関越道からそのまま北陸道へ入り三条燕ICで降りる。そこから早朝の国道289号を南東へ突っ走る。五十嵐川沿いを走るようになると、左前方に川内(かわち)・下田山塊の主峰・粟ヶ岳の山影が目に入ってきた。粟ヶ岳は相変わらず秀麗な姿をしている。それから、右方向の遥か彼方には守門岳の山並みも確認できる。
さらに新しい感じのコンクリート橋で守門川を渡って右岸に進むと、路面は未舗装になった。このあたりは何か地図の道とは若干違う。新しくつくられた林道らしい。
そこからもうひとつコンクリート橋を渡って再度左岸沿いを進むと、間もなく左下の平地に二階建ての木造家屋が見えた。吉ヶ平の小学校(分校)の校舎だ*。建物はいくらか補修されている感じなので、現在も「吉ヶ平山荘」として利用されているのかもしれない。さっそく入口の坂道(車道)を下って校舎のわきに駐車する。校庭の東側には物見台のような櫓も建っていた。それから、西側には国交省が設置した雨量観測計などもあった。
気温は23℃。朝日がモロに当たっている割りには涼しい。さっそく準備をして校庭からトコトコ階段を登る。校門を抜けて再び林道に出ると、そこは守門岳登山口(吉ヶ平口)になっていて、登山道の入口には三条市が設置した登山届用の木製ボックスが立っていた。
しかして今日は峠道歩きが目的ということで、ねくらハイカーは心を鬼にして林道を東へ進む。すぐに守門川に架かるコンクリート橋(「樽井橋」)の袂に出る。
橋を渡って行くと、川上の方に砂防堰が見えた。右岸の堰堤部分が新しいので、最近増設工事が行われた感じだ。右岸の河原には工事用の道が通っていた。
ところで、地形図には八十里越の破線道上に水準点のマークがいくつか記されている。事前に参照した佐藤れい子氏の『越後百山 改訂版』(新潟日報事業社刊)には、水準点の標石の写真が載っていた。そこで、その標石を見物してみようと、ねくらハイカーは道端をジロジロ見ながら行く。
そこから少し行くと、路面が一時的にコンクリート舗装になった。さらに守門川の岸辺を離れて人為的に開削したような坂道を東へ上がって行くと、途中の草むらに何やら看板が見えた。
坂道を上がって行くと、ちょっと拓けたところに三条中学校が設置した登山届用の木製ボックスが立っていた。何を今さら登山届という感じだが、ここが八十里越の入口ということらしい。
そこから草刈りされた村道のような道をてくてく東へ辿る。道沿いにはドクダミの花が咲いていた。すぐにY字路地点に着く。そこには文字が彫られた石碑というか、丸石形の標識が設置されていた。刻字は「馬場跡 標高四七〇米」とあり、さらに「左 雨ヶ池*、右 鞍掛峠」とも記されている。ここも以仁王に関連する場所なのだろうか?それとも、昔の馬の放牧地があったところなのだろうか?よそ者ハイカーにはイマイチわからない。しかし、何か面白そうな地名だ。
そこから南東方向へ進んでスギの植林地に入る。このあたりは私有地らしい。少し上り道になってきたのでねくらハイカーのペースは落ちる。気温は25℃。ちょうどいい。

さらに見通しのない山腹道をトボトボ行く。道筋は普通の登山道という感じなので別段問題はない。道沿いの樹木には青やピンクのテープ類が付いている。それからこのあたりには、少ないが雑草に混じってコゴミなども山菜類も生えていた。
さらに樹木が茂っていくらか日陰になった道筋を進んで行くと、そのうちに岩がゴロゴロした傾斜地を登るようになる。このあたりには苔むした岩が階段状に並んでいるところも見られる。
それから草地を流れる細い沢沿いを登るようになる。さらに掘割状の道筋を進む。左上には番屋山が間近に聳えていた。その幾分急峻な感じの山肌を眺めながらトロトロ登って行くと、やがて日陰になった平坦地に着く。そこは番屋山から南西へ派生する小尾根の乗越地点になっていて、例の石標が山側に置かれていた。石標には「椿尾根 標高七三五米」とある。ということは、「椿尾根」という地点らしい。
小休後、さらに南東へ辿る。ここからは大滝沢右岸の山腹道となる。右下に大滝沢の谷を意識しながら進む。このあたりは大体水平道のような感じになっていた。周りは高木が茂っているので展望はほとんどない。それでも右前方の樹間に大滝沢左岸の山尾根もいくらか見えた。
途中、大きな崩落地があった。赤土の崩落斜面には苔なども生えている。近年崩れたところらしい。崩落斜面の上には細い踏み跡が付いているので、そこを上り下りして通過する。
そこを抜けると、再び歩きやすい山腹道になった。木漏れ日の中を快調に進んで行くと、途中、ナラの大木がある地点に立札形の看板(標識)が見えた。看板には「山の神」とあり、傍らに小さなコンクリート製の祠が置かれていた。よくわからないが、吉ヶ平の住民が祀ったものらしい。
歩きやすい幅広の水平道をてくてく行くと、そのうちに斜面を北へ直登するようになる。
そこからいくらか段差状になった斜面を登ってやや東寄りに進んで行くと、山尾根を人為的に開削して切り通しになったところに着く。そこには例の石標とコンクリート製の祠が置かれていた。石標には「番屋乗越 標高八九五米」とあるので、ここが、いわゆる「番屋乗越(番屋峠)」だ。
小休後、この切り通し状の地点を東へ抜ける。すぐに尾根の北側の山腹を歩くようになり、今度は左下に五十嵐川上流部大谷川の谷を眺めながら進む。
途中、傍らのブナの木に目をやると、幹に先人の切り付けがあった。それには「昭和五十六年七月」の日付があり、名前の他に「五十三才」とも彫られていた。もしこの方がご存命なら、現在80歳を超えているわけだ…。
そこからちょっと行くと、山腹道は北東へ延びる枝尾根を乗り越して南へ向かうようになる。ねくらハイカーはその枝尾根のカーブ地点で立ち止まって暫し北の粟ヶ岳方面を眺める。粟ヶ岳は西の方に長い裾野を延ばして悠然と聳えていた。やはり川内山塊の主峰としての威厳と風格を備えている。
ここからは左下(東)に大谷川上流部のブナ沢の谷に目をやりながらやや下り気味に進む。
さらに南へ進むと、樹間が少し開けたところから前方にネットの記録で見覚えのある山尾根が見えてきた。鞍掛峠の稜線だ。これからあの尾根の鞍部付近を越えて行かねばならない。距離的にはまだまだ遠い。これはペースを上げないとマズイかもしれない…。
このあたりの道筋はしっかりしているので概ね歩きやすいが、一部小沢付近の斜面が崩落して切れ落ちているところもある。そこには固定のトラロープが設置されているので、それを補助にして進む。
そのうちに一時的に幅広の道になる。このあたりは何か昔の峠道の面影を残しているようだ。昔の人は重い荷物を背負って脇目も振らずに山腹道をコツコツ歩いたのかもしれない。
そこからまたトラロープが設置された急斜面を横切って行くと、山側がいくらかオーバーハング状の岩壁になったところを通る。そこには「火薬跡」と刻字された石標がポツンと置かれていた。
山腹の道をさらに南西寄りに進む。このあたりからは前方にちょっと目立つピークが見えた。守門岳の北東側に位置する烏帽子山だ。
道跡に沿ってゆるゆる下って行くと、やがて小さな沢を渡る。さらに幅広の道を南へ進む。なだらかな斜面を登ってぬかるみのあるフラットな道を通り抜けて行くと、斜面の下に澄んだ流れの沢筋が見えてきた。ブナ沢らしい。
トラロープがあるところを下って岩がゴロゴロした河原に降りる。標識類はない。ひとまずGPSで確認すると、ブナ沢の上流付近を示した。やはり、ここが高清水沢のようだ。
休憩後、岩の上を歩いて右岸に渡り、南東寄りの方向へ進む。このあたりの広葉樹の森の中にも明瞭な道跡が通っていた。それから、道沿いの倒木や邪魔な木は適当に切られて整理されていた。やはり道普請が行われたようだ。地元の方々がこの八十里越のルートをコツコツ整備しているのは間違いない。
そこから雑草やシダが生い茂る小道をトボトボ行くと、やがて石標と木杭があるところを通る。道の傍らには口部分が潰れたステンレス製の大鍋またはボウルのようなものが棄てられていた。
そこを過ぎて茶屋の上水道に使われていたと思われる小さな清流を跨ぎ南東へ進む。途中、道の真ん中にブナが倒れているところを通る。枝や幹が整理されていないので、最近倒れたものらしい。
石標には「空掘 標高七六五米」とある。ここが、いわゆる「空掘*」という地点らしい。今まで歩いてきた道筋をそのまま南東に進めば、大谷・笠掘方面への道となり、右へ折り返して西に進めば、鞍掛峠への道となる。いずれにしろ、ここからは旧国道289号の点線国道のルートになるようだ。
小休後、右(西)の鞍掛峠方面の道に進む。ここからは旧点線国道のルートとなるが、道幅は今までとほとんど変わらない。ルートはすぐに左へ折れて南方向へ進むようになる。このあたりはブナの大木が多い。昔の伐採時に伐られなかったようだ。
そのうちに山腹道をちょこっと折り返して登って行くと、途中の日陰になったところに大岩が二つあり、その傍らに苔むした石標がひっそりと立っていた。
やがて草が刈り払われた道の折り返し地点にさしかかると、そこには道標や石標が設置されていた。石標には「殿様清水」とある。事前に拝見したネットの記録によると、戊辰戦争の折に長岡藩の藩主や家臣およびその家族がここで喉の渇きを潤したのではないかということだ。「殿様」という名称はそこから来ているのかもしれない*。
湧き水ということなので、石標の東側にある水場で水を汲んでみる。一口味見すると、普通の沢水と違って癖がなく旨い。なるほど、「殿様」と命名されただけはある。
小休後、山腹の道を西へ辿る。道はすぐに南東へ折り返す。これは地形図のルートとまったく同じ。道沿いにはヤマアジサイやサンカヨウが多い。それからコバイケイソウなども多少生えている。このあたりの広葉樹の樹木は密生していて何か原生林のような感じになっていた。道沿いの垂れた樹木の枝や幹を適当に潜りながら進む。
ヤマウドが沢山生えたところを過ぎて急傾斜の山腹横手道を東へ進む。このあたりからは左(北)の樹間に遠く粟ヶ岳方面の稜線も見えてきた。
そのうちに急斜面を南方向へ直登するようになる。ねくらハイカーは少し息を切らしながら登って行くと、ほどなく尾根の斜面が人為的に削られて平坦な草地となったところに出る。そこには石標や標杭そして石の祠があった。
ひとまず休憩しながら東側の斜面に祀られた小さな石祠を見物する。ワンカップの酒や賽銭が供えられた祠には山ノ神の木札が納められていた。石祠は苔むして少々古い感じだ。
休憩後、切り通し状になった峠地点から南東側へ抜けて平坦な道筋を進む。ここからは右下が平石川*の谷になった山腹道を辿る。それから行政区分でいうと、ここから魚沼市(旧入広瀬村**)に入る。
緩い下り道をてくてく行くと、道端に何やら上辺に丸いボッチのある御影石の標石が見えた。これは…、もしかすると水準点らしい…。
そこを過ぎると、山腹道を南へ進むようになる。途中、右前方の樹間に横長な感じのピークが見えてきた。守門岳の東側に聳える「黒姫」という名前の三角点峰だ。それから、右(西)方向には尖った三角峰姿の守門袴腰(1527m峰)が見えた。
前方に黒姫の平頂部を眺めながら平坦な山腹の道を進んで行くと、やがて幅広の左カーブ地点にさしかかる。そこには「小松横手」と彫られた石標があった。傍らには地点名の由来になったらしいゴヨウマツ(ヒメコマツ)も生えている。
そこから山腹道を曲がって岩壁を削ったようなところを通り東へ進む。すぐに広葉樹の樹林帯に入る。
やや疲れた足取りでトボトボ行くと、やがて道標と石標が置かれたところに着く。丸い石標には「田代平*」とある。湿原への分岐地点らしい。今日は時間的に厳しいのだが、ここはちょっと寄り道する。
石標から南西方向へ分岐する道跡を下って行くと、間もなく草が茂って少しヤブめいた感じの湿原に出る。この湿原が、いわゆる「田代平」らしい。湿原には古い木道が敷設されていた。今回は時間がないので、湿原の見物はキャンセルとする。
5分ほどで広場のようなところに出る。奥に車道が見えるので、五味沢林道の終点らしい。この地点には別段標識類はないが、道端に先ほど「空掘」地点にあった国道289号の工事に関する通行止めの案内板が落ちていた。
そこから草が生えた車道を南東へ進む。予定より遅れいるので、ペースを上げてスタスタ行く。そのうちに路面は砂利が多くなってきた。
ここで車道と分かれ、左の草が刈られていない山道に入る。それから少し南寄りに下って行くと、途中、左(東)側に見通しのある地点に出た。そこからは、東に深緑の山尾根が見える。福島との県境になっている尾根のようだ。
そこから低く垂れ込めた樹木の枝や幹を潜り抜けて行くと、草茫々の山腹道を東寄りに進むようになる。このあたりは草が刈られていないので、峠道という雰囲気は微塵もない。
草が茂った道筋にはドブ状のぬかるみなどもある。それから、斜面が一部崩れているところもある。そこは上の草地の斜面に巻いて通過する。
そこからさらに左(東)へ回り込んで行くと、ほどなく人為的に開削されたような山尾根の鞍部地点に着く。そこには石標や標柱などがあった。
ひとまずザックを下ろして一息つく。休憩しながら峠に置かれた石標などを見物する。今までと違って石標は二つあった。北側の石標には「木ノ根茶屋跡*」、南側の石標には「八十里峠 標高八四五米」と彫られていた。
ここは日陰になっていて、風が少し当たる。気温は27℃ほど。佐藤氏はこの付近でも水準点の標石を確認している。野次馬ハイカーも周囲を見回したが、地面に草が生い茂っていて水準点を見つけることはできなかった。
木ノ根峠からはさらに東へ峠道(旧国道289号)が延びている。いわゆる、明治27年(1894年)に開削された「新道」のルートだ。ここからは左下に叶津川支流の木ノ根沢の谷を見ながらの山腹道となる。
時刻は午後2時をまわっていた。これは少しペースを上げないと明るいうちに戻れないかもしれない…。
そんなことをグダグダ考えながら山腹道を抜けて行くと、やがて五味沢林道と合流する。林道終点の広場で少し休憩。林道の日向部分はまだ30℃を超えていた。
鞍掛峠から北側の斜面に下り、山腹道を西へ辿る。下り道ではペースを上げながら行く。さらにブナの多い樹林帯に下り、沢を渡って再びブナ沢左岸の山腹道に上がる。
それから北の樹間に西日に輝く粟ヶ岳の山並みを眺めながら山腹道をトロトロ進んでようやく番屋乗越に辿り着く。そこで草地に腰を下ろして少し休む。気温は23℃くらいになっていた。長く休んでいたいところなのだが、ゆっくりしてはいられない。行動食を補給してすぐに腰を上げる。
そこからまたダラダラ長い山腹ルートを進む。途中のトラロープがある横断箇所を難なく通過し、さらに崩落箇所を上に巻く。暫し早足で行くと、やがて「椿尾根」の地点に出た。時刻は午後6時半。まだ西の空は明るい。日没まで時間があるようだ…。
そして周囲が薄暗くなってきた頃、登山届のボックスが立つ地点に辿り着く。ここまで来ればひと安心。| 日程 | 2010年7月21日 (水) |
| 天候 | 晴れ |
| 行程時刻 | 吉ヶ平山荘(駐車地)6:42→守門岳登山口(吉ヶ平口)6:42〜6:44→(林道を進む)→樽井橋6:45〜6:50→(守門川右岸で休憩2分)→登山届ボックス地点6:58〜7:00→「馬場跡」(Y字路地点)7:03〜7:05→(右の山道へ)→「詞場」7:07〜7:09→(途中、休憩5分)→「椿尾根」8:10〜8:15→「山の神」8:57〜9:00→「番屋乗越(番屋峠)」9:12〜9:20→(途中、休憩5分強)→「火薬跡」9:51〜9:54→小沢(ブナ沢支流)10:10〜10:12→ブナ沢10:23〜10:25→高清水沢10:42〜10:50→「空掘小屋跡(空掘茶屋跡)」10:59〜11:02→「空掘」(三叉路地点)11:05〜11:13→「桜の窟」11:21〜11:23→「殿様清水」11:31〜11:37→(途中、休憩5分)→「鞍掛峠」12:10〜12:20→951.8m水準点12:24〜12:28→(途中、小休あり)→「小松横手」12:45〜12:48→「田代平」(湿原分岐石標地点)13:08〜13:10→(湿原へ寄り道)→湿原(「田代平」)13:12〜13:15→(戻り)→「田代平」(石標地点)13:19→五味沢林道終点広場(林道合流地点)13:24〜13:26→(林道を進む)→木ノ根峠方面入口(林道カーブ地点)13:30〜13:31→(左側の山道へ)→(途中、休憩2分)→「木ノ根峠(八十里峠)」13:58〜14:15→(戻り)→五味沢林道合流地点14:36→(林道を進む)→五味沢林道終点広場14:41〜14:47→(山道を進む)→「田代平」(石標地点)14:52→「小松横手」15:15→951.8m水準点15:31→「鞍掛峠」15:35〜15:40→「殿様清水」16:08〜16:10→「桜の窟」16:16〜16:19→「空掘」(三叉路地点)16:27〜16:29→(左へ)→「空掘小屋跡(空掘茶屋跡)」16:31→高清水沢16:36〜16:37→ブナ沢16:46〜16:49→小沢(ブナ沢支流)16:59〜17:00→「火薬跡」17:14〜17:17→(途中、小休あり)→「番屋乗越(番屋峠)」17:42〜17:50→「山の神」17:58〜18:00→「椿尾根」18:31〜18:35→「詞場」19:05→「馬場跡」19:07→(林道を進む)→登山届ボックス地点19:10〜19:12→樽井橋19:17〜19:18→吉ヶ平山荘(駐車地)19:19 |
| 備考 | ♦八十里越のルートは地形図に描かれた破線道とほとんど同じです。上の行程時刻欄では少々煩わしいので進行方位は省略しました。 ♦この記録は、文中に掲げた山岳関係者の著書以外に、笹川壽夫 編著『新版 会津の峠』(歴史春秋社刊)・誉田宏 著『ふくしまの峠』(不二出版刊)・羽賀一蔵 著『越後佐渡の峠を歩く』(新潟日報事業社刊)やその他のガイドブックの記録および紀行文等を参考にしています。また、HP「私の新潟の山歩き」・「越の山路」・「日本の道」および鵬翔山岳会の記録等も拝見し参考にさせていただきました。 |
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