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ベトナム 長井忠昌さんからの報告(No.4)
                
2011年11月26日(土)

「ベトナム第3の世界遺産ホイアン」

ホイアンに行ってきました。この時期、ハノイは、半袖では過ごせないほど寒くなるが、1700km
離れた南にあるホーチミン(サイゴン)は、相変わらず半袖でも寒さは感じません。その中間にある
ホイアンは、気候もまた、その中間です。

ホイアンは、港としての立地に優れていたため東西南北を結ぶ貿易で栄えた港町です。16~17世紀
に日本の御朱印船で日本人が多く到来し、マニラやタイのアユタヤと同様に日本人町が形成されました。
また中国の福建省の人たちが中国の内戦で敗れて多く移り住んだ所でもあります。
小さな街ですが、建物に、ベトナム、中国及び日本の影響がそれぞれ残っており、独特の雰囲気を醸し
出している古い街並みが残っており、世界遺産に指定されています。

今回は、ホイアンのほかにこれもまた世界遺産に指定されている2~15世紀に栄えたミーソンという
チャンバ王国の遺跡も行く予定でしたが、前の日からの降雨で途中の道路が寸断されて残念ながら、
ミーソンには行けませんでした。

 中国人街と日本人街と繋ぐために、日本人が
 作った「来遠橋」です。橋には、屋根があり、
 橋の中には小さなお堂があります。
 
 隣の人は、ホーチミンの都市鉄道プロジェクト
 に協力してもらっている大阪市地下鉄の人です。
 ホイアンに移り住んだ中国の福建省出身者の
 集会のために作られた「福建」会館です。
 中には見事な祭壇があります。
      
 街の中で、果物を売っているお婆さんの
 天秤棒を借りて、写真を撮らせてもらいました。
 かなり重いです。
   
 これは道路です。タイではないですが、昨夜から
 の雨と満潮のため、こういう状態になっています。

ホイアンの街並みです。

こちらもホイアンの街並みです。
    
 ミーソンから一部持ってきた石造等が展示
 されている博物館が、ダナンにあります。
     
 今回行けなかったミーソン遺跡の写真です。
 ヒンズー教を信奉したチャム族チャンバ王国
 の跡です。

ベトナム 長井忠昌さんからの報告(No.3)

 昨年からベトナムにて活躍している長井さんから、第3弾のベトナム情報がありましたのでお知らせします。

「ホーチミン市でのゴルフ」

ホーチミン市でのゴルフの写真を送ります。こちらでゴルフをするときは、朝ホテルを5時に出発して、6時に
スタート、スルーで回って12時前には、終了というパターンです。
 この写真のゴルフ場は、ベトナムゴルクラブで、こちらでもかなり古い名門コース(会員権が600万円位)です。
こちらでは、キャデイがプレイヤーに1人づつつきますので、キャデイが200人位います。それも全てナンバー
がついていて、若いナンバーのキャデイが優秀とされています。
 毎週日曜日、日本工営が中心となってゼネコン、日系企業の関係者及びコンサルタント等の人たちと2~3組
で回っています。ゴルフもそうですが、結構、仕事の情報交換の場ともなっています。
                                                      2011年10月17日
                                                          長井 忠昌




ちょうど後ろから太陽が上がってきているところです。一緒に写っている人は、清水建設の方です。




キャデイたちです。暑いにもかかわらず、日焼け防止のため、完全武装で、顔の全面には、帽子と一体となったマスクまでします。





後ろは、クラブハウスです。結構立派なクラブハウスです。ただ、プレイ後は、シャワーしかなく、日本のような風呂はありません。




彼女は、今日のプレイの私の担当キャデイです。最後のホールで、50センチ位フックする10メートル位のロングパットを彼女の指示通りに打ったら入りました。おかげで、オリンピックで大負けしないで済みました。

ベトナム 長井忠昌さんからの報告

十四期の皆さんへ

8月下旬から約1か月の予定で、ハノイに来ています。今回は、ベトナムの新幹線の調査です。
 ベトナムは、新幹線よりも通勤鉄道の方が先だと思うのですが、国威の発揚ということもあって
新幹線にこだわっています。
 この後、日本に帰国するが、すぐまたホーチミン市に出かけます。従って、皆さんと会えるのは、
11月になろうかと思います。
 仕事の合間に撮った写真を送ります。皆さんによろしく。
 

                         2011919() ハノイにて 長井忠昌


ホーチミン廟です。

この前は、日本の皇居前広場のように広大な
広場になっており、いろいろな式典に使われて
いるようです。
レーニン像です。

ベトナムでは、ホーチミンは「ホーおじさん」と
呼ばれ、国民に絶大な人気がありますが、レーニン
は、忘れられたかのように、その前には観光客を
含めて誰もおりませんでした。
ホーチミンの住んでいたという家です。

国のトップになってからも、その生活は、
非常に質素にしていた様子がうかがえます。
観光客が列をなしていて、一番人気のある
スポットです。
ハノイにあるカトリック大教会です。

ネオゴシック建築様式で建てられている
そうです。
中には素晴らしいステンドグラスがある
のですが、写真を後で確認したらピンボケで
使えませんでした。

ベトナム 長井忠昌さんからの近況報告です。

「一金会」の皆さんへ

7月9日~10日でベトナムの京都といわれる「フエ」に行ってきました。すごい暑さで大変でしたが、
 グエン王朝の歴史は大変なものであったことがよく分かりました。ただ、一番いい季節は2月だそうです。
それと遊んでばかりいる訳ではない証拠に都市鉄道に関するホーチミン市との合同会議終了後の日本
側メンバーとベトナムスタッフの写真も併せて送ります

<スナップ写真のコメント>

グエン王朝第12代目皇帝の廟の塔です。この当時は、既にフランスの植民地となっており、皇帝は、あまりすることがなかったので、自分の廟造りに精を出したと言うだけあって、かなり立派な廟です。ただ、どの廟にも皇帝の功績を記した大理石の石碑がありますが、ここの石碑の文字は、功績が少なかったこともありスカスカです。

グエン王朝第4代目皇帝の廟の門です。この廟は、皇帝が生前別荘に使ったということもあり広く、蓮池がとてもきれいでした。この皇帝は、能力も非常に高かったそうですが、側室が500人を超えたそうです。

1802~1945年まで13代に渡って続いグエン王朝の王宮です。後ろに見えるのは、日本でいえば大手門といった感じです。日本の皇居と同じくらいの広さがあり、やはり、外堀、内堀があります。中の建物は、ベトナム戦争の時にかなり破壊されてしまいましたが、今、復元中です。

IMG_2567.jpg


日本の円借款で行われているホーチミン市通勤鉄道建設プロジエクトについて、ホーチミン市との合同会議を開催した後に撮ったものです。
JICAメンバー及び現地の事務所で我々と一緒に仕事をしているベトナム人のメンバーです。

2011712

ベトナム・ホーチミン市にて:長井 忠昌


長井忠昌君、ベトナムから一金会の皆さんへの便り
    From Nagai of Vietnam to you of Itikinkai

1便-2011418() 

ベトナム着任報告が遅れてしまいました。自宅のデスクトップのパソコンにいれておいた貴兄のアドレス
をノートパソコンに移すのを忘れてしまいました。村上君に聞いてようやくアドレスが手に入りました。

4月1日にこちらへ来てから、10日間位は、新しい事務所の設置やら等の雑用であっというまに過ぎて
しまいました。仕事の方も、ようやく軌道にのりつつあります。

この間、ベトナムの連休を利用して、ハロン湾観光にいってきました。ハノイから片道160キロをマイクロで
往復したのですが、車のバネが固く、えらい疲れてしまました。50人くらい乗れる船に3人の貸切という豪華な
遊覧でした。松島の規模を更に大きくした感じでした。

食事の方は、昼は、現地の社員と一緒にベトナムの弁当を食べていますが、まあまあです。これまでは、
パンはあまり好きでなったのですが、ホテルのフランスパンがおいしくて、初めてパンが好きになりました。
ですから、フォーよりも、パンを食べている方が多いです。夜は、出来るだけ日本食にしています。
先日食べた韓国のマッコリがとても美味しくて、その店から、マッコリだけ買ってきて飲んでいて、今、マッコリ
にはまっています。

又、時間が出来たらメールします。



2便-201155() 

こっちへ来てから、1カ月過ぎました。こっちでは、運動不足になるのと休みの日に暇を持て余すからと
相棒に言われてゴルフバッグを持ってきました。既に4回ゴルフをしました。朝、4時半に起きて、ホテルを
5時に出て、6時からスルーでプレー、昼には、終了です。
早朝は、快適ですが、さすが10時過ぎになると暑くなってきます。日本と違って、キャデイの数がものすごい
です。当然、1人にⅠ人のキャデイがつきます。コースは、ホーチミン市でもNO.1のコースということで、
なかなかうまくできたコースです。

この間のハロン湾と事務所の若いスタッフ(皆、米国とか英国に留学したことのある優秀な人ばかりです)の
写真を送ります。


平泉 元君 ヨルダンからの報告【第2便】


いつもお世話になっております。

ヨルダンに赴任して以来早2週間が経ちました。

今年はここも気候は不順で日本と同じ寒さが有るかと思えば、初夏並になり、また、珍しく
5ケ月ぶりの雨が有るなど、例年とは違いました。

しかし、今は昼夜を通して室内は20、湿度40~50%と変わりません。夏場の外気は
灼熱ですが室内はまさにクーラーも、暖房もいらない高原の気温です。真冬は雪も降り日本並
です。(期間は2か月ほどで短い)

一昨日、アパートから1キロの所で、警察が麻薬取締を敢行しあるアパートに嫌疑者を見つけ
踏み込んだ所、そのアパートの家主の抵抗に遭い警官がその対応した家主を射殺してしまう。
それに怒った他の住民が、近くにある派出所を焼き打ちし、大騒ぎとなったようです。
大使館からは即速報が入り、近ずかないようにとのお達しが入りました。(事故40分後で
対応が良好)日本と違い殺人などは滅多にニュースにはならない国なので、新聞は一面トップ
の報道です。
その結果は警察はアパートからは麻薬の現物を発見できずとのこと。今後、どのような展開に
なるか?

来週の11日にアカバに行きます。ここも2週間前に、3発のミサイル発射騒動が有り、その
結末もまだはっきりしていないので、アカバへ行く道筋での検問箇所がそうとう増えることを
想定し、早めの出発になりそうです。

前回のメールでお伝えした内容ですが、私たちのプロジェクトの最終評価は11月の予定に
なってましたが日本サイドが予定日には不可との判断を下してきたこと、その後の調整で8月
に前倒しした理由が、分かりました。

何のことは無く、JICAだけではなく労働省でもこの業務を担当する人材が居ないだけの話
です。
分かったことはJICAがコンゴ共和国に職訓センターを建設することが本格化し、その為の
ミッションが頻繁に行くことになったことで人が足りず変更を余儀なくされた為だそうです。

コンゴには行政と無償の抱き合わせで、建物、指導員(数科)、研修含む一式で援助の様です。

JICAはこれまでアフリカ援助は私が居たセネガル国(工業短大化)の援助が最終でその後は
殆ど絶えていたのですが、現在世界的なアフリカ支援キャンペーンが起こり、日本もそれに遅れ
まいと、この案件がスタートしたようです。

以上は前置きで、私の今後の日程をお知らせします。(多分以後は変わらないと思います)

今回 ヨルダンへ出発 4月23日 ――――――― 帰国は5月28日に決定。
次回 ヨルダンへ出発 7月12日 ――――――― 帰国は8月 7日になります。

実はこの日程が過ぎれば後はフリーと思っていましたが、契約上JICAの縛りは年度いっぱい
続きます。国内での業務となります。(とは言えJIC
A事務所に毎日詰めるわけではありませ
ん。一部は縛られますが他はフリーです)

一金会には6月4日(金)、7月9日(金)は参加可能となりました。また、東京鳳鳴会での
行事が有りましたら出来るだけ参加するつもりでおりますので、ご一報ください。 

畠山さんのスナップ写真送付のご要望はいまひとつご猶予下さい。
(送れる写真を撮れていないのです)

今回ビデオを持参したので合わせて撮っておきたいと思います。

それではまた、

201056日(木) (ヨルダン・アンマン 平泉)

平泉 元君 ヨルダンからの報告

石井さん 十四期のみなさんへ

皆さん如何お過ごしでしょうか。平泉です。24日にヨルダンに戻りました。

23日に初めての成田空港を立ち、ドバイ経由でヨルダンのアンマンに到着しました。
これまでの10回は羽田、関西空港経由でしたので、相当便利になると期待したのですが、
自宅・市原より成田までの時間が2時間近くかかり、羽田の45分の方がはるかに利便性
が良いですね。

また、成田は最終便が夜間10時までと制限とされている関係で、今回のドバイ便が
9:40、次の便が10:00パリ行きで今日の終了便です。成田の空港内は閑散として
おりました。

到着したドバイでは朝の4:30だと言うのに、ラウンジも満員、デユーテイ・フリー
では浅草の縁日並みです。どちらも世界のハブ空港を目指しているのでしょうがその差は
開くばかりです。成田も「何とかせにゃいかんばい」の時期にたっしています。
政府の早い対応が必須ですね。

さて今回の出発の際にヨルダン・アカバ湾のアメリカ軍輸送艦とイスラエルのエイラート
空港(どちらも3キロ位でアカバ市に隣接している)にミサイルが打ち込まれ、こちらでも
大騒ぎです。
ミサイルはどちらの標的にも到達せずに終わりましたが、私も時々訪ねるアル・シャ
ラ工
業地域に墜落し爆発したとのことです。他の一つは海に墜落です。今は容疑者が束縛され未
使用の4発のミサイルが押収され、その地域の家宅捜査が実施されております。(逮捕者は
モロッコ、エジプト、シリア、イラク人)

実は、私の最初の赴任は2005年の11月13でしたが、その2か月前の8月にやはり
アカバ湾の艦隊にミサイル・テロがあり、続いて11月初め(赴任の1週間前に)首都アン
マンのホテルが爆破され、警戒態勢の中での赴任でした。今後何事もなければいいのですが。
しかし、ヨルダン国の経済の低下が著しく、不安材料の増加が心配です。

来週にはアカバの訓練施設に指導に行く予定です。

日本政府も塩口ヨルダン大使を通じ「ヨルダン空港治安対策強化計画」を支援し14億4千
万円の資金協力をすることになりました。

今日25日は赴任第1日目、パソコンの立ち上げが初仕事です。

やはりインターネットがだめでした。今回の原因は省内でインターネットが使えるのは課長
だけ、他は不可とのお達しがあったからでした。ようやく管理者に話をつけ、その縛りを解除
させ、このメールが第一報となります。

ヨルダンの経済の低下は当省の勤務時間にも影響大です。と言うのは職員の超過勤務代が払え
なくなり2時間の短縮(7時間の正常の勤務に戻っただけです)。お陰で私たちも、お付き合い
での2時間のサービス残業は無くなりました。(赴任以来8時から5時まで、昼休み・昼食の無
い9時間勤務から解放されました)

この他にも、折角技能向上の一環とした技術技能大会も今年度は土壇場で、国はもとより企業
からの寄付が集まらず中止に追い込まれるなど耳に入ってきます。明日の局長会議にどんな難題
が持ち込まれるか気がかりです。

もっとも日本JICAにおいても、人も費用も縮小され、似たような状況を呈しています。

それではまた

2010425日(日)

<ヨルダン・アンマン 平泉 元>