城があやつる理想        
   ―残雪の 作品における建物の高さから読み取るー
          
                                                       
長谷川彩乃(2009)      



第一章 天窓
第二章 不思議な木の家
第三章 新生活
終章  おわりに

参考文献リスト


第一章 天窓
 まず残雪の作品の中に、1986年に書かれた「天窓」という作品がある。この物語を簡単に説明するならば、主人公の「わたし」は夜中に鏡の中に迎えに来た老人と一緒に家を出て、老人に連れられてかやぶき小屋へと向かっていき、そのかやぶき小屋にある天窓から見える情景を語っているが、薙刀香の枯れ草の中に穴を掘っており、地上よりも下の世界での物語である。老人に連れられてかやぶき小屋に向かう浮き橋を渡っている時の様子を語るこのような一文がある。

(1)明らかに二列の歯と思われるものが足に指にかみついてきて、すぐまた離れた。下の方からふっふっふという不気味な笑い声と憎々しげに罵る声、ヒステリックな叫びが聞こえてきた。

 私は上に引用した文の「下の方から」という部分に特に着目した。下から声がするというのは、その下に存在するものにとって主人公の「わたし」や老人が存在する場所は、当然ではあるが「上」である。主人公の「わたし」や老人を上の世界にいる存在と見て、下の世界から上の世界をうらやむ者が存在する。神様が存在すると信じる人は空に神様が存在して上から人を見ていると思い、だから「天に願う」「神に誓う」という言葉があるのではないか。また、人が亡くなればその状況がわからない子供に説明するとき「〇〇はお星様になった」という言葉もよく耳にする。人が何かあるたびに天や空を見て何かを願うのも、前述してきたように神様や自分にとって身近な祖先が天や空に存在すると多かれ少なかれ信じているからではないだろうか。生きる上で、人の心には常に「下」から「上」を見上げる、一方で「上」から「下」を見下すという精神が無意識のうちに働いているのかもしれない。
 話は「天窓」に戻るが、この物語の「わたし」が自分の家を出てこの老人と一緒にいるということを忘れてはいけない。家出とは自分の今ある環境に満足していないから自分の理想に少しでも近づける場所を追い求めて行なう行動である。かやぶき小屋にある天窓から二人が見た情景に相違があるという部分からも残雪は何かを訴えているように感じられる。

(2)「さあ、登っておいで」(中略)
彼はわたしをつついて霧のたちこめる空中をあちこち指さしてみせた。
「わしの宝物をごらんよ。見えるかい?左手にきらきら光っているあの真珠が。右手はみんな、種無しの緑葡萄だ」
葡萄なんかあるものか!わたしは、何も見えないといった、霧の他には。だが彼はとりあわなかった。

 この文は、天窓から見える情景を説明する老人とその情景を見ている「わたし」の会話だが、今後述べていく残雪の他の作品「不思議な木の家」や「新生活」でも「霧」は何かを意味するように現れて地上からの視界をさえぎる。「天窓」と言うだけに、かやぶき小屋の中でも高い位置からその情景を見ているのがイメージできるが、なぜ老人には見える世界が家出をした「わたし」には見えないのかと考えたとき、ここで視界をさえぎる霧は主人公の「わたし」にとってはとても大きな隔たりとなる存在である。老人にはその霧が見えず、主人公の「わたし」には見えない情景が見えるというのも、「わたし」より長く生きてきて様々な経験や知識を得ているからであろう。「わたし」には霧でさえぎられまだ現実とはならない理想だが、老人には今まで培ってきた経験や知識の中で、霧の中を彷徨い霧の向こうにある理想を少しずつ現実へと変えてきた過去の深さの証、そして理想を現実へと変えてきた証なのかもしれない。上に引用した文の後に主人公「わたし」の生まれた時の状況や家庭環境についてこのように表現されている。

(3)「わたし?わたしは生まれるとすぐに小便桶に投げ込まれたわ。小便に漬かっていたせいで、大きくなっても目玉はとびだしているし、首はぐんにゃり、頭はボールみたいに腫れあがっているの。(中略)わたしはずっと、少し休みたいと思っていた。‥」

 主人公「わたし」にとって育ってきた環境は不満ばかりのように表現されている。作者・残雪は幼い頃の自分が育ってきた環境を思い返し、その時の感情をこの「天窓」の主人公である「わたし」に映し出しているのではないかと私は考えた。そのように考えたとき、今ある自分の環境から逃げ出したくて、少しでも自分の理想とする世界に近づきたくて、夜中に鏡の中から迎えに来た老人に連れられて自分の家を出たとも捉えられる。しかも老人は夜中に迎えに来ていて、夜中という時間は寝ている時間であり人は寝ている間に夢をみる。理想を追い求める自分の意思とそれを考えるが故にみる夢が交差して、残雪が幼い頃の自分と重ねて主人公の「わたし」の夢として描いたものなのか。その理想が主人公の「わたし」にはまだ現実ではなく、夢でしかないことを示すように前述してきたように主人公の「わたし」が天窓から見る情景は霧で覆われていると私は考える。ここでの私の見解は、たとえ現実に満足せずに理想を求めて家を出たとしても、やはり理想は理想でしかなく、なかなかその時の現実である自分のいる「城」を崩壊し新しい理想とする世界を築きあげることは難しいということである。そして、ここまでの「天窓」を読んで上に引用した文にもあるように、老人がいつも見ている天窓からは霧が見えないのに対して、主人公の「わたし」には霧が見えるというのは老人にとってはこの天窓から見るいつもの情景が現実であっても、家出をしてやってきた「わたし」にとってはまだ理想でしかないということではないだろうか。霧がなくなったとき、「わたし」に見えてくる情景はどのような情景なのだろうか。

(4)霧が目の前からゆっくり退いていった。(中略)陰気な古屋の輪郭はなごみ、軒先から緑色の水がしたたり落ちている。屋根の上には梅毒末期の父が、膿腫のように座っていた。糖尿病に苛まれて気息奄々のでっぷりした母もいた。(中略)みんなは、うつろな白っぽい眼で煙色の空をにらみながら、ぎこちなく、何かを待ち望むような手振りをした。わたしが何かを叫ぼうとして、ちょっと口を動かすと、とたんにまた目の前がぼやけてしまった。

 このような文があるが、「わたし」の目の前から霧がなくなったときに見えた情景は、遠くで前と何も変わらない生活を送る家族の姿であり、霧がなくなって「わたし」に見えた現実は前と何も変わっていなかったということである。これが上にも述べたように理想とする新しい城を築き上げることの難しさが表現された部分であると感じられる。天窓がある場所に来た「わたし」であるが、天窓とは上を見上げる窓であり、天窓がある場所は今まで自分がいた家の高さと比較しても上にいくわけでもなく下に下がるわけでもなく高さは変わっていない。「天窓」の話の原点は主人公の「わたし」が家出をするというところにあり、家出とは自分の家族や家庭環境への不満と自分自身の理想との葛藤の末に起こす行動であると考えた。前頁にも述べてきたが、自分の育った環境に不満があるにしろ、人は心のどこかで家族やその自分の育ってきた環境を捨てきれないものである。ここの引用部分にある霧が退いたあとも前と何も変わらない家族の様子が見えるというのは家族への少なからぬ愛情や愛着が表現されている部分ではないだろうか。人それぞれ過去があり、その現実として生きてきた過去があるからこそ理想が生まれるわけで、その過去への愛情や愛着も多かれ少なかれ感じない人はおらず、事実としてある過去をゼロにして新しい世界を作り出すことはできないということである。

(5)暗くなると老人は、ぎっしりと積まれた薙刀香の中に穴を掘った。わたしたちはそこにもぐりこみ、入口をふさいで満ち足りた音をたて、たちまち夢の中に入っていった。

 そこで私がこの作品の中で特に注目したところは、地上よりも下の世界が書かれているところである。(5)の引用文にあるように「天窓」には地上から上の世界だけではなく地面から下を掘り、地上よりも下の世界でのことも書かれている。私がここまで述べてきた「天窓」についての話、そしてこれから述べる残雪の他の作品「不思議な木の家」や「新生活」にも視界が霧でさえぎられる場面が書かれているのだが、もしこれらの各作品における家や建物の高さ、そしてその上の部分が霧でさえぎられることが、前述してきたように心の中にある「理想」を残雪が表現しているならば、反対に地上から下の世界を「理想」とは反対の言い方で表現することができるのではないかと思う。そもそも理想という言葉の意味は自分がこうなりたい、こうありたいという未来像であり、それが実現するかは誰にも自分自身さえわからない未来を意味する言葉である。地上から上の世界を人間の理想や未来と考えたとき、前述にもある「天に願う」「神に誓う」などという言葉の存在する意味とつなげることができる。地面から上を人間の理想や未来と表現したとき、地上よりも下の世界は何と言えるだろうか。未来の反対の意味を持つ言葉は過去であり、人にはみな今まで生きてきた過去がある。前述してきたように未来は誰にも自分自身にもわからないことであるが、過去は過ぎ去ったことであり人間ひとりひとりが今まで経験してきた現実となった事実である。人それぞれの心の中には理想とする未来があり、現実となってきた過去があるということである。それを表現するかのように、「天窓」では主人公の「わたし」にとってまだ理想でしかないために霧で覆われて見えない天窓からの情景と、主人公の「わたし」よりもずっと経験や知識を多く得て長い過去を持つ老人の、地上よりも下の世界が対比するように表現されているのではないか。上に引用した文にあるように「...、たちまち夢の中に入っていった。」とは、物語の中では薙刀香の中に穴を掘るわけだが、後にこのような文がある。

(6)わたしたちはまた、あの枯れ草の穴にもぐりこんだ。
そして深い夢の世界に投げこまれ、互いに遠く隔たった。(中略)
老人は一段と深い夢の世界に浸っていた。(中略)
わたしはその夢に入っていくことができなかった。(中略)
銀杏の大枝のあいだに天窓が現れた。それはかやぶき小屋の黒い穴でしかなく、中から糠蚊が濃い煙のように湧いて出ていた。

ここでは前に述べられていた薙刀香が枯れ草と表現されている。人がいつかは亡くなるように植物もいつかは枯れてしまうもので、枯れ草という言葉から、この物語の中での薙刀香は枯れてしまった植物=過去を意味しているのかもしれない。その後に続く、「老人は一段と深い夢の世界に浸っていた。」という文に対し、「わたしはその夢に入っていくことができなかった。」とあるのは、薙刀香の枯れ草の中での出来事という点が一つの大きなポイントであり、老人は主人公の「わたし」よりも長く生きてきて当たり前のことだが経験や知識なども多く深い過去を持つのに対し、「わたし」は老人よりも過去が浅い。だから、枯れ草の中で老人が入っていける夢の世界へ「わたし」は入っていくことができなかった。これは日常生活の中で深い過去などという表現の仕方があるのと通じることかもしれない。そして、「それはかやぶき小屋の黒い穴でしかなく、...。」とあり、この文は薙刀香の枯れ草の中という下の世界から見た天窓のことである。地上では上の世界、理想とする世界を見上げるためのものとして存在する天窓でも、下の世界から見ればただの黒い穴で尚且つ中から糠蚊が出て見えるほどのものなのか。地上にいるときはその現実に満足できなくて天窓というところから上の世界を見上げようとしていたけれども、いざ見ようとしてもそこから見える情景は霧がかかっていて見えなかったり、霧が晴れて見えたとしても前の自分がいた環境と何も変わらない情景であったりしたが、老人には霧など見えず「わたし」には見ることのできない情景が見えたように、「わたし」にはまだ薙刀香の枯れ草の中で老人が浸っていくような深い夢の世界、理想を描けるほどの過去の深さがないのかもしれない。薙刀香の枯れ草の中という下の世界から、天窓が黒い穴にしか見えなかったのは、「わたし」にとってまだ理想を描くというほどの過去がないということを残雪は表現しているのかもしれない。もし「わたし」ではなくて老人だったら、薙刀香の枯れ草の中からでも天窓が形として見えていたのだろうか。そして、どのようにすれば「わたし」にも天窓を、天窓からの情景を見ることができるのだろうか。この物語の最後にはこのような表現がある。

(7)「新年おめでとう!新年おめでとう!」
老人はぶつぶつつぶやきながら草の山から這いだし、ぬかるんだ道に深い足跡をつけていった。天窓からは遠くまで見渡せた。(中略)
まわりには数歩ごとに彼が掘った大きな穴があった。

 老人が「新年おめでとう!」と言いながら薙刀香の枯れ草の中から這い出してくるという情景から残雪は何を表現しているのだろうか。草の山から這いだしてくるということは下の世界から地上に上がってくることを意味している。また、人が「新年おめでとう!」というのは新しい年になったことで気持ちを心機一転させるという意味があると思う。一年を一つの括りとして考えたとき、人間が一年一年成長していくのと同じように下の世界から一つ上の世界へ上がるということは一つの世界でやり遂げたことが現実となりその現実が過去となって、その下の世界、現実となった過去の世界でもった理想をまた現実に近づけるために一つ上の世界に上がり新たな年を過ごしていく。人生は一年という括りで一つ一つ階段のように上の世界へと上がっていくことの繰り返しなのかもしれない。そのあとに続く「天窓からは遠くまで見渡せた。」とあるが、薙刀香の枯れ草の中から出てきて遠くまで見渡せるようになったという部分で残雪の心境の変化や成長がどのように表現されているのだろうか。薙刀香の中に入るまでは、主人公の「わたし」は老人には見える天窓からの情景が見えなかったが、薙刀香の中に入ることで今まで地上では天窓として見えていた窓さえも下の世界からは黒い穴にしか見えず、これまで生きてきた経験や知識など深い過去を持つ老人に対して、「わたし」にはまだ過去の深さがなかったのかもしれない。なかったという表現よりかは自分が現実として生きてきた過去を理解していないという表現が合っている。なぜなら理想を持ちその理想を現実にするということは、今まで自分が生きてきた過去が基盤となりできることだからである。「わたし」は老人に連れられて薙刀香の中に入って下の世界から地上という上の世界を見上げ、今までとは違う世界から自分がいた世界を見ることで今まで認識していなかった過去を知ることができたのかもしれない。上にも述べてきた「新年おめでとう!」という言葉は、今自分が過ごしてきた世界でのことが全て現実として生きてきた過去となり、一つの区切りとしてまた新たな世界へいけるということを意味しているのかもしれない。天窓から見える情景が理想としている世界とは限らない。改めて下の世界から今まで自分が存在していた世界を見上げることで自分の居た場所に安心を覚えることもあるということである。どんな理想を描いても自分が生きてきた過去は現実としてある事実であり他の誰にも変えることはできず、今自分がいる世界が自分の人生にとって不可欠な道中にすぎないということを忘れてはいけない。理想とする世界へどのようにいくかだけを考えるのではなく、今存在する世界をどう生きるかを考えれば必然的に理想を現実へと近づけることができるのかもしれない。


第二章 不思議な木の家
 これまで第一章で述べてきた家の低さや地面より下の世界が書かれている作品「天窓」とは対照的に、残雪が書いた作品の中で、家の高さを象徴する作品の一つに「不思議な木の家」が挙げられる。この作品は1998年に発表された作品で「天窓」の後に書かれており、「天窓」では低かった家の造りも最上階が見えないほどの高さの建物に変わっていて、残雪自身の成長や心境の変化とともに作品にも変化が見え、その点も注目すべきところではないだろうか。
 地上からは霧で覆われて最上階が見えないほどの建物で、その最上階は木の板の間から寒いすきま風の入る日当たりの悪い暗い部屋で、そこで主は生活している。残雪が描くこの建物の高さが意味するものは何か。物語にこのような文が書かれている。

(8)「最近わたしは、距離の障害にどうやって打ち勝つかという問題を考えはじめました」

 ここで述べられている「距離の障害」とは地上から遥に離れた最上階の寒くて日当たりの悪い部屋に主は不便を感じているということを表現しているのか。または第一章で述べてきた「天窓」に出てきたかやぶき小屋や、主人公の「わたし」や老人が見ていた天窓のある場所の低さとは対照的に、この最上階が見えないほどの建物の高さが、残雪の心境の変化を表現しているのか。残雪が「距離の障害」と表現するものは何か。上の引用文に対して次にこのように書かれている。

(9)「昨夜大きな進展がありました。わたしの家はこの地域ではいちばん高い建物です-これはかつて、わたしの祖先の誇りでした。あのころは人口も稠密で、情報の伝達手段も今日とは大きく違っていましたから-しかし、高いということは実質的にはなんの利益ももたらさず、むしろ乗り越えられない障害になっているのです-(中略)」

 この作品の題名にもなっている「不思議な木の家」は主の祖先の時代からあったとされるもので、その時代で一番高い建物であり、ひときわ目立っていて、その高さが誇りであったということが注目すべき点である。この作品は1998年に書かれたもので、そのまた祖先の時代となると町や建物の造りも今とは大きく違っていることが予想される。想像からすると、町は現代ほど栄えておらず、建物も都心では高層ビルが立ち並ぶ現代だがこの時代を考えると平屋建てのものが多いのではないだろうか。その中に聳え立ち、霧で覆われて地上からは最上階が見えないほどの高さの建物が、このあたりでひときわ目立っていたことは言うまでもないだろう。この「不思議な木の家」が現代に建てられたものだったら、おそらくこの時代より周囲の建物との差やこの家に対する誇りを感じることはなかったと思う。この時代だからこそ、祖先がこの建物の高さを誇りに思うことができ、それと同時に残雪がこの物語の中で自分の心境の変化や成長を建物の高さに表現できるとも言える。上に引用した文の最後に「しかし、高いということは‥(中略)、むしろ越えられない障害になっているのです。」という文があるが、高くすることで何か利益を求めていたとも考えられるこの文章から、私は第一章でも述べてきた「理想」という言葉と交差させた。二次資料で使っている『魂の城 カフカ解読』の第三部「城の形象」の中にこのような文がある。

(10)どんなに高い城も、空中に建てることはできず、いずれもみなわれわれ凡人の産物であって、凡人のさまざまな俗っぽさと欠陥を具えているからだ。

 人はみな何かしらの夢や理想を追い求めている。人の心の中には夢や理想と不平不満の二つが対になって存在していると考えた。自分の中で納得のいかない不平不満があるからこそ夢や理想となるものができる。ひとりひとり形は違うが、心の中に存在する不平不満を夢や理想に近づけるということが一生行なわれていて、それが生きるということなのかもしれない。そして、夢や理想も不平不満も今の自分があってこそ存在するもので、第一章でも述べてきたように今立っている地上にその人にとっての現実があるからこそ、ひとりひとりが天窓から上を見上げるように理想を持っている。ここで引用した文の初めにある「どんなに高い城も、空中に建てることはできず...」と言うのは、そういうことではないだろうか。地面という基盤があり、高さのある建物を築くことができる。そして、基盤がしっかりしている建物ほど、高くても安定した建物となる。反対に基盤がしっかりしていないとどんなに高い建物でも崩れてしまう。これは、ここまで論文で述べてきたことにつながることで、人は今自分が立っている現実をしっかりと吸収していかなければ、理想を持つことはできてもその理想を現実に近づけることが難しくなる。今自分が存在する世界での現実を吸収し終えたときに、その現実が初めて過去となる。人間が生きる上での現実と理想を建物の造りに言い表すと、現実をしっかりと吸収していない人が土台がしっかりと安定しないまま上に高く建てた建物が崩れてしまうように、理想だけを追い求めてもそれを現実に変えることは難しい。反対に、今ある現実をしっかりと吸収して生きることで土台がしっかりとした安定した高い建物は、理想を現実へと変えていくことができるのではないか。
 話は「不思議な木の家」に戻るが、(9)で引用した本文の最後にある、高くすることで何かの利益があると予測したような文章から、やはり人は何か利益や願望があるからこそその理想に近づきたいと思うわけだが、現実を一つ一つしっかりと消化してその積み重ねで一人一人の城が形成され、少しずつ理想を現実へと変えていくのである。前頁で引用した文の最後にある「...、むしろ乗り越えられない障害になっているのです。」というのは何を意味しているのか。この文からは利益があることを予想していたが実際のところ建物を高くすることで利益どころか何か問題があるように感じられる。その問題点として私が注目したところは外界の情報を自ら得ることができないという点である。主は毎日部屋まで煎餅を届けに来てくれる少年の情報に頼っている。その少年の言葉をいくつか引用したい。

(11)「ぼくが情報を箱に入れて鍵をかけると、すぐさま眠りこんでしまう」

(12)「ぼくが思うことが彼の夢の世界に入っていくのです。」

(13)「ぼくが手に入れる外界の情報に頼っているくせに、‥一旦願望を満たしてやるとすぐまたお高くとまり、ぼくをひどく軽蔑するんだから」

(14)この建物にはどこかに仕掛けがあって。上にいても下の動静を感じられるのだろうか?それともこの家がすでにあるじや少年と一体になっているのだろうか?

 これらの文を見ると、地上(建物で言うと1階)で生活している少年と最上階で生活をする主のつながりは少年が得た外界の情報を主のところへ持ってくることであるように感じられる。物語全体から詳しく読み取ると、少年が情報を書いたノートを箱に入れて鍵をかけ、主はそのノートを見ることはなく、少年が寝ている主の横に腰掛けて主の背中をさするだけで、少年が思うことが主の夢の世界に入っていくということだ。
 上に引用した文は非現実的な表現であり、とても残雪らしい部分でもあるが、私たちの生活の中にも関連して言えることがある。(12)で引用した文にある「ぼくが思うことが彼の夢の世界に入っていくのです。」という文から、例えば寝る前にあることを考えていたら、考えすぎていたせいか夢にまで出てくるということは、ほとんどの人が経験したことがあるだろう。物語の話題から少し反れるが、そもそも日常的に使っている「夢」という言葉には二つの意味がある。一つは寝ている間にみる夢、そしてもう一つは人が将来の自分の理想像として持つ夢である。全く別の二つの意味を持ち使われている夢という言葉だが、この二つの意味の夢はどこかで交差すると私は考える。例えば、人は寝ている間にみた夢に対して後からこれが現実になってほしい、これは現実になってほしくないという感情が起きることがある。今生きている自分とは全く別の何も関係ない夢以外は、そういった気持ちになるものである。それは自分自身についての夢だけではなく、自分の身近な人の夢であっても同様である。それは自分もしくは自分の家族や友人など身近な人が夢の中で今ある現状とは違った状態になっている夢で、それが現実になってほしいと思うのは、日ごろ心の中で多かれ少なかれ理想としていることだからであり、逆にその夢が現実になってほしくないと思うのは、その状態になることを避けたいという意識の現れである。このような夢に対して働く人の意識は、日々の生活の中で前述してきた理想や不平不満の気持ちに左右されている気がする。そのような意識が人間に働くからこそ、日々の生活の中での意識が寝ている間の夢にまで通じて正夢や逆夢といった現象が起こるのかもしれない。しかしこの夢に対して働く意識は一人一人の人間の中で起こり得ることであって、この物語の中では「ぼくが思うことが彼の夢の世界に入っていくのです。」とあるように、「少年」と「あるじ」の二人の間に起きているという部分に何か残雪が意味しているものがあるのではないかと感じた。引用文の最後に「...それともこの家がすでにあるじや少年と一体となっているのだろうか?」とあるが、地上での生活を主体としている少年とこの建物のとても高い場所に位置する部屋から全く出ることなく生活をしている主とこの不思議な木の家自体を全て合わせて一つとして考えたとき、主が存在する場所は理想や夢が叶った場所であり、その主が存在する場所と地上を行き来する少年は理想を追い求め生活する私たち人間一人一人を表現して地上に存在する少年は現実を意味し、主が存在する高い場所に位置する部屋は理想を意味してその低い場所から高い場所全てを通じて理想を追い求める人間の人生を表現して「不思議な木の家」が存在しているのかもしれない。
 部屋の中で主がずっと眠っているのは第一章でも述べてきたように寝ている間に見る夢と人間が将来の理想像として持つ夢が交差している部分が表現されていて、主がいる部屋と地上を行き来し現実を生きる少年とはとても対照的である。第一章でも述べてきたが、人間は下の世界から上の世界へと一つずつ階段を上っていくように、今ある現実をしっかりと受け止めることで上の世界での理想が見え、現実として存在する過去を吸収することで新たな理想を少しずつ現実へと変えていくことができる。そのように考えたとき、第一章での「天窓」の主人公の「わたし」の存在がこの「不思議な木の家」の少年の存在にとても近く、また老人の存在がこの物語でいう主の存在に近いのかもしれない。これらの作品を通じて、「わたし」や少年という年齢の若い人物よりも老人や主などある程度の年齢を達している人物が理想を現実へと変えているという部分から残雪自身も「わたし」や少年といった立場から老人や主といった立場へと近づき、幼少時代の記憶も鮮明に生きる中で今の自分と照らし合わせ様々なことを経験し、理想を追い求めるという意識に対する心境の変化が表現されているように感じられる。第一章の「天窓」もこの「不思議な木の家」も生きてきた過去の深さが異なる二人の人物を照らし合わせ、物語が進行しているが、どちらの物語も残雪自身の一人の人間としての幼少時代から今の自分への変化に伴う自分自身の心境の変化が描かれているようにも捉えることができる。この第二章に続く第三章でもほぼ同じ年代に描かれた「新生活」を取り上げる。「不思議な木の家」と同じく高さある建物が表現されているが、また別の視点から着目し読み取っていきたい。


第三章 新生活
 残雪の作品の中で、家の高さを象徴する作品のもう一つの例として「不思議な木の家」のほぼ2年前、1996年に発表された「新生活」という作品がある。「新生活」の中では、30階建ての高層マンションとそこに引っ越してきた老女・述遺(シューイー)が中心となり物語が展開されるが、この物語も前に述べてきた「不思議な木の家」と同じように地上からは霧がかかっていて最上階が見えないほどの高さであり、述遺が住む最上階の部屋はとても寒く、「不思議な木の家」の話とどこか似ていて共通する部分と、残雪の心境の変化なのか成長なのか、違いを読み取り感じた部分もある。一番大きな変化を感じたところは、「不思議な木の家」では何階建てかわからないが最上階が霧で見えないほどの建物でとても高い位置にある主の部屋までに行くにも階段を使っていたのが、「新生活」では30階建てという高層マンションにエレベーターがついているという点である。階段とエレベーターの違いから残雪の心境も何か変化し成長したと捉えることができる。
 なぜ、階段とエレベーターの違いだけで残雪の心境の変化と言えることができるのか。この物語の中ではエレベーターが揺れて乗り心地が悪かったり時には故障していたり、エレベーターの修理工がよく登場したりとエレベーターに関係する表現がとても多い。階段やエレベーターとは上と下を行き来するためのもので、前述してきたように残雪の作品に出てくる建物の高さが理想や未来を表現しているならば、上に行く手段である階段やエレベーターはその理想や未来に向かうまでの道のりとも言えるのではないか。階段とエレベーターの一番の違いは進む速度であり、言うまでもなくエレベーターの方が早く上に行くことができる。階段は一段一段自分の足で上り一つ一つの階を通過していくのに対し、エレベーターは機械の一つにすぎず自分の足で上がっているとは言い難い。論文の中で述べてきた人間が持つ理想と重ねて考えたとき、理想を現実にする上でいきなり全てが叶った状態になるということは決してなく、少しずつ理想から現実へと近づけていくものである。

(15)こういう旧式のエレベーターは速度も遅く、ゆらゆら揺れる。どうもワイヤーに無理がかかっているような気がして心配になった。

(16)エレベーターはいやに遅く、ほとんど各階ごとに勝手に止まり、完全に調子が狂っていた。

 第二章で述べた「不思議な木の家」では少年が階段を使っていたのに対して、この物語の中ではエレベーターを使ってもなかなか思うように進むことができない。階段よりもエレベーターのほうが便利だと考えられるが、実際は容易に理想とする世界へ行くことができないことを残雪は表現しているのかもしれない。時代の流れを考えたときに、階段からエレベーターに変化していくのが普通だが、残雪の作品では1996年発表の「新生活」でエレベーターが使われていて、1998年の「不思議な木の家」で階段へと変化している。エレベーターよりも階段のほうが理想を着実に現実へと近づけることができることを伝えているのかもしれない。
 述遺は最上階である30階に住むが、地上からは霧がかかっていて見えないほどの高さで、それまで長屋で生活をしてきた述遺だけに今までの暮らしとはかけ離れた環境である。また長屋というだけあって越してきたマンションとは違ってエレベーターなどが付いているとは想像しがたい。述遺の前の家の隣人・彭姨の台詞で次のような文がある。

(17)「あんな高いところじゃ、雲の上にいるようなものだわ。ひとりでそんなところに寝ていて、下は数えきれない道路。」

 高層マンションから見下ろす情景が今自分のいる場所ととてもかけ離れた状態であることを示すかのように「雲の上」という表現で書かれている。これは同じ世界、もっと小さな規模で言えば同じ場所に存在しながら全く違った状況下にいるような気持ちの現れなのかもしれない。生活の中から例に挙げて考えてみると、高いマンションやビルなどの建物、または遠く離れた場所から見る景色を、自分も存在している場所にもかかわらず一つの異世界の情景としてみるような、そんな気持ちになることは誰でも経験がないだろうか。しかし、自分がいざその場所に近づけば近づくほど、その建物の高さや遠くから見る自分の今いる場所の景色が綺麗なことを忘れてしまうものである。忘れてしまうと言うよりは、その場所に対する理想が今その場所に存在できていることで、理想を現実にできたという満足感から見えなくなってしまうのかもしれない。前は遠くで見ていた建物でも、自分がその場所へ行けばまたそこから見える新しい世界がある。上を見れば、今自分が存在している場所よりも高い建物や情景が見えてその場所が良く思えたり、逆に今まで自分がいた下の世界を上から見ると今まで存在していた場所が良く思えて戻りたいと思ったり、灯台下暗しのように今いる場所が見えないものなのか。
 そして「雲の上」という表現から考えられることは、地上と比べてとても寒いということである。高さと温度は関連していると言うことができる。ここでは雲の上という高い部分の寒さが表現されているが、例えば、冬眠する動物を思い浮かべると地上よりも下に土を掘りそこの温かさで地上の寒い冬から逃れる。登山する時を思い出せば、上に行けば行くほど寒くなる。地上を基準とした時、地上よりも下は温かく地上から離れれば離れるほど寒くなるものである。物語の中にも述遺が寒さを感じている表現が他にも多数あるが、私たちも日々の生活の中で「寒い」という表現からマイナスのイメージを持つことが多いのではないだろうか。私自身の主観になってしまうかもしれないが、寒いという言葉から寂しさや物足りなさが連想される。実際に「新生活」の中で『あのうさんくさい行動を思うと、つい背筋が寒くなる。』という表現があり、日常生活の中では「懐が寒い」「心が寒い」という表現がある。「
 新生活」の中で述遺が高層マンションに引っ越してきて今まで自分がいた世界とあまりに高さが違うことや、自分をとりまく環境や人物が大きく変化したことにより、自分が今存在している高さとその場所の寒さ、そして自分の心の中の寒さが全て比例しているようにも捉えられる。そう考えたとき、高さと温度は人間の理想に対する意識と関連性があるように感じた。これを今まで述べてきた理想や未来、過去といった言葉で表現するならば、地上よりも下にある温かい土の中は過去であり現実として起きた変えようのない事実、地上よりも上の世界、地上から離れた寒い場所を理想や未来と言うことができる。私たち人間は自分をとりまく家庭や両親、家族の中で温め育てられ、また今まで生きてきた中での経験や体験など全ての過去を心の中でずっと温める。前述してきたようにその温めてきた過去をなくして今はないということである。そのためか、今までいた温かい場所から理想とする世界へいこうとすると、今までいた場所が温か過ぎたせいか自分がいた世界とのギャップなのか新しい世界に寒さを感じるのである。「不思議な木の家」のところでも基盤がしっかりしていなければ高くて安定した建物を築くことができないと述べてきたが、その基盤とはここでも述べた自分が実際に経験や体験して温めてきた過去のことなのかもしれない。自分の経験や体験してきた過去から理想とする未来が見えるわけで、よく人を羨ましく思うことがあるが、それはその人が生きてきた一つ一つの要因が集まった過去がなければその現実は存在しないということであり、どんなに自分がその人のようになりたいと願っても難しい話なのかもしれない。『魂の城 カフカ解読』の第四部「巣穴」の中に上にこれまで述べてきた現実として生きてきた過去と通じる文がある。

(18)彼がときに巣穴を離れるのも、外からもっと冷静に観察し、信念をさらに強めるためでしかない。しかし彼は決して外に長く留まらない。なぜなら、巣穴だけが彼の心底執着する場であり、彼の存在の意味であるからだ。これはとうに彼と一体化した理想の楽園であり、好きなところに転がり、ぐっすり眠ることのできる仙境なのだ。

 私はここに書かれている巣穴が意味するものとこの論文の中で述べてきた地上よりも下の世界、過去を意味する場所とを重ね合わせて考えた。巣穴とは、時間をかけて作り出すものであり、それぞれの居場所でもある。『魂の城 カフカ解読』の「巣穴」の中では主人公の彼にとっての居場所、そして彼自身が最も主張される場所なのかもしれない。巣穴という言葉は本来鳥が作り出すものを一番に思い出すと思うが、人に置き換えて考えればその人自身が育ってきた家や家庭全て、まさにその人にとっての「城」を意味しているように思う。育ってきた家や家庭は一人の人間を形成するためには一番役割の大きい部分であり、それがその人自身の考え方や視点の基盤にもなり原点と言える場所である。(18)で引用した文中に「巣穴だけが彼の心底執着する場であり、彼の存在の意味であるからだ。」とあるように、人の心の奥深くにあるものはどんな人間であっても自分が過ごしてきた家庭や育ててくれた両親、家族であり、その全てを含め家という存在なのである。
 人生という道中で迷ったとき、悩んだときに考えの原点となる場所でもある。その家庭や両親、家族という存在がなければ自分という人間も存在せず、家庭や両親、家族など自分をとりまいてきた、そして今もとりまく一つ一つの要因が集まることで自分という一人の人間が形成される。その要因が全て同じ人間はおらず、またその要因の一つでも異なれば自分という人間ではないと言えるだろう。人間一人一人違うという根本はそこにある気がする。次にある「彼と一体化した理想の楽園」とは何を意味しているのだろうか。やはりその育ってきた家庭や両親、家族などの環境全てを含めて「自分」という人間なのだから、どんな行動をするにしても育ってきた家庭や両親が教えてくれたことが基盤となり、その意識が自分自身の軸となりその人自身の考えや行動が生まれる。「一体化した...」というのは、その育ってきた家庭も両親も家族も一つ一つの環境や要因全てが、その一人の人間の一部であると表現していて、その一つ一つの要因が集まってこそその人にとっての理想が生まれて、その理想を満たそうとしてもやはり自分がいる家庭やその環境からは抜け出せず、上を見ても下を見ても自分の居場所はそこでしかないということを訴えているのではないか。自分をとりまく一つ一つの環境や要因が自分を作り出しているのであって、理想を追い求めても近づくことはできても完全に実現することは難しい。人間は上や下を見て自分とは違った環境を羨むものであるが、今自分をとりまく環境が自分に一番合っていて一番居心地の良い環境だということに気づいていないだけなのかもしれない。上の引用した文の最後にある「...好きなところに転がり、ぐっすり眠ることができる仙境なのだ。」というのは、こういったことを伝えているのかもしれない。
 話は「新生活」に戻るが、前述してきたように「不思議な木の家」と「新生活」で階段とエレベーターの違いを比較して見たときにエレベーターのほうが機械的かつ自動的な点から考えて階段よりも早く効率よく理想へ近づけるという見方もあるかもしれないが、上に述べてきた巣穴を例に挙げて考えると巣穴は一気に作れるものではなく自分が生きてきた足跡によって少しずつ自然に作られていくものと考えられる。そう考えたとき、目的地=理想とする世界までの道中を見ずに一気に上へ行けてしまうエレベーターよりも、自分の足で一段一段、目的地=理想とする世界までの道中を自分の目で見ながら着実に到達したほうが、今自分がいる場所から理想とする世界までの道中を全て理解していることでより中身の詰まった現実にすることができるのではないだろうか。ここでいう中身とは経験や知識などその人自身が人生の中で学ぶこと経験すること全てであるように感じる。述べてきたように理想を現実に近づけたという結果だけでなく、理想を現実に近づける途中のプロセスが大切であり、理想の世界へ行くまでの道中をどのように通過してきたかが前述した過去の深さにつながるのである。話は物語に戻るが、本文の引用文にもあるように「新生活」の中でエレベーターが故障していたり修理工が出てくるのも、簡単に理想とする世界へ行くことができない厳しさを表現しているのかもしれない。次に私がこの物語の中で着目した文がある。

(19)頭に「架空」、ということばが浮かんだ。このことばが、長屋からここに越して以来の感覚をひとことで表していた。(中略)もしかしたら隣人はもうひとりいるのかも知れないが、なかなか会えない。述遺は、七階に住むその人には永遠に会えないような気がした。もちろん、絶対にというわけではない。一切を予測することなどだれにもできはしない。

 この文章は、述遺の家に彭姨が尋ねてきて、翌朝述遺が起きたときにはすでに彭姨がいなかったときに、述遺が昨日のことさえはっきりと覚えておらず、そのときの気持ちを表現したものだ。「架空」という言葉は、長屋からここに越してきて以来の感覚として表現されているが、なぜ架空と表現されているかを考えたときにこの高層マンションに越してくる前はずっと長屋に住んでいた述遺が突然30階建ての高層マンションに住むという、この物語の原点に戻って考えた。この論文の要でもある地上から上の世界が理想や未来を意味していて地上よりも下の世界を現実として生きてきた過去を意味するならば、ずっと長屋に住んできた述遺が突然高層マンションの最上階に住むということは、その時ある現実を生きてきた人が段階を踏まずに突然最上級の理想とする世界へ投げこまれるような感覚ではないだろうか。人は誰しも理想とする世界を求め生きているわけだが、いざ突然最上級の理想を満たされると今まで自分が現実としていた世界とのギャップを感じるものである。例えば、経済的にとても貧しい家庭から突然有り余るくらいの大金持ちの家庭になったとする。今まで経済的に苦労してきた家庭は金銭面で不自由なく暮らせる家庭にしたいという理想を絶対的に持つと思うが、その金銭的に不自由しないというのを通り越え、突然有り余るほどの大金持ちの家庭になったとしたら今までお金がないことで苦労してきた家庭が突然その苦労がなくなり楽になる反面、今までの生活とのギャップを感じ、どこか心にポカンと穴が空いたような感覚に襲われる。
 人は最上級の理想の世界に突然行くと、現実と最上級の理想との中間の世界を見ることがないので180度違う世界にギャップを感じてしまうのかもしれない。あまりにも世界が違いすぎて満たされる気持ちよりもその世界が現実であることを疑う気持ちが強まり、現実であるということを感じることができないのかもしれない。話は物語に戻るが、この現実であるということを感じることができない気持ちを残雪は物語の中で「架空」という言葉で表現しているのかもしれない。「架空」と表現したあとに引用文の後半に「...、七階に住むその人には永遠に会えないような気がした。」とあるのは、前述したように人は今自分がいる世界からかけ離れすぎた理想を描いてもその理想を現実にすることは難しく、仮にその理想が現実となってもその世界にすぐに順応することはできず、この物語で言うならば地上の世界からエレベーターを利用して突然30階に行くのではなく、一階一階立ち止まり色々なものに出会い経験や体験をして進んでいくことが大切なのである。残雪は「架空」という言葉を含め上に引用した文から、そういったことを伝えているのかもしれない。
 そして架空という言葉から、この物語の中で他にも架空ではないかと疑ってしまう箇所はあるように思える。述遺が住む高層マンションには述遺の他に7階と29階を出入りする黒い顔の男が存在していて、述遺の部屋のドアをたたいてきたりしていたのに最後にはその男がマンションからいなくなっているのである。7階と29階に存在していた黒い顔の男は何を意味していたのか。物語の終わりのほうにはこのような文がある。

(20)述遺は自分がまた暮らしの中のさまざまなしがらみを断ち切ったような気がして、全身にくつろぎを感じた。(中略)彼女は改めて外から自分の住んでいるマンションを眺め、ほんの短い間に随分古く、みすぼらしくなったように感じた。全体がすすけ、設計もひどく俗っぽく、夜に見たあの内部構造とはまるで無関係のようだ。自分は初め、いったいどこが気に入ったのだろう。

(21)その頭の中で都市はしだいに小さくなっていった。なにしろ、どこもかしこも行ったことのある場所になったのだ。(中略)この都市をぐるぐる回っていたのだが、その輪はもう、ひどく縮んでいた。

 黒い顔の男の存在が消えてからこのような文が書かれているが、この二つの文を見てみると今まで述遺が感じていたしがらみがなくなったと同時に、自分が住んでいるマンションがみすぼらしく感じ、街自体も小さく感じるようになったのはどうしてなのか。それは、今まで過ごしてきた過去の現実の世界で描いていた理想の世界が自分のものとなったとき、初めはギャップを感じるが時間と同時に理想から現実へと近づけたことを実感したという証なのかもしれない。人は現在よりも幼い頃のほうが時間の流れが遅く感じるものではないだろうか。それはきっと幼ければ幼いほど、生きていく中での経験値が少なく見るものや体験するものなど吸収するものが多くあるからである。反対に、歳を重ねれば重ねるほど、経験や体験したことが増えていき生活の中での「当たり前」と感じることが増えていくのである。ここでの述遺の心境の変化もこの原理と似ているのかもしれない。今まで長屋でずっと暮らしてきた述遺だから、その長屋から見える高層マンションは高くてたくさんの理想を述遺に与えてきたのかもしれない。いざその高層マンションの最上階に暮らすことで、前述したように今まで遠くから理想として見ていた情景を今自分が存在する現実の世界から見ることでその建物が遠く離れた場所から見たときとは違ってちっぽけに感じているのである。そう見えたときに初めて今まで描いてきた理想を現実へと近づけたと言えるのかもしれない。今まで理想の世界だったものが現実となり、今いる世界がみすぼらしく見えたとき、またそこから新たな理想の世界が見えるのである。『魂の城 カフカ解読』の第四部『巣穴』の中にこのような文がある。

(22)彼の視線は未来の希望に向いているが、未来は常に果てしないものだ。そこで常に期待しながら、後ろにひとつまたひとつと不完全な仕事を残していく。しかしその不完全な仕事はひとつ残らず完全無欠と永遠へのあこがれを体現している。
(22)の引用文は前述したように人は理想としていた世界が自分のものとなり、理想から現実へと近づけたときに今自分が存在している世界からまた新たな理想とする場所を見つけるという部分に類似している。「そこで常に期待しながら、後ろにひとつまたひとつと不完全な仕事を残していく。」とあるように今自分が存在している場所も、過去の自分、今よりも下の世界にいた自分にとっては理想とする世界もしくは未来を意味する場所であったのに、いざその世界を自分のものにするとまたその世界で新たな理想に期待をしてしまい、人はどんなに理想とする上の世界へ近づくことができても現状全てに満足することは決してないのかもしれない。後に続く「...不完全な仕事はひとつ残らず完全無欠と永遠へのあこがれを体現している。」とあるのは、人は現状全てに満足することは決してないのにその人自身にとっての言葉では表現できない完璧な理想とする未来像が一人一人常に頭の中に存在していて全て満たされることは決してないがその未来像がその人にとっての最終の目的地であり常にその未来像を追い求め生きているということかもしれない。その最終の目的地とする未来像へすぐには到達できないからこそ、人は段階を踏み小さな理想を少しずつ現実へ近づけその積み重ねの中を生きているのである。反対に言えば、決して全てを叶えることはできない理想とする未来像があるからこそ、前述した不平不満と夢や理想を追い求める葛藤が常に存在してその中を生きているのである。話は物語に戻るが、私の考察では、述遺と同じマンションに存在していた黒い顔の男の存在がなくなったのも男にその新たな理想の世界が見えたからなのかもしれない。

(23)述遺ははっきりとわかった。自分は黒い顔の男の後を引き継いだのだ。あの男はあんなに長いこと住んで、そろそろ去る潮時だったのだ。彼女が来てからも、彼はしばらく待ってくれた。彼女に状況を熟知させ、途中で逃げ出したりしないようにさせるためだ。彼の考え方では、このマンションにはどうしてもだれかひとり住んでいなければならず、そのひとりに選ばれたからには、述遺が住み続けなければならないのだ。

(24)述遺は死がすでに、自分のつま先から徐々に上にむかって広がりつつあるのを感じた。

(23)の引用文にあるように述遺が黒い顔の男の後を引き継いだというのは、今まで長屋で生活してきた述遺が理想として見てきたのはこの黒い顔の男が住む高層マンションだったからで、その高層マンションに引っ越してきた述遺は理想としていた黒い顔の男がいたポジションに来ることができ今まで理想としていた世界へ辿り着くことができた。しかし、今までは遠く離れた場所から理想として見ていた世界がいざ現実の世界として自分のものになったとき、今までは理想としていた世界の中にも不快や不満といった気持ちにさせる要素は絶対的にあり、理想と現実のギャップを感じその狭間で葛藤しながら生きているのかもしれない。その理想と現実のギャップから沸き起こる葛藤を乗り越えるか乗り越えないかでその人のその先の新たな人生、新たな理想が見えてくるかが決まるのである。「新生活」の中で言うならば、高層マンションのエレベーターが思うように使えなかったり同じマンションに暮らす人との関係が上手くいかないことが述遺が感じた理想と現実のギャップとも言える。述遺の一歩先を行くように黒い顔の男は高層マンションから見える彼なりの新たな理想を見つけ、その新たな理想の世界を目指しこの高層マンションからいなくなったのかもしれない。(23)の引用文に「...、途中で逃げ出したりしないようにさせるためだ。」とあるのは、理想と現実のギャップに葛藤を覚えるということ、そしてその葛藤から逃げ出してはその先の理想を見つけることはできないということを黒い顔の男は述遺に伝えているようである。その後にある(24)の引用文から読み取れることは、述遺の死も近いということは今まで存在していた黒い顔の男は死んだと意味しているのだろうか。もしそうだったとしたら、この高層マンションに越してきた人はそこでの理想が現実の世界となったときに次に見える世界は死なのかもしれない。
 この論文の中で主旨にもなっている建物の高い部分が理想や未来を意味していて、地上が今いる現実の世界、そして地上よりも低い場所が現実として生きてきた過去の世界を意味しているならば、人生は常に理想としていた世界が現実となり現実となった瞬間に過去となる。理想としていた世界が必ずその人の現実の世界になるとは言いがたいが、どんな形であっても人生の状況は常に変化し一秒前には未来と言っていた世界へ進んでいくものである。これを前述した建物の構造で表現すると、過去から未来へいくとしたとき下から上へと進み続けると表現できる。人生の最後に待っているものは死であり前述したように下から上へと上がっていくと表現したとき死は最上級に高い部分と言うことができる。この物語の中では高層マンションから黒い顔の男もいなくなり(24)の引用文にもあるように最上階に住む述遺の死が近づいているというのはこの高層マンションよりも高い部分に死を意味する場所があるのかもしれない。私たち人間が生活している場所の中で最上級に高い場所として思い浮かべるのは空で、この論文の第一章の初めにも書いたが人が亡くなれば状況がわからない小さな子に「お星様になった」と表現することがよくあるだろう。そして神様や祖先が空に存在しているかのように「天に願う」という言葉が存在しているのと通じるように人間は一つ一つ理想を現実へと変え全ての理想を満たしたとき、または理想を満たせなくてもあらゆる形に状況が未来を追って変化し続けその最期の目的地として空の世界へ逝くのかもしれない。今まで長屋で生活していた述遺がこの高層マンションに引っ越してきたのも人生終盤の理想の世界に近づいていたことを意味していたのかもしれない。


終章 おわりに
 ここまで残雪の作品「天窓」「不思議な木の家」「新生活」の3つの作品を用いてその中に出てくる建物の高さや地上よりも下の世界から見える残雪が描く理想の高さや未来像、また現実となった過去の世界を読み取り、この論文の中で論じてきた。第一章から第三章までを通じて言えることは1986年に書かれた「天窓」と1998年に書かれた「不思議な木の家」やほぼ同じ年代である1996年に書かれた「新生活」を比較すると描かれる建物の高さが非常に高くなっているということである。この建物の高さの変化は残雪の環境や心境の変化が表現されているとも言える。まず、第一章から第三章までを通してまとめとして言えることは、人生は下から上へと上がっていくということである。地上よりも上の世界が理想や未来を表現していて、地上よりも下の世界はその人自身が現実として生きてきた過去の世界を意味している。人は生きている時間が長ければ長いほど、経験や知識が増えてこの論文でいう地上よりも下の世界が深く掘られていくわけである。地上よりも下の世界、現実として生きてきた過去が表現されているのは「天窓」の中の薙刀香の話である。人生の中での経験や知識がその人自身の現実として生きてきた過去へとつながり、その経験や知識が多ければ多いほど地上よりも下の世界を深く築くことができ地盤がしっかりと固まっている建物のように土台を安定させることができる。その比較として「天窓」の中での、主人公の「わたし」と老人が挙げられる。長い人生の中でたくさんの経験や知識を得てきた老人よりも主人公の「わたし」はその経験値が少ないため、老人には見える天窓からの情景が霧に覆われて見えず、薙刀香の中から天窓さえ見えなかったのかもしれない。反対に「天窓」よりも後に書かれた「不思議な木の家」の最上階が見えないほどの高さの建物や「新生活」の30階建ての高層マンションは残雪の成長とともに環境の変化、心境の変化が伴い見えてきた理想とする未来像を表現しているようである。人は今自分が存在する世界よりも上の世界に夢や理想を持ち他人を羨んだりもするが、どんなに上の世界を理想としてもその全てを現実へと変えることは難しく、その理想の世界へ近づくことはできても今まで自分をとりまいてきた家庭や両親、家族といった一つ一つの要因が集まり一つの城を形成していてその城を崩壊し理想とする新たな城をゼロから築いていくことは決してできないということである。そして、人は理想とする世界を現実へと少しでも近づけることができたとき、その場所からまた新たな理想とする世界を見つけるのである。人は理想から現実へと近づけたとき、自分がかつて今自分が存在する場所を憧れとしていた心を忘れ、また新たな理想を探し求めるものである。人生とは常に今自分が存在している世界に不満を持つことから夢や理想を追い求め、その夢や理想を現実にできない心の葛藤、そしてその葛藤を乗り越えたとき夢や理想が自分のものとなりそこで見つける新たな夢や理想、その繰り返しだと言えるだろう。「不思議な木の家」では階段が使われていたのに対し、「新生活」ではエレベーターが使われているのを比較したときに、「新生活」のほうがエレベーターという響きに残雪の環境や心境が好転したように捉えられるかもしれないが、私自身はそう感じていない。第三章でも述べてきたが、機械的且つ自動的に上下を行き来できるエレベーターではあるが、早く目的とする場所へ辿り着くことに意味がないからである。目的とする場所へ辿り着くまでの早さではなく、道中どのように歩んできたかというプロセスが大切だと私は言いたい。人は夢や理想を追い求め生きる中で、理想とする世界へ早く行きたいと誰しも願うだろうけれど、たとえ早く理想とする世界へ近づけたとしてもその道中をどのように歩んできたかが大切であり、どのように歩んできたかが過去となり前述してきた言葉で言うならば現実として生きてきた過去の深さがなければ中身が何もない空洞の建物にすぎないのである。だからこそ、私は機械的且つ自動的なエレベーターよりも一歩一歩自分の足で踏んで進む階段のほうが一つ一つの階に何があるのかどんな人がいるのかと様々なものを自分の目で見て感じて進むことができるため、理想としていた世界に辿り着いたときにギャップを感じることなく自分の今存在する世界を現実として受け止めていくことができるだろう。このように、人生は現実として生きてきた過去が自分の今存在している世界の下に蓄積され、それはこの論文でいう地盤の安定へとつながり、ずっと上にある最終の目的地である最上級の理想の世界を目指し小さな理想を少しずつ現実へと近づけ一歩一歩階段を下から上へと上り詰め、上を目指すように一つの建物の構造と似ているのかもしれない。地盤を安定させるもさせないも、どのようにして上へ上っていくのかも、その人自身そしてその人をとりまく環境や要因が築きあげていくものである。全くと言って同じ建物など絶対に存在しないのである。
 論文の中で述べてきた3つの作品を書いた残雪の生い立ちは決して恵まれた環境ではなかったように感じられる。残雪の短編小説が収められた作品集『暗夜』にある残雪年譜によると、残雪は異父兄弟や異母兄弟を持ち、父が湖南師範学院革命委員会に逮捕されたときには兄弟は親戚に預けられる中、残雪は行き場がなく獄中の父に差し入れをしながら、わずか14歳でたった一人での生活を経験していた。そんな環境の中で育ってきた残雪が幼少時代に心の中で理想として見ていた世界、そして残雪自身が成長し人生で様々な経験や知識を得て今までの現実となってきた蓄積された過去、そこから見える新たな理想がここまで述べてきた3作品の中に出てくる建物の高さや薙刀香の中のような地上よりも下の世界に表現されているようである。「天窓」から「不思議な木の家」「新生活」と地上よりも下の世界から始まり建物の高さが高くなっていくのはここまで述べてきたように残雪が生きていく中での経験や知識が増え蓄積されていく過去と同時に見えてくる理想の世界が作品に反映されているかのようである。人間は家庭や両親、家族といった自分をとりまく環境や要因ひとつひとつが自分という人間を形成するにあたって不可欠で、自分が存在しているその城がその人に見える理想の世界を左右しているのかもしれない。理想を持たない人間などおらず、皆自分の城の中で常に苦しみ葛藤し理想を追い求めているのである。

-完-
【引用文の注リスト】
<第一章>
(1)残雪著、近藤直子訳「天窓」。残雪著、近藤直子訳『蒼老たる浮雲』収録(河出書房新社、1989年)、155頁。
(2)上記「天窓」、158頁。
(3)上記「天窓」、159頁。
(4)上記「天窓」、160‐161頁。
(5)上記「天窓」、163頁。
(6)上記「天窓」、167‐168頁。
(7)上記「天窓」、170頁。
<第二章>
(8)残雪著、近藤直子訳「不思議な木の家」。池澤直樹編『世界文学全集I-06』残雪著、近藤直子訳『暗夜』収録(河出書房新社、2008年)、108頁。
(9)上記「不思議な木の家」、109頁。
(10)残雪著、近藤直子訳『魂の城 カフカ解読』(平凡社、2005年)、238頁。
(11)残雪著、近藤直子訳「不思議な木の家」。池澤直樹編『世界文学全集I-06』残雪著、近藤直子訳『暗夜』収録(河出書房新社、2008年)、110‐111頁。
(12)上記「不思議な木の家」、111頁。
(13)上記「不思議な木の家」、112頁。
(14)上記「不思議な木の家」、112頁。
<第三章>
(15)残雪著、近藤直子訳「新生活」。中国現代小説刊行会編『季刊 中国現代小説第11巻 第11号 通巻47号』収録(蒼蒼社、1999年)、51頁。
(16)上記「新生活」、53頁。
(17)上記「新生活」、50頁。
(18)残雪著、近藤直子訳『魂の城 カフカ解読』(平凡社、2005年)、365頁。
(19)残雪著、近藤直子訳「新生活」。中国現代小説刊行会編『季刊 中国現代小説第11巻 第11号 通巻47号』収録(蒼蒼社、1999年)、70頁。
(20)上記「新生活」、132‐134頁。
(21)上記「新生活」、134‐135頁。
(22)残雪著、近藤直子訳『魂の城 カフカ解読』(平凡社、2005年)、366頁。
(23)残雪著、近藤直子訳「新生活」。中国現代小説刊行会編『季刊 中国現代小説第11巻 第11号 通巻47号』収録(蒼蒼社、1999年)、136頁。
(24)上記「新生活」、137頁。

【参考文献リスト】
<原書>
・ 残雪著「天窗」(中国、1986年)。残雪著『残雪短篇小?全集(上下集)』収録(作家出版社、2004年)。
・ 残雪著「新生活」(大家、1996年)。残雪著『季刊中国現代小説47号』収録(蒼蒼社、1999年)。
・ 残雪著「奇?的木板房」(作家、1998年)。残雪著『残雪短篇小?全集(上下集)』収録(作家出版社、2004年)。
・ 残雪著『?魂的城堡-理解?夫?』(上海文?出版社、1999年)。
<訳書>
・ 残雪著、近藤直子訳「天窓」。残雪著、近藤直子訳『蒼老たる浮雲』収録(河出書房新社、1989年)。
・ 残雪著、近藤直子訳「新生活」。中国現代小説刊行会編『季刊 中国現代小説第11巻 第11号 通巻47号』収録(蒼蒼社、1999年)。
・ 残雪著、近藤直子訳『魂の城 カフカ解読』(平凡社、2005年)。
・ 残雪著、近藤直子訳「不思議な木の家」。池澤直樹編『世界文学全集I-06』残雪著、近藤直子訳『暗夜』収録(河出書房新社、2008年)。