ハワード・エッフィンガム率いるイギリス艦隊(197隻、兵員約1万5千名)
対 メディナ・シドニア率いるスペイン艦隊(130隻、兵員約3万名 ガレー船の奴隷等含む )
■イギリス艦隊の編成
総司令官ハワード率いる女王艦隊(34隻、旗艦はアーク・ロイヤル)、ロンドン艦隊(30隻)、
ドレーク艦隊(34隻、旗艦はリベンジ)、ヘンリー・セイモア艦隊(23隻)
トーマス・ハワード艦隊(武装商船、糧食船、義勇船、計76隻、旗艦はゴールデン・ライオン)
■イギリス艦の特徴
イギリス艦隊最大の戦艦は、千百トンのトライアンフ号でした。その他10隻足らずの大型戦艦は千トンから6百トンぐらいの大きさでした。イギリス艦は、スペイン艦に比べると龍骨が長く、船体は低く造られているので大洋を航海するのにより適しています。またこの特徴は戦闘中の操縦にも便利で、安定性もよいことから砲撃には有利でした。
■スペインの無敵艦隊(アルマダ)
スペイン艦隊は、1571年にレパントでオスマン・トルコ艦隊を破り、1583年にはアゾレス諸島でフランス艦隊を壊滅させて、世界無敵を誇る艦隊となります。そして1586年3月、「レパントの海戦」で活躍したサンタ・クルズ候が、スペイン王フェリペ2世に自信満々でイギリス侵攻計画を提出したのでした。
■スペイン艦隊の陣形
■戦闘経過
7月21日の戦闘
イギリス艦隊は、真夜中の午前1時にスペイン艦隊を発見するとすぐに風上側に進出します。そして日の出とともにスペイン艦隊の右翼(イタリア隊)に後方から接近して砲撃を開始しました。スペイン艦隊のイタリア隊を追い越したイギリス艦隊は、反転すると今度はスペイン艦隊のビスケー隊を前方から攻撃し始めます。この猛攻撃にビスケー隊は混乱し、副司令官レカルデの乗艦サンタ・アナ号とグラン・グリン号の2隻だけが奮闘しますが、イギリス艦隊のドレーク隊に包囲されて猛砲撃を浴びせかけられました。
これを見たスペイン艦隊総司令官メディア・シドニアが、副司令官を救うために駆けつけますが、既にレカルデの乗艦サンタ・アナ号は戦闘能力を失っていました。
またこの戦闘では、スペイン艦隊の財務長官と金庫を乗せていた
サンサルバドル号が、事故のため爆発炎上して艦隊から離脱せざるをえなくなります。
スペイン艦隊がイギリス艦隊と初めて戦って認識したことは、イギリス艦は速力が早く、操縦が容易な上に砲手が極めて優秀なことでした。この事実はスペイン艦隊に大きな衝撃を与え、サンサルバドル号の放棄はスペイン兵の士気を著しく低下させました。
7月23日の戦闘
早朝、風上側に立ったスペイン艦隊総司令官メディア・シドニアは、商船5隻を従えたイギリス艦トライアンフ号が難航しているのを発見し、これをガレアス船隊に攻撃させました。イギリス艦隊総司令官ハワード自らがトライアンフ号の救援に向かうと、メディア・シドニア率いる16隻のスペインのガレオン船がこれを妨害しようと進み出ます。この時、シドニアはレカルデ副司令官の乗艦サンタ・アナ号がまたも包囲攻撃を受けているのを発見したため、予定を変更してこれの救援に向かいますが、シドニアの乗艦サン・マルティン号も50隻近いイギリス艦に包囲され激しい砲撃を受けるはめになってしまいました。
1時間ほどの激しい戦闘の後、スペインのオケンド率いるキッパズコア隊が来援してやっとイギリス艦隊の包囲を解きます。
この戦闘においてもイギリス艦が速力で優位であり、たとえスペイン艦が風上側にいたとしてもイギリス艦は容易に風上へ移動できることが判明しました。またイギリス艦の大砲は大きくて射程も長く、砲手はスペイン艦が1発射つ間に3発も射てました。このようなことからスペイン艦隊は陣形を整えてもっぱら守りに徹し、機動戦は避けるべきであることに気づきます。スペイン艦隊が陣形を崩すことなく全艦が統一行動をとれば、接近して攻撃しようとするイギリス艦は多数のスペイン艦から集中砲撃を受けてしまいます。イギリス艦の大砲が射程で有利であっても遠距離射撃では敵艦に致命的な打撃を与えることは出来ません。そこでイギリス艦隊の戦術としては、スペイン艦隊を先に進ませて後方からこれを襲い、敵艦を1隻ずつ脱落させていく方法しかありませんでした。
7月24日は両艦隊とも補給のため戦闘行動は出来ませんでした。
25日にはスペイン艦隊副司令官レカルデの乗艦サンタ・アナ号が難航しているところをイギリス艦隊のアーク・ロイヤル号とゴールデン・ライオン号が襲いますが、スペイン艦隊は3隻のガレアス船を使ってイギリス艦を撃退することに成功します。27日の夜、カレー沖にスペイン艦隊が停泊しました。スペイン艦隊はここで食料と砲弾と弾薬を補給し、パルマ公の率いるイギリス侵攻軍(3万5千名)と合流する予定でしたが、オランダの封鎖艦隊によって妨害されてしまいます。オランダ艦隊は、パルマ公の輸送船団をブルージュの海岸沖で常時見張っており、イギリス侵攻軍の兵士たちが乗船しようとすればすぐにでも砲撃する構えを見せていたのでした。
7月28日の戦闘「カレー沖の海戦」
停泊中のスペイン艦隊に火船攻撃を決行することにしたイギリス艦隊は、百トンから2百トンぐらいの船を8隻選び出して、それらに燃えやすいものを満載します。真夜中を過ぎたころ、8隻の火船はスペイン艦隊に向けて放たれました。風と流れに乗った8隻は、極めて早い速度で敵艦隊に近づきます。スペイン艦隊は、イギリス艦隊による火船攻撃を予想していましたが、これほどの大きな船がまるで艦隊のように襲いかかってこようとは思ってもいませんでした。
スペイン艦隊の総司令官メディア・シドニアは、錨を捨ててあわただしく出撃しなければなりません。火船を避けるためバラバラに出撃したスペイン艦隊は、多くの船が予備の錨をも失い、海岸に沿って北東方向に漂流して行きました。
7月29日の戦闘「グラベリン沖の海戦」
29日の夜明け、スペイン艦隊の陣形は完全に崩れていました。イギリス艦隊は全力で敵艦隊の追撃を開始します。この戦闘でスペインのガレアス船隊司令官モンガータは戦死し、スペイン艦隊の中で最強最大のサン・ロレンソ号は舵やメインマストを失って座礁してしまいました。
午前9時頃から午後6時頃まで続いた砲撃戦でスペイン艦の3隻が撃沈され、2隻が行動不能になりました。戦闘時間が長い割に損害が少ないのは、当時の両艦隊に砲弾が残り少なく発射間隔が大きかったという事情があります。30日の朝までに4隻のスペイン艦が失われました。1隻は浸水で沈没、3隻が強風のためにゼーラントの海岸に押し流されたのです。
スペインの無敵艦隊は、今や17隻を失って、すっかり戦闘意欲を無くしていました。火船攻撃に使った8隻の他には1隻の損失も無いイギリス艦隊は敵艦隊の追撃を続行しますが、北緯56度付近までくると、
もはやスペイン艦隊がイギリスに上陸する可能性は無いとして引き揚げることにします。イギリス艦隊の
追撃を振り切ったスペイン艦隊には、新たな危機が迫っていました。補給不足から食料と真水が欠乏し、
その上、嵐と
疫病にも襲われたのです。堅いパンは腐ってカビだらけ、塩づけの肉と魚はありますが、それを食べれば喉が渇きます。しかし多くの水樽が破損していたため真水がほとんど残っていませんでした。
9月12日頃にスペイン艦隊は帰港しますが、船の数は66隻に減っています。なんと50隻近くの船が帰りの航海で失われてしまったのでした。うち35隻の運命がまったくの不明で、ほとんどが難破したと思われます。わかっているスペイン艦隊の損害は、溺死者は約8千名、壊血病やチフスなどによる病死者が約1万名にもなりました。難破の原因の多くは嵐のせいですが、乗員の多くが病気と過労で倒れていたことや、水を求めて無理な着岸を試みたということも難破の大きな原因となっています。