燕巣山から物見山・鬼怒沼



 大正9年(1920年)10月木暮理太郎と松本善二らは日光の湯元から金精峠に登り、上州と野州の国境沿いを辿って鬼怒沼を訪れた*。彼らが鬼怒沼へ行くのに尾瀬や川俣温泉からの一般コースを使わないでわざわざ金精峠から道のない県境を歩いたのには、やはり当時まだ一般的に登られていない県境の山々を登頂するという目的があったのだろう。

(*木暮理太郎 著『山の憶い出』所収「秋の鬼怒沼」参照)
 ねくらハイカーもかつて丸沼に流れ込む湯沢上部の湯沢峠付近から県境の尾根を辿って燕巣山へ登ろうとしたことがある。しかし、あまりの密ヤブで峠から20mほど進んだところで嫌気がさし、登るのを諦めた。

 その後、ガイドブックなどで紹介されていたルートを参考にして四郎沢と違う上流の沢から山腹に取り付き燕巣山へ登ってみた。その際、針葉樹の密ヤブの斜面を苦労して登りどうにか四郎岳と燕巣山を結ぶ尾根の稜線に出たところ、尾根筋には刈り払いされた立派な登山道*が通っていたので吃驚した。

 そのときは呆気にとられながらも燕巣山と四郎岳を往復し、帰りは四郎峠から適当に昔の踏跡を辿って南へ下ってみた。すると、難なく四郎沢沿いに下り短時間で丸沼に降りてしまったので、これまた驚いた。つまり、昔の丸沼と大清水を結んだ四郎峠越えの道が通行可能だったのだ。そして今では四郎岳や燕巣山へ登るのにこのルートが一般的に使われているらしい。

(*東電の巡視路といわれる道)
 それから、近ごろネットでこのあたりの山行記録を拝見したところ、無積雪期に奥鬼怒の物見山(毘沙門山)から燕巣山経由で湯沢峠あたりまで歩かれているものがあった。ということは、大正時代に木暮氏らが歩いたこのあたりの県境の尾根筋が今でもどうにか辿れるようだ。

 そこで今回は丸沼から四郎峠経由で燕巣山へ登り、そこから物見山への県境沿いを歩いてみようと天候が安定した8月上旬に出かけてみた。
丸沼温泉駐車場から四郎岳方面  早朝の国道120号を走り丸沼温泉の駐車場に着いたが、駐車場北側奥には先客のRV車が1台駐車していた。仕方ないので1台分スペースを空けて隣に駐車してみる。

 しかし何気なしに隣の車の運転席に目をやると、今まで仮眠していたらしい中年男性がぬっと起き上がりこちらをジロリと見ている。これはマズイと思い、慌てて南東の広場側に場所を変えて駐車し直す。一般の釣り客は沼寄りの南側に駐車しているので、山歩きに来た人だろう。日が高く昇ってから四郎岳にでも登るのだろうか…*。こちらは今日の行程が長いのでなるべく早く出発しようと準備を急ぐ。

(*後日、この記録をアップする前にネットで偶然この方のブログの記録を拝見した。それによると、前日から車中泊しており当日は山仲間とこの駐車場で待ち合わせ、5人組で四郎沢から燕巣山と四郎岳を登られたそうだ。)

湯沢渡渉地点、奥が四郎沢  まもなく朝日に輝く四郎岳を見ながら駐車場を出発する。先客の車のわきを通り北側の湯沢峠へつづく林道の方へ向かう。

 すぐに車両通行止め遮断機ゲート手前から左の沢沿いへ降りる。湯沢の浅瀬を渡り、左側から流れ込む四郎沢右岸沿いの道に進む。

四郎沢沿いの道  沢沿いは以前来たときよりも針葉樹の幼木が多く生え夏草の雑草も繁っている。秋の七草のフジバカマに似たヒヨドリバナが道沿いに沢山咲いていた。

 やがて砂防堰の工事用につくられた道も終わり、四郎沢沿いの踏跡を辿っていくつか砂防堰を越えて行く。昔は砂防堰の左岸側を辿って下ったのだが、右岸側にもテープの目印が付いた踏跡が通っている。

 適当に沢沿いを進んで行くと、いつの間にかその踏跡を見失ってしまった。仕方ないので沢筋を少し登り左岸の斜面に上がると、明瞭な踏跡が通っていた。やはり左岸側に道があった。

四郎沢最奥の砂防堰  沢沿いをさらに進んで行くと前方に新しい感じの砂防堰が見える。これが四郎沢最奥の堰らしい。

 昔下ったときにはなかったので最近増設されたものだろう。堰を越えて行くと、沢には倒木や流木類が散乱している。大雨が降るたびに流木や岩が押し流され堰の上流部に溜まるようだ。

ナメ状の沢  青テープなどの目印がある沢沿いの道を右岸や左岸に渉りながら上流へ向かう。途中には石積みのケルンやペンキ表示の目印もチラホラ見える。

 沢沿いにはコメツガやアスナロの針葉樹が多い。倒木などをくぐり抜けながら進むと、ナメ状の沢沿いを行くようになる。

下流部の二俣  やがて沢の二俣地点*に着く。ここは左俣の小沢を遡行して行けばよいのだが、右俣をちょっと登った左斜面に昔の峠道の一部が通っている。

 取り付きにロープがありテープなどの表示物が見えるので、その踏跡に入って左俣と右俣を分ける尾根に登る。

(*四郎沢沿いのコースには二俣地点が2ヶ所ある。ここは下流部の二俣。)

針葉樹が多い尾根沿い 十條製紙社有林のホーロー看板  コメツガやシラビソが多い尾根筋には「丸沼〜四郎峠」の道標や「十條製紙*社有林」の銘の入った火の用心のホーロー看板などが見える。この古い看板は昔の丸沼と大清水を結んだ峠道がこの尾根筋を通っていたことを示すものだろう。

(*十條製紙は後に他社と合併し、現日本製紙になった。丸沼高原スキー場を経営している「日本製紙総合開発」はこの日本製紙グループの系列会社だということだ。つまり、昔からこのあたりの山域一帯の利権を旧十條製紙が所有していたらしい。)

左俣の沢沿い  尾根沿いの道で左俣の沢を見ながら登るようになると、やがて踏跡は笹ヤブに消えてしまう。仕方ないので左下の沢沿いに降りる。

 沢沿いにはしっかりした踏跡が付いている。やはりこの沢沿いを歩く人が相当多いようだ。

上流部の二俣 途中、樹間から燕巣山方面  この沢沿いを登って行くと、すぐに左から滝状の流れがある上流部の二俣地点*に着く。ここは左俣と右俣を分ける尾根に登ればいいのだが、右俣側の左斜面にまたハッキリとした踏跡が見える。ここから再び尾根沿いの道に取り付く。

 斜面をしばらく登り、左俣の沢沿いの源流部を登り返して行くと、北東方向に燕巣山が見えた。そこから明瞭な踏跡を辿って朝日に輝く樹林帯の急斜面を登って行く。

(*横田昭二 著『私が登った群馬300山』下巻「219・220四郎岳・燕巣山」の略図ではスダレ滝のある合流地点)

四郎峠  まもなく立木に道標が付けられた峠状の地点に出る。四郎峠(1820m)だ。樹林に覆われ展望はないが、北側は大薙沢源流部の急斜面になっている。大薙沢は沢登りの愛好家によって根羽沢の鉱山跡付近から登られているらしい。

 以前来たときに本当にここから大清水に下る道があったのだろうかと疑問に思ったが、今回峠付近で北側の斜面をよく見ると、西方向へ下る微かな踏跡が見えた。多分大清水への道も大部分は大薙沢沿いを通るのだろうが、昔の峠道が通っていたのは確かなようだ。

峠から東方向  峠からは東方の燕巣山をめざして尾根道を進む。尾根道には東電のコンクリート標石が打たれていて、笹の刈り払いなども定期的に行われている感じだ。やはり東電がこのあたりに発電用の水利権を持っているので、管理用にこのような道が切り開かれたのだろう。

 尾根沿いから左(北)側は樹林でほとんど見えないが、右(南)側は樹間越しに南方の山々がよく見える。

尾根沿いから日光白根山方面  今日はまさに梅雨明けの空で空気が乾いていて、雲ひとつなくくっきりと山々の稜線を見通すことができた。尾根を登り出してすぐに右側の樹間に日光白根山や錫ヶ岳から笠ヶ岳へつづく稜線が目に入る。

 なだらかな登りの道には倒木などもあるが、ヤブもなく歩きやすい。1891m地点のなだらかなピーク付近を過ぎて多少傾斜のある登りにかかってくると、やがて後方には四郎岳の頂も見えるようになる。

尾根道から燕巣山  以前、四郎沢の東側の沢から密林をトラバースして登ったときは、この登りにかかる地点に出た。昔は苦労して登った山も今では四郎峠から容易に登られているようだ。

 尾根道をいくらか登って行くと、前方が開けたところから朝日が差し込んでいて、そこから燕巣山の山頂部が見える。

白根山〜錫ヶ岳〜笠ヶ岳 錫ヶ岳〜笠ヶ岳〜三ヶ峰  またその上の笹尾根付近では南側が開けていて、そこから白根山・錫ヶ岳・笠ヶ岳の稜線が一望の下に見渡せた。下の方には丸沼の深い青色をした湖面も見える。

 さらに少し登ると、笠ヶ岳から西へ連なる稜線に三ヶ峰のピークが確認できた。先月登ったときは天気が悪く三ヶ峰で引き返したが、今日あたり登っていれば笠ヶ岳まで行けたかもしれない。

西方に四郎岳  白根方面の山並みを眺めながら急斜面の道を休み休み登って行くと、中年男性の単独者が降りてきた。

 この絶好のハイキング日和で今までひとりの登山者にも会わなかったのが不思議なくらいだが、やはり先行者がいたようだ。

 立ち止まって軽く挨拶して別れたが、早朝丸沼から登った人らしい。これから四郎岳に登るのだろう…。

カニコウモリなどが生えた上部の緩斜面  登るにつれて登山道の傾斜はきつくなる。コメツガやシラビソそしてアスナロなどの針葉樹が生えた斜面は日陰になっているので、多少暑さを凌ぐことができる。山腹を吹く微風も乾いているので気持ちがいい。

 急斜面を登りきると、多少なだらかな草地の道になった。黒土の登山道はかなり歩かれている感じだ。道端の刈り払いされた笹地にはシダや小さな白い管状の花のついたカニコウモリの群落が見える。

燕巣山の山名板の標識  いくらか朝日で明るくなってきた尾根沿いを東へ進んで行くと、また傾斜のある登りになった。

 それから程なくなだらかな笹地に出た。周りの立木に山名板の標識が付けられている。ようやく燕巣山の頂上(2222m)に着いた。ここは三角点ピークではないので、代わりに東電の古いコンクリート標石が打ってある。

山頂から金精山・五色山・白根山方面  山頂からは相変わらず日光白根山や錫ヶ岳方面がよく見える。南東方向に目をやると、金精峠の鞍部越しに男体山もチラッと顔を出しているのが見えた。北側は樹林で見えないが、北東方向には鬼怒川上流の谷が見える。谷の左には鬼怒沼のあるなだらかな山尾根、右には大嵐山や根名草山へつづく尾根の稜線が見える。

 大正時代に木暮理太郎が展望を期待して南東側の深い笹ヤブからやっとの思いで燕巣山に登りついたところ、頂上は樹林と笹ヤブに覆われていてほとんど眺望が得られずがっかりしてしまった。現在では白根方面の展望があるので、後に山頂南側の樹林が伐られ笹も刈り払われたようだ。

 それにしても南東側は今でもかなり深い笹ヤブになっている。ネットの記録には湯沢峠から燕巣山へ登っているものもあるが、実際にこの笹ヤブを登るとなるとさぞかし大変だろう。

鬼怒沼山・黒岩山方面 大嵐山・根名草山方面  燕巣山からは群馬栃木県境を北東方向へ進む。北東尾根も南東尾根同様深い笹ヤブの斜面になっている。ネマガリダケの笹ヤブは登るのは大変だが、下るだけなら何とか下れる。

 朝日を浴びながら胸丈から腰丈ほどの笹ヤブの斜面を下って行くと、東方向に大嵐山や根名草山の特徴的は姿が見えてきた。また、北東方向には鬼怒沼のある台地状の尾根が見える。鬼怒沼のある山並みの後ろにはなだらかな山があるが、あれが黒岩山あたりだろうか。今日は遠方まで雲ひとつないので、福島栃木県境の帝釈山あたりまで見渡せる感じだ。

県境沿いから物見山、後方に赤安山の稜線(ズーム画像)  北東尾根を下る途中、左側の樹間から北方向にこれから向かう物見山(毘沙門山)が見えた。

 栃木側の笹ヤブを下って行くといよいよ笹が深くなり歩きづらくなってきた。そこで左の県境沿いに方向を修正して下って行く。群馬側はツガやシラビソの樹林帯になっていてそれほど深い笹は繁っていない。県境沿いを上手く下れば効率よく下れそうだ。

 途中、北西の樹間越しに遠く尾瀬の燧岳が見えた。雲ひとつかかっていないので、今日燧に登っている人は尾瀬の展望を楽しんでいることだろう。

大嵐山〜根名草山〜2326P〜温泉岳 最初の鞍部  さらに倒木のある笹ヤブやシャクナゲのヤブを抜けて下って行く。途中、南東方向をふり返ると温泉ヶ岳から根名草山や大嵐山への稜線を見渡すことができる。

 やがて最初の鞍部に着いた。木暮理太郎ら一行もこのあたりで休憩したらしい。また、2003年秋に物見山から燕巣山へ歩いた人たちもこのあたりの鞍部でツェルト泊したようだ。笹も浅めでホッとするような感じのところだ。

樹間から物見山方面 2130P山頂付近  鞍部から左の群馬側の斜面は笹が少なめで多少歩きやすい。なるべく尾根をはずさないようにして県境の群馬側を登る。

 次のピーク(地図の等高線でいうと2130m峰)をめざして登って行くと、再び左前方の樹間に物見山が見えた。

 そこから少し登ると2130m峰の山頂付近を過ぎる。このあたりの針葉樹の樹林帯にはシラビソやコメツガの他にわずかにオオシラビソも生えている。

前方左方向に三角点ピーク(?)  県境の尾根沿いも深い樹林に覆われているので、次のピーク(地図の等高線でいうと2100m峰)は見えない。しかし、2130m峰の下りにかかるあたりから前方左にピークが見えた。方向の角度からすると、この県境では唯一の三角点があるピークらしい。斜面をよく見ると、南西側にガレ場の崩壊地があるようだ。

 そこからまた多少とも歩きやすい北西の群馬側の斜面を下る。シラビソの樹林帯には微かなシカ道のトレースが横に走っている。

 時折尾根沿いに登り返し栃木側を見ると、大嵐山や根名草山が右後方に見えるようになった。

次の鞍部付近  また鞍部に降りた。2130m峰と2100m峰の中間付近だ。樹間から右の南東方向をふり返ると、奥白根の特徴的な頭部が燕巣山南東尾根の2083m峰付近の上に出ているのが見える。

 一息ついて再び登りにかかる。このあたりの尾根沿いにはシカの歩いた明瞭な踏跡が付いていた。シラビソやコメツガなどの針葉樹の森にはダケカンバやブナなどの広葉樹も疎らに生えている。

尾根沿いから2100P  尾根沿いを登って行くと、ようやく前方に次のピークの2100m峰が見えた。このあたりからシャクナゲが足に絡み出してきたので急にピッチが落ちてくる。笹は漕いで行けば何とか進めるが、シャクナゲは足に絡んでくるので枝をはずすのに手間取り時間がかかる。

 時々尾根沿いの日陰で休憩しながらトロトロ進むしかない。

2100Pから南東方向、根名草山〜金精峠〜白根山  やがて岩の多い急斜面になった。傾斜が急なので斜面を巻いて行けない。ここは尾根を直登して行くしかないようだ。

 シャクナゲの密ヤブを越えて岩稜っぽい尾根を苦労して登って行くと、ようやくピーク付近に着く。

 2100m峰の山頂から北側に展望はないが、南東方向をふり返ると、根名草山から奥白根まで一望の下に見渡すことができた。苦労して直登した価値があったようだ。

前方右方向に2091P(?)  そこからまた密ヤブの尾根沿いを北へ進む。少し行くと前方の樹間越しにピークが見えた。方向からすると、次の三角点ピークではなく、その先の2091m峰らしい。

 さらに進むと、県境の尾根沿いはまたヤブが深くなってきた。そこで左(西)側の斜面の樹林帯を進むことにする。樹林帯といってもシャクナゲがうるさく進むのに時間がかかる。

小鞍部手前の樹間から三角点ピーク(2099P)  どうにか小鞍部を過ぎて行くと、シラビソとシャクナゲの密ヤブの急斜面になった。この斜面を登ったピークに三角点があるはずなので、西側斜面を巻いて行くわけにはいかない。

 南側の尾根筋は密ヤブのヤセ尾根状になっているので、南西側の崩壊地の斜面からシャクナゲの枝を掴んで直登してみる。しかし途中から猛烈な密ヤブになり、ルートの選択など不可能になってしまった。

 そこでやむなく南側の尾根筋へ突入する。腕の力で身体をヤブの上に引き上げ、足に絡みつくシャクナゲと格闘しながら進む。

2099P三角点の標石  シャクナゲとコケモモの密ヤブをどうにか押し分け進んで行くと、南側の山頂付近に出た。

 シャクナゲが密生する山頂部にはバッチリ三等三角点の標石が見える。予想通り、この山が標高2098.7mの三角点ピークだった。しかし、長年の風雪の影響かわからないが、標石は斜めに曲がって打たれていた。

2099Pから燕巣山(ズーム画像)  山頂から南西をふり返ると、朝方下ってきた燕巣山の頂をここではじめて眺めることができた。

 南東には相変わらず根名草山・大嵐山が見えるが、大嵐山の左後方に2つほど山尾根が重なって見える。高薙山の北東尾根と遥か遠くの女峰山の尾根らしい。

 また、大嵐山から北にのびる尾根の後方に手白山のある山尾根も見える。今日は天気に恵まれたので展望は抜群だ。

前方に鬼怒沼・鬼怒沼山方面 尾根沿いから2091P  山頂部を北へ進む。右側が開けたところから鬼怒沼方面も確認できる。尾根沿いのシャクナゲはやや少なくなるが倒木が多い。前方に間近になった次の2091m峰が見えた。そこからまたシャクナゲの多い歩きづらい尾根になる。

 そこで尾根沿いをはずし、群馬側の北西斜面寄りを進む。前方左方向に樹間越しで物見山がチラホラ見える。このあたりに来てねくらハイカーは少々バテ気味になってきた。先ほどの密ヤブの登りで相当体力を消耗したようだ。日陰の斜面で10分ほど休憩する。気温は20℃ほどになっていたがそれほど暑くはない。

2091P山頂部付近  それから鞍部に下り、小ピークを越え再び鞍部を過ぎる。日陰の斜面にはギンリョウソウが見えた。それから急斜面の登りになる。ヤブが比較的少ないので歩きやすかった。

 やがて地形図の2091m地点のピークに登りつく。樹林に覆われほとんど展望がないが、北東方向に鬼怒沼後方の2141m峰の山並み*が見える。

(*本来はこの付近の山一帯を鬼怒沼山と呼ぶべきだが、最近では厳密に北側の三角点があるピークを鬼怒沼山とするらしい。)

2091P山頂尾根から鬼怒沼の2141P方面  山頂尾根を北方向へ進む。前方の樹間越しに次のピーク・物見山が見える。このあたりから再び笹ヤブが多くなってきた。

 山頂部から北へ緩やかな傾斜の尾根を下って行く。深い笹ヤブの尾根沿いには倒木が多くて歩きづらい。そこでまたまた北西の群馬側の斜面を進む。

 左前方には依然として樹間越しに物見山がチラホラ見える。時折北西方向に遠く尾瀬の燧岳も見えた。

最低鞍部付近  やがて広尾根の下りになる。笹は胸丈から背丈ほどになってきた。小さな鞍部を過ぎてまた少し登る。それから再び下り気味にダラダラとヤブ尾根を進むと最低鞍部になる。

 鞍部から北方向への登りは笹が深く実に歩きづらかった。胸丈から背丈ほどのネマガリダケを漕いで登るしか方法がない。最初は西側の斜面を進むが倒木が多い。そこでまた県境の尾根沿いを進むことにする。

物見山への登りからふり返り、燕巣山方面 ふり返り、燕巣山〜四郎岳方面  なるべく笹が疎らなところを歩く。しかし尾根沿いもやたら倒木が多く、ヤブも深くて歩きづらい。途中、笹ヤブの中で小休止する。

 そこから南西方向をふり返ると、遠く燕巣山から辿ってきた山尾根が見えた。燕巣山の右には四郎岳も見える。やはり燕巣山から物見山の間にはこれといって特徴的な高い峰がないので、歩く人もいないということが実感できる。

県境のヤブ尾根から鬼怒沼方向  そこからまた背丈上の深い笹を漕ぎながら倒木の多い尾根沿いを遅々たる歩みで進む。途中で休み休みしながら登って行くと、徐々に北西方向への登りになる。

 尾根沿いから右に見える山は鬼怒沼後方の2141m峰らしい。木暮理太郎らは物見山を登らずにこのあたりから東側へトラバースしたようだ。彼らは途中の沢でのどの渇きを癒し、針葉樹の森を抜けショートカットして鬼怒沼に辿り着いている。

 ねくらハイカーは小心者なので地道に県境のヤブ尾根を辿るだけだ。

物見山山頂部  少し登ると笹地が開けたところから物見山の山頂部が近くに見えた。目標にしてきた峰が間近に見えたので、いくらか元気が出てきた。

 倒木を越えながら笹を漕いで急斜面を登って行くと、いくらか傾斜が緩くなってきた。

登りついた物見山の山頂付近 山部氏の山名板  ハリブキなどが生えた笹ヤブを進んで行くと、ついに登山道が通る物見山(毘沙門山)の山頂(2113m)付近に出た。登りついた地点から右(東)へ2、3m行ったところが山頂らしく、周りの立木に山名板の標識が付いていた。

 物見山も三角点ピークではないので標石などはない。また、山頂部は樹林に囲まれているので「物見」とは名ばかりで、夏場はほとんど展望がない。一息ついてすぐに東へ下る。

鬼怒沼分岐地点  登山道の下りから右下に鬼怒沼の湿原が一瞬見える。さらに下って傾斜の緩やかな道沿いから北側の樹間に燧ヶ岳方面が見えた。燧の右には袴腰山や赤安山を確認できる。午後からいくらか雲が出てきたようだ。気温も25℃になっていた。

 シラビソやコメツガなどの針葉樹と広葉樹の雑木が混生した樹林帯の道を東へ辿ると、やがて鬼怒沼の分岐地点に着く。そこから右へ曲がり湿原を通る木道へ進む。ねくらハイカーは以前3回ほど鬼怒沼を訪れたことがある。尾瀬と比べると見劣りはするが、山上に小ぢんまりとした上品な湿原がある。

木道沿いにワタスゲ 湿原から物見山方面  鬼怒沼の湿原にはタテヤマリンドウやキンコウカなどその他諸々の高山植物の花々が咲いていた。今年は梅雨明けがいくらか遅かったので、開花が遅れて今が見ごろのようだ。

 木道わきにはワタスゲの群落があり、ちょうど綿毛の実が湿原を渡る微風に舞い始めていた。

北西方向に、燧ヶ岳(奥左)・袴腰山(奥) 南東から南方向、大嵐山・根名草山〜白根山  湿原から東方向には先ほど降りてきた物見山、北西方向には遠く燧ヶ岳や袴腰山、南東から南方向には大嵐山・根名草山そして日光連山の盟主・奥白根が見える。

木道沿いの金沼付近から2141P方面  また、北東方向に2141m峰のなだらかな山並みを背景にした池塘の眺めも素晴らしい。それから目を凝らして南西方向を見ると、先ほど辿ってきた県境尾根の一部が見えた。やはり、鬼怒沼からは誰にも気づかれない誠に地味な山尾根だ。

 今日は土曜なので、木道を湿原中ほどまで進んで行くと行楽客やハイカーが10人ほど休んでいた。さらに奥鬼怒温泉方面から登ってきた2、3グループの計15人ほどがこちらへ歩いてくる。そこで軽く会釈をしてすれ違う。温泉地から鬼怒沼へ日帰り見物に来た人たちがほとんどだろうが、避難小屋に泊まる人もいるらしい。

 湿原の中ほどにある木道の分岐から南東側へ周って行く。まだ8月上旬というのに湿原はすでに薄っすら草紅葉の様相を呈していた。鬼怒沼の秋の訪れも早いようだ。

 分岐の木道が再び本道と合流すると、鬼怒沼の案内板が設置された湿原の南端部に着く。ここからは温泉地方面への下山路となる。針葉樹の多い樹林帯を通る登山道には「鬼怒沼〜奥鬼怒温泉」の道標が整備されている。

 路面が抉れたところには木道や階段状のステップがつくられていて、登山道は以前歩いたときより格段に歩きやすくなっていた。やはり鬼怒沼は奥鬼怒温泉郷の観光の目玉なのだろう。

 途中の急斜面にかかる道沿いには綱引きの競技で使われるような太い補助ロープが張られていて、軽装ハイカーでも安心して歩けるようになっている。それだけ今では鬼怒沼を訪れる人が多いようだ。
 かつて木暮理太郎がこのあたりを下ったときは、鬼怒沼からの下降ルートを知っている案内人を連れていなかった*。そこで彼らは途中の崖沿いの行き止りで迷ってしまう**。やむなくその絶壁付近でビバークして翌日涸れ沢を登り返し、鬼怒沼の東側の山腹から東へ下った。そして日光沢の沢沿いから苦労して鬼怒川沿いの渓谷へ下り、川俣温泉に降りている。

 それから、大正13年(1924年)の夏に武田久吉の一行が尾瀬沼からの帰りにここを下ったときは、日本山岳会の人が同行していたので迷わずに谷沿いを奥鬼怒の温泉地に降りている。

( *木暮氏らが湯元で雇った者は案内人ではなく、荷物運搬用の人夫だった。)
(**このあたりの山域に詳しい辻まことのエッセーなどを読むと、昔の道は現在のような整備された道ではなく、ヒナタオソロシ沢の滝の音を聞きながら崖沿いに針金で釣られた丸太の桟道を渡り返して行くという険阻なところがあったらしい。おそらく木暮氏一行はその桟道がある崖付近で窮してしまったようだ。)
途中の樹間から大嵐山・根名草山方面  このあたりの登山道沿いの木々には所々に昔の今市営林署が付けた樹木の名前の板が見える。針葉樹はスギやヒノキくらいしか明瞭な判別ができないねくらハイカーには参考になった。シラビソやコメツガの他にトウヒが多いようだ。またウラジロモミやネズコ(クロベ)なども生えていた。

 下りの途中で、樹間越しに大嵐山・根名草山方面が見える。うす雲がかかってきたので、今日は夕立があるのか少し気にかかる。

 さらに下って行くと、下から登ってくる3、4人の登山者に遇った。すでに午後2時半をまわっているので、これから鬼怒沼に登りつくとなると、避難小屋に宿泊するのだろう。

展望台から対岸のオロオソロシノ滝方面、上方に根名草山  登山道をさらに下って行くと、オロオソロシノ滝展望台に着く。展望台からは南方の根名草山の山腹を流れる沢にかかる滝が見られる。

 今日はこれからまだ鬼怒川の渓谷に下って、あの滝が落ちる山腹を歩かねばならない。県境を歩いて鬼怒沼まで来られたのはよかったが、これから出発地点の丸沼へ戻るとなるとひと苦労だ。

丸沼分岐付近に架かる木製の吊橋 吊橋から鬼怒川本流の渓谷  それからどうにか鬼怒川沿いに下り、丸沼方面への分岐から新しく架けられた木製の吊橋で対岸に渡る。

 午後3時をまわった時刻にここから丸沼へ行く人はいないだろう。水筒の水を補給して、右岸の斜面を登り出す。すでに体力がかなり消耗しているので、登りは少々きつい。休み休み行くしかない。

丸沼への登山道  九十九折の道を登りきるとなだらかな斜面の登りになる。ヒナタオソロシノ滝展望台への道らしい。

 休みながらダラダラ行くと、男女の2人連れが下ってきた。女性は若く清楚な感じの服装をしていたが、男性は小太りの中年オヤジ風でステテコと薄着の肌着だけでいかにも寛いだ恰好だ。

 軽く挨拶してやり過ごす。父娘だろうか、それとも夫婦だろうか。おかしな組み合わせの2人連れだ。いずれにしろ、温泉の旅館から滝見物にやってきたのだろう。

展望台から対岸のヒナタオソロシノ滝方面  そこから少し登ると、滝の展望台に着く。ヒナタオソロシノ滝も対岸の急斜面を勢いよく落下していて見事だ。

 一息入れてまた山腹の道を南西へ歩き出す。古い道標には丸沼まで7kmと書かれていた。今日はもう丸沼へ歩く人もいないようなので、いかにもねくらハイカーにお似合いの薄ら淋しい山道になってきた。

 日光沢温泉と丸沼温泉を結ぶ道をねくらハイカーは今まで2回ほど歩いたことがあるのだが、とにかくダラダラ長い感じがする。道が通る針葉樹の森にはシラビソやコメツガそしてアスナロが多いが、トウヒなども疎らに生えているようだ。

根名草沢  道はやがてオロオソロシノ滝上部でオロオソロシ沢を渡渉し、再び山腹の斜面をダラダラつづく。途中、小沢を2ヶ所ほど横切りアスナロ主体の樹林帯を行く。このあたりでは相当バテバテで何度も休みながらチンタラチンタラ歩くのが精一杯だった。

 ようやく根名草沢の渡渉地点に着く。根名草沢は昔の流れと違って流木や岩が多く、開けた感じになっていた。やはり大雨の増水で上流部が崩落したようだ。渡った左岸の斜面も崩落していて、登山道の取り付き地点がどこのあるのかわからない。仕方ないので登れるところから斜面に取り付き、南西方向へ急斜面を登る。幸い、すぐに右下から上がってくる登山道に突き当たる。

 ここで一瞬迷ってしまったのだが、どうも渡渉地点が間違っていたようだ。ちょっと下流の地点に登山道が通っていたらしい。とにかくこのあたりの地形は昔と変わっていた。

湯沢峠  そこからはちょっと傾斜のある登りになる。重い足取りで何とか斜面を登って行く。樹林帯を登り、道沿いにカニコウモリの群落を見るようになると、やがて笹ヤブが繁る尾根状の地点に着く。県境の通る湯沢峠(1960m)だ。

 ねくらハイカーは以前ここから燕巣山へ登ろうとしたのだが、あまりの密ヤブに敢えなく敗退してしまった。2003年に物見山から県境を歩いた人たちはここから日光沢方面へ下っている。

 木暮理太郎らもこの峠付近の尾根を通って燕巣山へ登っているはずなのだが、湯沢峠についての記述がない。大正時代にはまだ日光沢・丸沼間の道は切り開かれていなかったのかもしれない。

峠の下りから夕映えの四郎岳方面  峠から群馬側へ下ると、登山道の様相は一転して深い笹ヤブの斜面になる。西方向に四郎岳のシルエットが夕映えの中に見えた。今日は夕立はないようだ。

 ピッチを上げて丸沼へ下ろうと思ったが、登山道の状態がそれほどよくない。最近は刈り払いが行われていないらしく、笹が繁茂していて登山道の踏跡が消えかかっているところもあった。

 また、沢沿いは崩れているところも間々ある。このまま登山道が放置されヤブが深くなると、群馬側は廃道化していくだろう。丸沼温泉では現在歩く人も少ない湯沢峠への道などに使う金などないということだろうか…。

湯沢沿いの林道の遮断機ゲート、奥に駐車場  それからどうにか湯沢沿いの砂防堰のあるところまで下る。そこからは沢沿いの道になる。沢沿いには四郎沢と同じようにヒヨドリバナが咲いていた。

 沢沿いの道が林道になるあたりまでくると、待ち伏せのアブが飛んでいて腕を2、3ヶ所刺されてしまった。さらに西方向に四郎岳の稜線を眺めながら林道をダラダラ進んで行くと、程なく駐車場手前の遮断機ゲート付近に着いた。

 今日は物見山までの行程で体力を消耗してしまい鬼怒川沿いの渓谷から丸沼への帰りがちょっときつかった。しかし天候に恵まれ、曲りなりにも木暮理太郎らが歩いた県境尾根の一部を歩くことができたのでヨシとしよう。


日程2006年8月5日 (土)
天候晴れ
行程時刻丸沼温泉駐車場5:25→湯沢・四郎沢渡渉地点5:26→(四郎沢右岸の道路)→(沢沿いの道、途中ルートミス)→四郎沢最奥の砂防堰5:57→下の二俣6:10→(右俣から中尾根へ)→(尾根道、途中消失)→(左俣の沢沿いへ)→上の二俣6:30→(右俣側から尾根道へ)→四郎峠6:56〜7:05→(北東へ)→1891P付近7:14→燕巣山8:08〜8:23→(北東尾根へ)→鞍部8:45→2130P付近8:58→鞍部9:10〜9:12→2100P 9:43〜9:47→小鞍部の西側斜面付近10:05→2099P(三角点P)10:21〜10:27→(途中、10分休憩)→鞍部11:10→2091P 11:25〜11:30→最低鞍部付近12:01〜12:10→(途中、5分×2回休憩)→物見山(毘沙門山)13:07〜13:14→(登山道を東へ)→鬼怒沼分岐13:39→(南方の木道へ)→鬼怒沼周辺13:40〜14:02→(登山道を南東へ)→オロオソロシノ滝展望台14:48〜14:53→丸沼分岐・吊橋付近15:10〜15:15→(登山道を西へ)→ヒナタオソロシノ滝展望台15:30〜15:32→(南西へ)→オロオソロシ沢渡渉地点15:45→(途中、数回休憩)→根名草沢渡渉地点16:43〜16:48→(左岸で迷いルートミス)→湯沢峠17:32〜17:39→湯沢最奥の砂防堰付近18:20→(途中、休憩)→遮断機ゲート18:45→駐車場18:46
備考♦この記録では「常吉 山のページ」等のHPの記録を拝見し、参考にさせていただきました。また、四郎沢のルートについては横田昭二 著『私が登った群馬300山』(上毛新聞社刊)を参照しました。

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