宮宰カール・マルテル率いるフランク軍(1万5千名以上?) 対 太守アブドル・ラフマーン率いるイスラム軍(6万名?)
フランク軍について
フランク軍は、ほとんどが歩兵ばかりで数的にはイスラム軍よりもずっと劣っていました。そのため、フランク軍の司令官カール・マルテルは、イスラム軍の強力な重装騎兵に対抗するために、主力軍を大きな1つの密集方陣にまとめたようです。 フランク軍の武装は部族によってまちまちで、ローマ風の兜をかぶった者、ゴール風の鮮やかな毛織の肩掛けをまとった者、野蛮人の様に獣の毛皮をまとった者がおり、手には長い剣、重い槍、盾などを持っています。なかには、棍棒を武器とする体を真っ黒に塗ったゲルマニアの蛮族部隊もありました。 これらのフランク兵は、アレクサンダーのファランクスのようにきちんと整列して、守りに強い巨大な四角形を作りました。 イスラム軍について
イスラム軍は、騎兵を主力としており、重装騎兵は馬も装甲しています。武器は、長い槍(ランス)と長い剣、それに弓矢などでした。戦法としては、敵の戦列に襲いかかるとすぐに後退して敵兵をおびき出し、急旋回して再び襲撃するというものでした。 イスラム軍の重装騎兵はまさに無敵のような存在でしたが、ベルベル人(北アフリカ人のイスラム教徒)の軽装騎兵は、数は多いものの、フランク軍の歩兵たちには十分対抗できる相手でした。
戦闘までの6日間
フランク軍とイスラム軍はトゥールとポワティエの間、クラン川とヴィエンヌ川の合流点付近で遭遇したと思われます。フランク軍の司令官カール・マルテルは自軍がかなり劣勢であり、普通に戦えば敗北は間違いないことをよく理解していました。このためフランク軍は、小高い丘の上で完全に守りの戦闘態勢をとります。一方、イスラム軍の司令官アブドル・ラフマーンは、フランク軍の兵力がよく解らなかったため、すぐに戦闘を始めることは出来ませんでした。フランク軍の兵士たちは冬用の暖かい衣服を身につけ、防御に適した地形で戦闘の準備を進めます。 対するイスラム軍には厳しい寒さに対する備えが全くありませんでした。このような状態で6日間、両軍はにらみ合いを続けます。何度かの小規模な小競り合いによってイスラム軍の優位を確信したアブドル・ラフマーンは、7日目には戦闘を開始することにしました。
戦闘経過
 イスラム軍の司令官アブドル・ラフマーンは、自軍の騎兵に絶対の自信を持っていたので、フランク軍の巨大な密集方陣に対し、繰り返して何度も攻撃をかけました。これまでの戦闘では必勝の騎兵突撃ですが、今回はなかなかうまくいきません。この時代の歩兵が騎兵の突撃に対抗するのは難しいのですが、訓練されたフランク軍兵士たちはイスラム軍騎兵の攻撃によく耐えていました。 イスラム軍騎兵のなかには、フランク軍の方陣内に侵入できたものもいましたが、すぐに撃退されてしまったようです。

 戦闘中のイスラム軍にある噂が広がります。その噂とは、後方のイスラム軍陣地がフランク軍の騎兵隊に狙われているというものでした。後方の陣地には、イスラム軍兵士たちがボルドーから強奪してきた大事な戦利品が置いてありました。噂を信じたイスラム軍兵士の多くが、自分たちの戦利品を心配して陣地に引き返し始めます。噂は広がり続け、ついにはイスラム軍の大半が戦場から離脱していくことになりました。イスラム軍の司令官アブドル・ラフマーンは、自軍の退却をなんとか止めようと奔走しますが、いつの間にか敵軍に包囲されてあえなく戦死してしまいます。この結果、全てのイスラム軍部隊が陣地に戻ってしまいました。
次の朝、イスラム軍は戦闘を再開しませんでした。フランク軍の兵士たちはイスラム軍の待ち伏せ攻撃を警戒しながら、敵陣地とその周辺を広範囲に渡って偵察します。それによって判明したことは、昨夜のうちにイスラム軍は陣地を捨てて撤退して行ったことでした。

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