中之沢林道付近から舟留



 ねくらハイカーは今年(2010年)4月に多野郡上野村の浜平付近から品塩山や又尾山(ブンキガ小屋ノ頭)に登った。そのとき、南西の方向に長野県境の山尾根がよく見えた。この上信国境尾根付近は、以前は三国峠やぶどう峠から山中一泊の縦走コースとして歩かれていたらしい。しかしてネットに上がっている先人の記録等を拝見すると、最近は長野県側の林道から国境尾根に上がって一日のハイキングコースとして歩かれている場合が多いようだ。

 このあたりに不案内なねくらハイカーも、それらの記録を参考にして長野県側から登った方がいいのだが、群馬の住人としてはやはり群馬県側から登りたい。そこで今回は、4月の尾根歩きのつづきとして、群馬側の中之沢林道から上信国境に位置する舟留*に登り、そこからこの国境尾根を西へ歩いてみようと12月中旬頃上野村の神流川上流本谷方面に出かけてみた。

[*日航機墜落現場「お巣鷹の尾根」の北西側にある長野県境1815m標高点ピーク。]
 関東地方は12月に入っても暖かい。まだ秋季のハイキングができることを期待して早朝の奥神流湖東岸のトンネル道を南へ飛ばす。「お巣鷹の尾根」方面はすでに通行止めになっているので、ねくらハイカーのボロ車以外通行車両はない。トンネル道の途中には村道の一部通行止めを示す看板が出ているが、本谷沿いの林道はまだ規制されていないようだ。

 トンネル道を抜け、神流川本谷右岸沿いの閑散とした舗装道を東へ走行する。路面は乾いていて走りやすい。「中止の滝」入口付近には封鎖用のバリケードが用意されていたが、通行止めになる気配はない。それから、本谷両岸の山腹は白くなっていない。やはり、本格的な降雪はまだらしい。これは軽装でも歩けそうだ。

 新本谷橋で左岸に渡り、旧道が合流する手前を右折して中之沢林道*に入る。林道沿いには関係者以外通行禁止の看板が出ているが、その表示物は気にせずに坂道を上がって行くと、遮断機があるゲート地点に着く。5年前の先人の記録ではゲートが開いていたということだ。しかし今回はゲートのバーが金属チェーンで支柱に結ばれ、簡易型の小さな数字合わせ錠が掛かっていた。数字の番号がわかれば簡単に開けられるのだが、部外者なので開錠できない。よそ者ハイカーは素直に車をバックさせ、本谷沿いの林道に戻る。今日は登り口までの林道歩きが長いので、使えるかどうかわからないが、小型の折りたたみ自転車を用意してきた。まずは現在ほとんど通行されていない旧道の美人平橋付近に駐車して、出発の準備をする。気温は−5℃。寒い。

[*部外者にはよくわからないが、あとで見た林道名の書かれた標柱によると、このあたりの林道部分は「中之沢林道栃久保支線」というらしい。詳細なことは不明。]
中之沢林道本谷側ゲート付近  10分後、準備を終えてサドルに跨り乗り出す。颯爽とペダルを漕ぎ出したものの、ペダルが重くて勾配のある旧道の坂道を登れない。

 堪らずギヤを軽くする。しかし、やっぱり弱小ハイカーの脚力では登ることができない。こりゃー、ダメだ。今回はぶっつけ本番で坂道に挑戦したわけだが、素人サイクリストの山道走行はやはり無理なようだ…。

 仕方ないので漕ぐのを諦め、転がしながら先ほどの林道入口のゲート地点に進む。

ゲート左側に鳥居と石祠あり  ゲートの左(南)側には小さな鳥居が建っていた。奥には木造の屋根の下に石祠が安置されている。よくわからないが、山ノ神らしい。おそらく林道開削時に祀られたものだろう。とりあえず今日の山歩きの安全を祈願して手を合わせる。

 そこからゲートを抜け、幅広の舗装林道を西へ進む。この林道は一般歩行者の通行も禁止されているが、今回は無視させてもらう。

神流川左岸の山腹道(中之沢林道)を西へ  神流川左岸の道は山陰に入っている。気温は依然として−5℃ほど。今日は北寄りの風が強いので、気温よりさらに冷たく感じられる。暫し寒風に晒されながら自転車を転がして行く。

 このペースだと、予定が相当遅れる感じだ。まぁ、仕方がない。計画性のない盆暗ハイカーは出たとこ勝負で行くしかない。

 この林道はいくらか見通しが利く。急勾配の坂道を上がって行くと、そのうちに右(北)に神流川右岸の諏訪山から西へ延びる支尾根上のピークが見えてきた。冬枯れの山肌はまだまだ晩秋の山の風情が残っている。

林道から右下(北)に奥神流湖、湖西岸(中左奥)にヤナクボ  さらにてくてく登って高度を稼いで行くと、右下に本谷の谷筋が見えるようになった。目を凝らすと、琴音トンネルも見える。それから、その左上には針葉樹の多いヤナクボ*の峰が聳えている。

 そこからまた15分ほど登ると、右下に今度は奥神流湖が見えてきた。今日は北側は雲ひとつ出ていないので、遥か遠方の御荷鉾スーパー林道が通る山々の稜線も望むことができる。サイクリングには絶好のロケーションだ。そこで、傾斜が緩やかなところで再びペダルを漕いでみる。

 しかして、20インチ車のミニチャリで坂道を登るのはちょっときつい。たちまちストップ。体力が衰えた脆弱ハイカーは転がしながらノロノロ行くしかない。

[*奥神流湖西岸に聳える標高1200mほどのピーク。山名は二木(ふたき)久夫氏の『西上州の岩山藪山』(現代旅行研究所刊)による。地元の呼び名らしい。]

林道の日陰部分に残雪あり 1288P北側山腹のカーブ付近、前方(西)に又尾山(右奥)がある山尾根  そこから5、60mほど坂を上がって行くと、林道の日陰部分に薄っすら残雪が見え出した。やはり、一度雪が降ったようだ。

 さらに進んで地形図の1288m峰北側のカーブ地点にさしかかる。この地点には電柱が立っていて、ちょうど右下の奥神流湖の方から電線や通信ケーブル*などが上がって来ていた。ここからは左の山側に電柱が立つ林道を進むようになる。

[*このケーブル類は御巣鷹トンネルを通って信州側に繋がっている。]

栃倉沢右岸の山腹を南西へ、右上に御巣鷹〜1747Pの稜線  そして、栃倉沢*右岸の山腹を南西寄りに進む。このあたりからは、前方に今日歩く予定の尾根筋や三角点峰の御巣鷹山も見えてくる。御巣鷹山のある尾根筋は以前大蛇倉山から眺めたときと同じように幾分地味だ。

 またここからは、いくらか下り坂が出てくる。そこは自転車に跨って下る。しかし、またすぐに上りになると、即ストップ。再度降りて転がしながら行く。ペースは上がらない。

 この山腹付近は日陰になっているところが多いので、以前降った雪が凍ってブラックアイスになった路面が現れる。そこはなるべく避けて進む。

[*この沢名は、現行の国土地理院の地形図に表記されているが、この山域に精しい原全教氏の著書では「栃平(とちだいら)沢」と出ている。また、あとで見た林道名が書かれた標柱によると、地元の営林関係者は「栃久保沢」と呼んでいるらしい。それから昔の案内書には「トチ平ノ窪」という沢名も出ていた。詳しいことは不明。この記録では、地形図や昭文社の山と高原地図に従って「栃倉沢」とする。]

前方(南西)に1594P〜1520P〜1496P〜1490P〜1388Pの稜線、左上山腹に延長林道あり  暫し前方に御巣鷹山や歩く予定の尾根筋を見ながら進む。

 途中、下り坂を自転車に乗って下って行くと、西の方から軽トラが一台走って来た。ゲートを開けて入っていたようなので、地元の方らしい…。軽トラは低速ですれ違い、東へ走り去った。その際、何やら強い視線を感じた。これは、不審者に見られたのは間違いない…。

 まぁ、とはいえ、早朝、通行禁止の山道をミニチャリで走る物好きはねくらハイカーくらいしかいないので、これは仕方ない。気にせずに行く。

調圧水槽の案内板  そこからまたコツコツ進んで谷沿いのカーブ地点にさしかかると、横長の看板が見えた。それには、西方向を示して大きな矢印が書かれ、「一号導水路調圧水槽」とあった。それから断面図なども描かれている。

 最新の昭文社の山と高原地図『西上州』には、長野側南相木ダムの奥三川湖と群馬側上野ダムの奥神流湖の間に地下を通る導水路のルートが青い点線で表記されている。そのルートと照らし合わせると、どうもこのあたりの山中に圧力調整用の水槽施設があるようだ…*。

[*後日ネットで調べると、この付近の山中に内径17m・深さ101.4mの巨大な立坑が掘られ、平成17年(2005年)12月にダム湖を結ぶ約2.4kmの導水路トンネルといっしょこの調圧水槽が完成したとのこと。]

右上(北)に1388P(ニテノカヤ?)付近の尾根  さらに日陰になった林道を北西に進む。このあたりから積雪部分が多くなってきた。林道は多少下り坂もあるが、路面が凍っていて滑るので自転車に乗ることはできない。素人のへっぽこサイクリストは転倒しないように小股で歩いて下るのが精一杯。

 そのうちに右上(北)に日の当たるなだらかな尾根筋が見えてきた。栃倉沢左岸の1388m標高点がある尾根付近だ。今日はこの尾根に取り付いて県境へ進もうと計画してきた。原氏の著書には、この平坦な尾根筋に「ニテノカヤ*」という名前が付いている。まだ積雪していないようなので、素人ハイカーでも簡単に登れそうだ。

[*名前の由来は不明。よくわからないが、昔カヤトになっていた場所かもしれない。]

途中に水圧鉄管・発電所の方向を示す矢印看板あり 凍っている林道日陰部分  そこから路面がカチカチに凍結したところを抜け、少し北寄りに進むと、途中に右下の谷の方を示す矢印看板があった。

 それには、「3、4号水圧鉄管〔この下320m〕発電所」とある。昭文社の地図を見ると、このあたりの地下にも別の導水管が通っているらしい。どうも、現在この付近一帯は、開発が相当進んでいる気配がする。

栃倉沢左岸の山腹を北東へ  そこからまた日陰の林道を西へ進み、栃倉沢最奥の谷付近を過ぎる。カーブ道を北東方向へ折り返して行くと、やがて東側から朝日が当たり出した。

 このあたりは林道の路面が乾いていて秋山の風情が漂っている。風がまったく当たらないので、気温は2℃ほど。いくらか長閑な感じだ。

栃倉沢左岸の林道から南方向ふり返り、1747P(奥左)〜1606P(手前中央)〜1594P(右端)  日の当たる坂道を少し登り、途中で南方向をふり返ると、これから歩く予定の県境へつづく尾根筋が見えた。手前にあるピークが支尾根上にある1606m標高点峰らしい。このピークは無名峰のようだが、先ほどからこの林道からは結構目立っている。

 それから、山腹を通る延長林道*もバッチリ見えていた。

[*4月に中之沢林道を中ノ沢方面へ歩いたとき、1496m標高点峰北側の山腹付近に引き戸式の扉の付いたトンネルがあった。このトンネルについては、ネットに上がっている先人の記録にも出ている。トンネルは1496m峰がある尾根の南東側に貫通していて、そこからさらに林道が南方向へ延びていた。]

路肩に林道終点の標柱あり[自転車乗り捨て場所]  この日の当る林道の左上(西側)がまさに本日登る予定の尾根なのだが、高さ5mほどのコンクリート吹き付けの法面になっている。これは素人ハイカーには登れない。今回は自転車で来たので、まずは適当な乗り捨て場所を探しながら行く。

 栃倉沢左岸の坂道を登って行くと、途中、ガードレールの外側に広めの路肩スペースが見えた。そこにはカーブミラーの他に何か白い標柱が立っていた。標柱には「中之沢林道栃久保支線 7.1km終点」とある。それから、裏側には「中之沢林道 15.8km終点」とも表記されていた。アレ、7.1kmというのは、あの鳥居のあるゲート地点からの距離だろうか?それから、15.8mというのは、上野小海線の方からの距離だろうか…?よそ者ハイカーにはどこからの距離なのかイマイチわからない。

 まぁ、それはどうでもいいが、この路肩付近は自転車を乗り捨てるにはちょうどいい。ひとまず路肩から右下のヤブの斜面に下って岩陰になったところを探す。すると、路肩から5、6m下側に枯れ枝が茂ったところがあった。さっそくミニチャリを担ぎ下ろしてそのヤブの中に隠す。林道は一応一般車通行禁止になっているので、盗難の心配はなさそうだ。今日はここからザックを背負っての歩行となる*。

[*この地点は、GPSによると、1388m標高点から南西側の標高1350m付近。]

取り付き地点を探しながら北東へ
 乗り捨て場所からコンクリートの法面に沿って林道を北東へ進む。どこか取り付きやすい所があるか探しながら行く。

電柱(「導水150」)わきの法面にステップあり
 2、3分てくてく行くと、途中の「導水150」という銘板が付いた電柱が立つ法面付近に黄色いステップが見えた。営林関係者が上り下りするためのステップらしい。これは、ねくらハイカーには渡りに船だ。早速そこからコンクリートの法面に取り付き、上のスズタケが茂った斜面に這い上がる。

スズタケの斜面、踏み跡なし
 このスズタケの斜面には踏み跡は付いていなかった。そこからは、1388m地点に行ってみようと笹を漕いで北東方向へ登る。この斜面は笹がそれほど密生していないので歩きやすい。

1388m標高点付近  間もなくツガやアセビやシャクナゲなど茂る尾根筋に出る。GPSは1388m標高点付近を示した。しかし、周囲に標石や標杭などの人工物は設置されていない。

 それから、この標高点付近は枯れたスズタケが疎らに生えている程度で、別段カヤトにはなっていなかった。

尾根沿いを西へ  ここからは尾根筋を西へ辿る。落ち葉が積もった日陰の地面にはまだ雪が融けずに残っていた。尾根沿いの雑木類は落葉しているので、樹林の枝越しにいくらか見通しがある。左前方(南西)にこれから歩く予定の山尾根、そして、右(北)の樹間に又尾山(ブンキガ小屋ノ頭)あたりの尾根筋が見えた。

 気温は1℃くらい。尾根沿いの樹木が疎らなところは北寄りの風がモロに当たる。寒い。

南西方向、1747P〜1594Pの稜線  この尾根沿いのスズタケはちょうど枯れヤブになっていた。一度花が咲いたらしい。その笹ヤブの中には微かな踏み跡が通っている。シカ道のようだ。

 そのうちに尾根沿いのアセビやツガなどが少なくなり、落葉した雑木林の明るい尾根ルートになった。周囲には大木の切り株も見える。切り株はすでに朽ちて苔むしていた。相当以前に伐採されたものらしい。尾根沿いの広葉樹にはブナ・ミズナラ・コナラ・リョウブなどが多い。それから、地面には栗の毬が多数落ちているのでシバグリも多いようだ。

 途中、右下に尾根の北側を通る中之沢林道が見えた。こちらは完全に日陰になっているので路面は真っ白。

1490Pへの登り  そのうちに地形図の等高線で1490m圏のピークの登りにかかる。ここで傾斜が増してくる。ねくらハイカーのペースはがくりと落ちる。どうも、先ほどの自転車を転がしながらの林道歩きで脚力を使ってしまったらしい。イマイチ調子が出ない。軟弱ハイカーは早くもここで休み休みの登りとなる。

 このあたりの落ち葉が積もった斜面にはシカの糞が多数見えた。4月の林道歩きではシカの群れを多数目撃しているので、この県境付近の山腹には相当数が生息しているのは間違いない。

スズタケの枯れヤブ(1490P山頂部東側付近)  体力不足のヘタレハイカーは息を整えながらゆっくり登る。しかし、途中で我慢できずに立ち止まって小休タイムとなる。

 そこからまたダラダラ登る。そのうちに傾斜が緩くなると右(北)から来る尾根ルートと合流する。この北からの尾根は二木久夫氏が昭和55年(1980年)5月に三岐から品塩山や又尾山へ登ったとき歩く予定だったルートらしい*。

[*二木氏は当初は三岐からの尾根ルートを南へ進んで長野県境まで行こうと考えていた。しかし、途中の又尾山で時間的に一日コースでは無理と判断し、尾根ルートを北に戻って途中の支尾根上にあるヤナクボに登り神流川本谷方面へ下山した。のちの機会に彼がこの尾根ルートを歩いて県境まで行ったかは不明。]

1490P山頂付近、遠方奥中央に石仏  そこからさらに背丈以上のスズタケの枯れヤブになったところを南西へ通り抜けて行くと、間もなくなだらかなピーク地点に出る。1490m峰の山頂だ。

 ここは周囲の樹木がいくらか伐採されているので、多少展望がある。

1490Pから南方向、左奥に1747P 1490P北側の樹間に又尾山(中央)  南方にはこれから歩く尾根筋を見渡すことができる。それから、南西には石仏(石仏ノ頭・大黒ノ頭)や弥次ノ平、西にはツギノス(赤火岳)などの上信国境尾根の山々も見えている。

 また北には、4月に登った又尾山(ブンキガ小屋ノ頭)が望める。こちらはかなり地味だ。

1490P山頂部に設置された図根点の金属標[高360]  ところで、この山頂には上辺に金属標の付いたコンクリート杭が打たれていた。金属標の表面には+の刻印があり、「図根」・「公共」・「山」・「高360」等の文字も彫られている。それから、管轄の「前橋営林局」の刻字も見える。

 ということは、この1490m峰は図根点ピークということだ。周囲の樹木が伐られて多少見通しが利くのは、旧高崎営林署がここで測量を行ったことによるものらしい。

 この山頂付近はそれほど風が当たらない。気温は3℃ほどになっていた。ここで一息つく。

笹尾根を南西へ  休憩後、南西方向へ下る。山頂部から5mほど下ると、木の枝に青いビニールテープの目印が付いていた。やはり、ネットに先人の記録が出ているので、ここを歩く人がいるのは確かだ。

 そこからまた少し下ると、今度は蛍光ピンクテープの目印が見えた。これは営林関係者か土木関係者が付けたものらしい。

尾根沿いに標杭類あり  さらに笹尾根を下って鞍部付近に降りる。このあたりにはなぜか樹脂杭が打たれていた。杭の側面には「貸」の字が見える。どうも、普通の境界標ではなさそうだ。よそ者ハイカーには何を示しているのかまったくわからない。

 そこからちょっと進むと、地面に小さな木杭が3本三角状に打たれた場所があった。そこは南方に見通しが利く。以前何かの測量が行われたところらしい…。部外者ハイカーにはさっぱりわからないが、どうも営林関係者の作業ではないようだ。もしかすると、東電関連の建設関係者が測量をしたのかもしれない…。

雑木林の尾根筋を南西へ  そこから木の根がゴツゴツ出た尾根筋を進む。そのうちに急傾斜の上りにかかるといくらか岩稜っぽくなってきた。

 最初の岩稜は左に巻き、次は右に巻く。岩尾根歩きが得意な方なら簡単に直登して行けるルートだが、ねくらハイカーは岩尾根歩きが苦手なので適当に巻きながら進む。

1496P付近  やがてツガの多い日陰のピーク地点に出る。GPSを見ると、1496m峰付近を示した。

 この標高点ピークには図根点の標石や金属標などは設置されていなかった。部外者にはよくわからないが、図根点はやはり見通しのよいところに置かれるものらしい…。

1496P南面の下りから南方向  そこから雑木林の多い日向の鞍部に下る。このあたりは右(北西)からの風が強く当たって寒い。ここは一時的に左下のシカ道が通っている斜面に下って進む。それからまた尾根沿いをマイペースでコツコツ辿る。

 先ほど中之沢林道から観察したところによると、このあたりでは左下2、30mのところに延長林道が通っているはずなのだが、道がある気配は微塵にも感じられない。渋い感じの尾根ルートが坦々とつづいている。

急傾斜の登り(1520P北東側付近)  やがてスズタケが疎らに生えた急斜面の登りになる。脚力が衰えた弱小ハイカーにはこの直登はちょっときつい。ひとまず右(西)の日陰の斜面に少し巻き気味に登る。

 この日陰の斜面の赤土が露出したところはカチカチに凍っていた。厚さが3、4cmほどの霜柱も見える。

1520P山頂部付近、左に巻く 1520Pの下りから南西方向、会所(左鞍部)〜1860P・石仏(奥中央)〜弥次ノ平  そこを登り切ると左下(南東)の樹間に延長林道*が見えた。やはり山腹道が通っていた。

 そこからまた急斜面の登りになる。地形図の等高線で1520mほどの小ピークへの上り斜面らしい。このあたりから尾根ルートはいくらか岩稜っぽくなってきた。ここは左(東)側のスズタケが生えた斜面にシカ道が通っているので、そちらに巻いて通過する。1520mピークの下りからは右(南西)方向に上信国境尾根の稜線が望むことができた。

[*林道のルートを立ち止まって観察したところ、1606m峰の西側山腹にトンネルが掘られていて、延長道はそのトンネルに通じていた。部外者にはよくわからないが、延長林道は、やはり東電の導水路トンネルまたは調圧水槽関連工事用の道らしい。]

1594P北側の上り斜面  そこを下った小鞍部からは1594m峰への登りになる。再び急傾斜の尾根ルートを辿る。

 ヘタレハイカーは少々バテ気味だ。休み休み息を整えながらゆっくり登る。落ち葉が積もった斜面は鹿の糞が多い。一歩一歩登って行くと途中から薄雪がチラホラ見え出した。

 北寄りの風は依然として強い。持久力がない軟弱ハイカーは途中で小休タイムとなる。

 休憩後、ゆるゆるペースで尾根沿いを進む。シカの糞が多い落ち葉の斜面をコツコツ登ると、いつの間にか1594m峰の山腹を南へ横切って行くようになった。

 アレ、これはマズイ。このままだと1594m峰の山頂はキャンセルとなってしまう。この1594m峰は中之沢林道の東側から眺めると地味な感じだが、4月に林道を歩いたとき、西側からはかなり目立っていた。ここは是非とも登っておきたい。そこで途中から右上(西)に寄り道して山頂へ向かう。
1594P山頂付近、奥中央に1860P・石仏
 落葉した雑木林の急斜面をえっちらおっちら登って行くと、やがて小ぢんまりとした感じの1594m峰の山頂に出る。そこは西側がストンと切れ落ちているので、ちょっとした展望地になっていた*。

[*この標高点ピークは南西面が垂直の岩壁になっていて、原氏の『奥秩父 續篇』(朋文堂 昭和10年刊)に出ている略図によると「下イセ岩」というらしい。ちなみに、略図には現在の御巣鷹山(原氏は「焼山」とする)北面付近に「イセ岩(上イセ岩)」の名称が付されている。]

1594Pから南方向、1747P(奥左)〜舟留(奥中央)付近の稜線 1594Pから南西方向、奥上中央部に1847P・1800P・1754P〜会所、真下中央に御巣鷹山トンネル
 雑木類が多少茂っているが、南方から西へかけて見晴らしがある。それから、南西側の真下にはカマガ沢源流部の谷筋と御巣鷹山トンネルを眺めることができる。

山頂から南西側直下のカマガ沢源流部の谷筋、左上に御巣鷹山トンネル  ところで、4月に歩いたときに、この峰の西側直下の山腹には新たなトンネルの掘削現場があり建物やクレーンなどがあったのだが、今回その現場を上から覗き見ると、建物やクレーンはなく更地になっていた。工事は終了したらしい…。

 ここでちょっと一息入れる。展望のある山頂付近は冷たい北風が当たるので、山頂から東側に2、3m下って休む。この峰は一応標高点ピークとなっているので、標石または金属標などがあるか探したが、別段人工的なものはなかった。代わりにドリンク剤の空き瓶が棄てられていた。やはり、この尾根を歩く人はここで休憩しているようだ。依然として北風は強い。気温は6℃に上がっていた。

 休憩後、東に下って先ほどの山腹ルートまで戻り、そこから再び南へ辿る。しかして、すぐにヤセた岩稜に突き当たる。ここは左(東)側に巻いて簡単に通過できるのだが、岩稜沿いの樹木にピンクテープが付いていた。
1594P南側の岩稜部付近に設置された図根点の金属標[高361]  そこで岩稜を直登して行くと、いくらか見通しが利く岩場に金属標付きのコンクリート杭が打たれていた。1490m峰にあったのと同じタイプなので、図根点の金属標らしい。営林関係者は1594m峰の山頂ではなく、この南側の岩尾根に図根点を設置したわけだ*。

[*この金属標の上面には「高361」の刻字があった。営林関係者は1490m峰の次にこの岩尾根に図根点を設置したらしい。なぜ見晴らしのよい1594m峰の山頂部に図根点が設置されなかったのかは不明。]

笹尾根を進む
 岩稜部を下ってスズタケのヤブ尾根を進む。このあたりは針葉樹のツガが多く日陰になっていた。相変わらず風が冷たい。尾根沿いの樹木にはピンクテープの目印も付いている。

急斜面の登りから北側の1594P(下イセ岩)ふり返り  鞍部を過ぎるとまた急斜面の登りになる。この付近ではちょうど太陽に向かって進む。ヘタレハイカーはすでにバテ気味で小股でゆっくり登るしかない。

 途中、一息ついて後方(北)をふり返ると、樹林越しに先ほど登ってきた1594m峰の南西面のゴツゴツした岩壁が見えた。このあたりから見ると1594m峰の山体が岩峰になっているのがわかる。地元の人がこの峰に名前を付けたのも何か頷ける。

木の根が露出した尾根ルート
 そこから小さな倒木や枯れ枝などを踏み越えながら木の根が露出した尾根ルートを南東寄りに進む。

尾根沿いから東方向に1606P
 途中、左(東)の樹間に1606m峰が見えた。この針葉樹の多い峰は結構目立つ。先ほどの中之沢林道からもよく見えた。

苔が生えた斜面、左に巻いてタイムロス  さらに尾根沿いを登って行くと、前方に苔が生えて登りづらそうな斜面が出てきた。そこで、適当に左側の山腹に巻いてみる。しかし、即座に背丈以上のスズタケのヤブに嵌まり込んでしまった。ルートの選択を誤ったようだ。

 ここは、素直に直登すれば何でもないところを自分のへぼ勘でヤブの斜面に巻いてタイムロスとなってしまった。情けない。

ツガの多い笹尾根  そこからまた倒木のある少し荒れた尾根筋を登る。倒木の中にはサルノコシカケ科の茸が生えたものが多い。尾根沿いのスズタケのヤブには薄っすらシカ道が通っている。このあたりにも糞が多いので、相当数が生息しているようだ。

 さらに登って行くと笹が疎らな栂林の中を進むようになった。GPSを見ると、1747m峰手前の等高線で1720m圏のコブ付近。このあたりの笹尾根には古い緑茶の空缶が棄てられていた。それから、少ないが境界標の樹脂杭なども見える。営林関係者がここを歩いているのは間違いない。

1720Pの下りから1747P  そこから少し下り気味に進むと前方に山影が間近に見えてきた。1747m峰らしい。

 さらにヤブ尾根を下り、鞍部からは見通しの利かない針葉樹の樹林帯をトロトロ登る。この上り斜面からはツガに混じってシャクナゲが見え出した。それから、尾根沿いの倒木には苔むしたものが多くなってきた。ヘタレハイカーはここでちょっと一息つく。周囲は日陰になっているので気温は2℃に下がる。

1747P山頂付近  小休後、さらに南東へ登って行くと、少しヤブめいた平坦部に出る。多分、1747m峰の山頂部だ。尾根沿いの樹木にはオレンジ色のビニール紐の目印が1本付いていた。今までこの目印は見たことがないので、県境または御巣鷹山から来た人が付けたものらしい。

 また、そこから10mほど進むと、赤テープの目印地点に着く。1747m峰の山頂だ。ここは樹木が茂っているので見晴らしはほとんどない。この地点から御巣鷹山方面へ行く明瞭な尾根ルートが東に延びている。今回はここから鋭角に右(南西)へ進路を変える。

1747P南側付近から南方向、左奥に大蛇倉山
 すぐに南面の下りとなるが、傍らの立木にまたオレンジ色のビニール紐が付いていた。この下り付近から南方向に目をやると、上信国境に聳える大蛇倉山が樹間越しに確認できた。

1747P南面の下り
 1747m峰の南面を転げ落ちるように下る。この下りの急斜面にもオレンジ色のビニール紐が数多く付いていた。

 スズタケのヤブを下って鞍部に下りる。そこからまたヤブの多い尾根筋を南西寄りにゆるゆる登る。

ヤブめいた尾根ルート
 ここは4年前の春に一度歩いているのだが、今回はちょっと雰囲気が違っていた。同じ尾根ルートでも季節が違うと景色も感じ方も大分変わるようだ。このあたりは倒木が多く、岩は苔むしているものがほとんど。多少原生林っぽい感じがする。

県境近くの積雪した斜面
 そのうちに尾根沿いにはシラビソなどの針葉樹が混じってきた。さらに古い倒木を乗り越えてややフラットな感じの広尾根を進む。

 途中、体力が衰えた老い耄れハイカーは立ち止まって息を整える。どうも長つづきはしない。

舟留(1815P)山頂付近から南方向、左奥に大蛇倉山
 小休後、なだらかな斜面をスローペースで登って行くと、やがて前方の落葉した雑木林越しに大蛇倉山の山影が見える地点に出る。どうやら県境らしい…。

舟留(1815P)山頂、立木に山名板の標識あり  そこで傍らの立木を見ると、MHC(前橋ハイキングクラブ)の県境歩き隊の木製標識が掛かっていた。それから、側の枯木にはブルーシートの切れ端に山名が書かれたもの付いていた。ここが長野県境の「舟留(フナドメ)*」という1815m標高点ピークの山頂だ。山頂付近には、標識以外に例のオレンジ色のビニール紐や各種テープ類の目印も多数見える。4年前ここに来たときはテープやペンキマークくらいしかない地味な感じの山頂だったが、今回は何か人気(ひとけ)のある山頂になっていた。

[*山名の由来は不明。群馬県側のカマガ沢上流にある舟留沢から来ているらしい。ちなみに、江戸時代の古絵図を参考にして神流川源流付近の山々の名前等を考証した高畑棟材氏によると、このあたりに「船艫」というピークがあるということだ。この県境尾根付近は群馬側の谷あいから眺めると急峻にせり上がって断崖のようにも見えるので、そのような名称が付いたのかもしれない。よくわからないが、「トモ(艫)」がのちに「トメ(留)」と変化したのかもしれない。]

 この山頂付近は風はそれほど当たらないが、針葉樹の日陰になっているところが多いのでちょっと寒い。気温は2℃ほど。山頂から少し南側にある日当たり良好の斜面に下る。そこは周囲の雑木類が落葉しているので南方の大蛇倉山の山頂部がよく見えた。暫しこの日向の斜面に腰を下ろして休憩タイム。

 ところで、この休憩地付近には小さな金属標が設置されている。4年前にはそこに測量棒が立っていたのだが、今回はすでに地面に倒れていた。この長野県側に設置された金属標は、群馬側の旧高崎営林署が設置したものと違って表面の刻字は一切ない。管轄の違う現在の東信森林管理署が設置したようだ。
なだらかな県境ルートを西へ  休憩後、県境線のルートを西へ辿る。ここからが本日メインの上信国境の尾根歩きとなる。計画としては石仏(石仏ノ頭・大黒ノ頭)あたりまで行こうと考えているのだが、冬の日は短いので行けるかどうかわからない。時刻はすでに正午を過ぎているので難しいかもしれない。ここも出たとこ勝負で行くしかない。

 シラビソやカラマツなど針葉樹が多い日陰の樹林帯をトボトボ行く。平坦な広尾根には微かだが踏み跡が通っている。所々に蛍光ピンクテープの目印が見えるので、営林関係者が歩いているようだ。

 この県境尾根付近も日陰になったところには薄っすら雪が積もっている。そのうちにダケカンバなどの広葉樹が多い樹林帯になると、雪は跡形もなく消えて秋山の様相を呈してきた。

1790P付近、南西方向に三川左岸の山尾根  このあたりは歩きやすいのでペースを上げようと試みる。しかして、体力不足のポンコツハイカーにその余力はない。小股でノロノロ行く。

 苔むした倒木が多い日陰の樹林帯を抜けると、等高線で1790mほどのなだらかなピーク地点に出る。そこは明るいダケカンバの樹林帯になっていて、枝越しにいくらか見通しがある。三川左岸の山尾根も見えてきた。

1790P付近から南東方向に大蛇倉山(右)  また、そこから南東方向をふり返ると、再び大蛇倉山*方面が見えた。このあたりからは大蛇倉山北側の急角度に切れ落ちる県境付近の稜線がかなり際立っている。

[*余談になるが、この大蛇倉山については上野国郡村誌に「大蛇坐山(ダイジャクラヤマ)」と出ていて、山名に関する話が載っている。それによると、この山の山腹に洞穴があるそうだ。洞穴は常に水に満たされていて青黒く深さを測ることができないという。かつて地元民がこの洞穴に入ったとき大蛇の脱け殻を見たそうだ。それ以来地元の人は畏れて敢えて近づかないとのこと。つまり、山中の洞穴に大蛇の脱け殻があったということで、この山に大蛇が棲むという伝説が生じ山名が付いたらしい。ちなみに、高畑氏はこの山に「高岩」という山名を宛てている。この山は北側や北西側が切れ落ちているので、群馬側から眺めると山頂部が岩峰のように見える。山容から江戸時代山中領楢原村では「高岩」と呼ばれていたらしい。また、原氏はこの山に「北ノ窪ノ頭」という山名を宛てている。これは信州側からの呼び名で、三川上流部現在の奥三川湖北東側にある沢名から来ているようだ。]

1790P西側付近から西方向、1847P〜石仏・弥次
 それから西には、これから歩く上信国境尾根の山並みが望める。手前左に見えるピークが1847mの標高点ピークらしい。上野信弥氏の『関東ぐるり一周山歩き』(白山書房刊)やネットの記録などによると展望があるとのこと。これは多少期待できる。

笹刈りされたルート、残雪あり  そこからは笹が刈られたルートを進むようになる。このあたりは以前は深い笹ヤブになっていたそうだ。営林関係者が簡易的に切り開いたらしい。ルート上には雪が結構残っていた。

 雪面にはシカの足跡が多数付いている。この県境付近もかなり生息しているようだ。それから、人の足跡も付いていた。単独者のようなので、多分長野側の林道から登ってきたのだろう。ネットに上がっている記録によると、最近はこのあたりの県境線を歩く人が多いらしい。

ルート上には放置された間伐木あり  ルートは一時的に県境から外れて長野県側のカラマツの植林地を下るようになる。笹刈りされた道は放置された間伐木によって一部不明瞭になっているので、それらを乗り越えながら進む。途中、荒れた笹地でルートを見失う。しかし、適当に笹を漕いで行くとすぐにシカ道のような踏み跡が見つかった。

 広尾根状の鞍部を過ぎ少し北西寄りに斜面を登って行くと、再び県境沿いの刈り払いされた尾根ルートを進むようになる。このあたりの尾根沿いには黄色テープの目印が表示されていた。

1766P付近、前方(西)に1847P〜石仏・弥次  笹地に切り開かれた尾根道を西方向へ登って行くと、いくらか展望のある地点に着く。前方には石仏・弥次ノ平方面へつづく山尾根、後方には大蛇倉山が見える。GPSは1766m地点付近を示した。ここで小休止。

 今回は林道歩きが長かったので、先ほどからねくらハイカーの両脚に痛みが出てきた。このまま無理をして歩くと攣ってしまうので、大腿部をマッサージする。老い耄れのポンコツハイカーは、ここからは痛みが出ないようにゆっくり行くしかない。これでまたペースが落ちそうだ。気温は相変わらず2℃ほど。北風はそれほど当たらない。笹地の雪はきれいに消えていた。

県境ルートから左下(南)方向、カラマツ林越しに奥三川湖の湖面あり 前方(西)に1847P  休憩後、南西寄りの方向に下る。この付近では笹が背丈以上になっているところもある。しかし刈り払い道が通っているのでハイキング気分で歩くことができる。風は弱く暖かい。

 前方には次の1847m峰が間近に見える。それから左下(南)には落葉したカラマツの樹林越しに奥三川湖の湖面の漣がキラキラ輝いている。この長野側は穏やかなカラマツ林になっているが、右下(北)の群馬側は険しい感じの日陰の谷になっている。県境を挟んでまったく対照的だ。このあたりには青いビニール紐の目印が表示されていた。

1766P西側鞍部付近、食害の観察地(?)  そこからなだらかな鞍部に下ると、長野県側の斜面に笹刈りされた区画が見えた。そこにはグラスファイバーの支柱や樹脂ネットなどが設置されている。よそ者ハイカーは何のためのものかわからない。

 そこで、刈り払いされた斜面をよく見ると、カラマツの苗木が植えられていた。どうも、シカの食害を調べるための観察地らしい。カラマツの苗木は小さくて何か貧弱な感じがする。これは春先に新芽を食べられたのかもしれない。

1847Pめざして西へ  鞍部からまたダケカンバなどの雑木類が多い斜面を登る。脆弱ハイカーは脚に痛みが出ないようにゆっくり行く。このあたりには番号のあるコンクリート杭が打たれていた。境界標らしい。

 休み休みダラダラ行くと、やがてススキが生えてカヤト状になった平坦地に出る。山頂かと思ってGPSを覗くと、1847m峰の山頂部東側付近を示した。山頂はもう少し西側にあるようだ…。

1847P山頂付近、休猟区の看板(群馬県設置)あり  そこからまた西へトボトボ進む。4、5分ほど尾根筋を登ると前方にいくらか岩場っぽい感じのところが見えてきた。

 そこでそこを一跨ぎで直登して行くと、上の立木付近に群馬県が設置した休猟区の黄色看板が表示されていた。看板には「1847P」とマジック書きされている。

1847P山頂に山林局補点標石あり、後方に大蛇倉山〜高天原山(奥中央)  本当にここが山頂かいなと思ってその先へ進むと、何やら古い感じの石柱が地面に倒れていた。石柱の側面には「補點」という刻字が見える。アレ、これは先人のネットの記録にあった山林局の補点の標石だ。ということは、やはりここが1847m峰の山頂だ。

 まずは、倒れていた石柱を立てて写真を撮る。

南東方向、奥手前に1935P〜東沢ノ頭(中央)〜、左遠方に三宝・ミズシ・富士見 北西方向、石仏・1860P(手前)の山並み、右端奥にツギノス  この1847m峰は南側の見晴らしがいい。上信国境線上の大蛇倉山や高天原山(所並ノ頭・蟻ヶ峰・蟻ヶ峠)方面がよく見える。それから、三川左岸の山尾根の後方に奥秩父の山並みを見通すことができる。

 北側は落葉した雑木林越しにこれから進む予定の上信国境の山並みがいくらか見える程度。

西側に別の標石あり  ところで、この山頂部には補点の標石から5、6mほど西側に境界標のコンクリート杭や別の御影石の標石が設置されていた。そして、この標石の側面にはなぜか「主」という字が彫られていた。

 アレ、これは何だろう。主三角点の標石かな…?明治時代に設置された主三角点の標石は角が丸みを帯びているのだが、これは少し荒削りな感じで角張っている。営林署が置いたものだろうか…。

 しかしよく考えてみると、補点の標石が置かれているところに主三角点があるのはちょっとおかしい。主三角点や次三角点を補うための補点ということなので、明らかに矛盾している。標石の形状も違うので、どうも設置された時代が違うようだ。明治時代に山林局が補点を設けたこの地点に、のちの時代に管轄の営林関係者が改めて測量をし直して、新たに主三角点を設けたのかもしれない。素人ハイカーはそのように都合よく解釈して、ひとり合点する。

山頂から北西側の踏み跡へ、※ルートミス  休憩後、次の等高線で1800m圏のピークへ向かう。地図の県境線はこの1847m峰から北へ向かっているのだが、北西側に踏み跡があるのでそちらに下ってみる。少し下ると、立木に古いビニール紐が付いていた。先人の目印があるということでで、この尾根ルートで間違いないだろう。安心して下る。

 微かな踏み跡に沿って下って行くと、カラマツの植林地を進むようになった。左下には相変わらず奥三川湖の湖面が落葉したカラマツ林越しに煌いている。午後の柔らかい日差しを浴びながら陽だまりハイク気分で下る。

 しかして快調に下って行くと、そのうちに踏み跡が怪しくなってきた。さらにそこから10mも下らないうちに踏み跡はプッツリ消えてしまった。アレ、おかしいなと思い、GPSで位置を確認する。すると、1847m峰の北西側の1780m付近を示した。アレ、やっぱり長野側に下ってしまったようだ。こりゃー、ダメだ。ルートミスだ。山頂からの踏み跡は植林地の作業道らしい。

カラマツ林の山腹を東へ  これは山頂に引き返さないとダメか…。しかして、バテバテのへタレハイカーが山頂へ登り返すにはちょっときつい。

 そこで、そこからは山腹を東へ水平にトラバースして県境ルートに戻ることにする。1847m峰北面は日陰になっているので、斑状の残雪面になっていた。このカラマツの植林地は傾斜が急だが、ヤブが少なく比較的歩きやすい。

1847P北側鞍部付近、北へ  途中から少し下り気味に進むと、間もなく尾根の鞍部に着く。GPSは1847m峰北側の県境付近を示した。ねくらハイカーはここから再び県境ルートを北へ辿る。

 この鞍部付近にも微かな踏み跡が通っていた。やはり、多少なりとも歩く人がいるようだ。

岩稜っぽい県境付近、ルート不明  そこから尾根沿いをゆっくり登って行くと、途中、細い踏み跡が左の山腹へ分岐しているところがあった。ここは県境線を忠実に辿るのが目的なので、尾根ルートをそのまま北へ進む。

 さらに少し登ると、尾根沿いはいくらか岩稜っぽくなってきた。両側が少し切れ落ちているので、ここは岩稜沿いを進むしかない。先ほどの分岐道はこの岩稜部を巻くためのものだったようだ。今さら戻ってもタイムロスとなるので、直登気味に岩稜部を進む。

1800P南面から南方向ふり返り、正面に1847P
 途中、樹間が開けたところから後方(南)をふり返ると、先ほどの山林局の補点標石がある1847m峰が見えた。ねくらハイカーはあの山頂部から右の尾根筋に下ってルートミスをしたわけだ。まぁ、今回は初めてなので仕方ない…。

1800P山頂付近
 そこからさらに尾根沿いを進むと、シラビソ・モミ・ヒメコマツなどの針葉樹やシャクナゲが多いピーク地点に出る。地形図の等高線で1800m圏ピークの山頂だ。ここは樹木が茂っているので見通しがよくない。一息つき、すぐに北側へ下る。

北西側のシャクナゲのヤブに下ってルートミス  周りの樹木に先人が付けたような目印はないので、自分の勘で適当に下ってみる。しかして、岩場のようなところから5、6m下ると、シャクナゲのヤブの中を下るようになった。ヤブの中には人が歩いたような踏み跡はまったくない。どうも、ルートミスらしい…。

 そこで再度GPSを出して確認すると、1800m峰の山頂からまたもや北西方向へ下っていた。アレ、またルートミスだ。こりゃー、ダメだ。

 仕方ないので、そこからはGPSの画面を見ながらシャクナゲのヤブの斜面を東へトラバース気味に進んで県境に戻る。やはり、こういう見通しの利かないところを盆暗ハイカーのへぼ勘で進むのは無理がある。ここからは地図やGPSやコンパスを見ながら北へ進む。

1800P北側付近、県境を北へ  県境付近のスズタケのヤブにはシカ道のような微かな踏み跡が通っていた。まずはその踏み跡を追う。このあたりはいくらか積雪していた。地形図を見ると、県境線は次の1754m地点で西方向へ曲がっている。とりあえずGPSで確認しながら踏み跡を辿る。笹ヤブの中には倒木などもあるので適当に避けながら行く。

 踏み跡に沿って北へ下って行くと、途中で細い踏み跡が左(西)に分岐していた。GPSは1754m地点付近を示している。県境ルートはこの細い踏み跡かもしれない…。しかし、今まで辿ってきた明瞭な踏み跡はさらに北へ延びている。ここはそのまま北へ進む。

 しかして、そこから10mも進まないうちに踏み跡はヤブの中にプツンと消えてしまった。やはり、先ほどの左へ分かれる踏み跡が県境ルートらしい…。そこで南西方向に笹を漕いで戻り、ひとまず細い踏み跡を追って西寄りの方向に進んでみる。20mほど進むと、笹地の中に人が歩いたような明瞭な踏み跡が現れた。やはりこちらが県境ルートだ。

県境を西へ(1754m地点西側付近)、前方に1860P  穏やかな午後の日差しを受けながら県境の尾根筋を西へトロトロ進む。そのうちに前方の樹間に石仏東側にある等高線で1860m圏のピークが見えてきた。

 多分あの峰の後方に石仏の山頂部があるはずだ。時刻はすでに午後2時をまわっている。冬の日は短い。午後4時過ぎには日が翳ってしまうので、どうしても4時頃までには群馬側の中之沢林道に降りないとマズイ。ここから石仏まで1時間はかかりそうだ。これは石仏まで行くにはちょっと厳しいかもしれない…。そんなことをグダグダ考えながら笹ヤブの中を進む。

1754m地点西側の尾根沿いから左後方(南)ふり返り、1800P〜1847P  途中でまた左後方(南)をふり返ると、先ほど下りでミスった1847m峰と1800m峰が並んで見えた。

 県境線はあの二つの峰を通っている。もし県境ルートを北から南へ進めば、あの二つのピークを目視しながら歩けたわけだ。今回、方向を逆に歩けばルートをミスることはなかったかもしれない…。そんなことをまた反省気味にくどくど考えながら行く。

1710P付近、立木に標識あり  さらに胸丈ほどの笹地を西方向へ進んで行くと、やがて周囲の笹が刈り払われていくらか見通しのある地点に着く。等高線で1710m圏のピークだ。

 ここでちょっと立ち止まって何気に傍らの立木を見上げると、白木の標識が掛かっていた。それをよく見ると、「[会所]1,700m?」と書かれている。それから、その下には「2010.12.05(日)フジオカ.T.K」ともある。

 アレ、これは最近群馬の山でよく見かけるフジオカ.T.K氏の標識だ。今回はテープ標識ではなく、木製標識だ。これにはちょっと驚いた。

1710P付近の立木に表示されたフジオカ.T.K氏の標識  立派な標識なのだが、ねくらハイカーとしてはこの地点に「会所(カイジョ)」の標識を付けるのは問題だと思う。フジオカ.T.K氏は、おそらく昭文社の地図やネットの記録等を参考にしてこの1710mピークに標識を設置されたのだろう。しかし、ここは「会所」という地点ではない。「会所」は現行の地形図で破線道のルートが通るここから少し北側の鞍部付近をいう*。先人が付けた標識ということで、よそ者ハイカーが勝手に撤去することはできない。ここはそのままにして、小休後、その「会所」という北側の鞍部へ下る。

[*昔の陸測図ではこの北側の鞍部に1705m独立標高点が置かれていた。原氏の著書や戦前の案内書や紀行文などでは、この独標鞍部を「会所」としている。昭文社の山と高原地図『西上州』旧版(初版を除く全面改訂される前の版)では、北側の鞍部に黒点を付け、この1710mピーク付近に「会所」の文字が表記されていた。しかし新版ではなぜか黒点が省かれ、「会所」の文字が残るのみ。そこで、フジオカ.T.K氏はこの1710mピークを「会所」と誤認されたようだ。]

「会所」と呼ばれている鞍部(1700m付近)  薄っすら積雪した踏み跡を北西寄りに少し下ると、やや荒れた感じの笹ヤブの平坦地に降りる。ここが、いわゆる「会所(カイジョ)」だ。現行の地形図の等高線で標高1700m付近。ここは昔の上州と信州を結ぶ峠道が通っていたという。陸測図や現行の地形図等にそのルートが破線で描かれているが、早い時期に廃道になったらしい*。よくわからないが、「会所」という漢字表記から考えると、昔ここで上州と信州の物産品の取り次ぎが行われたのかもしれない。

[*上野村の中ノ沢と信州側の南相木村の三川を結んでいた峠道で、大正元年測図の五万分ノ一陸測図『十石峠』から現在の国土地理院の五万分の一地形図『十石峠』や二万五千分の一地形図『浜平』まで明瞭な破線道としてそのルートが表記されている。

 しかし、この峠道については、山岳界で高名な登山家の大島亮吉氏が執筆した記録文「小倉山」(『山岳』第二十年第一号〔大正15年刊〕所収)によると、「長野県南相木村三川村より三川を遡り独立標高点一七〇五米の国境山稜上の凹部を越え、群馬県多野郡上野村字中ノ沢に到る小径は現今通行者絶え路痕なき程なり」と南相木村上栗尾(現上栗生)の里人から聞いたということなので、すでに大正時代には廃道になっていたらしい。

 同じく大正時代に西上州近辺を旅した高畑氏も浜平でこの峠道がほとんど荒れ果てて通行できないという話を耳にしたという。ちなみに、高畑氏は江戸時代に信州松本藩で編纂された『信府統記』を参照してこの鞍部に「コレイ峠」という峠名を宛てている。「コレイ」は山野草のオオバギボウシのことらしいが、詳細なことは不明。

 この峠道を歩いた記録としては、遭難物の著作で有名な春日俊吉氏の紀行文『奥秩父の山の旅』(登山とスキー社 昭和17年刊)に信州側を歩いたものが出ていた。それによると、春日氏が三川村の宿の主人にこの峠道の様子を尋ねたところ、「さァ、歩けるかねえ。荒れてるで?」と小首を傾げる程だったという。春日氏一行は会所という峠の名に惹かれて三川沿いの地図の道を登って行ったらしい。何とか国境付近に辿り着いたものの、「峠なんて感じは全くない。会所峠は、うつかりすると何処が頂上だか判らずに通過して終ふ。私自身がだいぶ上州側へ降り加減になつて、苦笑して元へ引返した位である。」と峠の感想を述べている。つまり、昭和の初めの頃にはまったく峠道の形態を成していなかったようだ。

 またこの峠道について、原氏は戦後の『奥秩父研究』(朋文堂 昭和34年刊)で「地図の径は東へ横手にまき、会所へ達して上州へ越しているが、いまは会所までようやくで、上州の方は跡形もない。信記にも『コレイ峠、相木村より上野国楢原村ノ内、白井へ五里…』と書いてある古道で、三〇年前までは駄馬が通ったというから、恐らく秩父の十文字峠や松尾坂以上に変化があり、そして奥深い峠路であったことと想像されるのである。」と述べている。]

「会所」付近、群馬側の笹ヤブの斜面  時刻はそろそろ午後2時半。ここから石仏の山頂へ進むと、群馬側の中之沢林道の方へ下る頃には途中で日が暮れてしまう。当初の計画としては石仏に登ってから再び東側の1860m峰に戻り、そこから地図の破線道が通る群馬側の支尾根に下って中之沢林道へ降りようと考えていた。とうの昔に廃道になった地図の破線道のルートは、ここから右(北西)の群馬側の山腹に通っているわけだが、実際やはり背丈以上の笹の密ヤブ帯になっていて踏み跡らしきものはまったくない。この「会所」地点から地図の破線道ルートを辿ることはかなり難しい感じがする。

 ここは一旦1860m峰の東側の山腹まで登り、そこから北東方向の破線道が通る尾根筋へ一直線に下ればルートミスすることはないだろう。そのように考えて、小休後、「会所」から県境ルートの踏み跡をさらに北西方向へ登る。

1860P東側1790m付近、右下(北東)の群馬側へ下降  背丈ほどの笹ヤブの中に付けられた県境ルートをGPSで確認しながら登る。軟弱ハイカーはすでにバテバテ。脚も攣り気味なのでゆっくり登るしかない。それでも我慢できずに途中で小休止。このあたりは山陰に入っているので気温は1℃に下がっていた。

 そこからまた倒木のある笹地の斜面をヨタヨタ登って行くと、シラビソやツガなどの針葉樹とシャクナゲが多い尾根地点に出る。県境ルートの踏み跡はそこからさらに西寄りの方向へ延びている。GPSは1860m峰東側の1790m付近を示した。地図上はこのあたりから北東方向へ下れば、あの会所からの破線道ルートが通る尾根筋へ下れるはずだ。

 この日陰の寂しげな尾根地点にも立木にピンクテープが付いていた。やはり、営林関係者が歩いているようだ。

群馬側の斜面、倒木が多いシャクナゲのヤブ  ひと息ついてから県境を外れ、群馬側のヤブの斜面に下る。尾根状になっていないフラットな斜面なので、GPSやコンパスで方向を確認しながら北東へ下る。多少積雪してるが、県境付近より少ない。

 しかし、このあたりはシャクナゲのヤブ林になっているので歩きづらい。密ヤブになったところは枝を漕いだり潜ったりしながら下る。それから、苔むした倒木類が多い。避けられない大きな倒木は乗り越えて進む。

尾根筋を北東へ、笹地にシカ道あり  そのうちに雪が消え多少尾根っぽくなってきた。さらに下ると、傾斜は緩やかとなりスズタケが見え出した。そこからはシャクナゲと笹が混生した尾根ルートを進むようになる。笹地にシカ道が通っているので幾分歩きやすい。

 地形図を参照すると、例の会所からの破線道がこの尾根付近に描かれている。しかして、昔の山道が通っていた気配はまったくない。

 それから、このあたりから風が当たらなくなった。これは何か地形が関係しているようだ。

1642P付近
 ほとんど見通しの利かない平坦な尾根ルートを進んで行くと、いくらか上り斜面になり、やがて樹木に覆われたコブ地点に着く。GPSによると、1642m標高点付近。一応標高点ピークというわけだが、標石・標杭などの人工物は一切ない。それから、営林関係者が来たような形跡も皆無だ。

尾根沿いから右(東)方向に午前中に歩いた群馬側の山尾根、奥右端に大蛇倉山  1642m地点から樹林帯をさらに北東側に抜けると急傾斜の下り斜面になった。右(東)側に地形図には出ていない枝尾根が延びているが、ここはGPSやコンパスに従って北東側のフラットな斜面に下る。

 少し我慢して雑木類の枝ヤブを掻き分けながら下って行くと、再び尾根っぽくなってきた。このあたりからは右(東)の樹間に今日の午前中に歩いた尾根筋がいくらか西日に照らされて見えた。それから左(西)の樹間には、上信国境にあるツギノス(赤火岳)の三角峰も確認できる。

山陰の尾根ルートを北東へ
 バテバテのポンコツハイカーは途中でまた休む。気温は−1℃。風が当たらないので、それほど冷たくは感じられない。日は西へ傾いた。日没までに林道へ降りないとマズイ。ゆっくりしてはいられない。すぐに歩き出す。

前方が垂直の岩壁(岩稜帯)となる  そこからまたコブ状の小ピークを過ぎてヤブ尾根を下って行くと、突然前方が岩壁になった。岩壁は10mから15mほどの高さで垂直に切り立っている。地形図には出ていない岩稜だ。これはねくらハイカーには登れない。岩壁はそこからずっと下の方までつづいている。どうも、巨大な岩稜帯になっているようだ…*。

[*後日、地形図等を参照して推測したところ、この岩稜帯は上部が等高線の標高で1460m付近からはじまり、下部の末端部が1400m付近までつづいていた。長さは目測で大体100mから150mほど。地図上の破線道ルートは、この付近では尾根筋に沿って描かれている。しかし実際の尾根は巨大な岩稜帯になっているので、荷物を背負った通行人や駄馬が尾根ルートを進むのは不可能のように思える。もし会所からの峠道がこの付近を通っていたとしたら、ここは北西側か南東側の斜面に巻いていたはずだ。そのように考えると、地形図の破線道ルートは大正元年の測図の時点からかなり不正確なものだったらしい。]

岩壁沿いを東へ 右(東)の樹間に1490P〜1496P〜1520P〜1594P〜1747Pの稜線  ここは右(南東)側の斜面に下れるので、そちらに巻く。まずは岩壁の基部に沿って東方向に下る。傾斜は結構急だが落ち葉の積もった土の斜面なので何の問題もない。

 落ち葉が厚めに積もった斜面をカサコソ下って行くと、途中、右(東)方向の樹間に今日の午前中に登ったカマガ沢右岸の尾根筋がよく見えた。やはり、西側からは1594m峰(下イセ岩)あたりが目立つ。

茶色い板状節理の岩あり
 岩壁に沿って下って行くと、そのうちに北東寄りに進むようになった。途中、何気に左上をふり返ると、板状の節理になった赤茶色の大岩が見えた。ねくらハイカーは、この岩稜帯はほとんどが石灰岩からできていると思っていたが、他の堆積岩もいろいろ混じっているようだ。残念ながら岩石の知識がない凡人ハイカーには何の岩かさっぱりわからない。

尾根に向かって山腹を北へ
 そこを過ぎると、やがて岩稜帯が終わる。このまま山腹を東へ下ってもいいのだが、傾斜が少しきついので、そこからは左上の尾根に向かって落ち葉の斜面を北寄りに進む。

 ほどなく尾根筋に戻り、そこからまた北東方向へ下る。

スズタケのヤブ尾根を北東へ
 日はすっかり西に傾いて日没も近い。少しペースを上げて下る。そのうちにまたスズタケが茂る尾根筋を進むようになった。

 やがて地図の1362m標高点ピークの南側鞍部付近に着く。計画ではこのあたりから右下(南東)の斜面に下って中之沢林道に降りようと考えていたのだが、周りが枯れたスズタケの密ヤブ帯になっていて下りづらい感じがする。

1362P(鎌ヶ山)への登り  ここはひとまず北東側の1362m峰に登ってみる。この標高点ピークは昭文社の地図には「鎌ヶ山*」という山名が記されている。もしかすると、何かの標識があるかもしれない…。

 そのように考えて急傾斜の山腹をえっちらおっちら登り山頂部に上がる。しかし樹林に覆われた山頂には、標石や標杭などの標識類は一切なかった。地図に山名が表記された標高点峰にしてはあっさりしたコブ状の山頂になっていた。

[*よくわからないが、山名はカマガ沢から来ているらしい。原氏の著書にはこの付近に「釜ノ澤」・「釜ヶ澤」・「釜ヶ渕」等の沢名や地名が見えるので、漢字表記としては「釜ヶ山」がいいのかもしれない。]

1362P北側鞍部付近、右下(東)へ 斜面下に林道(中之沢林道)  そこからまた北側へ下ってスズタケの枯れヤブになった小鞍部に降りる。尾根ルートはさらにつづいているがこれ以上進んでもしょうがない。ここからは尾根を外れて右下(東)に下る。

 スズタケの枯れヤブなった急斜面を適当に掻き分けながら下って行くと、間もなく下の方にアスファルト舗装の林道が見えてきた。中之沢林道だ。

中之沢林道(カマガ沢左岸の山腹付近)を南東へ
 ねくらハイカーの下ってきたところは幸運にもコンクリートの法面になっていなかった。そこで簡単に林道へ降り立つことができた。時刻は午後4時20分。何とか日没前に林道に降りることができた*。ここでひと安心。

[*あとで調べると、この日の群馬県近辺の日没は16:31頃。]

林道から南東・南方向、1594P・1747P・舟留(1815P)〜1766P〜 林道から東・南東方向、1490P〜1496P〜1520P・1594P・1747P〜  そこからは夕闇迫る林道を東の本谷方面へ進む。別段急ぐ必要はないのでゆっくり行く。林道沿いからは本日歩いたカマガ沢右岸上流部の山尾根や上信国境尾根を眺めることができる。

 南の国境尾根は平坦でかなり地味だ。それに対して東の1594m峰(下イセ岩)は際立っている。やはり、このあたりから眺めると、地元の人がこのピークに名前を付けたのか理解できる。また、東の空には十二夜の月がぽっかり上がっていた。

カマガ沢支流付近、右岸に観察小屋・散策路等あり  前方に上信国境尾根、左下にカマガ沢の谷筋を眺めながら下り気味に進んで行くと、やがてカマガ沢支流の土橋地点にさしかかる。そこには立派な高床式の観察小屋(「カマガ沢支流観察小屋」)が建っていた。夏場に野生動物などを観察するための施設らしい。よそ者ハイカーには施設がどのように使われているのかまったくわからない。

 そこから少し上り気味に進むと林道の路面に残雪が見え出した。昼間は日陰になっているところらしい。表面は凍っているので、滑らないように慎重に歩く。気温は−2℃。日は完全に落ちて周囲は薄暗くなってきた。

林道沿いから東に1594P(下イセ岩)、左上に月
 トイレの建物があるところを過ぎ、山腹を回り込んで南方向へ進んで行くと、左(東)に1594m峰(下イセ岩)の特徴的な山影が間近に見えてきた。その付近からは角度的にちょうど岩峰の左上に月がかかっている。岩峰に月。多少風流な感じに見えなくもない。

奥に御巣鷹山トンネル(群馬側)  そこからまた水洗トイレが併設された建物群(「第2自然探査基地」)を眺めカマガ沢本流の土橋を渡る。この地点にも無人の観察小屋(「カマガ沢本流観察小屋」)が1棟建っていた。

 さらに山腹道を次の尾根の回り込み地点まで上がり、再び山腹を南方向へ進む。それから「中之沢自然探索エリア」西入口*付近の車両通行禁止の看板地点を過ぎると、間もなく闇の中に御巣鷹山トンネル(神流川発電所上下ダム連絡トンネル)が見えてくる。

 トンネルの出入口付近は照明が少ないので薄暗いが、トンネルの奥の方はいくらか明かりが灯されてた。このトンネルは現在東電関係者が利用しているようだが、何か寂れた雰囲気が漂っている。

[*地図上の位置からいうと、「南入口」とした方が適切だと思えるのだが、ここは上野村が設置した案内板に従う。]

1594P直下北西側山腹に別のトンネル(作業用連絡トンネル?)あり  そこからは電柱が立つ林道を進む。カマガ沢右岸の山腹を北東へ5、6分行くと、1594m峰(下イセ岩)の真下付近に着く。この1594m峰北西側の山腹には別のトンネル道*が貫通している。4月にここを歩いたときは、まだ掘削工事中のため、林道沿いの埋立地広場には作業小屋や資材搬送用の門形クレーンや倉庫などが建っていたのだが、今回は小さなプレハブ小屋と工事に使用された変電施設が残っているだけでクレーンや他の建物はすべて撤去されて更地になっていた。やはり、掘削工事は夏場に完了したようだ…。

[*トンネルは1594m峰の北西側の林道地点から南東方向に掘削されている。部外者にはまったく不明だが、例の調圧水槽の施設または奥三川湖と奥神流湖を地下で結んでいる導水路トンネルに繋がっているらしい。現在トンネルの出入口は扉が閉められて関係者以外立入り禁止となっている。]

 時刻は午後5時をまわり、周囲は真っ暗になった。夜目で進むのは少々難しい。このあたりからヘッドランプを点灯して歩く。緩やかな上り坂をトロトロ行くと、やがて1496m峰北側の山腹に穿たれたトンネル地点に着く。ここの引き戸式の扉が付いたトンネルから延長林道が1606m峰の山腹まで通じているわけだが、入口には4月と同じように金属チェーンが張られ車両通行止めになっていた。現在はほとんど通行されていない感じだ。おそらく、これも調整水槽施設か導水路トンネルの建設用に開削された道のようなので、現在は巡視用に使われているのかもしれない…。

 そこからまた北東へゆっくり進むと、4月に又尾山から下ったときに歩いた中之沢林道中之沢支線の出入口ゲート地点に着く。ここは山腹道(中之沢林道本線)が中ノ沢と神流川本谷との分水嶺になっている尾根を分断していて一種の峠状の地点になっている。ここでちょっと一息つき、すぐに南東の本谷方面へ下る。こちらの本谷側の林道部分は昼間は完全に日陰になっているようで、路面はテカテカのブラックアイスバーン。非常に滑りやすい。転倒しないように蟹股でそろりそろり歩く。
中之沢林道本谷側ゲート  そこを過ぎて1388m標高点付近の山腹を南西方向に曲がって行くと、ほどなく午前中尾根に取り付いた法面付近となる。このあたりは多少の月明かりになっていた。

 さらにトボトボ下って午前中自転車を乗り捨てた標柱地点に着く。さっそくヤブの斜面から自転車を引き上げ、そこから朝と同じように薄雪が残る林道をゆっくり時間をかけて駐車地点まで戻る。

 今日は尾根の取り付き地点までが長くて目的の国境尾根を少ししか歩くことができなかった。しかし、まぁ何とか群馬側の林道から日帰りで歩けたので、とりあえずヨシとする。


日程2010年12月18日 (土)
天候晴れ 北または北西の強風
行程時刻本谷林道旧道駐車地点(美人平橋付近)6:53→(自転車を転がし新道へ)→(本谷左岸の中之沢林道へ)→中之沢林道本谷側出入口ゲート6:55〜6:57→(上り坂多い中之沢林道を自転車で西へ、途中小休数回、計15分強)→自転車乗り捨て地点(栃倉沢左岸山腹付近)8:25〜8:40→(林道を徒歩で北東へ)→尾根取り付き地点(1388P南西側付近)8:45〜8:46→(斜面を北東へ)→1388m地点付近 8:52〜8:54→(尾根ルートを西へ、途中休憩3分)→主尾根合流地点9:15〜9:16→(南西へ)→1490P(「高360」図根点ピーク)9:17〜9:25→1496P 9:40〜9:42→(南西から南へ、途中休憩5分)→(途中から西へ)→1594P(下イセ岩)10:13〜10:23→(東へ下って尾根ルートを南へ)→1594P南面鞍部(「高361」図根点)10:26〜10:28→(途中、休憩5分)→(南東へ)→(途中、斜面を左に巻いてタイムロスあり、休憩3分)→(尾根ルートを南東へ、途中休憩5分弱)→1747P 11:25〜11:28→(南西へ)→(途中、小休あり)→舟留(1815P)11:53〜12:12→(県境を西へ、小休あり)→1766P 12:43〜12:50→(途中、3分休憩)→1847P(山林局補点ピーク)13:20〜13:30→(北西に下ってルートミス)→(山腹を東へ)→1847P北側鞍部(県境)13:40〜13:42→(県境を北へ)→1800P 13:50〜13:52→(北西に下ってルートミス)→(東へ)→1800P山頂部北側付近13:56→(北へ)→1754m地点付近 14:00?→(踏み跡を北へ辿ってルートミス)→(南西へ戻り)→県境付近 ?:?→(県境を西へ)→1710P 14:17〜14:22→(北西へ)→「会所」(1700m付近県境鞍部)14:23〜14:27→(北西へ、途中3分休憩)→1860P東側1790m県境付近(群馬側下降地点)14:42〜14:45→(県境を外れ北東へ)→(尾根沿いを北東へ)→1642P 15:15〜15:16→(途中、休憩5分弱)→(途中から岩稜帯を巻いて東へ)→(山腹を北へ)→(再び尾根沿いを北東へ)→1362P(鎌ヶ山)16:10〜16:13→北側小鞍部16:15→(東側の斜面に下る)→中之沢林道下降地点(1362P北東側付近)16:17〜16:20→(中之沢林道を本谷方面へ)→カマガ沢支流[土橋]16:27〜16:30→カマガ沢本流[土橋]16:47〜16:48→「中之沢自然探索エリア」西入口16:56→御巣鷹山トンネル(群馬側出入口)付近16:56〜17:00→作業用連絡トンネル(?)地点(1594P北西側付近)17:06〜17:07→扉付き分岐林道トンネル地点(1496P北側付近)17:17→中之沢林道中之沢支線分岐&主尾根分断地点17:22→(本谷側へ)→尾根取り付き地点(1388P南西側付近)17:33→自転車乗り捨て地点17:36〜17:46→(下り坂多い林道を自転車で東へ)→中之沢林道本谷側出入口ゲート18:41→本谷林道旧道駐車地点18:42
備考♦この記録では、HP「等高線の狭間から」・「山ノ中ニ有リ」・「山が一番」の記録および太田山岳会(ota alpine club)のブログの記録を拝見し、参考にさせていただきました。
♦上の行程時刻において、中之沢林道沿いある「中之沢自然探索エリア」の各観察小屋・探索基地等はすべて省略しています。

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