いつものように国道299号を西へ走行し、砥根平からぶどう峠越えの県道124号上野小海線に入る。それから途中の三岐付近を左折して「御巣鷹の尾根」方面へ向かう。
林道をスタコラ行くと、やがて春先に法面が崩落した現場に着く。すでに土砂は片付けられ道路は通れるようになっていた。しかし、崩れた斜面に沿って土嚢が積まれているだけで復旧工事は始まっていない。これは通行止めは相当長引きそうだ…。付近には車が1台も停まっていないので、工事関係者は他の崩落現場へ行っているようだ。
そこを過ぎると、すぐに中止の滝入口となる*。そこには河原に高床式のプレハブの建物があり、下にコンクリート製の水槽などもつくられている。漁業関連の施設らしい。建物は廃屋のような感じで、現在使われていないようだ。
そこを過ぎてまた工事関係者の車を1台見送りながらてくてく行くと、神流川に架かる新本谷橋に着く。どうも、このあたりから南東の葡萄沢の谷の奥に見えるピークが県境1659m峰(滝谷山)らしい。
昔の道幅そのままの旧道は如何にも奥山に入った気分にさせる。昔の軌道は多分この旧道に敷設されていたのだろう。落ち葉が溜まった1.5車線幅の林道を少し下り気味に行くと、間もなく「ぶどう沢林道」の分岐地点となる。
昔の営林署が設置した看板類を色々眺めてから、葡萄橋で支流の葡萄沢を渡りさらに神流川右岸を進む。すると、すぐに落ち葉が溜まった橋で神流川本流を渡ることになる。
そこから坂道を少し上がって行くと、右上に先ほどの新本谷橋からの道が合わせてくる。このあたりが昔の案内書や紀行文に出ていた「丸淵」と呼ばれるところの近くで、以前営林署の官舎があったそうだ*。そして戦前はここまで軌道が敷かれていたとのこと**。
本谷二号橋を過ぎて緩い上り道にかかる。神流川本谷の対岸(右岸)を眺めながら行くと、小さな沢が流れ込むところが目に入った。ミミヅク沢だ。原全教氏の著書*によると、この沢の源頭部に「ミミズクノ頭」という上武国境のピークがあるとのこと。それから、地形図や昭文社の山と高原地図に名前が記載されていない上武国境の無名ピークにもいくらか呼び名があるようだ。
そこから本谷沿いをさらに南へ進み、崖際を右に回り込んで行くと、山ノ神が祀られた地点を通る。今回は「山神」と彫られた石碑を近くで眺めた。注連縄が巻かれた石碑には「大正十一年八月建立」と刻字されていた。
山ノ神を過ぎ、地形図を参照しながら次の魚留沢の出合を確認しようと対岸を眺めながら進むと、いつの間にか本谷三号橋が架かる「みみずく林道*」の分岐地点まで来てしまった。どうも、魚留沢を見逃してしまったようだ…。
左下に小さな砂防堰を見ながら林道をてくてく行くと、やがて堰形の銘板が設置された長戸沢ダムに着く。案内書の略図によると、スゲノ沢分岐のひとつ手前の支流が棒切沢ということなので、この長戸沢ダム付近から南へ分岐する小沢が棒切沢だ。
棒切沢の水量も少なく、長戸沢の河原で伏流水となって消えていた。どうも、沢水は長戸沢ダムの下側で滲み出ているようだ。
しかし、沢の入口付近の樹木には昔の前橋営林局の境界見出標の赤プレートが付いていた。それから右岸の山際には段差のある石垣状のものが確認できる。戦後に敷かれた軌道跡らしい。
しかし、こういうものが捨てられているということは、以前この付近に何かあったのは確かだ。ひとまず沢に取り付いて登ってみる。今日は一応昔の案内書や紀行文をコピーしたものを持ってきた。70年以上も前の記録なので参考になるかわからない。
そのうちに右岸も少し険しくなってくる。そこでゴーロ状の沢床を徒渉しながら登ることにする。水量が少ないので岩を伝わって歩けば足元を濡らすことはない。適当に右岸や左岸に渡りながら沢筋を進む。さらに崖際を登って行くと、沢水は伏流水となり涸れ沢っぽくなってきた。落ち葉が溜まった沢床には所々に流水も出ている。
沢の真ん中に苔むした大岩が立っているところを過ぎて登って行くと、また沢筋に細い流れが見えてきた。このあたりには古い流木や倒木類が多い。
そこから少し登ると二俣っぽい地点になる。そこは沢水がチョロチョロ流れる右の本流を辿る。
そのあたりから沢の傾斜は緩くなり、涸れ沢っぽくなってきた。谷の両側が急斜面になったところをつめて行くと、やがて二俣のようになったところに着く。そこには古い缶コーヒーの空き缶が捨てられていた。作業者のものらしい。何か曰く有りげなところに見える。
いつまでも沢筋を眺めていてもしょうがないので、ひとまず前方奥に見える涸れ沢の左岸に取り付いてみる。落ち葉が厚めに溜まった斜面は凍っているのでいくらか締まっていた。見た目より歩きやすい。古い倒木や枯れ枝踏み越えて急傾斜の斜面に付いたシカ道を辿って適当にジグザグに登る。
そのうちに傾斜は増して岩の多い斜面にになってきた。すでに45度以上の傾斜になっているだろう。そこからさらに雑木類の樹木を掴みながら強引に登って行くと、やがて上部が20m以上もある垂直の崖となってしまった。《アレ、ここは一体どこだ?これは岩登りしないと上の尾根に出られない…。困った、どうしよう…》と一思案。
これはどうしたものかと崖を見ながら考えるが、ここは「命有っての物種」ということで、撤退と決め込む。しかし、今まで苦労して登ってきた斜面を見下ろすと、恐ろしいほどの急勾配になっていた。ここも下手に下ると滑落の危険性がある。
横に走るシカ道などを利用して山腹を水平に進む。
さらに山腹を水平にトラバースして西側のアセビなどの常緑樹が茂る尾根に上がる。
何か見覚えがある尾根だなと思いながら登って行くと、前方がまたもや崖状の岩場になった。しかし崖をよく見ると、確かに見覚えがある…。《アレ、これは4月に長戸沢(本谷本沢)から登ったとき、1543m峰の北側にあった岩場だ。ということは、先ほど棒切沢から登った急斜面は、地形図で1543m峰の北西側にある崖マーク付近らしい。道理でねくらハイカーには登れないわけだ…。》
さっそく岩壁右側のシャクナゲ林に取り付く。すでに一度登っているので不安はない。
一息ついてさらに右に回り込みながら登って行くと、好展望の岩場に出る。そこからは、高天原山や大蛇倉山はもちろん、諏訪山や帳付山も見渡すことができる。
それから、左下を見下ろすと、先ほど登ってきた棒切沢の谷が見えた。今回はソラ峠への取り付き地点を完全に間違ってしまった。もう少し奥の地点から尾根に取り付けば、東側から枝尾根を搦んでソラ峠に登れたのかもしれない…。
小休後、岩の多いヤブ尾根を南へ辿る。4月と同じように西側の斜面に巻いて進んだが、途中の灌木帯のヤブにはまり込みタイムロス。春とは違って今回は結構な密ヤブとなっていた。
一息ついてソラ峠がある南側の鞍部に下る。少し尾根の西側を進んで行くと、ツガやゴヨウマツが疎らに生えたところがあり、そこから南方の樹間に三国山付近の稜線が見えた。
そこから南側の岩場を下って、お宮の残骸がある鞍部に降りる。ここが山岳サイクリストの云う「ソラ峠」だ。お宮はやはり峠に祀られたものらしい。戦前の記録にはお宮や祠のことが出ていないので、昭和初期や昭和十年代にはまだ安置されていなかったのかもしれない。
お宮の残骸から少し南へ進むと、文字が消えた看板や「山 三六」の標石が埋設されたところに着く。戦前は東側の棒切沢からこのあたりに登りついたのだろうか…。ちょっと想像できない。
そこからは高木の針葉樹が多い尾根筋を南へ進む。尾根沿いには獣道のような微かな踏跡があり、スズタケやシャクナゲも疎らに生えている。今日は風が強いということで、時折上の方からギギーッという樹木の枝が撓う音が聞こえてきて如何にも淋しげな雰囲気になっている。
そのうちに尾根の傾斜も少しきつくなってきた。体力が衰えたヘタレハイカーはたちまち原生林っぽい斜面で立ち止まり休憩タイムとなる。左の北東方向の樹間には相変わらず帳付山あたりが見える。
さらにシャクナゲが多い苔が生えた斜面を登る。4月のときは残雪があったのでわからなかったが、今回は尾根沿いに薄っすら踏跡も確認できる。そしてその踏跡を適当に追って行くと、途中のヤブの中に猟銃用の空薬莢が1個落ちていた。やはり、ハンターもここを歩いているようだ…。
微かな踏跡を辿って尾根の西寄りをトロトロ行くと、やがて埼玉県境の尾根地点*に出る。そこはちょうどMTB愛好家の記録の画像にあった倒木の尾根地点(浜平分岐)で、近くの樹木にはテープの目印が付いていた。
ここは展望がないので、県境尾根を南西寄りに進む。「山 三四八」のコンクリート杭が打たれた棒切ノ頭最高点(1730m標高点)を過ぎて少し下って行くと、次の「山 三四七」が打たれた展望地に出る。
今回は少し上武国境を歩くということで、休憩後、県境尾根を北東へ戻る。最高地点を過ぎ、先ほど登りついた地点まで戻る。そこからさらに倒木を越えて北東方向へ進む。
そのうちに少しヤブめいてくるが、県境には明瞭な道跡があり、コンクリート杭や古い木杭なども打たれている。さらに東へ下って行くと、途中に御影石の標石が見えた。標石には「主図根点」の文字が彫られている。それから、「山」・「公共」・「秩父11」という文字もある。
一息ついて、尾根筋をそのまま南東寄りに下る。すると、地面に倒木があり前方に信濃沢右岸の松尾尾根の稜線が見えた。そしてその先は断崖状の斜面になっていた。《アレ、ここで行き止りだ。おかしいな?》と思って周りを見回すと、左下のヤブめいた樹林の奥に微かな踏跡があった。傍らの樹木には目印のペンキマークも付いている。そこで左下の落ち葉が溜まった斜面に10mほど下る。すると、たちまち踏跡は消えて断崖状の急斜面になってしまった。
松尾尾根がよく見える尾根地点で再び踏跡を探したが、人が歩いたような踏み跡はなかった。仕方ないので、先ほどの主図根点まで戻る。そこから改めて周囲を見回すと、5mほど左下(北東)の木の枝にビニール紐の目印が付いていた。
ビニール紐の目印を追ってスズタケが生えた尾根道を進む。右の埼玉側にヒノキ林がある。人工林ということで、この奥山にも埼玉県の林業関係者が入っているらしい。それから、尾根道の枯葉の上には真新しいシカの糞が見えた。シカも多数生息している気配がする。
原氏や高畑氏の著書によると、このあたりの県境ピークにも名前が付いているということだ。今日はそれを確かめながら行こうということで、コンパスと地形図を参照しながら県境を進む。
無名の小ピークを過ぎ、岩の多い尾根筋を進む。そこからは多少見晴らしがあるので、暫し立ち止まって南東の奥秩父方向の山尾根を眺めた。
そこから下って小鞍部を過ぎ、大岩状の岩稜を右の埼玉側に巻いて登って行くと、林野庁と埼玉森林管理事務所が設置した「秩父山地 緑の回廊」看板があるピークの山頂部に出る。ちょうど雲間から日が差してきたので、山頂部は多少明るい感じになっていた。
小休後、山頂から東へ進む。北東方向の樹間にはすでに次のピークが見える。三角点がある「高水の頭*(ガク沢ノ頭)」らしい。
落葉した雑木類が茂る穏やかな感じの尾根筋を少し下ると、古い倒木がある鞍部を過ぎる。
そこから雑木類が密生した尾根筋を登って行くと、少し岩稜っぽくなる。そこは群馬側に巻いて行く。このあたりの斜面にまた古い地下足袋のゴム底の切れ端が1枚落ちていた。林業作業者のものだろう。いつの頃かわからないが、戦後このあたりで伐採作業が行われた時期のものらしい。
そこを過ぎるとまた明るい雑木林の中を行く道となる。このあたりでは乾いた北西の風がモロに顔に当たって寒かった。
尾根沿いは雑木類に混じって常緑樹のアセビが多くなってくる。そこをどうにか登りきると、例の緑の回廊看板や山火事用心の看板が設置されたピーク地点に出る。
小ぢんまりとした山頂の東側はアセビに遮られて展望はないが、西側は高天原山や大蛇倉山などの上信国境の山尾根が見えた。大蛇倉の右後方には御座山や赤火岳(ツギノス)の山影も確認できる。また北には、樹林越しに諏訪山方面も見えた。
高水の頭北側は急斜面になっていた。今まで付いていたテープや紐の目印は極端に少なくなる。どうも、高水の頭から北側はそれほど歩かれていない感じだ。
スズタケが茂った尾根筋を北東へ進むと、先ほど見えた針葉樹のピークに出る。やはりツガやヒノキが多く、日陰の山頂になっていた。それからアセビやシャクナゲなどの灌木類も茂っている。
ツガなどの針葉樹が多い尾根筋を下って行くと、右前方の樹間に秀麗なる三角峰の姿のピークが見えた。
一応計画としては、次の県境1507m標高点付近から北に下ってみみずく林道へ降りるルートを想定していた。そして、いつの間にかその1507m標高点がある岩のピークに着いた。県境の尾根道は岩のピークを避けて右(北東)に巻いて付いている。
決ったからにはさっさと下る。1507mピークの北側は岩稜になっていた。まずは北西側のフラットな斜面に巻いて下る。岩稜の山頂地点から30mほど下ると、緩い傾斜の尾根が北へ通っているのが見えた。
シャクナゲやツガ類が茂る平坦な尾根を進んで行くと、その先が崖状の岩場となった。これは下れないということで、少し尾根筋を戻って右(東)の斜面に巻く。この北尾根は少しヤセ気味で、右(東)も左(西)も急傾斜で谷へ落ち込んでいる。ヘタレハイカーにはちょっとヤバそうに見える。
しかして、右(北)に日景長戸岩の稜線を間近に眺めながら北西寄りに下って行くと、前方がまたもや10mくらいオーバーハング気味に切れ落ちた岩場になってしまった。
少し下ると、尾根沿いの樹木にペンキマークが見えた。林業関係者が付けたものらしい。ということは、ここを作業者が歩いているわけだ。これでひと安心。
暫しヤブ尾根を下って行くと、10mほど下に林道が見えた。みみずく林道だ。
降りたところが地形図のミミヅク沢左岸の林道終点近くで、北東には先ほど尾根筋から見えた日景長戸岩の岩稜が聳えていた。それから、南東方向をふり返ると、県境の1507mピークも見えた。
この林道は雑草が生い茂り落石も多く荒廃している。尾根の下降地点から10分ほど下って行くと、大きな崩落地があり、道路が深く削られ車の通行は不可能となっていた。
そこを過ぎてダラダラ下って行くと、やがて小沢が流れる地点を通る。多分この砂防堰がつくられている沢が魚留沢だ。
ひとり納得して魚留沢のコンクリート橋を通り過ぎ林道を下って行くと、間もなくみみずく林道入口の遮断機がある本谷三号橋付近に出る。
テン見物は無理なようなので、さっさと本谷三号橋を渡り本谷左岸の道に進む。| 日程 | 2008年11月21日 (金) |
| 天候 | 晴れ、午後から時々曇り 北西の強風 |
| 行程時刻 | 琴音トンネル南側通行止め地点(駐車地点)6:46→(本谷林道)→法面崩落現場6:57→中止の滝入口・銚子橋6:58〜7:00→新本谷橋手前7:09〜7:11→(左下の旧道へ)→ぶどう沢林道分岐・葡萄橋7:13〜7:15→美人平橋7:16→「丸淵(?)」付近7:17〜7:19→新道合流地点7:20〜7:23→(休憩5分)→本谷一号橋・大蛇倉林道分岐7:29→本谷二号橋7:37→ミミヅク沢出合[対岸]7:43〜7:48→山ノ神7:50〜7:54→本谷三号橋・遮断機ゲート7:57〜7:59→長戸沢ダム8:08〜8:13→(涸れた長戸沢本流横断)→棒切沢出合8:15〜8:20→(沢沿いを南へ、徒渉あり)→涸れ沢二俣状地点(?)9:05〜9:10→(涸れ沢左岸の斜面に取り付く※ルートミス)→(南西へ、途中休憩5分)→(上部が初心者登行不可の崖となり立ち往生)→(撤退、タイムロス15分弱)→(下りの途中から西へトラバース)→1543P北尾根地点9:50〜9:55→(南へ)→1543P北尾根岩場(展望地)10:04〜10:08→(途中、ヤブにはまり込みタイムロス)→1543P 10:16〜10:23→ソラ峠10:25〜10:30→(南へ)→(途中、シカ道を辿ってタイムロス)→(途中休憩5分)→棒切ノ頭北東側県境地点[サイクリストの浜平分岐地点]11:03→(県境を南西へ)→棒切ノ頭展望地(1730P南側)11:05〜11:20→(県境を北東へ)→県境到達地点[浜平分岐]11:23→(北東から東へ)→主図根点[1610m付近]11:43〜11:45→(そのまま南東へ※ルートミス)→尾根突端部(行き止り)11:46〜11:49→(微かな踏跡を辿って東へ)→(断崖状の急斜面で踏跡消失)→(戻り)→尾根突端部11:52〜11:59→(戻り)→主図根点[1610m付近]12:01〜12:02→(北東へ)→(途中休憩5分)→魚留ノ頭(魚留峯・1510P)12:40〜12:46→最低鞍部12:49→(途中、ルートミスによりタイムロスあり)→高水の頭(ガク沢ノ頭)13:20〜13:30→(北へ)→(北東へ)→1560P 13:44〜13:45→(※そのまま北東へ下りルートミス)→(山腹を西へトラバースして県境へ)→(北へ)→1507P 14:00〜14:05→(北西へ巻いて北側の支尾根へ)→(北へ)→(岩場を右に巻く)→(北西へ)→(途中休憩5分)→(西側の小さな枝尾根に下ってルートミス2回、タイムロスあり)→(岩場を大きく右下に巻く、タイムロスあり)→(左下の法面の崩落地にトラバースして林道へ)→みみずく林道下降地点[ミミヅク沢左岸]15:05〜15:10→(林道を西へ)→林道崩落地点15:15→魚留沢(コンクリート橋)15:31〜15:32→みみずく林道入口遮断機ゲート・本谷三号橋15:35〜15:37→(本谷林道へ)→山ノ神15:41→本谷二号橋15:50→大蛇倉林道分岐・本谷一号橋15:58→中之沢林道分岐16:03→新本谷橋16:07〜16:08→銚子橋・中止の滝入口16:18→法面崩落現場16:19→駐車地点16:33 |
| 備考 | ♦この記録では空峠の表記を「ソラ峠」としています。「空」の他に「虚」・「嘘」とも漢字表記されるようなので、カタカナ表記としました。別に深い意味はありません。それから、昭文社の山と高原地図の「ガク沢頭」を「ガク沢ノ頭」としています。 ♦記録中の引用文の旧漢字は現行の漢字に改めていますが、仮名遣いはそのままとしました。 ♦記録中や画像の説明書きで示した尾根の標高は大体の推測によるもので正確なものではありません。 |
◇ T N H C ◇