<田村 徹>
俺 の 甲 子 園
“旧制中学から続く、歴史と伝統に輝く公立高等学校で、未だに甲子園に出たことが無い高校は、全国に何校あるだろう”、なんて言う奴がいると、いつも蹴飛ばしたくなったものだ。
ところが我が母校、大館鳳鳴高校にもやっとその時がやって来たのだ。
昨年の9月、母の面倒を看るため冬の間4ヶ月、4年連続で大館に帰っていた時に、口ではいえない程お世話になった同期の仲間たちと旧交を温めるために帰郷した時のことだ。
仲間の一人である平泉勝也が「鳳鳴の今シーズンの最後の試合を観に行こう」と誘ってくれた。「最後ってどういうことだ?」と聞くと、「県の秋季大会の県北大会だ。鳳鳴はもう一回戦で負けて、今日が敗者復活戦だ。相手は今年夏の甲子園に行った能代工業だ。これに負けると鳳鳴の今シーズンは終わるのだ」。「勝てばどうなる?」
「県大会に出る、そこで勝てば東北大会に出る、そこで決勝まで行けば、春の選抜大会で甲子園に行ける」「ケ、ケ、ケ、一回戦で負けたのだろう、お前は極楽トンボだな」。
もう一人斉藤尭も誘って三人で比内の“達子の森球場“に行った。スタンドに行ったら浪岡(栗盛)武彦も来ていた。
試合が始まった。一回の裏、いきなり2ランホームランを打たれた。「帰ろうか」「まだまだ、これからだよ」。こんな会話をしていたら、途中で様子が変わってきた。なんと逆転勝ちしてしまったのだ。
「よし、甲子園への道、第一歩を踏み出した」
それから帰京した俺に勝也から電話が入った。「県大会で優勝したぞ、第二歩も乗り越えた、あとは東北大会だ。青森山田高校と当たる、山形まで応援に行ってくる」。
また、しばらく経ったある日、また勝也から電話だ。「負けた、4−3だ、もうちょっとだったがなぁ、甲子園も第三歩目で終わった」。
そしたら年末にまた勝也から電話だ。「おい、21世紀枠の東北代表に選ばれた、今度は絶対大丈夫だ、前回は北朝鮮に負けたようなもんだからな」。
俺も今度ばかりは本気になった、ひょっとしたらひょっとするぞ!!
年が明けた1月28日、またしても勝也から「決まった、決まった甲子園だ!」と電話が入った。将に夢が叶ったのだ。いよいよ甲子園、131年目の快挙だ!
ところが3月11日、とんでもないことが起こった。“東北関東大震災”だ。今までに誰もが経験したことがない、大惨事なんてものじゃない。なんでこんな目出度い年にこんなことが起こるんだ、ちくしょう、負けてたまるか。頑張るぞ!
3月15日、斉藤尭から電話がきた。「二日目の第一試合で天理高校とやることになった、24日だ。但し、18日に高野連がやるか止めるかを決めるそうだ。やると決まったら俺たち大館の仲間は西村、浪岡、勝也と4人で前日から行く。お前も俺たちと同じホテルを取れ、前夜祭を道頓堀でやろう」。
「こんな日本が大変な時になにが甲子園よ、非国民!」などと、女房や娘にののしられ「頼む、行かしてくれ」と拝んでいたら、息子が「親父の一生一度の夢なんだから行かせてやれよ」の一言で救われた、さすが俺の息子は男の気持がわかるいい奴だ。
23日、大館の連中は夜行寝台特急「日本海」で前夜から団体を組んで乗り込んでいて、すでに車中で前前夜祭をやっているというメールがきていた。新幹線で大阪に向かっているところにまたメールが来た。「京都で降りろ、鈴木久雄の家に行くことになった。お前も来い」。京都で降りて司令に従い地下鉄「五条」で落合い、鈴木の家に行ったら新潟の奥山がいた。
鈴木は奥さんが沖縄に行っているというのに、自分で作った料理で大歓待してくれた。ありがたいことだ。午後の3時ごろから5時間ぐらいカラオケをやったり鳳鳴校歌を歌ったり大騒ぎをして大阪の十三のホテルに帰ったのが12時近かった。
いよいよ試合当日、朝5時に起きて昨夜の深酒を朝風呂で抜いて、7時に大館の団体さんと一緒に甲子園に向かった。
俺は甲子園は初めてだ。多分初めての人がほとんどだと思う。
一塁側の応援スタンドに行ったらすでに14期の仲間が一杯、ひとかたまりになっている。全員と握手をして健闘を祈る。
いよいよ試合開始だ。鳳鳴の選手たちがグランドに飛び出していく。50年前の栗森、伊藤昭郎、岩澤史雄、柴田淳それに今は亡き明石勤たちの姿が蘇えってきた。彼等は俺たち14期の野球部だった奴等だ。お前たちの後輩がこうして甲子園のグランドに立っているのだぞ!
一回が終わり、2回の表が始まる前にいよいよ鳳鳴の校歌が甲子園の空に響き渡る。これを夢みていたのだ!大声で歌おうと思ったが、なぜか声が出ない、その代わり涙だけが出てきやがった。バカヤロウ何やってんだ、横を見たら勝也も尭も同じ顔している。
それにしても鳳鳴の校歌は素晴らしい。後でビデオで見たらNHKのアナウンサーが「“荒城の月”の作詞で有名な土井晩翠の作詞による校歌です」としんみり解説していた。俺がアナウンサーだったらこう付け加えた。「何という格調高い校歌でしょう、将に歴史と伝統を感じさせる類い稀な校歌といっても過言ではないでしょう」。
試合は終わった。勝敗はどっちでも良かった。大変なことが起こったこんな時にやってくれただけで感謝したい気持ちだ。
甲子園は参加校のグッズも沢山売っていた。俺は鳳鳴の名前が入った硬式ボールを買った。そして一緒に応援した14期のみんなに記念のサインをしてもらった。京都の鈴木、新潟の奥山のほか大館の連中、東京からの石井邦夫、平泉元、戸田順也、鈴木圭子、菅原弘志、塚本真人、金原安男、阿部富雄、小倉博明、岡本文雄、竹村健一、それに一緒じゃなかったが中村博の名前は俺がサインした。名古屋の上関夫婦もいた。
試合が終わって残念会というわけではなく感謝会とでも言うべき昼食会を道頓堀の脇のさる料理屋でやった。その席には13期の鳳鳴事務局の菅原準一さん、淡路春夫さんそれに何期かわからないが大先輩の石井さんという方も加わった。
終わって帰る時に店主に「また、お越しやす」と言われたので「うん、夏にまた来る」と予約しておいた。
大館組の帰りの特急が5時過ぎだというのでそれまで大阪の町をぶらぶらしようと、“なんば”まで歩いた。途中、小倉屋山本という昆布の老舗の本店があったのでそこで斉藤と浪岡がお土産を買った。勘定を払っていたらそこの主人がでてきて「あんたら、どこから来たんね」と言うので「甲子園から」と言うと「秋田か、惜しかったね、8対7だもんね、よく頑張ったよ」とうれしくなることを言ってくれた。さすが大阪商人は人の心を掴むのがうまいね、たいしたもんだ」といい気持にさせてもらった。
5時に大阪駅で大館のみんなと再会を誓って別れ、一人新大阪から新幹線に乗って帰途についた。京都を過ぎる時には鈴木の歓待に感謝し、車窓に浮かぶ街の灯りの中に夢のような二日間を思い出し、知らず知らず“森吉の峰鳳凰の・・・・・”と口ずさんでいたものだった。
ありがとう鳳鳴、ありがとう14期の仲間たち!!
田村 徹
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