さらにその先で左にツバメ沢支線の道が分岐する尾根地点を越えると、林道からの見晴らしがよくなる。前方には皇海山の山影も見えはじめた。また、左(北西)方向には残雪の上州武尊山の山並みが見渡せる。天候は一応晴れているが、西の方はすでに薄雲がかかっていた。
さらにゆるゆる山腹の道を走らせて行くと、左手に小屋*のある広場が見えた。その先には深山橋と同じようなガードレールが付いた欄干の橋がある。広場に車を停めて橋の銘板を確認すると、「砥沢橋」と出ていた。ここが六林沢(六林班沢)だ。
広場の駐車地点に戻って準備にとりかかる。気温は12℃ほど。小屋は現在使われていないようだが、広場にはゴミが多い。多分ここは釣り人の溜まり場になっているのだろう。
左から来る支流をひとつ渡ると、立木にピンクテープの目印が付いていた。釣り人か林業関係者が付けたものらしい。
しかし、その高巻きのルートも、左からの支流が流れ込む地点でまたもや傾斜の急な崖となってしまった。そこを通過するには右下の沢へ降りるか、左上の山腹を巻くしか方法はない。
崖際から少し南方向へ戻り気味に急斜面を登る。アズマシャクナゲのヤブ林に入ると、ちょうどピンクの花が満開となっていた。多少得した気分でヤブの斜面を登って行くと、右下が緩い傾斜地となってくる。
休憩後、小沢の左岸に取り付きヤブの急斜面を登って行くと、ひょっこり作業道のような明瞭な道に出た。アレ、これが昔の道だろうか…。ということは、峠道は六林沢をかなり高く巻いて山腹を通っていたのかもしれない。
右下に六林沢の渓流を眺めながら下り気味に西方向へ進んで行くと、やがて大きな崩落地に突き当たる。その地点で山腹の道は消失していた。
ひとまず河原で一息つく。このあたりの樹木はまだ若葉なので多少明るいが、夏場は鬱蒼とした日陰の渓谷となる感じだ。
石灰岩の欠片が散乱した崖状のところを過ぎ、流木や倒木が多いヤブめいた感じの河原を進んで行くと、傍らに人工的な石積みが見える。近寄って見ると、幅1.5mくらいの堤防のような石垣があった。建物の基礎部分か、石垣の道なのか不明*。
石垣の周囲には鮮やかな紅色をしたクリンソウの花が咲いていた。そこから河原を少し進むと、また大きめな石垣があった。
仕方ないので沢に沿って右岸の笹ヤブをトラバース気味に進み、再び左下の河原に降りてみると、樹木にペンキマークがあり、沢筋に落差が2mほどの滝がかかっていた。
しかし、西へ進んだものの、その先は崖状の急斜面となっていた。仕方ないので、北方向にヒノキの植林地を登る。
ということで、しばし急傾斜のヒノキ林を北へ登る。きつい登りなので、体力が衰えたねくらハイカーには応える。いつものように休み休み登る。そのうちにカラマツの植林地となる。
そこから急傾斜の植林地をえっちらおっちら登って行くと、開けた尾根*に出る。多分六林沢(砥沢)と不動沢を分ける尾根だろう。しかし、赤土がモロに露出していて何か曰く有りげな感じがした。
そこから開けた感じの尾根筋を東方向へ進む。カラマツ林は新芽が出たばかりで明るい樹林帯となっていた。周囲の雑木林からはハルゼミの声が賑やかに聞こえてくる。時季的にシロヤシオやムラサキヤシオの花も咲いていて、のどかな雰囲気だ。
そのうちにコブ状の緩やかなピーク*に着く。そこには「山」と彫られた標石が埋設されていた。標石の反対面には旧字体で「圖根點」とも刻字されている。
さらに下り気味に進むと、平坦な小鞍部*に着く。一息つきながらふと立木をふり返ると、標識が付いていた。矢印が南方向を示し、「左ヤブ道 砥沢下り口」とある。これは高桑氏の著書にも出ていた砥沢方向を示す標識だ。
さらに周囲を見回すと、傍らの樹木の根元に「八丁峠」と表記された白塗りの標識が落ちていた。針金が付いているので、元々樹木に掛けられていたものが落下したようだ。多分、かつて根利山の集落に住んでいた方が取り付けたものだろう。
ねくらハイカーは先ほど砥沢付近を通り過ぎてしまったので、集落跡の遺構や皇海荘を見物していない。そこでもう一度砥沢に行ってみようと、峠の標識地点から南東寄りに植林地を下ってみる。
間伐材が細かく切られて捨てられたところを過ぎ、ミズナラの大木などを眺めながらトロトロ下り気味に進んで行くと、ほどなく栗原川林道が通る地点*に出る。
そこからは不動沢の方へ進む。砥沢橋から六林沢を遡って六林班峠へ向かうには、ルートが不明でハイカー風情にはちょっと無理に思えた。ここは不動沢の登山道から鋸山へ登り、そこから六林班峠に下って砥沢橋方向へ降りた方が無難だ。
やがて左下に不動沢の新しい砂防堰をみると、皇海山の登山口に着く。以前ここから2回ほど皇海山に登ったことがあるが、現在は立派な登山口となっていて少々驚いた。やはり百名山ブームで賑わっているわけだ。
林道入口の遮断機を過ぎ、次の林道カーブ地点から不動沢の河原に下ってみる。登山道はここから一部林道を歩くのだが、ねくらハイカーは林道を歩くのがちょっと面倒なので、今日は砂防堰越えで行く。
登山道沿いは明るい新芽のカラマツ林となっていて何とも清々しい。この道は百名山の登山道ということで、道標や看板やテープ等の目印が多い。以前は標識も疎らで沢筋を歩くことが多い渋い感じのルートだったが、現在は巻き道がある立派な登山道となった。
中流部の小さな二俣をいくつか過ぎ、1.8km中間地点の道標を通り抜け、左上に皇海の山頂部を仰ぎ見ながら登って行くと、やがて上流部の二俣地点に着く。
途中、一時的に左岸の斜面にトラバースしながら沢筋をつめる。このあたりの道は以前歩いたことがないので、新たに造られた道らしい。
笹地をゆっくり登って行くと、またひとり中年男性が下ってきた。軽く挨拶してすれ違い、樹林帯をつめて行くと、道標などの看板が立つ県境の尾根地点に出る。「不動沢のコル*」だ。
小休後、県境を通る登山道を辿って南方の鋸山に向かう。まずは倒木のある原生林っぽい感じの尾根筋を進む。
1901m標高点ピークを過ぎると、前方に鋸山の尖った山頂がよく見えるようになる。
それからトロトロ鋸山の北尾根をつめて行くと、途中にあるコブ状の岩場に出る。
さらに登山道に付けられた固定のトラロープなどを伝わって登って行くと、山名板の標識や看板などがある鋸山の山頂(1998m)に着く。
南には隣に聳える等高線で1950mのピーク*が見え、その後方にはすでに薄雲がかかった袈裟丸連峰の山並みが確認できた。
山頂はちょうどヤマザクラが開花中で、ほのかな香りが漂っていた。アズマシャクナゲはまだ小さな蕾程度。足元には「山」の標石が埋設されずに横倒しのまま放置されていた。
鋸山からは県境に沿って南西に下る。このあたりは、以前歩いたときは腰丈ほどの深い笹原の斜面となっていたが、現在は登山道沿いがきれいに刈り払われて歩きやすくなっている。
次のピークの登りにかかるあたりから後方をふり返ると、鋸山の南西面が見えた。鋸山は北側から見るのと大分違って、凡庸な姿をしている。
休憩後、登山道を南に下って行くと、やがてダケカンバの多い樹林帯となる。左方向(北東)に薬師岳方面の稜線を眺めながら笹地を進むと、三等三角点の標石が埋設された地点を通る。
そこからやや平坦な笹地を下り気味に進んで行くと、刈り払い道は左の斜面にショートカットして庚申山荘への道に繋がる。今回は峠へ出ないと意味がないので、そこから南西方向に2、30mほど進むと、標識や看板がある六林班峠*に着く。
時間的には遅いので、さっそく登山道から延長している踏跡を辿って南西方向に進む。
そのうちに苔むした倒木などもあるコメツガの多い樹林帯に入る。微かな踏跡はやがて右方向へ折り返して北西に向かう。増田氏の記録によると、北西に1848m峰(砥沢富士)を見ながら斜面を巻いて行くということだ。雑木林越しにその1848m峰らしいピークも見える。
少し下ると、残雪があった。そのうちにカラマツの樹林帯となると、沢状の窪地にチョロチョロ流水が見え出した。やはりこの西へ下るルートは沢の源流となっていた。そこからは、腰丈から背丈ほどの笹が生えた沢の左岸を下る。
そのうちに平坦な笹地になると、右岸にカラマツの生えた台地が見えた。見通しがあるようなので、ひとまず右岸に渡ってカラマツ林の台地に上がってみる。
さらに西へ進むと、左側のカラマツ林の中に角材で組まれた残骸が見えた。これは高桑氏や増田氏の著書にあった「権兵衛」と呼ばれる鉄索の原動所*跡らしい。
さらに周囲を見回すと、木組みの近くにはレンガ積みの残骸があり、その傍らに小さなステンレス製の記念碑が建っていた。それには「六林班原動所跡 ブライヘルト式複線砥沢索道(一万二百米)」とあり、裏側には「四十馬力 スチームエンヂン」と刻字されている。
原動所跡から一時的に胸丈ほどになった笹地を西へ下る。峠道の踏跡が薄っすら付いているような感じだが、獣道にもなっているようでハッキリしない。
さらに樹木も疎らな尾根状の笹地を西へ下ると、沢の二俣地点に降りる。左から来る、先ほど源流部を下った沢(右俣)が、六林沢の本流らしい。
途中、沢の右岸に石積みがあるところを過ぎて、右上の斜面を眺めると、5、6m上の笹地に道が通っているのが見えた。
しかし、その道は途中の支尾根の山腹を北へ向かうようになった。そしてその先で突然道が消えてしまった。アレ、どうなってるんだと下側の斜面を覗くと、道形が南に向かって付いている。どうも、この道が消えた地点は道の折り返し点らしい。
そこからは右岸の河原に下って平坦な沢沿いを西へ進む。このあたりでは峠道がどこを通っていたのかまったく不明。多分沢筋近くを通っていたものが、増水時に削られて消えてしまったのかもしれない。
そこからもうひとつ目印を見て、左岸の平坦地を西へ進むと、ほどなく砥沢橋から南側に15mほど離れた林道地点に出る。
今回は群馬側の六林班峠道の一部を歩こうとしたわけだが、自分の位置を確認せずに勝手な思い込みをして沢沿いをグダグダ歩いてしまい、目的地の砥沢の集落跡を通り過ぎてしまった。| 日程 | 2008年5月28日 (水) |
| 天候 | 晴れのち曇り 午後から西風(県境稜線上) |
| 行程時刻 | 砥沢小屋(駐車地点)6:47→砥沢橋6:47→(峠道不明、六林沢左岸を西へ下る)→(高巻き)→(途中、支流右岸に下る)→支流の河原7:35〜7:45→(左岸の斜面を登る)→峠道地点7:47→(六林沢左岸を西へ)→崩落地(峠道消失)8:05〜8:07→(崩落斜面を下る)→六林沢左岸の河原8:10〜8:20→(右岸へ)→堰堤状石垣[砥沢集落跡付近の右岸]8:30〜8:33→(※ルートミスで右岸を西へ)→滝[砥沢集落跡下流]8:46〜8:49→(※ルートミスで右岸を西へ)→(トラバース不可、北へ登る)→(途中、休憩2回・計15分)→尾根地点[1426P西側]9:30〜9:45→(東へ)→1426P ?:?→(南東寄り)→図根点ピーク[1400P]10:00〜10:02→(南東および北東へ下りルートミス、タイムロス5分以上)→(東北東へ)→八丁峠10:17〜10:25→(「砥沢」方向へ下るも間伐地に入り込み、戻り)→八丁峠10:30→(南東へ)→(東へ)→1424P 10:40〜10:45→(北東へ)→(東へ)→栗原川林道地点(雨量観測所付近)[新八丁峠]10:52〜10:55→(林道を北東へ)→皇海山登山口11:12〜11:18→(試しに河原へ下り堰右岸を登る)→皇海山入口0.4km道標地点11:25→(登山道)→1.8km中間道標地点12:16〜12:19→上流部二俣12:28〜12:40→(右俣)→左岸取り付き点12:53→不動沢のコル13:03〜13:10→(県境登山道を南方へ)→1901P付近13:17→鋸山北尾根の岩場(展望地)13:30〜13:35→鋸山13:45〜13:55→(南西へ)→(途中、休憩あり)→1950P付近(?)14:17→(南方へ)→(途中、休憩10分弱)→女山三角点14:37〜14:40→六林班峠14:48〜14:50→(南西へ)→(北東へ)→(途中、踏跡不明)→(六林沢源流部を西へ)→(右岸の台地へ)→「権兵衛」原動所跡15:17〜15:35→(峠道不明、西へ)→二俣合流地点(?)15:50→(六林沢右岸へ)→(途中、右岸の斜面に峠道あり)→(峠道を辿り、右岸の尾根を巻く)→(途中、峠道不明)→(六林沢右岸の河原に降りて西へ)→(途中、左岸にテープ・杭あり)→(左岸を西へ)→栗原川林道地点(砥沢橋南側砥沢小屋付近)16:32→駐車地点16:33 |
| 備考 | ♦この記録は文中に掲げた著書以外に、HP「日光連山山歩き」内の画像掲示板に掲載されたルートマップ等の記録(2007年6月中旬)を参考にしています。 ♦足尾銅山や根利山については、ブログ「日光の観光スポット・足尾の歴史を案内する 写真館四代目のブログ」および《ほたか倶楽部》のHP「追貝 山の家ホームページ」の記事・ファイル等をご覧下さい。 |
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