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《事情聴取に来なくてはいけない》
私は取り締まり当局が事情聴取にこないから
相手側の言い分のみで判断されてはいけないとの考えから
自分の言い分を公表する必要を感じたのです。
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取り締まり当局は第3者である、協力者を介在として
私の言い分や所見を入手することが出来たと思います。しかし、私の言い分の中に事実として存在するもが有るか?無いか?に回答するには「有る」と答えれば、
何者による行為にしろ、人権侵害が成立しますので当局は、放置することは出来なくなります。「無い」と答えれば小学生も知っている事実ですから、
国家の権威を背負って嘘を云うしかありません。どちらもできないと云うことになれば、蜃気楼を映し出して応えるしか仕方がなかったト推測できます。
後は、自然の成り行きに任せて事件が雲散霧消するのを待つしかないのです。3年も過ぎれば時効が成立すると安易に考えていたのかも知れません。
しかし、時効などは来ないのです。何故なら解決しなければ新しい状況が次々に起きるのです。
蜃気楼に関しては、例え警告的なものであっても証拠はないので
そのような現象を基にして重大な判断ができる分けはないのです。自分勝手な行為と云う他ありません。しかも言葉や文字で
注意することはできないのです。何故なら証拠のないものに注意をすれば、逆に言いがかりをつけたとされることもできるのです。
私はその都度、好につけ悪しきにつけ、行為で応対するより仕方がありませんでした。これで過ちが起きないはずはありません。私にとっては異常事態
だったのです。常識的には行き過の行為であっても異常事態には止むを得ないのです。正当防衛の観点からしても
非難されることではなかったのです。
異常事態に際しては、何事も大騒ぎを起こして
人々の喚起を呼び起こすさなくてはいけないのです。ですから、大騒ぎを引き起こすことが、無条件でいけないことであるなら、
いじめなどに対抗する手段は全くなくなります。行き過ぎがあってもよい場合があるのです。但し、以上は、正常な法廷裁判が出来ることが前提で
できなければ無意味です。蜃気楼だけでなく、周辺の人々の態度や様子から、私について間違った噂が流されているようにも感じました。
人権擁護委員会が調査していれば、間違った噂は出てこないはずです。しかるにそういう現象が、周囲に現れると云うことは人権擁護委員会が、
本来の使命を放棄してしまったことに他なりません。
使命が果たされなければ、調査依頼報告書を提出した
意味がありません。報告書を提出してから約1年半後に人権擁護委員会に対して、途中でもよいから、調査経過を提出するよう督促状を出しました。
更にT.MさんA.Uさんに同文のものを送付して、アメリカ政府(領事館)にお知らせいただくようお願いしました。
国内問題に対して外国の領事館に駆け込みで、協力を依頼しなくてはならないような事態は日本の恥と云わざるを得ません。督促状の回答は勿論なく、
私は業を煮やし、匿名ではありますがかなり際どい責任の所在を追及する文書を再三にわたり送付しました。そういう態度が気に入らなかったことでしょうが、
犬の散歩の通り道に「、殺すぞ!」とも受け取れる怪しげな蜃気楼が現れました。
人権擁護委員会が調査しないとなれば、私には、何の
証拠も得る手段がなくなくなれば、民事事件として訴訟することも勿論、刑事事件として警察に訴えることも出来ません。言い換えれば証拠が得られれば
民事事件として解決できるものを、国の委託機関である人権擁護委員会は、いたずらに国の足を引っ張っていたことになるのです。
私は、本気で解決に取り組む意思の無い者に、苦情を述べた強制したところで却って機嫌を損ねられ、捏造した調査結果でも、
持ってこられては取り返しが付きません。このまま調査依頼を待ち続けることは、百害有って一利なしとの結論に達し、た翌日直ちに取り下げました。
それは平成十一年四月下旬のことでした。人権擁護委員会に調査依頼報告書を提出してから、取り下げるまでを今後第2ラウンドと表記します。
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《話し合いができないから解決できない》
検察よりの意見を持つひとは、事件は存在しなかった
ことにしなくてはいけないと云う意見があるかも知れません
誰がが使いとして上記内容で話し合いを行うと云うなら
そのような話し合いが、検察とできるなら、自称養父の責任
とすれば、もっと穏便に解決できるのです。問題点は
話し合いが出来ないから解決できないのです。
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