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本書はデモクラシー・ナウ!の番組の中で取り上げられたものをブログで紹介したところ<これ>、晶文社が翻訳出版の企画に取り上げてくださって実現しました。アメリカでは出版と同時に賛否両論の大論争を引き起こし<たとえばこれ>、大きな反響を呼んだ本です。なかなか時間がとれず出版が遅れてしまいましたが、その後もカーターはバッシングにめげず積極的に行動し、しっかり筋を通しています。その間にデモクラシー・ナウ!の日本版でもカーターのインタビューを放送しました。日本語字幕つきの動画は、ここ と ここ>です。カーターの主張は、ある意味で真摯に和平を求める人々のあいだの1つの立場を代表するものです。それが結果的にどのような役割を果たすことになるのかについては危惧を感じますが、それゆえにこそ、彼の真意にきちんと耳を傾ける必要はあるでしょう。

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カーター、パレスチナを語る
アパルトヘイトではなく平和を

 出版社サイト
 カーター・インタビュー

日本語版 訳者あとがきより

自由の国アメリカの不可思議なタブーの一つがイスラエル批判です。アメリカのマスコミにはイスラエルへの言及に関して厳しい掟があり、大学においてさえも強い言論規制が働いています。メインストリームにとどまろうとする限り、公の場でイスラエルの政策を批判することはキャリアを棒にふりかねない冒険であり、選挙で選ばれる議員たちにとっては、イスラエル・ロビーに逆らうことは再選の断念にも等しいことです。イスラエル・ロビーがこれほどの威力を持つ背景には、米国の支配層のひそかな共謀関係もあります。欧米社会がホロコーストを引き起こしたことへの共同的な負い目を根拠にイスラエルを特別扱いすることは、その代償を支払うのが第三者である限りは、他人のつけで罪滅ぼしのできるたいへんに都合のよい良心の実践であるし、その一方で石油という戦略資源の支配のためにイスラエルに中東地域の要塞の役割を負わせる実利もあります。

このような構図の中で、イスラエルの政策の是非について沈黙が支配する米国の言論界で、あろうことか元アメリカ大統領がイスラエルの占領政策を正面きって批判し、イスラエルがパレスチナ人の領土を占領しつづけ植民地化していることこそが、中東和平を妨げる最大の要因だと訴える本を出すという事件が起こりました。おまけにCNNの人気トークショーに出演し、イスラエルが占領地で行なっている入植地や分離壁の建設をアパルトヘイトと呼んで非難したことは、まさに眉がつり上がるような驚きのできごとでした。

ジミー・カーターの2006年の著作Palestin: Peace Not Apartheid(本書の原題)は出版後たちまちベストセラーとなりました。元大統領による批判は、タイトルに用いられた「アパルトヘイト」という言葉への猛反発もあいまって、イスラエルに敵対的な偏った見方だとする激しい批判を引き起こしました。その一方で、率直に真実を公言する勇気を褒め称える声もあがり、ジャーナリストや批評家のあいだで賛否両論の大論争が持ち上がりました。実際に占領政策について書かれている内容は、パレスチナの問題に関心を持ってきた人たちには周知の事実なのですが、それが元大統領というれっきとした体制側の人物によって証言されたことに意味があるのです。同じことは、ちょうどこの本が出たすぐ後に出版されたジョン・ミアシャイマーとスティーヴン・ウォルトの『イスラエル・ロビーとアメリカの外交制作』についてもいえます。こちらも保守派のユダヤ系の学者たちが、イスラエル・ロビーの活動を真正面から批判的に取り上げるたことで話題になりました。こうしたものが出てくること自体が、イスラエルをめぐる言論環境に変化が起こる兆しなのかもしれません。

中東和平への思い入れ

これほどの騒ぎは予想しなかったようですが、物議をかもすに違いないパレスチナ=イスラエル紛争に関する本をカーターが書いた動機は何だったのでしょう。本書を読めば、カーターが政治家としても個人としても、パレスチナの地に強い思い入れがあり、この地の紛争を解決することを人生の大きな使命としてきたことがわかります。一つは敬虔な南部のクリスチャンとしての宗教的な情熱です。カーターは聖書を学び長年、日曜学校で教えていたそうですが、大統領に選ばれる以前、ジョージア州知事時代に初めてパレスチナを訪問した大きな理由は、聖地そのものへの関心だったようです。これはゴルダメイヤ首相の時代でしたが、当時のイスラエルが40年にわたって占領をつづけた結果の現在のイスラエルとは、かなり違っていたらしいことも記述からうかがわれます。

もう一つは政治家としての使命感です。カーターは第39代大統領に選出された後、パレスチナ=イスラエル紛争の解決を大きな政治課題として、アメリカ大統領として初めて本格的な和平交渉の仲介にのり出しました。1977年から80年までの彼の在職期間中の最大の外交的成果の一つが、1978年エジプトとイスラエルの両国首脳をキャンプ・デーヴィッドに招いて二国間の合意を仲介し、翌年のエジプト=イスラエル平和条約締結に導いたことです。この単独講和はそれまでの中東の国際関係に大きな転換をもたらしました。それに対する評価は見る者の立場によってわかれるでしょうが、本書でわかることは、カーターが本来めさしていたのはエジプト・イスラエルの単独講和だけではなく、その先の包括的な多国間中東和平であったが、その部分は実現せず、キャンプ・デーヴィッドの合意は結果的に本来の目的の半分しか達成されていなかったということです。大統領在任中に達成できなかった中東の包括的な和平達成は政治家ジミー・カーターの悲願といえるでしょう。

カーターが大統領時代に大胆な中東政策を推進できた背景には、彼が大統領候補として最初はほとんど期待されておらず、ある意味で予想外に選出されたため、イスラエル・ロビーからも恩義を受けておらず、就任時に何のしがらみもなかったことが挙げられます。ここが近年の他の大統領とは一線を画す点と思われ、他の大統領経験者にはみられないカーターの実り多き第二の(たぶん第一よりも評価の高い)人生を説明しているようです。再選を阻まれホワイトハウスを去った後、カーターは世界各地における民主主義の推進と保健衛生の向上を目指す「カーター・センター」を創設し、そこでの人権活動に余生を捧げています。彼の人権活動は高く評価され、2002年にはノーベル平和賞を贈られました。この団体の主要な役割の一つが、元大統領の傑出した名声と信用を生かし、第三世界における民主選挙を支援する選挙監視活動です。

1983年のオスロ合意に基づいて誕生したパレスチナ自治区でも、1996年を最初に3回の選挙が行われていますが、そのすべてにおいてカーターは選挙監視を引き受けました。その際に、ウエストバンクとガザの各地の投票所を訪れ、現地の様子を目の当たりにしました。そこで見たものは、拡大を続けるイスラエル入植地、入植者専用道路によるパレスチナ人の土地の分断、無数の検問所によるパレスチナ人の移動の制限、分離壁の建設による土地の没収など、イスラエルが占領地で行っている数々の人権侵害でした。キャンプ・デーヴィッド以来、中東和平を阻む最大の要因はイスラエルが国際法を無視し、違法な占領を続けようとしていることであるとの確信が、これによってさらに深まったものと思えます。本書第16章に詳細に描かれている占領地の人権侵害告発は、こうした実際の見聞に基づいたもので、本書の圧巻といえる部分です。

二国家解決案

違法な占領政策の批判と並ぶ本書のもう一つの重点は、2000年の第二次インティファーダ勃発で崩壊したオスロ和平プロセスに代わる具体的な和平推進のためのプログラムの提言です。カーター自身の中では、これは前述のキャンプ・デーヴィッド合意の遣り残しの部分を達成するものです。ジュネーブ提案と呼ばれるこの解決案は、イスラエルとパレスチナの在野の政治家のあいだで交渉が進められ2003年に発表された非公式の提案です。これは従来の和平プランと同じく、聖地を二つの国家に分割することを前提とした解決案で、イスラエルとパレスチナ国境線は1967年以前の分割ラインを基にするものの、イスラエル側が主要な入植地や、東エルサレムのユダヤ人居住地区、エルサレム旧市街のユダヤ人地区を併合ができるように、パレスチナ側と土地の交換を行うことを加味しています。イスラエル領内に帰還できるパレスチナ難民の数はイスラエルが一方的に決定することとし、それ例外の難民たちはパレスチナに帰還するか、または相応の補償を受けることで安保理決議194を達成するとしています。

この提案は、この7年間、和平交渉がまったく進んでいないことに対する現状打開の訴えですが、このようなパレスチナ分割を前提とした従来路線の提案に対し、最近アラブ人の中から起ってきたのは「一国家解決」という代案です。オスロ合意以降に起った変化によってパレスチナ占領地に自律した独立国家を建てることはもはや不可能になったと判断し、それよりも二民族の共存を前提に、パレスチナ人の人権の回復と、ユダヤ人との政治的な平等とを求めていこうという考え方です。この一国家解決の考え方については本書17章でオプションの一つとして形だけ取り上げられてはいますが、あまりきちんとは論じられていないようです。

このようにみてくると、カーター元大統領の行動にはそれなりに筋の通ったものがあり、特にイスラエルをめぐる沈黙の壁を破った勇気には脱帽させられます。先にも触れたように、エジプトとイスラエルが平和条約は中東地域の外交の大転換点であり、アラブ側からすればエジプトの切り崩しによってアラブの結束を崩し、後のイスラエルによるレバノン侵攻の条件を整えるものであり、結果的にエジプトやヨルダンをはじめアラブ各国がそれぞれにアメリカとの関係強化を求めるアメリカ中心の国際関係を中東に作ったともいえます。その意味では結構罪深いところもあるようにみえるカーターですが、アメリカというシステムの中で大統領がどれほど個人の理想を反映できるものなのかを考えるべきなのかもしれません。カーター個人が決してアラブ側の見方に耳をふさいでいるわけではないことは、シリアのアサド大統領の発言にきちんと耳を傾けていることが判ります。訳し終った後では、カーターの誠意と勇気をすなおに称えたい気持ちになりました。

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Posted on 28 Aug, 05
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