サアド・イブン・アビ・ワッカース率いるイスラム軍(3万5千名) 対 ルスタム率いるペルシャ帝国軍(15万名?)
ペルシャ軍について
カーディシーヤ平野のアティーク川を背にして、イスラム軍と対決する形で布陣したペルシャ軍の前線は騎兵隊と象部隊でした。象は頭から足先までを鎧で守られ、長い鼻を固い布地で覆っており、背に乗せたかごには数名の射手が乗り込んで弓矢で戦いました。無敵を誇る33頭の戦象が3隊に分けられて使用されました。 イスラム軍について
イスラム軍の主力武器は弓矢であり、軽い鎧程度の装甲しか身に付けていませんでした。使用する剣や槍の種類は多く、 象と戦うための槍は騎兵用は7メートル、歩兵用は3メートルもの長さがあったということです。 戦闘経過
〜1日目〜 正午の祈りの後、イスラム軍の騎兵隊がペルシャ軍の中央めがけ突進して戦闘が始まりました。 ペルシャ軍は13頭の象を中央に配置してイスラム軍の突撃をかわします。ここでサアドはイスラム全軍に総攻撃の命令を下しましたが、冷静なペルシャ軍司令官ルスタムは両翼の象部隊を出動させてこれを防ぎます。 イスラム軍騎兵の千名ほどが馬を降りて剣と槍を持ち、ペルシャ軍の象と戦うことになりました。ルスタムはイスラム軍の背後に回り込んで敵の後方支援線を断つつもりでしたが、イスラム軍の善戦によりこの意図は失敗しました。

〜2日目〜 イスラム軍は再び中央突破を試みましたが、やはり失敗、大きな損害を出してしまいます。 イスラム軍の指揮官サアドは病身のため、シリアから駆けつけた援軍の隊長であったカアカーウ・イブン・アムルーに指揮を譲りました。カアカーウは5千名の部隊を西のシリア街道に送り、明日の夜明けの戦闘開始とともに大規模な援軍のように現われるように命じます。

〜3日目〜 カアカーウは全軍に援軍到着を知らせ、偽の援軍には本隊の兵たちにばれないよう離れて展開するように命じました。援軍の到着を信じたイスラム軍は士気を高め、ペルシャ軍の象部隊に襲いかかります。弓矢で象の乗員をねらい、槍で象の目を突き、剣で長い鼻を切ったのです。ルスタムは馬に乗り、戦場を駆け巡ってペルシャ軍の立て直しをはかり、全軍を13列の横隊に分け、どこを攻められても反撃できる態勢を整えました。 夜になって再びイスラム軍指揮官となったサアドは全軍に隊形を変える命令を出します。歩兵を最前列、その後ろに槍と弓の部隊を置き、騎兵のうち剣で戦う者には徒歩で戦うように命じました。敵に回り込まれないよう両翼の守りは特に強固にしておきました。

〜3日目の夜から4日目〜 夜の闇のなかで両軍は激しく戦いました。相手もよくわからないまま戦いは続けられ、サアドもルスタムも自軍の状況を掴んでいませんでした。朝まで続いた戦いでイスラム軍は6千名を失いましたが、イスラム軍の将軍カアカーウはさらに兵士たちを奮いたたせて前衛の歩兵にペルシャ軍の中央めがけて突撃させます。この攻撃は成功し、敵軍の中央に侵入、イスラム軍の本体が後に続きます。 昼頃、イスラム軍はペルシャ軍の中央を突破することに成功しました。ペルシャ軍の両翼は全くの無傷でしたが、この頃吹き始めた砂嵐のために行動できず、混乱の最中にペルシャ軍司令官ルスタムが1人のイスラム兵に斬り殺されてしまいます。司令官の死はペルシャ全軍の士気を挫き、ペルシャ軍の両翼も撤退をはじめます。イスラム軍司令官サアドはカアカーウとズフラの2人の将軍に敵軍の追跡を命じ、他の部隊長たちには戦場に横たわるペルシャ兵の死体から携行品や武器を集めることを命じました。 現在のイラクでは、この戦いでのペルシャ軍の戦死者数は十万名に達したと伝えられていますがこれは少々信じがたい数字です。