トンネルを出て少し下ったあたりから右の旧道へ入る。すぐにT字路があり、標識に従って足尾町方面へ進む。こちらの細尾町側はスギの植林地が多い。道路沿いの木陰になったところでは3月に降った雪がまだ融けずに残っていた。部分的に雪の量が多く路面が凍ったところもある。そこは慎重に低速で走る。
さらにくねくねしたカーブ道を上がって行くと、広葉樹の雑木類が生えた山腹を進むようになり、左上に薬師岳が間近に見えてくる。なおもヘアピンカーブをノロノロ上がって行くと、やがて道標類が立つ地点に着く。細尾峠*だ。
さっそく、道路わきに車を置いて池田氏の著書に出ていた峠北側の傾斜地にジロリと目をやる。
ねくらハイカーは以前ここから茶ノ木平方面へ歩いているが、この平地にはまったく気づかなかった。華供峰の入峰ルートの資料では、ここは「古谷(ふるや)宿*」と呼ばれていたそうだ。
地形図ではこの峠付近に水準点があるということなので、野次馬根性のねくらハイカーは道標地点から南西の足尾町側へ進んでみる。道路の全面通行止めの看板を見て、石垣の法面に沿ってさらにトボトボ行くと、道路北側の路肩付近に「水準点」と表記された看板が立っていた。ここに1193.0mの水準点があるようだ。ということは、この看板付近に標石または金属標が埋設されているのかもしれない…。
それから、すぐに準備を整えて「前日光高原」方面の道標が立つ地点から薬師岳への登山道に取り付く。気温は2℃ほど。少し寒い。いくらか風も吹いている。
尾根筋には夏道のルートが確認できるので安心して歩ける。樹木にはテープやビニール紐などの目印も多数付いている。それから、関東森林管理局の境界見出標の赤プレートなども見える。
尾根沿いからの展望は落葉した雑木林の枝越しに多少ある。前方にはこれから登る薬師の山影がハッキリ見えている。それから、左下や右下には細尾町や足尾町方面の谷筋も確認できる。
尾根沿いを快調に進んで行くと、やがて右の足尾町側の斜面が崩落しているヤセ尾根部分に出る。どうも、このあたりは少しずつ崩落が進んでいる感じだ…。
ヤセ尾根を越えて尾根筋をトロトロ行くと、雪が消えて穏やかなミヤコザサの斜面になってきた。
体力が衰えたヘタレハイカーは途中で立ち止まって呼吸を整えながら登る。
そこからやや東寄りに登って行くと、足元の笹地に上辺が丸みを帯びた標石が見えた。赤ペンキも薄っすら塗られているので、境界を示す標石らしい…。そこで、周りの雪を足で払ってみると、側面に「次三角點」の刻字があった。昔の山林局が設置した次三角点の標石だ。この山は三角点ピークということなので、明治時代に山林局が先に測量を実施したようだ*。
そんなことを考えながら少し行くと、その先の岩がゴロゴロ出ているところの立木に山名板の標識と木札*が付けられ、その下に二つの石祠が見えた。
石祠は日光修験道に関連する金剛堂とのこと。南側にある石祠の側面には寛永九年(1632年)の年月日が彫られている。また反対側には奉納者らしき修験者の名前なども確認できる。別の石祠には文字が彫られていないが、やはり江戸時代のものらしい。それから、拓本をとらないとよくわからないが、石祠の母屋表面には何やら梵字(サンスクリット文字)のようなマークが薄っすら見える。池田氏によると、これは薬師如来を示す種子(しゅじ)*ということだ。つまり、日光修験道ではこの山に薬師如来を祀っているわけだ。山名もここから来ている。
そこから東へ数歩進むと道標形の標識が立つ薬師岳の山頂地点(1420m)に出る。多分ここに国土地理院設置の三角点の標石があるはずだが、今日は生憎50cmほど積雪していて確認することはできない。ひとまず休憩しながら足で道標付近を掘ってみるが、雪が締まっていて地面は中々出てこない。「こりゃー、スコップを使わないとダメだ。」 やはり、残雪期に三角点の標石を確認するのは難しい。そこでまたもや掘るのは諦め、立木に付けられた3、4枚の山名板などを見物する。今回は山部氏や「日光の山紀行」の標識以外にtaka氏の「栃木百名山 41座」という白塗りの標識がかなり目立っていた。最近はどこの県でも県内の百名山を選定しているようだ。この県百名山を目標にしてバンバン登っている人がいるのかもしれない…。
休憩後、鹿沼と日光の市境になっている尾根沿いを南へ下る。この尾根は禅頂行者道のルートになっていて、池田氏によると、この近くの1381mピークの南側に日光修験に関する宿跡があるそうだ。
すぐに道標が立つところに着く。「薬師肩」という地点だ。
「薬師肩」を過ぎ南方向へ少し下り、そこから1381mピークの登りにかかる。この斜面は積雪が多い。いくらか吹き溜まりになっている。
1381mピークを過ぎ、柔らかな雪の斜面を南へゆるゆる下って行くと、尾根沿いに石祠のようなものが見えてきた。金剛堂らしい。
「掛合宿」の金剛堂はやや大きく立派だ。中は空だが*、母屋部分に文字が彫られている**。
宿ということで、金剛堂からちょっと鹿沼側へ下ったところ人為的に開削したような場所がある。
そこから尾根沿いを20mほど南へ下ったところに大岩がある。池田氏によると、ここにも石祠があるそうだ。
宿跡も見物できたので、野次馬ハイカーはそこから市境の尾根ルートを北へ辿り薬師岳に戻る。前方に樹間に男体山方面を眺めながらスポスポ緩い雪面を登る。
まずは30cmほど積もった雪面を下る。前方は開けているので、今日歩く予定の三ノ宿山もちょっと地味ながら確認できる。昭文社の地図に「大木戸山」と記された三角点峰もよく見える。三ノ宿山の左後方にある山影が鳴虫山らしい。
地形図の等高線で1360m圏のなだらかなピークを過ぎ、シカの足跡が疎らに付いた雪面をゆるゆる下る。
どんどん下って行くと、やがて広葉樹の雑木類に混じってツガやコメツガなどの針葉樹が多くなってきた。少ないがモミなども生えている。
さらに急な斜面を下って行くと、次第に尾根沿いの雪が消えて。右下に伐採地のような開けた笹の斜面が見えた。斜面に沿ってシカ用のネットなども張られている。
ここでちょっと立ち止まってネット越しに疎らに植林されたヒノキの幼木を観察すると、すでに新芽や樹皮が食べられていた。どうも、ネットは役目を果たしていないようにみえる。
さらに下ると、尾根の鞍部*に降りる。そこには屋根のない古い石祠があった。池田氏によると、ここが冬峰の入峰ルートの資料で「ヒノキガタァー」という地点らしい**。
よくわからないが、池田氏によるとここは日光の細尾と草久の蕗平を結んだ峠とのこと。屋根なしの祠は母屋部分が壊れているが、彫られた文字によると山神を祀ったものらしい。日光修験とは関係ないそうだ。
そこから15mほど東へ進むと、また石祠が二つある。池田氏によると、これは江戸時代に地元の村民が奉納したもので日光修験とは関係ないとのこと。二つのうち、東側の祠には側面に文化五辰(1808年)九月吉日の奉納年月日と奉納者の名前などの文字が彫られている。
鞍部からいくらか南東寄りに尾根筋を登る。傾斜が少し急なので休み休み行く。この笹尾根の斜面にはシカの糞が目立つ。数多く生息している気配がする。やはり、植林地には高いネットがないとダメだ。
のどかな感じの雑木林の尾根筋ゆるゆる下りシカにきれいに食べられた笹地を進むと、右の鹿沼側に二、三ヶ所平地のようなところが見える。池田氏によると、この平坦地付近を通称「丸山ダル」と呼ぶそうだ。夏峰の入峰ルートの資料ではこの付近に柴宿があったらしい。
そこからダラダラ下って行くと、苔むしたコンクリート杭が打たれた鞍部*に降りる。鹿沼側はヒノキの植林地で展望はないが、日光側は雑木林の枝越しに男体山方面が見える。それから、このあたりからは男体山と茶ノ木平の稜線がつくり出す谷間の後方に奥白根の真っ白な円頂部を眺めることができた。
そこから雪が消えて岩がちょっとゴロゴロした尾根筋を北東寄りに登る。このあたりは風が当たらず日当たり良好で暖かい。多少傾斜がきついので、ヘタレハイカーはスローペースの登りとなる。境界標の石柱が打たれた地点から尾根に沿ってやや左方向に曲がり穏やかな笹尾根を登って行くと、1242m峰の山頂地点に着く。
ここからは市境尾根を東または南東寄りの方向へ進む。前方には雑木林越しに次の大木戸山の山影が間近に見える。尾根沿いには栃木県の刻字が入った新しい感じの石柱も打たれている。
なだらかな尾根沿いを上り下りしながらダラダラ進む。池田氏によると、この付近は通称「カモガタァー」または「ハラスリ」と呼ばれ、昔は野鳥を獲ったところということだ。
右の鹿沼側から冷たい風に吹かれながら南東へトロトロ登って行くと、三等三角点の標石が埋設された大木戸山*の山頂(1287m)に着く。標石の側には国土地理院の白い樹脂杭も見える。標杭は新しい感じなので、関係者が最近標石の確認をしたのかもしれない…。この山頂には達筆標識・「栃木の山紀行」・「日光山紀行」などの山名板の標識が表示されていた。
ここで少し休む。この山頂付近は雑木が茂っているのでそれほど展望はないが、三角点から尾根筋をちょっと東へ下ると北側が開けていて、日光方面の眺望がいい。特に清滝にある古河電工日光事業所の建物がよく見えた。工場の裏手遥か後方には女峰山方面の連なりがまことに見事だ。
休憩後、展望地からそのまま南東へ進む。このあたりは部分的に20cm以上積雪していた。山頂部東側にある尾根の肩付近から左(北東)方向へ下る。池田氏によると、この山頂部東側から南方の鹿沼側の支尾根に下る道もあるそうだ*。
このあたりの市境尾根には雪がまだ15cm以上も積もっていた。どうも、3月に降ったドカ雪が影響しているようだ。
残雪の尾根道を下って行くと、笹尾根の平坦地に降りる。おそらく、この鞍部付近が昔の三ノ宿峠*だろう。ここから北側には男体山が雑木林越しに望める。また、残雪の奥白根も何とか確認できる。南側はヒノキ林なので展望はほとんどない。
そしてここには、池田氏が指摘するところの仏像*が彫られた金剛堂が南向きに置かれていた。
そこからさらに東側に別の石祠がある。石祠の母屋部分にはスリット形の窓が付いている。池田氏によると、これは山神を祀った石祠*ということだ。中に何か仏様の坐像が安置されている。
ここで野次馬根性のねくらハイカーは、ちょっと罰当たりだが、池田氏の先例に倣って中の仏様を拝観させていただく。
日陰の急斜面を25mほどドタドタ下って行くと、下の方に斜面を人工的に削ってつくられたような平地が見えた。多分この平地が、池田氏が指摘するところの、冬峰の入峰ルートにある「佐ノ宿*」の宿跡らしい。
宿跡見物後は峠地点の金剛堂まで戻り、そこから市境の尾根筋を北東へ登る。
すると、間もなく傾斜が緩くなり尾根道の分岐地点に出る。山頂部の南側付近らしい。多分、ここから右(南東)の市境に沿ってつづく道が「河原小屋三の宿林道」の方へ行くようだ。ここは左(北)の行者道ルートへ進む。
小股でスポスポ行くと、1分もかからずに山名板の標識類が樹木に表示された地点に着く。多分、ここが1229mの標高点がある三ノ宿山の山頂だ。ここは雑木類にカラマツが混じった樹林帯になっているので、展望はほとんどない。それでもこの時節は樹木が落葉しているのでいくらか見通しがある。北の女峰山や北東の鳴虫山あたりが樹林越しに見えた。
その他には、北方向に矢印を示して「ヤシオの湯 2007 10.8」と書かれたUHCの標識が付いていた。これは宇都宮ハイキングクラブの標識らしい。ということは、今はここから北へ歩く人が多いのかもしれない…*。
そこからてくてく残雪の尾根道を西へ辿る。柔らかい残雪の斜面を登るのは結構きつい。
そこからまた細尾町と足尾町の境界になった笹尾根を北西方向へ下り、駐車地の細尾峠に降りる。峠は午前中と違って日陰になっていて、ひっそりしていた。何か物淋しげな雰囲気がねくらハイカーの帰着地点としてはぴったりな感じだ。| 日程 | 2010年3月17日 (水) |
| 天候 | 晴れ 西または北西の風 |
| 行程時刻 | 細尾峠(駐車地点)8:37→(登山道を南東へ、途中小休あり)→「薬師肩」方面トラバース道分岐 ?:? →薬師岳山頂部9:20〜9:44→(市境を南へ)→「薬師肩」分岐9:46→「掛合宿」跡付近(1381P南側)9:54〜10:03→(北へ戻り)→「薬師肩」分岐10:13→薬師岳山頂部10:17〜10:30→(市境を東へ、小休あり)→(南東寄りへ)→「ヒノキガタァー」(鞍部)11:17〜11:25→1159P山頂部11:28〜11:30→(北東へ、小休あり)→「シモガタァー」?(鞍部)11:46〜11:48→(東寄りへ)→(北東へ)→1242P(「丸山」)12:05〜12:08→(南東へ)→(途中、休憩5分)→大木戸山12:36〜12:47→東側肩地点12:50〜12:52→(北東へ)→三ノ宿峠(鞍部)13:05〜13:11→(南へ)→「佐ノ宿」跡?13:12〜13:16→(北へ戻り)→三ノ宿峠13:17→(北東へ)→尾根道Y字路分岐(三ノ宿山山頂部南側)13:28〜13:30→(市境を外れて北へ)→三ノ宿山山頂地点13:31〜13:47→(南へ戻り)→尾根道分岐(山頂部南側)13:48→(市境を南西へ)→三ノ宿峠13:56→(途中、5分休憩)→大木戸山東側肩地点14:17〜14:21→(北西へ)→大木戸山14:25〜14:27→(途中、休憩あり)→1242P 14:49〜14:56→(南西へ)→「シモガタァー」?(鞍部)15:07〜15:08→(途中、小休あり)→1159P山頂部15:20〜15:22→(北西寄りへ)→「ヒノキガタァー」(鞍部)15:28〜15:29→(西寄りへ)→(途中、休憩5回計20分弱)→薬師岳山頂部16:35〜16:40→(市境を外れて北西へ)→「薬師肩」方面トラバース道分岐16:51〜16:52→細尾峠17:09 |
| 備考 | ♦この記録は池田氏の著書『全踏破 日光修験 三峯五禅頂の道』(随想舎 2009年刊)を参考にしています。それから、この尾根コースを歩かれた方々のブログの記録や栃木県在住の方々のHPの記録等も拝見し参考にさせていただきました。 ♦三峰五禅頂の各ルートの詳細については池田氏の著書をご覧下さい。 |
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