「2006年終戦記念特別展レポート」
2006年8月14・15日に仙台市青葉城址護国神社で行われた、「終戦記念特別展」に行ってきました。

我が国においては、歴史教育・歴史認識といったものが全くといっていいほど存在せず、行われていることといえば、「受験のために年表を覚えよう」、「歴史は暗記科目で点が取りやすい」、ということだけであり、こういった機会は本来の意味で歴史を学ぶ上で非常にありがたいものであり、足を運びました。

たくさん写真を撮ってきましたが、容量の関係もあるので、いくつかピックアップして紹介したいと思います。
(上の写真中央右は1/100重巡「利根」の模型)

軍服各種、その他
こちらは陸軍の軍服などです。
スコップや飯盒、水筒といった歩兵にはつき物の装備も展示されていました。
ちなみに、レプリカだけでなく本物もあるそうです。

小銃各種。右から38式歩兵銃、99式歩兵銃、100式短機関銃。
・38式歩兵銃 明治38年に採用されてから昭和20年の敗戦まで戦い続けた名銃。いろいろ辛口な意見が聞かれるが、「このクラスとしては」反動が少なく、命中精度もよく中国大陸など広い場所に適した小銃。

・99式歩兵銃 実質的に38式歩兵銃の改良型。といっても威力を増大するため口径を6.5mmから7.7mmに拡大し、ベルトの取付金具の位置を変更した程度。この銃でさえ行き渡る前に戦争を始めてしまった。

・100式短機関銃 太平洋戦争の前年に採用された日本としては珍しい自動小銃。南方のジャングルでは38式歩兵銃では振り回すのに難があったために、取り回しのしやすい短めの弾をバラまく銃として採用はされたものの、戦線に届く前に輸送船が沈められたりと届かないことが多かった。

赤十字のマークで分かるかもしれないが、薬品各種。
私事で恐縮ですが、父方の祖父が軍医だったので、惹かれるものがあり1枚パチリ。
写真中央下の注射用のアンプルはしっかり中身も残っていて驚きでした。

97式中戦車の上部転輪
現在では少なくなってきましたが、上部キャタピラを下側から持ち上げて支えるための転輪で、大2次世界大戦には多く見られたもの。
日本の主力である97式中戦車は装甲が薄く「ブリキの棺桶」とアダナされましたが、本体は消し飛んでも部品は残ったようで。
航空機
こちらは零式艦上戦闘機の外板の一部。
右主翼上面のフィレット付近のもので、有名な枕頭鋲の抜けた穴が数多く見えます。
板の左上の赤黒い点はなんと枕頭鋲が残っています。ちなみに置かれていた写真は参考用で別の機体だそうです。

海軍機上作業練習機「白菊」の主車輪
敗戦間近には特攻機ともなった「白菊」ですが、この車輪は戦後にリヤカーの車輪などとして利用されていたらしいです。
当時の品質のあまりよろしくないタイヤで、劣化の速いゴム製品にもかかわらず残っているのはすごいですね。
国民生活
こちらは国民生活のコーナーで時代を反映した展示物が多く見られました。

出征持に、無事を祈る寄せ書きをして兵隊さんに渡された日の丸。
当時の写真で、列車の前で日の丸の小旗を振りながら送り出すシーンによく見られます。
折りたたんでたすきがけしたり、背嚢にくくりつけたりして戦地まで持っていたもので、よく帰って来ることができたとしばし感動。

言わずと知れた千人針です。
「虎は千里を行き千里を帰る」の故事になぞらえ、無事で帰ってこられるよう虎の絵柄になっています。
虎の絵が下書きされていたのは、初めて知りました。

慰問袋の中身です。
慰問袋とは国民学校(尋常小学校から名称変更)の生徒などが、戦地の兵隊さんに向けて菓子や手紙を詰めたもの。
話には聞いたことがるけど、実物を見るのは初めてでした。

国民向けに製造された防毒面(防毒マスク)。
当時日本は、毒ガスを製造・使用していたので敵が使用した場合も考えて製造されたもの。
新聞にも防毒面の広告の他、毒物・劇薬などが皮膚についたときの処置方法などが掲載されていました。

歴史を考えるひとつのきっかけになればと思いながら、レポートを終わります。


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