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ユーリウス・カエサル率いるローマ軍(兵力10万名以上)
ローマの執政官であるユーリウス・カエサルは紀元前58年にガリア地方の総督に任命されましたが、野心家の彼は自らの管轄外である中部・北部フランスへの征服戦争に精力を注ぎました。ガリア人達は単一の宗教(ドルイド教)を信仰する一民族としての連帯感を持っていましたが、政治的にはバラバラで、60ほどの小国に分かれて争っていました。カエサルはそれらの小国と交渉したり戦ったりしてローマと自分に対して完全に忠実な属州を広げていくつもりでした。 ガリアに駐屯するローマ軍を養うのはガリアの民衆でした。それは彼等に重い負担をかけ、また彼等の信仰するドルイド教をカエサルが嫌ったことで彼等はローマに対して大きな反感を持ちます。 紀元前54年になって、ガリア人に反乱の気配を感じたカエサルは色々な手段を使って属州に平静さを保とうとしますが、ガリア地方を完全に平定するのは困難でした。 紀元前52年、ローマからガリアを解放するためアルウェルニー族の一人の青年、ウェルキンゲトリクスが立ち上がります。以前、ウェルキンゲトリクスはアルウェルニー族の騎兵隊の隊長としてカエサルに協力してローマのガリア征服を助けていたので、ローマ軍の戦術についてはかなりの知識を得ていたのです。 ガリア解放軍の最高司令官となったウェルキンゲトリクスはカエサル率いるローマ軍と戦いますが、期待していたガリア騎兵隊がローマ軍騎兵隊に敗北してしまったため、城塞都市アレシアに逃れることになりました。 ![]() アレシアの町は、高さ150メートルの台地の上に位置し、そのまわりにはいくつもの丘がありました。 西側に狭い平野があり、ローマ軍はここに深さ6メートルの濠をくの字型に掘ります。 台地を囲むローマ軍の封鎖施設(黄色の線)は全長21キロメートルもの長さになったのでした。 1. ローマ軍の封鎖工事で完全に孤立させられたアレシア内のガリア軍は、30日分の食料を節約して使っていましたが、それが無くなる頃ようやく援軍が到着し、アレシアの西南方、ローマ軍のアレシア封鎖線から1キロ以上離れた山の上に陣を敷きました。ガリアの援軍は、到着の翌日にはアレシア西方の平原に展開し、それを見たアレシア内のガリア軍は、大喜びでローマ軍の作った濠を柴や土で埋め始めます。 平原で両軍の騎兵隊が攻撃を開始し、激しい騎馬戦が展開されました。周囲の山々や丘の上から敵味方双方が見守るなかで戦闘は続きます。夕方になるとカエサルはローマ軍に雇われたゲルマン傭兵からなる騎兵隊を投入しました。これによって午後いっぱい続いた騎馬戦に勝負がつき、ガリア騎兵隊は大きな損害を出して退却してしまいます。戦闘態勢に入っていたアレシア内のガリア軍も、味方の騎兵隊が破れたのを見ると空しく城内に戻りました。 ![]() 2. それから2日後の夜中に突然、ガリアの援軍がローマ軍の封鎖線を直撃します。 この時はアレシア内のウェルキンゲトリクスも攻撃を開始し、夜の闇の中を石や矢が飛び交う激しい戦闘が繰り広げられ、両軍に多くの死傷者が続出しました。損害ばかり大きくいっこうに封鎖線を突破できないガリアの援軍は、夜明け前に攻撃をあきらめてもとの陣地に引き揚げます。 アレシア内のガリア軍も濠を埋める努力をしただけで城内に戻らねばなりませんでした。 ![]() 3. アレシアの北東、ローマ軍封鎖線の外側にある小高い山の中腹にローマ軍2個軍団が陣を敷いているのを知ったガリアの援軍は、アレシアの封鎖線を直接攻めるのは止めて、このローマ軍陣地を攻撃することにしました。ウェルキンゲトリクスのいとこが指揮するガリア軍の精鋭部隊6万名が、夜間、密かにアレシア西部と北部の山を迂回して、翌日の昼頃にローマ軍陣地を高地から奇襲します。これと同時にアレシア西部の平地に残ったガリアの援軍が騎兵隊をローマ軍の封鎖線に接近させて歩兵と共に牽制攻撃をかけました。これを見たアレシア内のウェルキンゲトリクスも攻撃を開始、今回は封鎖線の突破を試みます。 カエサルはアレシア西北方のレア山からローマ軍を指揮し、敵の攻撃を支えられそうにない部隊には新手の兵を援軍に送り、自らも戦場を馬で駆け巡って疲れた兵士を励まし続けました。 ![]() 4. 高所から奇襲されることになったアレシア北東の山腹にいたローマ軍は、兵力が1万名足らずに対し、攻めるガリア軍は6万名と地形的に不利な上、兵力でも圧倒的に劣勢でした。 カエサルは数千の兵を連れた優秀な副官のラビエーヌスを救援に向かわせます。駆けつけたラビエーヌスはここで奮戦しますが、優勢な敵の猛攻を支えるのは不可能で、ついには決死の出撃を覚悟せねばなりませんでした。しかしちょうどその時、カエサル自身が援軍を率いて現われたのです。 これを見たガリアの大軍は攻撃の方向を変えて接近してくるカエサル軍に殺到します。そして、これこそまさにカエサルの望んだ敵の行動でした。方向転換したガリア軍の後方に、あらかじめ迂回して接近していたローマ軍の騎兵隊が襲いかかったのです。思いがけない方向からの攻撃にガリア軍は大混乱に陥り、 カエサル軍を前にして潰走してしまいます。ローマ軍の騎兵隊は逃げる敵兵を追撃し、多くのガリア兵達が混乱の中で次々に殺されていきます。 援軍の敗北を知ったアレシア内のガリア兵達は絶望して城内に引き揚げ、なんとか脱出できたガリア援軍の生き残りたちはそれぞれの故郷に逃げ還りました。翌日、ウェルキンゲトリクスがカエサルに降伏して、 ガリア解放闘争は失敗に終ります。ウェルキンゲトリクスは地下牢で6年間過ごした後、紀元前46年にカエサルの凱旋式の余興としてローマ市内を引き回されて処刑されました。 |