マホメット率いるイスラム教徒軍(7百名)
       対 アブー・スフヤーン率いるクライシュ部族軍(3千名、アビシニヤ人傭兵を含む)
戦闘経過
 3千頭のラクダと2百頭の馬を連れたクライシュ部族軍は、3月21日にメディナのオアシスに到着し、その北を迂回してウフドの丘の南側にある溶岩台地に陣を張りました。そこで連れてきたラクダと馬を放し、穂の出始めた麦畑を散々に荒らさせます。クライシュ部族軍の指揮官アブー・スフヤーンは、イスラム教徒軍がメディナの町で集落ごとに砦を築いていることを知っていたので、どうにかして敵を町の外へおびき出したかったのでした。
 アブー・スフヤーンの意図を見抜いたイスラム教徒軍の老人たちは砦にたてこもることを主張しますが、若者たちは大事な畑を荒らされることに我慢できず出撃して戦うことを望みます。慎重だったマホメットも若者たちの強い意見に動かされ、ついには出撃を決意しました。 3月22日の夕方、マホメットはメディナの町を出て、翌朝早くにウフドの丘の南斜面の中腹に陣を張ります。また東寄りの小高い丘には左翼を守るために50名の弓兵を配置しました。イスラム教徒軍のこの配置によりクライシュ部族軍は、イスラム教徒軍の陣地とメディナの町にはさまれた形になります。マホメットは、自軍の兵力が敵軍に比べて4分の1しか無いため丘の中腹という戦術的に有利な高地からの攻撃に期待をかけました。

 戦闘はマホメットが望んだ通りイスラム教徒軍優勢で始まります。初めのうちクライシュ部族軍は自慢の騎兵隊を活用することが出来ませんでしたが、イスラム教徒軍の隊列がわずかに乱れだすとクライシュ部族軍右翼のハーリド・ビン・アルワリード率いる騎兵隊が、素早くイスラム教徒軍の側面と背後を攻撃し始めます。この騎兵による奇襲は大成功で、イスラム教徒軍はたちまち崩壊してしまいました。この攻撃でマホメットが戦死したというデマが広がったため、混乱したイスラム兵たちの中には同士討ちを始める者も現われましたが、多くの兵はメディナの町に逃げ帰ります。しかしクライシュ部族軍司令官アブー・スフヤーンは敗走するイスラム教徒軍を追ってメディナの町に入ろうとはしませんでした。理由としては、彼の氏族であるアブド・シャムス家の戦士たちの多くが負傷していたことと軍馬のほとんどがすでに傷ついていたことの2つがあります。 クライシュ部族軍の戦死者は27名、イスラム教徒軍は75名がこの戦いで倒れました。戦死者の数だけでみるとこの戦闘はクライシュ部族軍の勝利ですが、クライシュ部族軍の本来の目的であるマホメットの抹殺は達成されませんでした。マホメットは7百名のイスラム教徒軍が3千名のクライシュ部族軍とほぼ互角に戦うことが出来たので戦闘に自信を持ち、歩兵は終始優勢に戦えたことから騎兵隊を持てば勝利は間違いないと確信するに至りました。

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