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ナポレオン率いるフランス軍(兵力7万5千名 ) 11月3日、クトゥーゾフ将軍率いるロシア軍はウィーンの北東200キロにあるオリュミッツで皇帝フランツ1世率いるオーストリア軍と合流します。ここにはロシア皇帝アレクサンドル1世もいたため、ロシア軍の作戦は実戦経験の乏しいアレクサンドル1世が決定することになり、オーストリア皇帝フランツ1世も彼の決定に従うことになりました。一方ロシア軍を追跡してきたフランス軍(5万5千名)の兵站線は危険なほど長く延びており、フランス軍を率いるナポレオンは、今や兵力で優勢となった敵軍(8万5千名)と正面から戦うことは出来ません。一計を案じたナポレオンは、前衛偵察隊に敵を発見したらすぐに逃げるように命じると、軍を数キロ後退させて、アウステルリッツ村の西にある重要拠点プラッツェン高地からも撤退します。このようにしてナポレオンは、敵にフランス軍の士気が下がっていると思わせたのでした。 27日、今なら兵力を増強しなくても勝利は間違いないと考えたアレクサンドル1世は、フランス軍に向かって進軍を開始します。これを知ったナポレオンは、西に80キロ離れたところに展開しているベルナドット元帥の第1軍団と、130キロも離れたウィーン南方にいるダヴー元帥の第3軍団を呼び寄せました。彼等が来援するまでの時間稼ぎのため、ナポレオンは拒絶されるのを承知のうえで停戦の使者を同盟軍に送ります。ダヴー元帥率いるフランス軍第3軍団は、強行軍で数多くの落伍者を出しながらも12月1日に本隊に合流します。すでに第1軍団は到着していたので、フランス軍は7万5千名の兵力になりました。 フランス軍は8キロもの前線を敷きます。左翼をサントン丘で守ると右翼はテルニッツの湖沼群近くに置きました。ナポレオンは土地の死角を上手に利用して、実際の兵力を敵に知られないように配置します。主力は左翼と中央に集中して置かれ、右翼にはわずか7千名の部隊を配置しました。わざと手薄にした右翼の後方にダヴー元帥の第3軍団1万名を置いて、引き付けた連合軍主力の攻撃を支えている間に、敵軍の中央を突破するというのがナポレオンの作戦でした。 オーストリア・ロシア同盟軍は、ビクゾーデン将軍率いる4万5千名の大軍を左翼に置き、ゴールドバッハ川を渡ってフランス軍の手薄な右翼を攻撃する作戦です。中央のプラッツェン高地にはクトゥーゾフの部隊があり、右翼にはバグラチオン将軍とリヒテンシュタイン公ヨハンの率いる歩兵と騎兵の混成部隊が置かれ、サントン丘のフランス軍を攻める予定でした。 1. 12月2日の早朝、濃霧の中を苦労して狭いゴールドバッハ渓谷に下りた同盟軍左翼軍の混雑ぶりは大変なものでした。同盟軍のビクゾーデン将軍は作戦通りゴールドバッハ川を渡ると、手薄なはずのフランス軍右翼に対して攻撃を開始します。しかし突然、予想外のダヴー元帥率いるフランス軍第3軍団が現れると、これに驚いたビクゾーデン将軍は同盟軍中央に増援部隊の派遣を要請しました。午前8時半頃、連合軍の中央、プラッツェン高地からは多くの同盟軍部隊がフランス軍右翼との戦いに参加するために南へ下りていきます。これを確認したナポレオンは、敵からは見えないところに配置してあったスールト元帥の第4軍団の2個師団に出撃を命じました。完全な奇襲攻撃で同盟軍中央のプラッツェン高地を奪い取ることに成功したフランス軍は、大急ぎで大砲を高地の上に引き揚げると、密集した同盟軍左翼に向かって砲撃を加え始めます。 そのころ同盟軍の右翼軍はフランス軍の左翼にあるサントン丘に全面攻撃をかけていましたが、フランス軍ランヌ元帥の第5軍団、ベルナドット元帥の第1軍団とミュラー元帥の騎兵隊が協力してこれを防いでいます。 ![]() ![]() 3. 午前中に何度も行われた同盟軍のプラッツェン高地奪還攻撃は全て失敗に終わったため、午後からは同盟軍の予備として控置してあった精鋭のロシア皇帝近衛軍が出撃します。この同盟軍の攻撃で一時的にフランス軍はピンチに陥りますが、ナポレオンの近衛軍騎兵隊が救援に駆けつけたため、午後2時半ごろにはプラッツェン高地は完全にフランス軍のものになりました。 ![]() 4. プラッツェン高地を完全に占領したフランス軍の大砲によって、同盟軍左翼の密集した大軍は、右側面と後方から大々的に攻撃されるようになりました。フランス軍の砲撃はますます激しさを増していき、正面からフランス軍右翼の攻撃も受けるようになった同盟軍左翼軍は、死傷者が続出して何千名もの兵士たちが降伏します。午後4時ごろには雪が降り始め、同盟軍左翼軍は、遂に隊列を崩してバラバラになってしまいました。同盟軍のビクゾーデン将軍は部下を置き去りにして逃走し、多数の同盟軍兵士たちは、凍結していたザッチャン湖の湖面を渡って脱出しようとします。フランス軍が、逃走中の同盟軍兵士たちを狙って砲撃をくり返すと、凍っていた湖面の氷が割れて、大勢の同盟軍兵士たちが冷たい水の中に落ちて溺死してしまいました。午後5時前には激しい雪と夕闇のため戦闘は終了します。この戦いで、フランス軍は8千名を失い、同盟軍は2万7千名を失って壊滅状態になりました。 |