歩兵主体のローマ軍は、ペルシャ軍との戦いで敵の軽装騎馬弓兵に振り回され、378年のアドリアノープルの戦いでは、ゴート人の装甲騎馬槍兵による突撃にふみにじられてしまいました。395年に東西に分裂したローマの軍隊は、主力を歩兵にするか騎兵にするかで迷っていましたが、東方の騎馬民族が発明した蹄鉄、鞍、あぶみが普及してくると騎兵の優位を確信しました。西ローマ帝国はまもなく滅びましたが、東ローマ帝国はゲルマン人とフン族からなる傭兵の装甲騎兵を厳しい訓練で維持していました。主力である騎馬弓兵はスキタイの弓を使い、円い盾を持ち、体を鎖かたびらでおおって、剣、長槍、投げ槍を使用しました。
■カタフラクトの戦闘 カタフラクトと呼ばれる東ローマ帝国軍の騎兵部隊は、重武装の上に重装甲だったので、軽快な機動は不可能でした。部隊全体の戦闘行動のほとんどが、敵に向かって直進突撃するだけだったのです。カタフラクトは左右両翼に配置され、中央には歩兵隊がもっぱら防御のために配置されていました。敵の攻撃を中央の歩兵隊が支え、弓矢やバリスタ、カタパルトで防戦し、敵軍が乱れてきたところで両翼のカタフラクトが攻撃を開始して敵を蹴散らしたのです。 ■451年 カタラウヌムの戦い ■530年 ダラスの戦い ■553年 カシリナムの戦い |ホームページへ戻る |年表| |