『ナポレオン』
ナポレオンの軍隊は戦闘に際して主に散開隊形をとりましたが、戦況と地形に応じて横隊と散開と縦隊を組み合わせました。 砲兵は集中投入して決定的打撃を与えるのに使用されます。軽砲は第一線に出る歩兵部隊に重点的に配属使用させ、 他の砲兵集団は決定的な攻撃点が決まるまでは予備として控置し、決定するとすぐにその方面の陣地を占領して、 すべての火力を決勝点に向けて集中使用しました(攻撃準備射撃です)。徹底的な集中運用のため火砲装備率は割と低く、 千名に3門の割合でした。携行弾薬は1門あたり200発、その4分の1は散弾、他は火道信管付のりゅう弾や実体弾でした。 敵であるイギリス軍の砲兵は歩兵連隊の軽砲が主力で、有効射程6〜800メートル、フランス軍の射程(2千メートル足らず) よりもかなり劣っています。そのためイギリス軍の戦闘は小銃射撃に頼ることになり、技術的な工夫でフランス軍砲火を避けて、 機動的戦闘により勝敗を決するよう努めていました。
1805年 トラファルガー海戦
1805年 アウステルリッツの戦い
1815年 ワーテルローの戦い
『武器性能の向上』
産業革命により工業が発達して、新たな兵器が次々と生み出されるようになりました。それらを使った戦闘は従来よりもはるかに高くつき、 より冷酷なものとなりました。まず小銃が改良されます。1823年に尖頭弾(従来は円弾でした)が採用され、 続いて銃身内部にらせん条溝をつけることが考案されて、有効射程は千メートル以上になりました。 雷管と撃発式発射装置が開発され雨天でも問題なく射撃できるようになり発射速度も速くなりました。 この新式小銃はこれまでのマスケット銃にかわってライフル銃と呼ばれます。大砲も砲身内部にらせん条溝がつけられて 有効射程を延ばしました。弾の装填は、銃も大砲も前装式から後装式になって発射速度がより向上します。 1884年には1分間に600発もの弾丸を発射するマキシム反動式機関銃が開発されました。 このような火器の登場は騎兵の乗馬攻撃をほとんど不可能にしてしまいました。 ■活発な兵器産業  大砲が大変な儲けになることを知ったイギリス人ウイリアム・アームストロングは1857年から1861年までに 1600門の施条式後装砲を生産し、陸軍と海軍に納めました。ドイツ人アルフレッド・クルップは、 1851年に鋼鉄製の大砲を作り上げました。幾度かの失敗を経て、鋼鉄製の大砲の製造技術を完成させ、 19世紀末には従来の口径77ミリから155ミリもある大口径の大砲を生産するようになりました。 1850年代のイギリスのウールウィッチ造兵廠は部品製造を簡素化し、組み立て行程をライン化して、 大量の新式小銃(ライフル銃)を生産するようになりました。 1862年 ハンプトン・ローズの海戦
1863年 ゲティスバーグの戦い
1866年 リッサ海戦
1870年 セダンの戦い
1898年 オムドゥルマンの戦い ホームページへ戻る年表