六林沢・不動沢周辺ぐだぐだハイク



 ねくらハイカーは10年ほど前の晩秋の頃、群馬と栃木の県境にある六林班峠から群馬側の林道(栗原川林道)に下ってみようとしたことがある。そのときは銀山平から庚申山山腹の登山道を歩いて峠に着いたのだが、時刻は午後をまわっていたので、そこはすでにどこかの県境縦走のグループに占拠され大人数の幕営地となっていた。そこで昔の峠道のルートはテント群に塞がれていた。

 幕営地に集う人たちはいくらかアルコールがまわっているらしく、赤ら顔で賑やかに山談義をしている。どうも、軽装のハイカー風情がノコノコ通り抜けできる雰囲気ではない。そこで、峠から少し南へ進んだヤブの斜面から群馬側に巻いて下ろうと試みた。しかし、たちまち深い笹ヤブにはまり込み、峠道のルートを完全に見失ってしまった。

 ということで、この計画は敢え無く断念となる。このあたりの山や沢については、地域研究の第一人者・岡田敏夫氏の著書に精しいということだが、ねくらハイカーは拝見したことがない。
 近年、山岳渓流ガイドでルポライターの高桑信一氏が、昔群馬側の山中にあった根利山*の集落跡を歩き、そのルポ記事**を山岳雑誌に掲載し、単行本にまとめられた。それには砥沢集落のことが詳しく出ていた。砥沢には現在でも足尾銅山に関連する遺構が残っていて、「皇海荘」と呼ばれる小屋があるらしい。

 それから最近、以前参考にさせていただいた『袈裟丸山』(七月堂刊)の執筆者・増田宏氏が、この山域についての著書を新たに出版された***。それには六林班峠越えの道や砥沢集落のことについても多少ながら出ていた。

 ネット上でこのあたりの記録を探すと、群馬側の沢筋を歩いた釣り人の記録があった。さらに山関連の掲示板等にはヤブ山歩きの篤志家がこのあたりの沢筋を歩いた詳細なルートマップなどもアップされている。

[*高桑氏や増田氏の著書によると、昔、袈裟丸山から皇海山の南西側に至る群馬側の山域は「根利山」と呼ばれていたそうだ。明治時代、足尾銅山に大量の木材や木炭・薪材等を供給するために事業所(根利林業所)が設置され、群馬側の山中に伐採基地となる集落がつくられた。それらの集落は索道と峠越えの歩道によって足尾の銀山平と結ばれていて、生活物資なども足尾側から運ばれていた。根利山の集落には学校やお寺や神社、そして医局や駐在所や雑貨店などもあり、一般の生活が営まれていたとのこと。大正時代の最盛期には従業員800人以上、全人口1500人に達したらしい。真偽のほどは定かではないが、一説によると、最盛期には3000人とも5000人ともいたといわれる。しかし、昭和に入ると根利山の森林は伐り尽くされ、昭和14年(1939年)に事業所が廃止となる。同時に根利山の集落は廃村となり、群馬の山中から忽然と消えた。それから、各集落を結んでいた索道も撤去され、峠道も廃道となる。]
[**高桑信一 著『古道巡礼』(2005年・東京新聞出版局刊)所収「足尾根利山の索道」]
[***増田宏 著『皇海山と足尾山塊』(2008年・白山書房刊)]
 そこで、これらの記録等を参照すると、六林班峠から砥沢集落へつづいていた昔の峠道、いわゆる旧足尾町の銀山平と旧利根村にあった根利山の集落を結んだ峠道の一部が歩けるらしい。

 出発地点を群馬側の栗原川林道にすれば、このあたりをコンパクトにまわれるのではないかと考え、5月下旬頃沼田市根利町方面に出かけてみた。
 県道62号・沼田大間々線の途中から根利の集落に入る。根利地区への道路事情は以前より格段によくなったが、やはり過疎の集落ということで空き家が目立つ。

 すぐに左に根利川を渡って上流の倉見川右岸の村道へ進む。舗装道はやがて未舗装の林道となる。大体1.5車線幅の狭い車道をノロノロ走行して行くと、皇海山方面を示す看板が見えた。百名山ブームということで、この道を通って不動沢の登山口に行く人が多いのだろう。

 若葉に覆われた樹林帯を走ると、間もなく開かれた鹿用のゲート地点を過ぎる。よくわからないが、このあたりから栗原川林道(栗原川根利林道・根利平川林道)となるようだ。少し行くと、右に林道の分岐があった。新地林道らしい。林道入口の路肩に乗用車が1台駐車していた。早朝ということで釣りだろうか、それとも山菜採りだろうか…。

 さらに倉見川沿いの崖際の細い道をノロノロ進む。路面はよくない。ねくらハイカーのオンボロ車ではスピードを出すとガタガタ揺れてしまうので、時速は15kmそこそこ。いつものように低速安全運転で行く。林道の傍らにはヤマツツジがちょうど見ごろで、いくらか心が和む。

 ひとつ林道の分岐を過ぎ、倉見川から離れて山腹を走るようになると、路面がよくなり幾分走りやすくなった。相変わらずの超低速で林道を登って行くと、左にケヤキ沢支線、右に高場沢支線が分岐している地点を過ぎる。各林道の入口には頑丈な遮断機が設置されていた。以前、追貝・根利間が貫通後の1980年代末に走ったときには遮断機などはなかったのだが、最近は林業関係者以外の林道マニアや釣り人が多いためこのようなものが設置されたようだ。
途中の栗原川林道沿いから皇海山方面  さらにその先で左にツバメ沢支線の道が分岐する尾根地点を越えると、林道からの見晴らしがよくなる。前方には皇海山の山影も見えはじめた。また、左(北西)方向には残雪の上州武尊山の山並みが見渡せる。天候は一応晴れているが、西の方はすでに薄雲がかかっていた。

 左に林道の礎石などがある広場を過ぎて山腹の道をガタガタ走らせて行くと、深山橋を通る。袈裟丸連峰の最高点ピーク付近を源流とする八林班沢に目をやると、結構急峻な感じで一般ハイカーが入渓できるような雰囲気ではない。大正時代に木暮氏一行がこの沢筋を下って砥沢に下っているわけだ。平成の凡人ハイカーにはちょっとマネはできない。

砥沢橋  さらにゆるゆる山腹の道を走らせて行くと、左手に小屋*のある広場が見えた。その先には深山橋と同じようなガードレールが付いた欄干の橋がある。広場に車を停めて橋の銘板を確認すると、「砥沢橋」と出ていた。ここが六林沢(六林班沢)だ。

 この沢の源流部となる県境付近に六林班峠があり、下流側に砥沢の集落跡があるわけだ。一応峠からの道があるのか橋の上流側をジロジロ眺めたが、薄っすら釣り人が歩くような踏跡があるだけで、明瞭な踏跡はない。

[*旧営林署の砥沢小屋]

橋付近から六林沢左岸へ(下流側)  広場の駐車地点に戻って準備にとりかかる。気温は12℃ほど。小屋は現在使われていないようだが、広場にはゴミが多い。多分ここは釣り人の溜まり場になっているのだろう。

 小屋の周りも眺めてみたが、これといった踏跡はない。仕方ないので、林道の橋付近から下流の沢筋へ入り、砥沢の集落跡をめざす。

 しかし、左岸に下ってみたものの、苔むした岩がゴロゴロしていて倒木もあり、少々ヤブめいている。河原には釣り人が歩くような微かな踏み跡程度で、峠道というような道はない。林道が開削されたときに峠道の道跡が壊されたのかもしれない。しばらくは六林沢左岸を適当に下るしか方法はなさそうだ…。

平坦な河原終了、左上へ  左から来る支流をひとつ渡ると、立木にピンクテープの目印が付いていた。釣り人か林業関係者が付けたものらしい。

 そのうちに左岸は崖状の傾斜地になってきた。沢沿いを下るには本格的な沢登りの人か渓流釣りの釣り人以外は無理な感じだ。

 そこで、ヒノキやモミなどの針葉樹が多い斜面へ登って高巻きのルートで行く。沢から離れすぎてもマズイので、なるべく沢の縁に沿って進む。

左岸高巻きのルート(沢寄り)、微かな釣り人の踏跡のみ  しかし、その高巻きのルートも、左からの支流が流れ込む地点でまたもや傾斜の急な崖となってしまった。そこを通過するには右下の沢へ降りるか、左上の山腹を巻くしか方法はない。

 ねくらハイカーは沢筋を下る自信がないので、左の斜面に巻く。多少遠回りになっても仕方がない。凡人は安全第一で行くのが一番だ。

支流の小沢を渡る(休憩地点)  崖際から少し南方向へ戻り気味に急斜面を登る。アズマシャクナゲのヤブ林に入ると、ちょうどピンクの花が満開となっていた。多少得した気分でヤブの斜面を登って行くと、右下が緩い傾斜地となってくる。

 このまま南へ登ると、六林沢から離れてしまうので、途中から右下の細い支流に降りてみた。そこで一息入れる。

 沢音も静かな小さな流れを眺めていると、ミソサザイがピーピー鳴きながら忙しなく渓谷を飛び回っていた。この人里はなれた幽境な谷あいにも繁殖の季節が訪れているようだ。

小沢の左岸上に明瞭な道(峠道)あり  休憩後、小沢の左岸に取り付きヤブの急斜面を登って行くと、ひょっこり作業道のような明瞭な道に出た。アレ、これが昔の道だろうか…。ということは、峠道は六林沢をかなり高く巻いて山腹を通っていたのかもしれない。

 そこからは、支流の左岸沿いを北寄りに進む。道沿いには古いピンクテープや黄色テープなども付いていた。山腹の道はそのうちに六林沢本流の左岸を行くようになる。

 このあたりは部分的にヒノキの植林地となっているようで、旧沼田営林署の植林地を示す銘板なども見えた。この道は植林地の作業道にもなっているらしい。しかし、管理されている感じではなく、倒木や小さな崩落箇所もある。

崩落地、山腹の道消失  右下に六林沢の渓流を眺めながら下り気味に西方向へ進んで行くと、やがて大きな崩落地に突き当たる。その地点で山腹の道は消失していた。

 この崩落地については先人のルートマップや増田氏の記録に出ていたので知っていたが、ここからどうするか少し迷った。山腹の急斜面を登って巻くか、沢に下るかだが、巻くとなると体力的に相当きつい。そこで、そのまま崩落地の斜面を下ることにする。

 岩を掴みながら慎重に下れば滑落せずに下れそうだが、ここは一応補助ロープを使ってみる。沢登りや渓流釣りをする方なら簡単に通過できるようなところだが、尾根道専門のハイカーには冷や冷やものだ。ロープが短いので少々手間取ったが、何とか下の河原まで降りる。

六林沢の河原[集落跡上流付近]  ひとまず河原で一息つく。このあたりの樹木はまだ若葉なので多少明るいが、夏場は鬱蒼とした日陰の渓谷となる感じだ。

 さて、ここは砥沢集落跡の近くだと思うが、周囲は樹林に覆われていて人工的なものは見えない*。仕方ないので、飛び石伝いで右岸に渡り、河原沿いを西寄りに進んでみる。

[*増田氏は崩落地の手前から沢に下り、石垣のあるところに着いているようだが、新参者のねくらハイカーにはそのようなものは見つからなかった。]

六林沢右岸[砥沢集落跡付近上流(?)] 人工的な石垣あり[集落跡付近の右岸]  石灰岩の欠片が散乱した崖状のところを過ぎ、流木や倒木が多いヤブめいた感じの河原を進んで行くと、傍らに人工的な石積みが見える。近寄って見ると、幅1.5mくらいの堤防のような石垣があった。建物の基礎部分か、石垣の道なのか不明*。

[*篤志家のルートマップによると、「石積み堰堤」とのこと。それから、このあたりの対岸(左岸)に皇海荘の小屋があったそうだ。注意散漫なるねくらハイカーはそれにまったく気づかなかった。]

石垣の側にクリンソウ  石垣の周囲には鮮やかな紅色をしたクリンソウの花が咲いていた。そこから河原を少し進むと、また大きめな石垣があった。

 このようなものがあるということは、やはり、ここは砥沢集落近くに間違いない。このまま右岸を進めば八丁峠からの道に出るだろうと思い込んで、そのままヤブめいた河原の平坦地を西へ進む*。

[*篤志家のルートマップを参照すると、ねくらハイカーはこの地点ですでに八丁峠からの道を通り過ぎていた。]

 しかし、そこから先はスズタケのヤブになっていて、道があるような感じではない。北西方向にしばらく進んでみたが峠からの道に出ない。

 おかしいなと思いながら獣道のような踏跡を辿って右上の段差状になった斜面に上がってみる。しかし、ここにも人が歩くような踏み跡はなかった。このあたりで少し迷う。
左下の河原に滝あり[集落跡下流側の滝]  仕方ないので沢に沿って右岸の笹ヤブをトラバース気味に進み、再び左下の河原に降りてみると、樹木にペンキマークがあり、沢筋に落差が2mほどの滝がかかっていた。

 アレ、これは高桑氏の著書にあった砥沢で子供の遊び場となっていた滝壺かもしれない*。ということは、いよいよ砥沢集落に近いようだ。もう少し西へ進めば八丁峠からの道に出るだろうと勝手に考える。そこでまた笹ヤブの斜面を北東へ登り、途中から釣り人が歩くような踏跡を辿って西へ進む。

[*後日、高桑氏の著書に出ている写真の説明書きや配置図を見たら、子供の遊び場となっていた滝は山神社の裏手の八林班沢側にあったそうだ。ということで、これはまったくの思い違い。あとで確認すると、この滝壺は砥沢集落跡から西側の下流域にあった。]

西へのトラバース不可、ヒノキ林の急斜面を北へ登る  しかし、西へ進んだものの、その先は崖状の急斜面となっていた。仕方ないので、北方向にヒノキの植林地を登る。

 しばらくは西へトラバースできるところを探しながら支尾根状の斜面を北へ登ってみたが、相変わらずフラットな急斜面となっていた。最初はそのうち八丁峠からの道に出るだろうと気楽に考えていたが、いつまで登っても道があるような気配はない。

 途中で、これはどう考えてみてもルートミスだろうと気づいたが、沢筋からかなり上部に登りつめていたので、再び滑落しそうな急斜面を下るのが面倒に感じた。ここはこのまま植林地を登って自分がどこにいるのか確認した方がよさそうだ…。

砥沢北西側の植林地から南東方向、正面に八林班沢の谷、左上に1961P  ということで、しばし急傾斜のヒノキ林を北へ登る。きつい登りなので、体力が衰えたねくらハイカーには応える。いつものように休み休み登る。そのうちにカラマツの植林地となる。

 さらに登ると、植林されずに古い切り株が残る展望地に出た。そこから下を眺めると、正面真下に八林班沢の谷筋が見えた。アレ、これはいつの間にか砥沢を通り過ぎて北西側の斜面を登ってしまったようだ。道理で八丁峠の道に出ないわけだ…。

 お粗末ながら、ねくらハイカーはここでようやく自分の位置が確認できた。しかしまぁ、自分の出鱈目なルートファインディングには呆れかえるばかり。やはり、こういうところを正確に歩くにはGPSを使わないと無理なようだ。

登りついた尾根地点[1426P西側]から西方向  そこから急傾斜の植林地をえっちらおっちら登って行くと、開けた尾根*に出る。多分六林沢(砥沢)と不動沢を分ける尾根だろう。しかし、赤土がモロに露出していて何か曰く有りげな感じがした。

 休憩がてらに空身で西方向へ歩いてみたが、いつまでも同じような開けた尾根がつづいていた。これは防火帯になっている尾根だろうか…。部外者にはよくわからない。

[*1426m標高点ピークの西側にある平坦な尾根地点]

1426P東側の尾根筋、部分的にロープ区分あり  そこから開けた感じの尾根筋を東方向へ進む。カラマツ林は新芽が出たばかりで明るい樹林帯となっていた。周囲の雑木林からはハルゼミの声が賑やかに聞こえてくる。時季的にシロヤシオやムラサキヤシオの花も咲いていて、のどかな雰囲気だ。

 特徴のないなだらかなピーク(1426m標高点ピーク)を過ぎて、やや南東寄りに進む。前方の左上に皇海山の山影が若葉の樹林越しに見えてくる。

 ゆるゆる下り気味に進んで行くと、尾根に沿ってトラロープが張られている箇所があった。別段急傾斜になっているところではない。何のためのロープなのかイマイチ不明だ。もしかすると、これは林班を区分しているロープで、この尾根が植林地の林班を分けているのかもしれない。

1426P東側のコブ地点(1400P)、図根点の標石あり  そのうちにコブ状の緩やかなピーク*に着く。そこには「山」と彫られた標石が埋設されていた。標石の反対面には旧字体で「圖根點」とも刻字されている。

 ということは、ここは図根点ピークだ。ほとんど展望のない地味な感じのところに何で図根点があるのか不思議な感じだ。昔この地点に何かあったのかもしれない。

[*あとで確認すると、1426m峰の東側にある等高線1400mのコブ地点。]

 そこから先の尾根筋がちょっと曖昧で、進む方向を迷った。最初、尾根がいくらか南東方向につづいているように見えたので、南東寄りに進んで行くと、尾根筋は南方向へ下って行くようになる。

 ルートミスということで、図根点まで戻り、そこからやや尾根っぽい感じの北東方向へ進んで見る。すると今度は、不動沢方向に下るようになった。これもルートミスということで、図根点まで戻り再び南東方向へ進んでみる。しかし、やっぱり六林沢方向へ下っていた。

 そこで三たび図根点まで戻りながら、樹間越しに北東方向を観察すると、尾根っぽい樹林帯が東側に見えた。そこで、図根点ピークから平坦な斜面を東寄りに下って行くと、いくらか尾根状の斜面になってきた。

 やはり東方向に不動沢と六林沢を分ける尾根がつづいていた。地形図をよく見れば別段迷うところではないのだが、簡単なところで迷うのがねくらハイカーの山歩きのクオリティということで、これも致し方ない。
小鞍部の立木に砥沢を示す標識あり(八丁峠)  さらに下り気味に進むと、平坦な小鞍部*に着く。一息つきながらふと立木をふり返ると、標識が付いていた。矢印が南方向を示し、「左ヤブ道 砥沢下り口」とある。これは高桑氏の著書にも出ていた砥沢方向を示す標識だ。

[*地形図で1426m峰と1424m峰のほぼ中間にある小鞍部。等高線1350m付近。]

傍ら立木の根元に「八丁峠」の標識あり  さらに周囲を見回すと、傍らの樹木の根元に「八丁峠」と表記された白塗りの標識が落ちていた。針金が付いているので、元々樹木に掛けられていたものが落下したようだ。多分、かつて根利山の集落に住んでいた方が取り付けたものだろう。

 この標識には「砥澤」と「不動澤」を分かつように書かれていた。ということは、この小鞍部がいわゆる昔の砥沢と平滝を結んでいた峠道の「八丁峠*」ということになる。

[*須田茂 著『群馬の峠』(みやま文庫179)では標高1460mとしているが、どこを峠と想定しているのか不明。]

砥沢への道は間伐中、倒木あり  ねくらハイカーは先ほど砥沢付近を通り過ぎてしまったので、集落跡の遺構や皇海荘を見物していない。そこでもう一度砥沢に行ってみようと、峠の標識地点から南東寄りに植林地を下ってみる。

 しかし、黄色いテープの目印が付いたルートを進むと、植林地は現在間伐中で、20mも下らないうちに道が倒れた間伐木によって塞がれていた。

 これは砥石へ下るのに枝の付いた倒木を何本も乗り越えなければならない。ヘタレハイカーにはチトきつい。今日はまだ六林班峠をめざす予定なので、標識から30mほど下った地点で砥沢へ下るのを断念し、峠に引き返す。

 峠からは尾根沿いをやや南東寄りに進む。樹木は雑木林主体だが、ヒノキやシラビソなども疎らに生えている。立木には青ビニールテープなどの目印も付いている。それから古いワイヤーや缶なども見えた。

 さらに落ち葉が溜まった尾根筋を東方向に登って行くと、ブルーシートやトタン板などの残骸があるピーク地点を過ぎる。篤志家のルートマップには「1424小屋跡」とある1424m標高点ピークらしい。

 そこでひと息ついて明瞭な尾根道を北東寄りに進んで行くと、ジェット機の飛行音が東方向から聞こえてきた。やがて耳をつんざくような爆音が上空に轟き渡り、西方向へ鳴り響いた。アメリカ軍の空母の艦載機が関東近辺の山間部で低空飛行の訓練をしているのだろう。まったく騒々しい連中だ…。
前方に栗原川林道[新八丁峠]、雨量観測所あり  間伐材が細かく切られて捨てられたところを過ぎ、ミズナラの大木などを眺めながらトロトロ下り気味に進んで行くと、ほどなく栗原川林道が通る地点*に出る。

 側には国交省薗原ダム栗原川雨量観測所の施設が見えた。ここは、林道が不動沢と六林沢を分かつ地点ということで、増田氏は「新八丁峠」と呼んでいる。

[*地形図の等高線で1390m付近]

栗原川林道を北東へ、前方の樹間に皇海山  そこからは不動沢の方へ進む。砥沢橋から六林沢を遡って六林班峠へ向かうには、ルートが不明でハイカー風情にはちょっと無理に思えた。ここは不動沢の登山道から鋸山へ登り、そこから六林班峠に下って砥沢橋方向へ降りた方が無難だ。

 林道を北東方向へ少し下り気味に進む。正面には皇海山の山頂部が樹林越しに見える。平日の午前ということで、車やバイクは1台も通らない。林道の路面は良好だ。百名山の登山口があるということで、林道を管轄している利根沼田森林管理署が常時整備しているのだろう。

 林道沿いの若葉の樹林帯からはハルゼミと小鳥の鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。山はすでに初夏っぽい雰囲気が漲っていた。

皇海山登山口(不動沢左岸) 皇海橋、対岸(右岸)に駐車場あり  やがて左下に不動沢の新しい砂防堰をみると、皇海山の登山口に着く。以前ここから2回ほど皇海山に登ったことがあるが、現在は立派な登山口となっていて少々驚いた。やはり百名山ブームで賑わっているわけだ。

 皇海橋を渡った対岸(右岸)に駐車場が見える。平日といえども、6、7台の乗用車が駐車していた。今日は天候が晴れということで、登っている人も少なからずいるようだ。

砂防堰の上の河原、南東方向に1760P  林道入口の遮断機を過ぎ、次の林道カーブ地点から不動沢の河原に下ってみる。登山道はここから一部林道を歩くのだが、ねくらハイカーは林道を歩くのがちょっと面倒なので、今日は砂防堰越えで行く。

 以前は左岸から簡単に堰を越えられたのだが、後に増築されて越えられなくなった。ひとまず右岸の崖際を登って堰堤上の河原に出る。

 「皇海山入口0.4km・皇海山山頂3.2km」道標地点で林道からのルートに合流し、そこから不動沢の登山道を辿る。

不動沢沿い(中流付近)  登山道沿いは明るい新芽のカラマツ林となっていて何とも清々しい。この道は百名山の登山道ということで、道標や看板やテープ等の目印が多い。以前は標識も疎らで沢筋を歩くことが多い渋い感じのルートだったが、現在は巻き道がある立派な登山道となった。

 道標に従って沢沿いを登る。気温は22℃ほど。薄雲が出てきたが、まだ日差しがあるので多少気温も上がりそうだ。

 先ほどの植林地の登りで体力を消耗したので、休みながらダラダラ行く。時刻はすでに午前11時をまわっている。この時間帯に皇海方面へ登る人はいない。

登山道1.8km中間地点 上流部二俣、右俣へ  中流部の小さな二俣をいくつか過ぎ、1.8km中間地点の道標を通り抜け、左上に皇海の山頂部を仰ぎ見ながら登って行くと、やがて上流部の二俣地点に着く。

 そこから上は右俣の涸れ沢っぽい沢筋を登ることになるので、左俣側の流水を汲みながら休んでいると、右俣側から中年男性がひとり下ってきた。皇海山からの帰りらしい。そこから目を瞠るような軽快な足取りでビュンビュン下って行く。ねくらハイカーは足取りも重くちんたらちんたら右俣を登る。

斜面取り付き点  途中、一時的に左岸の斜面にトラバースしながら沢筋をつめる。このあたりの道は以前歩いたことがないので、新たに造られた道らしい。

 テープやペンキマークや貼り紙などの目印があるところで沢から離れ、左岸の斜面に上がる。笹の生えた樹林帯の登りとなる。

不動沢のコル、後方(南)に鋸山方面  笹地をゆっくり登って行くと、またひとり中年男性が下ってきた。軽く挨拶してすれ違い、樹林帯をつめて行くと、道標などの看板が立つ県境の尾根地点に出る。「不動沢のコル*」だ。

 ヘタレハイカーはここでも腰を下ろして休憩タイムとなる。そこで南側の鋸山から薬師岳あたりのギザギザした稜線をぼんやり眺めていると、中年男性の2人組みが鋸方面から下って来た。話を伺うと、皇海に登ってから鋸を往復し不動沢に下るとのこと。横田氏の『群馬300山』にも出ているので、今では不動沢から皇海山に登り、帰りは鋸山を往復する人が多いようだ。

[*等高線で1860mの鞍部。横田氏の『私が登った群馬300山』下巻(上毛新聞社 平成17年刊・初版)では不動沢のコルを1901m峰の南側としている。不動沢のコルは、昭文社の山と高原地図や他のガイドブック等が示すように、明らかに1901m峰の北東側にあるので、このあたり何らかの手違いがあるように思われる。]

不動沢のコルから鋸山へ、看板あり  小休後、県境を通る登山道を辿って南方の鋸山に向かう。まずは倒木のある原生林っぽい感じの尾根筋を進む。

 テープの目印や例の赤と黄色の菱形標識が付いた道をトロトロ行くと、若い男女の2人連れが熊除けの鈴を鳴らしながら下って来た。道が狭いので、コメツガやシラビソの樹林に避けてすれ違う。こちらのグループも皇海に登っての寄り道らしい。やはり皇海山と鋸山がセットで登られているようだ。

1901P南側付近から鋸山  1901m標高点ピークを過ぎると、前方に鋸山の尖った山頂がよく見えるようになる。

 すでに上空には雲が広がり遠方は霞んでしまった。それでも北東方向の樹間に松木川の谷と黒檜岳・大平山(松木山)・社山あたりの中禅寺湖南岸尾根の山並みが見えた。その後方には男体山の山影も確認できる。

鋸山北尾根付近から西方向、不動沢方面 鋸山北尾根付近から北東方向、松木川方面  それからトロトロ鋸山の北尾根をつめて行くと、途中にあるコブ状の岩場に出る。

 そこからは好展望が広がっていた。前方(南)には鋸の尖峰が間近に迫り、後方(北)にはどっしりとした皇海の山体が控えている。それにもまして、北東側の松木川の谷あいと西側の不動沢の谷あいが一望の下に見渡せるのが何とも素晴らしい。

 そこからまた北面の登山道に移り、岩盤が露出した急傾斜の登りとなる。以前ここを歩いたときは、滑りやすい赤土の急斜面になっていて、岩などは出ていなかった。どうも、鋸山周辺は崩落がじわじわ進んでいるような感じがする。

 さらに残雪がある急斜面を登って行くと、登山道の傍らに線香と花が手向けられた場所があった。遭難者に捧げられたものらしい。かなり新しいものなので、5月に入ってから供えられたようだ。昨年の夏、皇海山からの下山中に女性の方が遭難されたそうだが、まさかその方に捧げられたものではないだろう。ガレ場の地点なので、冬期に誰か滑落したのだろうか…。遭難情報に疎いねくらハイカーには不明だ。
鋸山山頂、後方(北)に皇海山 鋸山から東方向、後方にオロ山(ヲロ山)〜庚申山の稜線  さらに登山道に付けられた固定のトラロープなどを伝わって登って行くと、山名板の標識や看板などがある鋸山の山頂(1998m)に着く。

 この山頂からも素晴らしい展望が広がっていた。北には皇海山が相変わらず悠然とした姿で聳えている。その右には遥か遠く奥白根や錫ヶ岳の稜線が雲の中に霞んでいた。東には庚申山からオロ山(ヲロ山)あたりの稜線もよく見える。

南方向に1950P[鳶岩(?)]、左後方に法師岳・1790.6P 南方向、中央に六林班峠、後方に袈裟丸連峰・法師岳・1790.6P  南には隣に聳える等高線で1950mのピーク*が見え、その後方にはすでに薄雲がかかった袈裟丸連峰の山並みが確認できた。

[*大正時代の木暮氏の記録では、当時このあたりの尾根の頂に字トンビ岩の杭があったということで「鳶岩」と呼んでいる。]

標識に付けられた青岸渡寺の木札(平成十八年七月のもの)  山頂はちょうどヤマザクラが開花中で、ほのかな香りが漂っていた。アズマシャクナゲはまだ小さな蕾程度。足元には「山」の標石が埋設されずに横倒しのまま放置されていた。

 それから標識類を眺めると、例の青岸渡寺の木札が2枚ほど付いていた。平成十七年十月と平成十八年七月のものということで、2年連続で青岸渡寺関係者がこの山を訪れたようだ。ネットの記録で皇海山や庚申山に木札があるということを知っていたので、この山にあっても別におかしくない。

 岡田氏執筆のガイドブックによると、庚申講登山が盛んな時代には庚申山・鋸山・皇海山をセットで巡る「三山駈け」が行われていたそうだ。青岸渡寺の関係者も三山を巡って木札を奉納したのだろうか。それにしても、木札はすでに灰色に褪色していた。雪や雨風・日光に晒されている場所では、木製の板はたちまち劣化してしまう。

南東方向に庚申川の谷と小法師岳  鋸山からは県境に沿って南西に下る。このあたりは、以前歩いたときは腰丈ほどの深い笹原の斜面となっていたが、現在は登山道沿いがきれいに刈り払われて歩きやすくなっている。

 笹原を下ってまた尾根沿いに出ると、右の西方向には相変わらず不動沢の谷が一望できた。それから左の南東方向には庚申川の谷の後方に、ゆったりとした山並みの小法師岳方面が見える。

後方に鋸岳(南西面)  次のピークの登りにかかるあたりから後方をふり返ると、鋸山の南西面が見えた。鋸山は北側から見るのと大分違って、凡庸な姿をしている。

 それから、いくらか岩場のある崖状の尾根道を進む。途中にはトラロープなども付いていた。

 樹林帯になった1950m峰の山頂部からは南寄りに進む。何か寂しげな道だが、笹刈りされ、倒木類も伐られているので歩きやすい。しかし、最近倒れた大木が道を塞いでいる箇所もあった。ねくらハイカーはすでにバテバテで、途中、コメツガの樹林帯で休憩する。

女山、三等三角点の標石  休憩後、登山道を南に下って行くと、やがてダケカンバの多い樹林帯となる。左方向(北東)に薬師岳方面の稜線を眺めながら笹地を進むと、三等三角点の標石が埋設された地点を通る。

 女山と呼ぶ1835.9m三角点だ。ここは最近の地図では名前が表記されているが、山名板などの標識類は表示されていない。山と呼ぶには相応しくない感じなので、付ける人がいないのかもしれない。

六林班峠  そこからやや平坦な笹地を下り気味に進んで行くと、刈り払い道は左の斜面にショートカットして庚申山荘への道に繋がる。今回は峠へ出ないと意味がないので、そこから南西方向に2、30mほど進むと、標識や看板がある六林班峠*に着く。

 平日の午後ということで、静かな峠となっていた。昔、このあたりに索道用の中継小屋があったそうだ。傍らの立木には青岸渡寺の木札(平成十八年七月のもの)も付いていた。青岸渡寺関係者は銀山平から登ったらしい。

[*等高線で1800m付近の鞍部。須田氏の『群馬の峠』でも標高1800mとしている。昭文社の山と高原地図などでは大体1806m標高点としているが、実際はその少し南側の鞍部にある。(ネット版地形図「ウォッちず」参照)]

峠から南西へ、踏跡あり  時間的には遅いので、さっそく登山道から延長している踏跡を辿って南西方向に進む。

 以前、このあたりにテントが幾張りも張られ封鎖されていたが、今日は笹地に昔の峠道の踏跡が薄っすら確認できる。まずは両側が背丈ほどに繁茂した笹原を抜けて群馬側の斜面に下る。

群馬側の斜面、踏跡あり、北西へ  そのうちに苔むした倒木などもあるコメツガの多い樹林帯に入る。微かな踏跡はやがて右方向へ折り返して北西に向かう。増田氏の記録によると、北西に1848m峰(砥沢富士)を見ながら斜面を巻いて行くということだ。雑木林越しにその1848m峰らしいピークも見える。

 しかし北西方向へ下って行くと、踏跡もやや怪しくなり、沢状の窪地が交差するあたりで消えてしまった。どうも、この西へ下る沢状の窪地は昔の峠道ではなさそうだ。しかし、明瞭な踏跡が見つからないので、試しにこの沢状のルートを下ってみる*。

[*篤志家のルートマップによると、峠道はこの沢筋ではなく、そのまま少し水平に進んでから北西方向に付いていたらしい。]

沢状の窪地に残雪あり 六林沢源流部  少し下ると、残雪があった。そのうちにカラマツの樹林帯となると、沢状の窪地にチョロチョロ流水が見え出した。やはりこの西へ下るルートは沢の源流となっていた。そこからは、腰丈から背丈ほどの笹が生えた沢の左岸を下る。

 やがて樹林帯が途切れ開けた感じの笹原に出ると、右方向に1848m峰が間近に見えた。どうも、六林沢の谷の真ん中あたりを下っているようだ。ということは、この小さな流れが六林沢の源流らしい。多分この沢筋を下れば、早晩林道の砥沢橋付近に出るだろう…。

右岸の笹の斜面に石垣あり  そのうちに平坦な笹地になると、右岸にカラマツの生えた台地が見えた。見通しがあるようなので、ひとまず右岸に渡ってカラマツ林の台地に上がってみる。

 そのあたりの笹の斜面に目をやると、人工的な石垣が見えた。石垣に沿って西へ進んでみる。すると、両側が石垣になった幅5mほどの平地がつづいていた。現在は笹ヤブだが、昔は何かこの両側に建物でもあったような感じがする。

 ということは、このあたりに峠道が通っていたのかもしれない…。

「権兵衛」原動所跡の角材遺構物  さらに西へ進むと、左側のカラマツ林の中に角材で組まれた残骸が見えた。これは高桑氏や増田氏の著書にあった「権兵衛」と呼ばれる鉄索の原動所*跡らしい。

 そこで近寄って残骸物を見物すると、太い角材が櫓状に組まれボルトで固定されていた。昔の索道に使われた支柱の一部だろうか。凡人ハイカーにはイマイチ不明だ。それにしても、山野に放置されてから70年近く経っているというのに、腐らずに残っているのだから何とも素晴らしい。周りには分解された角材やボルト類も見える。

[*鉄索とは銀山平と根利山の各集落を結んでいた木材運搬用の架空索道(空中ケーブル)のことで、この原動所によって銀山平・砥沢間の索道が動いていた。篤志家のルートマップによると、この原動所跡は県境1806m標高点の西側の等高線1650m付近にある。]

原動所跡の記念碑、後ろにレンガ積みの残骸あり  さらに周囲を見回すと、木組みの近くにはレンガ積みの残骸があり、その傍らに小さなステンレス製の記念碑が建っていた。それには「六林班原動所跡 ブライヘルト式複線砥沢索道(一万二百米)」とあり、裏側には「四十馬力 スチームエンヂン」と刻字されている。

 ということは、この赤レンガの石積みの残骸付近に総延長約10kmの砥沢線の索道を運転した蒸気機関が設置されていたわけだ。そこで今は蟻の棲みかとなっている石積みの残骸からレンガをひとつ剥がしてみると、表面に「SHINAGAWA」の刻印*が見えた。さらに木組みから西側には、人工的に掘られたような直径5mほどの深い穴があった。多分このあたりに原動所で働く作業者の住居**もあったのだろう。

[*後日ネットで調べると、このレンガは明治8年(1875年)創業の品川白煉瓦社製とのこと。]
[**大正時代、木暮氏らは皇海山登山の後に上州峠(六林班峠)を経由してこの鉄索運転所に立ち寄り一泊している。当時は電灯もあり、宿泊できる小屋もいくつかあったようで、彼らは事務所の浴室で湯に浸かり山旅の疲れを癒した。翌日は上機嫌で銀山平に下っている。]

開けた笹地から北方向に砥沢富士(1848P)  原動所跡から一時的に胸丈ほどになった笹地を西へ下る。峠道の踏跡が薄っすら付いているような感じだが、獣道にもなっているようでハッキリしない。

 石垣のような段差状になったところを下ると、いつの間にか踏跡は消えてしまった。仕方ないので、腰丈ほどの笹の斜面を適当に下る。

 途中、膝丈ほどの笹地の開けたところから右(北)に砥沢富士と呼ばれる1848m峰が見えた。また後方には六林班峠がある平坦な県境尾根も一望できた。

樹木も疎らな笹地を西へ 六林沢右岸へ  さらに樹木も疎らな尾根状の笹地を西へ下ると、沢の二俣地点に降りる。左から来る、先ほど源流部を下った沢(右俣)が、六林沢の本流らしい。

 そこからは、六林沢の右岸を軽い徒渉をしながら適当に辿る。笹はそれほど繁茂していないので歩きやすい。

右岸の斜面に道形(峠道)あり、西へ  途中、沢の右岸に石積みがあるところを過ぎて、右上の斜面を眺めると、5、6m上の笹地に道が通っているのが見えた。

 植林地の作業道かと思って上がって行くと、膝丈ほどの笹が茂る斜面に明瞭な道形があった。作業道にしては少々ヤブめいている。少し西へ進むと、カラマツの倒木に青いテープが付いていた。どうも、この作業道のような道が昔の峠道らしい。

 そこで、そこからはこの道跡を辿ってカラマツ林の斜面を西へ下る。

途中の支尾根の山腹に付けられた道形(峠道)  しかし、その道は途中の支尾根の山腹を北へ向かうようになった。そしてその先で突然道が消えてしまった。アレ、どうなってるんだと下側の斜面を覗くと、道形が南に向かって付いている。どうも、この道が消えた地点は道の折り返し点らしい。

 そこで下の道に降りて、今度は右下に支流の涸れ沢を眺めながら南方向へ進む。道はさらに支尾根の山腹を東へ向かうようになった。しかし、その先で倒木のあるヤブの斜面となり、道形は消えてしまった。その地点から右下へ下れば先ほど下って来た六林沢の右岸の河原となる*。

 おそらく、この山腹を折り返すような道は、右岸を高巻くために付けられたルートらしい。人が通るのに何でこのような遠回りに道が付いているのか不思議な気がした。もしかすると、この道は荷駄道として使われたのかもしれない。

[*このあたり区間は篤志家のルートマップと同じところを歩いている。]

左岸にテープの目印と杭あり  そこからは右岸の河原に下って平坦な沢沿いを西へ進む。このあたりでは峠道がどこを通っていたのかまったく不明。多分沢筋近くを通っていたものが、増水時に削られて消えてしまったのかもしれない。

 右岸をトロトロ下る。そのうちに何気に左岸を見ると、立木に赤テープの目印が付いている。そこで左岸に渡って行くと、テープの近くの地面に赤い杭が打たれていた。テープと杭は林業関係者が付けたような感じだ。

砥沢橋南側の林道(栗原川林道)地点に出る  そこからもうひとつ目印を見て、左岸の平坦地を西へ進むと、ほどなく砥沢橋から南側に15mほど離れた林道地点に出る。

 林道のちょうど反対側には駐車地点の砥沢小屋の広場が見えた。やはり、昔の峠道はこの小屋付近を通っていたらしい。

砥沢小屋  今回は群馬側の六林班峠道の一部を歩こうとしたわけだが、自分の位置を確認せずに勝手な思い込みをして沢沿いをグダグダ歩いてしまい、目的地の砥沢の集落跡を通り過ぎてしまった。

 先人の記録を事前によく読んでいれば、砥沢に辿り着けたはずだ。今回は目的地に辿り着けなかったということで、ヨシとはしない。また機会があったらということで、多少の後悔と失望感を持って砥沢小屋をあとにした。


日程2008年5月28日 (水)
天候晴れのち曇り 午後から西風(県境稜線上)
行程時刻砥沢小屋(駐車地点)6:47→砥沢橋6:47→(峠道不明、六林沢左岸を西へ下る)→(高巻き)→(途中、支流右岸に下る)→支流の河原7:35〜7:45→(左岸の斜面を登る)→峠道地点7:47→(六林沢左岸を西へ)→崩落地(峠道消失)8:05〜8:07→(崩落斜面を下る)→六林沢左岸の河原8:10〜8:20→(右岸へ)→堰堤状石垣[砥沢集落跡付近の右岸]8:30〜8:33→(※ルートミスで右岸を西へ)→滝[砥沢集落跡下流]8:46〜8:49→(※ルートミスで右岸を西へ)→(トラバース不可、北へ登る)→(途中、休憩2回・計15分)→尾根地点[1426P西側]9:30〜9:45→(東へ)→1426P ?:?→(南東寄り)→図根点ピーク[1400P]10:00〜10:02→(南東および北東へ下りルートミス、タイムロス5分以上)→(東北東へ)→八丁峠10:17〜10:25→(「砥沢」方向へ下るも間伐地に入り込み、戻り)→八丁峠10:30→(南東へ)→(東へ)→1424P 10:40〜10:45→(北東へ)→(東へ)→栗原川林道地点(雨量観測所付近)[新八丁峠]10:52〜10:55→(林道を北東へ)→皇海山登山口11:12〜11:18→(試しに河原へ下り堰右岸を登る)→皇海山入口0.4km道標地点11:25→(登山道)→1.8km中間道標地点12:16〜12:19→上流部二俣12:28〜12:40→(右俣)→左岸取り付き点12:53→不動沢のコル13:03〜13:10→(県境登山道を南方へ)→1901P付近13:17→鋸山北尾根の岩場(展望地)13:30〜13:35→鋸山13:45〜13:55→(南西へ)→(途中、休憩あり)→1950P付近(?)14:17→(南方へ)→(途中、休憩10分弱)→女山三角点14:37〜14:40→六林班峠14:48〜14:50→(南西へ)→(北東へ)→(途中、踏跡不明)→(六林沢源流部を西へ)→(右岸の台地へ)→「権兵衛」原動所跡15:17〜15:35→(峠道不明、西へ)→二俣合流地点(?)15:50→(六林沢右岸へ)→(途中、右岸の斜面に峠道あり)→(峠道を辿り、右岸の尾根を巻く)→(途中、峠道不明)→(六林沢右岸の河原に降りて西へ)→(途中、左岸にテープ・杭あり)→(左岸を西へ)→栗原川林道地点(砥沢橋南側砥沢小屋付近)16:32→駐車地点16:33
備考♦この記録は文中に掲げた著書以外に、HP「日光連山山歩き」内の画像掲示板に掲載されたルートマップ等の記録(2007年6月中旬)を参考にしています。
♦足尾銅山や根利山については、ブログ「日光の観光スポット・足尾の歴史を案内する 写真館四代目のブログ」および《ほたか倶楽部》のHP「追貝 山の家ホームページ」の記事・ファイル等をご覧下さい。

◇ T N H C ◇

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