紀元前7〜4世紀頃の軍艦の戦法は、船首に取り付けた衝角を敵船にぶっけることだけでした。 このような衝角突撃を行うには、船首を敵船に正確に向ける必要があり、撃沈するためにはそれなりのスピードを出さねばなりません。 このため軍艦の推進力は主にオールに頼り、帆を揚げるのは長い航海の時だけでした。 衝角突撃時のスピードを上げるために船体は細長くなり、漕ぎ手の数を増やすために漕ぎ手の座席を上下3段にしたもの(トライレム(3段櫂船))も現れました。 ギリシャの戦闘用トライレムは長さが36メートル、幅6メートル、漕ぎ手は3つのグループに分けられ、62人が上段の座席、 中段と下段の座席にはそれぞれ44人が座って船を漕ぎました。1本のマストに1枚の長方形の帆を揚げるようになっていますが、 戦闘時には邪魔になるため、帆はたたんでマストは倒しておきました。 紀元前4世紀頃には、さらにスピードを上げるために1本のオールに取り付く漕ぎ手の人数を増やし、5人以上の漕ぎ手が1本のオールを操作するようになったと考えられています。
 
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