細尾峠から薬師岳・三ノ宿山



 日光の修験道は今から1200年以上前に勝道上人(735−817)が補陀洛山(ふだらくさん・現男体山)に登頂したことから始まったといわれる。上人没後もその衣鉢を継いだ弟子たちが男体山を始めとする日光周辺の山々を巡り歩いて自己練磨の修行を重ね、日光独自の山岳修験道を発展させた。日光の修験道はのちの室町時代に全盛期を迎え、「三峰五禅頂(さんぶごぜんじょう)*」と呼ばれる山岳巡礼の修行が執り行われるようになった。そして各入峰(にゅうぶ)儀礼の規則・教義・組織等もほぼ確立し、名実ともに日光山は関東修験道の一大霊山として全国に知られることとなる。

 最近、栃木県在住の研究家がこの三峰五禅頂の山岳巡礼コースを実際に歩いて研究書を出版された**。ねくらハイカーは日光修験道の入峰修行のルートに多少なりとも興味があるので、さっそく拝見したところ、研究家が独自にこの三峰五禅頂のほとんどすべてのルートを解明し踏破していた。これにはまったく度肝を抜かれた。まさに日光の山岳修験道の回峰ルートに関する研究においてはひとつの金字塔を打ち立てる画期的内容となっていた。

[*三峰五禅頂とは、日光修験道において、冬の「冬峰」・春の「華供峰(けくぶ・はなくのみね)」・夏の「夏峰」・秋の「五禅頂」など一年を通してそれぞれの季節に実践された入峰修行の総称。「さんぷごぜんじょう」とも読まれる。]
[**宇都宮市在住の元小学校校長 池田正夫氏は、日光修験道関連の古文書等を手がかりにして日光修験道の修行ルートを単独で歩き回り、その成果を『全踏破 日光修験 三峯五禅頂の道』(随想舎 2009年10月刊)にまとめられた。池田氏は6年間、750日以上をかけて古文書の資料を頼りに日光周辺の行者道をほぼ忠実に辿り三峰五禅頂のルートを調査解明した。]
 ねくらハイカーは1980年代中頃に前日光近辺の山尾根をちょっと歩いたことがある。何の予備知識もなく、ただ昭文社の山と高原地図に出ていた破線道を歩いてみようと古峰神社の先から北へ延びる林道に入り、荒れた伐採地を通り抜け、細尾峠へつづく山道をトロトロ登って行った。すると、いつしか尾根筋に出たのだが、そこにはハイキング道のような道跡が通っていた。そこで一体何の道なのかと疑問に思った。あとで知ったことだが、それは日光修験者の「禅頂行者道」のルートだった*。そのときは地蔵岳や夕日岳に登りそのまま往路を戻った。また別の晩秋の頃、古峰ヶ原付近からこの禅頂行者道を細尾峠まで石の祠や石仏などを眺めながらダラダラ歩いて往復したこともある。

 池田氏の著書を拝読すると、この行者道の間にも日光修験道に関する宿(しゅく)道場の跡があるとのこと。そこで今回は、池田氏の著書を参考にして細尾峠から簡便に薬師岳へ登り、そこから日光市と鹿沼市の市境に沿って三ノ宿山あたりまで歩いてみようと3月中旬頃栃木県日光市方面へ出かけてみた。

[*現在の昭文社の山と高原地図『日光』にはこの禅頂行者道のルートの一部が赤色の実線で描かれているが、昭和59年(1984年)発行の初版ではそのルートは薄い灰色の破線道程度で、山名などはほとんど表記されていなかった。]
 日光市足尾町から神子内(みこうち)川沿いの国道122号を北東へ走行し、日足トンネル手前で右の旧道へ入る。ねくらハイカーは以前、細尾峠から半月山あたりまで歩いたことがある。そのときは足尾側から峠へ上がったので、今回も足尾側から行く。

 しかして旧道を少し進むと、道路がバリケードで封鎖され、通行止めになっていた。道路の工事中らしい…。工事案内の看板を見ると、「崩落斜面を直す道路改良工事」とあり、期間は平成22年4月29日までと表記されていた。「これはダメか…?」 しかし、看板には工事の時間帯が8:00〜17:00とある。これはもしかすると早朝なら片側が通れるかもしれない。ねくらハイカーはそのように都合よく考えて、固定されていないバリケードを寄せて車を先へ進めてみる。

 そこからノロノロ車を走らせる。アスファルト面は多少荒れているが何とか走行できる。しかし、100mほど進むと、道の真ん中に大型のショベルカーが止まっていて、その先の路面が深く抉られて全面通行止めになっていた。「アレこりゃー、ダメだ。」 盆暗ハイカーは元来た道を渋々引き返す。それから再び国道122号に出て、日足トンネルに入り日光市細尾町方面へ進む。今回は少し遠回りだが細尾町側から峠へ向かうことにする。
旧道から南西方向、薬師岳〜細尾峠  トンネルを出て少し下ったあたりから右の旧道へ入る。すぐにT字路があり、標識に従って足尾町方面へ進む。こちらの細尾町側はスギの植林地が多い。道路沿いの木陰になったところでは3月に降った雪がまだ融けずに残っていた。部分的に雪の量が多く路面が凍ったところもある。そこは慎重に低速で走る。

 ボロ車のエンジン回転数を上げてブンブンいわせながらヘアピンカーブをいくつも曲がって南西方向へ登る。すると、そのうちに左前方に顕著な感じの残雪の山が見えてきた。本日登る予定の薬師岳だ。

細尾峠(細尾町側から)  さらにくねくねしたカーブ道を上がって行くと、広葉樹の雑木類が生えた山腹を進むようになり、左上に薬師岳が間近に見えてくる。なおもヘアピンカーブをノロノロ上がって行くと、やがて道標類が立つ地点に着く。細尾峠*だ。

[*ここは古い時代には「足尾峠」とも呼ばれていた。昔の山名辞典などでは標高1192mと出ているが、最新の地形図では峠近くにある水準点で1193.0mとなっている。江戸時代から明治にかけてここは日光と足尾を結ぶ重要な峠だったそうだ。足尾銅山の最盛期には神子内と清滝の精錬所(現古河電工日光事業所)とを結んでいた索道もこの峠付近を通っていたらしい。華供峰が行われた江戸時代にはこの付近に茶屋もあったとのこと。]

「茶ノ木平」方面の道標付近北側の斜面、平地あり  さっそく、道路わきに車を置いて池田氏の著書に出ていた峠北側の傾斜地にジロリと目をやる。

 すると、斜面を人工的に削って造られたような平地があった。傍らの立木には日光修験の木札がいくつも付いている。やはり、この峠付近に昔の修験者の宿道場があったようだ…。

「古谷宿」跡(?)の平地  ねくらハイカーは以前ここから茶ノ木平方面へ歩いているが、この平地にはまったく気づかなかった。華供峰の入峰ルートの資料では、ここは「古谷(ふるや)宿*」と呼ばれていたそうだ。

[*中世期に途絶えてしまった夏峰の入峰ルートの資料では、「旧屋ノ宿」とも表記されていたらしい。]

峠から足尾町側に行ったところにある水準点の看板(1193.0m水準点付近)  地形図ではこの峠付近に水準点があるということなので、野次馬根性のねくらハイカーは道標地点から南西の足尾町側へ進んでみる。道路の全面通行止めの看板を見て、石垣の法面に沿ってさらにトボトボ行くと、道路北側の路肩付近に「水準点」と表記された看板が立っていた。ここに1193.0mの水準点があるようだ。ということは、この看板付近に標石または金属標が埋設されているのかもしれない…。

 そのように考えて、野次馬ハイカーは看板が立っているあたりの雪を足で蹴散らして少し掘ってみた。しかし、積雪が意外と深く、40cm以上ある。足の踵で看板の柱あたりを何度も探ってみたが、雪の下は笹地になっていて固いものには当たらなかった。これはスコップを使って本格的に掘らないと無理だ…。何の装備もない盆暗ハイカーは水準点の見物を諦め、すたこらさっさと峠の道標地点に引き返す。

「前日光高原」の道標が立つ薬師方面入口、奥に薬師岳  それから、すぐに準備を整えて「前日光高原」方面の道標が立つ地点から薬師岳への登山道に取り付く。気温は2℃ほど。少し寒い。いくらか風も吹いている。

 まずは残雪の尾根状の斜面を南東方向へ登る。

雪が残る登山道  尾根筋には夏道のルートが確認できるので安心して歩ける。樹木にはテープやビニール紐などの目印も多数付いている。それから、関東森林管理局の境界見出標の赤プレートなども見える。

 今日は安物のピン付きのゴム長を履いてきたので、雪面でも足元を濡らすことはない。雪はまだいくらか締まっているのでサクサク歩ける。尾根沿いの積雪は5cmほど。笹も出ている。足尾側からの西風が少し冷たい。例年なら雪融けが進んでいるはずだが、今年は3月に入って関東地方で季節外れのドカ雪が降ったので、まだ結構積もっている。

 雪面にはシカの足跡や糞も見える。やはりシカが数多く生息しているようだ…。それから少し古いが、人が歩いたような足跡も確認できる。

尾根沿いから前方(南東)に薬師岳 右後方(西)に半月山方面  尾根沿いからの展望は落葉した雑木林の枝越しに多少ある。前方にはこれから登る薬師の山影がハッキリ見えている。それから、左下や右下には細尾町や足尾町方面の谷筋も確認できる。

 少し登って後方をふり返ると、遠方の山並みがいくらか見えてきた。方向からすると、中禅寺湖南岸にある半月山らしい。

尾根沿いに崩落箇所あり、左斜面に巻く  尾根沿いを快調に進んで行くと、やがて右の足尾町側の斜面が崩落しているヤセ尾根部分に出る。どうも、このあたりは少しずつ崩落が進んでいる感じだ…。

 通行禁止のトラロープが張ってあるので、そこは左の細尾町側の斜面に巻く。この巻きの細い踏み跡も残雪の急峻な傾斜地に付いているので、慎重に進む。

一時的に雪が消えた笹地の斜面  ヤセ尾根を越えて尾根筋をトロトロ行くと、雪が消えて穏やかなミヤコザサの斜面になってきた。

 そのあたりから北方向をふり返ると、雑木林越しに男体山や女峰山などの山並みが見える。北の方はいくらか雲が出ている。とはいえ関東地方の天気予報では晴れとなっていたので、今日は展望が期待できそうだ…。

薬師岳山頂部西側付近  体力が衰えたヘタレハイカーは途中で立ち止まって呼吸を整えながら登る。

 ハァーハァーいわせながら笹地を登って行くと、また残雪が出てきた。そのうちに傾斜も緩くなる。そろそろ薬師の山頂だろう…。

山林局の次三角点標石  そこからやや東寄りに登って行くと、足元の笹地に上辺が丸みを帯びた標石が見えた。赤ペンキも薄っすら塗られているので、境界を示す標石らしい…。そこで、周りの雪を足で払ってみると、側面に「次三角點」の刻字があった。昔の山林局が設置した次三角点の標石だ。この山は三角点ピークということなので、明治時代に山林局が先に測量を実施したようだ*。

[*上西氏のサイト「三角点の探訪」によると、陸地測量部と山林局の測量が並行して行われていた明治時代に山林局が山野の測量をするとき、そこに陸測部の三角点がなくて測量結果を利用できない場合は独自に基準となる三角点(主三角点・次三角点等)を設けて測量を行ったそうだ。のちに陸測部が同地点の測量を実施した際、そこにまた新たに三角点(二等三角点・三等三角点等)を設けた。そこで山野に山林局の三角点と陸測部の三角点の標石が二つ置かれるようになったとのこと。もしそこにすでに陸測部の三角点の標石があった場合は、山林局の標石は設置されなかったらしい。つまり、この薬師岳では陸地測量部よりも先に山林局が測量を行ったことになる。]

山頂部に寄棟造りの石祠あり(「薬師嶽八竜」)  そんなことを考えながら少し行くと、その先の岩がゴロゴロ出ているところの立木に山名板の標識と木札*が付けられ、その下に二つの石祠が見えた。

 池田氏によると、この岩の付近を「薬師嶽八竜」というらしい。岩が露出したところを八竜に見立てたということだ。昔の修験者はこれに向かって何か拝礼儀式を行ったのかもしれない。

[*この木札をよく見たら、例の那智山青眼渡寺のものだった。奉納年月日は平成二十一年十一月吉日となっていた。よくわからないが、日光修験とは異なる熊野修験の関係者が昨秋この日光修験の行者道を歩いて木札を奉納したようだ。]

石祠の側面に奉納年月日等の刻字あり  石祠は日光修験道に関連する金剛堂とのこと。南側にある石祠の側面には寛永九年(1632年)の年月日が彫られている。また反対側には奉納者らしき修験者の名前なども確認できる。別の石祠には文字が彫られていないが、やはり江戸時代のものらしい。それから、拓本をとらないとよくわからないが、石祠の母屋表面には何やら梵字(サンスクリット文字)のようなマークが薄っすら見える。池田氏によると、これは薬師如来を示す種子(しゅじ)*ということだ。つまり、日光修験道ではこの山に薬師如来を祀っているわけだ。山名もここから来ている。

[*ネットの受け売り知識によると、種子(しゅじ)とは密教の世界などにおいて仏や菩薩を梵字一文字や文字の組み合わせなどによって表したものとのこと。そのシンボル文字は単に仏・菩薩を表す記号としてではなく、文字そのものが仏・菩薩であるとして信仰の対象にもなるそうだ。また、すべてを含みすべてそこから生ずるところから、植物の種に譬えて「種子」というらしい。各宗派・各経典によっては、ひとつの仏・菩薩が複数の種子を持っている場合もあるとのこと。「種字」または「種子字」とも表記される。]

薬師岳山頂(三角点付近)から北方向、男体・大真名子・女峰の山並み  そこから東へ数歩進むと道標形の標識が立つ薬師岳の山頂地点(1420m)に出る。多分ここに国土地理院設置の三角点の標石があるはずだが、今日は生憎50cmほど積雪していて確認することはできない。ひとまず休憩しながら足で道標付近を掘ってみるが、雪が締まっていて地面は中々出てこない。「こりゃー、スコップを使わないとダメだ。」 やはり、残雪期に三角点の標石を確認するのは難しい。そこでまたもや掘るのは諦め、立木に付けられた3、4枚の山名板などを見物する。今回は山部氏や「日光の山紀行」の標識以外にtaka氏の「栃木百名山 41座」という白塗りの標識がかなり目立っていた。最近はどこの県でも県内の百名山を選定しているようだ。この県百名山を目標にしてバンバン登っている人がいるのかもしれない…。

 この山頂付近は樹木が少なく開けているので、ちょっとした展望地になっている。北の男体山や女峰山などの日光連山がよく見えた。また、南には夕日岳や地蔵岳などの前日光の山々を望むことができる。禅頂行者道が通る尾根筋はまだ真っ白だ。3月に降った雪の影響らしい…。

山頂部南面付近から南方向、夕日〜1491P・地蔵 右(西)の樹間に半月山  休憩後、鹿沼と日光の市境になっている尾根沿いを南へ下る。この尾根は禅頂行者道のルートになっていて、池田氏によると、この近くの1381mピークの南側に日光修験に関する宿跡があるそうだ。

 山頂から少し西寄りに残雪の尾根筋を辿る。積雪は15cmから20cmほど。笹がいくらか出ている。前方には夕日岳や1491m峰(三ツ目)あたりがバッチリ見える。右(西)方向の樹間には中禅寺湖南岸の半月山方面がこれまたよく見えた。半月山の中腹を通る車道も微かに確認できる。

「薬師肩」道標地点  すぐに道標が立つところに着く。「薬師肩」という地点だ。

 ここから薬師岳の山頂へ寄らずに細尾峠へ行く山腹道が通っているのだが、ねくらハイカーは先ほどの北西側の登りでここへ通じるトラバース道の分岐にまったく気づかなかった。

1381P北側の登り  「薬師肩」を過ぎ南方向へ少し下り、そこから1381mピークの登りにかかる。この斜面は積雪が多い。いくらか吹き溜まりになっている。

 雪も少し緩んでいて足がスポスポ潜ってしまう。このようなところはワカンがいいのだろうが、軽装ハイカーはそのようなものは携行していない。尾根の西側がやや締まっているので、なるべくそちらを歩く。このあたりでは風がそれほど当たらなかった。

1381P南側付近、尾根沿いに宝形造りの石祠あり(「掛合宿」)  1381mピークを過ぎ、柔らかな雪の斜面を南へゆるゆる下って行くと、尾根沿いに石祠のようなものが見えてきた。金剛堂らしい。

 さらに近づいて行くと、傍らにステンレス製の剣を持った不動明王の坐像があった。側の立木には木札が何枚か打たれている。ここが日光修験の「掛合(かけあい)宿*」というところらしい。

[*池田氏によると、冬峰や華供峰の入峰ルートではここが修験者の宿泊地となっていたそうだ。また、中世期の夏峰のルートではここに立ち寄って、法螺貝を吹く儀式を行ったらしい。その法螺の吹き方が「駈合(かけあい)」ということで、宿の名前になったようだ。]

「掛合宿」の金剛堂と不動明王坐像  「掛合宿」の金剛堂はやや大きく立派だ。中は空だが*、母屋部分に文字が彫られている**。

[*池田氏によると、以前はこの金剛堂に金剛童子の像が祀られていたが、のちに盗難に遭ったそうだ。金剛童子は、辞書では、密教において煩悩を打ち砕く金剛杵(こんごうしょ)の威力を神格化したものと出ている。よくわからないが、童子形で怒った表情をしているらしい。主に修行をする修験者の護法神として行場宿などに祀られるとのこと。]
[**祠の前面には宝暦十四甲申(1764年)夏四月の刻字あり。]

鹿沼側の斜面に棚地(宿跡?)あり  宿ということで、金剛堂からちょっと鹿沼側へ下ったところ人為的に開削したような場所がある。

 現在は樹木が生えているが、江戸時代にはこの小さな棚地に小屋掛けの宿坊があったのかもしれない。池田氏はこの棚地の地面を掘って地層から木炭片を確認したそうだ。

大岩の下(鹿沼側)に金剛堂の石祠あり  そこから尾根沿いを20mほど南へ下ったところに大岩がある。池田氏によると、ここにも石祠があるそうだ。

 そこで鹿沼側の岩陰に回り込んで行くと、小さな金剛堂が見えた。これは昔の草久村の村民が奉納したものとのこと。そして、この付近の斜面にも池田氏が指摘する別の棚地の跡が確認できる。このあたりにも小さな小屋掛けがあったのかもしれない。

1381P付近から北方向、右手前に薬師、左後方に男体・大真名子 尾根沿いから東に六郎地(中右)・火戸尻(奥中央)  宿跡も見物できたので、野次馬ハイカーはそこから市境の尾根ルートを北へ辿り薬師岳に戻る。前方に樹間に男体山方面を眺めながらスポスポ緩い雪面を登る。

 途中、右(東)方向の谷筋*に目をやる。東大芦川の谷の後方に六郎地山や火戸尻山あたりの山影が何とか確認できた。

[*池田氏によると、東大芦川本谷上流部付近は「ヒノキガタァー沢」と呼ばれているらしい。]

 展望のある薬師の山頂でまた休憩する。運動不足のヘタレハイカーは少しの登りでもすぐにバテてしまう。気温は3℃ほど。それほど上がらない。

 小休後、薬師山頂から市境の尾根筋を東へ辿る。池田氏によると、こちらの市境尾根も行者道のルートになっていて、日光修験関連の宿跡があるそうだ*。今回はそれも見物しようというわけだ。

[*池田氏の著書によると、薬師岳から東または北東へ延びる尾根筋は、日光修験の冬峰と夏峰の回峰ルートになっていた。]
薬師山頂から東方向、中央に三ノ宿・大木戸、左後方に鳴虫  まずは30cmほど積もった雪面を下る。前方は開けているので、今日歩く予定の三ノ宿山もちょっと地味ながら確認できる。昭文社の地図に「大木戸山」と記された三角点峰もよく見える。三ノ宿山の左後方にある山影が鳴虫山らしい。

 右(南)に夕日岳方面、左(北)に男体山・女峰山方面を眺めながら行く。尾根沿いは北西の風が当たる。晴れている割には少し冷たい。

 この尾根を歩く人は相当多いようだ。樹木には古いペンキマークがあり、テープや紐の目印なども付いている。特に「コンセーレハイキング*」と書かれた赤と黄色の四角形標識が一枚かなり目立っていた。それから、尾根沿いには境界を示す標石や標杭なども打たれている。

[*詳しいことはわからないが、ネットに出ていた記事によると、宇都宮市にある栃木青年会館に関連する登山・ハイキングの組織とのこと。]

雑木林の尾根筋を東へ  地形図の等高線で1360m圏のなだらかなピークを過ぎ、シカの足跡が疎らに付いた雪面をゆるゆる下る。

 積雪は5cmから10cmくらいだが、部分的に20cm以上のところもある。足がスポスポ潜ってしまうので少々歩きづらい。下りなのでそれほど疲れないが、上りだと相当きつそうだ。ヘタレハイカーは帰りのことが少し気にかかる。

 左下に遠く細尾町や清滝町の町並みを眺めながら下って行くと、尾根の傾斜が増してくる。

ツガなどの針葉樹も混じる尾根沿い  どんどん下って行くと、やがて広葉樹の雑木類に混じってツガやコメツガなどの針葉樹が多くなってきた。少ないがモミなども生えている。

 それからまたいくらか平坦になると、雪面に人の足跡が見えた。今まで尾根筋にはなかったので、鹿沼側かまたは日光側から登ってきたものらしい。林業関係者ではなさそうだ。ハンターのものかもしれない…。このあたりでは日光側から冷たい風が当たった。

 雑木越しに大木戸山あたりの山影を眺めながら下って行くと、突然脇から何かバタバタと飛び出してきた。山鳩だ。ねくらハイカーは一瞬ドキッとする。それから、ちょっと間を置いてヤレヤレ黒いヤツでなくてよかったと胸をなでおろす。小心者のチキンハイカーは肝っ玉が超ミニサイズなので、いつもこのざまだ。

右下に開けた開けた傾斜地&夕日岳〜三ツ目〜焼山沢頭〜細鈴沢頭(1406P)  さらに急な斜面を下って行くと、次第に尾根沿いの雪が消えて。右下に伐採地のような開けた笹の斜面が見えた。斜面に沿ってシカ用のネットなども張られている。

 そのうちに日当たりのよい笹尾根を下るようになる。このあたりからは右上(南)に残雪の夕日岳が高く聳えていた。

ネットが部分的に倒れている笹尾根  ここでちょっと立ち止まってネット越しに疎らに植林されたヒノキの幼木を観察すると、すでに新芽や樹皮が食べられていた。どうも、ネットは役目を果たしていないようにみえる。

 防護ネットは部分的に倒れて低くなっているところがあるので、シカが積雪期に植林地へ入っているのは明白だ…。

鞍部に壊れた石祠あり(「ヒノキガタァー」付近)  さらに下ると、尾根の鞍部*に降りる。そこには屋根のない古い石祠があった。池田氏によると、ここが冬峰の入峰ルートの資料で「ヒノキガタァー」という地点らしい**。

[*地形図で1221m標高点と1159m標高点の間にある尾根の鞍部。標高は1110mほど。]
[**冬峰の資料では、ここは単なる通過地点で「ヒノキ」と呼ばれていたらしい。この「ヒノキ」は、中世期に途絶えた夏峰の入峰ルートの資料では「ナヒキ」といったそうだ。ナヒキは「稜線」または「傾斜地」のことで、タァーは「鞍部」とのこと。それから、夏峰の資料ではこの近くに「玉木ノ宿」という柴宿(野宿をするための野営地)があったということだ。]

壊れた祠、磨滅した刻字あり 祠から南方向、夕日岳とヒノキガタァー沢の谷  よくわからないが、池田氏によるとここは日光の細尾と草久の蕗平を結んだ峠とのこと。屋根なしの祠は母屋部分が壊れているが、彫られた文字によると山神を祀ったものらしい。日光修験とは関係ないそうだ。

東側に別の石祠あり(「ヒノキガタァー」付近)  そこから15mほど東へ進むと、また石祠が二つある。池田氏によると、これは江戸時代に地元の村民が奉納したもので日光修験とは関係ないとのこと。二つのうち、東側の祠には側面に文化五辰(1808年)九月吉日の奉納年月日と奉納者の名前などの文字が彫られている。

 この鞍部付近は南側が開けているので、夕日岳の景観がまことに素晴らしい。一息つくには最適なところだ。昔の修験者たちもここで一息入れたのだろうか…。

1159P山頂部  鞍部からいくらか南東寄りに尾根筋を登る。傾斜が少し急なので休み休み行く。この笹尾根の斜面にはシカの糞が目立つ。数多く生息している気配がする。やはり、植林地には高いネットがないとダメだ。

 1159m峰の山頂部は鹿沼側がヒノキ林になっていた。そこから北東方向へ進む。尾根沿いには苔むしたコンクリート杭の境界標なども打たれている。このあたりからまた日陰部分に残雪が見えてきた。

鹿沼側に平地あり(丸山ダル?) 平地から東方向に大木戸山  のどかな感じの雑木林の尾根筋ゆるゆる下りシカにきれいに食べられた笹地を進むと、右の鹿沼側に二、三ヶ所平地のようなところが見える。池田氏によると、この平坦地付近を通称「丸山ダル」と呼ぶそうだ。夏峰の入峰ルートの資料ではこの付近に柴宿があったらしい。

 もしかすると、夏峰の一行もこのあたりで野宿したのかもしれない…。

1159Pと1242Pの中間付近にある鞍部(シモガタァー?)  そこからダラダラ下って行くと、苔むしたコンクリート杭が打たれた鞍部*に降りる。鹿沼側はヒノキの植林地で展望はないが、日光側は雑木林の枝越しに男体山方面が見える。それから、このあたりからは男体山と茶ノ木平の稜線がつくり出す谷間の後方に奥白根の真っ白な円頂部を眺めることができた。

[*池田氏によると、通称「シモガタァー」と呼ばれる鞍部らしい。標高は1100mほど。名前の由来は不明。]

1242P(丸山)山頂付近、北側に男体山  そこから雪が消えて岩がちょっとゴロゴロした尾根筋を北東寄りに登る。このあたりは風が当たらず日当たり良好で暖かい。多少傾斜がきついので、ヘタレハイカーはスローペースの登りとなる。境界標の石柱が打たれた地点から尾根に沿ってやや左方向に曲がり穏やかな笹尾根を登って行くと、1242m峰の山頂地点に着く。

 ここにも境界標が打たれ、立木には「丸山」と表記された「日光山紀行」とR.K氏の標識が付いていた。この標高点ピークは「丸山」という山名らしい。よそ者ハイカーにはわからないが、これも地元の方の通称なのかもしれない…。

 山頂部は雑木林が茂っているので、展望はそれほどないが、北側の男体山がよく見えた。また西には樹林の枝越しに先ほど下ってきた薬師岳や中禅寺湖南岸の半月山あたりも確認できる。

右下に伐採された斜面あり  ここからは市境尾根を東または南東寄りの方向へ進む。前方には雑木林越しに次の大木戸山の山影が間近に見える。尾根沿いには栃木県の刻字が入った新しい感じの石柱も打たれている。

 のどかな雰囲気が漂う雑木林の尾根筋を進むと、右下の鹿沼側にゴルフ場のような感じの伐採された斜面が見えてきた。雑木林の境界にはネットが張られているので、何か植林されているのかもしれない。この笹地は3月に降った雪がきれいに消えていた。一方、左の日光側はまだ2、3cmの残雪面となっている。

尾根筋を南東へ、前方に大木戸山  なだらかな尾根沿いを上り下りしながらダラダラ進む。池田氏によると、この付近は通称「カモガタァー」または「ハラスリ」と呼ばれ、昔は野鳥を獲ったところということだ。

 小鞍部でちょっと一息入れる。尾根の鞍部付近は風が当たらないので、気温は8℃くらいに上がっていた。

 そこから木の根と岩がゴツゴツ出たところを登る。尾根沿いにはまた雪が見えはじめた。それから、境界標には樹脂製の杭なども見え出す。それらは赤いキャップ部分が壊れていて、灰色の樹脂部分が露出しているものが多い。経年劣化というより、人為的に壊されている感じだ。樹木には昔の前橋営林局の赤プレートなども付いている。

大木戸山山頂 大木戸山三等三角点標石  右の鹿沼側から冷たい風に吹かれながら南東へトロトロ登って行くと、三等三角点の標石が埋設された大木戸山*の山頂(1287m)に着く。標石の側には国土地理院の白い樹脂杭も見える。標杭は新しい感じなので、関係者が最近標石の確認をしたのかもしれない…。この山頂には達筆標識・「栃木の山紀行」・「日光山紀行」などの山名板の標識が表示されていた。

[*山名は日光側の大木戸地区または三角点の点名から来ているらしい。]

三角点東側の展望地から北方向、工場建物と女峰山方面 展望地から北東方向、三ノ宿山後方に鳴虫山(中央)、左遠方に高原山  ここで少し休む。この山頂付近は雑木が茂っているのでそれほど展望はないが、三角点から尾根筋をちょっと東へ下ると北側が開けていて、日光方面の眺望がいい。特に清滝にある古河電工日光事業所の建物がよく見えた。工場の裏手遥か後方には女峰山方面の連なりがまことに見事だ。

 また視線を少し東へ転じると、これから向かう三ノ宿山の後方に鳴虫山の姿が望めた。それから、鳴虫山の遥か左後方にある残雪の山並みが高原山のようだ…。

大木戸山山頂部東側の肩付近(「大小松尾根?」方面分岐)、左下へ  休憩後、展望地からそのまま南東へ進む。このあたりは部分的に20cm以上積雪していた。山頂部東側にある尾根の肩付近から左(北東)方向へ下る。池田氏によると、この山頂部東側から南方の鹿沼側の支尾根に下る道もあるそうだ*。

[*かつての峠道がこの大木戸山東側付近から南東へ派生する細尾根、通称「大小松(だいしょうまつ)尾根」に通っていたという。この峠道についてはまったく不明。]

大木戸山北東面の下り、残雪あり 大木戸山の下りから三ノ宿山方面  このあたりの市境尾根には雪がまだ15cm以上も積もっていた。どうも、3月に降ったドカ雪が影響しているようだ。

 傾斜がある残雪の斜面をスポスポ下って行くと、途中に古いワイヤーなどもあった。以前の伐採作業に使われたものらしい。それから、右の鹿沼側に沿って古い有刺鉄線が張られるようになった。よそ者にはよくわからないが、右下にヒノキの植林地があるようなので、昔のシカ除け用のものらしい。しかし部分的に壊れているので、現在は何の役にも立っていない。

大木戸山と三ノ宿山の中間にある鞍部、金剛堂の石祠あり[三ノ宿峠]  残雪の尾根道を下って行くと、笹尾根の平坦地に降りる。おそらく、この鞍部付近が昔の三ノ宿峠*だろう。ここから北側には男体山が雑木林越しに望める。また、残雪の奥白根も何とか確認できる。南側はヒノキ林なので展望はほとんどない。

[*昔、日光町の大木戸と西大芦村河原小屋を結んでいた古道の峠。標高は等高線で大体1140mほど。陸測図では大木戸からこの鞍部付近を経由して南方の大滝不動尊へ破線道が描かれている。現在は「河原小屋三の宿林道」の市境峠地点を三ノ宿峠と呼ぶようだが、本来はここが峠。]

南向きの金剛堂に彫られた仏像  そしてここには、池田氏が指摘するところの仏像*が彫られた金剛堂が南向きに置かれていた。

[*合掌して蓮台に乗った坐像。勢至菩薩のようにも見える。祠の側面に彫られた文字は磨滅していて判読不可能。]

鞍部東側に別の石祠あり[三ノ宿峠]  そこからさらに東側に別の石祠がある。石祠の母屋部分にはスリット形の窓が付いている。池田氏によると、これは山神を祀った石祠*ということだ。中に何か仏様の坐像が安置されている。

[*池田氏によると、母屋部分に「宝永二丙十二月二日」の刻字があるので、1705年に奉納されたそうだ。ちなみに宝永二年の干支は乙酉なので、もしかすると丙戌の宝永三年(1706年)奉納かもしれない。]

母屋の中の仏様(薬師如来?)  ここで野次馬根性のねくらハイカーは、ちょっと罰当たりだが、池田氏の先例に倣って中の仏様を拝観させていただく。

 そこで屋根と母屋部分を取り払うと、周囲に賽銭類の小銭が供えられ、中から小ぶりで端正な顔立ちの仏像が現れた。山神ということだが、左手に宝珠を持っているようなので、地蔵菩薩のようにも見える。しかし、祠の母屋部分に「奉納山神本地薬如来」という刻字があるので、薬師如来に関連しているらしい。左手に持っているのは宝珠ではなく薬壺ということか…。まぁ、何であれ、昔の峠道または日光修験の行者道を守護する仏様には間違いない。

 ところで、池田氏によると、この峠の南側に日光修験の関連する宿跡があるそうだ。石祠見物後、野次馬ハイカーは南向きの金剛堂まで戻り、そこから日陰になったヒノキの植林地を南へ下る。
鞍部から南側へ下った斜面に平地あり、前方に六郎地山(中央右) 人為的に均されたような平地(佐ノ宿跡?)  日陰の急斜面を25mほどドタドタ下って行くと、下の方に斜面を人工的に削ってつくられたような平地が見えた。多分この平地が、池田氏が指摘するところの、冬峰の入峰ルートにある「佐ノ宿*」の宿跡らしい。

 ここは植林されておらず少し開けているので、南方向には東大芦川の谷を挟んで六郎地山方面の山稜を見渡すことができる。また、北東側には三ノ宿山の山肌が屏風のように聳えている。やはり、この棚地が日光修験の宿跡らしい…。

[*ちなみに中世期の夏峰の入峰ルートの資料では、ここは「三之宿」と表記されていたそうだ。]

三ノ宿山南西面の登り  宿跡見物後は峠地点の金剛堂まで戻り、そこから市境の尾根筋を北東へ登る。

 三ノ宿山南西面は日当たり良好で残雪はまったくない。体力が衰えたヘタレハイカーは笹地の急斜面を小股でダラダラ登る。そのうちにまた雪が見え出した。

三ノ宿山山頂部南側(尾根道分岐地点)、左に行者道ルート、右に市境尾根ルート  すると、間もなく傾斜が緩くなり尾根道の分岐地点に出る。山頂部の南側付近らしい。多分、ここから右(南東)の市境に沿ってつづく道が「河原小屋三の宿林道」の方へ行くようだ。ここは左(北)の行者道ルートへ進む。

 市境を外れ、例のコンセーレハイキングの四角形標識に従って残雪の道を日光側へ辿る。

三ノ宿山山頂(標高点付近) 山頂部北側付近から1188P方向、奥後方に大小真名子・女峰  小股でスポスポ行くと、1分もかからずに山名板の標識類が樹木に表示された地点に着く。多分、ここが1229mの標高点がある三ノ宿山の山頂だ。ここは雑木類にカラマツが混じった樹林帯になっているので、展望はほとんどない。それでもこの時節は樹木が落葉しているのでいくらか見通しがある。北の女峰山や北東の鳴虫山あたりが樹林越しに見えた。

 展望がそれほどないので、山名板などを見物する。この地点には達筆標識・「日光山紀行」・R.K氏の標識など3、4枚表示されていた。

「ヤシオの湯」方向を示すUHCの標識あり  その他には、北方向に矢印を示して「ヤシオの湯 2007 10.8」と書かれたUHCの標識が付いていた。これは宇都宮ハイキングクラブの標識らしい。ということは、今はここから北へ歩く人が多いのかもしれない…*。

[*ねくらハイカーが事前にネットでこのあたりを歩かれた方々の記録を探したところ、茶ノ木平や細尾峠から薬師岳を経由して三ノ宿山方面へ歩いたものが沢山あった。それらを拝見すると、薬師岳からつづくこの尾根ルートが絶好のハイキングコースとして紹介されていた。そのコースは三ノ宿山からさらに北へ辿り、1188m峰から北東方向へ進み1047.7m三角点峰がある尾根筋を通って日光市清滝和の代町にある「やしおの湯」に降りるもので、前日光の定番コースのようになっていた。どうも、この宇都宮ハイキングクラブが執筆したガイドブックにこの尾根歩きのコースが出ているらしい。恥ずかしながら、ねくらハイカーはガイドブックの古い版しか持っていないので、この縦走コースについては今までまったく知らなかった。]

 三ノ宿山で何か日光修験道に関する拝礼儀式が行われたかはわからない。この山頂部は平坦で、何か祈祷の対象になるような大岩などはない。池田氏によると、冬峰の入峰ルートの資料では「佐ノ宿」と次の「五葉ノ宿*」との間に「クサクラ」という場所があり、そこで儀式を行ったということだ。しかしながら、その「クサクラ」がこの三ノ宿山かは不明とのこと。

 日光修験の行者道のルートはさらに北へつづくのだが、体力が衰えたヘタレハイカーは今日はここまでとする。同じ道を戻るのは面白味がないが、ここから細尾町側に下って車道を歩くのはちょっときつい。何の芸もない盆暗ハイカーは同じ尾根ルートで薬師岳へ戻ることにする。

[*池田氏は「五葉ノ宿」の宿跡を三ノ宿山から北側にある1188m峰から北東の1158m峰へ延びる尾根筋の中間付近と推定している。五葉ノ宿は冬峰の入峰ルートでは単なる通過点または柴宿だったということだ。]
薬師岳をめざして西へ  そこからてくてく残雪の尾根道を西へ辿る。柔らかい残雪の斜面を登るのは結構きつい。

 途中で何度も何度も休みながらどうにか薬師岳に戻る。薬師の山頂では暫し立ち止まって西日を浴びた男体山や女峰山の山並みを眺めた。

薬師岳北西面の登山道を細尾峠へ、上部に日光連山 日陰の細尾峠、右奥に宿跡(?)の平地  そこからまた細尾町と足尾町の境界になった笹尾根を北西方向へ下り、駐車地の細尾峠に降りる。峠は午前中と違って日陰になっていて、ひっそりしていた。何か物淋しげな雰囲気がねくらハイカーの帰着地点としてはぴったりな感じだ。

 今日は薬師岳と三ノ宿山の間をダラダラ往復したわけだが、改めて日光修験関連の宿跡や石祠などが見物できたのでヨシとする。


日程2010年3月17日 (水)
天候晴れ 西または北西の風
行程時刻細尾峠(駐車地点)8:37→(登山道を南東へ、途中小休あり)→「薬師肩」方面トラバース道分岐 ?:? →薬師岳山頂部9:20〜9:44→(市境を南へ)→「薬師肩」分岐9:46→「掛合宿」跡付近(1381P南側)9:54〜10:03→(北へ戻り)→「薬師肩」分岐10:13→薬師岳山頂部10:17〜10:30→(市境を東へ、小休あり)→(南東寄りへ)→「ヒノキガタァー」(鞍部)11:17〜11:25→1159P山頂部11:28〜11:30→(北東へ、小休あり)→「シモガタァー」?(鞍部)11:46〜11:48→(東寄りへ)→(北東へ)→1242P(「丸山」)12:05〜12:08→(南東へ)→(途中、休憩5分)→大木戸山12:36〜12:47→東側肩地点12:50〜12:52→(北東へ)→三ノ宿峠(鞍部)13:05〜13:11→(南へ)→「佐ノ宿」跡?13:12〜13:16→(北へ戻り)→三ノ宿峠13:17→(北東へ)→尾根道Y字路分岐(三ノ宿山山頂部南側)13:28〜13:30→(市境を外れて北へ)→三ノ宿山山頂地点13:31〜13:47→(南へ戻り)→尾根道分岐(山頂部南側)13:48→(市境を南西へ)→三ノ宿峠13:56→(途中、5分休憩)→大木戸山東側肩地点14:17〜14:21→(北西へ)→大木戸山14:25〜14:27→(途中、休憩あり)→1242P 14:49〜14:56→(南西へ)→「シモガタァー」?(鞍部)15:07〜15:08→(途中、小休あり)→1159P山頂部15:20〜15:22→(北西寄りへ)→「ヒノキガタァー」(鞍部)15:28〜15:29→(西寄りへ)→(途中、休憩5回計20分弱)→薬師岳山頂部16:35〜16:40→(市境を外れて北西へ)→「薬師肩」方面トラバース道分岐16:51〜16:52→細尾峠17:09
備考♦この記録は池田氏の著書『全踏破 日光修験 三峯五禅頂の道』(随想舎 2009年刊)を参考にしています。それから、この尾根コースを歩かれた方々のブログの記録や栃木県在住の方々のHPの記録等も拝見し参考にさせていただきました。
♦三峰五禅頂の各ルートの詳細については池田氏の著書をご覧下さい。

◇ T N H C ◇

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