長戸沢造林小屋跡付近から三国山



 今回もネットの記録を参考にする。以前拝見させていただいた山岳サイクリストのサイトに面白そうな記録が出ていた。それは、群馬・長野・埼玉三県の境に聳える三国山(二本木ノ頭)付近から群馬側の神流川上流部にある昔の造林小屋まで自転車を担いで下ったもので、現在一般のハイカーにはその正確な位置さえも不明な「空峠*」のルートを歩いていた。

[*昔、群馬県側の神流川沿いを延々と歩いてきた人々が苦労して沢筋を登りつめてようやく峠状の地点に辿り着いた。しかし、そこは目的の三国峠(旧三国峠)ではなく、峠はそこからさらに尾根筋を登った地点にあったそうだ。そこで、人々はその登りついた地点に「ニセ・嘘」の峠または「虚しい・空の・空虚な」峠という意味を込めて「嘘峠」・「虚峠」・「空峠」と名付けたらしい。漢字の訓みは「そら」ということで、「ソラ峠」とも表記される昔の旧三国峠近くにあった峠。]
 ねくらハイカーが以前ネットで拝見した上武国境縦走の記録には、空峠を大体三国山から北東に延びる県境尾根の1730m標高点ピークと1618.4m三角点ピーク(ガク沢頭・高水の頭)の中間の鞍部付近としていた*。

 ところがサイクリストの記録を読むと、空峠は県境尾根ではなく、県境尾根から北へ派生する群馬側の支尾根上にあるとのこと。記録は昭和55年(1980年)に単独でこのルートを踏破した別の篤志家のサイクリストのノート(覚書)を参考にしていて、四半世紀の歳月を隔てた2005年の春に仲間のサイクリング研究会のメンバーとともに先人が辿った同じルートを踏破したものだった。

[*須田茂 著『群馬の峠』(みやま文庫179)でも、空峠の標高を1500mとし、「群馬・埼玉県境の稜線の奥部に位置する」としている。]
 自転車にはまったく無縁な凡人ハイカーにはこの記録の元となった篤志家のノートを拝見することはできない。そこで他にも空峠の記録があるか調べると、同じく以前栂峠付近を歩いたとき参考にさせていただいたMTB愛好家のサイトに、この2005年のときの記録が詳しく載っていた。

 それから、驚いたことには、この空峠のルートをすでにガイド付きの商用コースとして載せているサイトもあった。ということは、今では空峠の位置が確定していて、一般の人でも神流川本谷上流部から三国山方面へのルートを辿ることができるようだ。

 実際に空峠付近を歩いた記録としては佐藤節氏の『西上州の山と峠』があるそうだが、残念ながらねくらハイカーは拝見したことがない。しかし、まぁ、MTB愛好家や山岳サイクリストの詳細な記録があるということで、それらを参考にすれば何とか空峠のルートを辿れるのではないかと、五月の連休前の4月下旬に日航機墜落地点のある多野郡上野村方面に出かけてみた。
 一昨年と同じように昇魂之碑がある御巣鷹の尾根への道路が開通前ということで、早朝の上野ダム沿いのトンネル道は車が1台も走っていない。この調子なら静かな山歩きができるだろう。ひとりニンマリしながらトンネル道を飛ばして行く。

 ところが、奥神流湖上部の琴音トンネルを出たあたりで2車線道路がなぜかバリケードによって封鎖されていた。アレ、2年前は御巣鷹の尾根道路開通前でも本谷三号橋のゲートまで行けたのだが、何でここで通行止めなのだろう…?ここから徒歩となると、造林小屋跡があるという神流川上流部まで相当時間がかかってしまう。

 そこで、車を降りてバリケードをジロリと見ると、別に固定されていない。これはおそらく開通まで一般車をここで足止めにするためのものだろう…。そのように自分に都合よく考えて、バリケードを90度ずらし車を先へ入れてみた。別に密猟とかをするわけではないので、道路の管理者に見つかっても大丈夫だろうと高を括って車を先へ進める。
通行止めのバリケード、前方に崩落現場あり  ところが、ダム上流の神流川沿いを300mも進まないうちにまたもや道路がバリケード封鎖されていた。そして今度はそのバリケードの先を見ると、法面が一部崩落して土砂が道路を塞いでいた。

 なるほど、これで先ほどの通行止めの原因がわかった。さて、これからどうしようと考える。計画を変更してトンネル道を浜平まで戻り、諏訪山でも登ってみるか…。

 しかし、まだ時間的に早い。今日は県境の尾根を少し延長して歩こうと考えていたのだが、少し予定を変えれば何とかなるだろう…。

崩落現場(東側から)  ということで、バリケード手前の路肩に車を止めて、ここから出発とする。道路の崩落箇所は土砂が比較的少ないガードレール際を通る。崩れた土砂の中には新芽が吹き出たばかりの雑木類の樹木が沢山混じっていた。

 法面を見ると、吹き付けられたコンクリートが崩れて赤土が剥き出しになっている。最近崩れたものらしい。雪融けの斜面は相当水気を含んで緩んでいる感じだ。

 それにしても、五月の連休前に御巣鷹の尾根まで道路を開通しなければならないというのに、中止の滝手前で土砂崩れとは、上野村の関係者もさぞかし大変だろう。

「中止の滝」入口(「御巣鷹の尾根」手前6km地点)  そこから東へ少し進むと、「中止の滝」入口の看板地点を通る。看板を見ると、お目当ての滝はここから沢沿いを100mほど入ったところにあるらしい。傍らに立つ案内板には滝の名前の由来が書かれていた。

 それによると、明治十二年(1879年)頃この付近で地勢調査が行われたが、その作業中にこの滝が発見されたそうだ。滝の景観は荘厳そのもので、作業を取り仕切った役人はその美しさに心打たれ「作業中止じゃ」と言ってその場に立ち尽くしたとのこと。それ以来、村人はこの滝を「中止の滝」と呼ぶようになった云々…。

 まことに面白い滝名の由来が書かれているが、看板には「御巣鷹の尾根[P]6km」とも出ている。これは滝見物どころではない。早々に舗装林道を東へ進む。

新本谷橋 中之沢支線(右)分岐  そこから幾分早歩きでスタスタ行くと、新本谷橋を通る。旧道は左(東)の葡萄沢方向についているが、現在はこの橋が新道となっていて神流川本谷上流部の道にショートカットしている。

 橋を渡って左下に旧道の道筋を眺めながら南寄りに進んで行くと、道路の左側に「御巣鷹の尾根登山口 あと5.2km」の看板があり、その先で林道の分岐地点となる。ここから右に分岐する道が中之沢林道中之沢支線で、上信国境を貫通する御巣鷹トンネルの工事の際に使われた林道だ。入口付近には依然として東電関係者以外立入禁止の看板が立っているので、一般車の通行ができるのか不明。

神流川本谷の沢沿い  そこは直進して本谷の沢沿いに下って行くと、左からの旧道が合流してくる。このあたりは本谷の沢筋が近いので、清流のせせらぎが喧しいくらいに谷間に響いていた。春の雪融け水が流入しているようで、水量も幾分多く見える。

 その先で本谷一号橋を渡って右に分岐する中之沢林道大蛇倉支線のゲート地点を過ぎる。この地点には山火事用心の赤い垂幕がかかっている。それから、緑色の幟も沢山立てられている。やはり、釣り客などの入山者が多い感じだ。

 そこからやや上り気味に本谷左岸の舗装道を進む。このあたりも路面が荒れていて、小規模な土砂崩れや落石が多い。途中には道幅の三分の一ほどが塞がれている箇所もあり、軽自動車以外は通行できない感じに見えた。連休までにこの道を整備するのも一仕事だ。

 林道歩きも結構疲れる。途中からピッチを落とし、いつものようにダラダラ行く。このあたりで神流川右岸に目をやると、斜面が部分的に段差状になっている箇所が見えた。昔の軌道*跡らしい。

[*ネットで調べたところでは、昔はこの神流川沿いにも木材搬出用の森林軌道(林用軌道)が通っていたそうだ。楢原・本谷間を結ぶ全長約12.8kmの森林鉄道で、前橋営林局高崎営林署が管轄し、主に国有林の木材を貨物専用のトロッコで運搬したとのこと。開業は昭和9年(1934年)ということだが、諸般の事情により昭和39年(1964年)廃線となる。その替わりとして、沢沿いに林道が造られたようだ。]
林道の崖際に山神の石碑あり  途中、右カーブの崖際に注連縄が結ばれた石碑が見えた。ここはいつもは車で通り過ぎてしまう地点なのだが、今日は徒歩ということで、近づいてよく見ると表に「山神」と彫られていた。山ノ神を祀ったものらしい。

 傍らには「八海山大神」・「御嶽山大神」と書かれた古い剣先形の板も置かれていた。ということは、このあたりにも御嶽教の修験道関係者が入り込んでいるようだ。

本谷三号橋付近、通行止めのゲート  そこからカバノキ科の雑木類の雄花が路面に沢山落ちているところを通り抜けて行くと、中之沢林道みみずく支線が左に分岐する本谷三号橋のゲート点に着く。

 今日は予定では車でここまで入るわけだったが、通行止めということで仕方がない。時刻はまだ午前8時前。何とか行けそうだ。遮断機のバーには、例年通り御巣鷹の尾根登山道は4月28日まで通行止めの表示がされている。

 ヘタレハイカーはすでにバテ気味だ。橋の側で一息ついてゲートを抜ける。

 小鳥の囀りを聞きながら本谷支線の林道を西方向に進んで行くと、東からの朝日が当たり出した。明るい春の日差しの中で本谷上流の長戸沢のとくとくとした流れがまことに麗しく見える。

 気温は12℃。山腹の雑木林やカラマツ林もちょうど芽吹きが始まったばかりで瑞々しく、何か若々しいエネルギーが漲っている気配がする。
長戸沢右岸に軌道跡あり[ズーム画像]  林道をトボトボ歩きながら長戸沢を眺めると、右岸の斜面に段差状の道跡が水平に走っているのが見えた。軌道跡だ。このあたりは河原も広く、大雨の増水時に斜面が削られることがないので、道形がハッキリ残っている。林道が造られる以前、旅人はあの軌道跡を歩いたのだろう*。

[*山行後、佐藤氏の空峠についての記述が読みたくなったので、著書を古本屋で購入してみた。その中の神流川源流編に収められた「三国の山旅」を拝見したところ、佐藤氏は昭和48年(1973年)春に旧三国峠から空峠を経由して神流川源流部に下り、この本谷沿いの軌道を歩いて浜平方面へ下っていた。]

林道上に落石・倒木あり  林道をさらに上がって行くと、道路沿いに落石が多くなり、倒木が道を塞いでいた。冬場に倒れたものらしい。

 このあたりの斜面は土砂が非常に崩れやすくなっていて、通行中にも小石がボロボロ落ちてきた。これも上野村が連休前に片付けるわけだ。

長戸沢ダム付近[前方は長戸沢右岸の1430P]  そのうちに大きな砂防堰地点を通る。竣工記念碑の銘板や国交省の看板を見ると、「長戸沢ダム」と表示されている。まだスゲノ沢出合まで少し距離がありそうだ。

 山岳サイクリストやMTB愛好家の記録によると、造林小屋跡へ行くにはスゲノ沢との出合地点から長戸沢の本流を遡行すればいいということなので、試しに長戸沢の沢筋が歩けるか入渓してみた。

 ところが、左岸を30mも進まないうちに大岩がゴロゴロしてきて遡行するのが難しくなった。雪融け水で水量が増した沢筋を徒渉しながら登るとなると、軽装ハイカーはたちまちずぶ濡れの濡れネズミになってしまう。これは沢登りの装備をしないと無理だ。即座に林道へ引き返す。

 それから「御巣鷹の尾根登山口 あと2.0km」の看板地点を過ぎる。このあたりの林道沿いも斜面が崩れやすくなっていた。どうも、2年前と違う感じだ。昨年の台風の影響かもしれない。
スゲノ沢旧駐車場、奥に延長林道  左下に小さな砂防堰を見て林道の急カーブを右へ左へと登る。長戸沢の水量は依然として多く、ハイカー風情が入渓するにはちょっとヤバそうに見える。

 さらにカーブ道を登って行くと、いつの間にかスゲノ沢の旧駐車場に着いてしまった。ということは、途中からスゲノ沢沿いの道を登ってしまったわけだ…。

旧駐車場からの坂道下り、前方に1430P  仕方ないので、コンクリート舗装の急坂を引き返して下る。前方に見える山*の下側に長戸沢本流が通っているはずだ。坂道のカーブ地点で下の沢を覗いてみたら、やはり崖状の深い谷になっていた。凡人ハイカーがこの斜面を下って沢へ降りるのは危険すぎる。

 これはどうしようかと迷う。下流の沢筋から遡行するとなると、たちまちずぶ濡れになる。この時季にずぶ濡れ状態でルートも不明なヤブ尾根を登るとなると、体力的に相当きつくなる…。でも、ここまで来て引き返してもつまらない…。ひとまず深呼吸して考える。

[*あとで確認したところ、標高点のある1543m峰の北側にある等高線1430mピーク。]

スゲノ沢右岸の延長林道へ、前方奥に1430P  要はスゲノ沢出合の上の長戸沢上流部に出ればいいわけだ。地形図を見ると、旧駐車場からスゲノ沢沿いに延びる林道のヘアピンカーブ付近から東方向へ下れば長戸沢上流部に降りられそうだ…。

 ということで、林道を再び旧駐車場まで登り、スゲノ沢に架かる橋を渡ってさらに延長林道の坂道を上がる。

カーブ地点から南東方向[1543P(中央)・長戸岩?(右)]  そのカーブ地点で下を覗いてみたら、スパッと切れた急傾斜の法面になっていた。下降するには長いロープを使わないと無理だ。

 しかし下側の斜面をよく観察すると、坂道の途中から法面の擁壁際を伝わって下れば上手く降りられそうに見えた。

ガードレールを跨いで、路肩下へ 丸太材の壁際をへつる  そこで坂道を少し西側へ戻り、ガードレールを跨いで擁壁沿いへ降りてみた。すると、ちょうど人一人分が通れるくらいの幅の踏み跡が壁際に付いていた。獣道というか、やはりここを伝わって下の沢筋へ下っている人、おそらく釣り人がいるようだ。

 新工法の間伐材で造られた法面の擁壁はすでにボロボロで、崩れそうな感じに見える。やはり、木材は耐久性に難がある。林道が造られてまだ10年も経っていないのに丸太材の老朽化がかなり進んでいる。これは近い将来コンクリート製の擁壁となる感じがする。

東の尾根筋へ下る  林道のカーブ地点から擁壁を離れ尾根状の斜面に下る。このあたりの樹木にはなぜかペンキマークが付いていた。それから木製の標杭も打たれている。土木工事の関係者が付けたものだろうか。よくわからない。

 アセビの生えたヤブ尾根を東方向へ下り、途中から右下の沢筋に向かってヤブの斜面を下る。下がどうなっているのかわからないので、途中の立木にテープの目印を付ける。

沢沿いに錆びたレールあり  すぐにヤブめいた感じの沢沿いの平地に降りた。ここがスゲノ沢出合上の長戸沢上流らしい。サイクリストの記録では造林小屋跡は左岸にあるようなので、この沢沿いを上流に向かって進めばいいようだ。

 休憩がてらに沢まで降りてみると、苔むした河原に赤錆びたレールが2本放置されていた。軌道に使われたレールらしい。やはりこの沢沿いに森林軌道が通っていたのだ。

長戸沢上流部  落ち葉が溜まった左岸を上流の南方向へ進む。以前読んだネットの記録によると、この沢は1985年の日航機墜落時に本谷側から捜索した副隊長隊が入った沢らしい。

 当時は正確な墜落地点が不明なままこの沢に入り、埼玉との県境の尾根筋をめざした。つまり、墜落現場への最短ルートのスゲノ沢入口を通り過ぎてしまったわけだ。この捜索隊は尾根の途中で墜落地点から上がる煙を初めて目視で確認したそうだ。しかし、県境尾根から墜落地点へ到達するにはちょっと遠すぎたようで、空からの捜索と後続の部隊がスゲノ沢から墜落地点へ向かうこととなり、敢え無く途中で撤退したとのこと。

 8月盛夏の頃といえば、あたりは樹木が鬱蒼と生い茂り大変な苦労があったろう。何れにしても、このときの捜索隊も空峠のルートを歩いたらしい。

河原に倒壊した建物の屋根部分あり  河原状の平地を少し行くと、苔むした石垣や倒壊した建物のトタン屋根部分が見えた。やはりこのあたりに森林軌道に関係する建物があったようだ。

斜面中段に残る鉄板で覆われた小屋  そこから何気に右上の段丘状になったヤブの斜面に目をやると、赤茶色の小さな建物が見えた。どうも、サイクリストがいうところの造林小屋らしい。

 そこで斜面に上がって建物を近くで見ると、サイクリストの記録に載っていた小屋と同じものだった。やはり、ここが「造林小屋」という地点だ。

 しかし、この小屋は御巣鷹の尾根の旧駐車場から上がってくる延長林道の真下に位置しているわけで、サイクリストの記録に林道のことが出ていないのがちょっと不思議な気がした。2005年5月にはまだ林道は造られていなかったのかもしれない。

小屋の中  小屋を覗き込むと、古い電線のコードや碍子があるだけで他には何もない。壁際には「オイル点検忘れずに」と書かれた板が掲げてある。それから、「三菱メイキエンジン」という看板もある。どうも、ここに発電用のエンジンが置かれていたようだ。

 それから、小屋を覆う外壁の鉄板にはミドリ十字のマークが描かれ、「帰る笑顔に侍(待)つ笑顔」・「挙って注意そろって安全」という安全標語の文字も見えた。

タイル張り浴槽あり 河原に廃棄されたドラム缶や便器あり  そこから左岸の斜面を進むと、建物のコンクリートの基礎部分やタイル張りの浴槽があり、近くには缶やビン類が散乱していた。それから河原には何かの木製の残骸やドラム缶類が廃棄されていた。その中をよく見ると、和式トイレの便器も無造作に放置されていた。これは、まさに昔ここで日常の生活が営まれていたことを示す痕跡だ*。

[*佐藤氏の記録には「大きな廃屋の何戸も残る、本谷軌道の終点」とあるので、1973年当時はまだ居住地の建物は倒壊していなかったのかもしれない。]

沢上流に長戸岩(?)  さらに落ち葉が溜まった段差状の斜面を歩いて奥へ進む。沢の両側は切り立ったような急斜面となっている。

 沢の奥に見えるピークがこの沢名の由来となった長戸岩らしい。昭文社の山と高原地図『西上州』には1543mピーク付近の崖(北西稜)に長戸岩の表記がある。長戸岩の一部ということだろうか。

 さて、先人が付けた目印や踏み跡を期待して長戸岩上流部に入ったわけだが、小屋跡の遺構を過ぎても人が歩いた踏跡や目印・標識類は一切ない。仕方ないので右岸に渡ろうとしたが、沢の水量は意外に多い。足元を濡らしたくないので、岩が飛び石状になったところを探して何とか渡る。

 渡ってみたものの、右岸の斜面も急傾斜になっていて、どこを登ればいいのかさっぱり見当がつかない。サイクリストの記録では涸れ沢沿いを南東へ登ればいいということだが、渡渉地点から谷の奥に見える斜面はかなり急傾斜で、如何にも登りづらそうに見えた。どうしようかと少し迷う。

 苦虫を噛み潰したような表情をして斜面を眺めていても一向に埒が明かない。そこで、渡渉地点からそのまま登りやすい感じの右岸の斜面に取り付き、ひとまず東方向へ登ってみる。
長戸沢右岸の支尾根  毒草のハシリドコロが疎らに生えた日陰の斜面を登って行くと、やや尾根っぽい感じになってきた。さらに登ると、日が当たりだし尾根状の斜面となった。

 要は1543mの標高点ピークへ登ればいいわけなので、このまま登っても別にかまわないだろう。もし途中で登高不能な岩稜となったら引き返すまでだ。一応、撤退用にテープの目印を尾根筋の樹木に付けておく。

右上の樹間に1543P〜長戸岩(?)  アセビやヒノキの倒木が多い斜面をやや南東寄りに登る。傾斜はきつい。途中、尾根のコブ状地点でひと休み。アセビの木陰で休んでいると、沢からさわやかな風が吹き上がってきた。気温は15℃。快適そのもの。

 ちょうど右(南)方向の樹間に1543m峰の岩稜とその西側にある岩稜が見える。MTB愛好家の記録では、西のピークを長戸岩としているようだ。

 休憩後、さらに尾根筋を登る。アセビが多い雑木林にツガなどの針葉樹が混生した樹林帯を登る。傾斜が緩くなると礫が混じる締まった斜面となり、多少歩きやすくなる。そのあたりにはシカの糞が多く見えた。シカの生息数は多い感じだ。

 そのうちに雑木類の倒木が多くなり、尾根沿いには折れたアセビの枝が目立つようになった。最近嵐でもあったのだろうか。不自然に折れた枝がやたら多い。葉は枯れておらず、折れ口は生々しい。極最近折られたものだ。

 如何にも不自然なので、歩きながら尾根筋の斜面をジロジロ見て行くと、黒いヤツの糞があった。結構新しい糞だ。これはヤバそうだ。一瞬立ち止まって周囲を見回す。そこからは疑心暗鬼ということで、鈴をけたたましく鳴り響かせながら歩く。

 しかし、何で新しい枝が何本も折られているのか不思議なので、再び立ち止まってアセビの枝を手にとって見ると、白い壺形の花冠がきれいになくなっていた。アレ、アセビって毒があるはずだが…、花は食べられるのか…?黒いヤツはアセビの毒には平気なのか…?

 まぁ、日本国内では最強の大形哺乳類ということで、アセビ如きの毒など何ともないのだろう…。ひとり納得して歩き出す。しかし如何にもヤバそうなので、そこからはラジオもつける。黒いヤツには絶対に遭いたくない。
主尾根っぽいヤブ尾根を南へ  そのうちに尾根筋は少しヤブめいてきた。樹木の細い枝を掻き分けて登って行くと、左(北)から上がってくる尾根に突き当たる。

 この左からくる尾根は、多分スゲノ沢出合の東側に聳えていたピーク(1430m峰)からつづいているものだろう。おそらくこの尾根に沿って右へ登れば、標高点のある1543m峰に行けるはずだ。

 今まで登ってきた支尾根の分岐地点にテープの目印を付けて、そこからは主尾根っぽい尾根筋を南方向に進む。

崖状の急斜面  樹木が密生したヤブ尾根を登って行くと、やがて崖状の急斜面に突き当たる。結構樹木が生えているが、岩登りの苦手なねくらハイカーが直登するにはちょっと厳しい感じだ。

 一瞬引き返すか迷った。しかし斜面をよく見ると、崖の右側にルンゼ状の隙間があり、その周りはシャクナゲが密生していた。

 これは登路に使える感じなので、さっそくシャクナゲの密林に取り付いてみる。見た目には厳しい感じの岩場だが、意外と簡単に登れた。

途中の岩場から西方向、舟窪・高天原〜1880P・1922P・大蛇倉  さらに岩場の隙間に生えたシャクナゲに潜り込んで垂直に登る。途中、樹木が少ないところに出たので一息つく。

 そこから西方向には見覚えのある鋭鋒が見えた。上信国境に聳える大蛇倉山だ。ということは、その左に見える山尾根のピークが高天原山(蟻ヶ峰・所並ノ頭)だろうか。上信国境の山々はまだ雪が薄っすら残っている。

 そして大蛇倉山から左下あたりの斜面に目を凝らすと、今は緑の斜面に回復した御巣鷹の尾根も見えた。事故直後にこの岩場に登れば、墜落地点がハッキリ見えたわけだ。ひとまず西へ向かって軽く合掌し、520名の冥福を祈る。

展望のある岩場から北東方向、諏訪〜帳付・ブドー・滝谷  小休後、さらにシャクナゲのヤブを潜りながら岩稜をからめて右から回り込むように登って行くと、細いリッジ状の岩場に出る。

 足元はかなり厳しい感じだが、そこからは素晴らしい展望が広がっていた。西の大蛇倉・高天原はもちろんのこと、北東の諏訪・帳付・ブドー・滝谷の山並みもバッチリ見える。それから北方向の地平線スレスレに、この時季はお馴染みの白い浅間の稜線も確認できた。

 今日は黄砂の影響もなく、まだ午前中ということで春霞は立っていない。ひと休みしたいところだが、この狭い岩場に腰が下ろせるようなスペースはなかった。

前方に1543P山頂部  はて、ここはまだ1543m峰の山頂ではなさそうだ*。南方向にはヤブ尾根がつづいていて、その先に樹林に覆われた山頂部が見える。多分標高点ピークだろう。

 岩場を過ぎて、さらにヤブ尾根を漕いで進む。このあたりのシャクナゲの密林も非常に手強い。シャツやザックを枝に引っ掛けながらも強引に進む。途中、密ヤブを行きつ戻りつして少しタイムロス。ヤブを抜けると尖った岩稜となるが、そこは右側の斜面に巻いて進む。

[*あとで確認すると、1543m峰北側にあるコブ状の岩場。]

斜面に残雪あり 1543P山頂付近  さらにその先で獣道のような岩溝を登って行くと、今度は残雪の斜面となった。やはり4月ということで、雪は完全に融けていなかった。

 そこから原生林っぽい感じの斜面を登ると、ピーク地点に出る。1543m峰の山頂だ。残念ながら、ここは樹林に覆われているので展望はほとんどない。

1543P南側の小鞍部に祠の残骸あり[空峠のお宮]  1543mの南側は崖状の斜面になっていた。岩や樹木を伝わりながら「よっこらしょ」と掛け声をかけて南へ下ると、木造りの祠のような残骸のある地点に出る。

 ここが、山岳サイクリストがいうところの空峠らしい。祠のようなものは「高天原神座宮*」というお宮だそうだ。2005年にはまだ屋根部分は残っていたようだが、今回は完全になくなっていた。

[*この宮名の原拠は不明。サイクリストの方が参考にした先人の記録や文献または地元の人から得た情報らしい。また、佐藤氏の記録に掲載された写真の説明書きにも「棒切神座尾根」の文字が見える。これも原拠は不明だが、このお宮の名称が関連しているようだ。]

宮跡の南側に黄色看板・山の標石あり[空峠]  そこから尾根筋を15mほど南に進むと、文字の消えた黄色い看板*が立っていて、近くに「山 三六」の標石が埋設されていた。それから傍らの樹木には前橋営林局の境界見出標の赤プレートも付いていた。

 よそ者ハイカーにはよくわからないが、大体お宮からこの標石地点あたりを峠と想定しているのかもしれない。それにしても、それほど展望もない尾根の小鞍部**を峠と呼ぶのも妙な感じがする。

[*保安林の標識かは不明]
[**地形図の等高線で1530mほどの小鞍部 ※後日、戦前に出版された山の案内書や紀行文を参照したところ、やはりこの尾根地点をソラ峠(虚峠)としていた。(2008年10月追記)]

針葉樹やシャクナゲが多い尾根筋  そこからはいくらかヤブめいた感じの尾根筋を南へ進む。この尾根の樹木はツガやコメツガなどの針葉樹が主体で、他の雑木類も混生している。特にシャクナゲが多いので、何か奥秩父っぽい感じがする。結構大木もある。伐採されなかったのかもしれない。

 高木が多いということで、尾根からの見晴らしはよくない。左の樹間には特徴のない上武国境の稜線の彼方に帳付山や滝谷山あたりが確認できる程度。右方向には樹林越しに上信国境の舟窪付近のピークや高天原山が微かに見える。

 この尾根筋には明瞭な踏み跡はないが、笹ヤブになった斜面では微かな踏跡が見えた。以前は多少歩かれていたようだが、現在は廃道と化している。

尾根の途中から県境1730P東側山頂部  緩い傾斜を登って行くと、途中に大岩のような岩稜に突き当たる。そこは笹ヤブに付けられた踏跡を辿って右の斜面に巻く。別段迷うところではないのだが、テープの目印を付ける。予定よりも遅れているので、帰りは同じルートを下るかもしれない。

 尾根の傾斜が増してくると、倒木が多くなりいくらか歩きづらくなる。尾根の両側には残雪がチラホラ見え出した。途中で少し休憩する。休みながら左の斜面に目をやると、雪面を霧状の靄が上がっていくのが見えた。4月下旬とはいっても、このあたりはまだ遅い春の訪れという雰囲気が漂っている。

 そこからさらに登ると、今度はこちらの尾根筋にも薄っすら残雪が見え出した。ヤブの斜面には苔の生えた倒木もあり、何か原生林っぽい雰囲気になってきた。そのうちにシャクナゲも繁茂してきて益々歩きづらくなる。それから折られた樹木の枝も沢山落ちている。黒いヤツの仕業らしい。

 途中、木製の古い標杭が打たれた地点でまた5分ほど休む。周囲の斑状に残った雪面にはシカの足跡が多数付いている。それからカモシカのような足跡も見えた。黒いヤツの足跡はないので、いくらかホッとする。

 しかし再び歩き始めると、すぐ側の樹木の幹に3本筋の大きな爪痕が見えた。生々しく新しい感じなので、このあたりに出没しているのに間違いない。これは如何にもヤバそうなので、ラジオのボリュームをあげ鈴をチリンチリンいわせながら賑やかに進む。
登りついた尾根地点[1730P北東側]  日陰のヤブ尾根をやや南東寄りにゆっくり登りつめて行くと、北東から南西へつづく明瞭な尾根筋に出る。ようやく埼玉との県境に辿り着いたようだ。

 県境尾根とういことで、近くには朽ちた木製の境界標が打たれていた。尾根筋にはシャクナゲのヤブもあるが、先ほど登ってきた群馬側の尾根より格段に歩きやすい感じになっている。多分、県境ということでヤブが刈り払われているようだ。一息つき、尾根に沿って右(南西)に進む。

1730P山頂付近の倒木  すると、MTB愛好家の記録に出ていた倒木が見えた。やはりここが標高点のある1730m峰*の山頂だ。周りをよく見ると、樹木にピンクテープの目印も付いていた。上武国境の尾根ということで、歩く人も多いのだろう。傍らには「山 三四七」のコンクリート杭も打たれている。

[*横田氏の『群馬300山』の高天ヶ原山の略図には、この1730mピークに「棒切ノ頭」の山名が記されている。よくわからないが、佐藤氏の記録にも「神流川本谷支流棒切沢」や「棒切の頭」等の名称が出ているので、現在の長戸沢上流部またはその上の支流を棒切沢と呼ぶのかもしれない。※戦前に出版された山の案内書や紀行文によると、棒切沢はスゲノ沢出合手前、現在の長戸沢ダム付近から南へ分岐する支流で、森林軌道が敷かれる前はこの沢沿いを遡って支尾根(ソラ峠地点)に取り付き旧三国峠へ歩かれたとのこと。(2008年10月訂正追記)]

1730P南側の岩場から前方(南)に1796P・三国山・旧三国峠 1730P南側の岩場から西方向、高天原山〜大蛇倉山方面  そこからさらにもう1本朽ちた太い倒木を越えて進むと、南側の岩場に出る。そこは展望地となっていて、西の舟窪・高天原・大蛇倉の山並み、南東の奥秩父の稜線、南方の1796m峰と三国山が見えた。それから、もちろん御巣鷹の尾根も見えた。

 1796m峰と三国山の山腹はまだ残雪の斜面となっている。三国山のちょっと右下の尾根地点に旧三国峠があるらしい。

1730P南側の岩場から大蛇倉山方面、山腹に「御巣鷹の尾根」あり  眺めがいいので少し休む。この岩場付近には「山 三四八」のコンクリート杭が打たれていた。日差しがモロに当たるので気温は24℃を超える。少し暑いくらいだ。

 ここは長戸沢の造林小屋跡付近から沢の右岸を登り、支尾根を経由して県境尾根に到達し初めて三国山を間近に目にする地点だ。山岳サイクリストの記録によると、先人のサイクリストが空峠とした地点とは別に佐藤氏がこの県境尾根上に空峠とした地点があるそうだ。ねくらハイカーはサイクリストが引用する佐藤氏の文章を読んでいたのだが、どうも佐藤氏が空峠とする地点は県境のこのあたりではないかと思えた。

1730P南側の小鞍部  そこから崖状の斜面を下る。左の埼玉側に明瞭なルートがある。岩場を下ると、笹と雑木林の明るい鞍部に降りる。

 もし峠が尾根の鞍部にあるとするなら、このあたりに空峠を想定していいような感じだ。しかしここは展望がない*。

[*山行後、改めて佐藤氏の空峠についての文章を読んでみたが、やはりこの鞍部またはさらに南側の1700mの岩場付近を空峠と想定しているように感じられた。 ※佐藤氏が歩いた時期は森林軌道が敷かれた後ということで、峠道は棒切沢ではなく長戸沢(本谷)の営林小屋(林用軌道終点)に向かって付いていたらしい。そのため、彼女はお宮地点を峠とは認識できず上武国境の尾根筋に空峠があると考えたようだ。当初、ねくらハイカーもそのように考え斯く注記してしまった。(2008年10月追記)]

日向の休場(1700P)付近から1796P  笹ヤブに付いた微かな踏跡を辿って次の等高線で1700mの岩場に上がる。山岳サイクリストの記録によると、ここは「日向の休場」と呼ばれている地点で、昔狩猟に来た猟師達がここで休憩したそうだ。なるほど、岩場の展望地となっていて遠方の眺めがいい。次の1796m峰が間近に見えた。

 ところで、何気に傍らの樹木を見ると、ペンキマークが付いていた。県境のルートを示す目印らしい。やはり上武国境の尾根ということで、現在ここを歩く人が多いのだろう。

 そこからまた南へ下り、針葉樹の多い鞍部付近を過ぎる。そのあたりに林野庁の埼玉森林管理事務所が設置した鉄製と樹脂製の看板が2枚見えた。看板には「秩父山地 緑の回廊」とある。

 何か最近、埼玉森林管理事務所がこのあたりの国有林をいろいろ調査しているらしい。ねくらハイカーとしては県境付近の国有林くらいは手付かずのまま残して欲しいと思うのだが、近年埼玉側の開発整備事業が活発に行われているような印象がある。何かの調査という名目で原生林の開発がこっそり進んでいるような気がする…。まぁ、凡人ハイカーがグダグダ述べても仕方ないのでやめる。

 この鞍部でも一息つく。日陰になった残雪面にはイノシシの足跡が多数付いていた。
ルートミスで残雪と倒木のヤブ尾根へ  小休後南へ進むと、今度は急傾斜の登りとなる。そこはシャクナゲのヤブになっていて倒木が多く残雪も深い。ねくらハイカーはたちまちペンキマークのルートを見失ってしまった。

 仕方ないので、岩場になったシャクナゲのヤブ尾根を左へ巻いてみる。しかし、途中で残雪が深くて登れない。引き返して右へ巻いてみる。しかしまたもや原生林のヤブに入り込み立ち往生。どうにもならないので、元の地点に戻り、シャクナゲのヤブ林を直登する。

 枝を掴みながら残雪のヤブ尾根を登る。どうにかシャクナゲのヤブを越えて上がって行くと、膝上ほどの深さの雪の緩斜面に出た。どうやら1796m峰の山頂部らしい。このあたりでまた樹木にペンキマークが見えた。

日陰の県境尾根[1796P南側]  そこから傾斜が緩やかな尾根筋を右寄りに進む。やがて雪の少ない樹林に覆われたコンクリート杭地点*に着く。傍らには朽ちた倒木もあり、何か曰く有りげで寂しげなところだ。ここでも一息入れる。

[*杭の番号はペンキが塗られて読み取れなかったが、あとで確認すると、この杭地点は埼玉側の松尾尾根への分岐地点となっていた。]

三方向分岐地点(三県境ピーク)  小休後、南西方向へちょっと下って尾根を登り返すと、「山 三七八」の杭が打たれたピーク地点に着く。ここは尾根道が三方向に分岐している。おそらく三国山の山頂だろう*。

 しかし、山名板の標識などはない。あるのは標杭と緑の回廊の看板(鉄製)くらい。ねくらハイカーは20年ほど前にこのあたりを空身で歩いたことがあるのだが、ほとんど覚えていない。展望は樹林越しに西の高天原山(蟻ヶ峰・所並ノ頭)が見える程度。南が開けている感じなので平坦な尾根筋をさらに南へ進む。

[*上武国境を歩いた方の記録によると、三県境ピークとのこと。]

三国山(二本木ノ頭)山頂(図根点ピーク) 三国山から西方、高天原山方面  すると、主図根点の標石が埋設された展望地に出る。立木には山名板の標識も付いていた。つまり、ここが三国山(二本木ノ頭)山頂(1834m)ということだ。この地点は南側が開けているので、奥秩父方面の山並みが見える。しかし午後ということで、小川山方面はすでに霞んでいた。西には相変わらず高天原山が悠然とした姿で控えている。

 この山頂にも緑の回廊看板(樹脂製)が付いていた。ここは車道の通る三国峠が近いので、時折車が走行する音が聞こえてくる。旧中津川林道(市道大滝幹線17号)は通行できるようだ。

旧三国峠(群馬・長野県境) 旧三国峠から梓山方向  そこから再び三方向の分岐ピークまで戻り、今度は長野県との県境付近を西へ下る。鞍部手前に木製の古い道標が倒れていた。ここが旧三国峠*だ。まずは傍らの立木に道標を立て掛け、峠の写真を撮る。

[*須田茂 著『群馬の峠』では標高1800mとしている。佐藤氏の記録では1820m。]

旧三国峠の古い道標  ここの道標は以前は三方向を示していたそうだが、今は壊れて二方向しかない。道標の文字も剥げ落ちてほとんど読み取れない。南西の谷を示して「梓山に至る」とあり、東方向の山頂を示して「十文字峠・三国山…」とある*。

[*2006年春に上信国境を歩いた方の記録によると、もうひとつの板には中津川方面を示していたらしい。この地点から昔の分岐道がどのように通っていたかは不明。佐藤氏の記録には、この地点から「浅く、三国山頂を北にからんで、北東に曲走する上武県界稜にはいるのが神流川道、東へのびる中津川信濃沢右岸の、松尾尾根道にはいるのが、武州中津川道」とある。それから、昔はこのあたりの群馬側の斜面に上武国境の尾根筋を避けて「山中横手」と呼ばれる巻き道が通っていたそうだ。佐藤氏はその巻き道を探りながらこの旧三国峠から空峠へ向かったらしい。しかしその巻き道を見つけることができず、結局県界稜を辿ることになる。]

安中山の会のブリキ板  この道標には小さな金属プレートも付いていた。よくわからないが、分水嶺を歩くグループが付けたものらしい。それから、傍らの立木には安中山の会のブリキの標識が付いていた。この標識はサイクリストの記録にもあるもので、「三国峠」の下に「ソラ峠を経由、ハマダイラS50.9.1…」という文字が彫られていた。

 これは、つまり、昭和50年(1975年)9月に安中山の会の方がこの旧三国峠と上野村の浜平間をソラ峠経由で歩いたものらしい。詳細はわからないが、このときのルートでどこをソラ峠としたのか知りたいものだ*。

[*後日、ネットでこのルートを歩いた記録がないかと探してみると、ある個人の方のサイトに、山中横手に踏み入り石楠花坂から神流川本谷へ降りたという昔の想い出話が載っていた。やはり、以前はこの旧三国峠から神流川本谷へのルートを一般の登山者が歩いたようだ。]

松尾尾根分岐点(三国山北東側の埼玉・群馬県境付近)  ここから上信国境の尾根を延長して歩くには時間的にちょっと無理なので、再び三方向の分岐ピークに登り返し、そこから上武国境の尾根に下って往路を戻る。

 コンクリート杭のある松尾尾根分岐で一息つき、倒木と残雪の尾根を北へ進む。

1796P付近、休猟区の看板  今度は樹木に付けられたペンキマークがよく見えるので、マークを目印にしながら進む。埼玉県の休猟区の看板がある1796m峰付近からは残雪の斜面を下る。

 このあたりは吹き溜まりになっているようで、雪の深さは膝上まであった。ペンキマークを確認しながらやや左寄りの群馬側を下って行くと、途中でまたもやマークを見失ってしまった。ねくらハイカーは夏道の踏跡が出ていないと、たちまちルートミスを犯す。

 仕方ないので、往路と同じようにシャクナゲのヤブ尾根を下る。残雪を何度も踏み抜きながら倒木を越えて何とか鞍部まで下る。緑の回廊看板地点で一息つく。体力が衰えたヨレヨレハイカーはすでにスタミナ切れ。

日向の休場(1700P)付近から1730P  そこから「日向の休場」の岩場に登る。しかし、ここで不覚にもねくらハイカーは右足が攣ってしまった。休み場ということなので、この岩場で休憩する。

 ゴヨウマツの木陰に座り、右足を揉みながら北東方向を眺めると、霞の中にぼんやり両神山方面の稜線が見えた。その手前には南天山から滝谷山へ延びる地味な感じの山尾根も確認できる。

 午後ということで、霞が立って遠方はぼんやりしているが、やはりこの岩場は眺めがいい。

1730P山頂部から北へ下る  そのうちに痛みがいくらか治まったので、北側の鞍部に下る。ここを峠と想定してもよさそうだが、ここから群馬側または埼玉側の斜面に巻いていくような踏跡はまったくない。

 1730m峰の南側の崖は下から見上げるとかなり厳しそうだが、実際は簡単に登れてしまう。岩場の展望地を過ぎて、ツガやコメツガの茂る樹林帯に入る。

 なだらかな山頂部の尾根をいくらか北東寄りに進み、古い倒木を越えて次の倒木を越えたあたりから左に外れて北方向へ下る。明瞭な踏跡はないが、往路と同じルートなので迷うことはない。

お宮跡手前、「山36」標石付近[空峠]  少し残雪があるヤブの斜面を下り、途中の岩稜を左に巻いて笹ヤブになったところを下る。

 下りなので、往路と違って比較的楽だ。熊除けの鈴を鳴らしながら平坦な尾根筋をガンガン下って行くと、ほどなくお宮跡手前の標石地点に着く。

 何か曰く有りげなところだが、ここが本当に峠なのだろうか…。よそ者ハイカーには何とも判断しかねる。

標石点から北西方向への下り、部分的に道形あり  標石地点からは微かな踏跡が斜め左方向に付いていた。往路ではこの踏跡を見つけて登ればよかったわけだ。実際は見つけられずにルートミスで1543m峰の北側を登ってしまった。

 いくらか見通しのきく雑木林の斜面を北西方向に下って行くと、明瞭な道形があった。昔の峠道かもしれない。これで安心だと思いきや、30mも進まぬうちに道跡は完全に消えてしまった。そこで何かの目印がないか周囲を見回してみる。しかし、それらしきものは一切ない。何か狐につままれたような感じだ。

 仕方がないので、踏跡のない斜面をそのまま北西方向に下る。

前方右に崖(1543P北西稜)あり  当てもなくダラダラ下って行くと、前方が崖状の岩壁になってきた。これは地形図で1543m峰山頂部から北西に延びる崖マークの岩尾根*らしい。

 そこからはこの崖に沿ってやや西寄りに谷状の急斜面を下る。このあたりには苔が生えた浮石のような岩がゴロゴロしていた。滑らないように注意して下る。

[*昭文社山と高原地図『西上州』では長戸岩と表記されている。]

崖が途切れた切戸状のトラバース地点  5分くらい下ると、右側の崖がなくなり、いわゆる切戸になっていた。そこでその切戸状の地点を北へ横切って行くと、その先もまた急傾斜の崩れやすそうな斜面になっていた。

 ここでもちょっと迷う。左下へ下るのもちょっとヤバそうだ。斜面をよく見ると、水平に細いシカ道がいくつか通っている。そこで切戸付近からは微かな踏跡のシカ道を辿ることにした。何せ岩がゴロゴロした涸れ沢を下るよりも歩きやすい山腹を通った方が安全だ。

長戸沢上流部右岸、雑木林の急斜面  か細いシカ道を追いながら、山腹を北へトラバースして行く。このあたりは相変わらず傾斜が急だが、美しい雑木林になっていた。

 ひとつ小さな支尾根を横切って北西にトラバースして行くと、ハッキリとした支尾根に突き当たる。そこでシカ道は消えてしまった。

 仕方ないのでそこからは支尾根に沿って西へ下る。すると驚いたことに、立木にテープが付いていた。アレ、ここを歩いている人がいるようだ。奇特な人もいるものだと思わず感心する。もしかすると、ここが峠道のルートかもしれない…。

 これは素晴らしい発見かもしれないと、一瞬喜んだ。しかし、何か見覚えがある…。そこでテープをよく見ると、何てことはない、午前中に自分で付けたものだとわかった。まったく、自分で付けたものがわからないのだから、ねくらハイカーも耄碌したようだ…。
長戸沢上流部右岸  ということは、この支尾根から下の沢へ向かって下れば、渡渉地点に降りられるわけだ。

 そこで支尾根の途中から左下の沢筋に向かって崩れやすい感じの斜面をジグザグに下る。すると間もなく午前中に渡った渡渉地点に着いた。そこから飛び石を伝わって長戸沢の左岸に進む。濡れずに沢を渡れたので万万歳だ。

 しかしよく考えると、サイクリストが空峠と呼ぶ尾根地点からこの沢まで明瞭な登山道はないということになる。昔の峠道は今では完全に廃道となってしまったらしい。

左岸、造林小屋付近 林道へのヤブの斜面(左岸)、中段に軌道あり  そこからまた左岸の造林小屋跡を過ぎ、右下の河原を北へ進む。さらに自分で付けたテープ地点から左上の林道の法面に向かってヤブの斜面を登る。

 枯れヤブを漕いでトロトロ行くと、斜面中段付近にレールが付いたままの軌道が見えた。これは午前中ここを下ったときにはまったく気づかなかったが、昔の軌道だろう。森林軌道は造林小屋終点付近では左岸を通っていたわけだ。軌道を南へ辿れば軌道終点にいくようだ。

スゲノ沢出合付近上部の崖にある軌道  北へはどうなっているのか寄り道してみると、すぐその先のスゲノ沢出合付近の崖際で軌道は消えていた。昔はこのスゲノ沢出合地点から長戸沢本流の右岸に軌道が通じていたらしい。

 浜平に向かう旅人はここで長戸沢の右岸に渡り、本谷沿いの軌道を歩いたのだろうか…。ねくらハイカーは昔の旅人ではないので、東側の延長林道に向かって再びヤブの斜面を登る。

南東に右岸の山尾根[展望地岩場・1543P(中央)〜長戸岩?(右)]  途中の尾根状の斜面から左上を眺めると、自分が辿ってきた山尾根が西日に照らされて見えた。行きはルートミスで1543m峰の北側の岩場を登り、帰りは1543m峰の岩稜と長戸岩の間を抜けて下ってきたわけだ。

 それにしても、サイクリストの記録によると、空峠はあの二つのピークの奥の尾根上にあることになる。本当にあのお宮跡のある地点が峠なのだろうか…。

スゲノ沢の林道へ  ヤブの斜面から丸太材の擁壁沿いを歩いて上の林道に上がる。ところが、路肩のガードレールを跨いだ瞬間、左足にビリビリッと強烈な痛みが走った。今度は左足が攣ってしまった。何たる体たらく。老いぼれハイカーはここで休憩タイムとなる。

 林道は通行止めということで、車は通らない。あとは林道歩きということで、急ぐ必要はない。道路に座り込んでゆっくり休む。

 そのうちに痛みも引いてきたので、ゆるゆると舗装道を下る。旧駐車場を過ぎてカーブ道を下って行くと、正面の北東方向にゴツゴツした日景長戸岩が西日に照らされて秀逸な姿を見せていた。気温は15℃で依然として快適。

 ところで林道を歩いて驚いたことに、午前中に見た落石や倒木や崩れた土砂がきれいに片付いていた。アスファルトの路面にはシャベルの跡が付いている。ということは、今日この道路に重機が入って土砂や落石を片付けたようだ。さすが上野村だ。対応が早い。

 みみずく林道が分岐する本谷三号橋のゲート地点を過ぎ、本谷の渓谷沿いを進む。林道は下り気味なので脚は痛くならない。何とか暗くなる前に駐車地点に戻れそうなので、適当に休みながらダラダラ行く。

 新本谷橋を渡って神流川右岸の道路を歩いていると、突然、右上の斜面に何か動くものが見えた。ねくらハイカーは一瞬ギョッとして身構える。何か灰色か薄茶色のものが横に歩いている。しかしよく見ると、それはタヌキだった。ハイカーに驚いてトコトコ逃げて行く。こちらは黒いヤツでなくてよかったと、ホッとする。タヌキはどこにでも生息しているが、林道沿いで簡単に見られるのも上野村の自然が豊かな証拠だろう。いつまでもこういう豊かな自然が残って欲しいと思う。

 そこからさらに西へ進み中止の滝入口を過ぎると、朝の崩落地点を通る。崩落現場はまだ本格的な復旧工事が始まっていない。しかしよく見ると、ガードレール際の土砂がいつの間にか片付けられていて、人が通れるようになっていた。さすが上野村、対応が早い。

 でもよく考えると、先ほどの神流川本谷上流部の道路を整備した重機はどこから入ったのだろう…?ここがまだ通行止めということは、他のルートで上流部に入ったわけだ。ということは、中之沢林道の周回ルートから入ったのかもしれない。しかしまぁ、何れにしろ、連休までにこの崩落現場の復旧工事が行われて部分開通となるのだろう。上野村も道路整備でご苦労なことだ。

 そこから通行止めのバリケードを越えて朝の駐車地点まで戻る。今日は、ここからの出発ということで予定が少し変わってしまったが、何とか空峠のルートが歩けたということでヨシとする。

日程2008年4月22日 (火)
天候晴れ
行程時刻駐車地点(本谷林道途中)7:00→林道崩落地点7:00〜7:01→「中止の滝」入口7:03〜7:06→新本谷橋7:12〜7:14→中之沢林道中之沢支線分岐7:17〜7:22→本谷一号橋(中之沢林道大蛇倉支線分岐付近)7:23〜7:24→本谷二号橋7:31→山神石碑7:38〜7:40→本谷三号橋付近ゲート(中之沢林道みみずく支線分岐付近)7:45〜7:50→長戸沢ダム7:58〜8:02→(沢沿いを歩いてタイムロス、林道へ戻り)→スゲノ沢旧駐車場8:28→(林道を戻り)→(途中から引き返す)→スゲノ沢旧駐車場8:35〜8:36→スゲノ沢の橋8:36→(スゲノ沢右岸の林道)→右カーブ地点8:41→(坂道戻り)→(スゲノ沢右岸に下る)→(ヤブの斜面を東へ)→スゲノ沢出合上の長戸沢左岸8:52〜8:59→(沢沿いを南へ)→造林小屋跡付近9:00〜9:10→(左岸を南へ)→(沢を渡る)→渡った右岸地点9:15〜9:20→(ルート不明で右岸の斜面を東へ直登)→(支尾根を登る)→(途中休憩5分以上)→(南東へ)→主尾根地点10:03〜10:06→(南へ)→(崖状の急斜面を右上にトラバース)→(途中休憩5分)→(右へ回り込む)→コブ状の岩場(展望地)10:22〜10:28→(南へ)→1543P 10:40〜10:46→お宮跡付近[空峠]10:47〜11:04→(途中休憩10分以上)→1730P北東側(県境尾根)11:55〜12:05→(南西へ)→1730P南側の岩場(展望地)12:08〜12:23→(南へ、ルートミスあり)→1700P(展望地)[日向の休場]12:30〜12:32→(鞍部で休憩5分)→(原生林のヤブでルートミス、10分以上タイムロス)→1796P付近 ?:?→(南西へ)→松尾尾根分岐13:11〜13:18→三方向分岐ピーク[三県境ピーク]13:24〜13:29→(南へ)→三国山[図根点ピーク]13:29〜13:37→(戻り)→三方向ピーク13:37→(西へ)→旧三国峠13:39〜13:50→(戻り)→三方向ピーク13:52〜14:07→(北東へ)→松尾尾根分岐14:12〜14:15→1796P付近14:19→(北へ、途中ルートミスによるタイムロスあり)→1700P 14:40〜14:52→(北東へ)→1730P北東側15:08〜15:12→(北へ)→お宮跡手前標石地点[空峠]15:39〜15:41→(北西へ)→切戸地点15:59〜16:00→(山腹を北へトラバース)→(北西へ)→支尾根地点16:08〜16:12→(西へ)→(沢沿いへ)→渡渉地点16:25〜16:26→(左岸を北へ)→造林小屋跡付近16:28〜16:29→(北へ)→(途中から左岸を西へ)→(中段に軌道あり、北へ寄り道)→スゲノ沢出合付近上部の崖16:35〜16:37→(西へ戻り)→スゲノ沢右岸の林道地点16:42〜16:52→スゲノ沢の橋16:53→スゲノ沢旧駐車場16:53→長戸沢ダム17:15→本谷三号橋付近ゲート17:25→山神石碑17:28→(途中、休憩あり)→本谷二号橋17:45→本谷一号橋17:53→中之沢支線分岐17:54〜17:55→新本谷橋17:59〜18:06→「中止の滝」入口18:10→林道崩落点18:13→駐車地点18:13
備考♦この記録はHP「西上州界隈山サイ雑記帳」・「良太郎の『自転車で街道を行く』」の記録および佐藤節 著『西上州の山と峠』(新ハイキング社刊)を拝見し参考にさせていただきました。それから、最近上武国境・上信国境を歩いた方々のネット上の記録も参考にさせていただきました。
♦この記録は一応空峠のルートを歩いたものですが、峠の位置は特定していません。ねくらハイカーとしては、山岳サイクリストの方々が云う群馬側の支尾根地点よりも佐藤氏の県境尾根地点の方に峠を想定したい気がします。※この記録をアップしたときは、ねくらハイカーは他の案内書や紀行文を拝見していませんでした。佐藤氏の県境尾根説が妥当ではないか考えていたので、記録中に山岳サイクリストの群馬側支尾根説を疑うような感想が述べられています。本来は全文を改訂すべきところですが、訂正追記にとどめ、本文はそのままとしました。悪しからずお願いいたします。(2008年10月訂正追記)

◇ T N H C ◇

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