登 岳 陽 楼 
    
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杜甫さんは知人の世話でしばらく成都で暮らしていた
のですが、知人が死んだ為、長江(揚子江)流域の
町を訪ねながら小舟で下った。
この時洞庭湖を訪ね この詩を詠んだものです。

詩の内容から杜甫さんの体も気力もだいぶ弱っている
様子がうかがえます。

杜甫さんはこの時、故郷の洛陽へ帰りたいと思って
いたのです。その途中では戦いが続いているので
帰れないと詠っているのです


我流の解釈

昔から洞庭湖の事はよく聞いていたが 今その洞庭湖
を見渡す岳陽楼の上にきている。 感無量である・・・

呉の国と楚の国は東と南に裂けていて、その裂け目に
洞庭湖はある。そこに地と天の出来事すべてを決める
神神が昼となく夜となく浮かんでいる。
 
親戚からも朋友からも手紙は一つも無く、
病気がちな老人(杜甫)には一そうの小舟が有るのみ。

関所ある山の北では戦いが続いていて
私は今、手すりにもたれて涙するばかりである。
 
   登岳陽楼    杜甫

   昔聞洞庭水 今上岳陽楼
   呉楚東南圻 乾坤日夜浮
   親朋無一字 老病有孤舟
   戎馬関山北 憑軒悌泗流 


  
       ▼岳陽楼   中国観光ガイド誌より

       
昔聞く洞庭の水  今上る岳陽楼
                            
 

     
 
     
  文字の説明
 岳陽楼=洞庭湖にある ものみ櫓(楼)
 洞庭=洞庭湖
 呉楚=呉の国と楚の国
 =さく・裂ける。
 乾坤=下のこの句に注目の所に説明あり。。
 親朋=親戚と朋友(親友)
 無一字=ひとつの文字も無い。
       転じて手紙がこない。
 老病=病気がちな老人
 有孤舟=一隻の舟が有る。
 戎馬=軍馬・転じて戦い
 関山=関所の有る山。
 軒=手すり
 憑=もたれる・寄りかかる。
 悌=涙。
 泗=涙・鼻水。
 悌泗=とめどなく流れる涙と鼻水。
 
  
この句に注目
 [呉楚東南 乾坤日夜浮]  私見

日本の出雲の国の神話に 出雲の国の神様達は出雲の国が狭いと言って
鋤(すき)を持って朝鮮半島に渡り余った土地を切り離し、それに綱をつけて
出雲の人がみんなで引き寄せたのが隠岐の島だと言われています。

同じく出雲の国の神話に
毎年10月には日本中の神様という神様が出雲の国に集まって、これから
1年間日本で起こる出来事全てをここで決めるのだと言われています。

たとえばAさんとBさんを3月に結婚させ、CさんとDさんは6月に離婚させ
ようとか・・。北の方では大地震を起こし、南の方には火山を噴火させる。
今年の台風はどことどこに上陸させる等と、この世の出来事は全てここ
での会議によって決められるのだといわれています。 

中国にも出雲の神話に似たようなものが有って、
昔、楚の国と呉の国は楚呉と言うひとつの国だった。(左図
@ 

それを見ていた神様はこれは不公平だ。他の国に比べ大きいし強すぎる、
このままではこの国(楚呉)が中国で一人勝ちとなってしまう と言って
     楚と呉を中央から東と南に引き裂き、ふたつにしてしまった。(左図A
呉楚東南がこの部分です。  

そして出来た空間に洞庭湖を作り(左図
B
その上にこの天の神と地の神が集まり、天と地での起こりごと全てを
決めている。

言い換えると、出雲の神神がやっているような事をこの洞庭湖の上でも
やっていると言うのです。

易の世界で乾坤の乾は天を坤は地を指しますが、
この詩に出てくる乾坤は
天の神地の神を指したものだと思います。

この世で起きる全てはこの神々によって決められ、神々は夜も昼も
この洞庭湖の上に浮いてこの世をあやつっている・・・
そんな神話をむかし聞いたよ といっているのだと思います。

本来なら [乾坤
日夜浮] としたいところですが、それでは漢詩製作の
制約からはずれるので[乾坤日夜浮] としたのではないでしょうか。