棒切沢付近から高水の頭(ガク沢ノ頭)



 ねくらハイカーは4月に山岳サイクリストの方々の記録を参考にして、多野郡上野村の神流川上流部長戸沢(本沢)にある昔の森林軌道終点の廃屋跡から埼玉との県境の尾根に上がり、三国山(二本木ノ頭)へ登った。そのとき、サイクリストの方々とは違って、ソラ峠*は県境尾根にあるのではないかとする記録をアップした。

 しかしその後、戦前このあたりを歩かれた山岳関係者の案内書や紀行文を拝見したところ、ソラ峠は県境に聳える「棒切(ぼうきり)ノ頭**」付近から北に派生する群馬側の支尾根上にあって、以前はそこを経由して長野との県境にある旧三国峠へ歩かれていたことがわかった。つまり、山岳サイクリストが空峠とした地点が正しかった。

[*かつて、上野村楢原から旧三国峠を越えて武州や信州へ抜けるときに使われた峠道のルート上にあり、以前は上武国境の尾根付近にあるのではないかと云われた峠。初めて上州側から歩いた人はそこを三国峠(旧三国峠)と間違え、ニセの峠として「嘘(そら)峠」と呼んだらしい。]
[**現在の二万五千分の一地形図「居倉」では三国山(二本木ノ頭)北側の県境にある1730m標高点ピーク。昔の陸測の五万分の一地形図「金峰山」では1640m圏の等高線で表記されていたピーク。案内書によっては「棒切峯」とも表記されている。]
 そこで、ひとまず10月に記録を訂正する。しかして部分的に修正しても、ねくらハイカーの記録は県境尾根にソラ峠を想定しているということで、まとまりのないものになってしまった。

 本来は4月の記録を削除して全面的に改訂したものをアップすればいいのだが、ねくらハイカーにはそのような編集能力はない。そこで今回は、戦前に神流川本谷上流の棒切沢からソラ峠を経由して旧三国峠へ歩いた案内書の記録や紀行文等*を参考にして県境尾根に上がり、上武国境の尾根道を歩いてみようと11月下旬頃上野村方面に出かけてみた。

[*新島章男 編『東京附近山の旅 続編』(朋文堂 昭和11年刊)所収「神流川の附近」(小林秀二氏 執筆)・中村謙 著『山と丘稜』(朋文堂 昭和14年刊)・同 著『上信境の山々』(朋文堂 昭和18年刊〔修正改訂版〕※初版は昭和13年刊行)および原全教(ぜんきょう)氏の著書等]
琴音トンネル先の通行止め地点(2008年11月現在)  いつものように国道299号を西へ走行し、砥根平からぶどう峠越えの県道124号上野小海線に入る。それから途中の三岐付近を左折して「御巣鷹の尾根」方面へ向かう。

 快適な2車線トンネル道で奥神流湖の東岸を抜けて行くと、ほどなく琴音トンネル先の通行止め地点に着く。林道は4月と同様、バリケードで塞がれていた。今回は二つの単管バリケードが小さな番号合わせ錠が付いたチェーンで結ばれている。関係者以外通行止めというわけだ。

 バリケードを無理やり動かせば進入できそうだが、その先の崩落箇所が開通しているかわからない。今日は予定通りここから歩くことにする。以前読んだ新聞記事によると、6月に「御巣鷹の尾根」へ通じる林道の別の箇所でも崩落が発生したということで、この林道の開通は大幅に遅れるとのこと。

 車を左に寄せて出発の準備をしていると、琴音トンネルの方から車の走行音が聞こえてきた。そのうちにトンネルからランクルタイプに四駆車が現れた。工事関係者の車らしい。何気に様子を見ていると、作業服姿の男性がバリケードを開けて車を入れ、素早くバリケードを閉めて林道の奥へ走り去った。今日は平日ということで、復旧工事の現場に向かうようだ…。

 それから5分もしないうちにまたライトバンが1台走ってきた。そして先ほどと同じように、運転してきた作業者がバリケードを開けて車を奥へ入れようとし始めた。ねくらハイカーは透かさず側に駆け寄り、作業着の運転者の方に「あのー、一般の車も奥に入れますかねぇー?」と訊いてみた。しかし、応えは予想通り「一般の車は入れません」とすげなく、そそくさと車に乗り込み奥へ走り去った。ねくらハイカーは遊山ということで、ここからてくてく行くしか方法がない。
 まずはバリケードをすり抜け、奥神流湖南端部の東岸を南へ進む。気温は−2℃。寒い。橋を隔てた湖西岸には東電の電力施設があり山腹に掘られたトンネル道が見える。地下施設へ通じるトンネルのようだ。詳細はわからないが、このあたりの山中地下には神流川発電所の施設*があるらしい。

 湖南端の神流川右岸をトロトロ行くと、やがて右下から細い舗装道が合流してくる。昔の本谷林道だ。以前はこの林道をノロノロ走って本谷奥へ入ったわけだが、現在はダムにより水没し廃道となっている。

 そのうちに林道を東へ進むようになる。静かな神流川沿いの道を歩いて行きたいのだが、後ろからバリケードを開けて来た車両が2台、3台と通るようになった。時刻は午前7時ということで、工事現場へ向かう作業者の通勤帯に遭遇してしまったようだ。今日はもう少し早く家を出ればよかったのだが、仕方がない。

[*神流川発電所は最大出力282kWの純揚水式発電所で、上部調整池として長野側の三川上流部に奥三川湖が造られている。それにより、昼間は奥三川湖の水をこの下部調整池の奥神流湖に落として発電し、夜間は余剰電力を利用して奥神流湖の水を奥三川湖に汲み上げるとのこと。つまり、この付近には県境を跨いで壮大な発電システムのプロジェクトが構築されている。]
中止の滝入口西側の崩落現場(2008年11月現在)  林道をスタコラ行くと、やがて春先に法面が崩落した現場に着く。すでに土砂は片付けられ道路は通れるようになっていた。しかし、崩れた斜面に沿って土嚢が積まれているだけで復旧工事は始まっていない。これは通行止めは相当長引きそうだ…。付近には車が1台も停まっていないので、工事関係者は他の崩落現場へ行っているようだ。

 この崩落箇所には神流川に迫り出して歩行者用の仮設歩道がつくられている。夏場の慰霊登山のために設置されたものだ。遺族の方々はここを歩いて通り、奥の地点でバスに乗り換え「御巣鷹の尾根」へ向かったのだろう。

 現在林道は通行できるが、試しに仮設歩道を通ってみる。工事用の足場の底板が薄いせいか少しぎこちなく、コトコト音を立てながら歩く。本格的な復旧工事が始まれば、歩行者はここを通って本谷奥へ行くことになる。

中止の滝入口付近  そこを過ぎると、すぐに中止の滝入口となる*。そこには河原に高床式のプレハブの建物があり、下にコンクリート製の水槽などもつくられている。漁業関連の施設らしい。建物は廃屋のような感じで、現在使われていないようだ。

 ところで、何気に中止の滝の沢に架かる橋の銘板を見たら、「銚子橋」となっていた。この沢は中止沢なので「中止橋」かと思ったが違っていた。チュウシ沢にチョウシ橋ということで、何か関連があるのかもしれない…。

[*小林氏の記録では、戦前はこのあたりに営林署の官舎があったとし、木材搬出用のトロ道(軌道)がここまで敷かれていたとしている。しかし、これについては昭和13年の中村氏の記録や戦後の野口冬人氏のガイド文と少し食い違う。小林氏の記録がいつの頃のものかわからないが、中村氏以前ということで、軌道が延長される前はここに官舎があったのかもしれない。余談になるが、小林氏によると、当時軌道を上るときには大きな犬を使ってトロッコを引っ張っていたそうだ。戦前はブレーキ付きの手押し車を使っていたらしい。]

新本谷橋付近、奥に県境1659P(?)  そこを過ぎてまた工事関係者の車を1台見送りながらてくてく行くと、神流川に架かる新本谷橋に着く。どうも、このあたりから南東の葡萄沢の谷の奥に見えるピークが県境1659m峰(滝谷山)らしい。

 本来はここを渡って本谷上流の林道へ進めばいいのだが、今日は少し昔の旧道を歩いてみる。橋の手前で左の「ぶどう沢林道*」へ通じる道に入る。

[*本谷林道ぶどう沢支線]

旧道のぶどう沢林道分岐地点  昔の道幅そのままの旧道は如何にも奥山に入った気分にさせる。昔の軌道は多分この旧道に敷設されていたのだろう。落ち葉が溜まった1.5車線幅の林道を少し下り気味に行くと、間もなく「ぶどう沢林道」の分岐地点となる。

 この寂れた感じの林道を左に入って葡萄沢の上流をつめて行けば上武国境の尾根に辿り着けるらしい。沢登りが苦手なねくらハイカーにはちょっと無理かもしれないが、興味あるルートだ。

神流川に架かる美人平橋  昔の営林署が設置した看板類を色々眺めてから、葡萄橋で支流の葡萄沢を渡りさらに神流川右岸を進む。すると、すぐに落ち葉が溜まった橋で神流川本流を渡ることになる。

 橋の銘板を見ると、「美人平橋」となっていた。この橋の名前も面白い。何か謂れがあるのだろうか。少し気になる。

 それから、神流川を渡って左岸に進む。橋を渡った先には丸太材が道路一杯に転がっていた。現在、この旧道部分は通行されていないということで、間伐材が放置されたのかもしれない。

神流川左岸「丸淵」付近(?)、上に新道  そこから坂道を少し上がって行くと、右上に先ほどの新本谷橋からの道が合わせてくる。このあたりが昔の案内書や紀行文に出ていた「丸淵」と呼ばれるところの近くで、以前営林署の官舎があったそうだ*。そして戦前はここまで軌道が敷かれていたとのこと**。

[*中村氏の記録による。それから、戦後の野口冬人氏のガイド文でもこのあたりに営林署の事務所があったそうだ。]
[**戦後は伐採作業に伴ってここからさらに長戸沢(本谷本沢)まで延長されたらしい。]

 旧道の坂道を上がって再び新道と合流する。新道をちょっと北側へ戻った地点が中之沢林道*の分岐するT字路で、ちょうど工事関係者を乗せたワゴン車が西へ曲がって行くのが見えた。やはり、もうひとつの崩落現場が中之沢林道沿いにあるようだ。

 そこから先の本谷沿いの道は通行車両もないということで、神流川本谷の渓流を眺めながら一息つく。秋も終わりということで、小鳥の囀りもなくあたりは閑散としている。それから雑木類はすでに落葉し、渓谷沿いには何か物淋しげな雰囲気が漂っている。神流川の水量は雪融け水が流入した春の頃の三分の一にも満たない。沢歩きが苦手な者でも簡単に歩けるような浅瀬になっている。ねくらハイカーはこの何となく寂れた感じが好きだ。

[*中之沢林道中之沢支線]
 そこから少し下り、本谷一号橋で大蛇倉沢を渡り、右に大蛇倉林道入口のゲートを見て渓流沿いの道を南へ進む。昔の案内書や紀行文によると、このあたりの崖際に隧道がいくつか掘られていたとのこと。現在は林道が拡張されたせいか、そのようなトンネル跡は確認できない。

 日陰になっている法面の岩壁を見上げると、長さが50cmくらいの氷柱が下がっていた。そしてアスファルトの路面には、岩壁を伝わって流れた水が凍ってブラックアイスになっている。ここは滑らないように路肩の縁を進む。
対岸(右岸)のミミヅク沢出合  本谷二号橋を過ぎて緩い上り道にかかる。神流川本谷の対岸(右岸)を眺めながら行くと、小さな沢が流れ込むところが目に入った。ミミヅク沢だ。原全教氏の著書*によると、この沢の源頭部に「ミミズクノ頭」という上武国境のピークがあるとのこと。それから、地形図や昭文社の山と高原地図に名前が記載されていない上武国境の無名ピークにもいくらか呼び名があるようだ。

 原氏以外でこのあたりの山の名前について先鞭をつけた山岳関係者に高畑棟材(むねたか)氏がいる。高畑氏は昭和の初めに偶然手に入れた江戸時代の古絵図を基にしてこのあたりの山の名前について詳細な考証を行った**。高畑氏によると、「ミミヅク峯」は旧陸測の五万分の一地形図の1680mピーク(現在の1659m標高点ピーク・滝谷山)としている***。

[*原全教 著『奥秩父研究』(朋文堂 昭和34年刊)参照]
[**高畑棟材 著『山を行く』(朋文堂 昭和5年刊)所収「神流川雑藁」参照]
[***原氏は陸測五万分の一地形図1680mピーク(現在の1659m標高点ピーク・滝谷山)を「オキ葡萄ノ頭」と呼び、「ミミズクノ頭」をその南西側の1640mピーク(現在の二万五千分の一地形図で等高線1610m圏の尾根付近)としている。]

右の崖際に山ノ神の石碑あり 大正11年(1922年)8月建立の山ノ神石碑  そこから本谷沿いをさらに南へ進み、崖際を右に回り込んで行くと、山ノ神が祀られた地点を通る。今回は「山神」と彫られた石碑を近くで眺めた。注連縄が巻かれた石碑には「大正十一年八月建立」と刻字されていた。

 この山ノ神について、中村氏の記録では「…右手の岩壁に山ノ神の小祠が祀られ『本谷山ノ神、大正十一年八月建立』と認めてある」としている。しかし、今岩壁に祀られているのは石碑ということで、祠ではない。建立された年月は同じだが、中村氏が見た山ノ神とは別のものか不明だ*。

[*昭和3年(1928年)の大晦日にこのあたりを歩いて信州側へ抜けた原氏の記録**によると、「…左岸の小平に、山ノ神の石碑と小屋の跡があった」としている。おそらく、中村氏が見た山ノ神もこの石碑のことだろう。ちなみに、原氏や小林氏の記録によると、戦前の営林署の計画ではこの山ノ神付近が林道(軌道)の終点となるところだったらしい。その後の延長軌道敷設の経緯については不明。]
[**原全教 著『奥秩父回帰』(河出書房新社 1978年刊)所収「第二回の冬旅」参照]

本谷三号橋付近(左にみみずく林道分岐)  山ノ神を過ぎ、地形図を参照しながら次の魚留沢の出合を確認しようと対岸を眺めながら進むと、いつの間にか本谷三号橋が架かる「みみずく林道*」の分岐地点まで来てしまった。どうも、魚留沢を見逃してしまったようだ…。

 確認のために戻っても仕方がないので、そのまま「御巣鷹の尾根」の看板があるゲートをすり抜け、神流川本谷上流へ進む。

[*中之沢林道みみずく線]

 4月のときはこのあたりで朝日が差してきて幾分のどかな感じだったが、今は晩秋ということで、この谷あいはまだ日陰になっている。冷たい西寄りの風が吹いて気温が上がらない。途中で後ろをふり返ると日景長戸岩あたりの尾根筋に朝が当たって輝いていた。

 戦前の案内書によると、山ノ神を過ぎた上流部には「魚止ノ淵」とか「魚止ノ滝」と呼ばれるところがあったそうだ。戦後はこのあたりに砂防堰建設の河川工事や林道工事が入ったということで、そのような地形は確認できない。現在の長戸沢は至って穏やかな清流となっている。右岸の斜面にはおそらく戦後に延長された軌道跡が確認できる。
長戸沢ダム付近、左奥に棒切沢  左下に小さな砂防堰を見ながら林道をてくてく行くと、やがて堰形の銘板が設置された長戸沢ダムに着く。案内書の略図によると、スゲノ沢分岐のひとつ手前の支流が棒切沢ということなので、この長戸沢ダム付近から南へ分岐する小沢が棒切沢だ。

 気温は2℃くらい。少し寒い。林道で一息つき、ダム上流側の河原に降りて棒切沢の出合地点に向かう。驚いたことに、春先は滔々と流れていた流水は見えない。どういうわけか、このあたりでは伏流水となっているらしい。これは沢を渡るには好都合ということで、沢床をスタスタ歩いて右岸に進む。

棒切沢出合付近  棒切沢の水量も少なく、長戸沢の河原で伏流水となって消えていた。どうも、沢水は長戸沢ダムの下側で滲み出ているようだ。

 棒切沢は少々荒れ果てた感じで、ここに昔の峠道のルートが通っていたとはまったく想像できない。峠道といっても戦前に歩かれていた程度で、戦後はほとんど歩かれていないだろう。つまり、現在峠道らしき踏み跡はない。

山際に石垣状のもの(軌道跡?)あり 廃棄されたエンジンブロックあり  しかし、沢の入口付近の樹木には昔の前橋営林局の境界見出標の赤プレートが付いていた。それから右岸の山際には段差のある石垣状のものが確認できる。戦後に敷かれた軌道跡らしい。

 試しに沢筋に入ってみると、近くに廃棄されたエンジンブロックがあった。昔何かの動力源に使われたエンジンのようだ。メカ音痴のねくらハイカーには何に使われたものかわからない。

右岸を登る  しかし、こういうものが捨てられているということは、以前この付近に何かあったのは確かだ。ひとまず沢に取り付いて登ってみる。今日は一応昔の案内書や紀行文をコピーしたものを持ってきた。70年以上も前の記録なので参考になるかわからない。

 沢の入口付近は左岸が傾斜のきつい崖になっている。まずは落ち葉が溜まった右岸の急斜面を南へ登る。

岩がゴロゴロした沢筋を進む  そのうちに右岸も少し険しくなってくる。そこでゴーロ状の沢床を徒渉しながら登ることにする。水量が少ないので岩を伝わって歩けば足元を濡らすことはない。適当に右岸や左岸に渡りながら沢筋を進む。さらに崖際を登って行くと、沢水は伏流水となり涸れ沢っぽくなってきた。落ち葉が溜まった沢床には所々に流水も出ている。

 このあたりは先人の記録と大体同じだ。違うのは、戦前は沢沿いに道があり、現在は踏跡などは皆無の寂れた沢となっていることだけ。

途中、ビニール袋の目印あり  沢の真ん中に苔むした大岩が立っているところを過ぎて登って行くと、また沢筋に細い流れが見えてきた。このあたりには古い流木や倒木類が多い。

 途中、落ち葉の吹き溜まりになった左岸の平地に何かビニールのようなものが見えた。何かと思って側に近づいて行くと、ボロボロに破けた透明ビニール袋が枯木に結ばれていた。袋には「箕郷町 無公害性ごみ袋*」と印刷されている。何か箕郷(みさと)町に関係ある人が目印として付けたものらしい。

 しかし、ここは棒切沢に入渓してまだ20分も経っていない地点だ。ここから左岸の斜面に取り付いてもソラ峠のある鞍部へ直登して行けない。誰か箕郷町の住人が棒切沢を遡行したのだろうか?何の目印なのか不明だ。ねくらハイカーはここから左岸に取り付いてもしょうがないので、そのまま沢筋を進む。

[*群馬郡箕郷町は近隣の同郡群馬町・同郡倉渕村・多野郡新町といっしょに2006年1月高崎市へ編入合併しているので、ごみ袋は2005年以前のものかもしれない。]

倒木類の枝が多い沢沿い 廃棄された一斗缶あり  そこから少し登ると二俣っぽい地点になる。そこは沢水がチョロチョロ流れる右の本流を辿る。

 さらに倒木の枝が溜まったところを越えて行くと、沢床に赤錆びた古い一斗缶が捨てられていた。側面には穴が開いているので、作業者が焚き火用に使ったものらしい。しかし、これはどうみても戦前のものではない。おそらく、近年林業関係者がこの沢に入って作業をしたのだろう。

上部が二俣状になったところ(今回の取り付き地点)  そのあたりから沢の傾斜は緩くなり、涸れ沢っぽくなってきた。谷の両側が急斜面になったところをつめて行くと、やがて二俣のようになったところに着く。そこには古い缶コーヒーの空き缶が捨てられていた。作業者のものらしい。何か曰く有りげなところに見える。

 小林氏の記録では、「…やがて谷が二分するところで、小径は向かつて右手の尾根へ、ジグザグを切つて登り、尾根の向側の、沢の頭を一つまはつて、尾根へとり着く」とある。ここが小林氏の「谷が二分するところ」だろうか?ちょっと判断に苦しむ。

 中村氏の記録では、「…かくして沢をつめること小一時間。右岸から水のない窪の出合うところで左岸に取付き、電光形に之を登ると五分ほどで小曽根の上に出る」とある。前方奥に見える沢筋が中村氏の云う「水のない窪」なのだろうか?どうにも先人たちが云うところのソラ峠への取り付きがわからない。

 前日に地形図を眺めて、1543m標高点ピークの南側鞍部(ソラ峠)へ東側から回り込む小さな枝尾根上にルートを想定していたのだが、実際に入渓してその尾根筋を探し出すのは難しい。自分の位置が特定できないと、地図を見てもどこを登っていいのか見当がつかない。正確な現在位置がわかるGPSを携帯していれば何とかなりそうだが、軽装備のねくらハイカーは自分のへぼ勘に頼るしかない。

取り付いた斜面、踏跡なし[※ルートミス]  いつまでも沢筋を眺めていてもしょうがないので、ひとまず前方奥に見える涸れ沢の左岸に取り付いてみる。落ち葉が厚めに溜まった斜面は凍っているのでいくらか締まっていた。見た目より歩きやすい。古い倒木や枯れ枝踏み越えて急傾斜の斜面に付いたシカ道を辿って適当にジグザグに登る。

 中腹まで登ってみたが、この急峻な斜面に人が歩いたような形跡はなかった。どうも、峠道があった枝尾根はここではなさそうだ。しかし、この斜面を登って上の尾根に出れば何とかなるだろうと楽観的に考えて登りつづける。

中腹から上は岩の多い急斜面、この上に垂直の崖あり[初心者登行不可]  そのうちに傾斜は増して岩の多い斜面にになってきた。すでに45度以上の傾斜になっているだろう。そこからさらに雑木類の樹木を掴みながら強引に登って行くと、やがて上部が20m以上もある垂直の崖となってしまった。《アレ、ここは一体どこだ?これは岩登りしないと上の尾根に出られない…。困った、どうしよう…》と一思案。

 崖を観察すると、15m上の右側の岩場にクラック状の割れ目があり、そこに木の根のようなものが垂れている。あそこまで登れば何とか岩壁を突破できそうだ。しかし、そこまで行くのに何の手がかりもない急傾斜の岩場を登らなくてはいけない。途中で一歩でも踏み外すと滑落してしまう。岩登りが得意で足腰がしっかりしている人なら難なく登れる岩場だが、バランス感覚が衰え腕や足腰が弱ったねくらハイカーにはちょっと厳しい。

中腹付近から北西方向に山尾根あり[1543P北尾根]  これはどうしたものかと崖を見ながら考えるが、ここは「命有っての物種」ということで、撤退と決め込む。しかし、今まで苦労して登ってきた斜面を見下ろすと、恐ろしいほどの急勾配になっていた。ここも下手に下ると滑落の危険性がある。

 そこでザックの中から補助ロープを探し出し、樹木の幹に引っ掛けながら下る。ねくらハイカーはすでに精神的にも肉体的にもヘタレ状態なので、途中で何度も樹木にしがみ付きながら屁っ放り腰の体勢でヨタヨタ下る。

 どうにか傾斜の緩い中腹まで下ると、北西側に尾根筋が見えた。ここは下の谷筋まで降りても峠道のルートがわからないので、そこからはその尾根に向かって山腹の斜面を西へトラバースして行く。

山腹から北東方向、諏訪山からブドー沢の頭へ延びる山尾根  横に走るシカ道などを利用して山腹を水平に進む。

 途中、樹間が開けたところから北東方向に目をやると、諏訪山から帳付山あたりの山々が見えた。《アレ…? ということは、やはりここはソラ峠の近くかもしれない…》 ねくらハイカーは自分の位置を特定することができない。

アセビが茂る尾根[1543P北尾根]へ 明瞭な尾根筋を南へ  さらに山腹を水平にトラバースして西側のアセビなどの常緑樹が茂る尾根に上がる。

 そこで一息つき、針葉樹のツガが多い尾根筋を南方向へ進んでみる。

前方に崖状の岩場[1543P北側にある岩場]、右側に登路あり  何か見覚えがある尾根だなと思いながら登って行くと、前方がまたもや崖状の岩場になった。しかし崖をよく見ると、確かに見覚えがある…。《アレ、これは4月に長戸沢(本谷本沢)から登ったとき、1543m峰の北側にあった岩場だ。ということは、先ほど棒切沢から登った急斜面は、地形図で1543m峰の北西側にある崖マーク付近らしい。道理でねくらハイカーには登れないわけだ…。》

 ここで初めて、自分が今まで辿ったルートと現在位置が確認できた。今回は棒切沢から勘違いなところを登ってしまったようだ。まったくお粗末なルートファインディング。これがねくらハイカーの山歩きのクオリティ…。

 棒切沢からソラ峠へ辿るという今回の目的は失敗に帰したということで、ここからは計画を切り替え、春先と同様、1543m峰北側の岩尾根を登ってソラ峠へ向かうことにする。

南西から西方向、舟窪・高天原山〜1880P・日航頭・大蛇倉山  さっそく岩壁右側のシャクナゲ林に取り付く。すでに一度登っているので不安はない。

 崖際をゆるゆる上がって行くと、シャクナゲのヤブの中に古い地下足袋のゴム底部分が引っかかっていた。林業関係者のものらしい。4月に登ったとき、未踏のルートにしては登りやすいと感じた。やはり、動物以外にも人間が歩いていたわけだ…。

 少し登ると、展望のあるところに出る。そこからは西の上信国境に聳える高天原山(所並ノ頭・蟻ヶ峰・蟻ヶ峠)や大蛇倉山(高岩・北ノ窪ノ頭)の山々が見えた。「御巣鷹の尾根」も何とか確認できる。今日は西側から冷たい風が当たる。

1543P北尾根の岩場(展望地)、左後方にブドー沢の頭・滝谷山 岩場から北東方向、ブドー頭・1650P・滝谷(オキ葡萄)〜1560P・高水頭(ガク頭)  一息ついてさらに右に回り込みながら登って行くと、好展望の岩場に出る。そこからは、高天原山や大蛇倉山はもちろん、諏訪山や帳付山も見渡すことができる。

 前回はこの岩場を足早に通り過ぎたが、今回は尖った岩稜の上に立って周囲の景色をゆっくり眺める。東から北東方向には三国山から帳付山に連なる上武国境の稜線も確認できる。原氏の著書などによると、あの県境上の小さなピークにも名前があるそうだ。

岩場から左下(北東)に棒切沢の谷  それから、左下を見下ろすと、先ほど登ってきた棒切沢の谷が見えた。今回はソラ峠への取り付き地点を完全に間違ってしまった。もう少し奥の地点から尾根に取り付けば、東側から枝尾根を搦んでソラ峠に登れたのかもしれない…。

 今日はこの岩場は北西からの強風がモロに当たる。日差しはあるが寒い。温度計は4℃を示しているが、体感温度は0℃以下だ。

ヤブ尾根を右(西)に巻く 1543P山頂  小休後、岩の多いヤブ尾根を南へ辿る。4月と同じように西側の斜面に巻いて進んだが、途中の灌木帯のヤブにはまり込みタイムロス。春とは違って今回は結構な密ヤブとなっていた。

 そこを抜けると、シャクナゲが茂るピーク地点に出る。シャクナゲの枝に自分が付けたテープが見えた。ここが1543m峰の山頂だ。山頂といっても周りがシャクナゲや他の灌木類に覆われているので、展望はよくない。

1543P西側から南方向、三国山(奥中央)〜1818P(右端)
 一息ついてソラ峠がある南側の鞍部に下る。少し尾根の西側を進んで行くと、ツガやゴヨウマツが疎らに生えたところがあり、そこから南方の樹間に三国山付近の稜線が見えた。

 あの小さな突起状に見える三国山の右側に旧三国峠があるのだが、途中の山腹に峠道が通っていたとは平成の盆暗ハイカーにはとても想像できない。

ソラ峠付近、お宮跡の残骸  そこから南側の岩場を下って、お宮の残骸がある鞍部に降りる。ここが山岳サイクリストの云う「ソラ峠」だ。お宮はやはり峠に祀られたものらしい。戦前の記録にはお宮や祠のことが出ていないので、昭和初期や昭和十年代にはまだ安置されていなかったのかもしれない。

 東側からこの尾根付近に登りついた小林氏の記録によると、このあたりには木を削ってつくられた小さな標識があり、「向かつて左、峠へ到る」と表記されていたそうだ。

ソラ峠「山36」地点から東側  お宮の残骸から少し南へ進むと、文字が消えた看板や「山 三六」の標石が埋設されたところに着く。戦前は東側の棒切沢からこのあたりに登りついたのだろうか…。ちょっと想像できない。

 中村氏の記録には、「これより左上に尾根を伝ひ、心持ち左側を搦んで進めば、ツガやモミの巨樹鬱蒼たる峠に立つ。一寸秩父らしい感のする潤のある峠で、気の早い人は誰でも之を三国峠と間違ふほどである。かつて陸測の人達も、霧が深かつた為めこゝを三国峠と誤信し、目の下の神流川本流へ降つてしまひ、そのために一時行衛不明を伝へられたことさへある。爾来人之を呼んで『虚(そら)峠』といふ。」とある。

 つまり、いつの頃かわからないが、測量作業のため棒切沢から登った陸地測量部の隊員がこの地点を三国峠(旧三国峠)と間違えて、信州側だと思って神流川の本谷(現在の長戸沢)へ下ってしまったらしい。それ以降、この地点にソラ峠の名前が付いたようだ。それ以前にはここに峠名は付いていなかったのかもしれない*。

[*昭和3年の年末にこのあたりを歩いている原氏は、「支流の左岸に小さい板小屋がある。傾斜加わる源流を左右して丸い尾根へとりつく。周囲は黒木林になりきった。本流と別れて一時間、大きい尾根の一端へ登った。十分ほどで小平があった。目的の峠かと思ったが、南に見下す谷の暗さからまだだった…」(前掲書「第二回の冬旅」)と記述し、ソラ峠の名称は使っていない。このあたりの山名や沢名に精しい原氏の記録にソラ峠の名称が出ていないのだから、やはりこの峠名は陸地測量部の行方不明事件以降のものらしい。小林氏の記録でも陸地測量部の行方不明の件には触れているが、ソラ峠の名称はない。もしかすると、この「ソラ峠」という峠名は中村氏の著書によって山岳関係者の間に喧伝されたものかもしれない。]

1543Pから南へつづく支尾根  そこからは高木の針葉樹が多い尾根筋を南へ進む。尾根沿いには獣道のような微かな踏跡があり、スズタケやシャクナゲも疎らに生えている。今日は風が強いということで、時折上の方からギギーッという樹木の枝が撓う音が聞こえてきて如何にも淋しげな雰囲気になっている。

 そのうちに大きな岩稜を右(西)に巻く。すんなり岩稜の上に行けるが、巻き道から細い踏跡がそのまま西側の斜面につづいていた。ねくらハイカーは昔の峠道のルートかもしれないと思って、尾根筋に戻らずそのまま進んでみる。

 しかして20mほど進むと、踏跡はヤブの中で消えてしまった。どうも、この細い踏跡はシカ道らしい。ルートミスということで、左上に折り返して尾根筋に戻る。

支尾根の途中から北東の樹間に帳付山・ブドー沢の頭・滝谷山  そのうちに尾根の傾斜も少しきつくなってきた。体力が衰えたヘタレハイカーはたちまち原生林っぽい斜面で立ち止まり休憩タイムとなる。左の北東方向の樹間には相変わらず帳付山あたりが見える。

 ところで、このあたりの古い倒木を見ると、樹皮が剥がれ細かい粒状の木屑が苔の斜面に散らばっていた。どうも、これは黒いヤツがシロアリを狙った痕らしい。4月もこの尾根で爪痕を確認しているので、近くに生息しているのは確実だ。

 何かちょっとヤバそうな気がしてきたので、ここからは鈴を手で揺らしながら進む。

シャクナゲが多い原生林っぽい尾根筋  さらにシャクナゲが多い苔が生えた斜面を登る。4月のときは残雪があったのでわからなかったが、今回は尾根沿いに薄っすら踏跡も確認できる。そしてその踏跡を適当に追って行くと、途中のヤブの中に猟銃用の空薬莢が1個落ちていた。やはり、ハンターもここを歩いているようだ…。

 戦前の記録によると、昔の峠道は途中から尾根の西側を通り、棒切ノ頭(1730m峰)の山腹を巻いて県境尾根に出るとのこと*。現在はその峠道のルートは廃道ということで、ねくらハイカーは踏跡を辿って尾根筋を直登する。

[*原氏の著書によると、その山腹の急斜面を「石楠花坂」というらしい。]

県境尾根到達地点[山岳サイクリストの「浜平分岐」付近]  微かな踏跡を辿って尾根の西寄りをトロトロ行くと、やがて埼玉県境の尾根地点*に出る。そこはちょうどMTB愛好家の記録の画像にあった倒木の尾根地点(浜平分岐)で、近くの樹木にはテープの目印が付いていた。

[*棒切ノ頭(1730m峰)山頂部北東側]

棒切ノ頭(1730P)南側展望地から南方向、1796P・三国山(二本木ノ頭)〜1818P 棒切ノ頭展望地から西方向、高天原山(所並ノ頭・蟻ヶ峰)〜大蛇倉山(高岩・北ノ窪ノ頭)  ここは展望がないので、県境尾根を南西寄りに進む。「山 三四八」のコンクリート杭が打たれた棒切ノ頭最高点(1730m標高点)を過ぎて少し下って行くと、次の「山 三四七」が打たれた展望地に出る。

 そこからは高天原山や大蛇倉山の上信国境の山々や三国山および奥秩父の山々の稜線を見ることができる。ゆっくり眺めたいところだが、今日は西側から冷たい強風が吹き荒れていた。北信に雪を降らせた千切れ雲がどんどん流れてくる感じだ。そこで尾根の東側に避けて休憩する。

棒切ノ頭から東へ延びる県境尾根、踏跡あり  今回は少し上武国境を歩くということで、休憩後、県境尾根を北東へ戻る。最高地点を過ぎ、先ほど登りついた地点まで戻る。そこからさらに倒木を越えて北東方向へ進む。

 この県境尾根は歩く人も多いようで、テープやビニール紐の目印がいくつも付いていた。それから樹木の幹にはスプレー書きのペンキマークもある。

 尾根道はそのうちに東へ下るようになる。尾根沿いは樹木に覆われているのでクリアーな展望はないが、雑木類はすでに落葉しているので、多少見通しが利く。右(南)方向には信濃沢右岸の松尾尾根の稜線がチラホラ見える。スズタケが茂った尾根道を進んで行くと、埼玉側からシカの啼き声も聞こえてきた。近くに群れがいるようだ。

尾根の途中に埋設された主図根点の標石[1730P東側県境1610m付近]  そのうちに少しヤブめいてくるが、県境には明瞭な道跡があり、コンクリート杭や古い木杭なども打たれている。さらに東へ下って行くと、途中に御影石の標石が見えた。標石には「主図根点」の文字が彫られている。それから、「山」・「公共」・「秩父11」という文字もある。

 ということは、この尾根地点に昔の秩父の営林署が図根点を設置したわけだ。でも、何でこんなところに図根点があるのか不思議だ。測量のための基準点にしては中途半端なところにある。

[*あとで推測すると、棒切ノ頭東側の等高線で1610m付近。]

そのまま東へ下ると行き止り、前方に松尾尾根1554P  一息ついて、尾根筋をそのまま南東寄りに下る。すると、地面に倒木があり前方に信濃沢右岸の松尾尾根の稜線が見えた。そしてその先は断崖状の斜面になっていた。《アレ、ここで行き止りだ。おかしいな?》と思って周りを見回すと、左下のヤブめいた樹林の奥に微かな踏跡があった。傍らの樹木には目印のペンキマークも付いている。そこで左下の落ち葉が溜まった斜面に10mほど下る。すると、たちまち踏跡は消えて断崖状の急斜面になってしまった。

 これはルートミスということで、慌てて落ち葉の斜面を登り返し元の尾根地点まで戻る。どうも、このペンキマークを付けた人もルートミスをしたようだ。テープなら簡単に取れるのだが、ペンキは落とせない。このように間違ったまま放置されると、後の人にはちょっと迷惑となる。

主図根点から北東方向にビニール紐の目印あり  松尾尾根がよく見える尾根地点で再び踏跡を探したが、人が歩いたような踏み跡はなかった。仕方ないので、先ほどの主図根点まで戻る。そこから改めて周囲を見回すと、5mほど左下(北東)の木の枝にビニール紐の目印が付いていた。

 県境の尾根道は主図根点から北東方向につづいていたわけだ。このあたりは地形図をよく見ればわかるのだが、ねくらハイカーは大体先人の目印や踏跡を頼りに歩いているので、目印が間違っていれば即ルートミスとなる。

 でもよく考えると、この中途半端な尾根地点に図根点の標石が埋設された理由がわかる。つまり、この図根点は三国山から歩いてきたときに県境がここから北東へ曲がっていることを示すための目印というわけだ。

前方(北東)に県境ピーク[魚留ノ頭(1510P)]  ビニール紐の目印を追ってスズタケが生えた尾根道を進む。右の埼玉側にヒノキ林がある。人工林ということで、この奥山にも埼玉県の林業関係者が入っているらしい。それから、尾根道の枯葉の上には真新しいシカの糞が見えた。シカも多数生息している気配がする。

 そこからまたゆるゆる東寄りに辿る。このあたりはきれいに晴れていれば明るい西上州の尾根道になっているところだが、今日は北西から強風が吹いて雲がかかり、暖かな陽だまりハイクとはならない。

 さらに尾根筋を北東へ進んで行くと、落葉した雑木林の枝越しに県境沿いのピークが見えてくる。

魚留ノ頭(魚留峯・1510P)[南西側から]  原氏や高畑氏の著書によると、このあたりの県境ピークにも名前が付いているということだ。今日はそれを確かめながら行こうということで、コンパスと地形図を参照しながら県境を進む。

 そのうちに、北東方向にちょっと尖ったピークが見えるようになった。地形図の等高線で1510m圏のピークらしい。原氏の著書によると、昔の陸測五万分の一地形図で1520mの等高線で表記されていた「魚留ノ頭*」という名前のピークだ。

[*高畑氏や原氏の著書を参考にしたと思われる中村氏の『上信境の山々』の略図では「魚留峯」と表記されている。]

岩の多い尾根筋から南東方向、白泰〜赤沢〜1860P・1867P  無名の小ピークを過ぎ、岩の多い尾根筋を進む。そこからは多少見晴らしがあるので、暫し立ち止まって南東の奥秩父方向の山尾根を眺めた。

 中津川の対岸にあるので、多分栃本からの十文字峠道が通っている尾根だ。

魚留ノ頭(魚留峯・1510P)山頂付近  そこから下って小鞍部を過ぎ、大岩状の岩稜を右の埼玉側に巻いて登って行くと、林野庁と埼玉森林管理事務所が設置した「秩父山地 緑の回廊」看板があるピークの山頂部に出る。ちょうど雲間から日が差してきたので、山頂部は多少明るい感じになっていた。

 看板からさらに北東側に進んで行くと、古い倒木がある最高地点に着く。ここが等高線で1510mの魚留ノ頭(魚留峯)の山頂だ。地図には山名が表記されていないので標識類はないが、「山 二八四」の杭が打たれていた。

 ここも少し風が当たるので寒い。気温は5℃。晴れている割には上がらない。

魚留ノ頭(1510P)西側から高水の頭(ガク沢ノ頭)  小休後、山頂から東へ進む。北東方向の樹間にはすでに次のピークが見える。三角点がある「高水の頭*(ガク沢ノ頭)」らしい。

[*最近の昭文社山と高原地図『西上州』では、このピークに「ガク沢頭」と表記されている。以前の旧版には「高水の頭」と表記されていた。ガク沢頭は埼玉側にある沢名から来ているので、多分埼玉側からの呼び名だろう。高水の頭は魚留沢支流の高水沢から来ているので、明らかに群馬側からの呼び名だ。原氏の戦後の著書にはこのピークに「高水ノ頭」の山名が付されている。それから、明治時代の地理学者河田羆(たけし)氏が著した『武蔵通志』の山岳編においても、三国山へつづく尾根に「高水(タカミヅ)山」の山名が載っている。群馬在住のねくらハイカーとしては、このピークには「高水の頭」が相応しいと感じる。]

最低鞍部付近から高水の頭(左奥)  落葉した雑木類が茂る穏やかな感じの尾根筋を少し下ると、古い倒木がある鞍部を過ぎる。

 このあたりが三国山・滝谷山間の最低鞍部*で、日差しがあれば如何にものどかな感じのところとなるが、今は雲の影がかかって、何とも淋しげな雰囲気が漂っていた。

[*地形図の等高線で1490mほど。須田茂 著『群馬の峠』(みやま文庫179)によると、以前はこのあたりに空峠が想定されてたらしい。]

この先に岩稜っぽい岩場あり、奥に高水の頭山頂部  そこから雑木類が密生した尾根筋を登って行くと、少し岩稜っぽくなる。そこは群馬側に巻いて行く。このあたりの斜面にまた古い地下足袋のゴム底の切れ端が1枚落ちていた。林業作業者のものだろう。いつの頃かわからないが、戦後このあたりで伐採作業が行われた時期のものらしい。

 そこを過ぎて、次の岩がゴツゴツしている尾根を埼玉側に巻いて登る。すると、大きな岩稜の上に出る。さて、この岩稜の北側が高さ2mほどの岩壁になっていた。バランス感覚のいい人なら難なく下れるところだが、足腰の弱ったねくらハイカーにはちょっとヤバそうに見える。ロープを使えば簡単に下れるが、ザックの中から取り出すのが面倒なので、ここは岩場を南西側にバックして、群馬側の斜面に20mほど下り、岩稜部の縁をコツコツ登る。ヘタレハイカーは無理をせず安全第一で進むのが一番だ。

西上州っぽい県境の道  そこを過ぎるとまた明るい雑木林の中を行く道となる。このあたりでは乾いた北西の風がモロに顔に当たって寒かった。

 落ち葉が溜まった尾根筋を倒木の枯れ枝類を踏みつけながらゆっくり登る。今まで下りが多かったので、上りとなるとたちまちスローペースとなる。いつものように休みながら行く。

高水の頭(ガク沢ノ頭)山頂、三等三角点あり  尾根沿いは雑木類に混じって常緑樹のアセビが多くなってくる。そこをどうにか登りきると、例の緑の回廊看板や山火事用心の看板が設置されたピーク地点に出る。

 傍らには三等三角点の標石が見えた。ここか高水の頭(ガク沢ノ頭)山頂(1618m)だ。

高水の頭から西方向、高天原〜大蛇倉〜御座〜赤火 北方向に諏訪山  小ぢんまりとした山頂の東側はアセビに遮られて展望はないが、西側は高天原山や大蛇倉山などの上信国境の山尾根が見えた。大蛇倉の右後方には御座山や赤火岳(ツギノス)の山影も確認できる。また北には、樹林越しに諏訪山方面も見えた。

 時刻は午後1時半。晩秋の山歩きということでゆっくりしてはいられない。計画では棒切ノ頭へ戻らずに県境をこのまま北へ辿り、途中から神流川本谷方面に下ろうと考えていたので、高水の頭から県境の尾根をそのまま北へ進む。

高水の頭北側の県境1560P  高水の頭北側は急斜面になっていた。今まで付いていたテープや紐の目印は極端に少なくなる。どうも、高水の頭から北側はそれほど歩かれていない感じだ。

 傾斜が緩くなると、北東の樹間に次の小ピーク*が見えた。周りと違って針葉樹に覆われている。

[*等高線で1560mのピーク]

1560P山頂付近  スズタケが茂った尾根筋を北東へ進むと、先ほど見えた針葉樹のピークに出る。やはりツガやヒノキが多く、日陰の山頂になっていた。それからアセビやシャクナゲなどの灌木類も茂っている。

 山頂で一息つき、そのまま北東へ下る。すると、突然シャクナゲのヤブ尾根となってしまった。《アレ、おかしいなぁー?》と思って地形図を見ると、県境線はこのピークから北西方向につづいていた。ねくらハイカーは先人の目印を当てにして歩いているので、目印がなくなるとたちまちこのザマだ。我ながら情けない。

 30m以上も下ってしまったので、山頂へ戻らずにヤブの斜面を西にトラバースして県境の尾根筋へ進む。そこから再び県境を北へ辿る。

1560P北側から北東方向の樹間に滝谷山(1659P?)  ツガなどの針葉樹が多い尾根筋を下って行くと、右前方の樹間に秀麗なる三角峰の姿のピークが見えた。

 1650m圏の県境沿いにいくつか並立するピークということでハッキリ特定できないが、どうも原氏がオキ葡萄ノ頭と呼ぶ県境1659m峰の滝谷山らしい。今日はあそこまで登る予定はない。

1507P山頂の岩、右下に県境巻き道あり  一応計画としては、次の県境1507m標高点付近から北に下ってみみずく林道へ降りるルートを想定していた。そして、いつの間にかその1507m標高点がある岩のピークに着いた。県境の尾根道は岩のピークを避けて右(北東)に巻いて付いている。

 ひとまず岩のピーク地点に上がって北西につづく支尾根と北の支尾根を観察する。北西の支尾根は幾分尖ってヤセているような感じに見える。北側はちょっと尾根筋が確認できない。しかし、ここは計画通り北尾根を下って林道の終点部へダイレクトに降りた方がよさそうだ…。先人の目印などはないので、ここでもねくらハイカーのへぼ勘を働かせる。

1507P北西面を北へ下る  決ったからにはさっさと下る。1507mピークの北側は岩稜になっていた。まずは北西側のフラットな斜面に巻いて下る。岩稜の山頂地点から30mほど下ると、緩い傾斜の尾根が北へ通っているのが見えた。

 やはり、地形図通りの支尾根があった。このまま緩やかな尾根筋を辿ってスムーズに林道へ降りることができればいいのだが、下がどうなっているのかわからない。多少不安がある…。

 そこはハイカーに優しい西上州ということで、何とかなるだろう。気楽に考える。地形図を参考にすると、日景長戸岩を正面に見て下ればいいようだ。落葉した樹林越しにその日景長戸岩の山尾根が見える。

1507P北尾根1300m付近(?)、両側が少しヤセたヤブ尾根  シャクナゲやツガ類が茂る平坦な尾根を進んで行くと、その先が崖状の岩場となった。これは下れないということで、少し尾根筋を戻って右(東)の斜面に巻く。この北尾根は少しヤセ気味で、右(東)も左(西)も急傾斜で谷へ落ち込んでいる。ヘタレハイカーにはちょっとヤバそうに見える。

 何とか崖の下に巻くと、その下は緩やかな尾根がつづいていた。このまま林道へソフトランディングできればいいなと期待しながら西寄りに下って行くと、また岩稜に出てしまった。岩稜の下が垂直の崖になっている。これはハイカー風情には下降できない。どうしたものかと考えながら周りを見ると、右上に尾根の主稜が通っていた。アレ、いつも間にか西方向の枝尾根に下ってしまったようだ…。

 そこで慌てて主稜の尾根筋に戻る。しかし、5分もしないうちにまたもや西側の小さな枝尾根に下ってしまった。これは自分のへぼ勘で下ると、自然と西日に照らされて明るい枝尾根に引き込まれてしまうようだ。そこで今度は気を引き締めて尾根の両側をジロジロ確認しながら下る。

1507P北尾根1270m付近(?)、この先に岩場(初心者下降不可)あり 右方向に雲の影がかかる日景長戸岩  しかして、右(北)に日景長戸岩の稜線を間近に眺めながら北西寄りに下って行くと、前方がまたもや10mくらいオーバーハング気味に切れ落ちた岩場になってしまった。

 ここは主稜ということで、ここを下降しないと北尾根を下れない。素人ハイカーには足場の取り付きがない懸垂下降は無理ということで、15mほど尾根を登り返して、谷筋への下降ルートを探してみる。

 しかし左右どちらの斜面も急峻で、鋭く谷へ落ち込んでいる。若干右(北東)側が雑木類の樹木が多い感じなので、右の斜面に下る。一応安全確保のため補助ロープを取り出し、樹木に引っ掛けながら下る。

 《ここからは北尾根を下るよりも右のミミヅク沢上流の谷へ下った方がいい…》 そのように考えながら、屁っ放り腰のヨレヨレの体勢で30mほど北東方向へ下ってみる。ところが、その地点から先ほどの岩壁の下側を眺めると、なだらかな尾根筋が北西方向につづいていた。

 これは谷へ下るよりやはり尾根を下った方がいい。そこで、一歩踏み外すと滑落しそうなフラットな斜面を慎重に西側へトラバースして、岩壁の下に辿り着く。そこから再度尾根筋を北西方向に下る。また岩場になるとマズイので、ロープを出しておく。
尾根沿いの樹木にペンキマークあり  少し下ると、尾根沿いの樹木にペンキマークが見えた。林業関係者が付けたものらしい。ということは、ここを作業者が歩いているわけだ。これでひと安心。

 そこからはシャクナゲが多いヤブ尾根を掻き分けながらどんどん下る。

左下の崩落斜面を下って林道へ  暫しヤブ尾根を下って行くと、10mほど下に林道が見えた。みみずく林道だ。

 しかし、尾根ルートの直下は法面が崖状に切り立っているので、そのままでは降りられない。そこでロープを使って左下に見える法面崩落地へトラバース気味に下ってみる。

 すると、何とか林道沿いに降りられた。一時はどうなるかと思ったが、ヘタレハイカーはここで胸をなでおろし一息つく。

みみずく林道[下降地点]から北東方向に日景長戸岩 みみずく林道[下降地点]から南東方向に1507P(左上)  降りたところが地形図のミミヅク沢左岸の林道終点近くで、北東には先ほど尾根筋から見えた日景長戸岩の岩稜が聳えていた。それから、南東方向をふり返ると、県境の1507mピークも見えた。

 そこからは法面が崩落しているみみずく林道を西へ辿る。

寂れた感じのみみずく林道[崩落箇所奥]  この林道は雑草が生い茂り落石も多く荒廃している。尾根の下降地点から10分ほど下って行くと、大きな崩落地があり、道路が深く削られ車の通行は不可能となっていた。

 車が入れないということで、みみずく林道は崩落箇所から奥は現在廃道となっているようだ。

魚留沢付近  そこを過ぎてダラダラ下って行くと、やがて小沢が流れる地点を通る。多分この砂防堰がつくられている沢が魚留沢だ。

 この沢の上流に高水沢がある。そして、この沢の源頭部に今日登った魚留ノ頭や高水の頭のピークが聳えているわけだ…。

みみずく林道入口の遮断機ゲート、後方に本谷三号橋  ひとり納得して魚留沢のコンクリート橋を通り過ぎ林道を下って行くと、間もなくみみずく林道入口の遮断機がある本谷三号橋付近に出る。

 2006年春、ねくらハイカーはこのあたりに駐車して、帰り際に冬毛のテン2頭に遭遇した。今回は夏毛のテンが見られたらラッキーなのだが…、しかして時刻はまだ午後3時半。

本谷左岸を北東へ、正面に日景長戸岩  テン見物は無理なようなので、さっさと本谷三号橋を渡り本谷左岸の道に進む。

 そこからすでに日陰となった神流川の谷あいをトボトボ行く。まだ終業前の時間帯ということで、工事関係者の車両に遇うこともなく何とか駐車地点に戻ることができた。

 今日は目的の棒切沢からソラ峠のルートを辿ることができなかったが、上武国境の一部を歩き、名前の付いたマイナーな山が登れたのでヨシとする。


日程2008年11月21日 (金)
天候晴れ、午後から時々曇り 北西の強風
行程時刻琴音トンネル南側通行止め地点(駐車地点)6:46→(本谷林道)→法面崩落現場6:57→中止の滝入口・銚子橋6:58〜7:00→新本谷橋手前7:09〜7:11→(左下の旧道へ)→ぶどう沢林道分岐・葡萄橋7:13〜7:15→美人平橋7:16→「丸淵(?)」付近7:17〜7:19→新道合流地点7:20〜7:23→(休憩5分)→本谷一号橋・大蛇倉林道分岐7:29→本谷二号橋7:37→ミミヅク沢出合[対岸]7:43〜7:48→山ノ神7:50〜7:54→本谷三号橋・遮断機ゲート7:57〜7:59→長戸沢ダム8:08〜8:13→(涸れた長戸沢本流横断)→棒切沢出合8:15〜8:20→(沢沿いを南へ、徒渉あり)→涸れ沢二俣状地点(?)9:05〜9:10→(涸れ沢左岸の斜面に取り付く※ルートミス)→(南西へ、途中休憩5分)→(上部が初心者登行不可の崖となり立ち往生)→(撤退、タイムロス15分弱)→(下りの途中から西へトラバース)→1543P北尾根地点9:50〜9:55→(南へ)→1543P北尾根岩場(展望地)10:04〜10:08→(途中、ヤブにはまり込みタイムロス)→1543P 10:16〜10:23→ソラ峠10:25〜10:30→(南へ)→(途中、シカ道を辿ってタイムロス)→(途中休憩5分)→棒切ノ頭北東側県境地点[サイクリストの浜平分岐地点]11:03→(県境を南西へ)→棒切ノ頭展望地(1730P南側)11:05〜11:20→(県境を北東へ)→県境到達地点[浜平分岐]11:23→(北東から東へ)→主図根点[1610m付近]11:43〜11:45→(そのまま南東へ※ルートミス)→尾根突端部(行き止り)11:46〜11:49→(微かな踏跡を辿って東へ)→(断崖状の急斜面で踏跡消失)→(戻り)→尾根突端部11:52〜11:59→(戻り)→主図根点[1610m付近]12:01〜12:02→(北東へ)→(途中休憩5分)→魚留ノ頭(魚留峯・1510P)12:40〜12:46→最低鞍部12:49→(途中、ルートミスによりタイムロスあり)→高水の頭(ガク沢ノ頭)13:20〜13:30→(北へ)→(北東へ)→1560P 13:44〜13:45→(※そのまま北東へ下りルートミス)→(山腹を西へトラバースして県境へ)→(北へ)→1507P 14:00〜14:05→(北西へ巻いて北側の支尾根へ)→(北へ)→(岩場を右に巻く)→(北西へ)→(途中休憩5分)→(西側の小さな枝尾根に下ってルートミス2回、タイムロスあり)→(岩場を大きく右下に巻く、タイムロスあり)→(左下の法面の崩落地にトラバースして林道へ)→みみずく林道下降地点[ミミヅク沢左岸]15:05〜15:10→(林道を西へ)→林道崩落地点15:15→魚留沢(コンクリート橋)15:31〜15:32→みみずく林道入口遮断機ゲート・本谷三号橋15:35〜15:37→(本谷林道へ)→山ノ神15:41→本谷二号橋15:50→大蛇倉林道分岐・本谷一号橋15:58→中之沢林道分岐16:03→新本谷橋16:07〜16:08→銚子橋・中止の滝入口16:18→法面崩落現場16:19→駐車地点16:33
備考♦この記録では空峠の表記を「ソラ峠」としています。「空」の他に「虚」・「嘘」とも漢字表記されるようなので、カタカナ表記としました。別に深い意味はありません。それから、昭文社の山と高原地図の「ガク沢頭」を「ガク沢ノ頭」としています。
♦記録中の引用文の旧漢字は現行の漢字に改めていますが、仮名遣いはそのままとしました。
♦記録中や画像の説明書きで示した尾根の標高は大体の推測によるもので正確なものではありません。

◇ T N H C ◇

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