「戦術の世界史」もっと詳しく紀元前14世紀〜紀元前12世紀

石は硬く強力な武器となりますが、衝撃に弱く割れやすいので鋭利な刃先を作ることは出来ません。 それに比べると青銅は加工しやすいので、長くて薄い刃でも作ることが出来ました。 深く貫くことが可能な青銅の槍や斧が武器として使われるようになったのです。 青銅製の兜や鎧も作られるようになり、色々なデザインのものが使用されました。 楯も円形や四角形から8の字形まで敵の武器に応じて様々な形のものが現われます。 石の剣は極めてもろく、短いものが多かったのですが、青銅なら長い剣も作ることが出来ました。 しかし青銅製の剣は、突き刺したり切断したりするのに十分なほどの頑丈さは持っておらず、 戦闘で真に威力を発揮できる剣は製鉄技術の発達で初めて実現することになります。
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弓矢は訓練された射手ならば有効射程が300メートル近くあり、 金属製の矢尻を使えばかなりの威力がありました。 戦闘では弓兵が歩兵隊の最前線に立つことが多く、離れた敵に対して最初の一撃を与えます。 また2輪の戦車は弓の射撃台として使われることが多く機動戦の主役でしたが、 スピードが速いと安定性が悪くなり、正確な射撃が難しくなりました。 4輪の戦車は安定性は良かったのですが、そのぶんスピードはかなり遅くなったようです。
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激しい戦闘にも耐えうる丈夫な鋼鉄の刃先をつくるために、 熱い鉄を叩いて水に入れ、急速に冷やすという方法が紀元前13世紀ごろに発見されました。 このような鉄の精練と鍛冶技術の発達によって軍隊の武装が大きく変わります。 鉄製の槍の穂先と鋭利な長い剣は、今までにない強力な武器となりました。 鉄を豊富に持っているということは、歳入が豊かな国家なら、 多くの兵士に強力な武装をさせることが可能であるということです。 アッシリアの軍隊はまさに鉄の軍団であり、 エジプトのファラオも後には鉄の武装を取り入れていきました。
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アッシリア王アッシュールナジルパル2世(治世紀元前883〜854年)がクトゥムキの地に滞在中、 ビト・ハルーペの都市シュルの市民が反乱を起こしました。 彼等はアッシリアの総督ハマタイを殺し、ビト・アディニから連れてきたアヒアババを ビト・ハルーベの王位につけたのです。この知らせを聞いたアッシュールナジルパルは すぐに軍隊を率いて、ハブル川沿いにビト・ハルーペに向かいました。 アッシリア軍が近くまで迫ってきたことを知ったシュルの市民たちは、自分たちに戦う意思の無いこと を示し、都市の主だった人々と長老がアッシリア王の前に出頭して命乞いを始めます。 しかしアッシュールナジルパルにはこれを受け入れる気は全くありませんでした。 彼はシュルの市民たちが王位につけたアヒアババを捕えると、完全武装の軍隊を市内に入れます。 恐れをなしたシュルの市民たちは、 反乱行為に参加した者たち全てを捕えてアッシリア軍に引き渡しました。 アッシュールナジルパルは、新しい総督を任命すると市の門の真向かいに柱を立てさせます。 そして反乱の首謀者たちを皆殺しにすると彼等の皮を剥がさせて、それで柱の表面を覆わせました。 反乱者たちの皮膚は柱の中に埋め込まれたり、串刺しにされたり、柱に巻きつけられたりします。 市の壁にも多くの人々の皮膚が広げられて張り付けられました。 反逆した官吏や宮廷づきの官吏は手足を切り落とされ、 捕えられたアヒアババはアッシリア帝国の都ニネヴェに連行されるとそこで皮を剥がれ、 ニネヴェの城壁に彼の皮膚が張り付けられます。 反乱の指導者たちが戦うことを望まずに無条件降伏したにもかかわらず、 アッシリア王は彼等を全く容赦しなかったのでした。
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「アッシリアの弓兵」 VERLINDEN PRODUCTIONS社製の模型です。