★1 9 9 9 年 7 の月、天から恐怖の大王が降りる ! ! (オレを釜ゆでにしたところで、世の中、大して変りゃあしないぞ!)と云う、石川五右衛門の辞世の句とされるものは、ある意味で真実を 伝えたものです。要するに社会から、盗賊をなくすことは出来ないと云う意味です。だからと云って、悪や悪人を容認して良いと云うものではありません。 いわんや悪を推奨することなど、もっての他です。しかし世の中には思想的には、これに近い人も居ることはいるのです。曰く 「そんなことは取り締まることが出来ないからヤッテも仕方がない」とんでもないことです。 a12 ★司法権の侵害を許すな ! 1 0 0 人居れば 1 0 0 コの正義があり 正義と正義が衝突して争いになることも確かであります。しかし司法権の侵害に対抗することは、個々の問題の相互間のな正義ではなく、 民主主義国家なら国民の義務であり、盟約と云う名の道徳でもあると心得ます。但し、強制的な義務ではありません。 ★敵は備中にあり、敵は備中にあり! いや敵は本能寺にあり! この事件が解決しないのは、本能寺の中が何時まで煮え切らないからだ !! 烏合の衆を責めても何の意味も無いのだ !! ★殺す、殺さないではなくて、殺せるのか?殺せないのか? が問題なのだ!「お前殺せるか?俺は殺せるぞ!救世主などと言ったところで人の一人や二人殺せる力量がなくては、何もできはしないぞ!」 ★「神の言行不一致」万現万物は一部の人間を除いて、勝者生存適者生存の システィムに従って、生きていると云えます。万象万を創造し賜うたのは神であるならば、そのシスティムを<創造し賜うたのも神と言えます。 又そのシスティムに従わない、一部の人間を創造したのも、又神であると云えます。従って神がこの世を直接統治するなら、2足のわらじの手法を 取らざるを得ないでしょう。従ってこの世は人間の責任で統治し調和をさせるのが本筋であると思います。 a11 ★正しさを計る尺度の一つに、言行一致があります。良からぬ行いが多ければ 多いほど言行は一致しにくくなくなります。尺度とはものごとを計る場合の目安のことであり、言行一致そのものは完全にできることはないのだから、 正しさとは関係ありません。問題はどれだけ言行一致できるか? できないか?であります。 一致しなくなるでしょう。 ★ここで云う一部の人間とは、自らを空しくして他人(他)の為に奉仕活動をする いわば無償の愛を他に施す人々のことであり、一般的には神の教えとされる、宗教的な思想に従って生きている人々のことである。 ▲不老の湖畔に戻る ▲MyHistoryに戻る ▲木洩れ日の空間に戻る |