなどして、誰にでも理解できるように提示してもらいたいものです。又誤解やすり替え、 正当化などの間違いが生じないように、注釈をつけて提示してもらいたいものです。

人に教説として提供する以上、自分さえ分かっていれば良いとか?
自分が解っている通りに他人も理解すべきだ、などと云った独善は愛ではないのです。 例え親鳥の幼鳥を自立させる行為(手段は)は愛であっても何もしないと云う概念自体は、単独では、愛とは何の関係ないのです。 何らかの行為と併用してはじめて、愛であるか?否か?吟味されるものなのです。いいかげんな教えは、そのものが愛ではないのです。 間違いが起きるのは当然なのです。人間は人間の本能に従って生きるようになっているのですから、他の動物の本能を真似してはいけないのです。

2008年01月30日⇔木漏れ日の空間「独善は愛ではないのです」より


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2012年01月12日(木)
愛の概念を検証する

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以下に愛に関する概念について質疑応答の形で記すことにします。
1:単なる道徳と愛と、何処が違うのか?それは想いがこもっていることと、義務的な意識との差であり、 その差や内容は個人によりさまざまで、一線を課して区別できるものではないと思います。一見しただけでの外見からは判別できないのが普通です。 結果から逆算して判断するしかありません。しかし、愛ならざるものは、感性で解る人にとっては最初から明らかに判別できるものもあると思います。

2:義務的意識で善行を行ってはいけないと云うものではないのです。
ボランティア行為は義務的意識で行っても良いです。私は、GLA在籍当時、善悪は説くが愛ハ説かないと批判されましたが、宗教は(純粋な) 愛以外のことを行ってもいのです。愛以外のことを教説してもいけないと云ものではないのです。何故なら何に付いて教説するにしろ、 想いにもよりますが、愛に属することなのです。第一、純粋な愛など説く方法があるのか?あると言うなら説いてもらいたいものです。

3:宗教は、むしろ想いの純度を高めることに、目的があるのではないのか?
だったら、そういう様に指導しなくてはいけないのです。愛以外の行為は宗教でないならば、世界の歴史上で、宗教をお行なった人は、 数人と云うことになるのではないのか? 考えてからモノを言ってもらいたい! 無理をするから、何も行わないことも、 愛の内に入るなどと云う論法が出てくるのです。
2008年01月28日⇔木漏れ日の空間「愛は説くものではなく行うものである」より
 

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2012年01月09日(月)
愛は説くものではなく行うものである

当webページに記す記事は一種の批判文書です。批判内容に関して
愛という積極的な部分を述べることに欠けていることは認めます。積極的な部分を簡明に記すことにします。 個人的には、積極性をもって他人によかれと思うことを行い、公的には、他を生かすことの出来る人は他を生かせば、 それは愛と言えます。唯、他を生かすことと利用することの区別のつかない人は、愛を知らない人と云えます。 したがって「愛とは他を生かすことである」と説いても愛を説いたことにはならないと思います。要するに愛を説くとマンネリズムに陥るのです。 マンネリズムに陥るのは、能力に関係していると考えます。

他を生かすことのできない人は、善き願いを込めて道徳的な
善を行えばよいのです。(道徳として他を生かすことは重要)善を目的とした行為は、概ね結果は善になるのです。 愛を込めて行った行為は結果が前にならなくてはいけないのです。結果が善にならなかった行為は愛が観められ手居なかったと云うことになります。 善を目的とした行為は、おおむね、結果が善になると思います。(悪にはならない)それは、愛の行為ということになります。 反面、当人は愛のつもりで、(他人を生かすつもりで)行った行為が、無自覚の内に他人を利用したが為に悪しき結果がでたならば、 「愛とは他を生かすことである」と云う教えが間違っているのです。

上記は単なる思考上の物語ではありません。当ページ記す事件は
他を生かすことと他を利用するうすることの区別を説明できない人(本人は解っているとしても他人に説明できない人 ⇔客観的にはわかっいるか?解っていないか?の判別はできない⇔独善にすぎない)が愛を説いたから、 生じたと云う一面があります。私は以前のページに記していますが、愛は解けないと思っています。 したがって、貪りを説くことによって「愛とは何か?」示しているのです。要するに「愛とは説くことではなく行うことである」です。 但し、愛は説かなくてはならないものでもあります。説くとすれば、自分が行ってから説くべきです。

2008年01月28日⇔「愛は説くものではなく行うものである」より再編集  


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2012年01月06日(火)
有効と認めなかろうが関係ありません

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「悪事を曝露する基本法則」は、為政者にとって不都合だから
有効なものとして認めないとしても、誰がどう扱おうが関係なく一人歩きをするものなのです。このホームページを閉鎖しても、 同じことなのです。私を殺そうが生かそうが、閉じ込めようが何をしょうと強権社会でない限り同じことなのです。 要するに扱う人の問題ですが、その社会の在りようによっては広まる速度は違ってきます。  他方マネージメントノウハウに関するものは一人歩きをしたものと、正式に取り入れたものとは、扱いに多少の違いは出てきます。

基本的には家庭内で行うものではありませんが、無視することは
良いとしても、無理に排除してはいけません。又、国家そのものに取り入れることは、疑問があります。 その理由は最終責任者は基本的には国民ですから、無意味なものとなります。為政者(総理大臣)は国民全員が守らなくてはならないテーマが 国民一人残らず守られるまでは、自分もそのテーマを守らない言い訳ができるのです。(民主主義国家においては、言い訳を拒否する根拠はない) 例えば、飲酒運転を止めることを国民全員が守るまでは総理大臣といえども、守らなくても良いと云う根拠が成立するのです。

国家そのものに取り入れることが、無意味なものは
取り入れる取り入れないは、それぞれの組織の運営者の意志で、決定しなくてはならなくなります。 法則と云うものは、道理、因果を無視して成立させるなどと云うことも不可能ですので、敢えて行えば霊的因果さえも持込むことはできるのです。 しかし、霊的因果(存在するのか?どうか?は別として )に絡めたら上記ノウハウは何の役にも立ちません。 霊的因果はこの世の因果などには関係なく別問題としなくてはいけません。

2010年04月24日11日⇔木漏れ日の空間
「有効と認めなかろうが関係ありません」より 
 

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2012年01月03日(火)
行政指導の要注意点

当ページに記す未解決事件に関連して、個人的な問題として
国が行政的解決を行うとすれば、自称養父(母方の伯父)の三男である大海勉君が自称養父(2001年死亡)の代理謝罪に法律文書を持参して、 当方宅に来てもらい家内と私の同席する場で、事件の存在を話してもらうことが、国の所割部署の可能な任務であると考えます。 それが不可能であれば、家内の実家の親戚を代表できる人が家内に事件の存在と要点を話してもらうよう、指導していただかなくては、 国の責任が発生して人権侵害になります。但し、上記は当方に国をはじめ関係者を提訴する権利が残ります。 大海勉君は、納得すれば行う性格ですので、行わなければ何らかの事情があると考えます。

又、私の推測可能な筋論として、祖父の意志を預かっていた
可能性のある生母の遺言を生母の父親違いの長男である清水靖が預かっているなら、彼が遺言を持参して面会にくる、道徳的責務があります。 しかし、彼が先に来て事件の存在を証明すれば、当方と大海勉君を含めた自称養父の遺族との間に新たな軋轢が生じます。 彼が事件の存在を証明しなければ、当方(家族を含む)との間にもアツレキガ残ります。勿論、国をはじめ自称養父を含めた、 関係者を提訴する権利が生じます。さらには家内の親族をも加害者にしなくてはならなくなりますので、 国が彼に来訪を指導することは筋論としては不可能なことです。清水靖が来訪すれば政府との力勝負になります。

2010年04月20日⇔木漏れ日の空間「家内の親族は家内を加害者にしてもらいたくありません」    


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