![]() ![]() クライシュ部族はアラビア北西部から遊牧民を兵として集め、マホメットによってメディナから追放されたユダヤ教徒のナディール族も戦力に加えました。マホメットが守るメディナにもユダヤ教徒のクライザ部族がいましたが、イスラム教徒軍に協力して戦う気はなく、どちらかといえばユダヤ教徒のナディール族がいるクライシュ部族連合軍に好意的でした。 マホメットは「ウフドの戦い」の際とは違って、今回はメディナの町に立てこもって戦うつもりでした。マホメットの弟子でペルシャ人のサルマーンが、塹壕(ハンダク)を掘ってメディナを守るという戦術を提案し、マホメットはそれを受け入れたのです。マホメットは、クライシュ部族連合軍がメッカを出発したという知らせを聞くと、すぐさまイスラム教徒全員に塹壕を掘るよう命じたのです。6日間かかって、敵が攻撃してきそうなところ全てに塹壕が掘られます。 1. クライシュ部族連合軍がメディナの町を包囲したのは3月31日、3日間にわたってクライシュ部族軍の騎兵隊がイスラム教徒軍の塹壕を越えようとしますが、いっこうに成功しませんでした。メッカで最も偉大な英雄と評されるアムルと数名の騎兵たちが塹壕にそって駆け回り、ようやく塹壕の幅が狭くなったところを発見します。そこで塹壕を飛び越えたアムルたちは、イスラム教徒軍が集結している真正面に躍り出ました。剛胆な戦士としてアラブ中に恐れられるアムルに挑んだのは、マホメットの従兄弟のアリです。アリは若いながらも勇敢に戦い、ついにはアムルを倒しました。アムルと共に塹壕を飛び越えてきた騎兵たちは、まさかの英雄の死に落胆して逃げ去り、そのうちの1人は塹壕に落ちて死んでしまいました。メッカの英雄アムルの死はクライシュ部族軍の士気を落とし、彼らの最も強力な戦力である騎兵隊が敵の塹壕を越えれなかったことに失望します。クライシュ部族軍は夜間の攻撃も試みましたが、塹壕にはイスラム教徒軍の見張りが配置されていたので成功しませんでした。 ![]() 2. メディナの包囲が予想以上に長びくクライシュ部族軍は、メディナにいるユダヤ教徒のクライザ部族に使者を送り、イスラム教徒軍を背後から攻撃するように依頼します。クライザ部族はメディナの南側に位置しており、彼らの協力を得ることが出来れば、イスラム教徒軍を南北両方から攻撃することが可能になります。クライシュ部族がクライザ部族の支援を求めていることを知ったマホメットは、壊滅的な危機を避けるために自らもクライザ部族に働きかけます。しかしながら、すでにクライザ部族はマホメットとの協定を破って、クライシュ部族に協力する決心をしていました。クライザ部族はイスラム教徒軍を攻撃する条件として、クライシュ部族に人質を要求します。もしもクライシュ部族軍が塹壕を越えて攻撃してこないとクライザ部族だけがイスラム教徒軍と戦わねばなりません。そのための保険として人質を要求したのですが、クライシュ部族には侮辱ととられ拒否されてしまいます。 ![]() 3. 結局、クライザ部族がクライシュ部族に協力することは無く、メディナ包囲は3週目に入りました。このころ季節外れの冷たい強風が吹き始めます。メディナの北で野営しているクライシュ部族連合軍の戦意はどんどん低くなり、馬に与えるまぐさも不足してきました。 当然のようにメデイナを包囲していた兵士たちが次々と撤退していきます。 このようにしてメディナ包囲戦が大失敗に終ったクライシュ部族のダメージは相当なものでした。クライシュ部族連合軍は6名のイスラム教徒を殺しただけで、2年の歳月と莫大な費用をかけたメディナ攻略をあきらめねばならなかったのです。 |