『フリードリヒ大王』
プロイセンのフリードリヒ大王は鉄の規律の軍隊を目指しました。 歩兵第1線は3列の小銃兵の横隊で、1分に5発も発射できました。歩兵大隊の中央前方に歩兵砲(各2門)をおき、 300ヤードの距離で散弾射撃を行います。翼側には乗馬襲撃の訓練を施した騎兵(全兵力の4分の1)を置きました。 重砲兵中隊は中央の後方に置いて決定的瞬間に使用します。歩兵は重砲の掩護下で敵に接近し、横隊に展開して整然と前進しました。 砲兵は、敵歩兵が150歩程度の距離に近づくと全力で砲撃を行い、歩兵は急射撃を行いながら前進を続け、 最後には白兵戦闘と乗馬襲撃で決定打を与えます。この戦法では、士気の高くない傭兵を使って機械的に正確に動く横隊隊形を維持しなければなりません。そのためには厳格な訓練と厳重な監視、そして何よりも鞭が必要でした。 ■1757年 ロスバッハの戦い フリードリヒ大王は、七年戦争の後半で火力の劣勢を思い知りました。 訓練と精神力だけでは作戦の遂行は無理であることに気づき、これまでの方針を変更します。 フリードリヒ大王は砲兵の主任務は敵砲兵の撲滅であるとして、七年戦争開始時は、340名に1門であった火砲装備率を同戦争終了時は240名に1門にまで増加させました。 七年戦争で失敗したフランスでは、軍制をさらに近代化し、兵器の規格を単純化し統一することに成功しました。 火砲の改革はめざましく、装薬量の統一、正確な射角付与装置による射距離誤差の減少、運動性の強化などを達成しました。 アメリカ独立戦争は、規律と鞭の訓練で鍛えられたイギリス軍と、 統制はとれておらず制服もないアメリカ民兵軍との戦いでした。民兵たちは横隊を組む訓練など受けていないので散開隊形で戦いました。 これは彼等が独立意欲に燃えていたため可能だったのです。また彼等は銃による狩猟を盛んに行っていたため射撃は得意でしたが、 銃剣突撃は苦手でした。彼等には大砲はほとんどありませんでしたが、敵の砲撃は彼等が散開隊形をとっていたため、 ほとんど損害を与えませんでした。民兵たちの正確な射撃は、イギリス軍に大きな損害を与えましたし、 彼等の部隊の活動は横隊隊形をとるイギリス軍のように地形に拘束されることもなかったのです。 ■1797年 サンビンセント沖海戦 |