「戦術の世界史」もっと詳しく紀元前5〜4世紀
紀元前8世紀のギリシャで開発された新しい戦術がファランクス(密集戦闘隊形、密集方陣)戦術です。
一般的なギリシャのファランクスは、8名の兵士が整然と縦1列に並びました。
800名の兵士でファランクスを構成すると横には100列並ぶことになり、
1列100名の8列横隊をつくることになります。
各兵士は左右の兵士との間を約2メートル弱あけて並び、
より密集して攻撃する場合は縦列の後半分の4列がこの間に進み出て、
前半分の4列の隣に並びました。この密集隊形をつくると1列200名の4列横隊になるわけです。
800名がつくるファランクスは、200本の長い槍が突き出ている200枚の盾で作られた横250メートルほどの壁のようなものでした。
この壁が整然と前進して敵軍と正面からぶっかっていくのです。
アケメネス朝ペルシャ(前6世紀〜前4世紀)では騎兵主体の戦闘を行っていました。
貴族の子弟たちは乗馬と弓術を必ず学んだという記録があります。戦闘の主力だった装甲騎兵は、
下半身に金属製のウロコを縫い付けたスカートのような鎧をつけていました。
歩兵を中央に置き、敵の側面や後方を攻撃するために騎兵を両翼に置くという基本的な陣形は、
ペルシャ人がギリシャ人に先駆けて採用したものです。
一般的なペルシャの戦術は、まず歩兵隊が大量の矢を敵に浴びせかけたところで騎兵隊が弓や短い槍を武器にして突撃し、
敵が混乱したところで歩兵隊が白兵戦に突入するというものでした。
軍事国家スパルタでは農業などの食料生産を奴隷が行っていたので、
市民の男性全てが兵士として軍務についていました。
男の子は7才になると親元から離されて集団生活を強いられ、学問教育は最低限のものだけで、
ほとんど毎日を肉体の鍛練に明け暮れました。体に抵抗力をつけさせるため、
子供には裸同然のかっこうをさせ、靴もはかせません。
ろくに食事を与えず、盗みを奨励することで子供に自分で食料を確保することの重要性を叩き込みます。
このことは将来子供が成人して兵士になった時、過酷な戦場でのサバイバルに役立ちました。
スパルタでは大人でも子供でも喧嘩が奨励されていましたが、
第3者が仲裁に入った時点でどんな喧嘩でも必ずやめなければなりませんでした。
彼等にとって、勇気は最も尊ばれる美徳であり、臆病は最も卑しい悪徳だったのです。
このことはスパルタ市民に幼い頃からしっかりと教えこまれました。
女性は丈夫で健康な子供を生むために、妊娠中でも激しい運動を強制され、
誕生した子供が虚弱だったり知能が低かったりすると幼児のうちに殺されてしまったのです。
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マケドニアの装甲騎兵集団は、王直属の騎兵親衛隊(戦友隊/ヘタイロイ)が発展したものでした。 アレクサンダーの騎兵親衛隊は8個中隊1700名にもなり、 ペルシャ遠征の際には5つの騎兵師団に再編成されます。 これらの騎兵師団はマケドニア騎兵の中核部隊となりました。 アレクサンダー自身は300名からなる1個中隊を自分の近衛部隊にします。 マケドニアの騎兵隊は3角形の隊形をつくり、その先端で敵陣を突破しようとしました。 騎兵隊の隊長は3角形の頂点である最前列で指揮をとるのが普通で、 アレクサンダーも例外ではありませんでした。
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