宇宙人が実際に存在するなら、客観的には、この世と四次元以降の
世界を行き来できる進化した生命であるとすべきです。さらに、私の霊界観で説明すれば、宇宙人その人、個人々の世界は、
それぞれの個人々の世界に存在しているのであって、他から干渉はできるとしても、存在そのものは否定できるものではないのです。
否定できる条件は、唯一つ科学的根拠があることです。
基本的な考え方をインターネットで記してきた事件で例示すれば
私は自分の認識機能で認識すれば私の心から脱出していないことを知っていますが、高橋佳子が高橋佳子の心から脱出してるか?
どうか?は私には判らないのです。判るのは本人だけなのです。何故、高橋佳子が彼女自身の心から脱出しているか?どうか?
私が判らないのは、私自身私の心から脱出していないからです。
霊感、第6感、テレパシーと云えども、世界は自分の認識機能で
認識したものです。どういうことか?と云えばAさんの観ている赤色は、私が観ている赤色と同じであると客観的根拠をもって、
断定することは不可能なのです。何故なら、客観的に証明する手段である科学をもってしても、人間が心の中で捉えた景色などは
パソコンに映しだすことができないからです。言葉、霊感、第6感、テレパシーで捉えた概念と云えども同じこてなのです。
人の心(想念)の状態を客観的に知ることができる、科学的根拠が
あれば、勝手な干渉がなされたか?どうか?も判別できますが、現在ではそれはできない相談なのです。特定個人の心(想念)
に干渉がなされていても、取り締まり当局は取り締まることはできないのです。叉、干渉された人も、自分の心、想念から
出て行けとは云えても、出ていかせるためには、相手に干渉してくる理由を封じるとができなくては、、
想念上の争いに発展するだけです>
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仏教で云う悟りが、自分自身の心から脱出することであれば
既に脱出している人が手助けはできますが、脱出するのは本人自身でしかできないのです。そういう意味では、
悟りと云われているものが、どのようなものか?を一般に知ってもらう必要性から記したもので、
個人的必要性からのみ記したものではないのです。叉、想念上においても、言葉と同じように自分自身に回答が出ていなければ、
疑問が生じ、他から求めようとする。これも厳密には干渉と云えるのです。
【この世は幻覚の世界であると云う意味】
自分の心(思い)は、自分の認識機能でしか認識できないと云うことは、自分が幻覚を観ていたなら、
自分では現実の世界に居るるのか?幻想の世界の中に居るか?は判別できないのです。判別できるのは、
「どうもあの人はおかしい」と自分以外の人が認識できるのだけなのです。この事実を生死に関して類推すれば、
死とは自分以外の他人が認識することで、自分自身で自分の死を意識して確認した人はいないのです。
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意識して自分の死が確認できたなら、認識機能は働いていたことになり
外部認識機能も、想念行為も死んではいないのです。どういうことか?と言えは、それまでに自分の外部認識機能で捉えた認識は、
全て残っていることになるのです。要するに死んでからは、(身体機能を失ってからの記憶は)幻覚を観ていたことと同じになるのです。
自分の死が、意識して確認できなければ全ては無です。その人にとっては、全宇宙が消滅したことと何ら変らないのです。
「オレが死んでも宇宙は残る」と云う論理は「オレ以外の人」に当てはめて言えることなのです。
注:上記事項は、主観と客観(立場)の基本的な認識の違いを示した
ものですが、霊的な概念を理解するには大変重要なことですので、キチント理解しておいていただきたいと思います。
一度理解してしまえば、難しいことではないのですが、通常ツでは、かなり知能の高い人でも理解できない人も居ますが、
自分の心を知ると云うことに関しては重要なことですので、霊存在に繋がっ思われる、潜在意識の反省(自覚)も
できないのです。理解できないまま霊的な概念に興味を持つと、他人の理解を鵜呑みにしなくてはならなくなり、
マインドコントロールの原因にもなりますので、気を付けなくてはいけません。死後の生とは、どう云うことか?を知るこは
真実はどうあれ基本になるのです。
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要約すれば、死後の生を自分で(主観的に)確認できる物差しは
酸素呼吸を行っているか?どうか?で判断するしかないのです。自分以外の人(客観的に)が自分を死んだか?どうか?を完全に本人の
立場に立って、(心を共有して)確認することはできないのです。それが、できる人は悟りを開いている人と云うなら、居る(かって居た)のかもしれません。
結論を言えば、客観的に証明できるのは、あくまで科学しかないのです。自分が客観的に死んだか?どうか?を完全に本人が自覚できるか?どうか?を
証明するには科学が、死んだ本人の心の中を本人以外の外部に、知らすことができるまで待たなくてはならないのです。
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