宿堂坊山(東尾根コース)



 中禅寺湖の西方にある宿堂坊(しゅくどうぼう)山は、昔は日光山伏の入峰(にゅうぶ)修行のルートになっていて、山頂もしくはその近くに泊まり修行をするための「宿(しゅく)」があったということだ。山名はそこから来ているらしい。

 宿堂坊山は樹木に覆われているので展望はそれほどないが、登る人は多い。ネット上には数多くの記録が出ている。最近は商用のツアーコースもあるらしい。この山は以前は柳沢川上流のネギト沢あたりから登られていたようだが、現在は主に東尾根*から登られている。横田氏の『群馬300山』にもこの東尾根のコースが出ていた。

 ねくらハイカーは以前群馬・栃木の県界尾根を歩いたとき、この山に登っている。樹林に覆われた寂しい山という印象しかない。そこで今回は、東尾根のコースから山頂に立って周辺をゆっくり見物してみようと9月中旬頃、奥日光の戦場ヶ原方面に出かけてみた。

[*正確には東北東稜]
「赤沼車庫」バス停付近、東側に駐車場あり  中禅寺湖北岸の国道120号を快調に走行し、赤沼茶屋の先を右に曲がる。そして低公害バス発着所になっている「赤沼車庫」バス停の駐車場に車を入れる。時刻は午前6時前。平日なので広い駐車場はガラガラ。天候は曇り。気温は8℃ほど。少し肌寒い。駐車場から東側に聳える男体山の山容が何とも雄大だ。今日は静かな山歩きが出来そうだ…。

 車の中で準備をしていると、男性の単独者が車に積んできたマウンテンバイクに乗って出発して行く姿が見られた。平日の千手ヶ浜方面へのバスの始発は午前8時過ぎということで、早朝の小田ヶ原や千手ヶ浜には自転車を利用する人が多いのかもしれない。自転車を持っていないねくらハイカーはいつものように徒歩で出発する。

自然研究路入口の道標(国道120号沿い) 樹林帯の中の歩道  赤沼茶屋から国道を横断して戦場ヶ原自然研究路入口の道標が立つ地点から「日光てくてく歩道」の道に進む。

 樹林帯の中の歩道を西へ2、3分行くと、北に湯滝方面への道が分岐する道標地点を通る。そこを過ぎると、すぐに西の小田代ヶ原へ分岐する道標地点となる。ここは小田代方面に進んでもいいのだが、直接車道を歩いた方がよさそうなので、南の龍頭の滝方面に向かう。

石楠花橋付近から車道(市道1002号)に合流  湯川沿いの歩道をてくてく行くと、間もなく石楠花橋の東側に出て車道と合流する。この道路は国道120号から中禅寺湖西岸の千手ヶ浜に通じていて、昔は「柳沢林道*」呼ばれていた。現在は「日光市道1002号線」というそうだ。以前は一般車が自由に通行できたのだが、のちに入口にゲートが設置され一般車通行禁止の有料バス路線となった。

 そこから橋を渡りアスファルト舗装された車道を西へ進む。

[*現在の柳沢林道は、市道の途中から柳沢川沿いに延びる林道部分をいうらしい。]

車道(市道1002号)を西へ  シラカバなどの雑木類にカラマツなどが混じった樹林帯を進んで行くと、西からリュックを背負ったサイクリストがひとり猛スピードで突っ走ってきた。軽く会釈をしてすれ違う。早朝の風景写真を撮りに行った方らしい。今日はもう撤収というわけだ。さらに車道をやや北西寄りの方向にトボトボ行くと、また帰りのサイクリストに遇った。やはり、この道は今は自転車を利用する人が多いようだ…。

 それから、小鳥の啼き声もほとんど聞こえない森の中を早足で進んで行くと、今度は後ろからランクルタイプの四駆車が走ってきた。ゲートを開けて入っているので、地元の関係者らしい…。少し右に寄って通り過ぎるのを待つ。

小田代ヶ原東側入口付近、ゲートあり  そこから少し進むと左に高山への登山道が分岐する地点を通る。このあたりからカラマツの幹に黒いネットが巻かれたものが多くなってきた。

 幕張峠を過ぎて山腹を巻くようになると、道の両側にネットが張られているところがあった。丈が高いので多分シカ用のネットだ。

 さらに少し行くと、右下に小田代ヶ原の草原が見えてくる。草原はすでにいくらか色付いている。そのうちに小田代ヶ原の東側入口付近を通る。歩道の入口には回転扉形のゲートがある。そして、そこから小田代ヶ原の草原に沿って鉄柵が設置されていた。これはシカの侵入を防ぐためのものらしい。

小田代ヶ原の沿って西へ、北側に三岳〜山王帽子山〜太郎山の山並み 小田代ヶ原西側入口、ゲートあり  小田代ヶ原の草原を眺めながらさらに西へ進む。このあたりから北側に三岳から太郎山かけての山並みを眺めることができる。それから北西には、外山から南に延びる支尾根上にある湖上山が威圧的に聳えている。

 車道を進むと、やがて昔の小田代原駐車場の「小田代原」バス停付近を通る。ここの小田代ヶ原入口(西側)にも回転扉が設置されている。14、5年前にここを歩いたときは、このような柵や扉はなかった。どうも、奥日光のシカによる被害は甚大らしい…。

弓張峠付近  シカ用の防護ネットなどを見ながら西へ上り気味に進むと、やがて切り通し状の地点にさしかかる。弓張峠だ。

 峠地点から左下の細い踏み跡*に下ってへピンカーブをショートカットする。

[*昔の破線道のルート]

カラマツ林沿いの車道を南方へ  そこからは外山沢沿いの車道をカラマツの植林地に沿って南方へ進む。

 ところで、このあたりの道端にはシロヨメナ(ヤマシロギク)の花が一面に咲いていた。先ほどの小田代まではシロヨメナ以外にススキやアザミやノコンギクなどの他の山野草も多少混じっていたのだが、ここからはほとんどシロヨメナだけしか生えていない。

シロヨメナ(ヤマシロギク)  以前拝見したネットの記録のよると、シカはシロヨメナを食べないので、奥日光の草原は必然的にシロヨメナだけになってしまうそうだ。つまり、この白い花の群落はシカがつくり出した景観というわけだ。

 周囲のカラマツ林にはネットの巻かれたものが多い。それから、道沿いのカラマツの樹木には樹皮が剥がれたものがある。このあたりはシカの生息数が相当多いのかもしれない。

「西ノ湖入口」バス停付近、右に柳沢林道分岐 柳沢林道入口、遮断機あり  外山沢沿いの道をいくらか下り気味に進む。沢筋に架かる橋を渡ってスタスタ行くと、やがて駐車場がある地点に着く。「西ノ湖入口」バス停だ。

 ここから南西に西ノ湖方面への未舗装道が分岐している。日光森林管理署の看板によると、ここからが柳沢林道らしい。以前はこの林道もマイカーでスイスイ走れたのだが、現在は遮断機のゲートが設置されて一般車の通行ができないようになっている。

カラマツ林沿いの整地された道  まずはバス停駐車場のベンチで一息つき、遮断機のワキを通り抜けて林道に進む。気温は13℃。天気は相変わらず曇りだが、いくらか晴れ間も出てきた。

 黄色い欄干のアザミ橋を渡ってカラマツ林にシラカバなどの雑木類が混じった樹林帯をトボトボ行く。道沿いには西ノ湖や千手ヶ浜方面を示す道標もある。このあたりは路面がきれいに整地されて漫ろ歩きするに最適な散歩コースとなっている。林道というより遊歩道という感じがする。

西ノ湖方面(左)分岐、右が柳沢林道本線 林道を西へ  そのうちに右(西方向)に道が分岐する地点に着く。一見すると林道の支線のように見えるが、右が柳沢川の上流部へ通じる本線だ*。

 ここは右に折れて本線を進む。このあたりのカラマツの植林地は間伐や枝打ちが行われているようで、見通しがある。それから、この林道沿いにもシロヨメナの群落が占拠していた。

[*森林管理署の案内板によると、ここから西ノ湖方面への道は「西の湖林道」というらしい。]

右手の山側に山ノ神  静かな林道を西へ進んで行くと、右手に木の鳥居があり、奥の斜面に石碑が祀られていた。先人の記録によると、山ノ神*とのこと。

 それから左手には、カラマツ林の中に洒落た感じの丸太小屋が見える。営林署の小屋ということだ。

[*千手の森歩道沿いにある山の神とは別物。詳細は不明。]

右カーブ付近から前方に宿堂坊山東尾根のピーク(渡渉点付近)  そこから少し進んで右カーブにさしかかると、柳沢川沿いの道となり、前方に先人のネットの記録で見覚えのあるピークが見えてきた。本日登る予定の東尾根上にあるピークらしい。

 横田氏の記録にあった「警笛鳴らせ」の標識やカーブミラーなどもあるので、多分このあたりが渡渉地点だろう。柳沢川には側面が間伐材になった砂防堰が造られている。

堰付近から対岸へ  天候は回復して西の方は青空が見えてきた。今日はこのまま行けば晴れそうだ。

 さっそく砂防堰の天端部分を歩いて対岸(右岸)に行こうとしたが、川幅が微妙な長さなので飛び越せない。靴を脱ぐのも面倒なので、側にあった岩を適当に流れの中に置いて飛び石伝いで渡ろうと試みたが、結局片足を濡らしてしまった。

右(北)側に尾根状の斜面あり[取り付き点付近(?)]  さて、右岸に渡ってみたものの、先人が付けた目印などは一切ない。「アレ、おかしいな」と思いながらシロヨメナなどが繁茂する草ヤブの平坦地を西へ進んで行くと、前方が樹木の茂った急斜面になった。

 このあたりでは先人たちがどこを歩いているのか皆目見当がつかない。ひとまず斜面を2、3m登ってみる。そこからちょっと右(北)に目をやると、北側が尾根状の地形となっている。

 そこで北方向にトラバースして行くと、右下から上がってくる細い踏み跡があった。それから、傍らの樹木には赤テープの目印が付いていた。ここが東尾根の取り付き点らしい。どうも、ねくらハイカーの渡渉地点は南側に寄り過ぎていたようだ…。

木陰になった急傾斜の尾根ルート、目印あり  そこからは、尾根状の急斜面を西または南西寄りの方向に登る。尾根筋には一部シャクナゲが茂っているところがあり、枝を潜りながら登る。

 傾斜が急なので、体力が衰えたヘタレハイカーはすぐに息が上がってしまった。ちょっと立ち止まって呼吸を整える。上空は大分晴れ渡ってきたようで、このあたりからは木陰になった尾根筋を登るようになる。

 この尾根ルートにはテープ類の他に樹木に古いペンキマークなども付いている。やはり、以前から登られていたようだ。尾根沿いの樹木はカラマツの他にツガやコメツガなどの針葉樹が多い。広葉樹の雑木類にはブナなども混じっている。

 傾斜が急なので、ヘタレハイカーはすぐに休憩タイムとなる。どうも、最近持久力がなくなった。斜面に腰を下ろして休む。休憩場所から右(北)方向の樹間に何やら山尾根が見えたが、どこのあたりの山なのかわからない。

 そこから再び急傾斜の尾根を登る。尾根沿いには倒木などもあるが、それほど邪魔にはならない。笹などは生えていないので歩きやすい。しかし傾斜は相変わらず急で、途中、何度も立ち止まりながら登る。

 地面を見ながら登って行くと、シカ道のような道跡が水平に走っているのが確認できる。やはり、このあたりもシカが多いらしい。そのうちにいくらか広尾根っぽい斜面になってきた。先人の目印も途切れることなく付いているので迷うことはない。ねくらハイカーのような粗忽者には誠にありがたい。
左後方(東)の樹間に中禅寺湖  広尾根状の斜面を南西寄りの方向に登って行くと、そのうちに左後方(東)の樹間に中禅寺湖や男体山が確認できるようになる。

 運動不足のヘタレハイカーは我慢できずに途中でまた休憩タイム。どうも、長つづきしない。気温は15℃。木陰の下は結構涼しい。今日は湿気がないので快適だ。

ブナやダケカンバなども混じる尾根沿い  そこから古い倒木などを見ながら急傾斜の樹林帯をトロトロ登る。左後方には相変わらず中禅寺湖が確認できる。

 ダケカンバなどの雑木類が多い樹林帯でちょっと立ち止まると、右(北西)からひんやりした風が当たった。このあたりは樹木が茂っている割には風が通る。

少し開けた笹地の急斜面、古い倒木あり 右(北)側の樹間に山の稜線[白根隠山(2140P)付近]  そのうちに丈の低いミヤコザサの斜面を登るようになった。笹はシカに食べられているようで、かなり疎らに生えている。さらに防火帯のような少し開けた急斜面を登る。そのあたりから右手(北)の樹間に赤錆色のガレ場がある山の稜線が見えた。方向からすると、奥白根あたりだ*。

 それから、近くの立ち枯れの古木に目をやると、ガリガリに砕かれたような痕があった。やはり黒いヤツもいるようだ…。これは鈴を鳴らした方がいい。

[*あとで確認すると、白根隠山(2410m峰)付近の稜線。]

展望のある笹地[1750m付近(?)]から南東方向、茶ノ木平〜黒檜岳付近の稜線  そこから10mほど登ると、左側の笹地が少し開けていて、南東方向の山尾根が見えた*。方向からすると、黒檜岳あたりだろう。その左方向には中禅寺湖と南岸尾根の稜線も望める。

 それから、黒檜岳からずっと下側に西ノ湖の一部がチラリと見えた。この尾根ルートはほとんど樹木に覆われているので、展望はこれくらいで満足するしかない。

 [*後日、先人の記録などを参照して推測すると、この展望地は地形図の等高線で1750mあたりの尾根付近。]

倒木などがあるコブ地点[1802m付近(?)]  そこからは傾斜がいくらか緩くなる。樹木はツガやコメツガなどの針葉樹が多くなり、日陰の尾根ルートとなる。そのうちに窪地が現れ、一時的に尾根が二つに分かれる。右側の尾根を登って行くと、やがて窪地は消えて幾分フラットな広尾根となる。

 このあたりの針葉樹の林の中には苔むした倒木があって、原生林のような雰囲気が漂っていた。

 そうこうするうちに古い倒木があるコブ地点を過ぎる。どうも、このあたりが1802m地点のように思えるのだが、先人の目印等が付いていないので、何とも確認しようがない…。

原生林のような尾根ルート  そこからちょっと下り再びフラットな広尾根の緩斜面を南西寄りに登る。相変わらず苔むした倒木が多い。樹木にはビニール紐などの目印が付いているので、ルートに不安はない。

 左に黒檜岳、左後方に中禅寺湖・男体山を樹林越しに確認しながら登って行くと、上の方からひょっこり中年の男性ハイカーが下ってきた。朝一番で登った方らしい。この単独者の服装は薄手の半袖シャツと至って軽装で、熊除けの鈴も付けていない。

 ねくらハイカーはすれ違い際に「山頂まであとどれくらいですか?」と尋ねてみた。すると、男性はすげなく「目印があるから迷うことないよ」とひと言応えて、北東方向に下って行った。何かメモ帳に書きながら歩いている。かなりラフな格好なので、山慣れした地元の方かもしれない…。

山頂部東側の笹の斜面  山頂までどれくらいかわからないが、ねくらハイカーは再び原生林のような斜面をノロノロ登る。

 そのうちに傾斜が少し急になり、西方向へ登るようになる。そして針葉樹主体から広葉樹が混じる樹林帯となり、尾根沿いは笹地に変わる。

 さらに登りつづけると、いくらか開けた感じになってきた。そろそろ山頂らしい…。先人の記録に出ていた笹原の斜面だ。

宿堂坊山の三等三角点標石 宿堂坊山山頂、標識・標石等あり  さらに丈の低い笹の斜面をゆっくり登りつめて行くと、やがて古い山名板の標識類が何枚も表示され標石類が埋設されたピーク地点に出る。

 宿堂坊山の山頂(1968m)だ。

宿堂坊山の御料局三角点標石  宿堂坊山の山頂には三等三角点の標石以外に「御料局三角點」と刻字された標石が埋設されている。これは明治時代に宮内省の御料局(のちの帝室林野局)が設置した標石ということだ*。やはり皇室御用達ということで、黒御影の標石は上辺の角が面取りされていて、何か気品と風格がある。それに対して、傍らの国土地理院の標石はちょっと地味で野暮ったく感じられる。

[*明治時代、奥日光の山林は皇室が所有する御料林となっていた。この御料林で得た収入は皇室の主要な財産となっていたそうだ。宮内省御料局は御料林を管理するため、陸軍参謀本部の陸地測量部が設置した一等・二等三角点を基準にして測量を行い、皇室の領地内に「御料局三角点」を設け標石を埋設した。戦後、御料林は国有財産(国有林)となり、林野庁管轄下の各森林管理署が管理するようになる。よくはわからないが、御料局三角点の標石はそのまま山野に残置され現在に至っているようだ。]

山頂から東尾根方向、傾斜地にスペースあり  ところで少し古いガイドブックなどによると、宿堂坊山の山頂付近には修験者が泊まる宿があったのではないかということだが、山頂地点を観察すると、ちょっと狭い感じで宿坊が建つスペースはなさそうだ。

 建物が建つところといえば、山頂から東尾根を少し下ったあたりや南東側の林の中にある小さな平地が考えられる。本当にこの山頂付近に建物があったかはわからない。

 宿堂坊山などの日光連山を巡る「夏峰(補陀洛夏峰)」の入峰修行は厳しすぎて遭難者が続出したため、中世期の天正年間に途絶したらしい。それ以来夏峰の巡礼修行は行われていないとのこと。やはり、今から400年以上前にあったという宿坊の痕跡を探ることは不可能のようだ。

山頂から北側の樹間に奥白根(中央)・白根隠山(右)あたりの山並み  宿堂坊山の山頂は樹木が茂っているので展望はないが、北側の樹間に奥白根(日光白根山)の山並みが確認できる。

 夏峰の入峰修行はここからさらに錫ヶ岳やあの奥白根方面に歩かれたようだが、残念ながらそのルートは不明だ。

 日光修験道の知識がない者が夏峰修行のことをあれこれ考えてもしょうがない。休憩後、西側のネギト沢の鞍部に下る。鞍部付近にはその遺物があるらしい…。

西側への下り、目印多数あり 前方(西)の樹間に1991P方面  コメツガやシラビソなどが多い樹林帯を最初は北西方向へ進み、すぐに県境が通る西側に下る。樹木に打ち付けられた四角や丸形の標識類を頼りに急斜面を下って行くと、笹が深くなってきた。笹の中には倒木もある。ここで平成の盆暗ハイカーは左の群馬側に下り過ぎて目印を見失う。

 そこで斜面を右(北)に戻りながら下って行くと、前方(西)の樹間に山のピークが見えた。西側の県境に聳える1991m峰らしい。

ネギト沢の鞍部(ネギト沢のコル)、標識類あり  さらに腰丈ほどの笹地を下って行くと、標識類の目印が沢山表示された笹原に降りる。青いブリキ板には水場を示す文字も見える。ここがネギト沢の鞍部(ネギト沢のコル)だ。標高は地形図の等高線で1840mほど。

 実のところ、ここで昔の宿に関連する石祠*を見物することが今回の山歩きの目的のひとつでもある。以前、県界尾根を歩いたときは石祠を確認していない。野次馬根性のねくらハイカーは、岡田敏夫氏や増田宏氏の著書を拝読し、是非とも石祠を見物したいと思って今回やってきた。

[*上州武尊山や足尾山塊の地域研究で著名な岡田敏夫氏が、かつて根利山で仕事をしていた関係者から宿堂坊山付近に古い石祠があることを聞いた。岡田氏はそれに興味を持ち、単独で宿堂坊山に登り何度か調査した。しかし石祠は見つからなかった。そこで岡田氏は、昭和六十二年(1987年)五月に友人の増田氏らを誘ってこのネギト沢の鞍部付近を探査したところ、遂にその石祠を発見した。そして、石祠に付けられた青銅製の扉には、関係者から聞いた通り、山伏修験者の名前や弘治二年(1556年)六月の日付が彫られていた。]

 相変わらず笹が鬱蒼と茂っていて人工物があるような雰囲気ではない。ネットで拝見した先人の記録によると、石祠は鞍部の西端付近に笹に埋もれているということなので、西側の1991m峰への登り斜面付近を暫く探してみた。しかし、それらしきものはない。

 仕方がないので、栃木側のネギト沢の方に下りながら笹の斜面を手足で払いながら探してみる。しかし、祠らしきものは一切ない。もしや祠地点に目印を付けてくれた奇特な方がいるかもしれないと考え、周囲の樹木を見回す。しかして、水場と登山ルートを示す標識以外何もない。最近はこの群馬・栃木の県境を縦走する方が多いようだが、石祠に興味がある人は少ないのかもしれない…。
鞍部西側付近から東方向に宿堂坊山山頂部 鞍部南側付近から南方向に1970P〜三俣山の稜線[小ズーム画像]  鞍部付近の笹地一帯をうろちょろ歩き回っていると、時折樹間越しに遠くの山々が見える。東方向には先ほど登った宿堂坊山山頂部、南には三俣山あたりの山影が確認できる。

 それから南西寄りの方向には、樹林越しに遠く皇海山の山影もチラリと見えた。北側の樹間には白根隠山や白桧岳(白根隠西峰・2394m峰)を眺めることができる。祠探しで笹原を無駄に歩き回ったが、この樹林に覆われた鞍部から遠方の山々を確認できたので少しはマシだ。

ダケカンバの根元付近に四角い自然石のようなものあり 笹を掻き分けると、石祠[男嶽金剛堂石祠]あり  20分ほど歩き回ったが、どうしても見つからない。岡田氏の記録では登山道のすぐ傍らにあるということなので、再び標識類が沢山付いた鞍部地点に戻り、そこから県境の尾根筋を西へ進んでみる。

 すると、標識地点から5、6mほど西へ行った栃木側のダケカンバの木の根元付近に苔むした石祠の屋根部分が見えた。「宿堂坊山の石祠*」だ。

 祠は県境登山道から1mも離れていない。なぜ、今まで見つからなかったのか不思議なくらいだ。樹木と笹に隠れて、一見すると苔むした自然石に見える。視力が衰えた老い耄れハイカーは見つけるのに20分もかかってしまった。これは、どうも、歳のせいらしい…。

[*岡田氏らは、この石祠の扉を持ち帰って表面に彫られた文字を委しく判読したところ、石祠はかつて日光山伏が行った夏峰の入峰修行のルート上にあった行場宿のひとつ、「男嶽(おだけ)の宿」を示すものとわかった。つまり、今まで不明だった夏峰の入峰修行の宿のひとつがここで明らかとなる。]

複製品の銅製の扉、刻字あり  ひとまず、岡田氏がのちに取り付けたという複製品の扉(銅製)を見物する。表面右扉には「奉献 男嶽金剛堂石社之扉」とあり、表面左扉には「弘治二丙辰年六月 新造 昭和六十三年戊辰年十一月 再造」とある。

 ということは、この複製品の扉は発見の翌年(1988年)の秋に取り付けられたようだ*。興味本位に扉を開けてみると、中に一円玉や五円玉が供えられ、赤錆びた鉄板のようなものが入っていた。やはり、この祠を見つけて賽銭を供える登山者または登拝者がいるようだ…。石祠はそのまま笹に埋もれていてもいいのだが、昔の日光修験道に関わる遺跡なので一見する価値はある。ねくらハイカーは、ちょっと目障りになるが、側のダケカンバの小枝にテープの目印を付けた**。

[*本物の弘治二年の青銅製の扉は、現在、栃木県の博物館に保管されているということだが、詳細は不明。]
[**ところで、この記録を10月にアップする直前にネットで現在精力的に標石等の探査をしておられる山部氏の記録を拝見したところ、9月下旬にちょうどこのあたりを歩かれておられ、その際、この石祠の周囲の笹刈りをされ整理されたとのこと。これで視力が衰えた者も簡単に石祠を見つけることができるようです。]

鞍部北側の緩斜面、樹木にネギト沢の水場への目印あり  石祠を見物できたので、今日の目的はほぼ達した。帰りは同じルートを戻ってもよいのだが、以前から宿堂坊山への登路になっていたらしいネギト沢を下ることにする。横田氏も帰りはこのルートを下っているので、それほど難しくないようだ。多少足元が濡れるのを覚悟すれば何とかなるだろう…。

 県境の尾根地点から栃木側の水場を示す標識が付いた樹木付近まで笹地を下る。この付近は平地っぽくなっていて、宿の建物が建つのに最適な感じがした。

ネギト沢源頭付近、湿った土の斜面 沢筋に溜まり水(ネギト沢の水場?)  そこから谷筋を北西に下る。このあたりは笹が薄く歩きやすい。そのうちに湿気のある土の斜面となってきた。ネギト沢の源流も近い感じだ。

 いくらかぬかるみのある凹地の斜面を下って行くと、やがて溜まり水があるところが見えた。このあたりがネギト沢の水場らしい。鞍部地点から大体7分ほど。

ネギト沢を下る  そこから沢沿いを北東方向へ下るようになる。最初は左岸の斜面に巻いて下ってみたが、沢筋が歩きやすい感じなので、そちらを下る。

 ネギト沢の水量は少ない。沢歩きが苦手な者でも簡単に沢筋を辿ることができる。暫し沢床付近を浮石に注意しながら下る。

 沢の源流部から10分ほど下ってみたが、依然として水量は少ない。さらに小さな段差がある小滝を左右に巻きながら下る。

この下に5mほどの小滝あり(右岸高巻き可能)  倒木のあるナメっぽい沢床を過ぎると、両側がいくらか狭まりV字谷を下るようになる。このあたりは斜面が急峻なので、巻くとなると大変だ。

 落差のある滝がないように祈りながら下って行くと、次第に両側が切り立った崖状の斜面となってきた。そしてそこから少し下ると、下側が高さ5mほどの小滝となっていた。

 これは右岸の斜面に巻いた方がよさそうだが、かなり傾斜が急なので相当高く巻かないと通過できない。そこで滝の上から下を覗いてみた。すると、中段に歩行可能な岩場がある。そして岩場の右岸には下降可能なルートが見える。これは左岸を上手く滝の中段部まで下れば、通過できそうだ…。

 沢登り経験者なら簡単に下れる滝だが、沢登りが苦手なねくらハイカーは補助ロープを使う。滑落しないように時間をかけてゆっくり下る。左岸を何とか中段部まで下り、そこから苔が生えた岩場を滑らないように慎重に歩いて右岸へトラバース。さらに崖際を下って滝の下に降りる。
ふり返り、下ってきた2段5mほどの小滝(高巻き可能)  沢登りの人なら1、2分で下れる滝を、凡人ハイカーは5分以上かけて下った。ひとまず、右岸の河原で一息入れる。そこから小滝*をふり返ると、水量が少なく誰でも簡単に下れそうに見えた。ねくらハイカーは沢登りの技術も装備もないので、これは仕方がない…。

[*この滝はネギト沢の源頭から林道(廃道)へ降りるルートで一番下側にある。後日、ネットで沢登り関係者の記録などを拝見したところ、「4段10m」という滝らしい。しかし、25年以上前の記録なので何ともいえない。増田氏の著書の略図では2段8mまたは5mの滝のようだが、これまた不明。]

いつの間にか幅広の平坦地(柳沢林道上流部分)を北東へ  そこから倒木などが散乱する荒れた谷あいを北東へ進む。2分ほど下ると、シロヨメナの群落があるところを進むようになる。そこには釣り人が歩くような明瞭な踏み跡が付いていた。

 さらに2分ほど行くと、いつの間にか幅広の林道状の平坦地を進むようになった。アレ、これは柳沢林道の廃道部分*を歩いているようだ…。時刻は12時半。ということは、ネギト沢の鞍部から休憩時間も入れて40分くらいで柳沢林道に降りたことになる。

[*横田氏や増田氏の著書では、柳沢林道がネギト沢沿いを通る延伸部分(現在廃道)を「ネギト沢林道」と呼んでいる。この記録では柳沢林道とする。]

崩落箇所あり(通行可能)  ネギト沢右岸をさらに北東へ進む。途中には斜面が崩落した箇所がある。

 以前歩いたときより崩落が進んでいる。しかしながら林道の通行は可能。所々に黄色いテープの目印が付いているので、依然としてこの林道を歩く人がいることは確かだ。

両側が崖になったへピンカーブ 第14号橋付近  そのうちに斜面が切り開かれて両側が切り通し状の崖になったヘアピンカーブを過ぎる。そして西へ進み、ガードレールの欄干が黄色く塗られた橋でネギト沢を渡る。

 ところで、橋の銘板を見ると「第14号橋」とあった。以前ネットで拝見した記録によると、宿堂坊山の北尾根付近を下る場合、どうも、このあたりへ降りるらしい…。

ネギト沢左岸沿いの林道を北東へ  そこからまた荒れた林道を進み、壊れたコンクリート橋で小沢を渡る。さらにネギト沢左岸の平坦な道を北東へ進む。このあたりは法面が石垣になっていて、昔の林道の面影が残っている。しかし、所々に斜面の崩落箇所があり、廃道化が進んでいる。

 途中、倒木などがある荒れた路面を東方向に進むと、前方の樹間に男体山が見えた。そこから少し北方向へ進むと、左手にコンクリートの擁壁がある。以前はここに赤岩滝方向を示すペンキ書きがあったが、今回は消えていた。代わりに赤岩滝方向を示す黄色い矢印が書かれていた。

柳沢川渡渉地点(流失橋地点下流側)
 そこから崩れかかった斜面を右下(東)に下って、柳沢川の渡渉地点となっている河原に降りる。川の水量は少ない。飛び石伝いで対岸に渡る。

柳沢川左岸の林道を南東へ
 そこから柳沢川左岸の林道をトボトボ行く。気温は19℃。秋とはいえ、まだ夏の日差しが残っている。日向に出ると、少し暑い。

朝の渡渉地点付近
 時刻は午後1時をまわったくらいで別段急ぐ必要はない。シロヨメナの花を眺めながらダラダラ南東方向へ歩いて行くと、やがて砂防堰のある朝の渡渉地点に着いた。

 今日は時間的に早いので、帰りはバス利用が可能だ。山ノ神に軽く手を合わせ、カラマツ林の中の林道を東へ進む。林道の分岐地点からは、「千手ヶ浜」バス停から始発に乗ってみようということで、右へ曲がる。西ノ湖への道(西ノ湖林道)を歩いて行くと、途中、5、6人の散策者とすれ違った。西ノ湖からの帰り客らしい。北の「西ノ湖入口」バス停へ行くようだ。

 ねくらハイカーは「千手ヶ浜」バス停をめざすということで、南の西ノ湖の方へ進む。早足で進み、柳沢川に架かる吊橋の手前を左に曲がって細道に入る。以前は作業道だった植林地の道も今回は敷石の遊歩道に変わっていた。それから、ちょっと洒落た感じの木橋(新外沢橋)で外沢川を渡り、市道のアスファルト道を西へ進む。

 途中、左手にある大学村の方を覗いてみたら、「草加市立奥日光自然の家 入口」という看板がある。昔の大学村の敷地は今は草加市の所有となったらしい*。ということは、この千手ヶ原や千手ヶ浜は草加市近辺の市民が訪れる憩いの地となったわけだ…。

[*後日、ネットで調べると、昭和六十一年(1986年)に草加市がこの「奥日光大学村」の施設を無償で譲り受けたそうだ。それ以来、草加市やその近隣の住民が低料金で泊まれる宿泊施設として使われているらしい。一般者も利用できるそうだが、草加市の教育委員会に予約の申し込みが必要とのこと。]
 そこから、足早に東へ進むと、トイレと休憩所の東屋がある「千手ヶ浜」バス停に着く。時刻は午後2時15分ちょうど。2時台のバスに乗り遅れないようにここまで飛ばしてきたわけだが、バス停の時刻表を見ると、午後1時台は13時40分発、2時台は14時45分発とある。あと30分もある。これなら、西ノ湖付近を散策できたわけだが…、まぁ、仕方がない。

 バス停には若い男性サイクリストが案内板などをジロジロ見ていたが、そのうち自転車に跨り小田代ヶ原方向へ走り去って行った。ねくらハイカーはひとり東屋のベンチに腰掛けて休む。森の中の静寂が何とも心地よい。

 それから20分くらい経つと、行楽客やハイカー合わせて10人ほどが三々五々バス停に集まってきた。西ノ湖や千手ヶ浜周辺を散策してきた方らしい。奥日光ということで、平日でも人出が多い。

 さらに5分ほど経つと、定刻通りバスがやってきた。誰も乗っていないので、降りる人はいない。さっそく乗り込み、発車を待つ。発車時刻を1、2分過ぎてハイブリットバスは静かに動き出した。先ほど急いで飛ばしてきた直線道路をゆっくり西へ走る。「西ノ湖入口」のバス停では、先ほど西ノ湖への道ですれ違った人たちが乗り込んできた。

 そこからバスは北へ走ると、途中、南へ歩く緑色のジャージを着た学生の集団とすれ違った。どうも、これは草加市近辺在住の中学生らしい。多分、「奥日光自然の家」へ行くところだろう。学生は5、6人ほどにグループ分けされて、まるで投降中の歩兵連隊のように隊列を組んでゾロゾロ林道を歩いてくる。総勢100人くらいはいるようだ。グループとすれ違うたびにバスはノロノロ止まりそうな速度になる。この学生たちは土日をここで過ごして自然学習とやらをするのだろうか?千手ヶ原も今は恐ろしく賑やかなところとなったようだ…。

 それからバスはノロノロ進み、「小田代原」のバス停では20人以上が乗り込んできた。乗客の中にはプロ仕様のカメラや三脚を抱えた方もいる。小田代ヶ原を訪れる人は昔も今も相変わらず多い。何とか全員座れたようで、10分ほど停車してバス停を後にする。途中、小田代ヶ原から見える周囲の山並みを説明するアナウンス音などを聞き、バスは歩行者やサイクリストが通る市道をゆっくり走って赤沼車庫へ進んだ。

 今回は東尾根を辿って宿堂坊山に登ったわけだが、やはり展望はほとんど得られなかった。しかし、どうにかネギト沢鞍部の石祠が見物できたのでヨシとする。

日程2009年9月11日 (金)
天候曇りのち時々晴れ 尾根上は北西寄りの微風
行程時刻赤沼車庫駐車場6:28→戦場ヶ原自然研究路入口(R120赤沼茶屋付近)6:30→湯滝方面分岐[赤沼分岐]6:33〜6:34→(直進)→小田代ヶ原方面分岐6:35→(湯川沿いを南へ)→石楠花橋(市道合流地点)6:41→(市道を西へ)→高山方面分岐6:57→小田代ヶ原東側入口7:05〜7:06→「小田代原」バス停(小田代ヶ原西側入口)7:12〜7:13→弓張峠付近7:19〜7:20→(南へ)→からさわ橋7:43→外沢橋7:49→「西ノ湖入口」バス停[柳沢林道分岐]7:53〜7:56→(林道を南西へ)→アザミ橋7:57→西ノ湖方面分岐8:03〜8:06→(西へ)→柳沢川渡渉点(砂防堰付近)8:16〜8:20→(右岸でルートミス、タイムロス3分)→東尾根取り付き点付近8:26→(西または南西へ)→(途中、休憩4回計15分強)→南東方向小展望地(1750m付近?)9:33〜9:40→(途中、休憩3分)→宿堂坊山山頂10:20〜10:55→(北西へ)→(西へ)→(途中から南西側へ下りルートミス、タイムロス4分)→ネギト沢の鞍部11:10〜11:46→(谷筋を北西へ)→ネギト沢源流部水場付近11:53→(北東へ)→(途中、滝の下降でタイムロス5分、休憩10分弱)→柳沢林道(廃道部分)合流地点12:28(?)→(北東へ)→(ヘアピンカーブから西へ)→第14号橋12:40〜12:42→(北東へ)→(北へ)→柳沢川渡渉点(流出橋地点下流側)13:10→(林道を南東へ)→第8号橋13:31→朝の渡渉地点(砂防堰付近)13:43→(東へ)→西ノ湖方面分岐13:53→(「西の湖林道」を南へ)→吊橋手前付近(1303m地点)?:? →(歩道を北東へ)→新外山沢橋14:02→(市道を東へ)→「千手ヶ浜」バス停14:15〜14:47→(バス乗車)→「赤沼車庫」バス停15:16→赤沼車庫駐車場15:17
備考♦この記録は岡田敏夫 著『足尾山塊の山』(白山書房刊)・増田宏 著『皇海山と足尾山塊』(白山書房刊)・横田昭二 著『私が登った群馬300山』(上毛新聞社刊)の記録・論考等を拝見し参考にしています。それから、栃木在住の方々のサイトの記録やHP「すうじいの時々アウトドア」内の柳沢川ネギト沢(下降)の遡行図等を拝見し参考にさせていただきました。
♦ネギト沢鞍部の石祠については桐生山野研究会の「宿堂坊山の宿跡と石祠」(※リンク切れの場合あり)をご覧下さい。

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