![]() ![]() 西ローマ帝国軍には、テオドリック指揮の西ゴート族、サンギバン指揮のアラン族が含まれ、フン族側には、アルダリック指揮のゲピード族、ウァラミール指揮の東ゴート族の他、テューリンゲン族、ブルグンド族、フランク族などが参加しました。 アッティラ軍は総司令官アッティラ直属のフン族が中央に陣取り、右翼はゲピード族と東ゴート族が配置され、左翼にはその他のゲルマン諸族が置かれました。対するアエティウス軍は右翼に総司令官アエティウスの西ローマ帝国軍を配置し、左翼にはテオドリック指揮の西ゴート族を置いて、中央に配置されたアラン族が裏切らないよう両翼から監視できるようにしていました。 1. 戦場は広い平原ですが、中央に大きな丘があって両軍を隔てていました。「カタラウヌムの戦い」はこの丘の争奪戦で始まります。 西ゴート族が激戦の末、殺到するフン族を押し返すことに成功してこの丘を占領しました。意気消沈したフン族の士気を回復させるために総司令官アッティラは部下たちを集めて叱咤激励します。 「我は第1の投げ槍を投ずるであろう。我に続くことを拒むものはただ死あるのみ。」 ![]() 2. 戦闘は投てき兵器の応酬で再開されます。このときはフン族の弓兵隊が優勢でした。 続いて両軍の騎兵隊と歩兵隊が突撃して激しい白兵戦になりました。アッティラに率いられたフン族は、 アエティウス軍の弱い中央(アラン族)を突破することに成功します。アエティウス軍は完全に分断されてしまい、左翼の西ゴート族が、中央から侵入し急旋回してきたフン族に後方から攻撃されてしまいます。 西ゴート王テオドリックは敵軍の投げ槍を受けて落馬し、自軍騎兵の馬蹄に踏みつけられて絶命してしまいました。アッティラが自らの勝利を確信したその時、丘を占領していた西ゴート族の部隊が、自軍の危機を救うために丘から降りてフン族を攻撃します。 これによって西ゴート族は態勢を立て直すことが出来ました。隊列を整えた西ゴート族は攻勢に転じ、今度はフン族を打ちのめします。さすがのアッティラも遂には退却を決意せねばなりませんでした。夜になるとアッティラ軍は陣営の周囲に車両を並べて防壁にし、そのなかに立てこもります。 アエティウス軍も混乱のうちに夜をむかえており、敵に夜襲をかけることなど不可能でした。 ![]() 3. 翌朝、西ローマ帝国軍司令官アエティウスは敵の損害の方が大きいことを確認して満足します。テオドリックの遺体が探し出されて葬儀が行われ、西ゴート族の王位はテオドリックの息子トリスムントが継ぐことになりました。王となったトリスムントは、さっそく父の仇を討つためにアッティラ軍の防御陣地を攻撃することにしますが、敵陣地からは無数の矢が降り注ぎ、突撃していった西ゴート族の部隊は撃退されてしまいます。これを見たアエティウスはトリスムントを説得して無謀な攻撃をやめさせ、もう十分敵に損害を与えたとして撤退することにします。 アッティラ軍は、敵軍が撤退した後も数日間は防御陣地にこもっていましたが、やがて全軍を率いて本拠地のあるハンガリー平原に帰って行きました。 この戦闘では双方合わせて約5万名の兵士が戦い、約1万名が戦死したと考えられています。 |