ジャンヌ・ダルク、ラ・イールら率いるフランス軍(3千名) 対 イングランド軍(4千名)
当時のオルレアン 
当時のオルレアンは、長辺1キロ弱、短辺約5百メートルの城壁で守られた長方形の町で、ロワール川の対岸とは1本の橋でつながっていました。橋のたもとには石積みの双塔が建てられており、そこを通ると建物で囲われた小さな広場と低い丘がありました。川の対岸へはそこからさらに小さな橋を渡らなければなりません。このあたりをフランス軍は「トゥーレル城塞」と呼んでいました。 1428年10月17日、イングランド軍がオルレアン攻撃を開始して、23日に「トゥーレル城塞」はイングランド軍に奪取されてしまいます。 戦闘経過
 オルレアン市がイングランド軍の包囲攻撃を受け始めてから、もう半年近くになっていました。それまでは消極的な姿勢のフランス軍でしたが、ジャンヌ・ダルクの出現によって軍の士気が上がり、一転して積極的に攻撃に出るようになります。 5月4日、午前中に増援が到着したフランス軍は、昼過ぎからイングランド軍のサン・ルー砦を攻撃することにします。休息中だったジャンヌは途中から戦闘に参加して、砦は見事に破壊されました。翌5日はキリスト昇天の祝日のために戦いは中止され、フランス軍は作戦会議を開きます。 6日、ロワール川を渡ってサン・ジャン・ル・ブランの敵陣地を襲撃しますが、イングランド軍は既にそこを引き払っていました。フランス軍は撤退を始めますが、後方からオーギュスタン砦にいたイングランド軍部隊が攻撃してきます。兵力では優勢なフランス軍は反撃に出てると、そのままオーギュスタン砦を攻め落としてしまいました。こうしてトゥーレル城塞に追い込まれたイングランド軍は、翌日の7日に南北両面から攻撃されることになります。
 早朝に開始された戦闘では、トゥーレル城塞がロワール川に架かる橋の対岸に作られていたため、可燃物をのせた筏に火をつけて橋桁を焼き落とす作戦がとられました。オルレアン市内から出撃したフランス軍と橋の上で戦っていたイングランド軍の部隊は、崩れ落ちる橋桁と共にロワール川に沈みます。トゥーレル城塞にいたイングランド軍の隊長、ウィリアム・グラスデールもここで溺死してしまいました。フランス軍のジャンヌは、この時の戦闘で肩の下に軽い矢傷を負いましたが、オルレアンを対岸につなぐ大事な橋はフランス軍の手に戻ったのです。 8日の朝、多くの砦に潜んでいたイングランド軍部隊が砦の外に出て、戦列を作り始めます。オルレアン守備隊のフランス軍も城壁の外に出て戦闘配置につきました。1時間ほどのにらみ合いが続いた後、イングランド軍は撤退していきます。多分トゥーレル城塞をなくした今となっては包囲攻撃の続行は無理であると判断したのでしょう。

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