左の書は中国蘇州市寒山寺の楓橋夜泊詩の拓本から
白黒を反転したものです。
このコーナーではこの書の補書(小さい文字)の部分を
解読して見ましょう。
この部分を楷書で書くと次のように成ります。

寒山寺舊有文待詔所書唐張継楓橋夜泊詩、歳久漫
光緒丙午筱石中丞於寺中新葺、数楹属余補書刻石。
 

漢字の説明
舊=旧。 
文待詔=明代の書家・文徴明 ぶんちょうめい(1470〜1559)
      嘉靖38年(1559)歿、90才。
待詔=翰林学士院の書家が就くポスト。
    大学の総長・学長と云ったところ。
唐=唐の時代。 
歳久=歳月がたち。
=歳月がたち風雨でぼやける事。
楹=元は中国式建物の前部の柱のことですが、
   石碑などを数える時に単位として用いる。
   1本2本又は1基2基のように。
属=嘱の文字に通じ、依頼する・頼む・申しつける・命令。  
余=私・我。 
補書=補い書く。添え書き。
=清に時代の書・画家・(1821〜1906)
     光緒32年(1906)歿、86才。
光緒=光緒帝 こうちょてい 清朝1871〜1908
丙午=ひのえうま・ひのえうまの年
光緒丙午=清朝光緒32年(西暦1906年)
筱石=人名・当時江蘇省の知事。
中丞=巡撫職を意味する称号
     巡撫(総督)は日本の知事に当たる。
葺=ふく・屋根を葺(ふ)く等に用いる文字。
新葺=新しく造りなおす。
       
ここには4人の名前が出てきます。
文待詔 ・ 張継 ・ 筱石 ・兪

張継(ちょうけい)さんはこの詩を作った人です。
文徴明( ぶんちょうめい)さんは明の時代の書家。
筱石(しょうせき)さんは約百年前この地の巡撫(知事)だった人。
(ゆえつ)さんは清代の書家、左の補書を書いた人です。

今風に翻訳すると

昔寒山寺には文待詔が書いた唐張継作の
楓橋夜泊詩の石碑があったが
歳月がたち ぼやけてきたので
清朝光緒32年(西暦1906年)
筱石知事が私に添え書きするよう命じ
寺の中で数本(基)作り直した。



あり 書を見るにはここをクリックしたください。
楓橋夜泊
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 江蘇省蘇州市にある寒山寺を訪れたとき、
 この詩の書かかた石碑の前で中国人のガイドが
 流暢な日本語で次のように朗読してくれた。

    
 「ふうきょうやはく   ちょうけい
     つきおち からすないて しもてんにみつ
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     やはんの しょうせい かくせんにいたる」

 
朗読が終わるとガイドはさらに続けた。「この詩は日本の
 奈良時代 中国の唐の時代の詩人 張継が作ったもので
 す。
 張継は役人に成る試験を受けて落第し、落胆の末
 船の旅に出たのです。そしてここより少し先の楓橋
 (橋の名前)と言う船着場に停泊する船の中で1夜を過
 ごした。その時のようすを書いたのがこの詩です。


 
張継はこの詩で唐詩(漢詩)の世界で一躍有名になり
 ました。結局試験に落ちて良かったのですね。試験に
 及第していたらこの詩は作らなかっただろうし、
 名も残さなかったでしょう」と

  文字の説明
楓橋=橋の名・船着場の名
江=主に長江(揚子江)指す、
   ここでは蘇州を巡る運河。
楓=かえで     
漁火=夜、魚を捕る時漁師が持つたいまつ
愁=憂う・くよくよする。
愁眠=くよくよして眠れない
故蘇=蘇州市の昔の呼び名
城 =城壁・姫路城等を想像してはいけない
夜半=夜の半分・夜中の12時頃
鐘声=釣鐘の音

 
  我流の解釈

月が落ち、カラスが啼いたが・・・
眠れない・・・眠れない・・・
試験に落第したことが悔しくて眠れない。
船室から出てみると。

外気が冷たい、明朝はきっと霜だろう。
魚を獲る漁師のたいまつと、その火に照ら
された赤いもみじが眠れない目にしみる。
故蘇城の外にある寒山寺から真夜中を告げる
鐘の音が客船まで届いてきた。

  その後の張継さん
この船旅のあと張継さんは役人になる試験に
合格しました。
漢詩は楓橋夜泊以外に数首作ったようですが
あまり有名なものはありません
漢詩の作成にせいをださず、
役人の仕事をしっかりやったのでしょう。 

余談
中国の西安市に碑林(石碑ばかり集めた)
博物館がある。
石碑が林のごとくあると云う意味です。
国中に散らばる有名な石碑を保存する目的で
造られた博物館です。
1998年西安の碑林を訪ねたとき寒山寺のと
全く同じ楓橋夜泊詩の石碑がありました。
右に書いてある筱石中丞がこの時造った物かも
知れません。

蘇州市赤点

▲寒山寺鐘楼

楓橋夜泊詩補書の解説