日本人の表現構造

――沈黙の文化を中心にして――

東海大学文学部教授 時野谷 浩

 

 私の専門はマスコミの効果や受け手についての数多くの理論研究と同時に国際比較研究を行っております。その中で沈黙理論というのがあって、つまりマスメディアがある特定の意見を極端に支持されると、反対の意見の人がだまってしまうという理論があります。その国際比較研究の中で、日本人は非常に沈黙率が高いという結果がでてきています。

 

 

 沈黙とは

 

 日本人の表現構造の中心となるのは、なんといっても沈黙なのです。

 沈黙とは何かということになると、西洋の古い諺で「沈黙は金、雄弁は銀」といいますが、これは本当に雄弁ならばしゃべった方がいいという意味で、日本人の場合は最初からだまっていた方がいいという考え方ですから、少し捕え方が違うわけです。アメリカの大学の授業は半分以上が質問で、その質問の仕方も採点に入ります。ですから日本人の留学生は黙ってしまうので評価が下がってしまうということがあります。

 沈黙の形態は三種類あって、自分で黙っている場合、集団においての沈黙で、人間関係や集団的なものを意識して黙ってしまう場合、それから権威に対しての沈黙つまり社会的文化的な沈黙の三つに分けることができます。

 ヨーロッパでは沈黙というのは社会的不一致、相手との人間関係を作りたくないということになります。また宗教的な神の前での沈黙や、演説などの間の沈黙は技術的なものとして考えられています。とにかく、アジアとヨーロッパとでは、沈黙についての感情がまったく違います。

 

 日本人の沈黙

 

 日本人の沈黙の場合は、アジアの国との比較が必要です。中国や韓国との発言率を比較調査すると、日本人の発言率は3分の1で、中国人、韓国人の発言率はアメリカ人の発言率と一致します。つまり、中国人とか韓国人はもともとアメリカ人と仲が良く、うまが合うわけです。日本人は他の要求よりもコミュニケーション要求が低く、いろいろな国を巡って調査をやっていますが、おそらく日本人が世界で一番沈黙している国民だと思います。

 公共の場と私的な場ということでは、私も公の時だけ黙っていて、私的な時はおしゃべりかと思っていましたが、そうではなくて、私的な場でも日本人はあまりしゃべりません。いろいろ調べてみると、自分をオープンにするかどうかという事では、日本人はなかなか心を開かず、親子、教師と学生、上司と部下などの間でも本当のコミュニケーションはできていないのです。

 

 文化と沈黙

 

 文化と沈黙ということでは、文化には物質の伝承とコミュニケーションの伝承とがありますが、日本語ということばは、二千年の歴史があるわけですから、コミュニケーションというのは文化の中心であると思います。

 文化を大きく分けると集団主義と個人主義に分かれます。日本人は集団主義で義理と人情という情の世界で、公の中でのモラルを最優先して、面子を大事にしますが、一旦そこの集団に合わせて入ってしまえば、その中には暖かさがあり、甘えの心理構造があります。一方、個人主義というのは自分の目標を最優先しますが、その代り自分の発言には責任を持つし、相手との関係においても責任を持つわけです。

 日本における沈黙の背景は、日本人は同質民族、同質言語で殖民地化という事がなかったことで以心伝心という文化ができました。また古代社会の言霊信仰、農耕民族がゆえの集団主義の発達などです。また神、仏教における悟りの非言語的コミュニケーション、江戸時代において他人の眼や耳を主にする世間体社会の成立も沈黙に影響をあたえています。

 また、墨絵に見られる空白感、歌舞伎の間や日本文学の簡潔な描写という特徴もあります。

 

 マスコミと沈黙

 

 もう1つ、現代はマスコミのもたらす沈黙があります。マスコミがある特定の意見を支持すると、少数意見が黙ってしまうのです。

 次に集団主義の文化から沈黙をみてゆくことにします。沈黙にたいする積極的なプラスの評価と消極的なマイナスの評価があります。文化的にプラスの面としては、沈黙は真実を表わすという伝統があって、日本には沈然、無口の美学や沈黙に関する寛容さがあります。第2に社会的に受け入れられるためや、集団の中での孤立を避けるために沈黙がいいということがあり、遠慮、察しに価値があるとされています。そして、曖昧さと沈黙の中で自らの感受性を洗練することが重要です。ことばより動作によって相手に対する意志表示がなされたり、声の調子や間が重要だったりします。日本人はあいまいな多様な表現手段を持ち、ことわり方としても 16 通りの方法があります。

 また、主体性の確立ということでは、日本人は年をとると自己主張を控え、相手に合わせる察しの能力をもち丸くなってくるといわれていますが、欧米では、自己主張が強くなっていくという違いがあります。

 マイナス面としては、第1に日本人は恥意識が強く、自分が他人からどう見られているかという意識が非常に強いものがあります。恥、困惑意識は私の日本、中国、韓国、ドイツ、スペインの社会心理比較研究のなかで日本が最も強いことが裏づけられています。それが沈黙に結びついています。

 

 反発としての沈黙

 

 そして第2にもう1つ、反発としての沈黙で、口に出すよりも黙ってしまうというマイナス面があります。

 こうして、集団主義文化においてプラス面とマイナス面がありますが、私の市民への調査では日本人の場合、遠慮や察しによる相手に対する思いやり、気配りというものを高く評価しています。それは、日本という狭く貧しい国の中で細々と暮らしていくためには、そういうことが重要だったわけであり、自分の気持ちを察してほしいという甘えの構造といわれている人間関係によって培われてきたからです。

 なかでも察しという以心伝心の表現構造というものを一番高く評価しています。その他に恥や困惑によって沈黙することなどがみられます。日本の社会が近代化して、高度情報化社会にどんどん進んでも、おそらく沈黙の表現構造とこれに直結する甘え、合わせといった人間関係は変らないと思います。

 韓国は儒教の関係で遠慮というものが日本よりありますが、察しは日本ほどではありません。察しに関してはおそらく日本が世界で一番であり集団主義文化を象徴しています。

 

 沈黙を三つの観点から見る

 

 沈黙を家族と知識と国際化という三つの観点から見るとどうなるのかということですが、アメリカは離婚率が高いですが、ヨーロッパ、アメリカ、日本の家族の国際比較調査を見てみると、一番幸せを感じているのはいろいろな家庭問題のなかにあるアメリカの子供達です。それは親子の間に個人と個人の本音の本当コミュニケーションがあるからです。日本の場合は面子が重要であって、本当のコミュニケーションが少ないといえます。

 日本の情報化社会の進度は今や世界で米国についで第二位です。ニュース情報や受け手の情報要求などの私の調査から、知的要求はなかでも情報要求は世界一と考えます。例えば国際ニュースの要求は米国人の2倍にのぼっております。日本は経済や貿易やマス・メディアは発展しているし、情報に関する関心度が高く、非常に知りたいという要求が高いのですが、自分からはしゃべらないです。すなわち日本人の情報行動は(1)情報を熱心に摂取しようという旺盛な好奇心と(2)沈然の表現構造の2点に最大の特徴があると考えられます。きわめてすぐれた頭脳を持つ国民でありながら、きわめてしゃべらないので世界からまた不思議な民族として見られています。

 

 国際理解の障害は沈黙

 

 最後に国際理解の最大の障害は沈黙です。日本人の沈黙は好ましいものとして見られることがありますが、アメリカ人の沈黙は会話の回避を意味し、相手や話題への関心がないことを意味します。こういう表現構造の解釈の違いで国際化時代の中での外交や情報や対人間関係の摩擦が生じるわけです。

 その解決のためには、互いに異なる相手の国の文化、慣習、表現、歴史に対する理解を深め正確な知識を持つことです。これに対するマスコミと教育の果たす役割は最も大きいと思います。

 今日は、外国人と比べて、日本人の表現構造で最も特徴的である沈黙についてのお話しをいたしました。

 

(*この講演要旨は 1995 年 9月 17 日(土)に、望星学塾で一般市民に向けて行われたものです。)

 

 

 

 

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