バリ島へ

5月25日よりインドネシア共和国バリ島へ行ってきます。
帰国は未定で最長3週間の滞在になります。
目的は特にありませんがただ一つだけ、
バリヒンドゥー経の総本山ブサキ寺院への参拝はしてきたいと思います。
伝説の聖者テジャ師には会えるのか!?

原作は「水に似た感情」中島らも著です


  

バリ島リポート〜バリの散髪屋は髭剃りめっちゃへた〜

6月6日無事バリ島より帰国しました。

バリ島は急速な経済発展の途中のようでした。

人々の生活もまた伝統と近代化の間で揺れていました。

有名観光地では観光客向けのおしゃれなカフェや土産物屋がひしめきあい、人々はそんな街に富と成功のチャンスを求めて集まり、欲望を糧とした街はますます大きくなっていく・・・。

神々の島といわれるバリ島が日本のような経済大国になる日もそう遠くないのかもしれません。

そのときバリ島の大自然に棲む神々は、都市にその棲家を移し生き続けることができるのでしょうか。

静かな村で農業を営んできた人々の周辺にも、観光客がもたらすお金が流れはじめそれが人々の心にどのような影響を与えていくのか

それを示唆するような出来事がバリ島2日目にしてさっそく起きました。

いまでも思い出すと震えが止まりません。
どこまでも続く美しい田んぼの真ん中で
農婦のオバチャンにカツアゲされる
という悪夢を。

旅立ちの朝

異国の地での新しい発見や出会いへの期待に胸高鳴らせ、
生まれ育った日本を勢いよく飛び出して行く若武者が一匹。

というのは真紅に染まる嘘。出発日が近づくにつれ、持ち前の子リスのようなハートがプルプル震えだし浮かんでは消えて行く様々な思い。不安、後悔、郷愁、・・・

出発直前にはすっかりケーナを失くした田中健のような気分になっていた。


初めての海外旅行、一人旅。

午前6時45分、予約しておいた関空行きの乗り合いタクシーが容赦なく当たり前のように自宅に到着。
こうして自作自演の罰ゲームは幕をあけた。


2時間後タクシーが関空に到着した。高2の修学旅行以来、10年ぶりの関空だ。


10年前、僕はパンの耳にお経を書くような、何の意味もない毎日を送る最低の高校生だった。勉強は全くせず、かといって悪さをするでもなくただ日々の流れるがままにその身をまかせ、いつか流れ着くであろう楽園に想いを馳せては自分をなぐさめていた。


そして今、今度は自分の足でその楽園を目指そうとしている。そう、日々の流れは南の海なんかには決して注いではいなかったのだ。


明らかに10年前とは違う、意思をもった自分がそこにいた。未来に向けての重要な一歩を今まさに踏み出そうとしているのだ。ジワジワと湧き上がってくる興奮を覚えつつ搭乗ゲートに向かっているとお知らせのアナウンスが鳴り響いた。「ピンポンパンポーン」


瞬間、嫌な予感がした・・・。これまでの経験からして、この状況で何か不運に見舞われ出発できなくなるという事態があまりにも自分らしいと思えたからだ。


北海道へ向かうバスの中で風疹を発病し、函館での5日間をベッドで熱にうなされながら過ごした中学の修学旅行などがよみがえる。


硬直した僕の耳に美しい声の女性アナウンスが流れ込んだ。


「ガルーダインドネシア航空をご利用のカツウラ○ンゴさま。ご確認したいことがございます。至急、全日空カウンターまでおこしください」


・・・やっぱり。バレたんだ。でもなにが?妹よ。わかってた。味噌汁の。お似合いじゃないか。作り方を。さあ京都に帰って風水に従い北東の鬼門にザリガニの死骸を埋めよう。


完全な錯乱状態だったがなんとか全日空カウンターに辿り着き言った。


「い、今ああアナウンスで、よば、よび、呼び出しを受けたか、
い、いや受けたんです。」


すると女性が笑顔で答えた。


「マツムラユウジ様ですね。お待ちしておりました。」


極度の緊張と不安がよんだありえない聞き間違えだった。


この旅、勝負あった・・・。


                                   



2005年5月25日午前10時55分、ガルーダインドネシア航空882便はバリ島デンパサール空港に向け、関西国際空港を飛び立った。


日本からバリまでは直行便で約6時間半。
6時間半といえばかなりの長時間である。


6時間半あれば焦げ付いたカレーの鍋をピカピカに洗いあげることだって可能なはずだ。(浸け置き時間含む)


もう後戻りはできない。覚悟を決めた僕は長い旅路を楽しむべく、持ってきた本を開くことにした。


実は今回の旅で密かに楽しみにしていた事のひとつに、この飛行機内での読書があった。


神々が棲む島バリ。その旅の途上での読書体験は旅先での神聖な実体験と影響しあい、その感動をよりドラマチックなものにしてくれるに違いない。


日本で試行錯誤をかさね、数ある候補の中から慎重に選んだのが文庫本3冊。リュックひとつでの旅のため荷物を最小限に抑える必要があった。


その3冊とは、


1、「南方民俗学」中沢新一著  明治から昭和にかけて植物学、細菌学、民俗学など多岐にわたる研究で大きな成果をあげた大学者、南方熊楠。そんな南方の民俗学に関する文献を現代を代表する文化人類学者、中沢新一が解題、編集した。中沢氏の鋭い分析は熊楠の学問の現代おける有用性を浮き彫りにした。


2、「ジョン・C・リリィ 生涯を語る」J・リリィ、F・ジェフリー著、中田周作訳  カリスマ的脳神経学者・リリィ博士の少年期から75歳までの人生を時系列的、包括的に記述したインタビュー/伝記。氏の意識を対象とした研究は精神分析学、物理学、生物学等の学問を横断するかたちで独創的に展開した。


3、「大乗仏典 般若部経典」長尾雅人、戸崎宏正訳  空の論理によって無執着の境地の実現をめざす初期の般若経典「金剛般若経」。固定概念を徹底的に打破し、真実あるがままの存在を追求するもっとも完成した「善勇猛般若経」。すべての大乗思想は般若経にはじまる。


以上の3冊だ。


さてと・・・・・。


読めない・・・・。


初めて訪れる異国に対する不安でいっぱいの自分。そんな状態でいま欲しいのは難解で深遠な哲学や知識などでは無く、むしろ単なる気休めでもいいから明るい気持ちにさせてくれるような、軽くて読み流せるようなものだったのだ。


こんなことなら空港の本屋で見かけて思わずプッと吹き出した、秋元康の「恋について僕が話そう」でも買っとけばよかった・・・。


旅立つ前に秋元康に対する偏見を改めておけばよかった・・・。


                                    


午後5時30分、ガルーダインドネシア航空882便が
バリ島デンパサール空港に着陸した。


飛行機を降り立ったとたん、熱気とともに甘いお香のような匂いが鼻をつく。南国の過剰な生命力を感じさせるような匂いだ。


空港内には現地の民族音楽を現代風にアレンジしたようなのBGMが流れリゾート気分を演出。否が応にもテンションが上がる。


先ほどまでの不安が嘘のように消え、喜びに高鳴る胸。ついにやってきたのだ。


はやる気持ちをおさえつつ入国手続きをすませ、
いよいよ空港の玄関を一歩外へ。


とそこに広がっていたのは、南国の美しい海、などではなく、何をするでもなく地べたに座り込んでしゃべったり寝たりボーっとしたりしている浅黒いオッサンの群れ、その数約70人。


近くを通ると鋭い視線を彫りの深い顔からこちらにとばしてくる。


身なりから判断するに彼らはけっして浮浪者ではない。ねぐらを作っているわけでもないし、髭や髪型も手入れがいきとどいている。


そんな立派な社会人であるはずの男たちが平日の昼間に空港前の広場になんとなく集まり、おしゃべりや昼寝をしてダラダラ時間を垂れ流しにしている・・・。


旅行前の読書等によってある程度予想していたこの設定、こう思う予定だった。


我々日本人は何を毎日時間に追われあくせく働いているのだろう。自然の流れに合わせたゆるやかな生活の中にこそ、人間として本当の豊かさがあるのではないのだろうか。


と。


実際に思ったことは・・・


これといって無かった。

                                      

だめオヤジ達にいきなりテンションを下げられ、逃げ込むようにタクシーへ。


目的地はウブドというバリ島第2の観光都市。都会でありながらすぐそばには自然も残っている町とガイドブックで読み、まずはそこに行こうと決めていた。


運転手の名はヤンデ。バリに来て初めてまともに対話するバリ人だ。


このヤンデがめちゃくちゃいい奴だった。


こわもての顔と両腕にびっしり入ったタトゥーに似合わず、ひとなつこくしきりに話しかけてくる。


空港を出てから30分。そんなヤンデとのかたことの英語での会話のおかげで、ようやく緊張感がほぐれてきたころ、いきなり車が急停止した。


頭をしたたか前席シートにうちつける俺。


一瞬なにが起こったのか全く分からなかった。


するとヤンデは明らかに動揺した目で俺を見ると「ノープロブレム」と一言残し、車から降りると後ろに向かって歩き出した。


後ろのガラス越しに後方に目をやると、30メートル程先で何かがのたうちまわるように飛び跳ね、やがて全く動かなくなった。


それはこのタクシーに轢かれた猫だった。


ヤンデはトランクからビニール袋を取り出し猫に近づくと死体をその袋に入れた。


どうするのかと見ていると、ヤンデはそのまま袋を持って車に帰ってきたかとおもうと、おもむろにトランクにその袋を放り込み、もう一度俺に言い出発した。「ノープロブレム」。


バリに来て30分で死んだ猫と同じ車に揺られている俺。


あー、テレビゲームしたい・・・

                                 


空港から2時間。片平なぎさなら事件を解決してなお余りある時間。ようやくウブドに到着


決して広くは無い道路の両側にレストランや土産物屋が軒を連ね、多くの白人旅行者が行き来している。


通りの両側には暇そうなバリの男達が座り込み仲間達とのおしゃべりに興じている。


そして驚くほど大量に走り行くバイク。


通りはその排気ガスで充満し、むせかえるような暑さだ。


とりあえず宿を探さなくてはならない。


道を歩くと座り込んでいたバリ人達がしきりに声をかけてきた。


「タクシー?」「ドコイク?」「ヤドアルヨ」「ヤスイヨ」「シャチョウサン」「ホリフカイネ」


返事をする暇もなくつぎつぎと繰り出される金銭欲丸出しの言霊たち。


やつらはただ座って友達としゃべっている訳ではなかったのだ。


その日の生活の糧を得るため、旅行者に対し必死に商売をしようとしている。


そんな現地でこそ直接触れる事のできる、リアルな生きる姿。


だが、それに対し美しさを感じるような感性は、みじんもわいてこなかった。


だって、うっとおしいんだもん・・・
                                    





ウブドに着いてから約2〜3時間。

狭い街中をグルグルと何度も歩き回るが全く宿が見つからず、
そうこうしているうちに日も暮れてしまい、いつのまにか真っ暗になっていた。

というのも、「バリには『ロスメン』と呼ばれる安宿が多くあり貧乏旅行者には便利」という本で読んだ情報を元に探していたのだが、実際町を歩いてみると安宿風の建物はいっぱいあるものの、「ロスメン」という呼称を看板に掲げた宿が全くなかったからだ。

弱弱しい街灯に薄暗く照らされた道を、ロスメンを求めてひたすら歩く。

その間も相変わらず路上のバリ人達からは執拗な商売勧誘が続き、それを断る精神的疲労と体力の消耗、焦りなどで思考能力はカラーひよこ並みになっていた。


結局「えい、どうにでもなれ」と、ふと目についた「バンガロー イン」という民家風の造りの宿にでたらめなお経を唱えながら突入…。

すると中庭でくつろいでいたいかにも「肝っ玉母ちゃん」といった感じの恰幅の良いバリの女性が屈託のない最高の笑顔で陽気に迎えてくれた。

「ハロ〜!ジャパニーズ?ルームオッケー!ウェルカム!ウェルカム!アッハッハッー!!」

その素敵すぎる笑顔を見たとたん一瞬にして完全に癒されてしまい、不安でカチカチになっていた心の結び目がハラリとほどけた。

「今日は少しお金を払ってでもここに泊まろう。いやずっといたって構わない。この人の笑顔は俺が守るんだ。日本のお母さんごめんないさい。僕は真実の愛に殉じます。」

などと疲れすぎた頭で訳の分からないこと考えながら値段を尋ねると、一泊30000ルピア、日本円にして何とわずか約450円。

そう、そこは紛れもない「ロスメン」だったのだ!


だったら看板に書いといてよ〜マミーったら!
も〜〜イジワル!イジワル!このこのこの!!チューしちゃうぞ〜!!


一人でテンションを上げつつチェックインした。

                                       つづく