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ウェリントン率いるイギリス・オランダ軍(8万3千名)、ブリュッヘル率いるプロイセン軍(11万3千名) フランス軍はワーテルローの戦いの2日前、リニーにおいてプロイセン軍と対戦しました。 ナポレオンはこの戦いに勝利しますが、破れたプロイセン軍は東に敗走したと思い込んで、3万の兵にその 追撃を命じました。これによってフランス軍の4分の1にあたる兵たちはワーテルローの戦場から24キロ もはなれた土地で無駄に過ごすことになります。 1. ナポレオンは、なだらかな丘に布陣したウェリントン軍の両翼に陽動作戦を行い、続けて敵中央に猛攻撃をかける計画でした。午前11時に戦闘開始命令が出され、30分後には砲撃が始まりました。ウェリントン軍右翼にあるウーゴーモン城館にフランス軍の陽動攻撃がかけられます。しかしウーゴーモンの守りは固く、フランス軍は突破できそうもありません。むきになったフランス軍は次々に援軍を呼び寄せました。ナポレオンが80門の大砲に総攻撃の準備砲撃をさせようとした時、北東方向に敗走したはずのプロイセン軍を発見しました。この思いがけない脅威に対処するために予備の第4軍団が派遣されます。 ![]() ![]() 3. 午後も半ばになり、ウーゴーモンの城館以外では接近戦が少なくなってきました。 フランス軍が激しい砲撃を再開したので、ウェリントンは裏斜面の防御陣地に自軍を撤退させることにします。これを見たフランスのネイ元帥はウェリントン軍が退却を始めたと勘違いしてしまい、歩兵の集結を待たずにあわてて5千名の重騎兵だけを率いて攻撃することにしました。これに気づいたウェリントンは自軍を20個の方陣隊形にしてフランス軍重騎兵隊を迎え撃つ準備を固めます。歩兵や砲兵の援護なしで攻撃したフランス軍重騎兵隊は、敵の砲撃とマスケット銃の射撃をもろに受けて大きな損害を出してしまいました。その上、プロイセン軍が近づいてきたので、ナポレオンはそちらへさらに多くの援軍を送らねばなりません。 ![]() 4. 夕方になり、ウェリントン軍の方陣を攻撃していたフランス軍重騎兵隊は疲れ果てて引き揚げ始めました。ナポレオンはプロイセン軍の到着前にウェリントン軍を破るために予備の騎兵にも出撃を命じます。しかし、この騎兵突撃も敵の激しい砲火のため失敗してしまいました。これを見たネイ元帥は、ようやく騎兵には歩兵の援護が必要であることに気づきます。ウェリントン軍の被害もかなりのものになっており、中央のライ・エイ・サントの建物も陥落寸前でした。右翼のウーゴーモンだけがフランス軍の攻撃にしっかり耐えています。ウェリントンは右翼と左翼から予備兵力を集めて危険な中央に配備し始めました。敵の様子に気づいたネイ元帥は攻撃のチャンスと考え、ナポレオンに歩兵の増援を要請しますが、ナポレオンは迫り来るプロイセン軍を阻止することばかり考えていたので、ネイ元帥には援軍を送らなかったのです。 ![]() 5. 日が沈む頃、プロイセン軍をなんとか抑えることに成功したナポレオンは、ウェリントン軍に最後の攻撃をかけることにします。過去に1度も攻撃に失敗したことのないフランス皇帝近衛軍を出動させたのでした。フランス皇帝近衛軍は途中までナポレオン自身に率いられて前進して行きます。 対するウェリントンは歩兵を4列横隊にして出来る限り遮蔽物の陰に隠れるよう命じました。ウェリントン自身もメイトランド近衛旅団と共に麦畑に伏せて位置につきます。 激戦のすえに丘の上に到達したフランス皇帝近衛軍は2個連隊だけでした。彼等も待ち伏せしていたメイトランド近衛旅団に攻撃されて、ついには逃げ出してしまいます。丘のふもとで態勢を立て直したフランス皇帝近衛軍は、騎兵隊を伴って再び攻撃しますが、やはり撃退されてしまいました。今がチャンスと見たウェリントンは全軍に総攻撃を命じます。ウェリントン軍の総攻撃でフランス軍は数大隊の親衛隊(オールド・ガード)以外はすべて壊滅してしまいました。フランス軍の最精鋭である親衛隊は3個の方陣をつくり、自軍の退却を援護します。勇敢な彼等は降伏の呼びかけに応じる様子もなく次々と撃ち殺されていったのでした。この戦闘でのウェリントン軍の戦死者は2万2千名、ナポレオン軍は3万名が戦死したということです。 |