因果応報の思想は、この世に限ってもそれらしき現象を
見聞きすることがありま。同時に、全く納得のできない現象もあります。私自身、全く納得のできない事情を抱え込んだ人間でもあります。
だからと言ってカルト宗教が主張するように、その原因を過去世まで遡って追求することは、人それぞれの自由としても、事実として断定することはよくありません。
自他いずれを対象として行うにしても、断定すれば弊害が生じるでしょう。独善的な判断を社会通念として受け入れられてしまえば、連鎖的に不可解な間違がおきます。
だからと言って、理不尽な想いを抱えたまま生きることは精神衛生上
よくないことでもあります。できるなら、何らかの思想でもって、消化(昇華)させて生きた方がよいと思います。一つは転生輪廻の思想です。
人間は、輪廻転生をしないとすれば、他人を恨もむことも仕方のない理があります。因果の原因などに拘る必要の無いようにこの世的な努力するしかないでしょう。
他方、転生輪廻をするとしても、過去世の原因は、通常人は記憶していないのですから想像を巡らせて考えることになります。しかし、結局は創作することなのです。
自分自身の過去生からの原因の創作は自己責任であります。
他に危害を与えないものなら、仮に事実と異なった原因に基づいて創作して、あの世に帰ってから間違いに気付いて、気まずい想いをすることはあっても、
さしたる責めを負うことはないはずです。(良心の呵責を受けると云うことはない)と云うことは、過去世の原因を自分の都合のよいように創作して生きればよいのです。
楽観的に生きることです。但し、断定して他人に認めてもらうことを要求すれば、気違い扱いにされます。
上記を踏まえて、一番当たり障りのない考え方として過去世の因果が
今生に引き継がれているとしても、今生は、自分の意志により自己向上を目的として、一からやり直すと云う霊的な意味がある以上
(無ければ理不尽である⇔カルト宗教もそのように教えている)過去生の原因を様々に探求することは無意味であることが解ります。
過去世の因果からなる今生の原因は、スタートラインに前提条件として、組み込まれていると考えることが妥当です。(納得がし易い)
例えば、前世で守銭奴のごとく生きて他に恵むことを怠った人は
貧困家庭に転生すると考えれば運命を呪うことはできなくなります。病弱その他も同じです。与えられた条件の中で
(条件は自分で選んでこの世の生を受けたと云うことでもある)魂の向上を目的として、生きると云ういうことが、この世に於ける真実の生き方と云うことになります。
(自分で選んで自分で設定した条件なら、不平不満を言う方が間違い)結局は、人間は輪廻転生をしないとする人が、努力して、
因果の原因に拘る必要の無い状況を創り出すことと(劣等感その他を克服すること)同じになります。
唯、違うことは、精神衛生上の問題か?魂の向上が目的か?だけなのです。注意すべきは「あなたが貧乏なのは、前世で守銭奴のような生き方をしたからです」
などと他人に当てはめては絶対にいけません。仮に、過去生の因果が超能力によって解る人であっても客観的に証明できる証拠を提供することは不可能なことですから、
他人について過去世の因果を持ちだして、評価、批判を行えば問題が起こることは当然です。但し、アドバイスは求められれば仕方がないでしょう。
霊に関することは、何事に関しても自己責任なのです。