ROSALIND HURSTHOUSE



 Table of Contents
 Hursthouse, R., 1991, "Virtue Theory and Abortion".
 Hursthouse, R., 1999, On Virtue Ethics.



Hursthouse, R., 1991, "Virtue Theory and Abortion",

reprinted in Crisp, R., and Slote, M. (eds.), Virtue Ethics, Oxford University Press, 1997.


 この論文でハーストハウスは、「徳の理論 virtue theory」に対するさまざまな誤解を解きながら、「徳の理論はどのような仕方で行為の正しさを示すのか」を解説している。
 
 ハーストハウスによれば、徳の理論に対する主要な批判はこうである。「規範的な倫理学理論には、真性の道徳的問題に関して私たちを導くこと、そのために合理的な根拠をしめすことが期待されている。ところが徳の理論は期待にこたえない」。しかし、この批判は「行為指導的 action-guiding」な理論の適切さについて、間違った条件を設けている。それは、「行為指導的な理論は、賢明な若者ならば誰でもそれに従うような明確な指針を与えなければならない」という条件である。このような条件はもっともらしくない。正しく行為するためには道徳的な知識が必要であるが、それは講義に出席すれば獲得できるような代物ではない。アリストテレスが言ったように、道徳的な知識は十分な経験を積まなければ獲得することができない。

 論文の後半では、例解として人工妊娠中絶の問題がとりあげられる。徳の理論の見地からすれば、中絶の権利や胎児の地位をめぐる従来の議論は根本的に不適切である。かりに女性に中絶をする道徳的権利があると想定しても、この想定から人工妊娠中絶の行為の道徳性について何も帰結しない。権利を行使するときにひとは残酷なこと、冷淡なこと、利己的なことをなしうるからである。中絶をする道徳的権利の有無は行為の道徳性にとってイレレヴァントであり、問題にしなければならないのは、「しかじかの状況で中絶をすることで、行為者は有徳に行為しているか、あるいは邪悪に行為しているか、そのどちらでもないか」ということである。また、徳には知識が必要であり、生殖や胎児の成長に関わる常識的な生物学的事実はレレヴァントであるが、「胎児は権利をもつか否か」とか、「胎児は人格であるか」といった哲学的な問題は中絶の正不正とはイレレヴァントである。有徳であるために必要な知識はその種の知識ではない。そうハーストハウスは指摘する。


"Virtue Theory and Abortion" 中澤務氏による詳しい論文要約



Hursthouse, R., 1999, On Virtue Ethics,

Oxford University Press.


 「新アリストテレス主義」の徳倫理学を体系的に叙述した著書で、三つの主題を扱っている。第一の主題は「行為の正しさ」である。考察の基本線は論文"Virtue Theory and Abortion"のそれと同じであるが、悲劇的なジレンマ状況の存在を考慮にいれて、最終的に行為の正しさは次のように説明される。「行為は、ある有徳な行為者が特徴的なしかたでその状況においてするであろう行為であるとき、またそのときにかぎり正しい。ただし、悲劇的なジレンマ状況は例外とする。悲劇的なジレンマ状況においては、意志決定は、そのような行為者が意志決定するであろうものであるとき、またそのときにかぎり正しい。しかし、それに基づいてなされる行為は、〈正しい〉とか〈よい〉と呼ばれるにはあまりに恐ろしいものであるかもしれない」(p.79)。

 第二の主題は「有徳な行為者の動機づけ」である。この問題に関してハーストハウスはアリストテレスとカントの見解の一致を探り、合理主義的な「有徳な行為者」像を描く。その際、ヒューム流の「仁愛的な人物」は対置され、問題点を指摘される。何が他者の善であるかについて誤解するとき、仁愛は不正な行為に導くかもしれない。また、正しい概念に基づいていても、感情は他の事情で反対すべき理由がある行為へと導くかもしれない。また、憎しみや自己憐憫など他の感情が生ずると、仁愛的な人物はなすべきことをなさないかもしれない。要するに、単なる心理現象としての共感、同情、愛は正しい行為を保証しない。必要なのは理性との調和である。この議論をふまえてハーストハウスは、「正しい理由に基づいて行為するとはどのようなことか」を説明する。

 第三の主題は「どのような性格特性を徳とみなすか」である。この根本問題を扱うにあたり、ハーストハウスはマクダウェルの議論を活用し、倫理的見地の「内部」から徳目を正当化するしかないこと、それでも「倫理学におけるノイラート的手続き」をつうじて倫理的見地を改定する可能性は開かれていることを強調する。この方法論を用いてハーストハウスは、「徳はそれを身につけた人物の個人的利益になる」というテーゼと、「徳はそれを身につけた人物を人間的に開花させる」というテーゼの両者を擁護する。前者のテーゼについては、子どもの教育と無道徳主義をめぐるヘアの議論を援用し、後者のテーゼについては、「動植物それぞれの固有のよさ」に関するフィリパ・フットの着想を援用する。しかし、ハーストハウスの議論が成功しているかどうかについては評価が分かれるだろう。


土橋茂樹氏によるOn Virtue Ethicsの邦訳予定
On Virtue Ethics の書評(ギルバート・ハーマン)



フランク・ジャクソンと会話するハーストハウス。その他、哲学者たち



(Last Updated 05/10/14)


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