バイダル率いるモンゴル軍(兵力約3万名) 対 シレジアのヘンリク2世率いるゲルマン諸国軍(兵力4万名)
ゲルマン諸国軍について
モンゴル軍に対する最後の防衛線をポーランド西部の町リーグニッツに敷いたゲルマン諸国軍は、必死で総動員した混成軍で、ドイツ騎士修道会の部隊の他にドイツ人傭兵やポーランド軍の残存部隊からなる5つの部隊で構成されていました。数はそろえましたが質は良いとは言えませんでした。 戦闘経過
戦闘が開始されるとモンゴル軍の前衛部隊は、ゲルマン諸国軍第1部隊の歩兵隊に押されて退却を始めました。第1部隊は逃げるモンゴル軍を追撃します。しかし、これはモンゴル軍得意の戦術で、第1部隊が本隊から十分に離れたところまで来ると、モンゴル軍騎兵は突如急反転して第1部隊に襲いかかったのでした。この時には左右からもモンゴル軍騎兵の大群が現われ、敵を包囲すると一斉に矢を放ちます。第1部隊はこの攻撃であえなく全滅してしまいました。第1部隊の救援に向かった第2、第3部隊もモンゴル軍の待ち伏せにあって敗走してしまいます。逃げる敵軍を追撃するモンゴル軍騎兵の前に、ドイツ騎士修道会の第4部隊とヘンリク2世の率いる精鋭部隊からなる第5部隊が立ち塞がります。しかしながら、兵力が減少したゲルマン諸国軍には大群で押し寄せるモンゴル軍騎兵に対抗する力はすでになく、奮闘もむなしく敗れ去りました。
敵の勢力を分断して各個に叩つぶす戦術をとるモンゴル軍に、ゲルマン諸国軍は完全にやられてしまったのです。しかし1241年12月11日、モンゴル帝国の皇帝オゴタイが亡くなると、新たな皇帝選出の為のクリルタイ(部族長会議)に出席するため、モンゴル軍のリーダー達がヨーロッパ侵攻を終止したことによって、ゲルマン諸国はかろうじて救われることになりました。

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