| 1942年 |
第2次世界大戦開始の翌年8月に、当時の日本の傘下にあった |
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満州(現在の中国東北部)で役人をしていた父の家で、3人兄弟 |
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の末っ子として生まれる。 |
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| 1945年 |
終戦と同時に父はソ連に抑留され、母は病没したため、残された |
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兄弟3人は祖父・祖母とともに父の郷里・山梨県に引揚げて |
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来ました(3歳)。この時、祖父、祖母が私たち兄弟を命がけで守 |
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ってくれたおかげで、私たちが中国残留孤児にならずにすんだ |
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ことは今でも感謝しています。 (感謝) |
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| 1955年 |
父が10年間のシベリア抑留生活から解放されて帰国し、一家は |
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神奈川県小田原市に移住(12歳)。父はシベリアの極寒の地で |
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10年間もの長期間、家族に再会することだけを夢見て、過酷な |
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重労働に耐えたたとのことです。 (感謝) |
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1962-
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T工業大学に入学。当時は東海村に日本最初の原子力発電所 |
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| 1966年 |
が建設された時期で、原子力発電ブームの到来が見込まれた |
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ため、研究室は同じ大学に新設された原子炉工学研究所を |
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選び、原子炉の炉心菅材料の研究に携わりました。 |
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1966-
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大学を卒業し、総合商社「M社」に入社。当時理系大学から |
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| 1994年 |
の商社入社は珍しく、変わり者扱いを受けましたが、華々しく |
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活躍していた商社の海外活動に大いなる魅力を感じ、あえて飛 |
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び込んだ次第。M社では一貫して海外資源開発・輸入の仕事に |
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従事しました。戦後急成長を遂げた日本経済にとって、石油、 |
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石炭を始め、鉄、銅、ニッケルなどの金属資源もその殆んどを |
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を海外に依存していましたが、これら海外資源開発には商社の |
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活動はなくてはならないものでした。28年間のM社在勤中に、 |
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マニラ駐在(6年)、ニューヨーク駐在(6年)を含め、40カ国 |
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以上の国に出張・訪問し、異なった文化に触れ、それらの国 |
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の人達と親しく語り合う機会を持てたことは私の人生の大きな |
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財産になっています。 |
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1994-
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1990年代の日本経済のバブル崩壊の荒波の中で、1994年に |
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| 2004年 |
M社を早期退社(51歳)、縁あって自動車部品の大手メーカー、 |
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H社に入社。同社で自動車部品の米国市場開拓及び輸出業務に |
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従事した後、同社が米国中西部インディアナ州に設立した |
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米国事業所に赴任し、工場の生産計画・生産管理並びに米国全域に |
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わたる営業を担当。顧客は米国ビッグスリー(GM、フォード、 |
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クライスラー)向けが40%、日本メーカー(トヨタ、日産、ホンダ |
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富士重工業)の米国工場向けが60%と、まさに米国自動車産業の |
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中枢で仕事が出来たことは幸せでした。 (感謝) |
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| 2004年 |
5年半に亘る米国生活を終えて2004年9月に帰国と同時にH社 |
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を定年退職(62歳)。直ちに長年の夢であったバーテンダーを |
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目指し、渋谷の「日本バーテンダースクール」に学ぶ。 |
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修了後は四谷のショットバーで1ヶ月間無給で修行を積みました。 |
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このときの修行は後の私のバー経営並びにバーテンダー業に |
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大きなプラスになりました。 (感謝) |
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| 2005年 |
かくして、2005年3月28日、国立の櫻が満開の時期に合わせて、 |
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国立駅南口にジャズバー「ハーバーライト」を開店し(62歳)、 |
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今に至っています。 |
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マスターの趣味 |
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ゴルフ:ゴルフ歴40年、マニラ駐在時代にプロに学びHC7まで
行きましたが、年齢を経るにしたがって力は衰え、今はHC18程度
です。現在は月1-2回、妻とラウンドするのが楽しみです。
テニス:テニス歴は35年、妻とともに楽しんで来ましたが、「ハー
バーライト」を開店してからは御無沙汰です。
音楽鑑賞: クラシック:ベートーベン、モーツアルト、ブラームス
は特に好きです。又、シューマンやショパンのピアノ曲も好きですね。
ジャズ:2度の米国駐在中にニューヨーク、シカゴ、ニューオー
リンズなどのジャズクラブに通い、本場のジャに触れてジャズの
奥深さを知りました。
酒は好きですが、最近は少々楽しむ程度です。タバコはすい
ません。 今は週2-3回スポーツジムで泳いでいます。
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””マスターの思い”” |
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| ”戦時色が強くなってきた時期に、日本占領下の満州で生まれ、敗戦と同時 |
| に父をシベリアに抑留され、母を病気で失い、祖父母と命からがら祖国に |
| 引揚げ、戦後の極貧のなかで幼少期を過ごし、成人後は急成長を続ける |
| 日本経済の真っ只中で猛烈サラリーマンなどと言われながら骨身を削って |
| 働き、高成長の終焉となるバブル崩壊を身をもって体験した世代の人間が |
| 定年を迎え、その第二の人生を新たに「ジャズバーの経営」という未知なる |
| 世界に向かって船出を致しました。 この先、決して楽な航海が続くとは思い |
| ませんが、「人生は常に挑戦の連続!」という気概を持って、後になって後悔 |
| することのない人生を送りたいと思っております。 |
| 最後に、第二の人生の船出に当たっては、その無謀さゆえに大反対をした妻 |
| が、一旦船出をしてからは、毎日お店に出て献身的に尽くしてくれていること |
| を心より感謝していることを申し添えます。” |
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