白水の滝付近から二子山(西岳)



 昭和の初め頃に秩父や西上州の山々を歩かれた山岳関係者の紀行文を読むと大変興味深い。山間部にまだ現在のような車道が通じていないので、彼らは住人も疎らな山村を結ぶ峠越えの山道を歩いて旅をした。ねくらハイカーもそのように峠道を歩いて旅をしたいと思うのだが、マイカー利用の日帰りハイキングということで、昔の峠道はほとんど歩かない。

 今回は、戦前や戦後に西上州や秩父の山々を旅された山岳関係者の紀行文やエッセイなどを参考にして、群馬側から昔の峠道を辿り、埼玉県秩父郡小鹿野町にある岩登りのフィールドとして有名な二子山付近を歩いてみようと3月下旬頃出かけてみた。
神流町魚尾地区付近から叶山(2009年3月現在)  いつものように神流川沿いの国道462号(旧十石峠街道)を西に走行すると、多野郡神流町の魚尾(よのお)地区付近から前方に山頂部が削られた叶山(かのうさん・かのうやま)の山体が見えてくる。

 1980年代初めにはこのあたりからむっくりと聳立した岩山が望めたのだが、叶山は今は山頂部が真っ平らに削られた台地になってしまった。このまま採掘がつづけば、10年後には山体自体消え失せてしまうかもしれない。それくらい急ピッチで山が削り取られている。ねくらハイカーは、ここを走行するたびに哀しい気分になる。

白水の滝への道途中から丸岩(846P)・「牢口」  その叶山の山頂鉱床部が間近に見える宮地のバス停付近から左へ曲がり、「白水(しろみず)の滝」へ行く道に入る。宮地橋で神流川を渡って白水沢沿いの舗装道を南へ走行すると、前方に特徴的なドーム形の岩峰と縦にスパッと切れたギャップ状の峡谷が見えてくる。丸岩(846m峰)と叶山東端部の間につくられた「牢口(ろうぐち)」または「牢門」と呼ばれる景観だ。

 先人の紀行文や記録によると、この牢口の裏側(南側)には戦後の一時期まで周りを山で囲まれた「叶後(かのううしろ・かのうしろ・かのうじろ)*」という集落があったそうだ。そしてそこを経由して上武国境を越える峠道**が通じていたとのこと。今回そこを歩いてみようというわけだ。30年ほど前に歩いた方々の紀行文を拝見すると、まだその頃は普通に歩けたようだ。しかしてその後、叶山の鉱山開発により通行禁止となり廃道となったらしい。ということで、現在通れるかどうかわからない…。

[*「叶城」とも表記される。伝説によると、昔その地に或る有力者の砦があって、神流川沿いを遡って遁れてきたお尋ね者を片っ端から抱え込んで一大勢力を張っていた。もしお尋ね者に糾弾の手が伸びたときは、峡谷の洞窟に匿って追っ手の眼を免れたそうだ。その北側の峡谷を「牢口」と呼ぶのは、浪人やお尋ね者が収容されていたことにちなんでのことらしい。]

[**昔の陸測五万分の一地形図『万場』などには、上州中里村宮地付近から叶後を経由して二子山の南西側で国境を越え武州三田川村魚尾道(よのみち)まで明瞭な破線道が描かれている。地元ではこの峠道を「魚尾道(よのおみち)」と呼び、国境の峠を「魚尾道(よのみち・よのおみち)峠」または「魚尾(よのお)峠」というそうだ。現在の二万五千分の一地形図『両神山』では埼玉側の斜面に峠道の一部が描かれているが、群馬側のルートは廃道ということで描かれていない。]

丸岩の岩壁に白水隧道(叶山鉱山入口)貫通、左に滝あり  さらに南へ進むと、叶山鉱山*入口の白水隧道に着く。早朝ということで、隧道は化石の恐竜が描かれたシャッターで閉ざされていた。隧道の右手には駐車できるスペースがある。

 傍らには「白水の滝入口」の看板もあり、左手の小さな沢筋の左岸にチョロチョロと滝がいく筋かかかっていた。名物の「白水の滝」だ。

白水の滝  ひとまず駐車スペースに車を入れて見物する。滝は沢筋を水源にしているものではなく、丸岩の石灰岩の岩壁側面から滲み出ている。

 岩壁には濃緑色の苔がびっしり生えているで、流水は白糸のように見える。白水とはここから来ているようだ。

 さて、今日はここから左手の小沢沿いを登るわけだが、右手の駐車スペースには従業員の名札や外来入坑者用の黒板、それから連絡用のダイヤル式の電話機なども設置されていて、どうもよそ者が長時間駐車できるような雰囲気ではない。

 それから周囲をよく見ると、隧道入口と駐車スペースを監視するカメラが作動していた。ダミーカメラではなさそうだ。これは長時間車を置いて関係者以外立入禁止の鉱山周辺をうろつくのはちょっとマズイ感じがする。

 そこで再び車に乗り込み、白水沢沿いの道を北へ戻る。途中、草地になった路肩のスペースに車を停め、本日の出発地点とする。
 天候は曇りだが、どうしたことか先ほどから小雪がちらつき出した。今年は春の彼岸前から異常に暖かい日がつづいたが、彼岸過ぎから一気に寒気が入って2月下旬頃の季節に戻ってしまった。気温は1℃ほど。天気予報は晴れと出ていたが、関東の山間部は一時的に降雪もあるらしい。

 そのうち止むだろうと考えて、白水隧道に向かって舗装道をトコトコ歩き出す。
左手の小沢(大クボ沢)へ、左岸に「白水の滝」あり  再び隧道入口まで進み、監視カメラが付いている支柱の真下を潜るようにして左の沢筋に入る。

 戦後の歩かれた方々の記録ではこの小沢を白水沢本流としているが、昭和初期に歩かれた方の紀行文などによると、白水の滝から上流側は「大クボ沢」という名前の支流らしい*。左岸にある白水の滝を過ぎると、すぐに段差が付いた小さな堰堤がある。それには「水源地につき関係者以外の立入りを禁止します」という神流町の看板が付いていた。入渓禁止ということだが、本日は昔の峠道を歩くのが目的なので、これは無視して上流側に進む。その先にも小さな堰堤があり、そこから細い導水管が通っていた。取水口らしい。

[*河田驕iみき)著『山に憩う 紀行と随想』(山と渓谷社刊)参照。ちなみに原全教(ぜんきょう)著『奥秩父研究』(朋文堂刊)の略図では「大久保沢」、佐藤節(みさを)著『西上州の山と峠』(新ハイキング社刊)では「大窪沢」となっている。]

右岸に微かな踏跡らしきものあり  そこから落ち葉が溜まった大クボ沢右岸を進んで行くと、何か踏跡らしきものが確認できる。もしかすると、峠道の道跡かもしれない。今から10年ほど前、佐藤節氏がこの右岸沿いに叶後への古い道跡を確認している*。

[*平成11年(1999年)の8月に、佐藤氏がこの白水の滝付近にやって来た。彼女は久しぶりに牢口(牢門)の裏側にある叶後を訪れようとしたのだが、ここに来て丸岩の岩壁にトンネル道が貫通しているのを見て驚かされる。叶山の採掘は1980年代から始まっていて、すでにこの付近一帯は登山禁止になっていたようだ。佐藤氏は登山禁止ということで叶後へ行くのを諦める。その際、滝近くにちょうど居合わせた地元の人たちに叶後の想い出話などを伺い、山の雑誌にエッセイを書いた**。]
[**季刊『山の本』第29巻(白山書房刊)所収「叶山と叶後」参照]

埋まっていた昔の看板  さらに右岸を進むと、何か白塗りの看板が埋まっていた。掘り起こしてみると、看板には「危険 登山者の方へ この先トンネル工事につき通行注意!」と書かれている。

 これは旧中里村(神流町)が設置したものだ。おそらく、まだ叶後への道が通行禁止になる前のものだろう。登山者へ注意を促す看板ということで、ここに道があったことは間違いない。

上流に砂防堰(1番目)あり、右岸を越える  しかしながらそこから少し行くと、踏跡は消えて上流側に砂防堰が見えた。砂防堰が造られているということは、道はすでに壊されたのかもしれない。これは昔の道を辿るのは難しそうだ。

 一応峠道のルートが描かれた陸測地形図のコピーを持ってきたのだが、踏跡が確認できないとなると、どのあたりから左岸の斜面に取り付けばいいのかわからない。

 ひとまず右岸を登って1番目の堰を越える。

コンクリート管が転がった沢床の上流にも砂防堰(2番目)あり  堰の上は岩がゴロゴロして踏跡などはなく、古びたコンクリート管が転がっていた。径が太いので配水管に使われていたものらしい。そこから上流側にも砂防堰が見えた。

 これは昔の道を辿るのはちょっと無理かもしれない…。立ち止まって少し考える。しかし、ここは沢筋を適当に登って途中から左岸に取り付いてみようということで、2番目の堰も右岸に巻いて越える。

 このあたりから左岸を見上げると、丸岩の岩壁が垂直に近い角度で威圧的にそそり立っていた。

2番堰上の左岸は平坦地、上流に次の堰(3番目)あり  2番目の堰の上は左岸がいくらか緩やかな雑木林の斜面になっていて、上流側にまた3番目の堰があった。そこは左岸の平坦地を歩いて越える*。

 小雪は相変わらず降っている。このまま止まなければ積もるかもしれない。止むことを信じて沢沿いを登る。

[*帰りに確認すると、昔の峠道らしきものがこの3番目の砂防堰付近から左岸の斜面を南方向へ付いていた。ということで、これより上流側への遡行はルートミス。]

3番堰上のヤブめいた沢筋、道跡なし 4番堰は右岸の崖際から越える  3番目の堰を越えて枯れ草などでいくらかヤブめいた感じの沢筋を進むと、また砂防堰があった。左岸の斜面は急峻で、道が通っているような気配は感じられない。

 4番目の堰は右岸の崖際から越える。その上の左岸には群馬県が設置した鳥獣保護区の赤い看板が立っていた。看板があるということは、このあたりにハンターが来ているわけだ。やはり、この沢沿いに道が通っていたのかもしれない…。そのように考えて、落ち葉が溜まった岩の多い沢筋を我慢して登る。

4番堰上には滝あり  しかし少し登ると、前方が狭まった崖になり5mほどの小滝がかかっていた。ここは滝の上に出ないと沢筋を辿れない。それから、上流側が何かノドっぽい感じだ。

 沢登りの得意な人なら何でもないところだが、ねくらハイカーは沢登りが苦手だ。それから今日は降雪のため両側の崖がしっとり濡れている。素人ハイカーはスリップする危険性があるので、ここは滝を登るのを断念し、沢筋を引き返す。

鳥獣保護区看板地点(左岸)、左上へ登る  先ほどの鳥獣保護区の赤看板まで戻り、そのあたりで何か踏み跡があるか探してみる。左岸の斜面にはシカが歩いたような獣道が薄っすら付いているが、人が歩いたような道跡はない。

 やはり、峠道は通っていないようだ…*。ここで撤退しようかと迷う。しかしまだ時間的に早いということで、試しに左岸の斜面に付いている細いシカ道を辿ってトラバース気味に登ってみる。

[*帰りにわかったことだが、このあたりでは斜面の上部を峠道らしきルート(?)が通っていた。]

落ち葉の急斜面を上(南)へ 微かなシカの踏跡を辿って南東へ  倒木や枯木の枝類を避けながら適当に斜面を南へ登り、そこから明瞭な感じのシカ道を辿って南東方向に進む。

 雪のため霜が降ったように白くなった斜面を滑らないように慎重に登り、さらに崩れそうな土砂の急斜面を水平に横切って行くと、そのうちに左下は傾斜が緩やかな涸れ沢になってきた。

岩が多い涸れ沢を南東へ  そこで再び左下に下って沢床に降りる。そこからは石灰岩の大岩がゴロゴロした涸れ沢を登る。

 途中、休憩しながら右岸上の山腹を眺めると、林道の開削現場*が見えた。群馬側に建設中の林道らしい。傾斜のきつい斜面に林道の開削現場があるのが、何とも驚きだ。

[*後日調べると、林道二子山線の東側工区。]

左岸の斜面を南西へ  そのうちに雪も止んできた。このまま涸れ沢を登りつづけても昔の峠道は歩けない。そこで、岩が塗り壁のように切り立っているところから再度左岸の斜面に取り付き、南西方向に登る。

 斜面の上部は落葉した雑木林の尾根になっているので、いくらか見通しがありそうだ。そこから偵察すれば叶後へのルートがわかるだろう…。

途中、左上(南東)に尖峰あり[二子山西岳西端部]  少し我慢してフラットな斜面を直登して行くと、いくらか枝尾根っぽくなってきた。傾斜は相変わらずきついので、ジグザグに登り高度を稼ぐ。

 途中で一息つき後方をふり返ると、対岸の林道開削現場と同じ高さになっていた。そのあたりから左上(南東)に角状の尖ったピークが見える。地形図を参照すると、どうも二子山の岩稜らしい*。

[*あとで確認すると、二子山西岳西端部。]

途中に杭・テープ・ペンキ等の目印あり、杭に沿って右(北西)へ  そこからまた急斜面を休みながらちんたらちんたら亀の歩みで登る。

 尾根まであと15mほどの地点にくると、斜面に赤い樹脂杭が打たれ、樹木に赤ペンキや蛍光ピンクテープの目印が多数付いているところがあった。水平方向にも樹脂杭が何本か打たれているので、そこからは上へ登らずに杭に沿って右(北西)へ進む。

登りついた支尾根地点から北西方向、樹林の奥に叶山・丸岩方面  間もなく下り坂になった尾根地点に出る。尾根沿いにもペンキマークやテープの目印が沢山付いていた*。そこから北西方向に目をやると、落葉した樹林越しに先ほど見上げた丸岩の岩峰がいくらか下側に見えた。

 やはり、陸測地形図の峠道ルートよりかなり上側を登ってしまったようだ。完全なルートミスだ。しかし、これは峠道の道跡が見つからなかったので致し方ない。

[*目印は土木関係者が付けたように見えた。よくわからないが、この支尾根付近が現在建設中の林道(二子山線)の開削ルートに当たっているのかもしれない。]

支尾根を北西へ下る  この尾根地点では西側からガラガラという音が絶え間なく聞こえてくる。叶山鉱山からの騒音らしい。休憩しながら西方向を眺めると、ひとつ尾根を越えた向こう側に叶山から南へ延びる山尾根が確認できる。多分、叶後はその尾根に囲まれた東側にあるようだ。

 休憩後、丸岩に向かって北西方向に尾根筋を下る。峠道の道跡が残っていれば、必ずこの尾根を横切る地点があるはずだ。そこで昔の峠道がわかる。

 この尾根筋にはシカの糞が多く目につく。足跡も沢山付いてる。先ほど斜面を登っていたとき啼き声を聞いているので、シカも数多く生息しているに違いない。

踏跡が横切る尾根の肩地点[峠道の途中にある小尾根の乗越地点]、奥(西)に丸岩(846P)  西側からの騒音を聞きながら尾根筋をどんどん下って行くと、雑木に混じって常緑樹のアセビが多くなり、やがて小さな岩峰がそそり立つ肩状の地点に出る。

 そこには西側と東側から踏跡が上がってきていた。昔の峠道の道跡らしい。

乗越地点から下ってきた尾根方向ふり返り  踏跡は今下ってきた尾根を乗り越すように付いている。一見するとこの地点は峠のような感じだが、そこからひとつ沢を隔てた西側に丸岩の岩峰が見えるので峠ではなさそうだ。峠道の途中にある小尾根の乗越地点*らしい。

 このあたりから天候も回復して晴れ間も出てきた。このまま晴れればいい山歩きができそうだ。

[*のちに地形図などで照らし合わせると、二子山から北西側に延びる一支尾根の鞍部。飯野頼治(よりじ)著『山村と峠道』(エンタプライズ社刊)によると、以前はここの小岩峰の基部に山ノ神が祀られていたそうだ。]

道跡を南へ下る 涸れ沢[土持沢]を上流(南)へ  小休後、そこから南側の沢に向かって踏跡を下る。尾根付近では明瞭な道跡が付いていた。しかし、すぐに落ち葉が溜まった斜面で道跡は消えてしまう。仕方ないので、下の山陰になった涸れ沢*に降りる。

 この涸れ沢にはミソサザイの縄張りがあるらしく、ピーピー囀りながら近くを飛び回っていた。小鳥の啼き声が聞こえていい雰囲気なのだが、この小さな谷間にも鉱山の騒音が聞こえてくるので、何とも落ち着かない。野鳥は騒音に慣れてしまっているようだ…。

[*原氏前掲書の略図によると、「土持沢」という名前の沢。]

左岸を北西へ登る  そこから涸れ沢を上流(南)側へ向かって15mほど進むと、左岸の落ち葉の斜面に微かな踏跡が見えた。峠道らしい。陸測図の破線道のルートと大体同じだ。帰りもここを通るかもしれないので、自分用にテープの目印を付ける。

 そこから踏跡を辿って北西方向へゆっくり登って行くと、また東側から日が差してきた。

丸岩峠  さらに落ち葉が溜まったふかふかの斜面をやや北寄りに進んで行くと、前方に石灰岩の岩壁がそそり立つ尾根の鞍部に着く。岩壁は丸岩の南東面ということで、多分ここが「丸岩峠*」だ。

[*地形図で、846m標高点がある岩峰「丸岩」の南側にある鞍部。等高線で標高780mほど。河田氏前掲書によると、「丸山峠」とも呼ばれるとのこと。]

丸岩峠に打たれた旧秩父セメント(株)のコンクリート杭  鞍部付近をよく見ると、丸に×マークの刻印が入ったコンクリート杭が打たれていた。これは昔の秩父セメント株式会社のロゴマークだ。

 やはり、この丸岩を含めた叶山一帯が秩父セメント(現秩父太平洋セメント)の所有地になっているようだ…。

峠付近から西方向、叶山岩壁下に鉱山の作業場あり  この峠地点には、ゴーゴーガラガラという騒音が少し喧しく聞こえてくる。西側の谷あいにその騒音を出している鉱山の作業場が見える。この谷あいの平坦地が叶後だ。

 昔の陸測図ではこの谷あいに叶後の小集落が表記されていた。現在の二万五千分の一地形図『両神山』では、鉱山の建物や構内路などが描かれている。それから、叶山周辺の地下にはトンネル道や石灰岩搬送のためのベルトコンベア道のルートも表記されている。

 叶後は昔の紀行文に出ていたような長閑な佇まいはなく、まさに地形図通り、殺伐とした鉱山の作業場に変わっていた。

橋形に組まれたベルトコンベアあり[ズーム画像]  作業場に設置された橋形のベルトコンベアを観察すると、叶山山腹の坑口から砕かれた石灰岩が運ばれていて、途中から下の平地に落とされている。これはどういうことなのだろう?

 以前拝見したネットの記録によると、叶山で採掘された石灰岩はそのまま地下のベルトコンベアで秩父市のセメント工場に送られているということだったが、これは一部この作業場に貯鉱されているのかもしれない…*。

[*後日ネットに出ていた鉱山見学者の記録を拝見したところ、叶山で採掘・破砕された石灰岩は一時この作業場(山元貯鉱場)に運ばれ、ここからさらに地下の立て坑に落とされ秩父市の工場に直結する長距離ベルトコンベアに載るそうだ。]

石灰岩の山ができた貯鉱場、背後は叶山  小休後、微かな峠道の道跡を辿って南西方向に下る。途中、雑木林の斜面を北西へ折り返して下ると、やがてスギの植林地に入る。そのあたりで道跡は消えてしまった。

 仕方がないので、そこから少しヤブめいた日陰の斜面を西へ下って行くと、間もなく鉱山の作業場の境界になっている側溝付近に降りる。

 そこから西側を見ると、巨大なトカゲが四つん這いになったような形のベルトコンベアが建っていて、そこから砕かれた石灰岩が下に落とされ、小山ができていた。

貯鉱場の北側に「牢口」あり  そして、その石灰岩の山の北側には、朝方白水沢沿いの道路から眺めた「牢口」の峡谷が見えた。

 この景観は戦前や戦後に出版された紀行文や山行記録に載っていた画像とまったく同じだ。しかし、以前あった寂れた民家の建物や川べりの草原などは跡形もなく消えて、殺風景な鉱山の作業場と石灰岩の貯鉱場になっていた。

構内にちょっと入ったところから「牢口」 石灰岩の小山の縁付近から南方向、県境尾根1040P  構内は立入り禁止らしいが、土橋になったところからコンクリートの側溝を渡り、石灰岩の小山の縁を歩いて牢口方向へ進んでみる。

 許可を得ていないので、作業者に見つかるとマズイ。周囲をキョロキョロ見回しながら20mほど北側に進み、牢口の写真を撮る。そしてすぐに先ほどの土橋まで戻る。関係者以外立入禁止ということで、小心者のねくらハイカーはこれくらいしかできない。

側溝右岸を南へ  不審者ハイカーは構内には入れないので、そこからは敷地の境界になっている側溝沿いを歩いて昔の峠道が通っていたというバンジ沢*の方へ進む。側溝は上流側でバンジ沢に繋がっているようだ。

 側溝の右岸を南へ進んで行くと、小さな堰堤があり溜池のようなものができていた。堰堤の上流にある小さな流れがバンジ沢らしい。

[*二子山の方から叶後の盆地に流れ込む小沢で、河田氏前掲書では「バンヂノ沢」としている。]

バンジ沢左岸付近から北方向、鉱山の貯鉱場および牢口  そこは一旦東側のヤブの斜面に巻いて溜池の上流側に進み、岩がゴロゴロしている沢床に降りる。

 バンジ沢の左岸は台地になっているので、ちょっと上がってみる。そこから北側をふり返ると、樹木の枝越しに叶後の平地に造られた作業場が一望できた。

 昔、春の季節に二子山方面から降りてきた旅人は、このあたりから岩壁に囲まれた桃源郷のような風景を見たのだろうか…。現在はそのような牧歌的な景観は残っていない。世の移り変わりは忙しなく速い。

バンジ沢、道跡なし  再びバンジ沢の沢床に降りて上流の南東方向へ進む。昔の陸測図には沢筋に破線道が描かれているが、すでに廃道ということで、道跡などはまったく確認できない。適当に沢沿いを登る。幸い水量が少なく、傾斜も緩いので歩きやすい。後ろに鉱山の騒音を耳にしながら河原のゴーロ歩きで進む。このあたりでは右岸がスギの植林地、左岸が落葉した雑木の斜面になっていた。

 それから、沢床には太い導水パイプが通っていた。パイプは上流側でゴミを漉すためのネットが入ったドラム缶に繋がっていた。どうも、この沢は作業場の事務所で使う水の水源になっているようだ。

 そこから倒木や流木があるところを過ぎて行くと、右岸に石垣のような石積み跡があった。炭焼き窯の残骸のように見えるが、凡人ハイカーには何だかよくわからない。

 途中、石灰岩の大岩の上で休憩する。鉱山の作業場からいくらか遠くなったようで、騒音もそれほど気にならない。このあたりではシジュウカラやコガラのような小鳥が飛び回っていて、微かに早春の和やかな雰囲気が漂っている。小鳥は何か樹木の芽吹きを待ちきれなくて枝から枝へ忙しなく動き回っている感じだ。気温は7℃ほど。ハイキングにはちょうどいい。
左岸の平坦地に石積みあり  右の左岸に何本か小さな枝沢を見ながら本流沿いを南東へ登って行くと、正面から日が当たり出した。明るい雑木林の沢筋を進んで行くと、左岸にちょっと開けたような平坦地があり、そこに低い石垣状の石積みが見えた。周囲には古い甕の破片や何か化粧品の小瓶のようなものが落ちている。

 どうも、この石積みは人が住んでいた建物の土台のようだ。叶後から少し離れているので、作業小屋のような建物があったのだろうか…。このようなものがあるということは、やはりこの沢沿いに道が通っていたのは間違いなさそうだ。

上流に林道開削現場あり  そこから上に登って行くと傾斜が少しきつくなってくる。途中には新しい木杭が打たれたところもある。

 さらに両側が狭まったところをトボトボ登って行くと、コンクリートの堰堤のようなものがあり、その上部は樹木が伐採され大きく開けていた。林道の開削現場*らしい。

[*あとで調べると、林道二子山線の西側工区。]

右岸を登って林道へ  林道まで沢の傾斜がきついので、途中から右岸の取り付いて枝尾根状の斜面を登る。しかし、その尾根筋は上部が林道工事のため杉林が伐採され、そのまま丸太材が放置されていて登れなくなっていた。

 仕方ないので再び右岸を下り、途中から南へトラバース気味に登ってどうにか建設中の林道に出る。林道から北西方向をふり返ると、叶山山頂部の採掘現場あたりまで見えた。

バンジ沢上流、上部に県境尾根  そこからは水量がほとんどない沢筋を登る。上部に見える雑木が生えた稜線が県境尾根らしい。この涸れ沢は倒木が多く、両側の斜面は少しヤブめいている。昔の峠道は跡形もなく消滅したようだ。

 そのうちに沢の傾斜が増して両側が切り立つ掘割状になってきた。ヘタレハイカーはこのあたりから急激にペースが落ちる。落ち葉が溜まった涸れ沢を一歩一歩蟻んこの速度でのろのろ行く。

県境手前に細い踏み跡(水平道)あり、右(西)へ 左(南)へ折れて県境へ  県境尾根の稜線まであと10mほどの地点にさしかかると、草地の斜面に細い踏跡が水平に走っていた。これは、もしかすると、峠道の道跡かもしれない…。

 そのように考えて、そこからは尾根に直登するのはやめ、草地に付いた細い踏跡を辿って右(西)へ進む。踏跡は尾根の鞍部から少し西に登ったあたりで左(南)に折れて、ひょっこり県境の稜線に出る。

埼玉側[道標の南側付近から]  その県境地点から埼玉側を眺めると、南東斜面がきれいに伐採されて、好展望が広がっていた。北東に二子山の岩稜、南西に両神山方面のギザギザした稜線が見渡せる。

 ねくらハイカーは今から25年ほど前に坂本から二子山に登ったことがあるが、そのときもここを歩いている。当時はこのような展望はなかった。伐採は近年行われたものらしい…。

魚尾道峠(魚尾峠)付近に設置された道標 魚尾道峠付近から両神山方面  ひとまずそこから小鹿野町が設置した道標がある鞍部に下る。三方向を示す道標が立つこの県境の鞍部付近が、昔の魚尾道峠*だ。以前はここから群馬側に山道が通っていたわけだが、今はその道跡はなく、道標には県境の北東方向に「西岳」、県境の西方向に「志賀坂峠」、埼玉側の南西方向に「坂本」を示すのみ。

[*地形図の等高線で標高1000mほど。須田茂 著『群馬の峠(みやま文庫179)では標高1100mとある。]

北東方向に岩骨稜々たる二子山西岳西側山頂部 群馬側に旧秩父セメント(株)の古い看板あり  小休後、県境の尾根筋を「西岳」方面に進む。この鞍部付近は北西の風が当たる。日差しがあれば何でもないのだが、今日は上空に雲がかかって少し冷たい。

 歩き出して間もなく群馬側の雑木林に白い看板があった。近寄って見ると、それは昔の秩父セメント株式会社が設置したもので、叶山鉱山への立入りを禁止する文言が書かれていた。以前峠道が叶後に通じていた頃のものらしい。

ローソク岩分岐(県境尾根地点)  そこから県境尾根を少し行くと、また三方向分岐の道標地点となる。このまま県境の道を進んで西岳へ直登してもよいのだが、二子山は股峠から登るのが一般的なので、「ローソク岩」方面の山腹道へ進む。

 伐採地に付けられた明瞭な踏み跡を東へ辿って行くと、やがてスギの植林地に入る。

二子山南面の道(山腹道)を東へ  日陰の植林地からは左上に切り立った灰白色の岩壁が見える。二子山は岩登りの恰好の練習場ということで、クライマーに人気がある。南面の山腹にはクライマーたちが歩いた踏み跡が数多く付いていた。

 埼玉県森林公社の火の用心の看板を見て、埼玉県のコンクリート杭が打たれた小道を東方向へ進んで行くと、後ろでガサガサ音がした。何か動物でもいるのかとふり返ると、こぶし大の石灰岩が斜面を転がっていくのが見えた。誰か岩登りの方でもいるのだろうか?何かちょっとヤバそうだ。これは頭上に注意して歩くしかない。

 植林地の樹木はそのうちにスギからヒノキに変わる。

ローソク岩分岐(山腹道地点)  途中、樹林が開けたところから両神山方面を眺めたりしながら静かな山腹道を進んで行くと、古い感じの道標が立つ地点を通る。道標は北に「ローソク岩」を示していた。このローソク岩への道は岩登りコースらしい。

 岩登りに無縁な凡人ハイカーはそのまま東の股峠方面に進む。

西岳岩壁直下の道から東方向に東岳(右奥)  少し南へ巻いたりしながら山腹の小道を辿って行くと、やがて岩壁直下を進むようになる。そのあたりから前方の樹間に坊主頭の岩山が見えた。二子山の東岳だ。これは股峠も近い…。

 岩壁の付け根に沿った道をトロトロ行くと、オーバーハング状の岩壁の下で岩登りの装備をした若い男女の二人組がいた。岩壁の上部からすでに登攀用のロープがセットされていて、ヘルメットを被りハーネスを着けた女性が登攀の準備をしている。そして傍らの男性がそれを甲斐甲斐しく手伝っていた。何かロッククライミングというよりも、フリークライミング志向の方々らしい。このあたりのオーバーハングの岩壁を登る練習に来たという感じだ。岩登りに無縁な凡人ハイカーは二人に軽く挨拶して通り過ぎる。

十二天狗を祀る祠(?)  そこから20mほど行くと、岩壁の真下に赤錆びた鉄製の祠が祀ってあった。賽銭が供えられた祠には、「十二天神大…」と書かれた木札が納めてある。河田氏の紀行文によると、これは十二天狗を祀るもので、このあたりは「庚申屋敷(こうしんやしき)」と呼ばれたそうだ*。

[*河田氏前掲書参照。原氏の紀行文では十二社大神を祀ったものとする。]

ローソク岩分岐(股峠道地点) 登山道(峠道)を北へ  そこから少し行くと、道標が立つところに着く。股峠と坂本方面への分岐だ。

 そこからは両側にトラロープが張られた道を辿って股峠に向かう。この明瞭な登山道が坂本と矢久や森戸を結んでいた峠道(股峠道)だ。

股峠  少しぬかるんだ道をひとつ折り返して北へ上がって行くと、間もなく四方向の交差道標が立つ鞍部に着く。股峠*だ。以前読んだ本によると、戦前はこの峠を越えて毎日学童が通学してたそうだ。

 道標は西に「西岳」、東に「東岳」、北に「倉尾」、南に「坂本」を示していた。近くには二子山西岳の案内図や注意を喚起する看板などもある。道標の裏には西岳40分・東岳30分と所要時間なども表示されていた。

 ところで、この道標の支柱部分には例の那智山青岸渡寺の木札が付いていた。かなり新しい感じなので日付を見ると、平成二十一年二月吉祥日となっていた。ということは、先月ここに青眼渡寺の関係者が訪れたわけだ。二子山に登りに来たのだろう。

峠付近に打たれた旧秩父セメント(株)の杭  それから、この鞍部付近をよく見ると、あの丸に×マークの刻印が入った杭が打たれていた。

 今から30年ほど前にこのあたりを歩いた方の紀行文*によると、地元のタクシー運転手からセメント会社が二子山を買収したという話を聞いたそうだ。やはり、二子山買収の話は本当らしい。現在の秩父太平洋セメントが二子山の採掘権を持っているというわけだ…。

[*小板橋光(こう)著『秋山郷と西上州の山々』(山と渓谷社刊)参照]

上級者コース・一般コース分岐、右の一般へ 巻き道の途中から南東に二子山東岳  ねくらハイカーは岩登りが苦手なので、以前と同じように巻き道の一般コースで西岳に登る。檜林に雑木類が混生した斜面を北西寄りに登り、途中で右の一般コースに巻く。よく踏まれた登山道をジグザグに登って行くと、やや岩が多い斜面を登るようになる。

 登山道には固定ロープやクサリなどもあるので以前登ったときより歩きやすい。途中、南東方向をふり返ると、東岳も見えてきた。天候も回復したので好展望が期待できる。

途中に道標あり  快調に巻き道を進み山頂方向を示す道標があるところまで来ると、上の方から話し声が聞こえてきた。山頂付近に先客の登山者がいるようだ。平日といえども春休みということで、学生の方が登っているのだろう。三角点付近が占領されているようなので、ここで一時停止して休憩する。

 この道標地点からは北東方向に父不見山や御荷鉾山方面の山々が樹木の枝越しに見えた。北方向には赤久縄山方面のゆったりとした稜線も望める。暫し枝越しに北側の山並みを眺めてみる。

巻き道から山頂へ 上級者コース(左)との合流地点、右に三角点方面  そのうちに話し声も聞こえなくなった。山頂付近から移動したようだ。そこで再び岩の多い斜面を登って道標がある山頂部の岩稜に出る。

 そこは左(東)から上級者コースが合流する地点で、期待通りの展望が広がっていた。

北東方向、手前に県境尾根と父不見(右)、後方に西・東御荷鉾・雨降 北方向、後方中央に赤久縄  北の赤久縄山や北東の東西御荷鉾山はもちろん、南東の毘沙門山(白石山)あたりも見えた。

 それから南方には両神山とそれに連結するゴツゴツした山尾根を遠方まで見渡すことができる。残念ながら南側は雲がかかっているので、奥秩父方面の山並みは少し霞んでいた。

西へ行く途中から東方向、右に西岳1峰、後方に毘沙門山 南方直下に坂本集落、その上部に両神山  それから南方直下には国道299号のカーブ道と坂本の集落が見えた。

 山頂部の稜線上は北西からの風がモロに当たる。気温は5℃ほど。風が冷たい。

西岳三角点峰(西岳2峰)山頂  道標から東へ辿れば中央稜がある西岳一峰まで行けるのだが、ここは西側にある三角点ピークの二峰へ向かう。

 岩稜の隙間部分には朝方降った雪がまだ融けずに残っていた。ちょっとヤバそうなので岩角に手をかけて慎重に進む。尾根筋をひと岩進むと、山頂の標識と三等三角点の標石が設置されたピーク地点に着く。ここが1165.8mの二子山の三角点峰山頂(西岳二峰)だ。眺めはいい。

 西の方から何やら熊除けの鈴の音が聞こえてくるので、そちらに目をやると、若い男性の三人組が岩稜を西へ下山して行くのが見えた。先ほど山頂で休んでいた人たちらしい。岩登りのクライマーではなく、一般ハイカーのようだ。

二子山西岳三角点峰に置かれた青眼渡寺の木札  休憩しながら標識を見物すると、1165.5mという昔の標高が表記されていた。それから、股峠と同じように青眼渡寺の木札あった。釘打ちするのが憚られてか、標識の柱部分にちょこんと置かれていた。

 二子山に奉納されているということは、おそらく両神山にも供えられたことだろう。

南西に両神山・八丁峠・赤岩尾根方面、右端に大ナゲシ  改めてその両神山方向を眺める。よく見ると、赤岩尾根の右側にちょっと尖ったピークが確認できる。大ナゲシだ。

 少々地味ながらも両神山や赤岩尾根の岩峰群に負けじとばかりに尖っている。群馬の住人には何とも頼もしく感じられる。

山頂部岩尾根を西へ  休憩後、岩稜を西へ辿る。少しヤセた岩尾根だがしっかりしたルートが通っている。鋭く尖った岩稜は長年の雨水で浸食されて一見崩れやすそうに見えるが、石灰岩ということでねっちりと粘りがあり安定している。

 バランス感覚が衰えたヘタレハイカーは三点支持で何とか岩場を下り、あとは展望を楽しみながら岩尾根に沿って進む。

 以前登ったときは何もなかったが、今回は岩のルートにペンキマークが描かれ、一般者立入り禁止の危険箇所にはロープが張られ格段に歩きやすくなっていた。それから各所に岩登り用のボルトなども打たれている。地元の小鹿野山岳会が整備したようだ。

3峰手前付近から東方向ふり返り、西岳三角点峰(2峰)  途中、下ってきた三角点ピーク(二峰)をふり返ると、結構ヤセた感じに見えた。どうも、二子山は南北にヤセ過ぎているということで、採掘を免れたのかもしれない。

 それに引き換え、叶山は南北に多少ボリュームがあるので、先に狙われた感じがする。何かそのように思えてきた。

途中の岩場から北西方向、左側に叶山・丸岩、右側に林道[二子山線]  それから、その採掘中の叶山を眺めながら岩尾根を北西寄りの方向に進む。眺めはいいのだが、時折雲がかかって天気はイマイチすっきりしない。

 群馬側に建設中の林道を眺めると、現在西側と東側から工事が進行中だ。このあたりは林道工事や森林の伐採そして石灰岩の採掘が進んで景観がどんどん変化している。もう、昔のような静かな山歩きができる雰囲気ではない。

 朝方登ってきた大クボ沢あたりに目をやると、叶山の右側にちょこんと丸岩の岩峰が確認できた。

叶山山頂鉱床部(2009年3月現在)[ズーム画像]  さらに西へ進み県境を越えると、叶山の山頂鉱床部がよく見えてくる。山腹に付けられた林道は叶後の作業場と繋がっている。以前谷だった南斜面には残土置き場も造られているようだ。

 ねくらハイカーは1990年代の初め頃、瀬林(せばやし)から山頂部が20パーセントほど削られた叶山に登った。すでに入山は禁止になっていたので、人に見つからないようにこっそり登ったわけだが、途中の立入り禁止のロープが張られたところを越え、山腹の作業林道も横切って無理やり登って行ったところ、山頂付近は周囲に金属ネットが張られ入れないようになっていた。平に削られた山頂部には何もなく、大型重機が露天掘りされた岩石を立て坑に落としている様子をネット越しに見物して下山した。現在はそのとき登った斜面もすでに消滅してしまった。採掘が急ピッチで進んでいる。

南西へ下る  岩尾根のルートはそのうち南西への下りになる。そのあたりから東をふり返ると、西岳の二峰(三角点峰)や三峰あたりが見えた。このあたりで多少スリルのある岩稜歩きは終了となる。

 岩がゴツゴツ出た尾根筋を進んで行くと、クサリ場がある。地元の山岳会が設置した新しい感じのクサリを補助にして5、6mほどの岩場を下り、さらに固定ロープなどを使って南側に下って行くと、間もなく檜林の境界となった岩稜の付け根付近に降りる。

県境を南西に下って伐採地へ 伐採地から左上(東)方向、〜西岳3峰・2峰・1峰  そこから岩壁沿いを一旦南東へ進み、途中から南西へ折れて下る。このあたりから県境らしい。間もなく埼玉側に見晴らしのある伐採地に出る。

 伐採地から左上(東)には今まで歩いてきた西岳の岩稜が聳えていた。

ローソク岩分岐(県境尾根地点)付近から両神山方面  そこから少し下ると、午前中通ったローソク岩分岐の道標地点に着く。この尾根筋は風が当たるので、埼玉側の伐採地に避けて一息入れる。

 気温は13℃に上がっていた。ハイキングにはちょうどいい。伐採地の斜面をよく見ると、すでにヒノキが多数植林されていた。現在は眺めが良好だが、多分あと20年もすれば、この埼玉側の斜面は見通しの利かない日陰の樹林帯になってしまうだろう…。

群馬側の斜面を北へ(魚尾道峠付近)  そこから坂本方面への道標がある魚尾道峠まで進み、さらに志賀坂峠への尾根道にちょっと上がった地点から群馬側の細い踏み跡に入り、山腹道のような踏跡を北へ辿る。この細い踏み跡が昔の峠道かは不明だが、試しに歩いてみる。

 往路で登ってきたバンジ沢上流部の谷筋を左下に見て、さらに水平に進んで行くと、スギの植林地に入る。

往路のバンジ沢を北西へ  踏跡はその先で植林地の斜面をやや上り気味に付いていた。さらに進んで行くと、踏跡は不明瞭となり、やがては消えてしまった。どうも、この微かな踏み跡は植林地への作業道らしい…。

 仕方ないので、そこからは左下(西)のバンジ沢に向かって荒れた植林地を下る。どうにか、バンジ沢の沢床に降りて、往路と同じ涸れ沢のルートを北西へ下る。往路同様道跡はない。

バンジ沢付近林道開削地点(2009年3月現在)、林道を北へ  開削中の林道まで下り、そこからは出来たてほやほやの林道を北寄りの方向へ進んでみる。バンジ沢を下って叶後へ降りるよりも、二子山から北西に延びる支尾根に下って丸岩峠あたりに降りれば上手くショートカットできそうだ…。

 そのように皮算用しながら林道をスタスタ行くと、50mも進まないうちに開削中断地点となってしまった。そしてその先は崩落地になっていて、通行不可。左下はややフラットな斜面で、下側が丸岩峠につづく支尾根に繋がっているのか不明。

 ここは無難に南へ戻り、再びバンジ沢右岸のヤブの斜面に下る。数分後、何とか沢床まで降りて往路のルートを北西へ下る。

バンジ沢、叶後手前付近  途中の人が住んでいたような気配がする左岸の石積み跡の平坦地を過ぎ、岩が多い細い流れの沢筋を下って行くと、再び鉱山からの騒音が大きくなってきた。

 さらに沢筋に敷設された導水パイプを見ながら下って行くと、沢沿いの雑木越しに鉱山の作業場がある平坦地が見えてくる。昭和の初め頃、二子山から叶後へ下ってきた旅人は、このあたりから特徴的な牢口の景観と粗末な人家を見たようだ…。

 昭和3年(1928年)の12月30日に「霧の旅会」会員の神谷恭(きょう)氏が武州河原澤の尾ノ内の宿に泊まり、翌日(31日)八丁峠を経由して両神山へ登った。登頂後は日向大谷へ下り楢尾沢峠(奈良尾澤峠)を越えて宿に戻る。年が明けて昭和4年(1929年)1月1日には、その足で二子山に登り上州側の叶後へ下って民家に一泊する。神谷氏は翌日(2日)朝早く叶山に登り、帰りは神流川沿いの十石峠道に下って万場の旅館に投宿した。

 同じく「霧の旅会」会員の河田驕iみき)氏とその連れの印南英治氏が、昭和4年1月1日の午後遅く尾ノ内の神谷氏が泊まった宿に入る。河田氏は宿の主人の話や宿帳などから前日と前々日に神谷氏が宿泊したことを知る。彼らは翌日(2日)二子山に登り、帰りは上州側の叶後に下る。そこで神谷氏が前日泊まった人家に立ち寄る。河田氏が「あばら屋」と形容したその民家は、ちょうど二子山から下ってきた旅人が否が応でも立ち寄る位置にあったらしい。河田氏の紀行文によると、当時その家には「年の頃十六七の片ゑくぼの可愛い娘」がいたそうだ。河田氏らはその容貌の美しさに多少なりとも魅惑されたらしい。そこで彼らは民家で一泊しようかと考えるが、神谷氏の消息などを聞いて、やはり当初の計画通り神流川沿いの十石峠道に下ることにした。その際、彼らは後ろ髪を引かれる思いでその家を辞したようだ。河田氏らはその日のうちに万場の宿で神谷氏と再会する。そしてその夜は、その叶後の少女のことが話題となり、深く旅人の記憶に残る*。

 同じく昭和3年の年末から昭和4年の正月にかけてこの付近を旅した原全教(ぜんきょう)氏が、1月2日に中津川方面から八丁峠を越えて尾ノ内に下り、神谷氏や河田氏が泊まった宿屋に入る。彼も宿の主人の話や宿帳から前日・前々日に河田氏や神谷氏が宿泊したことを知り、同宿できなかったことを残念に思う**。原氏にとって河田氏や神谷氏らは山の先輩格に当たる存在だった。原氏も翌日(3日)は二子山に登り、帰りは叶後に下っている。そして彼も、山の先輩同様、叶後の民家の前で魅惑的な若い娘を見る。原氏によれば、「目許涼しく蝋細工を想わせる色白の瓜実顔、撫で肩のきゃしゃな手つき、夢二か歌麿の絵から抜け出してきたような美女」だったそうだ。その強靭なる精神と肉体とをもって奥秩父の山や谷を隈なく歩き回った山の男も、この叶後の娘にはかなり惹きつけられたらしい。原氏はその民家に一泊して娘の父親の身の上話などを聞く。この身の上話がまた何か泉鏡花の小説に出てきそうな話で、原氏は痛く感動し、深く記憶にとどめた。翌日(4日)は叶山に登り、帰りは山の先輩方と同じく神流川沿いの十石峠道に下る。原氏は別れ際に父娘との再会を堅く誓ったそうだ。原氏はさらに赤久縄山などを登って旅をつづける。その後、彼がこの父娘に再会したかは定かでない***。

[*河田氏前掲書および神谷恭氏遺稿集『低山高蹤』(茗渓堂刊)等参照]
[**原氏の紀行文では一昨日(12/31)は浦和の人が二人(河田氏ら)、昨日(1/1)は横浜の人が一人(神谷氏)となっているが、これは原氏の勘違い。]
[***原全教 著『奥秩父回帰』(河出書房新社刊)参照]
 実のところ、野次馬根性のねくらハイカーは、この叶後のエピソードが書かれた河田氏や原氏の紀行文を読み、是非とも叶後を見物したいと思って今日訪れたわけだが、彼らが目にした人家はすでに廃滅し、荒涼とした鉱山の作業場と貯鉱場に変貌していた。そして、戦前・戦後に叶後を訪れた山岳関係者が記述した風景や寂れた山村の営みなどはすべて跡形もなく消え失せていた。何とも残念な気分だが、致し方ない。
石灰岩排出中の落下位置可動式ベルトコンベア 境界の側溝に沿って北へ  往路と同じようにバンジ沢から叶山鉱山の構内東側を通って丸岩方向へ進む。貯鉱場の排出コンベアを眺めると、相変わらず砕石された石灰岩が凄まじい勢いで下に落とされていた。

 境界となっている側溝の縁を歩いて午前中降りてきた杉林の下あたりまで進み、そこから少しヤブめいた植林地を東方向に登る。しかしながら、朝降りてきた峠道の踏跡は見つからずに少しタイムロス。

微かな踏跡(昔の峠道)を辿って斜面を登る 丸岩峠  仕方ないので、斜面を15mほど直登してから南方向へ水平に進み、杉林を抜け出すと、微かな踏跡が見つかった。

 そこから午前中歩いた踏跡を丸岩峠に向かう。

丸岩南東面の岩壁  峠で一息つく。小休がてらに丸岩の岩壁を見物する。

 佐藤氏のエッセイによると、叶後にまだ人家の廃屋が残っていた頃、佐藤氏らは近くの川辺にツェルトを張ってそこをベースにして叶山やこの丸岩に登ってゆっくり過ごしたそうだ。高さ10mほどの岩壁はカルスト状に浸食されて溝がいくつも付いている。彼女はこの岩壁を登って丸岩の山頂から展望を楽しんだのだろうか…。

 ねくらハイカーは昔の峠道を歩くのが本日の目的ということで、峠付近にある岩場からもう一度西側の叶後の貯鉱場を一瞥し、南東方向へ下る。

落ち葉が溜まった涸れ沢[土持沢]  前方(南東)の樹間に二子山西端部のピークを見ながら落ち葉が溜まった斜面を下り、涸れ沢に降りる。

 そこから対岸の斜面を眺めると、落ち葉が厚めに溜まっていて、峠道のルートが消えていた。

道跡を辿って小尾根の乗越へ 小尾根の乗越地点  そこで、午前中に自分で付けた目印から右岸の斜面に取り付いて峠道の道跡まで上がり、そこから小さな岩峰がある小尾根の乗越地点に登る。

小尾根の乗越付近から西方向、丸岩峠(中央)〜丸岩(右)  乗越付近からは、西方向に丸岩の岩峰と先ほど休憩した峠の鞍部が見えた。また、反対の北東方向には林道の開削現場*も見える。

[*林道二子山線東側工区]

明瞭な道跡あり、東へ  そこからは大クボ沢左岸の斜面に下る。乗越の尾根付近は明瞭は道跡があるのだが、その下がどうなっているのかわからない。朝方、沢から見上げたときは左岸の斜面は急峻で、とても峠道が通っているような雰囲気ではなかった。道跡が残っているか疑わしい。

 最初はハッキリした道跡も、ひとつ緩い尾根状の斜面を東へ周り込んで行くと、やや不明瞭になってきた。さらに東へ下って行くと、今にも崩れそうな土砂の傾斜地となり、微かな踏跡はその先で消えてしまった。

 これはルートを間違えたのかと思って、明瞭な道跡が残る地点まで戻り、そのあたりで下りの折り返し道があるか探してみる。しかし、道跡はなかった。

谷筋へ向かって下る 微かな踏跡を辿って北西へ下る  仕方ないので、再び踏跡が消える手前付近まで下り、そこから谷筋に向かって真っ直ぐ下る。傾斜は急だが樹木が生えた土の斜面なので、補助ロープを出さなくても何とか下れる。

 気を引き締めて20mほど下って行くと、シカ道のようなものが水平に通っていた。そこで、そこからはその踏跡を辿って北西方向に下ってみる。踏跡は弱々しいが、シカ道のように途中の枝尾根で消え失せるようなものではなく、しっかりとつづいていた。多分これが先ほどの崩落状の斜面で見失った峠道のつづきの折り返し道らしい…。

細い踏跡を辿って大クボ沢の砂防堰(3番堰)付近へ  か細い踏跡を追って急峻な斜面をトラバース気味に下って行くと、右下に大クボ沢の沢筋が見えてきた。これで何とか沢に降りられそうだ…。

 そこから2分ほど下ると、30m下に朝方越えて行った砂防堰*が見えた。ここは真下の砂防堰に向かって下れば往路のルートと合流となるが、峠道のルートを確かめたいので、そのまま踏跡を辿る。

 さらに3分ほどゆるゆる下ると、傍らに砂防堰がある大クボ沢左岸に出る。ここは左岸が雑木林の平坦地になっているので、3番目の堰らしい。

[*あとで確認すると、4番目の堰。]

下ってきた斜面のふり返り(3番堰左岸付近)、峠道(?)の取り付きあり  ということは、昔の峠道はこの堰付近から左岸の斜面に取り付いていたようだ。それにしても周囲は雑木類のヤブ林となっていて、昔の峠道がここを通っていたとはとても想像できない。

 佐藤氏のエッセイによると、昔は叶後から毎日丸岩峠を越えて宮地にある学校へ通っていた人もいたそうだ。時は過ぎて、叶山の採掘が始まり峠道は通行禁止となる。歩く人がいなくなれば道はたちまち廃道と化す。今日、改めてそれを実感する。

 そこからは往路のルートを進む。途中、2番目の堰は岩場になった左岸から下ろうとしたが、下れずにタイムロス。往路と同じように右岸の斜面に巻いて下る。そのあとはダラダラ沢筋を進む。
左上に聳える丸岩 岩壁に穴あり[ズーム画像]  左上には巨大な要塞のような丸岩の岩峰が聳えている。丸岩の岩壁をよく見ると、上部に横穴が開いていた。空気抜きの穴らしい。

 以前、叶山の採掘が始まって間もない頃、神流川沿いの道路を走行中に叶山の山腹に開けられた横穴を見たことがある。それとまったく同じような穴だ。

白水隧道入口付近へ、左岸に白水の滝 シャッターが開いた白水隧道(叶山鉱山入口)、遮断機あり  ということは、丸岩の内部にはすでに坑道が通っているわけだ。そうすると、叶山と同じように丸岩もいずれは削られてしまうかもしれない…。となると、牢口の景観も消失…。

 そのようなことを考えながら沢筋を西へ進んで行くと、やがて白水の滝がかかる白水隧道入口付近に出る。鉱山の作業場は現在就業中ということで、トンネル入口のシャッターは開いていた。

白水沢右岸の道路を北へ  そこから白水沢右岸の車道を北へトボトボ歩いて駐車地点に戻る。

 今日は一応「魚尾道(よのおみち)」のルートを歩いたわけだが、峠道の道跡はほとんど消滅していた。しかし、何とか昔の旅人が歩いた道を辿って二子山に登り、現在の叶後を見物できたのでヨシとする。


日程2009年3月27日 (金)
天候曇りのち時々晴れ、朝方降雪あり、稜線上北西の風
行程時刻林道駐車地点(白水沢右岸)7:02→白水隧道入口・白水の滝7:08〜7:10→(大クボ沢を南東へ)→(砂防堰を4箇所越える※途中からルートミス)→小滝地点7:32〜7:36→(戻り)→鳥獣保護区赤看板地点7:37→(左岸を高巻く)→(上流側で再び沢筋に下って南東へ)→(休憩5分)→(途中から左岸の斜面を南西へ)→(途中、杭に沿って北西へ)→尾根地点[二子山北西側枝尾根830m(?)付近]8:28〜8:40→(北西へ尾根を下る)→小岩峰がある乗越地点8:48〜8:58→(南へ下る※これより峠道ルート)→(涸れ沢に降りて左岸を北西へ)→丸岩峠9:10〜9:20→(南西へ)→(北西へ)→(スギの植林地で踏跡消える)→(西へ下る)→叶山鉱山[山元貯鉱場]東側付近9:28〜9:40→(バンジ沢を南東へ)→(休憩10分)→(林道開削現場手前で左岸に登ってタイムロス)→林道[二子山線]開削現場10:28〜10:33→(バンジ沢上流へ)→(途中、山腹の踏跡を西へ辿る)→県境尾根地点10:45〜11:50→(北東へ)→魚尾道峠11:51〜11:00→ローソク岩分岐(県境尾根地点)11:01〜11:02→(山腹道を東へ)→ローソク岩分岐(山腹道地点・ローソク岩直下)11:17〜11:19→(東へ)→十二天狗(?)の祠11:26→ローソク岩分岐(股峠道地点)11:27〜11:28→(東へ)→(北へ)→股峠11:30〜11:35→(北西へ)→(途中から右の「一般コース」巻き道へ)→(途中10分ほど休憩)→(南へ)→西岳頂稜部道標地点(「上級者コース」合流地点)12:08〜12:16→(西へ)→西岳三角点峰(西岳二峰)山頂12:17〜12:27→(頂稜部を西へ)→(県境を越える)→(南西へ下り)→(南へ)→(岩稜基部を南東へ)→(途中から南西へ折れて県境沿いへ)→ローソク岩分岐(県境尾根地点)13:23〜13:30→魚尾道峠13:31〜13:32→(県境を南西に進んですぐに群馬側の踏跡に入る)→(山腹を北東へ)→(バンジ沢源流部を過ぎて北へ※ルートミス)→(スギの植林地で踏跡消失)→(植林地を西へ下る)→(バンジ沢を北西へ)→林道[二子山線]開削現場13:45〜13:50→(林道を北へ※ルートミス)→開削中断地点13:51〜13:53→(南へ戻り)→(バンジ沢に下って北西へ)→(休憩5分)→叶山鉱山[山元貯鉱場]東側付近14:22〜14:30→(スギの植林地でルートミス、タイムロス5分以上)→(斜面を直登)→(南へ)→(峠道のルートを南東へ)→(北東へ)→丸岩峠14:48〜58→(南東へ)→(涸れ沢に降りて右岸を北へ)→乗越地点15:11〜15:15→(東へ)→(崩落斜面で峠道の道跡消失)→(北東へ下降)→(途中、踏跡を辿って北西へ)→バンジ沢左岸(3番堰付近)15:35〜15:41→(沢筋を北西へ)→(2番堰の下りでルートミス、タイムロスあり)→白水の滝・白水隧道入口15:57〜15:58→(林道を北へ)→駐車地点16:05
備考♦この記録は峠道歩きを目的としたものです。二子山は、現在埼玉側の林道西秩父線の登山口から股峠経由で簡便に登ることができます。
♦叶山および叶山鉱山周辺は、関係者以外の立入りは禁止されています。今回は昔の峠道を歩くということで、関係者の皆さまには何卒ご宥恕のほどお願い申し上げます。

◇ T N H C ◇

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