ハンニバル率いるカルタゴ軍(3万8千名、うち騎兵は1万名以上)
対 執政官センプロニウス率いるローマ軍(4万名、うち騎兵は4千名)
両軍の作戦
ローマ軍は、歩兵主体で行う中央突破に全てを賭けており、騎兵は左右の翼側を守るために置かれただけでした。対するカルタゴ軍は、攻撃の重心を中央ではなく左右の翼(騎兵)に置きます。これは戦術の天才ハンニバルによって採用された作戦で、両翼に置かれた強力な騎兵が敵の騎兵を追い払った後、敵の主力歩兵を包囲して攻撃するというものでした。しかし、この作戦では包囲環を完成させるまで、敵歩兵による強力な中央攻撃に耐えねばならず、絶対に成功するという保証はありません。もしローマ軍にカルタゴ軍の中央部を突破されてしまうと、ほぼ確実に敗北してしまうのです。ハンニバルの作戦を成功させるには、複数の部隊の行動が、適確にタイミングよく行われることが必要になり、そのためには有能な下級指揮官の存在が不可欠でした。 戦闘までの経過
ローマ軍の先遣隊(2千名の騎兵)がティキヌス川の西の平原でカルタゴ軍の騎兵隊(6千名)と戦って敗れ、トレビア川の東岸まで退くと、そこでセンプロニウス率いる援軍の到着を待ちました。カルタゴ軍の司令官ハンニバルは、川をはさんで8キロほど離れて布陣し、周辺地域でローマ軍の物資を略奪したりしますが、劣勢なローマ軍は守りを固くしているので攻撃する機会がありません。12月中旬にローマ軍の援軍が到着すると、新たな指揮官センプロニウスのもとでローマ軍は戦いの準備を始めました。こうしてやっとハンニバルに戦闘の機会がめぐってきます。「トレビアの戦い」の前日、カルタゴ軍の精鋭2千名が、ハンニバルの弟マゴに率いられてトレビア川の岸辺に広がる平野の南側に移動しました。彼等の半数(千名)は騎兵で構成され、戦いの当日は小高い丘の上で待機していたのです。 戦闘経過
 夜明け前、凍るような雨のなか、ハンニバルはヌミディア人騎兵隊にトレビア川を渡らせ、ローマ軍のいる川の東側に移動させます。これを発見したローマ軍は大慌てで戦闘を開始しました。ヌミディア人騎兵隊は敵軍を誘い出す役目を見事に果たし、ローマの大軍が彼等に襲いかかってきます。ヌミディア人騎兵隊はしだいに後退を始め、トレビア川を再び渡って自軍の本隊に戻っていきました。これを追うローマ軍は、冷たいの水の中に次々と飛び込んで川を渡り始めます。慌てて戦いを始めたローマ軍の兵士たちは、装備もそろえず食事もとっていません。そのうえ今は氷のように冷たい水でずぶ濡れになっていました。一方、彼等を待ち構えるカルタゴ軍は腹ごしらえをし、暖もとって装備も充分、まさにフルに戦える状態です。カルタゴ軍は、中央にケルト人歩兵、その両側にスペイン人歩兵とリビュア人歩兵を置き、戦列の左右両翼に強力な騎兵を置きました。戦列の前面と中央軍と左右の騎兵の間には弓兵や投石兵が、軽装歩兵とともに薄く配置されています。
 川を渡ったローマ軍兵士は、カルタゴ軍の主力と戦い始めるとすぐに押し返され、川向こうの本隊にさらに援軍を求めました。結局、ローマの全軍が投入されることになり、ずぶ濡れの大軍がカルタゴ軍の前に現われます。先に川を渡ったローマ軍部隊も態勢を立て直し、今度は大規模な密集隊形をとってカルタゴ軍に向かって行きました。
カルタゴ軍の両翼の騎兵隊は、圧倒的に優勢な攻撃でローマ軍の騎兵隊を追い払うことに成功します。しかしカルタゴ軍の中央の歩兵部隊は、強力なローマ軍歩兵部隊に押され続け、ケルト人歩兵が後退を始めます。ローマ軍の歩兵部隊の一部が、遂にカルタゴ軍の戦列を破ったその時、前日に送られていたマゴ率いる2千名の精鋭部隊が、ローマ軍の無防備な背後に襲いかかりました。このころ敵騎兵を蹴散らしたカルタゴ軍の騎兵隊も、ローマ軍を左右両翼から包囲し始めています。なんとか敵の中央を突破できたローマ軍ですが、両側面と背後から 同時に攻撃を受けることになってしまいました。これによってローマ軍は大混乱に陥ってしまいます。
天候は冬の霧がさらに深くたちこめ、冷たい雨は雪に変わってきました。混乱したローマ軍兵士たちのなかには川に落ち込んで溺れる者も現れ、ローマ軍指揮官センプロニウスは撤退を決意するしかありませんでした。 この戦闘は、完全にローマ軍の戦術的な敗北ですが、執政官センプロニウスは「雪と霧のため確実な勝利をのがした」と敗北の責任を天候のせいにしてローマに報告します。当時のローマ人にはハンニバルの戦術を理解できず、状況しだいでは十分勝利できたと考えていました。彼等がハンニバルの天才を認識するには、後の「カンネーの決戦」で大敗北を喫する必要があったのです。

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