「戦術の世界史」もっと詳しく13〜14世紀

騎馬民族の軍隊であるモンゴル軍は、羊や馬の群れを管理する技術を戦闘に応用していました。 狩り集めた家畜を追い、選別して食料のために屠殺するという技能は、 敵兵士の大集団や劣勢な敵騎兵隊を側面から包囲したり、追い詰めたりして、 最終的には遠距離からの弓矢の射撃で、自らは何らのリスクを犯すことなく殺害することに役立ったのです。 このように用意周到に平然として残虐行為を行うモンゴル軍は近隣諸国の住民を震えあがらせました。 モンゴル軍兵士は、戦闘に勝利するため迅速かつ完全に戦います。 彼等に儀式的や英雄的な行動は無縁なもので、 敵兵士を殺害するための包囲を完了させるとただ虐殺するだけでした。 あのチンギス・ハンですら後年は戦場で陣頭指揮することは無く、 軍の中央から離れたところで目立たないようにしていたのです。 ヨーロッパの軍隊は、敵を包囲するための典型的な3日月陣形を組んで進むモンゴル軍のどこに指揮官がいるのか分からず、いつも当惑していました。 伝統的にヨーロッパの軍隊は、指揮官の所在を明らかにしており、 指揮官自身も英雄的な行為で自らの武勇を誇ろうとするのが普通のことだったからです。
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「モンゴル軍の弓兵」 VERLINDEN PRODUCTIONS社製の模型です。

オナゲルは紀元前3世紀ごろに開発された投石機です。 カタパルトと同じように捻りバネを利用して石を射ち出しました。 横に倒した腕木がバネの力で前方のクッションに激しくたたきつけられ、 腕木にぶらさがっていた石がいきよいよく飛んでいくという仕組になっています。 腕木がクッションをたたく様子が、ロバが後足でキックするのに似ているため オナゲル(野性のロバ)と呼ばれました。
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1259年の中国の記録に現われる突火槍は、 太い竹筒に火薬と多くの小石を仕込んだもので、 点火すると轟音とともに敵に向かって小石をまきちらしました。 これが火薬のエネルギーを利用して物体を発射する兵器の最初のものです。 竹筒が青銅の鋳物でできた筒になり、木の柄を取り付けて使用されるようになると「銃筒」「銅銃」「手銃」と呼ばれるようになりました。 青銅製の筒で石を飛ばす兵器は、反動を地面で受けるため斜めに立てて発射したり、 肩にかついで射撃したりします。騎兵用の銃筒は小型で柄も短く、 装甲した胸でしっかりと反動を受け止めて発射しました。 現存する1332年のモンゴル軍の銅銃(至順銅銃)は、口径が約11ミリ、 銃身の長さ35センチ、重量約4キロの青銅製です。
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「14世紀頃のドイツ騎士」 VERLINDEN PRODUCTIONS社製の模型です。

1296年にイングランドの属領となったスコットランドでは すぐに民衆の反乱軍が現われました。 1297年9月11日、ドウ・ワーレンとドウ・クレッシンガムの2人を司令官とするイングランド軍は、スターリング・ブリッジにおいて戦闘に不慣れなスコットランド民衆軍と戦います。スコットランド軍は全く貧弱な装備だったにもかかわらずイングランド軍を完敗させました。イングランド軍の敗因としては、 2人の司令官の存在が指揮系統の混乱を招いたということがあげられます。 イングランド軍司令官の1人であったドウ・クレッシンガムの死体はスコットランド兵によって野ざらしにされた後、バラバラに切り刻まれ、方々に贈り物として配られました。 この「スターリング・ブリッジの戦い」でスコットランド軍を率いたのがスコットランド最高の英雄であるサー・ウィリアムス・ウォレスでした。
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「百年戦争の頃の歩兵」 VERLINDEN PRODUCTIONS社製の模型です。