根広から弁天山・大高山



 吾妻郡六合(くに)村にある野反湖は、東電のダムが造られる以前は「野反池」と呼ばれ、広大な湿原地帯を成していたそうだ。戦前の案内書などによると、その野反池へ群馬側の入山地区から三つのルートがあったという。ひとつは花敷温泉付近から和光原(わこうはら)集落を経由して野反峠(富士見峠)に抜ける尾根ルートで、戦後このルート沿いに車道(国道405号)が開削され現在の野反湖へのメインルートとなった。

 他は尻焼温泉の北側にある根広(ねひろ・ねびろ)集落から北へ延びる尾根筋を進むルートで、途中の1503mピークを経由して野反湖南岸の弁天山付近に出るものだ。このルートは現行の地形図に破線道が描かれている。それから昭文社の山と高原地図『志賀高原・草津』(旧版)にも登山道が描かれ、「根広尾根」という表記がある*。

 もうひとつは根広の西隣にある長平(ちょうへい)集落付近から北側の巻石山(1318.9m三角点峰)を経由して1503mピーク付近に出て根広からのルートと合流するものだが、これは地形図や昭文社の地図には描かれていないので、現在は廃道らしい。

 そこでねくらハイカーは、今回この根広尾根のルートを辿って野反湖南岸の弁天山に登り、そこから長野県境の大高山(おおたかやま)へ進み、帰りは鷹巣ノ尾根を下ってみようと7月中旬頃六合村の入山地区に出かけてみた。

[*山と高原地図の最新版では薄っすら破線道が確認できる程度。「根広尾根」の表記はある。]
国道405号から村道白砂根広線(左)へ  早朝の白砂川沿いの国道405号を北に走行すると、やがて花敷温泉入口の分岐地点にかかる。本来はここから花敷温泉への道に入り、長笹沢川沿いの県道(中之条草津線)に進んでもいいのだが、道路わきの工事標識によると、尻焼温泉の先が現在工事中で通行止め*とのこと。

 ここは国道をそのまま進み、白砂隧道を抜ける。さらにその先の白砂大橋を渡った山道のカーブ付近から左に分岐する村道(白砂根広線)へ入り、根広に向かう。

[*2009年7月中旬現在]

根広集落東側付近、北に分岐する林道あり  矢倉(やくら・やぐら)の住宅地を過ぎ太い導水管の下を潜って山道を走って行くと、ほどなく根広の集落に着く。集落の東側には小道が右(北)に分岐している。根広尾根への登り口がある林道らしい…。

 ここは右折して住宅の間を通る1車線幅の細い道に入る。

右上に坂道の分岐あり  住宅地のカーブ道をノロノロ行くと、やがて未舗装となり、右上にコンクリート舗装の坂道が分岐するところがある。地形図で照らし合わせると、どうもこの右の坂道が根広尾根へのルートのようだ…。

 そこで林道をさらに20mほど進み、山側に寄せて車を止め、本日の出発地点とする。

坂道の上に建物あり 根広配水池・根広水道の施設  天気は曇り。気温は15℃ほど。スギなどの針葉樹に覆われた林道は日が当たらないので薄暗い。準備をしてコンクリート舗装の坂道を上がって行くと、何やらフェンスで囲われた建物のあるところに出た。

 門柱に付けられた銘板を見ると、「根広配水池」・「根広水道」とある。建物は根広集落の上水道施設らしい。

掘割状の道を北東へ  施設の東側には山腹に沿って明瞭な道跡が通っている。多分、根広尾根への道だろう。さっそくその山道に入り、やや北東寄りの方向へ進む。

 日陰のスギの植林地に沿って掘割状の小道を登って行くと、そのうちにいくらか開けた感じの雑木林の笹地を進むようになる。道筋には雑草や笹が茂り少しヤブめいている。

作業道のような道に合流し北東へ  間もなく左下から上がってくる作業道のような道に合流する。どうも、この道が地形図に描かれた破線道のルートらしい。ここはこの作業道のような道に沿って山腹を北東方向へ巻いて行く。

 道沿いの笹ヤブの斜面にはノハナショウブやマツムシソウの花がチラホラ見えた。

尾根沿いの樹林帯に入り北へ  林道はやがて山腹を南西方向へ折り返す。3、4分トロトロ登ると、笹刈りされた道は終点となり、そこから北方向へ折り返して笹が茂った樹林帯に入る。

 地形図を参照すると、等高線で大体1150m付近のようだ…。

尾根の左斜面に道跡あり  まずは樹林帯の手前で一息つき、雑木林の尾根筋に進む。意外なことに、この雑木類が茂った尾根沿いには幅広の林道のような道跡が通っていた。昔の馬道か荷駄道の跡らしい。

 樹木の葉が茂っているので、尾根道からの展望はほとんどない。広葉樹の雑木類にはシラカバが多い。道跡は地形図の破線道通り尾根の西側に付いている。

 地図を見ると、このあたりに三角点があるようだ。野次馬根性のねくらハイカーは途中から道跡を外れ、右の尾根筋に上がって笹ヤブの斜面を進む。笹は膝丈から腰丈ほどで、それほど密生していない。傾斜も緩やかなので容易く直登できる。

筒状の中に水栓のハンドルあり  薄っすら落ち葉が積もった笹地の斜面をジロジロ見ながら進んで行くと、途中に何か樹脂製の筒が埋設されたところを通る。何だろうと上の丸い蓋を外してみると、中に水栓のハンドルが見えた。

 どうも、この尾根筋に送水管か何かが敷設されているようだ。これは、先ほどの配水施設に通じているものかもしれない…。よそ者の野次馬ハイカーには何だかわからないので、蓋をして再び尾根筋を進む。

1208.4m三角点(木ダマ山)付近 三等三角点の標石  腰丈ほどの笹ヤブの斜面を北へ登って行くと、やがてなだらかな丘のようなところにさしかかる。そこには古い測量棒が立てられていた。三角点らしい…。

 そこで棒の根元付近を覗き込むと、果たして三等三角点の標石があった。ここが1208.4mの三角点*だ。戦前の案内書によると、ここは「門松の三角点」といって営林署の見張所があったそうだ**。戦前は国有林の盗伐が盛んだったということで、ここで取締りをしたらしい。現在は殺風景な笹原となっているだけで、建物があったような形跡はない。

[*最新版の昭文社山と高原地図『志賀高原・草津』には、この三角点ピークに「木ダマ山」という山名が記されている。地元の呼び名らしい。]
[**昭和三十年代頃の案内書では、門松見張所があった地点をここからさらに北側の1397m標高点ピーク付近としているものもある。]

尾根筋の道跡に沿って北へ  三角点からは尾根の左(西)側を通っている道跡に合流して進む。この明瞭な道跡には「山」の刻字が入ったコンクリート杭が打たれていた。道はやがて尾根筋を通るようになる。

 途中でもう一ヶ所筒状の水栓地点を過ぎ、膝丈から腰丈ほどの笹ヤブを登って行くと、左下(北西)から林道が合流してきた。これは地形図に出ていない道だ。作業道らしい。

 そこからは笹丈が低くなった尾根筋をやや北西寄りに進む。気温は17℃ほど。天気は相変わらずの曇り。

笹が茂る尾根道  尾根沿いを進んで行くと、広葉樹主体の雑木林にはカラマツが混じってきた。どうも、このあたりにカラマツの植林地があるようだ。

 笹はすぐに繁茂してきて腰丈ほどになる。尾根沿いには明瞭な道跡が付いているので歩くのに別段問題はない。途中、また左下(南西)から作業者が歩くような細い踏み跡が合流してくる。

 そこから一時的に腰丈から胸丈ほどの笹ヤブ帯を進む。笹の下には倒木もある。このあたりは笹刈りがまったく行われていない。

車道横断地点(標高1270m付近)  尾根沿いを登って行くと、やがて車道のカーブ地点に出る。傍らにはカーブミラーが設置されていた。地形図の実線で描かれた道が横切っている地点*らしい。ということは、1249m地点をいつの間にか通り過ぎたようだ…。

[*地形図の等高線で1270m付近]

林道を右へ進んで左上の踏み跡へ 笹ヤブの尾根道を北西へ  そこから車道を5mほど右(北東)へ進み、左上の細い踏み跡に入る。

 そして再び笹が茂る尾根筋を北西方向に登る。このあたりは少しヤブめいた感じだが、道跡はハッキリ付いている。

一時的に刈り払いされ整地された尾根道  少し登ると、一時的に笹や草がきれいに刈り払いされた平坦地を進むようになった。何か平野部にある雑木林の散歩コースを行く感じだ。

 しかし、この歩きやすい尾根道もすぐに笹ヤブの上り斜面となる。

北東方向への下り、笹の密ヤブあり  地形図の等高線で1320m付近のコブ地点を過ぎると、北東方向へ下るようになる。

 このあたりは背丈ほどの笹が密生しているので少々歩きづらい。笹を掻き分けながら進む。

山腹の法面に沿って進む  地形図の破線道は1397m標高点ピーク*の山頂地点を通っているが、実際の道は山頂部の手前で左(北西)方向に折れて西側の山腹を巻くように付いている。

 このあたりも笹が密生して非常に歩きづらい。なるべく山腹の法面に沿って笹が薄いところを選びながら進む。

[*昔の案内書では、この付近のピークに「高戸屋山」という山名が付いている。]

1397P北側、再び尾根に沿って進む キバナノヤマオダマキ  1397mピークの北側で再び尾根沿いのルートとなる。体力が衰えたねくらハイカーはこの辺で一息つく。気温は21℃になっていた。

 この笹が生い茂る道筋には様々な山野草の花々が見られる。凡人ハイカーは山野草の知識がないので、それらの名前はほとんどわからない。

草地の尾根道  そこから北へ登って行くと、一時的に歩きやすい草地の道となった。さらに平坦なピーク地点を過ぎるとまた笹地の道となる。

 このあたりは周りの雑木林からホトトギスの啼き声がうるさいくらいに聞こえてきた。それから、傍らの樹木には古いビニール紐の目印が付いていた。以前は明瞭な登山道が通っていたので、少なからずここを歩く人がいたようだ…。

尾根筋を北へ、道跡あり 1503P東側の山腹を巻いて北へ  さらに尾根沿いを直登したり左や右の斜面に巻いたりしながら1503mピーク*に向かう。道跡はやがて尾根から外れ1503mピーク山頂部の東側を巻くようになる。登山道は山頂地点を通っていない。

 山腹を抜け、1503mピークの北側でまた尾根沿いを進む。

[*この標高点ピークは、昔の案内書では「石戸屋山」、昭文社の地図では「石ドヤ山」と山名が表記されている。]

1503P北側で一時的に尾根の左(西)斜面を進む  そして緩い傾斜の尾根筋をまた左や右の斜面に巻きながら笹ヤブのルートを進む。笹丈は場所によって膝丈から胸丈くらいになっている。

 現在、この根広尾根のルートは笹刈りが行われていない。廃道化が進んでいる。林業関係者や一部のハイカーくらいしか歩く人がいないようなので、これはどうにもならない。

尾根筋を右に折れて北東方向へ 1554P北側の山腹を北東へ  尾根ルートはやがて北東方向に曲がる。このあたりでは尾根の左斜面(北面)を進む。この右上の尾根筋に1554mの標高点*があるようだが、ルートは尾根筋を通っていないので、どこが1554mピークの山頂なのか特定できない。

[*昔の案内書では、この付近のピークに「岩菅荷馬(ニンバ)」という名称が付いている。昔刈り取った菅(スゲ)をこのあたりで馬や荷車に積み込んだところかもしれない。]

針葉樹が混じる尾根筋を北へ  そこから人がひとり通るくらいの細い山道となり、尾根の西側を少し下り気味に進む。そして鞍部からは北方向への上り道になる。

 このあたりから尾根沿いの樹木にコメツガやシラビソなどの針葉樹が少し混じってきた。

北方向へ進む尾根筋から前方右(北東)に弁天山  そのうちに尾根筋を右に乗り越して尾根の東側を進むようになると、前方右(北東)の樹間にちょっと尖ったピークが見えてきた。

 地形図で照らし合わせると、どうも野反湖南岸に聳える弁天山らしい。ここでようやく今日の目的地が確認できた。登りはじめてすでに2時間半以上かかっているが、体力が衰えたねくらハイカーにはほぼ順当なタイムといえる。

1652.6m三角点峰(弁天山三角点P)南東面の山腹道  そこからまた尾根筋のルートを北へ進み、途中から掘割状の笹ヤブ道を通って東側に抜けると、今度は尾根から完全に外れて山腹の道*となる。

[*1652.6m三角点峰(弁天山三角点ピーク)の南東面に付けられたトラバース道。昔の案内書では「水仙横手」と呼ばれている山腹道。]

山腹道の途中から北側の斜面[※ここを登ってルートミス]  笹が密生する道筋を北東方向へ進んで行くと、傍らに水溜りのある地点を通る。ここには笹地や草地の中にニッコウキスゲやオオバギボウシの花が数多く咲いていた。

 そこから左上(北)には笹地になった尾根筋が見える。ハイキング道が通っている野反湖南岸尾根らしい。根広からのルートはこのまま山腹を通っているようだが、笹が深く道筋がハッキリ確認できない。左上の尾根には明瞭な道が通っているはずなので、ここは試しに北側の急斜面を直登してみる*。

[*あとで確認すると、根広尾根のルートは山腹をそのまま北東方向につづいていた。ということで、ここからはルートミス。]

登りついた尾根地点(1652.6m三角点東側付近)から東方向に弁天山山頂部 尾根地点から南西方向、中段に根広尾根、遠方に浅間隠〜浅間・鹿沢  笹や草を掴みながら笹地の斜面を攀じ登る。5分くらいかけて何とか弁天山の山頂部見える尾根筋に出る。

 その尾根地点は展望があるので、南西方向をふり返ると、今まで辿ってきた根広尾根が一望できた。その遥か後方には浅間山から浅間隠山あたりの山並みもぼんやり見える。また、南東方向には弁天山の山腹の右に松岩山の山影も確認できた。天候は曇りなので、遠方はいくらか霞んでいる。

弁天山へ向かっての下り、左下に登山道あり  そこからは腰丈ほどの笹地の斜面を弁天山めざして東方向に進む。笹ヤブを少し下ると、左下(北)に刈り払いされた登山道が通っているのが見えた。野反湖南岸のハイキング道だ。ねくらハイカーは一目散に笹を掻き分けて北側に下る。

 すると、東から男性のハイカーがひとりハイキング道を歩いてきた。そしてすぐに笹ヤブの中のねくらハイカーに気づき、何か奇異なものを見る目つきでジロジロ見はじめた。何で刈り払いされた道があるのに笹ヤブの中を歩いているのかイマイチ納得できない様子だ。

 ねくらハイカーは見知らぬ単独者に自分のルートミスのことを説明してもしょうがないので、適当に作り笑いをしながら「こんにちは」と挨拶してやり過ごす。

ハイキング道に合流して東へ 根広・花敷分岐地点(「根広禿」付近)  男性ハイカーは「世の中には随分と物好きなヤツもいるな」という表情をして西方向へ去って行った。こちらはヤレヤレということで、刈り払いされた道に合流して東方向へ進む。

 そこから1分も歩かないうちに三方向の道標が立つザレ地*に着く。根広・花敷方面の分岐地点だ。先ほどの山腹道をそのまま北東へ辿ればここに出られたわけだが、平成の盆暗ハイカーはこの手前から北側の笹ヤブの斜面を登ってしまった。

[*戦前の案内書によると、このあたりは「根広禿」と呼ばれていたそうだ。]

弁天山山頂への小道  ここからは気を取り直して東側にある弁天山の山頂に向かう。少し行くと右上(南)に小道が分岐する。山頂への道らしい。

 そこから丸太段やロープの手すりが設置された道を登って行くと、間もなく道標形の標識と琵琶を持つ弁才天の石像や石の祠があるところに着く。弁天山の頂上だ。

弁天山山頂、左後方(北西)に三壁山〜三引山の稜線  このピークは1652.6m三角点の東側にあり、標高は地形図の等高線で1650mほどだが、実際は三角点ピークより高い。山頂はいくらか灌木類が茂っているので360度の展望とはいかないが、東に野反峠(富士見峠)や八間山、西に草津白根山や横手山、北に野反湖や三壁山(みつかべやま)などがよく見える。

 ねくらハイカーは休憩しながら賽銭が供えられた弁天様や石祠の側面に彫られた文字を眺める。それによると、弁天像は昭和五十二年(1977年)七月に六合村と六合村観光協会が建てたということだ。石祠は古く「天保十三年寅年(1842年)七月二日」の日付があるので、江戸時代のものだ。

弁天山山頂から東側、左後方に八間山、右下に野反峠 山頂から南西に草津白根山・横手山  祠などを眺めていると、東側から女性のアナウンス音が聞こえてきた。何か車の移動を要請するもので、野反峠付近にある休憩所のスピーカーからの音声らしい。

 何とも興醒めな感じだが、交通の便がいい野反湖は平日でも観光客やハイカーで賑わっているのがわかる。峠から手軽に弁天山に登ってくる方もいるようだ…。小休後、西へ戻る。

弁天山西側の下りから西方向、手前に弁天山三角点P、後方に赤石・ダン頭・大高・三壁 西側の下りから北方向、野反湖後方に三引〜大倉〜八十三  弁天山の西側の下りから西方向に目をやると、近くに三角点ピーク(弁天山三角点)があり、その遥か後方にはこれから一部歩く予定の上信国境付近の山々が見渡せた。地図で確認すると、志賀高原の赤石山あたりまで見えている。

途中、左上に切り開き道あり[弁天山三角点分岐]  快適なハイキング道を西へ進み、再び根広・花敷方面への分岐地点を通る。先ほどは気づかなかったが、このザレ地には小石を積んだケルンがあった。ここを歩くハイカーも相当多いに違いない。

 そこからルートミスで辿り着いた地点を過ぎ、右方向の樹間に八間山を眺めながらスタスタ行くと、途中、左(南)の山側に笹が切り開かれたような踏み跡が見えた。

 標識はないが、これは多分三角点への道だろう…。ここは左に寄り道する。

足元にコマクサ  細い踏み跡を上がって行くと、平坦なザレ地の山頂部に出る。そこには標識類がないので、どこに三角点があるのかわからない。

 標石を探しながら山頂部を歩き回ると、足元に高山植物の女王といわれるコマクサの小さな花が見えた。このあたりは岩の多い砂礫地になっているので、コマクサには適しているようだ。

 そこから適当に西側に進んで行くと、周りの草や灌木が切り払われたところがあり、そこに弁天山にあったような石祠が安置されていた。石祠があるということは、ここにも何かが祀られているわけだ。東の弁天山と関連があるのかもしれないが、凡人ハイカーにはちょっとわからない。

1652.6m三等三角点の標石  石祠からさらに奥にも開けたところがある。そこでそちらへ進むと、三等三角点の標石があった。

 ここが1652.6mの三角点だ。弁天山からは若干離れているが、弁天山の三角点ということでいいようだ…。

キャンプ場分岐道標地点(弁天山三角点P北側)  三角点から細い踏み跡を辿って北側へ下る。途中、笹ヤブの中で踏み跡は消えてしまったがヤブ漕ぎして下ると、再びハイキング道に出る。

 そこから北西寄りに進むと、すぐにキャンプ場への道が分岐する道標地点に着く。そこには飼い犬を連れた若いカップルが休んでいた。

 この人たちは空身なので、キャンプ場の宿泊者らしい。犬を連れての散歩中というわけだ。軽く挨拶して道標から北西側に下る。

下り道からエビ山方面  下り道からは次のエビ山の平頂部が見える。トロトロ下って行くと、やがて平坦な笹原になる。

 この時節、笹ヤブの中には色とりどりの色彩を放つ山野草や高山植物の花々が咲き誇っていた。ねくらハイカーはアザミ・ノハナショウブ・ハクサンフウロくらいしか名前がわからない。

キャンプ場分岐道標地点(1533m地点東側) ノハナショウブ  地形図の1533m標高点手前付近でまたキャンプ場への道標が立つ分岐地点となる。野反湖沿岸には高原の散策や散歩にぴったりなコースが沢山ある。それに合わせて分岐路も多い。

鞍部を過ぎて急斜面の登り  笹原になった1533m地点の最低鞍部付近を過ぎると、傾斜の急な登り道になる。体力が衰えたヘタレハイカーはたちまち息が上がりペースが落ちる。

 そこでいつものように休み休みの登りとなる。上空には薄日が出ているので、気温は25℃に上がっていた。

エビ山への登りから東方向、八間山〜1828P〜[小ズーム画像]  途中、立ち止まって一息つく。このあたりからは野反湖東側の眺めがいい。昔の案内書や横田昭二氏の『群馬300山』によると、この野反湖東岸の山腹にある赤土が露出した斜面を地元では禿(はげ)と呼び、その形状によってそれぞれ名前が付いているそうだ。休憩地点からはその赤土の崩落地がよく見える。

 八間山と1828mピークの間の下あたりに見える二ヶ所のガレ地が「イカ禿」で、そこからずっと右の方のものが「金魚禿」らしい。左は確かにスルメイカのような姿に見えるが、右は金魚というよりも何か熱帯魚のような姿をしている*。

[*ちなみに、野反峠付近にあるガレ地を「タコ禿」というらしい。]

ハイキング道から南西方向、右に草津白根、左遠方に浅間  そこから、またよく歩かれた道筋を北西に登る。左に草津白根や横手、そして遥か遠方の浅間の山並みを眺めながらゆっくり行く。道沿いにはダケカンバなどの広葉樹が多い。前方にエビ山の平らな山頂部が見える。

 ヘタレハイカーは山頂手前の斜面でまた休憩タイムとなる。気温は27℃になっていた。このあたりはほとんど無風。いくらか湿気があるので暑い。疎らに生えたダケカンバの木陰に入って座り込む。今日は体調がそれほどよくないので、休みながら行くしかない。

エビ山分岐地点(1744m標高点付近)、後方に三壁山  小休後、急斜面を登りきると傾斜も緩やかとなり、道標地点に着く。エビ山*山頂部西側の分岐地点だ。

 そこには先ほどすれ違った男性ハイカーがいて、ちょうど食事中だった。食事の邪魔をしては申し訳ないので、ここは手短に周囲の写真を撮って速やかに北西方向に下る。

[*山名は東側のエビ沢から来ているらしい。六合村が設置した途中の道標には「恵比山」という漢字表記も見えた。七福神の恵比寿様と関係があるかは不明。]

エビ山西側下りから北西方向、高沢山・1930P・三壁山  エビ山西側の緩い下りからは正面に高沢山(たかざわやま)の円頂部が聳え、その右に中間峰(1930m峰)と三壁山が並んで見えた。左には相変わらず草津白根山や横手山方面の展望がある。

 日差しが出てきたので、遠方の見通しもいくらかよくなった。このまま晴れ上がればいいのだが、本日の天気予報は曇りとなっていた。

針葉樹が多い樹林帯の道  そこからシラビソなどの針葉樹がチラホラ見える樹林帯に入ると、中年男女の二人連れとすれ違う。今日は夏休み前の平日だが、野反湖周辺はハイカーや観光客が多い感じだ。

 シラビソにオオシラビソなども混じった樹林帯を自分のペースでちんたらちんたら行くと、また中年男女の二人連れに遇う。この方々は何か和気藹々の雰囲気で夫婦ハイカーらしい。軽く挨拶してすれ違う。

 ねくらハイカーはそこから少し進んで、シラビソの木陰で休む。どうも今日は体調がイマイチで、調子が出ない。我慢ができず、すぐに休みとなる。

 そこから小ピークを過ぎて西へ下り、北西方向に登り返して行くと、多少傾斜もきつくなってきた。ここで一気にペースが落ちる。

 針葉樹の多い樹林帯をヨタヨタ行くと、中年男性の二人連れが声高に世間話をしながら下ってきた。やはりシーズン中ということで、野反湖周辺はハイカーの方々が多い。軽く挨拶してすれ違う。

 ねくらハイカーはそこからまた少し登って休憩する。日陰の樹林帯でぼんやり休んでいると、傍らの立木からケキョ、ケキョ、ケキョというウグイスの警戒する啼き声が聞こえてきた。まったく見通しのない樹林の中で幽霊のようにダラーンとのびているヘタレハイカーは、小鳥にとっては迷惑千万な不審者に違いない…。
高沢山山頂 山名板の標識  そこから少しぬかるみのあるところを登って行くと、樹林に覆われたピーク地点に着く。傍らには六合村の道標が立ち、樹木には山名板の標識が付いていた。

 1906m地点の高沢山山頂だ。ここでまた一息つく。

道標の裏側に傷痕あり  展望がないので、標識類を見物すると、道標の裏側に生々しい傷痕が付いていた。これは黒いヤツの仕業らしい。

 ねくらハイカーは1990年代の初め頃に野反湖周辺を歩いたことがある。その際この高沢山からエビ山へ向かう途中の笹原で唸るような獣の声を聞いたことがある。そのときは怖くなって声が聞こえなくなるまでじっと動かずに15分ほど立ち尽くしていた。

 このあたりに黒いヤツが生息しているのは間違いない。昼間は人通りが絶えないので、夜間や朝夕に出没しているのかもしれない…。

三壁山・カモシカ平分岐、標識類多数あり 六合村の道標、後方奥(西)にカモシカ平方面  高沢山山頂から北西に下る。すぐに標識類が多数表示された三差路の分岐地点に着く。

 六合村が設置した道標には、北東に「三壁山」、西に「カモシカ平・大高山・赤石山」を示している。他にも例の「志賀高原地区山岳遭難対策協議会・志賀高原観光協会」の貼り紙形標識が樹木に付けられていた。

長野電鉄・志賀高原観光協会設置の古い標識  それから「大沼池−野反湖」と書かれた古い白塗りの木製標識もある。これには長野電鉄と志賀高原観光協会の文字があるので、おそらく昭和32年(1957年)に長野電鉄が赤石山・野反湖間の上信国境尾根に登山道を切り開いたときのものだ。半世紀前に付けられた標識が残っているのだから何とも素晴らしい。

 ここで立ち止まって他の標識を見物していると、北側から軽やかな熊除け鈴の音が聞こえてきた。三壁山の方から誰かがやってきたようだ…。ここは速やかに西のカモシカ平・大高山方面へ進む。

左下にカモシカ平、遠方に草津白根・池ノ塔・横手 ベニサラサドウダン  地形図などによると、このあたりから一時的に県境付近の道となるらしい。登山道沿いにはベニサラサドウダンの小さな紅い花が一斉に開花していた。

 それから1分も歩かないうちに左下の樹間に笹原が見えてくる。カモシカ平だ。

登山道沿いにキスゲの群落あり  登山道はやがて南西へ下るようになる。

 笹原に向かって快調に下って行くと、途中の笹地にニッコウキスゲの花の群落があった。ここのニッコウキスゲは地元ではノゾリキスゲと呼ばれているとのこと。

カモシカ平道標地点(水場分岐)  キスゲの花を眺めながらゆるゆる下って行くと、間もなく道標や説明板がある笹原の鞍部に着く。カモシカ平だ。周囲には腰丈から胸丈ほどの笹や草が茂っている。まさにシカやカモシカがゆったり草を食んでいてもおかしくないようなところだが、昼間は人の往来が多いので出てくる雰囲気ではない。

 地形図ではここは長野県側に位置している。六合村が設置した道標には例の志賀高原側の会の貼り紙標識も付けられていた。標識によると、水場は北へ200mほど下った中高沢源流部にあるそうだ。今日はまだ水はあるので、補給の必要はない。

 休憩しながらラジオをつけると、関東甲信地方の梅雨明けのニュースが聴こえてきた。アレ、ここは一応関東甲信地方に入っているわけだが、相変わらずの曇り空だ。梅雨明けのニュースがイマイチぴんと来ない。ここはまだ梅雨が明けていない新潟県の境界近くということで、引きつづき梅雨の真っ只中らしい…。

鞍部から南西へ  カモシカ平の道標地点で休んでいると、高沢山の方から複数の鈴の音が聞こえてきた。先ほど三壁山の方から進んできた人たちのようだ。そろそろお暇した方がいい…。

 道標地点から笹原の道を南西方向に登って、次の大高山に向かう。登山道沿いの笹は胸丈ほどで少々ヤブめいている。最近刈り払いが行われていないのかもしれない。

北東方向ふり返り、三壁山・1930P〜高沢山 南東方向ふり返り、左に高沢山、中央に弁天山、右遠方に松岩山  笹原をえっちらおっちら登って行くと、シラビソやオオシラビソの針葉樹が生えた樹林帯に入る。

 その手前で後ろをふり返ると、先ほどの鈴の音の人たちがカモシカ平の道標地点に到着するのが見えた。総勢10名ほどのグループだ。おそらく野反湖周辺の山をトレッキングする方々だろう。

尾根ルートには明瞭な道あり  登山道は見通しのない樹林帯を通っている。路面は湿っていて黒土のぬかるみが多い。登山道沿いの樹木には所々に目印としてブルーシートの切れ端が付いていた。この尾根ルートには明瞭な道跡が確認できるので、目印は残雪期のものらしい。

 それから、ぬかるみには人の足跡が沢山付いている。現在、上信国境付近の尾根を歩く人が相当多いようだ。

登山道には一時的に笹が被っているところあり  登山道は途中から北西方向に進むようになる。地図上はこのあたりから再び県境となる。登山道沿いにはこの時季、紅い花を付けたドウダンツツジが目立つ。

 1965mピークを過ぎると、ぬかるみの多いウエットな道になってきた。笹刈りが行われていないようで、道筋は笹に深く覆われているところもある。

 このあたりからハエが付き纏い出した。刺すヤツもいるので、アブか何か吸血虫が混じっている。虫除けのスプレーをしても中々逃げない。あまりにしつこいので、歩きながら頭に噴霧していたら目にかかってしまった。そこから暫くは目に滲みて涙ボロボロ状態で進む。

ぬかるみには人の足跡多数あり  次の等高線で1990mのピーク付近にかかると小雨がパラパラ当たってきた。山の天気は変わりやすい。上空は明るいので、一時的なにわか雨だろう。ここは携帯用の折り畳み傘を差して進む。5分ほど経つと雨は止み、上空に薄日が出てきた。本降りの雨にならなくてよかった。

 そこから少し行くと部分的に刈り払いされた道となり、歩きやすくなる。そのあたりで登山道のぬかるみに付いた足跡を観察すると、カモシカ平方面へ歩いた比較的新しい足跡を確認できた。最近、単独かまたは二人連れの登山者が大高山から野反湖方面へ歩いたようだ…。

枯木に六合村山岳会の文字あり  登山道をさらに進むと、また笹ヤブの中を行くようになる。途中、道の傍らに「六合村山岳会」と彫られた枯木が見えた。結構古い感じなので、昭和三十年代の登山道開通時に彫られたものかもしれない…。

 ヘタレハイカーは途中見通しの利かない樹林帯で立ち止まって休む。気温は25℃ほど。

東方向ふり返り、遠方に白砂山(?)  そこからぬかるみの多い道をダラダラ登る。そのうちに傾斜も緩くなり西寄りに進むようになる。

 そのあたりから東側の樹間をふり返ると、三壁山後方の山並みがチラリと見えた。どうも、堂岩山と八十三(やそみ)山の間にある尖ったピークが白砂山らしい。

大高山の三等三角点標石 大高山山頂  さらに西へ進むと、やがて道標が立つ地点に出る。道標の側の笹地に三等三角点の標石が埋設されていた。

 ここが標高2079.4mの大高山山頂だ。

山頂から南東方向  この山頂は樹林に覆われているので展望はそれほどよくないが、南東方向の樹間に八間山や弁天山、そして高沢山あたりが確認できる。

 ねくらハイカーは10年ほど前に鷹巣ノ尾根からここに登っているので、今回は二度目になる。野反湖南岸の弁天山からだと、やはり少し遠い感じがする。今日は休み休み歩いてきたわけだが、午後2時前に到着できたのでまずまずだ。

大高山山頂部西側から左下(南)に天狗平  小休後、登山道を南西方向に下る。大高山の西側は東側と違ってぬかるみが少なく乾いた道がつづいている。

 少し下ると、左下に緑の平坦地が見えた。天狗平(ミドノ平)の笹原らしい。

右前方(西)にオッタテ峰〜ダン沢ノ頭、後方に池ノ塔・横手〜赤石  さらに笹地にコメツガなどの針葉樹が疎らに生えたところを下って行くと、右前方(西)に山尾根が見えてきた。

 オッタテ峰からダン沢ノ頭(雄高山)へかけての稜線だ。その後方には横手山や赤石山も確認できる。

登山道から前方(南西)に小高山(1937P) 北西方向に金山沢の頭〜ノッキリ付近の稜線  さらに笹刈りされて歩きやすい草地の道を下って行くと。オッタテ峰・ダン沢ノ頭手前にある円頂形のピークが見えてきた。昭文社の地図で「小高山」と表記された1937m峰だ。

 このあたりは樹木が少ないので多少の見晴らしがある。ダン沢ノ頭の右には遠く奥志賀の山並みも見える。

天狗平・五三郎小屋(水場)分岐  左下に天狗平の笹原、前方に小高山を眺めながら快調に下って行くと、間もなく交差道標が立つところに着く。天狗平と五三郎小屋への分岐地点だ。

 ここから右(北西)の五三郎小屋へ下れば水場があり、左(南東)に下れば天狗平となる。以前大高山に登ったときは、ここに天狗平方面への表示はなかった。のちに笹刈りされ天狗平への道が整備されたようだ。

 ねくらハイカーは水を補給するため、右の五三郎小屋に下る。前回は初秋の頃で、小屋の水場はほとんど涸れていた。今回は梅雨の季節なので多少期待できる。

五三郎小屋  北西から西へ方向を変えてシラビソの多い樹林帯を下る。最近倒れた倒木を乗り越えて下って行くと、間もなくトタン屋根とブロック壁の五三郎小屋*に着く。

[*六合村の記録では五三郎小屋の建設を昭和37年(1962年)としている。山岳関係者の記録には昭和45年(1970年)開設とするものもある。小屋の建て替えや改修は行われていないようなので、すでに40年近く経っている建物らしい。]

五三郎小屋内部  この小屋の外側は何とか形を保っているが、内側はかなり荒廃している。笹刈りの人たちが泊まったような痕跡がある。小屋の内と外にブルーシートが散乱していた。

 水場は小屋の前にある。今回は水量が多いので、たっぷりと汲むことができた。これで今日の水の心配はない。

 水場から再び交差道標が立つ県境まで戻る。今日はこれからの山道や林道歩きが長いので、天狗平への寄り道はキャンセルとし、県境沿いの登山道を南西に進む。

 鞍部から小高山(1937m峰)の登りにかかる。登山道沿いの樹木には長野県山ノ内町が設置した野反湖・赤石山間を示す標識が付いていた。
小高山(1937P)への登り  県境の尾根筋は左の群馬側が笹地、右の長野側が針葉樹の樹林帯になっている。このあたりからは北方向の樹間に岩菅山から烏帽子岳にかけての山並みが見えるはずなのだが、先ほどから何やらこの県境付近にガスがかかってきて遠方が見えなくなってしまった。

 残念ながらねくらハイカーの心掛けが悪いということで、今回は岩菅山方面の展望は諦めざるを得ない。

小高山への登りから北東方向ふり返り、大高山方面  途中で後方(北東)をふり返ると、今下ってきたばかりの大高山山頂部がガスに覆われていた。山の天気は変わりやすい。今日はもう展望のある山歩きは出来そうにない感じだ。

 ガスと同時にいくらか風が吹いてきた。体力が衰えたヘタレハイカーはこの小高山への登りでも少し立ち止まって休む。群馬側から笹の斜面を上がってくる風がいくらか涼しい。

小高山(1937P)山頂  小休後、再び県境の尾根筋を亀の歩みで登って行くと、樹木が茂った道標地点に着く。六合村の道標には「小高山」とある。ここが1937m峰の山頂だ。

 ガスって周囲の展望がないので、傍らの樹木に付けられたビニール製のリボンテープを見物すると、「2009.7.12(日)9:56 フジオカ.T.K」とマジック書きされていた。

 ということは、二日前の午前10時頃フジオカ某氏がここに登ったようだ。午前10時ということは、おそらく鷹巣ノ尾根から登ったのだろう…。野次馬ハイカーは他人が登ったルートを勝手に考える。

小高山西側の下りから1853m鞍部  そこからいくらか西寄りに山腹を下る。そのうちにまた尾根筋を南西へ下るようになると、下の方に鞍部が見えてきた。昭文社の地図に「オッタテ峠」と表記されている1853m地点付近の鞍部だ。

 晴れていれば、このあたりから鞍部の西側にオッタテ峰のコブが間近に見えるのだが、今は濃いガスの中に隠れてしまった。

鞍部東側付近から西方向、ガスの切れ間にオッタテ峰 1853m地点(最低鞍部)付近[このさらに西側(奥)が峠]  その鞍部付近に下って行くと、一瞬ガスの切れ間にそのオッタテ峰のコブ状ピークが見えた。

 さらに雑木類の樹林帯を抜けると、地形図で1853m地点の最低鞍部付近を過ぎる。ねくらハイカーはこのあたりをオッタテ峠と想定していたのだが、別段標識類は見えない。前回ここを歩いたときも峠の標識はなかった。

「オッタテ峠」のプレートあり[1853m地点西側]  多分、今は使われていない昔の峠ということで標識類は設置されないのだろうと一人合点して、鞍部からトロトロ登って薄暗いシラビソ林に入る。

 すると、傍らの立木に赤石山・野反湖間を示す山ノ内町の標識があり、その下に小さなプレートが付いていた。何気にそれを見ると、「オッタテ峠」とある。「アレ、ここがオッタテ峠なのか…。」ねくらハイカーは思わず独り言が出た。

オッタテ峠北側  昔、秋田マタギの方々が魚野川上流の小ゼン沢を遡って上州の草津温泉に行く際に、この峠を越えたそうだ。それから、上州側の入山の住人もこの峠を越えて魚野川に入り魚を獲ったらしい。

 昭文社の山と高原地図のガイド文(高相重信氏 執筆)によると、ここから登山道を外れ信州側に下ると踏み跡があり、さらに5分ほど下ると水場があるそうだ。ねくらハイカーは今回その踏み跡を確かめる余裕はない。

「小倉三叉路」道標地点、左(南)に鷹巣ノ尾根・小倉方面、後方(南西)は赤石山方面  そこから西へ15mほど進むと、六合村が設置した三方向の道標地点となる。道標には「小倉口三叉路*」とある。ここが入山の小倉(こくら・こぐら)集落への分岐地点だ。

[*道標の柱部分に付けられた志賀高原側の貼り紙標識では、この地点を「オッタテ峠」としている。]

立木に付けられた山ノ内町・志賀高原救援隊のT字路看板  ここから県境を南に外れて鷹巣ノ尾根の道を下れば小倉に出られる。ねくらハイカーは今日はその小倉方面に下る。

 時刻は午後3時過ぎ。夏場なので、ペースを上げて下れば、何とか明るいうちに根広まで戻れそうだ…。

県境から南へ  道標地点からすぐさま左(南)に曲がる。この鷹巣ノ尾根の道は傾斜は急だが、雑木林主体の尾根筋を通っているので、ぬかるみが少なく歩きやすい。滑りやすい急斜面にはトラロープなどもあるので、快適な山道となっている。尾根沿いには残雪期の目印としてブルーシートの切れ端が付いていた。

 実際に秋田マタギがここを歩いたかどうかわからないが、ルート設定に無駄がなく、土地勘のある人がこの尾根道を拓いた感じがする。横田氏の『群馬300山』では、この鷹巣ノ尾根のルートを「奥上州の新しいコース」と紹介しているが、この尾根ルートは戦前の案内書にも出ている。元々微かな踏み跡程度のものが通っていたのを、管轄の営林署または六合村や志賀高原側の関係者が近年登山道として整備したらしい。

一ツ石(1825P)山頂  ガスに覆われて少し薄暗くなった樹林帯を下って行くと、やがてシラビソ林の登りとなり展望のないピーク地点に着く。

 そこには例の山ノ内町と志賀高原救助隊の矢印看板があり、傍らの立木にW形の青いブリキ板が付いていた。ここは多分、地形図に「一ツ石」と表記された1825mピークの山頂だろう。

一ツ石展望地(1825P南側) 展望地から南東方向  そこからさらに南へ下り、右へ山腹を周り込んで行くと、笹刈りされた道標地点に着く。一ツ石の展望地だ。六合村の道標は、この地点を「一つ石」としている。

 残念ながら、今日はガスがかかってほとんど展望がない。明るく開けた雰囲気なので、ここで少し休む。気温は26℃ほど。休みながら傍らの立木を見ると、「フジオカ.T.K.」と書かれたテープが付いていた。やはり二日前にフジオカ某氏がここを歩いたようだ。

北側ふり返り、一ツ石(1825P)方面  そこから低木帯の尾根筋を南東方向に下る。登山道は刈り払いされているので歩きやすい。

 ガスっていなければ、このあたりから結構見晴らしがあるのだが、ねくらハイカーの普段の心掛けがよくないということで、天候は一向に回復しない。途中で後ろをふり返ると、靄の中に一ツ岩のピークが結構尖って見えた。

下の尾根筋にピーク(1700P)あり  そこから少し下ると、下の尾根筋になだらかなピークが見えてきた。地形図の等高線で1700m圏のピークらしい。

 スタスタ下って行くと、針葉樹が多く日陰になったその1700mのコブ地点を過ぎる。このあたりにも登山道のはトラロープが付いていた。

笹刈りされた草地の登山道  そこからまた開けた感じの尾根筋を進む。登山道の草地には山野草の花々が沢山見られる。ねくらハイカーは山野草の知識がないので、オダマキやクルマユリくらいしか名前がわからない。それから、登山道沿いの灌木林には遅咲きのヤマツツジが小ぶりな花を咲かせていた。

 時間的に余裕がないので、花々を観賞することなく足早に下る。

1559P付近(?)  そのうちに次の1559mピーク付近を過ぎる。見通しのない日陰のピーク地点には例の山ノ内町・志賀高原救助隊の矢印標識が付いていた。

 そこからブナやシラカバなどの広葉樹が多い樹林帯を下る。このあたりは小鳥の啼き声が聞こえていくらか長閑な雰囲気がある。

カラマツの多い樹林帯、笹ヤブあり  さらに落ち葉が敷かれた登山道を南寄りに下って行くと、カラマツの多い樹林帯になってくる。植林地があるようだ。

 そして登山道は尾根の東側の山腹を下るようになる。このあたりは笹がちょっと茂ってヤブめいたところもある。

下に「赤石山・野反湖登山口」の標柱あり[馬止登山口]  そこからまた尾根状の斜面を進むようになり、いくらかジグザグに下って行くと、標柱や案内板などの看板が設置されたところに出る。傍らには林道が通っている。馬止(うまどめ)*の登山口だ。

[*戦前の案内書によると、昔国有林の盗伐が盛んだった頃、伐木材をここから馬につけて荷出ししたということだ。当時は十日決めで山に入ったらしい。そしてその下山する日になると、盗伐者の女房や子供たちが各々馬を引いてここまで出迎えに来たそうだ。多いときは20頭ほどがこのあたりに集まったとのこと。貧しい時代の話だが、「馬止」とはここから来ているらしい。]

ガラン沢方面への林道(馬止登山口西側) 馬止登山口  この登山口は、林道がガラン沢方面(北西)とミドノ沢方面(東)に分岐しているところにある。

 ミドノ沢方面は現在夏場の雑草が生い茂り手入れが行われていないようなので、廃道化しているのかもしれない。

小倉方面への林道(馬止登山口から南東方向)  今日はここから林道歩きとなる。西のガラン沢入口へつづく道筋を見送り、逆方向の南東へ進む。林道は整地されているので歩きやすい。笹刈りも行われている。しかし、高木が多いので日陰になっているところが多い。

 前回は晴天の早朝に歩いたので、朝日が当たって明るい道だったが、今回は曇天の夕方ということで樹木の下は薄暗く、笹ヤブから黒いヤツが出てきてもおかしくないような雰囲気になっていた。一応鈴を鳴らしながら進む。

吾妻森林管理署の遮断機ゲート[1146m地点西側]  気温は21℃ほど。林道はダラダラ長い。鬱蒼と茂った樹林帯からは小鳥の啼き声もほとんど聞こえない。暫くは展望のない退屈な道を南東へ進む。

 30分ほど急ぎ足で行くと、何とか吾妻森林管理署が設置した遮断機のゲート地点*に着く。馬止登山口から上信国境付近の山に登ろうと車でやってきたハイカーはここから徒歩となる。

[*地形図の1146m地点から西へ3、400mほど行ったところ。]

グランド(右側)のわきを南東へ  遮断機から林道をさらに南東へ進み日陰の樹林帯を抜けると、右に切り開かれた平地が見えてくる。白根開善学校のグランドだ。グランドは結構広いがあまり使われているような状態ではない。草が生えているところもある。

 グランドの手前には花豆(ベニバナインゲン)の耕作地がある。前回来たときはこのあたりに車を置いた。ちょうど初秋の頃で、花豆の畑には真っ赤な花が咲いていた。この時季、花豆はまだ開花していない。

白根開善学校の校舎と校庭(西側から)  そこから右にグランドを見ながらトボトボ行くと、道は2車線幅のアスファルト舗装となる。その車道を少し行くと、前方右に白根開善学校の校舎と広い校庭が見えてくる。

 全寮制の中等・高等学校ということだが、広大な樹林帯の敷地の中に立派な校舎が建っているのがよそ者には何とも驚きだ。相当の経営基盤がないと、このような奥地に私学が存続するのは難しいように思う。

 学校とはいっても校庭に人影はなく何か閑散としている。授業が終わって放課後なのかもしれない。しかし全寮制ということで、学生が下校する姿は見られない。

道路沿いに設置された校名看板  幅広の直線道路を南東へ進んで行くと、やがて校舎の側を通る。そこには校門らしきものはなく、ただ学校名が表記された木製看板が立っていた。

 校名の下には「人はみな善くなろうとしている」というフレーズが書かれている。白根開善学校の教育理念らしい。微塵の向上心もない凡俗ハイカーには場違いなところにいるような感じなので、ここは速やかに校舎から遠ざかる。

車道を小倉方面へ  その先で道路を右折して住宅地を南西方向に進んで行くと、突然飼い犬にけたたましく吠え立てられた。犬は首輪に繋がれているが、今にも襲いかかる態勢で激しく吠えまくっている。まったく憎たらしい飼い犬だ。ねくらハイカーは一瞬カチンときたが、こんなヒステリックに吠えつく犬などを相手にしたくないので、足早にそこから逃れる。

 それからカーブ道を下って南東方向へ進んで行くと、後ろからワゴンタイプの乗用車が走って来た。学校の関係者らしい…。不審者に間違えられたくないので、目を合わさず静かに車を見送る。

 そこからガードロープが張られた道路を下り、右側から熊倉発電所からの道を合わせて行くと、やがて広場のようなところに出る。小倉集落のT字路だ。ここは左に曲がって県道55号(中之条草津線)を北へ進む。

 県道は入山地区の集落を結ぶ生活道になっているので、時折車が通る。車道を下って行くと、犬を連れた中年男性の歩行者に遇った。地元の方で飼い犬の運動中らしい。軽く会釈をすると、「今日はどちらから?」と声をかけてきた。そこで今日の行程を簡単に説明すると、男性は「へぇー、それはご苦労なことだね。根広はすぐそこだから、もう少しだよ。」と労いの言葉をかけてくれた。ねくらハイカーは少し恐縮し、もう一度会釈をしてすれ違う。山の住人は不審者に見える者でも、気軽に声をかけてくれる。ねくらハイカーのような者にはそれがありがたく感じられる。

 そこから金山沢の橋を渡り山腹の道を南東に進む。時刻は5時半を過ぎていた。何とか明るいうちに根広まで戻りたい。ヘタレハイカーはすでにバテバテだが少しペースを上げる。長平の集落を過ぎて足早に進むと、やがて道路工事の看板がある分岐地点に着く。県道をそのまま直進すれば尻焼温泉に行くが、今日は工事中で通行止め*。ここは左に曲がって村道(白砂根広線)に進む。

[*2009年7月中旬現在]
 疲れた足取りでカーブ道をトロトロ登り、どうにか根広の集落に入る。根広は住宅が多い。ねくらハイカーは住民の方々に怪しまれたくないので、村道を速足で進む。しかし、集落の中ほどを東へスタスタ行くと、反対側から中年の女性が歩いてきた。ここは不審者に間違えられたくないので、軽く挨拶をして通り過ぎる。

 すると、なぜか呼び止められた。女性は「アレ、お宅は小倉の方から歩いてきた人でしょう?今日はまたどちらから…?」と尋ねてきた。ということは、この女性は先ほど県道を車で通りかかった方らしい。ねくらハイカーは、「今日はここの根広の上水道の建物から野反湖付近の山に登って、そこから西へ歩いて白根開善学校の方に降りてきたところなんですよ。」と行程を手短に説明した。

 しかし、女性は何か腑に落ちない表情で、根広から県境付近の山をまわって開善学校の方に降りてくる山道があるのかと訊いてきた。ねくらハイカーは根広尾根の道を説明するのが面倒なので、「とにかく、根広から野反に行く道があってですね。そこから県境の山道を歩いて途中から小倉の開善学校の道に降りてきたわけです。それで今、根広に戻ってきたところなんですよ…。」と話を適当に切り上げ、会釈をしてすれ違う。女性は、車で簡単に野反へ行けるのに、何でわざわざ根広から歩く必要があるのかイマイチ納得がいかない様子で西へ去って行った。
 ねくらハイカーはヤレヤレとうことで、東へ進む。少し行くと、「ねどふみ*の里」という看板がある住宅を過ぎる。これは根広の住人の方々が保存会をつくって、昔のやり方で菅筵や菅草履を編んでいるところらしい。今日はすでに閉館のようだ。

 さらに進むと、朝方通った林道の分岐地点となる。そこから住人の方の迷惑にならないように静かに林道を北へ進んで駐車地点に戻る。今日は根広尾根のルートを辿って野反湖近辺の山に登り、帰りは鷹巣ノ尾根を下ったわけだが、何ともまとまりのない散漫な山歩きとなってしまった。しかし、明るいうちに出発地点に戻れたのでヨシとする。

[*昔、根広では稲藁の代わりに菅(スゲ)を使って筵や草履などの日用品を編んでいたそうだ。「ねどふみ」とは刈り取ったスゲを尻焼温泉の湯に浸けて置く工程のこと。湯に浸けることによって硬いスゲが柔らかくなり加工しやすくなるとのこと。]

日程2009年7月14日 (火)
天候曇り時々晴れ 県境尾根付近一時にわか雨
行程時刻根広集落北東側の林道路肩(駐車地点)6:19→根広配水池(上水道施設)6:20〜6:25→(東側の山道を北東へ)→作業道合流地点6:35→(作業道を北東へ)→(南西へ)→1150m付近(?)6:42〜6:45→(尾根沿いの道跡を北東へ)→(途中から尾根筋を進む)→1208.4m三角点(木ダマ山)7:00〜7:05→(道跡と合流して北へ)→(北西へ)→1249m地点 ?:?→車道(林道)横断地点(1270m付近)7:27〜7:32→1320mコブ地点7:37→(北東へ)→(山腹を北西へ)→1397P北側付近7:55〜8:00→(尾根沿いを北へ)→(北西へ)→(1503P北東面に巻く)→(1503P北側で尾根沿いを北へ)→(北東へ)→(1554P北面を巻く)→(尾根沿いを北へ)→(途中から山腹道を北東へ)→水溜りがある山腹地点(1600m付近?)9:14〜9:15→(北へ直登※ルートミス)→尾根地点(弁天山三角点東側)9:20→(東へ)→ハイキング道合流地点9:22→(ハイキング道を東へ)→根広・花敷分岐地点9:22〜9:25→弁天山9:30〜9:40→(西へ戻り)→根広・花敷分岐地点9:45〜9:48→(北西へ)→(途中、踏み跡を南へ)→1652.6m三角点(弁天山三角点)9:55〜9:59→(北へ)→(ハイキング道を北西へ)→キャンプ場分岐地点(弁天山三角点P北側)10:04→(北西へ)→キャンプ場分岐地点(1533m地点東側)10:14〜10:17→1533m地点付近10:22〜10:23→(途中、休憩2回計8分)→エビ山西側分岐地点(1744P)11:00〜11:02→(北西へ)→(途中、休憩2回計10分弱)→高沢山11:50〜11:56→三壁山・カモシカ平分岐地点11:58〜12:00→(西へ)→(南西へ)→カモシカ平12:14〜12:20→(南西へ)→(県境沿いを北西へ)→(途中、休憩2回計10分)→(西へ)→大高山13:37〜13:47→(南西へ)→天狗平・五三郎小屋分岐14:07〜14:08→(西へ)→五三郎小屋(水場)14:10〜14:20→(東へ)→天狗平・五三郎小屋分岐14:25〜14:27→(県境沿いを南西へ)→(途中、休憩5分弱)→小高山(1937P)14:40〜14:45→(西へ)→(南西へ)→1853m地点(最低鞍部)付近14:59〜15:00→オッタテ峠(プレート標識地点)15:01〜15:03→小倉分岐地点(「小倉口三叉路」道標地点)15:03〜15:05→(南へ)→(南西へ)→(南へ)→一ツ石(1825P)15:23〜15:24→展望地(「一つ石」道標地点)15:25〜15:35→(南東へ)→1700P付近15:46→1559P付近15:56〜15:57→(南へ)→馬止登山口16:20〜16:23→(林道を南または南東へ)→遮断機ゲート地点(1146m地点西側)16:55〜16:57→(南東へ)→白根開善学校付近17:05−17:08→(車道を南東へ)→(南西へ)→(カーブ道を南東へ)→小倉T字路17:30→(左に曲がって県道を北へ)→金山橋17:39〜17:40→(南東へ)→長平集落17:54−17:58→根広・矢倉・和光原方面分岐T字路18:05〜18:06→(左に曲がって村道へ)→(東へ)→根広集落18:13−18:18→(林道を北へ)→駐車地点18:23
備考♦この記録は、中村謙 著『上越の山と渓』・『上信境の山々』(朋文堂刊)や朋文堂のガイドブック『東京附近山の旅』の昭和15年度版・昭和31年度版、および横田昭二 著『私が登った群馬300山』(上毛新聞社刊)のガイド文や記録等を参考にしています。

◇ T N H C ◇

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