四阿屋山から両見山



 ねくらハイカーは昔奥秩父の山をいくらか歩いたことがあるが、秩父近辺の里山はそれほど歩いたことはない。このあたりで、両神山から東側に派生する尾根の山々には以前から興味があった。ネットで山歩きの記録を探すと、一位ガタワの鞍部から四阿屋山(あずまやさん)までの尾根筋を縦走したものが出ていた。

 それによると、尾根の途中には懸垂下降をする箇所もあるとのこと。どうも軽装ハイカーが歩くには難しい感じだ。しかし記録をよく読むと、両見山(りょうげんやま)から四阿屋山までなら無難に歩けるらしい。

 そこで今回はそれらの記録やこのあたりの尾根を歩かれた城跡愛好家の記録なども参考にして、四阿屋山から両見山まで歩いてみようと、3月中旬頃秩父郡の旧両神村*方面へ出かけてみた。

[*両神村は2005年10月に隣接する小鹿野町と合併して小鹿野町となった。]
小鹿野町両神薄黒海土付近から四阿屋山方面  秩父市の市街地から国道299号で小鹿野町方面へ向かうと、西方に両神山の特徴的な姿が見えてくる。天気は晴れだが、遠くの山影は結構霞んでいる。前日の天気予報では関東地方でも黄砂が観測されているとのこと。道理で遠くの景色がぼんやりしているわけだ。

 黒海土バイパス前の交差点を左折して県道37号(皆野両神荒川線)に入り、赤平川に架かる黒海土橋を渡って行くと、前方に山並みが見えてくる。方向からすると、本日登るところの四阿屋山だ。この山の名前は山頂部が東屋の形をしていることから来ているらしい。

管理道路から四阿屋山  四阿屋山へはいくつかの登り口があるが、山腹にある県立両神自然公園の福寿草園やロウバイ園用の駐車場から歩けば短時間で山頂に行けるようだ。

 そこで薬師堂の手前を右折して山腹の駐車場へ向かう。公園管理道路に入ると、前方の上部にちょこんと四阿屋山の山頂部が突き出ているのが見えた。四阿屋山はすでに残雪も消えて早春の里山という風情になっていた。

 舗装道を快調に上がって行くと、やがて管理道路の終点に着く。そこは広場のようになっていて、路肩に駐車スペースがある。舗装道はさらに西へつづいているが、看板によると一般車の通行はここまでとのこと。

 平日ということで、この駐車場にはまだ1台も停まっていない。ねくらハイカーは今日は花見物ではないので、トイレの建物がある左下の第二駐車場に車を入れる。
管理道路終点の駐車場付近から四阿屋山  第二駐車場にはセダンが1台駐車していた。早朝なので、もしかすると四阿屋山に登っている人がいるのかもしれない。気温は8℃ほど。静かな駐車場には周りの樹林から小鳥の囀りが賑やかに聞こえてくる。いかにものどかな春の雰囲気が漂っている感じだ。

 準備をして駐車場から車道に上がって行くと、西方向に四阿屋山が見えてくる。この標高500m付近の広場からは多少なだらかな姿をしていた。

 傍らの「両神国民休養地歩道案内図」という古い木製の看板を見ると、四阿屋山へはこのまま山腹の舗装道を西へ進めばいいようだ。しかしここは山道を歩いた方が面白そうなので、管理道路を少し東に戻り、北側の尾根に上がって四阿屋山へ向かうことにする。

尾根を回り込むカーブ地点に階段道(薬師堂コース)あり  東側のカーブ地点には道標や看板などがあり、法面に階段道が付いていた。丸太の標識を見ると、反対方向に「薬師堂」を示している。多分この道が薬師堂コースだろう。

 看板には「あずまや山・ロウバイ園・福寿草園」が表示されていて、上向きの矢印に山道20分、左向きの矢印に舗装道20分と表記されていた。ここから上向きの矢印に従って丸太材の階段を登る。

 尾根に上がると、ヒノキと雑木類が混生した樹林帯の山道となる。アセビやアオキなどの常緑樹も疎らに生えている。歩き出してすぐに小ピークを過ぎる。そこには木造りの祠が祀られていた。看板などの表示物がないので、何が祀られているのかわからない。山ノ神だろうか。

左下からの道合流地点  そこから少し行くと、案内図の看板や道標があり、左下から上がってくる道が合流していた。その地点には東電の新秩父線*の巡視路を示す黄色の杭も打たれている。地形図などを見ると、このあたりの山腹を北西から南東へ送電線が通っている。

[*東京電力の新秩父線は、東京都八王子市にある新多摩変電所と秩父郡小鹿野町にある新秩父開閉所とを結ぶ500kv高圧送電線。]

巡視路兼用の山道  巡視路兼用の道を進むと、右上にまた木造りの祠が見えた。看板などもないので、これも何を祀っているのかわからない。またまた山ノ神だろうか…。

 さらに西へ進むと、雑木類が多くなり、朝日も当たり出す。尾根沿いからはいくらか見通しがきくようになったが、遠方の山並みは霞んでいる。

 その先でまた左下に駐車場を示す道標地点があり、そこから少し南西寄りに進んで行くと、新秩父線の鋼管鉄塔(92号塔)を過ぎる。

 さらに山道を進むと、アセビが開花しているところを通った。この時期に咲いているということは、このあたりのアセビは相当早咲きのものらしい。傍らには休憩用のベンチなどもある。
「山居広場」分岐 「ロウバイ園・福寿草園」分岐  そこからは左側がヒノキ林、右側が雑木林になった尾根を進む。すると、また分岐道がある地点となる。道標を見ると、左に「山居広場」を示している。ここは「展望広場・四阿屋山」方向の尾根道を進む。

 スギやヒノキの植林地沿いをちょっと登ると、またもや白塗りの看板のある分岐地点となる。看板は左に「ロウバイ園・福寿草園」方向を示している。ここも「あずまや山」方向の尾根道を進む。

「展望広場」分岐  すると、またまた左側の水平道へ分岐する地点となる。道標は左に「展望広場」や「福寿草園・山百合自生地」を示している。どうも、このあたりには福寿草園やロウバイ園からの道が複数通っているようだ…。

 ここも尾根道をそのまま進む。道沿いには黄色い杭が打たれているので、相変わらず新秩父線の巡視路になっている。

柵で囲われた斜面(「展望広場」付近)に出る  そこから丸太材のステップが付いた坂道をゆるゆる登って行くと、植林地の樹林帯が開けて日当たりのよい斜面に出る。そこは丸太の柵で囲われた草地があり、ロウバイが植えられていた。

 斜面をよく見ると、疎らながらフクジュソウも生えていて、可愛い花を咲かせていた。ロウバイはまだ蕾程度で、開花はこれからという感じだ。

 ところで、傾斜地の下側にはベンチなどが置かれ、東屋風の休憩所も見えた。ということは、このあたりがロウバイ園と福寿草園の「展望広場」ということらしい。一息入れたいところだが、ねくらハイカーはこれから先が長いということで、柵の沿って園内の歩道を登る。

「展望広場」上部、四阿屋山への道標あり  傾斜地の上部に上がって行くと、「四阿屋山」方向を示す道標が立っていた。そこから上の植林地に丸太材で造られた階段道が延びている。

 そのまま植林地に入ると、左に巻き道のような小道が見えた。ここは階段道を登って西へ進む。階段の登りは疲れる。途中から丸太の階段を外れてワキの踏み跡を辿る。

 静かなスギ林を登って行くと、突然上の方からカラスがギャーギャー啼き喚く声が聞こえてきた。このあたりのスギ林がカラスのねぐらになっているのだろうか…。何でカラスが騒ぐのかわからない。やはり、ねくらハイカーが不審者に見えるのだろうか…。

柏沢・鳥居山コース分岐、後方に両神神社奥社あり  さらにトコトコ登って行くと、前方に神社の建物が見えてきた。両神神社奥社だ。手前に道標があり、右(北)に「柏沢・薬師堂」を示している。つまり、右からの道が柏沢コースおよび鳥居山コースらしい。

 ひとまず神社にお参りして休憩タイムに入る。休みながら神社の前にある二つの「村社寄附連名」という石碑を見ると、左側は明治四十年(1907年)吉日、右側は明治四十一年(1908年)吉日と彫られていた。よくわからないが、石碑はこの神社が明治時代に建て替えられたときに奉納されたものらしい。

 ところで、この神社は昔のガイドブックなどには四阿屋山神社と表記されている。それからネットで拝見した個人の記録には、この社を四阿屋明神社および四阿屋権現社としている。ここは地元が設置した道標に「両神神社奥社」とハッキリ明記されているので、やはり両神神社で間違いなさそうだ*。

[*後日ネットで調べると、この神社は昔は「丹生明神」という名で呼ばれていて、平安時代末期から室町時代初期にかけてこの地を支配した武蔵七党のひとつ秩父丹党薄氏の氏神になっていたらしい。その後、大正6年(1917年)には政府が推し進める神社の統廃合政策により薄村の諸神社が統合され両神神社と改称されたのだが、その際現在の薬師堂の側に大胡桃集落にあった稲荷神社の社殿が移されて両神神社里宮となり、この四阿屋山の社殿がその奥社とされたとのこと。つまり、大正時代以前はこの社は両神神社ではなかったようだ。]

トラバース道分岐、左へ  休憩後、神社のワキを通って西へ進む。神社の裏手には看板があり、登山者への注意事項が書かれていた。今は残雪期ではないので軽装ハイカーでも別段問題ない。

 尾根沿いを進むと、すぐに「急坂につき登山禁止」の看板が立つ地点に出る。そこから前方は恐ろしく急峻な斜面となっていた。昔はこの東側の急斜面を樹木を掴みながら登って山頂に出たらしい…。

南東面に階段付きの登山道あり  ここは左のトラバース道へ進む。たちまち崖状の斜面の登りになるが、岩が階段状に削られた立派な登山道があった。すでに残雪は消えているのでアイゼンなどは必要ない。

 丸太材の階段やクサリの手すりを頼りにジグザグに登って高度を稼いで行くと、若干ながら下側の見通しがきくようになる。途中立ち止まって東方向を眺めててみたが、遠方の風景は霞んでいた。

つつじ新道(大堤方面)分岐  階段を一歩一歩上がって行くと、やがて尾根の肩のような地点に着く。そこには道標が設置されていて、右に「あずまや山」、左に「大堤」方向を表示していた。傍らには「つつじ新道」の看板も見える。

 この地点から南東の尾根沿いに上級者コースのハイキング道が分岐しているわけだ。試しに看板から南に15mほど尾根筋を下ってみると、明瞭な踏み跡がさらに下の方へつづいていた。このコースは途中にクサリ場もあるようだが、結構歩かれている気配がする。

つつじ新道分岐付近から秩父御岳山方面  それからこの尾根地点には埼玉県の刻字があるコンクリート杭が打たれていた。境界標かもしれない。

 この地点からはいくらか見通しがきく。南には小森川対岸の稜線が望めた。雑木林の枝越しに南南西方向に見える山尾根が秩父御岳山らしい。

クサリ場の斜面 四阿屋山山頂  道標から右(北西)へ木の根がゴツゴツ出た斜面を登る。クサリ場のあるところをひと登りすると、「岩場につき足元注意」の柱が立つ地点に出る。

 三角点のある山頂は右方向にあるようなので、そこからやや北東寄りに進むと、小ぢんまりとした感じの四阿屋山の山頂(772m)に着く。山頂には丸太の標識が立ち、方位盤と三等三角点の標石が設置され、国土地理院の白色の樹脂杭も打たれていた。

西方の両神山方面、中左奥に両見山、手前右に塩沢城の尾根  四阿屋山の山頂は周りが樹林に覆われているので、方位盤が示すような展望はない。北西側の樹間が開けたところから西に両神山、北西に二子山などの山々を眺めることができる。

 ねくらハイカーはこれからめざすところの両見山を確認しようとしたが、両神山へ連なる山巒のどれが両見山なのかまったく見当がつかなかった*。今日は黄砂の影響が大きく、遠方の山並みはぼんやり霞んでいる。気温は9℃ほど。北寄りの微風が軽く顔に当たる。いくらか上昇気流も発生しているようで、トビが1羽山頂近くを悠々舞っていた。

[*あとで確認したところ、両見山の尖ったピークが四阿屋山山頂から見えていた。]

西方向、右後方に両神山[ズーム画像] 北西方向、中央奥に二子山[ズーム画像]  休憩しながら東側の一段低くなった斜面に降りると、立木に注連縄が張られ、石の祠*が置かれていた。よくわからないが、四阿屋山本来の山ノ神を祀ったものだろう。それから北東側の斜面には休憩用のベンチが二つ置かれていた。小鹿野町(旧両神村)がハイカー用に設置したものらしい。

[*側面に明治十七年(1884年)の刻字あり]

 ところで、四阿屋山から両神山方面を眺めると、手前の支尾根に目が行く。以前ネットでこのあたりの山尾根を歩かれた城跡愛好家の記録を拝見したとき、四阿屋山から両見山へつづく尾根の途中に北東方向へ延びる支尾根があって、その尾根上に塩沢城*という名前の城跡があることを知った。小鹿野町のHPにも出ているので、多少は人に知られた城跡らしい。その塩沢城の城跡がある尾根というのが手前に見える支尾根というわけだ。

 それから、その城に付随する建物の遺構らしき場所が両見山から東に延びる主尾根上にあるとのこと。ねくらハイカーは別段城跡に興味はないのだが、今日は多少それに気を留めながら両見山へ向かうことにする。

[*戦国時代の武将長尾景春(1443−1514)が築城したといわれる山城で、別名「塩沢山」または「塩沢砦」とも呼ばれる。関東管領山内上杉家の執事職をめぐる争い、いわゆる〈長尾景春の乱(1476年〜1480年)〉で景春が一時この城に籠城したが、扇屋上杉氏の家臣太田道灌(1432−1486)の軍勢に包囲され敗走した。そのとき、四阿屋山の南側にある大谷の沢沿いから上杉勢が夜襲をかけたということで、現在までその沢筋に「夜討沢」という名前が伝えられている。]
クサリ場上の柱地点から西方向 尾根沿いは植林地となる  山頂からクサリ場のある柱地点まで戻り、そこから少しヤブめいた岩の多い尾根筋を西へ進む。

 雑木類やアセビが多い岩場の小ピークを過ぎて下って行くと、たちまち面白味のないスギやヒノキの植林地となる。植林地のヒノキには記号と番号が付いたタグが打ち付けられ、細いビニール紐やピンクテープなどが巻かれていた。林業関係者が付けた目印らしい。

 このあたりの笹が生えたヤブ尾根に黒い糞が見えた。わざわざ目立つところにまとめてあるので、もしかすると黒いヤツが糞で自分の縄張りを示しているのかもしれない。

 ここはちょっとヤバそうなので、鈴を付けようとザックの中を探ってみた。ところがどうも見つからない。今日は忘れてしまったようだ…。仕方ないので、そこからはラジオのスイッチを入れて音声を流しながら歩く。まぁ、里山なので何とかなるだろう…。
右前方に塩沢城址がある支尾根、814P〜塩沢城鐘撞場(760P)  途中、植林地の北側に開けたところがあり、そこから塩沢城があったという尾根筋*が見えた。地形図の等高線で760mピークの北側に山城があったということだが、現在は針葉樹の植林地となっていて城跡の微塵も感じられない。

[*薄川支流の塩沢と柏沢を分けている尾根]

左(南)側は雑木林となる  鞍部から登りにかかると、尾根の左(南)側が雑木林となり一時的に小森川右岸の山尾根が見える。それから岩の多いところを登ると、尾根筋は多少見通しのある雑木林になる。

 739mの標高点ピークを過ぎるあたりに一升瓶のガラス屑が散乱していた。昔の作業者が廃棄したものらしい。

 そのうちに尾根の右(北)側がヒノキ林となる。尾根歩きは展望がないとつまらない。興醒めな感じでてくてく行く。このあたりの尾根には赤色の樹脂杭が打たれていたので、それを目印にして進む。

雑木林越しに814P〜760Pの尾根  やがて薄暗い感じの植林地に入り、急傾斜の登りとなる。体力が衰えたヘタレハイカーは自動的にピッチが落ちて、いつものように休み休み登る。

 時折右方向の樹間に城跡のある支尾根の814m峰が見える。いよいよ両見山へつづく主尾根に近づいてきたようだ。このあたりの斜面には明瞭な踏み跡は付いていない。わずかに笹が刈られた程度の寂しい尾根となっていた。

主尾根の急斜面 右の植林地沿いへトラバース  尾根の左側が再び雑木林になると、雑木林が茂る急峻な斜面に突き当たる。これが両見山へつづく主尾根らしい。樹木を掴めば登れないことはないが、相当きつそうだ。

 この付近では赤い樹脂杭が右方向の細い踏跡に打たれていた。そこで獣道のような踏跡を辿って植林地の境界沿いを北へトラバース気味に登る。

ヒノキ林沿いを西へ  途中、樹脂杭は西方向の急斜面に打たれていたが、かまわずに植林地沿いを北西に進む。

 そのうちに斜面の傾斜が緩くなってきたので、今度はヒノキ林沿いを西方向へ登る。直登は疲れるので、落ち葉が溜まった軟弱な斜面を適当に折り返して登って行くと、また赤い樹脂杭が見え出した。

植林地になった広尾根(「すもう場」?)  落ち葉の傾斜地をジグザグに登って尾根に出ると、そこは平坦な植林地の広尾根となっていた。このあたりが城跡愛好家のいうところの「すもう場*」という地点らしい。

 じっくり地形を観察したいところだが、ねくらハイカーはまだまだ先が長いので、ゆっくりして入られない。一応帰りのためにトラバース地点にテープの目印を付けて広尾根を北西方向へ進む。

[*この「すもう場」とは「住居場」のことで、昔塩沢城の住人の居住区となっていた場所を指す。よくわからないが、昭文社の山と高原地図『雲取山・両神山』を見ると、両見山と四阿屋山の中間付近に「相撲場」という地点がある。城跡愛好家の方の記録では、ここがその「相撲場」らしい。]

870P付近 870P西側から北東方向、塩沢城址のある尾根  ヒノキ林で日陰になった尾根を進んで行くと、地形図の等高線で870mのピークを過ぎる。地形図ではこのピーク付近から塩沢城の城跡がある尾根が北東へ派生しているわけだが、北東面にはヒノキが密生してかなりヤブめいていて、人が歩いたような踏み跡は付いていない。林業関係者以外歩く人はいない感じだ。

 山頂から西へちょっと下ったあたりで、北東方向に塩沢城の尾根が見えた。尾根筋は密生した植林地となっているようで、凡人ハイカーにはこの尾根に城があったとはとても想像できない。

右(北)側が雑木林のヤブめいた尾根  870mピークの西側付近では左下からガタガタゴトゴトと喧しい音が聞こえてきた。地形図を見ると、小森川右岸に採石地のマークが付いている。近くに岩石の採掘現場*があるようだ。この喧しい騒音は削岩機の音だろうか。まぁ、昔から石灰岩の採掘が盛んな秩父の里山ということで、この近辺ではお馴染みの騒音だ。

 そこから木の枝が倒れて少しヤブめいた感じの尾根筋を下る。このあたりは左(南)側がスギ林、右(北)側が雑木林となる。

[*両神興業の採石場(両神興業株式会社・川塩事業所)]

右側の植林地の境界に防護ネットあり  鞍部からスギの枯れ枝が厚めに溜まった斜面の登りとなる。ここから尾根の右側も植林地となり、境界沿いにシカ除けの防護ネットが張られていた。

 ネットにはピンクテープも付けられている。ネットで囲われた植林地にはヒノキの若木が植林されていた。シカの食害から若木を守るために地権者が設置したようだ。

昭文社地図「相撲場」付近  枯れ枝の斜面を登りきると、傾斜の緩やかなコブ状地点に出る。防護ネットはここから直角に北方向へ延びる支尾根に沿って張られていた。

 ところで、この地点は、昭文社の山と高原地図『雲取山・両神山』では「相撲場」と表記されている。城跡愛好家の記録によると、「相撲場」と呼ばれるところは先ほどの870mピーク付近南東側の平地ということなので、昭文社の地図には何かしらの錯誤があるような気がする。地形的にみてもこの尾根地点は西に向かって緩やかな登りになっていて、建物が建つような広い平坦地とはなっていない。この地点から北東方向を見ると、ヒノキ林の樹間に何とか塩沢城の尾根を望めたが、やはり幾分離れ過ぎている感じがした。

前方右に986P  一息ついて尾根筋を西へ登る。このあたりは右側がカラマツ林になっているので、樹林越しに両神山から北東へ延びる天武将尾根の稜線がぼんやり霞んで見えた。

 少し登ると尾根沿いはミニ二重山稜状の窪地となる。ここは左側の尾根に移って進む。ヒノキ林で日陰になった尾根筋を登って行くと、斜面の至るところにイノシシが掘り返した跡が見られた。このあたりはイノシシの生息数が相当多いようだ。

 そのうちに右側の雑木林越しに尾根のピークが見えてくる。地図を見て確認すると、986mの標高点ピークらしい。

986P付近、後方に両見山方面  左側の植林地が終わると見通しのきく雑木林に変わる。左方向には相変わらず秩父御岳山から西に延びる尾根の稜線が見えた。

 落ち葉が溜まった急斜面を登って986m峰の南東側にある小ピーク(等高線で970mのピーク)に立つ。山頂は雑木林に覆われていているので春山ののどかな風情が漂っている。ちょっと立ち止まって一息つく。この小ピークには「県造林」と刻字されたコンクリート杭が打たれてた。ということは、このあたりの森は埼玉県が管理しているようだ。

 そこから北西に下り西へ登り返して行くと、986mの標高点ピークに出る。周りは雑木林ということで、多少見通しがきく。西に聳える峰がおそらく両見山だろう。すでにバテ気味のねくらハイカーはここでも一息入れる。

986P西側の尾根から両見山[ズーム画像]  尾根に沿って西へ下る。このあたりは両側が雑木林になっているので、ハイキング気分で歩けた。

 前方に両見山を見ながら進み、途中から南西方向へ下る。依然として左下の谷間から削岩機の音が聞こえてくる。

 このままずっと雑木林の尾根ならいいなと期待しながら下って行くと、たちまち左(南)側がスギの植林地となってしまった。

986P西側の鞍部、石祠あり  鞍部付近に降りると、傍らに苔むした石の祠*が見えた。

 よくわからないが、この地点は薄川支流の浦島沢と小森川支流のタキノ沢の源流部に位置しているので、昔沢沿いに浦島と川塩を結ぶ道が通っていたのかもしれない。

[*側面に文政四巳天(1821年)の刻字あり]

980Pへの落ち葉が溜まった斜面  そこからまた急斜面の登りとなる。無理をすると大腿四頭筋が痛み出しそうなので、ヘタレハイカーは休みを入れながらゆっくり登る。

 この落ち葉の斜面にもイノシシの掘り返した跡が多数見られた。イノシシは腐葉土の下のミミズか何かを狙って掘り起こしている感じだ。

 少し歩きづらい湿った斜面を登り、等高線980mのコブ地点に上がる。

1020P付近、後方の樹間に両見山  そこから平坦な尾根筋を西に進んで行くと、岩稜っぽい尾根となる。そこは右側の落ち葉の斜面に巻いて登る。

 さらに落ち葉が溜まった尾根筋をやや北西寄りに登ると、等高線で1020mの小ピークに出る。そのあたりから前方に樹間に間近になった両見山が見えた。両見山は南面が針葉樹の植林地になっている。

樹林越しに浦島側からの支尾根  1020mピークから西へ下って行くと、右(北)に両見山の東側から北東方向へ延びる支尾根が見えてくる。ネットの記録によると、両見山は普通あの尾根筋を辿って浦島側から登られている*とのこと。

[*江戸時代には浦島地区の金剛院(御嶽神社里宮)から両見山や辺見岳を経由して両神山の御嶽神社本社まで尾根伝いの参拝道が通っていて、主に本山派の修験者によって歩かれていたそうだ。詳しくはわからないが、途中には厳しい岩場もあるということなので、修験道の修行のために歩かれていたらしい。]

両見山東面  鞍部からは急斜面の登りとなる。すでにバテバテなので、途中のコブ状の小ピークは左の植林地に巻いてショートカットして登ると、いよいよ右上に両見山東側の斜面が見えてくる。

 そこからやや南東寄りに登って倒木のある小ピークにかかる。尾根のルートはここから右に曲がって北西へ向かう。ちょっと間違えやすいような感じに見えたで、倒木の枝にテープの目印を付ける。

両見山東側の小鞍部、石祠あり  両見山東側の斜面にかかる手前の小鞍部付近にまた石の祠*が見えた。ここもよくわからないが、先ほどの石祠と同じ年に祀られたようなので、この鞍部も昔の浦島と川塩を結ぶ道のルートになっていたのかもしれない。

[*側面に文政四巳年(1821年)の刻字あり]

浦島分岐付近から両見山山頂部  そこからまた急斜面を登る。左がヒノキ林、右が雑木林になった尾根筋を北西寄りにダラダラ登って行くと、両見山の山頂部から浦島方面へ支尾根が分岐しているコブ地点を過ぎる。

 この北東へ延びる尾根は結構ヤセ尾根っぽく見えた。尾根筋に明瞭な踏跡は付いていないようなので、浦島から両見山に登る人は少ないのかもしれない。

両見山山頂  そこから北側がガレて切れ落ちたような感じの尾根筋を西方向に登って行くと、三等三角点の標石があるピーク地点に着く。両見山*の山頂(1115m)だ。

 この山頂には立木に古ぼけた測量棒が付いているだけで、山岳会のグループが2006年に取り付けたという標識は見えなかった。そこで休憩しながら周囲を探してみると、表面が剥がれたベニヤ板が立木の根元付近に落ちていた。やはり、合板の標識類は防水塗装されていないと、2年と持たないようだ…。日陰になっているので気温は10℃ほど。ちょっと寂しげな感じの山頂だ。

[*ネットの記録では、この山の名前は「二つの土地に跨る山」を意味しているとのこと。二つの土地とは、昔の薄村と小森村のことなのかは不明。]

両見山南西側下りから1110P(左)〜1194P(右後方)  両見山の山頂部は樹林に覆われているので展望はほとんどない。特に南側がヒノキの植林地になっているので、山頂北側から雑木林越しに見える程度。西方向の両神山へつづく山尾根はぼんやり霞んでいる。南西方向に微かに見える山影が1194mの標高点ピークらしい。

 ネットの記録によると、ここからさらに西側の尾根に見晴らしのよいところがあるようだ。休憩後、尾根筋を南西方向へ下る。左側がヒノキ林の境界になっている急斜面を下って行くと、前方に次のピーク*が見えてきた。

[*地形図の等高線で1110mのピーク]

1110P付近のヤセ尾根 ヤセ尾根付近から両神山方面  鞍部からそのピーク付近に登りつくと、尾根は左方向の1069m標高点へ行く尾根と斜め右方向の1194m標高点ピークへ行く尾根とに分岐していた。ここは右の主尾根に進む。

 すると、すぐにヤセ尾根となる。そこからは展望があるので、北西方向に両神山方面が見えた。しかし、黄砂というか春霞というか、遠くはぼんやりとしてハッキリ見えない。

西へつづくヤセ尾根、後方に1194P  このあたりは日当たりがよく風もほとんど吹いていないので、気温はすでに15℃を超えている。ねくらハイカーは木陰のある岩場にザックをデポして尾根筋をさらに30mほど進んでみた。

 この尾根付近は、地形図では両側に崖マークが付いている。実際に歩いてみると、尾根の両側が鋭く切れ落ちていたので、思わずなるほどと感心してしまった。

 山岳会のグループの記録によると、この先は「アリの戸渡り」と形容された尾根となるらしい。面白そうなヤセ尾根が西へつづいているのだが、途中には難しそうな下降もあるようなので、軽装ハイカーはこの辺で引き返すとする。

1110P西側のヤセ尾根から北東方向、両見山方面 南東方向に1069Pの尾根筋、後方は小森川右岸尾根  ヤセ尾根を東へ辿ると、今度は左(北東)に両見山、右(南東)に1069m標高点のある尾根と小森川対岸の無名峰の稜線が見えてくる。

 空気が澄んでいれば、このヤセ尾根は絶好の展望地となるようだ…。

 1110m峰付近の分岐から北東へ下る。鞍部から両見山への登りは急傾斜できつい。ヘタレハイカーは途中で何度も立ち止まりながら登る。どうにかこうにか山頂に戻ったが、スタミナ切れということで一息入れる。

 小休後、東方向に下る。浦島方面への分岐地点でまた一息つき、ヒノキ林の境界になった尾根を南東へ下る。あとは往路を忠実に戻る。
1020P付近から東方向に986P  1020mの小ピーク付近は多少見通しがきくので、東方向に986mの標高点ピークが確認できた。それからは適当に休みを入れながら植林地の多い尾根を東へ進む。

 そのうちに左前方の樹間に塩沢城の尾根も見えるようになる。

昭文社地図「相撲場」東側付近から四阿屋山方面、手前に814P〜870Pの支尾根  昭文社地図の「相撲場」を過ぎて南東寄りにスギの枯れ枝の斜面を下って行くと、東方向に870m峰から814m峰(標高点ピーク)へ延びる尾根筋が見える。

 その尾根の後方には四阿屋山のピークも見えた。ようやく四阿屋山が近づいてきた感じだ。

870P南東側の凹みのある広尾根(「すもう場」?)  少しヤブめいた感じの870m峰を過ぎて南東へ下ると、城跡愛好家が「すもう場」と呼ぶ広尾根の植林地になる。往路では気づかなかったが、そのあたりにはちょっと凹みのある地形があり、その南側は均されたような平坦地がつづいていた。

 往路で付けたテープの目印地点からさらに南東へ尾根を進んでみる。2、30mほど進むと、尾根の左側が土塁状に高くなっていて、平坦地が隠れるような地形になっていた。

 この広尾根一帯は現在ヒノキの植林地となっているが、今から500年以上前の室町時代には広葉樹主体の天然林となっていたはずだ。別に山城の居住地があってもおかしくない気がする…。

 ねくらハイカーは中世の山城についてはまったく知識がないので、これ以上コメントしようがない。見学はこれくらいにしてテープの目印地点まで戻る。

トラバース地点から四阿屋山方向  テープの目印から左下の落ち葉の斜面向かって下る。往路と同じルートで下る。

 途中から赤い樹脂杭などを見ながら植林地の境界沿いを南東へトラバースして行くと、午前中に歩いてきた四阿屋山からの尾根に降りる。そこは、先ほど上の尾根で土塁状に高くなったところの真下に当たる地点に位置していた。

雑木林越しに四阿屋山方面  そこからは植林地主体の尾根筋を東に辿る。途中の雑木林の斜面から四阿屋山の山影がわずかに見える程度で、ほとんど展望のない尾根をダラダラ進む。

 そのうちにアセビなどの多いヤブ尾根となると、前方に四阿屋山の山頂部が間近に見えてくる。

四阿屋山山頂部の柱地点から南斜面 つつじ新道分岐、左の「薬師堂」方向へ  さらに岩の多いヤブ尾根を進むと、やがて四阿屋山山頂部西側の柱地点に着く。ここは山頂に寄らずに南へ下る。

 つつじ尾根分岐の道標地点で一息つき、左の階段道を下る。途中で東方向を眺めてみたが、依然として霞んでいて遠方は見えなかった。

男坂(下方向)・女坂(左方向)分岐道標地点  それから両神神社奥社を過ぎて植林地を下ると、ロウバイ園や福寿草園のある「展望広場」の傾斜地に出る。そこからは薬師堂コースのルートを外れ南東へ下る。

 男坂と女坂を分ける道標地点からはそのまま男坂に下る。男坂は急坂の階段道になっていて、丸太材を立てたステップやステンレス製の手すりが付いていた。

 階段をゆるゆる降りて行くと、休憩所の建物がある広場のようなところに出る。このあたりの斜面に植えられたロウバイがきれいに開花して、ちょうど見ごろになっていた。多分、ここが「山居広場」というところだろう。平日の午後ということで、行楽客はほとんどいない。

「山居広場」から駐車場への車道  そこから舗装された道を少し左へ進むと、管理者らしき人物が暇そうに園内の手入れをしていた。軽く挨拶をしてそのまま舗装道を北東方向へ進む。

 アスファルト舗装の車道をてくてく行くと、左上の斜面に植えられた紅梅がちょうど満開になっていた。一見すると、公園内のロウバイよりもこちらの紅梅の方がいい感じに咲いている。花を眺めながらゆったりとした気分で歩いて行くと、右手に民家が見えた。地図には見違(みたげえ)と表記された一軒家の集落らしい…。

 そこから少し進むと、公園道路終点の広場となり、右下へ降りて朝の駐車場に戻った。

 今日は四阿屋山から両見山を往復したわけだが、やはり秩父近辺の里山ということで、尾根の途中に植林地が多くそれほど面白味はなかった。しかし、まぁ、両神山から東へ延びる山尾根の一部が歩けたということでヨシとしよう。

日程2008年3月17日 (月)
天候晴れのちうす曇り 北寄りの微風 黄砂の影響あり
行程時刻公園管理道路終点第二駐車場7:23→(東へ)→尾根取り付き地点[薬師堂コース]7:25→(西へ)→案内板・駐車場分岐地点7:30〜7:32→(途中に駐車場への分岐あり、南西へ)→新秩父線92号鉄塔7:36〜7:38→《山居広場》分岐7:40〜7:42→《ロウバイ園・福寿草園》分岐7:42〜7:44→《展望広場》分岐7:45〜7:46→「展望広場」付近7:47〜7:52→(西へ)→両神神社奥社(柏沢・鳥居山コース分岐あり)7:59〜8:08→南東面登山道分岐8:09〜8:10→(南東へ)→つつじ新道分岐8:20〜8:27→(北へ)→山頂部西側柱地点8:28→(北東へ)→四阿屋山8:29〜8:57→(南西へ)→西側柱地点8:57→(西へ)→739P付近9:17〜9:19→主尾根突き当り地点9:38〜9:39→(北西面にトラバース)→主尾根地点(「すもう場」?)9:50〜9:53→(北西へ)→870P付近9:58〜10:02→昭文社地図「相撲場」付近10:14〜10:25→(西へ)→970P 10:39〜10:41→(北西へ)→(西へ)→986P 10:46〜10:54→(途中から南西へ)→石祠鞍部11:02〜11:05→980P付近11:10〜11:12→(西へ)→(北西へ)→1020P付近11:23〜11:25→(西へ)→(コブ状ピークを左に巻き、南東へ)→(倒木のあるピークを北西へ)→石祠小鞍部11:37〜11:39→浦島分岐11:46〜11:48→(西へ)→両見山11:53〜12:13→(南西へ)→1110P付近12:17→(西へ)→1110P西側のヤセ尾根12:18〜12:30→(東へ戻り)→1110P付近12:31→(北東へ)→両見山12:40〜12:50→(東へ)→浦島分岐12:53〜12:55→(南東へ)→石祠小鞍部12:58→(倒木のあるピークを北東へ)→(東へ)→1020P付近13:07〜13:08→(南東へ)→(東へ)→980P付近13:17→(北東へ)→石祠鞍部13:22〜13:23→(途中から東へ)→986P 13:32〜13:40→(南東へ)→(970P北面を巻いてショートカット、東へ)→昭文社地図「相撲場」付近13:54〜13:56→(南東へ)→870P付近14:06〜14:07→870P南東側の平坦地(「すもう場」?)14:09〜14:15→(北西へ少し戻り)→トラバース地点14:16→(主尾根北西面を南東へ)→四阿屋山への尾根地点14:20→(東へ)→739P ?:?→四阿屋山山頂部西側柱地点14:58〜15:01→(南へ)→つつじ新道分岐15:02〜15:03→(東へ)→(北東へ)→両神神社奥社15:11〜15:12→(東へ)→「展望広場」付近15:17〜15:20→(南東へ)→《男坂・女坂》分岐15:21→(南東へ)→「山居広場」付近15:25〜15:27→(舗装道を北東へ)→公園管理道路終点第二駐車場15:36
備考♦この記録は「三峰山岳会」の記録や城跡愛好家のHP「武州の城」・HP「城跡ほっつき歩き」の記録を拝見し、参考にさせていただきました。
♦上記の行程時刻では進む方向を細々と表記していますが、ただ単純に明瞭な尾根筋を歩いているだけです。別に迷うようなところはほとんどありません。
♦「相撲場」の位置ついては、城跡愛好家の記録を参照して勝手に推測したものです。何かしらの誤り・勘違い等があるかもしれません。

◇ T N H C ◇

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