先王の亡霊の謎―「ハムレット」分析その2

近藤直子 監訳
2006年度日本大学院文学研究科博士前期過程
小久保元、高浦聡希子 訳

 人があの果てしない冥府へ沈み入ると、先王の亡霊のような霊がやってきて彼と遭遇する。この人を恐怖せしめる亡霊は、自身は深い苦痛の中にいて地獄の炎に焼かれており、未だ尽きない俗世の因縁が依然反逆の妄想を生んでいる。彼は見たところ信念は堅く目的は明確だが、内心かすかに途方に暮れている。亡霊は肉体を失っており、人の肉体の助けを借りて彼の事業を実現しなければならない。亡霊がしなければならないのは、人への啓蒙である。しかし人と亡霊が遭遇する恐ろしい場面は、今や白昼に生じ、重苦しいデンマーク城のバルコニーに生じる。完全な人格を目指すデンマーク王子ハムレットは、ある特殊な時刻、彼の精神の支柱が崩壊に瀕した際に、運命の転換点に至った。これがいわゆる「魂が穴から出る」ことだ。先王の亡霊はこの憂鬱な王子にあの道を示す。敵を討って恥を雪ぎ、正義を悪に勝たせよと。しかしこの事業には深く計り知れない仔細がある。それは四方に危機が潜む陥穽の敷きつめられた道であり、歩いて進むことはできず、ただ力まかせに死に物狂いで突破するしかない道である。先王の亡霊は結局誰なのか。彼のハムレットに対する啓蒙はどのように成し遂げられた。ここではハムレットの精神の成長の歴史を遡って探ることにしよう。

疑いなく、ハムレットはある異常に厳しい性格を具えており、自分と他人のごくわずかな虚偽も容赦できない。彼が子どものころから手本としてきたのはあの高貴な父親―― 地上の神である。人が青年時代にだれか個人を偶像のように崇拝するとき、彼はすでに偶像のモデルに合わせて自身の魂を塑像しつつある。王子が青春の熱い血と衝動にまかせて追求すればするほど、モデルの高みに手が届かず、おのれの罪深い肉体が、自身が到達しようとするモデルを日々冒涜するのを感ずる。その唯一無二の神のような父親は、明らかにハムレットの精神世界の中にしか存在し得ない。彼はハムレット自身の人格を対象化したもので、人が真正な「人」としてこの世に存在しようとするたゆみない努力の象徴である。しかしハムレットの人格の発展は遂に致命的な矛盾に突き当たる。理想の基準に照らして自身を見、同胞を見たとき、彼は自分がすでにこの世に身の置きようが無く、身を置く理由も失っているのに気づくのである。暗黒のデンマーク王国は霊魂の大監獄であり、彼はとうの昔から淫欲の汚泥濁水に浸っている。身を清らかに保つ夢はすでに水泡と化し、青年時代の努力と奮闘のすべては塵埃のように無意味だ。しかしこのかなめ時、先王の亡霊は彼にあの不可能事をなせという、すなわち生き続け、敵を討って恥を雪ぎ、正義を伸張せよというのである。今やもう明らかだ。先王の亡霊はまさに王子の、あの穴から抜け出した魂なのである。王子は徹底した理想主義により長年の最高理念の化身を塑像している。亡霊がこの世にやって来るのは、理想が依然として存在することを人に思い出させるためであり、また、こう告げるためでもある。険しい前途は人の運命なのだ、なぜなら今後の生涯は分裂した人格として過ごすしかないのだし、「発狂」が生きつづけるための唯一の方式だからだと。亡霊はこれらの陰の台詞は語らず、ただ激しい口調と気勢で、王子に、これから到来する一切を身をもって体験せよと迫るだけである。啓蒙は王子が生まれ落ちたときから始まっている。つまり王子の精神世界は最初から亡霊に覆われていたのであって、今回の亡霊の出現あるいはそれとの遭遇は、啓蒙の最後の完成である。人と亡霊はこの時から二つの世界に分かれ、遥かに相手を望みながら、だが切り離すことはできない。こうした境地は並の者には耐え切れない。だからこそ王子の親友(ホレーシオ)はこういうのだ。

「考えてもごらんなさい、この危険な場所にやってきて、千仞下にあの一面の海水が沸き立つのを見、海水がで咆哮するのを聞けば、だれだってわけもなく妙な気を起こしてしまいますよ」 

王子は最初の一歩を踏み出し、ここからはただ歩き続けるしかない。この腐乱した世界と彼自身の腐乱した肉体は、彼にはすでにいかなる意味ももたない。しかし彼はまだ死にたくはない。彼はもうひとつの短いながらも輝かしい“発狂した”人生を開始する。この特殊な生き方の中で、内部と外部のありとあらゆる矛盾はみな激化して最終段階に達する。一触即発の瀬戸際にありながら、最後の結末はずっと「延期される」。ハムレットの躊躇と延期を説明するさまざまな外的原因があるようだが、深く掘り下げてみると、それは単に肉体の衝動が障害にぶつかった際の表れにすぎないとことがわかる。障害は自己の内部から来る。魂は深刻な憂慮を満載し、決断は難しく、ただ肉体の衝動の力が自然に解き放たれるのを待つしかないのである。この点は先王の亡霊にも既に充分に表れている。

「私はお前の父の亡霊だ。夜は人の世をさ迷い、昼は腹を空かせて炎に焼かれ、生前犯した一切の罪が完全に焼き尽くされるまで耐えねばならぬ定めなのだ。私は禁を犯すことはできぬ。我が獄中のいかなる秘密も漏らすことはできぬ。さもなければ、ほんのひとこと話しただけで、お前の魂を底まで貫いて熱い血を凍らせ、お前の目を流星の様に眼窩から飛び出させ、お前の束ねた髪をほどいて怒ったヤマアラシの針のように一本一本逆立てることになろうに。だがこの永劫の神秘はけっして血の通う耳に漏らしてはならぬのだ。聞け、私の言葉を、もしもお前がお前の親愛なる父を愛したことがあるならば、父に代わって惨たらしく殺された仇を討つのだ」

すでに肉体の消滅した亡霊は、依然として自分が俗世にいた時の罪を忘れられず、地獄の硫黄の烈火の懲罰を受け、耐え難い苦しみをなめている。しかしそれでもなお改心せず、ハムレットに罪を犯しつづけよと促すのだ。彼は王子の本性を深く知っている(「私はおまえが積極的だと知っている」)。何故ならハムレットの本性は亡霊の本性だからだ。亡霊のうちに潜む矛盾はこれほど尖鋭である。しかし彼自身は二度と肉体を得る術はなく、その絶望的な境遇をハムレットに語り聞かせることしかできない。亡霊は王子に俗世の腐敗は救いようが無いとわからせたい。王子の一切の救いへの希望をたたきつぶしたい。だが同時に俗世の恩讐に耽溺させ、臭気に満ちた河水にもう一度とてつもない大波を巻き起こさせたいのだ。亡霊はハムレットに与えた難題がどれほど難しいかを知っており、またハムレットが必ず行動し、しかも行動する際、致命的な虚無感に苛まれてしょっちゅう目的を一時棚上げにするのも知っている。なぜなら王子の心の中では両立し得ないふたつの力が格闘しているからだ。亡霊自身の言葉こそ、そのふたつの力を展示するものだ。彼は今さっきハムレットにおのれの罪の深さと懲罰の恐怖を語って見せたと思うと、つづいてすぐ彼に人殺しをしろという。彼は話しながら天上の言葉と俗世の言葉を混ぜこぜにしているのである。亡霊にしかこのような話し方はできず、亡霊にしかこのように巨大な張力はもてない。人が世俗の中でこの一切をやろうとすれば、幾分、亡霊のようになるしかないが、その自信と気迫は亡霊には及ばない。亡霊は王子を心配しない。王子が「積極的」なのを知っているからだ。どの様に目的に達するかは重要ではない。重要なのは生きる境地、あの「詩の極致」と形容し得るような境地である。この境地は、愛する息子ハムレットへの彼の最大の贈り物であり、ありとあらゆる高貴な美はすべてこの境地において再現される。もちろん高貴な美は下賎な醜悪と切り離せない。だからこそ、もはやその美を実現できない亡霊は、俗世の泥沼にはまった王子に希望を寄せるのである。要するに、王子が彼の話を聞き終えた後、目の前の活路がしだいにはっきりしてくる。狂気だけが、下賎だけが、不完全さだけが、彼の唯一の道であり(彼自身はそれが完全に至る道だとは必ずしも意識していない)、さもなくば生きるのを止めるしかない。「狂った」境地は完全を追求する凄惨な努力を充分に体現する。人はおのれの肉体と肉体の生きる世界を唾棄しながらも、俗世の因縁は断ち切れない。その情況は地獄の硫黄の烈火に焼かれるのと大差ない。地獄の存在に懐疑的なハムレットの「発狂」は、まさに人生に執着し、精神の滅亡に甘んじないことのパフォーマンスである。この古典的なパフォーマンスは四世紀を経た後に見てもなお、芸術の最高峰である。

こうして見ると、ハムレットの苛酷な生存環境は、外部の歴史の偶然によるというよりは、むしろ主に彼の特殊な個性の致すところだといえる。つまり、こういう特殊な気質を具えた個人は、結局のところ、あれこれの「偶然」によりその個性を極限まで発展させるよう促されるのだ。何世紀にもわたる読者に繰り返し引用されてきた発言を見てみよう。 

「性格にほんの小さな疵がある者がいる。あるいは生まれつき(それを咎めるわけにもいかない。天性は自分で決められないのだから)、あるいは特殊な気質が勝ちすぎて理性の範囲を超えている。あるいは習慣的に一挙一動、人に気に入られようとしすぎる。こういう者はある種の欠点の烙印を帯び(天然自然の符号か、はたまた運命の標しか)、彼らの他の性質も(どれほど気高い、一人では背負いきれないほど多くの性質でも)世間の非難に染まらざるを得ない。これが欠点の潰爛症というやつだ。ちょっとした欠点がしばしば一切の高貴さを帳消しにして、評判を地に落とす」 

 これほど完全さを追求したら、人は自己を保護するいかなる能力も失い、素っ裸でイバライだらけの社会を行くに等しく、常に致命的な傷を受ける可能性がある。人が生存できるのは、自己欺瞞の宝刀を自我を守る武器としてもっているからだ。この前提は社会において強大な慣性となっており、人はそれを忘れて俗世の束の間の享楽に溺れることができる。しかしいかなる時代にも、自身の現実に満足せず、はてはそれを憎み、自己欺瞞を捨ててあの永遠に追いつけぬ真実を追おうと奮起する少数の者がおり、こういう者が人類の魂の代表となる。魂の、肉体への復讐の図式は、こうしてこれらの傑出した者の中で不断に再演される。ハムレットは最後に彼を愛する兄弟の毒剣の下に死ぬのであって、仇に殺されるのではない。この天才の劇の筋立ては奥深いものをはらんでいる。魂の傷は、往々にして愛する者から来る。結末に至る前に、ハムレットは二度、致命的な傷を負っている。一度は恋人オフィーリアによるもので、もう一度は母なる王妃によるものだ。二度の傷に彼の心は死灰のごとく終わりを告げる。

 オフィーリアの美しさ、純真さ、ひたむきな愛、そして夢見るような少女の気質は、戯曲史の中の永遠の絶唱であり、彼女の悲惨な最期は多くの人に悲しみの涙をこぼさせる。しかしオフィーリアは仙女ではなく、やはり社会の一員としてその社会の烙印を押されており、その目はあの欺瞞の目隠し布でおおわれている。だから亡霊に啓発されて考えを改めた王子は再び出会ったとき、彼女の言葉と、彼女がペテン劇の中で演ずる役割、あるいは彼女の「社会的身分」が、王子の心を深く傷つける。彼は理想の中の恋人がたちまち虚偽に、わざとらしく、たまらなく俗っぽく変わるのを見る。そして理想は破滅し、目の前は光が失せたように真っ暗になる。愛はこのうえない憤怒と悪意ある皮肉に変わる。オフィーリアの誤りはどこにあるのか? 誤りなどありはしない。彼女は相変わらず深くハムレットを愛しており、「誤り」はハムレット自身にある。彼は天上の基準で地上の凡人を量っている。彼は人が生きるに必要な前提を破壊除去しようというのだ。彼は恋人に説明しようとせず、ただ心の中で悲哀のうちに失敗を承認する。彼は失敗の結果を前に、おのれの世俗的欲望としぶしぶ別れを告げる。その欲望こそ、先にあげた「ほんの小さな疵」の根源なのだ。同様な基準が彼自身を量るのにも用いられる。 

 「おれは傲慢で、復讐心に燃え、野心勃々だ。いつでも大逆非道の思いに駆られ、その思いはあまりに多すぎて頭に収まりきれず、あまりに様々で想像も追いつかず、いちいち実行する暇もないほどだ。おれのような輩が天地のあいだを這い回って、なにができるというのだ? おれたちは掛け値なしのごろつきだ、おれたちのような者をだれも信じてはならん」 

しかし彼はそれでも一切を顧みず、完全さを貫こうとする。先王の亡霊に象徴される基準をもって。そこで世俗の生き方は不可能となり、失敗の中で独り幻滅の苦酒を飲むしかなくなる。これを自覚的に引き受け、選択したのは、もちろん熟慮の結果である。オフィーリアの生命が終える前に、ハムレットはすでに死んでいる。世俗の欲望に別れを告げた彼はすでにもはや十全な人間ではない。彼は彼の理想によって恋人を殺し、おのれをも殺したのだ。この死は美の極致を追求せんがためである。

 王妃は平凡な女である。彼女はハムレットを愛し、今の国王をも愛している。彼女の「弱さ」は人がだれしも持っているもの、すなわち肉欲と虚栄である。ひょっとしたら彼女は本当に真相を知らないのかもしれず、ひょっとしたら真相を認めたくないのかもしれないが、さらにありそうなのは、知っていると知らないの間のどっちつかずのところにいることだ。この曖昧な状態こそ人が身を置く境遇であり、彼女の人物像造形の見事さは、このはっきりと説明されない不明瞭さにある。しかし、まさに母親のこうした生存方式(動物のように目先のことしか顧みない方式)が、ハムレットの心をふたつに引き裂く。先王の亡霊に理知を与えられていなければ、怒りにまかせて母親を殺しかねないところだ。ハムレットの燃える目に、母親は「あぶらぎった寝床の上で臭い汗にまみれ、汚物にまみれておぞましい言葉を吐き、豚小屋の番をしながらいちゃついている」のである。この厳しさは母親にも、自分にも向けられている。真相は、だれひとり生きる理由も資格もないということなのだ……あの亡霊はどこまで彼を追いつめることか! 彼は懸命に包囲を突破しようとするが、突破できない。この陰気な大監獄はまさに人を鬼に変える場所である。もちろん、目覚めた人にとってだ。目覚めた人は人と鬼の間にあって、意のままにふたつの世界を往来できる。だからハムレットはいつでも先王の亡霊と対話できるのだが、母親には一面の空白しか見えない。母親は迫られてやむなく目隠し布を外し、しばしおのれの魂を注視するが、ハムレットが彼女に指し示す道を生きることはできない。その道は彼女にとって死を、あるいは生ける屍となることを意味する。彼女自身の欲望は別としても、あの疑い深く残忍な現国王にどうして不忠を働けよう? 彼女は王子のような勇気は持てない。祈りの時間以外にも、いつも真実を凝視する超人的な勇気は。だからこそこの宮殿の檻の中で、人は良心をごまかしながら生き長らえるしかないのだ。生命力の沸き立つところには、常に人に指弾される罪悪があり、その罪悪を徹底的に断とうとする王子は、やはり身を犠牲にするしかない。王子の犠牲はもちろん消極的なものではなく、矛盾した心情の下での、罪悪との決死の闘いによるものだ。彼はついに生命を代価にして幾重もの包囲を突破する。超脱した目で見ても、悪を以って悪に抗したのだといえる。あるいは生命力を爆発の中で滅ぼしたのだとも言える。これ以上に彼の理想にかなう結末はあるまい。

 最後に、ハムレットがなぜしばしば、あやうく敵討ちの大業をやり損ねるほど躊躇したのか、その原因もすべて明らかになる。一切の根源はあの自己矛盾ばかりする亡霊にある。亡霊が王子を導く人性は、実に、死ぬより耐え難い人性である。人の世の地獄が彼の生きつづける意味をさっさと引っこ抜いてしまうと、亡霊は彼に、想像によって意味を作りだし(すなわち亡霊が彼に授ける天機)、精神の生を獲得するよう迫る。この事業の難しさは、人が完全には亡霊になりきれず、しかも十全な人間でもなくなっているため、ひと足ごとに虚無感に苛まれ、また実在感に苦しむことにある。ふたつの強烈な情緒が魂の上で交互に鋸を引き、彼に行動を再三躊躇させる。それはまるで先王の亡霊が自身の隠れた矛盾をハムレットに伝え、ハムレットを通してその人性の永遠の矛盾を俗世の大舞台で頂点まで激化させ、生命の壮烈と芸術の張力に不朽の一章を残させたかのようである。復讐の道は内面の鋸引きの戦いであって、激情と消耗が自省の推理のうちに、Z字形の痕跡を残していく。あの生命の律動の痕跡を。文明人の復讐はなんと困難であることか! しかし生命の衝動と精神の発展は、畢竟、阻むことはできず、四百年前に発生した奇跡がその後の時代にも不断に続いている。デンマークの宮廷はひとつの監獄であり、舞台でもあって、そこで上演されたのは人類文明の精華である。ねじまげられた人性が幾重もの陰謀の抑圧の下から現れ出て、その純粋な光芒で人の心を照らすのである。あの宮廷こそ、シェイクスピアの重苦しくまた熱烈な内面ではなかったろうか? 

初出:《鸭绿江》2001年第2 

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