菅塩沼から唐沢山・天王山



 一等三角点に関する書籍によると、群馬県内には一等三角点の山が8座あるそうだ。ねくらハイカーが居住している東毛地区には「唐沢山*」という山に一等三角点が設置されているらしい。

 さっそくネットで調べると、桐生市や太田市在住の方々のよる詳細な記録が出ていた。標高も300m未満ということで、ねくらハイカーのような低山徘徊派にはぴったりな感じだ。そこで今回はそれらの記録を参考にして、太田市金山(かなやま)北西側の八王子丘陵にある唐沢山に登ってみようと1月上旬頃出かけてみた。

 先人の方々の記録によると、唐沢山は国道50号沿いの桐生市側から登れば短時間で山頂に行けるそうだ。しかし、このあたりは太田市側の山麓がいろいろ整備されているらしい。それから、帰りに寄りたいところもあるので、今回は太田側から登ることにした。

[*唐沢山という名前の山は全国各地に数多くある。東毛地区では栃木県佐野市田沼町にある唐沢山が比較的有名。ここは「太田唐沢山」とでも呼んで区別した方がいいのだが、一等三角点ピークということで、そのまま「唐沢山」とする。]
国道50号只上西の出口交差点付近から八王子丘陵方面  唐沢山はねくらハイカーの家から20km以内ということで、朝のラッシュ時間帯を避けて少し遅めに家を出る。太田市側の登り口まで県道をトロトロ走ってもいいのだが、ここは単純に国道50号を突っ走る。

 足利市の市街地を過ぎて左(南)に金山の丘陵を見ながら快調に走行すると、北西方向の地平線上に低い山並みが見えてくる。本日めざすところの唐沢山がある丘陵だ。

 ねくらハイカーは、車で国道50号を西へ走行するときにいつもあの山並みを眺めていたわけだが、一等三角点があるとは今までまったく気づかなかった。今日改めてあの丘陵に一等三角点峰があったことを再認識する。

 国道50号から只上西の出口交差点を左折して県道39号(足利伊勢崎線)を西へ走る。丸山薬師付近からは右上に八王子丘陵の東端部が間近に見えてくる。関東地方の里山ということで、麓付近にはゴルフ場がある。

 交通量が多い県道を西へ走行すると、そのうちに北関東自動車道のガードを潜る。北関東道は車が走っていた。どうも国道50号の西側付近まで開通しているらしい*。世情に疎いねくらハイカーは、最近の道路状況の変化には驚かざるを得ない。

[*後日ネットで調べると、北関東自動車道路は2008年3月に関越道の高崎JCTから国道122号沿いの太田桐生ICまで開通したとのこと。2011年には群馬・栃木・茨城を結ぶ全線が開通するそうだ。]
菅塩へ向かう町道から北東方向、奥左端に天王山、奥中央部に菅塩峠  県道の途中から右に曲がって山際の町道を走れば簡単に登り口に行けるのだが、ねくらハイカーはこのあたりに精しくないので、そのまま県道を進む。

 団地の入口付近を過ぎて東武桐生線の踏切を渡り、次の石橋十字路交差点を右折して県道78号(太田大間々線)に進み北西へ走る。そして強戸(ごうど)小学校付近を過ぎ、次の信号を右に曲がり菅塩(すがしお)町方面に向かう。桐生線の踏切を再び渡り返して行くと、前方に八王子丘陵東側の山尾根が見えてきた。

 交通量の疎らな町道をゆっくり走り、北関東道のガードを潜る。さらに交差する側道を横切って丘陵麓の菅塩地区に進む。途中、路肩に停まって写真を撮る。唐沢山は右の方にあるようだが、どれなのかイマイチわからない。どうも、このあたりから唐沢山は見えないようだ。地形図を参照すると、正面左側に見えるピークが四等三角点のある天王山らしい。

菅塩沼西岸付近、左(西)側にトイレ・駐車場あり  堀沿いの細い町道をさらに奥に進んで行くと、やがて溜池のような小さな沼があるところに着く。登り口の菅塩沼らしい。左の山際に小ぢんまりとした感じのトイレと駐車場がある。付近は何か穏やかで静かなところだ。今日はここから唐沢山に登る。

 沼の周囲には桜も植えられているので、春先は花見でに賑わうところなのかもしれない。町道の奥には乗用車が2、3台停まっていた。地元の方が作業をしているようだ。何か魚獲りでもしているように見えるが、よそ者の凡人ハイカーには何をしているのかわからない。

 ねくらハイカーは一般者ということで、トイレの側の駐車スペースに車を停める。トイレの脇には「上州太田ビオトープの里」という看板が設置されていた。看板には散策道のルートがいくつも描かれている。近年、太田市がこの付近一帯を環境整備しているらしい。

林道兼散策道入口付近のゲート  今回は標高300m以下の低山ということで、山歩きのザックではなく、小さなワンショルダーにペットボトルの飲み物を入れ、遠足気分で出発する。気温は5℃ほど。冬場の里山歩きにはちょうどいい。

 まずは散策道に沿って沼の西岸を北東へ進む。すぐに散策道を兼ねた林道のゲートを通る。チェーンで封鎖できるようになっているが、常時開いているようだ。太田市が設置した「犬のフンに注意!」の貼り紙標識もあるので、このあたりは町民の散歩コースになっているのかもしれない。

「東屋・展望台まで450m」道標地点  右に木道のようなものがつくられた湿地のぬかるみを眺めながら行くと、道標があった。右(東)方向を示して「東屋・展望台まで450m」とある。

 ここから右へ散策道を辿れば、展望のあるところに行けるのかもしれない。ねくらハイカーは桐生市との境になっている峠地点へ向かうということで、ここは林道を直進する。

 傍らの樹木には群馬県が設置した「イノシシ注意」の貼り紙標識も付いていた。やはり里山ということで、イノシシによる被害があるようだ。

東屋や炭焼き窯がある道標地点(左に遊歩道分岐)  そこからちょっと行くと、また道標があった。それには「東屋・炭焼窯まで160m」とある。こちらの林道も散策コースになっているらしい。

 そこでまたトコトコ行くと、傍らに東屋がある道標地点に出る。道標には左(北西)方向を示して「この先500m遊歩道終点」とある。多分ここが先ほどの道標にあった「東屋・炭焼窯」地点だろう。

 先人の記録によると、ここから左の道を行けば、地形図に峠道のルートが描かれた桐生市との境の鞍部へ行くそうだ。

炭焼き窯(?)  東屋の後ろの方にトタン板張りの建物がある。近づいて行くと、中に盛土状の窯があった。これが炭焼き窯だろうか?炭焼き用にしてはちょっと小奇麗で、何か展示用につくられたように見える。これも何か「太田ビオトープの里」の関連施設という感じがする。

 ここは桐生市との昔の峠地点をめざすということで、林道に沿ってそのまま北東へ直進する。

道標地点あり、左に遊歩道、右に北金井合流部  そこからまたちょっと進むと、道標がある分岐地点に着く。左には「この先500m遊歩道終点」とあり、右には「北金井合流部まで350m」とある。

 これは、右に行けば北金井町にあるキャンプ場からの散策道と合流するのかもしれない。よくわからないが、ねくらハイカーは市境をめざすということで、ここは左側に進む。

前方に窪地あり、左上へ  スギ林で日陰になった谷あいの道を行く。路面には深めの轍がついている。どうもこのあたりはじめじめしてぬかるみになっている感じだ。山腹の斜面にはシダやコケ類も多い。

 左に小さな竹林などを見て、ヒノキの植林地を進んで行くと、前方が窪地のようになったところに出る。窪地は行き止まりのように見える。左上(北)に明瞭な道跡が付いているので、そちらへ進む。

桐生市との境、「菅塩峠」  少し雑草が生えてヤブめいた坂道を上がって行くと、やがて両側の斜面が切り立って掘割状になったところに着く。

 ここが昔の広沢村と強戸村を結んでいた山道の峠地点だ。昭文社の都市地図『桐生』では、現在桐生市と太田市の市境となっているこの鞍部付近に「菅塩峠」と表記されている*。周囲は何か人為的に開削されたような地形となっている。そして如何にも昔の村落を結んでいた道の峠という雰囲気がある。

[*現在の二万五千分の一地形図ではこの鞍部に峠道は描かれておらず、こことは違う西側の市境鞍部に峠道のルートが描かれている。ちなみに昔の陸測の五万分の一地形図『足利及桐生』では、この鞍部に峠道の実線が描かれている。標高は地形図の等高線で190mほど。]

峠から桐生側、薄っすら道跡あり  この峠から北側の谷筋にも緩い掘割状の道跡がつづいている。現在の広沢六丁目あたりへ行く道らしい。往時には結構人の往来もあった感じだ。

 峠付近にはビニール紐やテープ類の目印が沢山付けられていた。それから、ペンキマークや事前にネットで記録を拝見させていただいた楚巒山楽会の黄色い樹脂プレートもあった。現在は遊歩道を歩いてここへ来る人が少なからずいるようだ。

市境になっている雑木林の尾根道  ねくらハイカーはここから太田市と桐生市の境界尾根を辿って唐沢山に向かう。まずは右(東)の斜面に取り付く。

 踏跡がある桐生側から急斜面を攀じ登ると、すぐに緩やかな丘陵の尾根道となる。雑木類がきれいに落葉して冬枯れの道が通っていた。まさに陽だまりハイキングやウォーキングにはぴったりな感じだ。

 樹林越しにいくらか見通しがあるので、西や北東方向に近くの山尾根が見える。落ち葉が溜まった尾根道をカサコソいわせながら南東へ進んで行くと、右下から小道が合流してきた。よくわからないが、先ほどの窪地か北金井へ行く道から分かれてくる道かもしれない。このあたりにはいろいろな枝道があるようだ。

236Pへの登り 236P山頂付近、南へつづく道あり  そこを過ぎてアカマツの倒木を避けて登って行くと、樹木に幹にオレンジ色のビニール紐が巻かれたピーク地点に着く。236mの標高点ピーク*だ。ここから市境の尾根道は北東方向に曲がっているが、南方向にも明瞭な道が分岐していた。北金井のキャンプ場に行く道だろうか。散策道が延長されているのかもしれない…。

[*楚巒山楽会の記録の略図には、このピークに「高壺山」の山名が付いている。地元の呼び名ということだ。]

落ち葉の尾根道を東へ  そこから市境を北東へ進む。少し下り気味に行くと、左(北)方向に桐生の市街地がチラッと見えた。冬場ということで、樹林越しにいくらか見通しがある。

 落ち葉が溜まった尾根沿いをさらに東寄りに進むと、地面に掘り返した跡あった。イノシシの仕業らしい。そこを過ぎると小さなピーク地点*に着く。樹木には銀色テープの目印が付いていて、北東方向に微かな踏み跡が分岐していた。尾根道は南東寄りの方向に通っているのだが、ねくらハイカーは何も考えずにふらふらと北東方向の踏み跡へ進んでしまった。

[*地形図の等高線で220mのコブ状地点]

 少し下ってから草付きの急斜面を北へ登る。ねくらハイカーは、一瞬北へ進むのはちょっとおかしいなと思った。でも気持ちがよさそうな尾根道だったので、そのまま斜面を登ってピーク地点*に上がってみる。

[*あとで確認すると、この地点は市境尾根から北の246m標高点ピークへ派生する支尾根の等高線で240mのピーク。]
支尾根240P付近から北西方向、中央に225.4m三角点P、左後方に茶臼山  そこは周りの樹木が伐採されていくらか見晴らしがあった。北西方向に赤茶けた開削斜面や電波塔のような建物があるピークが見えた。それから、その遥か後方にはお馴染みの赤城山も望める。地図を参照すると、電波塔のようなものがあるピークが八王子丘陵の西側のある茶臼山らしい。

 この地点から尾根道はさらに北へ下り気味につづいている。やはり、この銀色テープの目印がある踏跡は唐沢山へ行く道ではなさそうだ…。

支尾根240P付近から東方向に唐沢山  そこで東方向に目をやると、樹林越しに雑木林で覆われたなだらかな感じのピークが見えた。地形図を参照すると、どうもあの東側のピークが唐沢山らしい。この尾根道はさらに北へ延びているので、多分桐生側から来る枝道だろう…。

 ルートミスということで、小休後元来た道を戻る。

支尾根240P下りから市境尾根、220P〜236P  草が生えた斜面を下り、先ほど間違えた市境尾根のピークまで戻る。そこからちょっと南東寄りに進み、小ピークを過ぎる。このあたりは常緑樹のヒサカキが茂っていた。

 さらに東へ進むと、途中に南へ分岐するような踏み跡があった。よくわからないが、北金井や上強戸方面への道らしい。

 そこからメダケのような笹が茂っている市境尾根を東へ下る。周囲は少しヤブめいているが、しっかりとした道跡が通っている。

 右にスギの植林地を見て雑木類に笹が混生した斜面を北東方向へ登る。普通の人には何でもない登りだが、最近運動不足のねくらハイカーはたちまち息が上がってしまった。
笹帯を抜けて雑木林の斜面へ  笹が茂った小ピーク地点に出ると、北へ微かな踏跡が分岐していた。樹木にテープの目印が付いているので、これも桐生側からの枝道らしい。このあたりにはいくつもルートがあるようだ…。

 そこから東へ少し下って笹が生えたところを抜けると小鞍部となる。そして、そこから上は落葉した雑木類の斜面になっていた。

唐沢山山頂、一等三角点あり 唐沢山の一等三角点標石  日が当たる冬枯れの雑木林の斜面をゆっくり登って行くと、間もなく地面に標石が埋設されたところに出る。唐沢山の山頂(261m)だ。

 一等三角点ということで、上辺の角がコンクリートで補修されている標石を見物すると、側面にまさしく「一等」の刻字があった。標石の傍らには測量棒が立てられ、国土地理院の白い木杭も打たれている。

南側に石の祠(石尊宮)あり  それから、標石から少し南へ行ったところに石の祠もある。正月過ぎということで、石祠の中には幣束が供えられている。

 先人の記録によると、これは石尊宮の祠ということで、この山は以前は「石尊山」と呼ばれていたらしい*。ねくらハイカーは祠をジロジロ眺めたが、側面の文字は完全に磨滅していて読めなかった。それからまた先人の記録によると、いつの時代かわからないが、ここにも山城があったそうだ。

[*石尊山(せきそんさん・せきそんざん)というと、このあたりでは渡良瀬川対岸にある栃木県足利市の石尊山が有名だ。江戸時代の大山詣でが盛んな頃、関東周辺の各地に石尊信仰が拡がり、このような石尊宮が数多く安置されたらしい。ちなみにこの山の名前は東側山麓にある昔の毛里田村唐沢から来ている。]

唐沢山山頂付近から北西方向 OHCの標識  平坦な山頂部は樹林に覆われているのでクリアーな展望はないが、北側の落葉した雑木越しにニューイヤー駅伝のコースになっている松原橋や周辺の市街地が見えた。それから、北西方向には先ほど間違えて歩いた支尾根の向こうに茶臼山も確認できる。気温は11℃ほど。静かで穏やかな山頂だ。

 休憩しながら側の樹木に掛けられた2枚の標識を見物する。新しい方の白木の標識にはカタクリの花の絵とOHCの文字があった。地元の太田ハイキングクラブが付けたものらしい。

OHC標識の裏に井上昌子の署名あり  それから何気に裏を見ると「OHC 2008」とあり、そして驚いたことに、その下に「井上昌子」という手書きの署名があった。

 ねくらハイカーは、「エエーッ、本当かいな?」と思わず声を上げてしまった。これは誰かがネタで名前を書いているのだろうか…?どうも、よくわからない。でも、もしこれが本人の書いたものとすると、井上昌子は健在ということだ。おそらく、去年ここに登っているわけだ…。

 そこで以前のように馬鹿げたエロい内容の落書きがないか周囲を見回してみる。幸い、他に落書きはなかった。井上昌子も歳を取ったということで、現在は小さな署名程度で控えているのかもしれない…。

236P北東側の尾根道  何か意外なものを見てしまったということで、早々に往路を戻る。南から冬の日差しを浴びながら雑木林の斜面をトコトコ下る。このあたりは如何にも穏やかで気持ちいい。

 小鞍部から笹帯を進み、ヒサカキが茂るピークを過ぎると、往路でルートミスした小ピークとなる。そこからまた冬の柔らかい日差しを浴びて落ち葉の道をゆっくり踏みしめながら南西寄りに進む。

 236mピークから北西に進んで行くと、右に往路で間違えて登った支尾根のピーク(240m峰)が見えた。

菅塩峠(桐生側から太田方向) 西側の傾斜地を登る  途中、正午を知らせるサイレンを聞いて雑木林の市境尾根をチマチマ行くと、間もなく菅塩峠の鞍部に降りる。

 峠で一息つき、今度は西側の急斜面を攀じ登って落ち葉が敷かれた尾根道に出る。

菅塩峠西側付近から西方向、神社がある尾根状のピーク(220P)  その地点から西方向を眺めると、何か針葉樹が多い感じの尾根状のピークが目に入る。

 先人の記録によると、あのなだらかな尾根状の山に神社があるそうだ。やはり里山ということで、麓の地区の神様が祀られているのかもしれない。

雑木林の斜面を登る 220P山頂部の尾根に出る  そこから少し下り気味に進み、雑木林が茂る市境の尾根筋を西へ辿る。

 やや厚めに溜まった落ち葉に団栗が混じった急斜面を登り返して行くと、先ほど見えた南北に延びるピークの山頂部に出る。

220P北側市境付近に付けられた桐生倶楽部の標識  そこには、「桐生倶楽部「歩く会」」の木製の古い標識が樹木に付いていた。白ペンキの文字は消えているが、表面の凹凸で何とか読み取ることができる。

 それには東方向を示して「唐沢山(石尊山)へ」と表記されていた。標識は多分1970年代かそれ以前のものだろう。すでに40年近く経っているのに朽ちずに残っているのだから大したものだ。

雑木類にアカマツが混じる尾根を南へ 樹林の中に石祠・鳥居あり  そこからは寄り道をして山頂尾根を南へ進む。針葉樹のアカマツが多いところを進み、最高地点を過ぎて少し下り気味に進む。

 そのうちにヒサカキが茂る樹林帯に入ると、奥の方に石祠や鳥居が見えた。先人の記録にある神社らしい。

「二柱神社」の鳥居  さっそく樹林帯に入り、石祠や石造りの鳥居を見物する。高さが2mちょっとの小ぶりな鳥居に付けられた神額には「日向山 二柱神社」とあり、鳥居の北側には二つの石祠が安置されている。

 イザナギ・イザナミでも祀ったものだろうか…?神社の知識が乏しい平成の盆暗ハイカーは、何を祀ったものかわからない。

 鳥居の柱には「献 昭和三十年十月三十一日」の刻字もある。それから「菅塩村中…」の文字も見える。今から50年ほど前に地元の氏子たちがこの鳥居を建立したわけだ。鳥居は祠から南側にあるので、菅塩の人たちは南側からこの神社に登拝したようだ。

「二柱神社」の祠  鳥居を潜りなおして二つの祠を見物する。祠の間にある樹木には太田市が設置した「山火事注意」の古い看板が付いている。向かって左側の少し小さめの祠の側面には、「寛政五天 …三月五日(?)…」とあり、他に「施主 村中」の文字も見える。今から200年以上前の江戸時代に菅塩の住人のご先祖によって安置されたものらしい。

 右の祠は残念ながら文字が磨滅していて読めない。祠には五円玉が1枚置かれているだけで、幣束や幣帛類は一切供えられていない。現在この神社は菅塩の人たちにそれほど信仰されていない感じだ。

 祠の北側には一升瓶の空瓶が15、6本無造作に捨てられていた。昭和の時代に氏子たちに祭られていた頃の痕跡だろうか。以前は手厚く信仰されていたような気配がする。

220P北側付近から天王山方面  よそ者ハイカーの神社見物はこれくらいにして、アカマツが生えた山頂尾根を北へ戻る。

 桐生倶楽部の道標から市境の尾根沿いを北西に進む。そのあたりから、左手の南西方向になだらかな稜線のピークが見える。多分、三角点がある天王山だ。今日はあの三角点ピークまで足を延ばしてみる。

鞍部(地形図の峠道ルート地点)  尾根道を下って行くと、やがて樹木にビニール紐の目印が付いた鞍部に降りる。ここが地形図に峠道のルートが通っている地点だ。

 ここにも桐生倶楽部の古い標識が2枚付いていた。

鞍部から太田側、桐生倶楽部標識2枚あり 鞍部から桐生側  それには東方向に「唐沢山方面へ」、西方向に「籾山峠・茶臼山方面へ」とある。どうも、以前から地元の人たちによって茶臼山や唐沢山へ縦走されていたらしい。

 この地点からは北の桐生側に微かな道跡のようなものが確認できるが、南の太田側は獣道ような踏み跡程度で明瞭な道跡は付いていない。やはり、ここは昔の峠道ではなさそうだ…。

T字路分岐地点、左に天王山、右に市境縦走路  そこからまた冬の午後の淡い日差しを浴びながら市境の尾根道を西へ辿る。このあたりも穏やかな感じのところだ。

 落ち葉が厚めに溜まった雑木林の斜面をゆるゆる登り、ピーク付近を過ぎて西へ進むと、T字路のようなところに出る。茶臼山方面への縦走路はそこから右(北)に曲がって行くらしい。

 ここは天王山へ向かうということで、左(南)に進む。

市境の分岐ピーク下りから天王山山頂部 天王山北側の鞍部  少しヤブめいた感じの斜面に付いている踏跡を辿って南西方向に下って行くと、ちょっと開けたような鞍部に降りる。何か曰く有りげなところに見えるが、そこはすんなり正面の斜面に登り返す。

 ちょっと滑りやすそうな急斜面をコツコツ登るとすぐに緩やかな尾根道となる。

天王山山頂  このあたりでは右の方から採石場か何かの騒音が喧しく聞こえてきた。市街地近くの里山ということで、やはり静かな山歩きとはいかない。

 さらに雑木林の尾根沿いを落ち葉を踏みしめながら南へ進むと、ほどなく標石と標識があるところに着く。天王山の山頂(243m)だ。

天王山、四等三角点の標石  ここは以前は単なる標高点のピークだったが、近年、測量の基準点となる図根点相当の四等三角点が設置されたらしい。

 ここでも休憩しながら先人の標識を見物する。Y氏の樹脂プレートとM子氏・Y二氏によるm・yクラブの木製標識が傍らの樹木に付いていた。

Y氏の標識の裏に小さなサインあり  m・yクラブの標識はまだ新しい感じで、裏には何も書かれていなかったが、2003年2月15日の日付があるY氏の標識の裏にはしっかり井上昌子のサインがしてあった。もしこのサインが本物だとしたら、やはりこの周辺の山々を井上昌子が歩いているわけだ…。

 署名以外の落書きがないので、井上本人のものかは断定できない。以前、ねくらハイカーが会津朝日岳に登ったとき、途中の「昌子岩」のペンキ書きにはいささか驚かされた。もしかすると、井上昌子なる人物は現在は普通の山歩きをしているのかもしれない…*。

[*後日ネットで調べたところ、最近また北関東の山に井上の落書きがあるらしい。相変わらず学校の山岳部か愛好会の仲間内の軽いノリで落書きしているように見える。]

山頂付近から南西方向、山麓にゴルフ場あり  天王山の山頂部は樹林に覆われているのでそれほど展望はない。三角点からさらに南へ進んで行くと、西側の山麓にゴルフ場(太田双葉カントリークラブ)が見えた。

 山頂から南側にも人が歩いたような小道がつづいている。南へ下った方が面白そうだが、ここは往路を戻る。

天王山北側鞍部付近、東側に道あり  雑木林の山頂部を北へ下って鞍部に降りる。そこで立ち止まって東方向に目をやると、樹木にテープの目印が付いていた。

 そこで東側へ進んで行くと、山腹に作業道のような水平の道が北東から南方向に通っている。これは何か面白そうだ。そこで、そこからは市境の分岐地点まで登らずに、東側の道を北東方向へ進んでみる。

山腹の道を東へ 倒木のあるヤブ道、その先で道跡消失  作業道のような道は斜面の土留めがされていないので、簡易的に重機で開削されたものだ。

 山腹を道なりに進んで行くと、倒木がありヤブめいてきた。さらに下り気味に行くと、開削部分が終了して道は消えてしまった。

谷筋に間伐材、その先に南北に通る道あり  仕方ないので、そこからは右下の斜面に下り、先ほどの鞍部から東へ延びる谷筋を進む。

 少しじめじめしたスギ林の窪地を東へ下って行くと、古い間伐材が捨てられたところがあり、その先で南北に林道のような小道が通っていた。道は桐生倶楽部の標識が2枚あった市境鞍部付近から来ているようだ…。

林道を南へ  そこからは作業道のような道を南へ辿る。

 スギの植林地になった谷筋を進んで行くと、右(北西)から林道が合流してくる。これも作業道らしい。先ほどの山腹道に繋がっている道かもしれない。

東屋や炭焼き窯がある道標地点へ  さらに斜面に土留めが施された林道を進み、途中から南東寄りの方向にスタスタ行くと、午前中に通った東屋と炭焼き窯がある道標地点に出る。やはり、途中から辿ってきた谷あいの道が、地形図に峠道が描かれたルートだったわけだ。

 それから、よく考えると、この炭焼き窯付近から北へ登った山尾根に二柱神社があるということで、昔はこのあたりに神社への参拝道が通っていたのかもしれない…。

南西へ、「東屋・展望台まで450m」の分岐あり 菅塩沼西岸を行く  そこから右に曲がって行くと、すぐに「東屋・展望台まで450m」の道標の分岐地点となる。そこは直進し、午前中と同じく静かな菅塩沼を左に見てトボトボ行くと、トイレのある駐車場に着く。

 今日は正味3時間ほどの里山歩きだったが、いろいろ見物できた。帰りは他のものを見物するためにちょっと寄り道する。

 ネットの記録や山岳関係者のエッセイによると、この近くに『山の憶ひ出』の著者、そして日本山岳会の第3代会長を務めた木暮理太郎氏(1873−1944)の生誕地があり、そこに記念碑があるということだ。

 ねくらハイカーが今回太田市へやってきた目的のひとつは、この木暮氏の記念碑を見物するためでもある。ネットの記録では、記念碑は菅塩町の南方の寺井町にあるということなので、車で再び県道78号に出て南東へ走る。さらに石橋十字路交差点を右折して県道39号に入り次の信号を左折する。
蛇川に架かる橋の西側に石碑あり、右後方(東)に金山  住宅地の町道を南へノロノロ走行して木暮氏の生家があった寺井町に進む。結構住宅が建て込んでいて、現在は木暮氏が少年時代に見たような遠方の山並み見通すことは難しくなっている感じだ。

 町道を道なりに進み住宅地を抜けて行くと、T字路に出る。そこから左(東)方向を見ると、近くに蛇川に架かる橋があり、その手前にネットで見覚えのある庭石のような大岩があった。木暮氏の記念碑だ。

木暮理太郎生誕記念碑  さっそく左へ曲がり路肩に一時停車して記念碑を見物する。青みがかった三波石は長年の風化で褪色し少しくすんでいるが、岩にはめ込まれた黒御影石の銘板は日に照らされテカテカ輝いていた。

 銘板には、西堀栄三郎氏の筆による「木暮理太郎翁生誕之地」の刻字があり、その上側に「山登りは先人の肩にのって先へ上へ進むものだ」と小さな文言が彫られている。ねくらハイカーはこの碑文を見て思わず頷いてしまった。木暮氏はまさに日本山岳の大先達たる人物で、この碑文通りに日本の山岳界は木暮氏ら先人の方々の肩にのって発展してきたといっても過言ではない。

 石碑の裏には強戸山岳会による木暮氏の業績などが簡単に記された碑文もある。それによると、この記念碑は昭和53年(1978年)11月3日に建てられたとのこと*。

[*山岳関係者のエッセイなどによると、この記念碑の除幕式は碑文の日付と同じ日にここで執り行われたそうだ。その際、当時の山岳会会長の西堀氏をはじめ山岳会の名立たるメンバーの方々も出席されたとのこと。木暮氏が当時の山岳会の人たちから如何に敬愛されていたかが理解できる。]

記念碑は蛇川沿いの角地にあり、北に八王子丘陵  ところで、この場所は蛇川沿いの角地になった地点で、記念碑の横には「中堀改修記念碑」・「石堰改築記念碑」という河川工事関連の石碑もいっしょに建てられていた。

 それから碑の北側はぴったりフェンスで仕切られ、資材置き場のようになっていて、重機が無造作に置かれていた。ねくらハイカーには、「日本近代登山の父」とか「日本山岳界の父」といわれる木暮氏の石碑がこんな狭いところに建っていたとはちょっと意外だった。

 石碑は立派なものなのだが、何せ場所の広さがイマイチという感じだ。しかし、地元の強戸山岳会が資金を出して建設したものらしいので、文句のつけようがない。

 町道とはいえども住民の生活道になっているようで、車の往来は結構ある。ねくらハイカーは住民の迷惑にならないように、手早く記念碑の写真を撮って車に戻る。

 今日は太田市と桐生市の境界になっている八王子丘陵の里山を歩いたわけだが、一等三角点の標石や途中の山中にひっそりと祀られた神社、そして木暮氏生誕地の記念碑などが見物できたのでヨシとする。

日程2009年1月8日 (木)
天候晴れ
行程時刻菅塩沼駐車場(西側)10:00→(林道または遊歩道を北東へ)→「東屋・展望台まで450m」道標分岐地点10:02〜10:05→(直進)→「東屋・炭焼窯」分岐地点10:08〜10:10→(直進)→「北金井合流部まで350m」道標分岐地点10:11〜10:12→(左側へ)→(途中、2、3分小休)→菅塩峠10:23〜10:26→(市境尾根を南東へ)→236P 10:28〜10:30→(北東へ)→(東へ)→小ピーク(220P)10:43〜10:45→(テープの目印を追って北東へ※ルートミス)→伐採跡あるピーク(市境北側の支尾根240P)10:47〜11:00→(戻り)→小ピーク(220P)11:02→(市境を東へ)→230P付近11:04〜11:06→(北東へ)→(東へ)→唐沢山11:18〜11:40→(西方向へ戻り)→230P付近11:49〜11:50→220P 11:52→236P 11:56〜11:57→(途中、小休)→菅塩峠12:05〜12:08→(市境を西へ)→220P北側(桐生倶楽部標識地点)12:19〜12:22→(山頂部を南へ)→二柱神社12:24〜12:37→(北へ戻り)→220P北側(桐生倶楽部標識地点)12:40→(市境を北西へ)→鞍部(桐生倶楽部2枚標識地点)12:44〜12:47→(西へ)→(ピーク地点を過ぎる)→T字路地点12:54→(南西へ)→天王山北側鞍部12:56→(途中から南へ)→天王山13:02〜13:09→(北へ戻り)→北側鞍部13:14〜13:15→(東側の山腹道を北東へ)→(東へ)→山腹道終了地点13:19→(右下の谷筋を東へ)→作業道合流13:21〜13:24→(作業林道を南へ)→(途中から南東へ)→「東屋・炭焼窯」分岐地点13:30〜13:32→(南西へ)→「北金井合流部まで350m」道標分岐地点13:34→(直進)→駐車場13:37〜13:50→(車で南へ走行)→木暮理太郎生誕記念碑(太田市寺井町)13:58〜14:05
備考♦この記録では、HP「やまの町 桐生」内の「楚巒山楽会」と「桐生山野研究会」の記録、およびHP「オッサンの山旅」・「電撃!激坂調査隊が行く」等の記録やブログ「上州東毛 無軌道庵」の記録を拝見し、参考にさせていただきました。

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