蟲 つれづれ

新吉少年の思い出つづり


物心ついた時には、父もなく、そして母もいなかった。
姉と祖父と祖母そして叔父それが家族だった・・・

だけどぼくの周りには、沢山の自然と里山の環境と
奇妙に美しい、数えきれないほどの蟲たちがいたのだ。


幼い頃 - 1961〜1967 -
プロフィール   1961年4月 賀茂郡黒瀬町(※1)に生まれる

※1/黒瀬町は2005年には東広島市に吸収合併される予定。
この頃のぼくは、祖母の背中に背負われた「めご(※2)」に入れられ
山の畑によく一緒にいっていたらしい。
いまでもその記憶はあり、次第に離れていく家と
近づいてくる山の景色を、いまでも鮮明に思い出せる。
畑の途中にはぶどう棚やすいか、
はらんきょう(※3)
桃畑があり、奥には池もあった。
池のほとりの大きな松にもたれ、手を「パンパン」と叩けば
ニシキゴイやドイツゴイ、そして
秋水(しゅうすい)(※4)が寄ってきた。
あとで知ったのだが、よく花見に行っていたその桃畑の桃は、
ぼくの父が祖父と一緒に植えたものだったという。
その父は、ぼくがひとつになる前にすでにこの世を去っていたのだ。

※2/竹で編んである大きな背負いかご。孫を入れるものではないはずだが・・・
※3/スモモのこと。 ※4/コイの品種。薄紫か水色をしていた記憶がある・・・

本題(?)にはいろう。
いちばん印象に残る蟲は、シロテンハナムグリというコガネムシの仲間。
こいつは、樹液に集まるのだが、熟した果実などにも集まるのだ。
この頃おやつがわりに果物は、なんでも食べれた。
ただし、出荷できない傷物や熟れ過ぎのものだけれど・・・
こいつが桃の袋を食い破って中にはいっていると、たちまち
その美味しい桃はぼくのおやつとなるのだ。
けっこう沢山出荷していたので、3才年上の姉は
「桃屋の嬢ちゃんと呼ばれていた」と今でも自慢する。
ちなみにぼくは、ちょっと恥ずかしいが「ぼくちゃん」と呼ばれていた・・・

written by t.shinta-9/date.2004.july.10

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