Profile


自称青年実業家。19XX年に生まれる。
やんちゃで好奇心旺盛で感受性、正義感が強くて早くも幼稚園デビュー。
その頃から怖いものはほとんどなく、怖いものといったら
オヤジか
ゴキブリくらいなものだった。
でも、なぜか哺乳瓶だけは手放せなかった。あれは不覚だった。

<幼少時代>

幼少時代から動くものが好きで、動物・車・電車などに興味を示し、
なかでも三輪車の運転は絶妙でバックの車庫入れから坂道発進までそれはそれは
上手いモノだったらしい。
が、旺盛な好奇心が災いして迷子になってアチコチの
警察署で保護される始末。あれは不覚だった。

<小学生時代>

とにかくよく遊んだ。勉強は嫌いだった。
授業中も休み時間の遊びの事で頭がいっぱいだった。
落ち着きがなく、授業中よく喋るので担任の先生に

「ひばり」
と命名された事もあった。
通知表には
「しかし落ち着きがなく・・・」という言葉が必ず盛り込められていた。
あれは不覚だった。

音楽に触れだしたのは小学4年生の頃からだった。兄貴の影響で Kai Band に始まり、
Deep Purple、Aerosmith、Led ZeppelinからVan Halenまで洋楽にも手を染める。
小学6年の時にフォークギターと出会い、長渕 剛に傾倒する。アコギ1本の頃は大好きだった。

<中学生時代>

中学の時は野球部に入った。週末は必ず練習試合だった。2年の時に代打でデビュー。
バントのサインをエンドランと勝手に思って思い切りバットを振ったら、運良くレフトオーバーの2ベースになった。その後「アイツの思い切りを見習え!」と褒められた。2年でレギュラーになれた。
あれはラッキーだった。あの日は10割だった。その年に大阪府で準優勝もした。
しかし、その2年の時に身長が止まった。調子に乗って腹筋を鍛えすぎたか・・・。
成長期に急激に筋肉をつけ過ぎると成長が止まるという話を聞いた事があるが本当かも知れない。
そして同時に
精神年齢もその時に止まってしまったかも知れない。
すっ、すると僕の脳は筋肉なのか・・・
あれは不覚だった。

ケンカなんか負けた事がなかった。おかげで
「あばれはっちゃく」という異名を持っていた。
しかし逆立ちもあまりしなかったし、ひらめかなかった。おまけに父ちゃんは「父ちゃんはなぁ〜、オメエの悪さ加減に愛想が尽きたわい〜!」とは言わず、「金のかかるケンカだけはヤメてくれ」と言っていた。

そしてよくモテた。1学年5クラスしかない小さな学校だったが、この前友人と数えた結果、判明しただけで25人以上の女性が1度は好きになった事があったという事実が発覚した。そういえば学校の帰りに手編みのセーターをプレゼントしてもらったり、突然家に知らない女子生徒が訪ねてきて写真を撮って下さいと言われたり、ファンクラブができたり・・・。ところがこの男のとり得は生真面目なところだった。
チャンスはいくらでもあった・・・だが、1人の女性しか見ていなかった。
そしてモテたのは後にも先にもあの時だけだった。
あれはもったいない事をした・・・。

<高校生時代>

高校では、クラブで傷めた腰も心配だったし、野球部もそんなに強そうではなかったし、
普通の男の子に戻りたいという願望によりクラブに属さなかった。・・・
要するに遊びたかった訳である。
通学の途中で誰かと会うと「ちょっと行っとく?」が合言葉のように駅裏にある
「スナック愛」へ直行。
出席日数もギリギリ・・・。パチンコは行くわ、タバコは吸うわ
おかげで大学進学を決心した時、高校入試前に62あった偏差値が38に・・・。
ゲッ、半分じゃねぇか〜!とても焦った。あれは不覚だった。

推薦で一つ合格するも結局浪人・・・。そうだ浪人だ。
「拙者は浪速の国の貧乏長屋の素浪人の・・・」或いは
「犯人は天王寺区に住む無職の・・・」
こんな感じだろうか・・・。世の中からとり残される感覚・・・。
ずっと今まで「締め切り際の魔術師」としてどうにかなってきたのに通用しなかった。
今まで調子にのり過ぎた。世の中そんなに甘くない!
ところがこの男は勉強が嫌いだった。そしてじっとしている事が最も苦手だったのだ。

足元に火がついて真剣に机に向かったのは結局10月の末だった。受験まで3ケ月しかない。
事もあろうか大きな意味での「締め切り際の魔術師」にチャレンジというハメになった。
生まれて初めて勉強した。それもたったの3ケ月あまり・・・

<大学生時代>

恐れをなして10個も受けたが、数打つちゃ当たるモノだ。3つも合格してしまった。
それも滑り止めと滑り止めの滑り止め・・・。結局京都のとある大学の文学部へ行く事になった。
案の定、それも5月のGWから幽霊学生となった。当然雨の日も学校は休み。バイトと遊びに明け暮れた。
たまに学校へ行くと「どうしたん?」と言われる始末だった。
あれは不覚だった。

ギリギリ4回生になって気がつけば48単位も残っていた。ゲッ、
一つも落とせねぇ〜!年間に50単位までしか授業が登録できねぇ〜!一般教養2科目8単位を含む48単位を登録し、起死回生のバックドロップで奇跡の卒業を狙うハメになった。
しかし、
人間はそう簡単に変われるモノではないという事には気づかなかった。
一般教養の文学Aは校舎が離れていて送迎バスで移動しなければならず、結局出席ゼロ・・・友人にレポートを書いてもらい何とかクリアー。
専門分野のテストも日程を勘違いして、その日はスキーに行っていた。友人から連絡を受けたばあさんがオヤジに連絡、スキー場のアナウンスで呼び出すも、当の本人は朝まで
「大富豪」をやってその頃は宿で大爆睡・・・。その事実を知ったのは帰宅してからだった。
慌てて翌日早朝に近所の医者に診断書を書いてもらい教授に電話・・・レポート50枚で辛くもクリアー。
卒業論文も全然手がつかず、結局丸3日間の徹夜で50枚仕上がったのが提出期限の朝7時。さすがに手が震えた。恐怖の口頭諮問で「う〜ん、どっかで見た事ある文章やなぁ〜」の言葉に全身が凍りつくも奇跡の卒業・・・。

プライベートではいろんな事ができた。バイト・バンド・アウトドア・旅行・
ボーリング・スキー。
まさに
「鉄砲玉」だった。いつも消息不明だった。
しかし、おかげでSAJのスキー検定もパスできたし、車の免許も取れたし
ボーリングのスコアもアップして稼ぎも増えた。
パチプロもやったし、塾講師の経験もできたし、イベントスタッフの仕事もできた。
あれはいい経験だった。

誕生日  8月27日 おとめ座
血液型  O型
出身地  大阪市天王寺区
趣味  スキー、ステンドグラス、手塚漫画、食う・寝る・死亡する(寝る)
好きな食べ物  ケーキ、寿司、焼肉、タマゴ料理
キライな食べ物  特になし・・・強いて言えばイナゴの佃煮(ありゃ噛めん 飲み込んだ)
尊敬する人  オヤジ、故手塚治虫先生
将来の夢  田舎暮らし、ゴキブリのいない生活
最近の悩み事 一生懸命ゴキブリ対策してるのに、気づけばゴキブリの密集地に引っ越してた事




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